はてなキーワード: 伝道とは
あまりに煮詰まっている。自分の子どもたちを優先順位の一番に出来なくなりそうでヤバいから精神安定剤的にカキコしようと思う。長文申し訳ない。
私は某宗教で育った。アメリカの再臨派から分かれてるのに唯一無二のキリスト教ってうたってるやつだ。
小さい頃から鞭でぶち回されるのは当たり前だったし幼稚園も行っていない。伝道活動に連れ回される中、幼稚園の前を通った。垣根越しに園内を覗いたことがある。にぎやかで楽しそうな世界だった。子どもながらに心臓がぎゅっとつかまれる気がした。
その時代は信者は週三日の集会、週五日の午前午後の伝道活動が当たり前だった。子どもは親と一緒に連れ回された。終わりが来る、とずっと言われ続けていた。高校なんて考えなくていいし、仕事は伝道活動を最優先にしてと言われていた。
小学校に上がってから、学校はとても楽しかったが、出来ない行事も多かった。日本の伝統行事、誕生日、クリスマス……。御神輿をクラスで作成する中、先生に言い、私は一人椅子で本を読んでいた。先生への証言は気の重い作業で、でも仕方なかった。校庭で校歌ダンスがあった時は、一人で膝を抱えて木陰にいた。
私は音楽が好きだった。高学年になってマーチングバンドに入りたかったし、少年団のソフトボールに入りたかった。
だが、諦めざるを得なかった。世との交わりになるし、優先すべきは放課後の伝道活動と集会だったからだ。
中学校になり、私は部活に入りたかった。本当にどうしても入りたかった。この時は多少抵抗したが、会衆の長老を含めて親の説得に負け、仮入部した部活を自分から取り下げた。応援してくれた先生や同級生に、本気ではないと思われ、信用をなくした。このとき多分全力で抵抗していれば順調に年齢通りに社会生活を送れたのだろうが、洗脳も強かったし、親を愛しすぎていた。組織を出るなら殺すと言われ、それに負け、無力感とともに青春を送り始めた。
その後10年思い出したくもないような宗教漬けの日々の後、その宗教を辞めた。
幸いな事に結婚も出来た。子どもにも恵まれた。やりたい場所でやりたい仕事をし、そのためにやりたい勉強をし、好きな家を買って暮らしている。
子どもはまだ小さい。4歳と1歳だ。平日は、保育園に預けている。とてもいい保育園で、子どもたちに毎月の行事をしてくれているし、園も季節感のある飾り付けになっている。リトミックや英語、図工に体育など年齢に合わせた遊びながらの教育もしてくれている。給食もおいしい。ほんと楽しい場所だ。
ふっと気を抜くと、最近子どもにイライラしている。子どもを応援する母親になりたい本心がある一方で、私は人生を取り返したくてたまらないし、たくさんわがままを言える子どもが羨ましくて仕方がない。子どもに嫉妬するのは馬鹿げていると理性が思う一方で、私の中の子どもが、楽しそうな上の子を虐めたがっている。
上の子の2歳後半から3歳にかけてのイヤイヤ期には本当に手を焼いた。自分は大人しい子だったし、常に人目を気にしていた。公園で泣きわめかれたりお店で転がれる気持ちがわからなかった。あまりにもひどいとき、とうとう手をあげてしまった。小さい頃の自分を叩いたようで、夜中吐いて泣けて反省した。だが、その後も元気がよく、私も我慢しすぎて階段から付き落としそうになるよりは、躾の範囲で言い聞かせてその場で服の上からお尻なりひっぱたいた方がよっぽどカラリとお互いのためにいいのではないかと、何度かはしているうちにイヤイヤ期が収まってくれた。
まずいのは、夫はこういう葛藤を理解できるはずもないという事だ。夫は育ちがよく、彼の母親は始終笑っている人だ。子どもも夫も動物も可愛がって楽しむ人だ。
上の子どもが赤ちゃんだった頃、何のためらいもなく行えた誕生日会。幼児期になってから辛くてたまらない憂鬱な会になった。
子どものイヤな面が私に似ている。それがまた私を責め立てる。自分の性格のせいで親からの自立が遅れ、上手くいかなかったのは単に自分のせいだったことに気がつかされてしまった。
気分が沈んだ日は、疲れているから、と言い訳にして、子どもを放置した時間だけが過ぎていく。子どもとの今日一日はかけがえのない日だと分かっているのに。エネルギーのあまっている子どもを休みの日に一日外に出さないで、たまった家事の解消にあてたりすると、もうへこむ。
さて、今朝のことだ。仕事で昇進し、今度はチームを動かすほうになった。チームワークについて、常日頃年下から学ぶ事が多すぎて、自分としては自信がない。学生時代に部活が出来たら経験になったに違いないと思ってしまう。だからつい、夫に学生時代に部活が出来なかった事がいつまでも経験の少なさとして尾を引いていると愚痴ってしまった。すると
と言われ、ついお互いムキになってキレてしまった。だが、こうして文章として起こしてみると、そんなに重いものを裏にして話す方が悪い気もしてきた。
午前中、悲しすぎて棒に振ってしまったから、せめてこれから子どもたちにも夫にもいい一日になるよう頑張ってみようと思う。
だが問題の本質は、分かってほしい人に分かってもらえないと、子どもをだんだん愛しづらくなっているという事だ。だがそれも他力本願な甘えでしかない。
18世紀の江戸中期、ウナギはもともと川の中でのたくってる、生活に余裕があるやつなら絶対喰わないような下賎な食べ物でありまして、すげー安い食い物だったんだよ。
19世紀の江戸後期、マグロの赤身トロはすぐに痛む足が早い食べ物でありすぐに腐って売り物にならないわけで、やっぱり下賎な者が買いやすいすげー安い食い物だったんだよ。
20世紀の昭和中期、クジラの肉は牛豚鳥の動物肉タンパクが大量に安く手に入らない中にあって、一発銛入れればまとめてそれなりの量が確保できる、やっぱりすげー安い食い物だったんだよ。
安い食い物の評判がよくなり人気が出て、高価格の高級料理路線と低価格の庶民の味路線の二本立てで国民食になり、それを聞きつけた海外でも喰い始めて需要が急騰、原材料の価格が急騰すると貧乏国の連中が乱獲に走り、水産資源の枯渇を招きレッドリスト入りで、好きなだけ喰えなくなるって寸法。
マグロはトロの部位がすぐに痛むし、油でコッテリで粋な味じゃねえってんで、投げ売りされてたんだね。
トロに比べて赤みの方が長持ちするので、こちらの方が高かったと。
電気による冷蔵技術が確立し配送用トラックにそれが載るようになると、トロを痛めずに店頭に出すことができるようになり、昨今の油まみれで柔らかいトロが歯がガタガタのじーさんばーさんと孫のセットにベストマッチで喰いまくってくれたおかげで、価値観の逆転が起こった的な。
うなぎを腹から開いて串をさして関西の薄口の上等な醤油を塗って蒲焼にして露店売りしてた。
それを武家の総本山の江戸に持ち込んだところ、腹を開くうなぎは縁起が悪いハラキリだってんで武士に嫌われるし、上方の旨味で勝負する醤油は東方の真っ黒でしょっぱいガッツリくるものとは違って受け入れなれないわけで、結局ヒエラルキー上方の連中に相手にされる食べ物にはなり得なかった。
それが変わったのは、千葉だったかの方で東方風味ながらも上質な醤油が開発されて、上方からうなぎの伝道よろしくがんばった意識の高い露天商の連中の満足を得たのと、その醤油とみりんを混ぜたところ糞甘いタレが出来上がって江戸の連中に受けてからですね。
予は常に確信す、大正の流俗、芸術を知らず、無邪気なる彼等の常談を大真面目に随喜し渇仰するの時、まづ噴飯に堪へざるものは彼等両人に外ならざるを。
そのためには噴飯の資になることも快く甘じて受けたく思ひます。
竹竿を振り廻す男よ、君の噴飯すべき行動の中に、泪や感慨の裏打ちを暗示してはならない。
みな出鱈目だ。昆布だしの取り方はもちろん、煮だしの取り方を知らない。だから、用いる分量なども当てずっ法だ。これで料理経済を語るなどは噴飯ものである。
が、こんな空想は、空想だけに終るのだつたら、別に事新しいものではなく、ある種の宗教はそれぞれの病気をなにかしら道徳の欠如にもとづくといふ、噴飯に値するコヂつけで俗耳を迷はせてゐる。
どれも「(笑ってしまうくらいに)愚かだ、滑稽だ、馬鹿馬鹿しい」みたいなニュアンスで、純粋に「おもしろい」「おかしい」という感じではない。
これが「噴飯す(ふきだす)」になるとまた変わるけど。
http://www.jwstudy.com/docs/study_hours_per_baptism/
誰も興味がないだろうけれども。
エホバの証人がやたら来るのは、一ヶ月にどのくらい伝道活動をしたかを報告するシステムがあるから。
日本人はこの数字上げに関して世界一熱を入れている。他国の信者が驚くくらい。
互いに愛し合うことより数字入れることの方がわかりやすいし、記録として張り合いやすいからかな。
組織は誰が何月に何時間伝道していたかという記録を過去何年分も遡って記録している。
伝道時間とは、エホバの証人じゃない人間にエホバの証人の教義を伝えるためにかけた時間を指す。
正規の伝道者になったら最低一ヶ月1時間は伝道活動を報告しないと「不活発」ということで、頭数から除外される。
どんなに熱心に聖書を読んでいようか、仲間の信者を助けるために奔走していようが、伝道してないとダメ。
「奉仕活動」と呼ばれているんだけど、地域ボランティアや被災地支援、介護なんかは含まれない。
そんなわけで現役エホバの証人として神に、そして仲間に受け入れられたかったら伝道は欠かせない。
この伝道時間というのは実質信者の格付けランキングになっていて、時間が多い人ほど重んじられる傾向にある。
伝道時間により伝道者、補助開拓者、開拓者、特別開拓者、宣教者というクラス分けがあるんだけど
海老名市にあるものみの塔聖書冊子教会日本支部、通称海老名ベテルの精鋭に選ばれた場合
何歳から何年間開拓奉仕をして来たかで、休みの日も違えば割り当てられる部屋も違う。
まず家を訪ねる場合、伝道開始した最初の家を訪ねた時間から、最後の家を訪ねた時間までを計算する。
途中道ばたで喋っていたり、移動したりする時間をどの程度記録に入れるかは個人の裁量に任される。
また手紙やメール、電話の場合は手紙を書き始めてから書き終えるまでを数える。
さて、補助開拓者から宣教者までは伝道時間のノルマがあるから1時間でも多く伝道したい。
特に月末・年度末は切羽詰まって、勢い質より量になる。
そのため伝道時間の「経費」とみなされる活動に自ずと力が入る。これを「時間を入れる」という。
遠くの家と遠くの家をピンポイントで訪ねてみたり、同僚に唐突に聖書の話をしてみたり
エホバの証人でない親族や友人知人にご機嫌伺いの手紙を書いて、最後にちょろっと聖書の言葉を書いたり
すごい人になると、一回家に帰って小一時間くつろいで、それも「休憩時間」とみなしてしまう。
そんなわけでエホバの証人は聖書の話を聞いてくれる・断らない相手にしがみつく。
聖書研究を始めた途端にいろんなエホバの証人が何かと話しかけてきたり、手紙を寄越したりするのもそのせい。
同じ相手に話しかけると「再訪問」という別枠のカウントも入り、これも熱心さの目安とされる。
もちろん出版物を提供したり、聖書研究を司会したらそれも件数でカウントされる。
こういう数字がいいメンバーは集会や大会で「模範的な伝道者」として賞賛される。
どれだけ長年熱心に仲間を支援していても、信者でない人を隣人として愛してきても
布教の成果が出て相手がエホバの証人になると、そこから数字はカウントされなくなる。
もちろん「時間が入らなくなる」ので、難癖つけて献身を渋るような本末転倒な事態も起きる。
(そして献身した後は「奉仕が忙しいから」とアフターケアをしなくなる。)
ブルックリン本部の出版部から来た人が「聖書通読をしましょう」という講演で
「日本は数字を出すのが好き。もしも聖書通読の数字を報告することになったら、年間1000時間とかすごい人が出るだろう」
と言っていたが、その通りだと思う。
日本のエホバの証人は他国と比べてとりわけ熱心に伝道活動をしているわけではない。
ただ数字を上げることへの熱中度は群を抜いている。
ちなみにどれだけ寄付したかは発表されないので、寄付への熱意はかなり低い。
施設維持費として最低いくらかかるかは明確にされており、簡単に計算できるけど、しょっちゅう赤字。
■追記■
世の中の常識には真実とはずいぶん乖離した素っ頓狂なものが少なくないが、その1つが「美味いもの沢山食って元気だせ」だ。
確かにマズいよりは美味いほうがマシだが、元気を出すのに美味いものを食うという選択は少々知能が足りなさすぎる。
そもそも沢山食うと満足という安直な発想にも驚きを隠せない。犬や猫でもそんなこと言わないぞ。
ところが常識というものはひとたび大衆のあいだで広まり信じ込まれると強力な洗脳効果があるんだよな。
「朝ご飯食わないと元気でない」という脅迫的な呪いの言葉もそうだ。自分の直感よりも常識を信じるようになったら老い先短い。
その手の常識は一面の現実だけを論拠にしており、その信者たちは現実を一面でしか見なくなる。
盲目的信者に何を言っても聞かないのも、いついつまでも同じ迷路でグルグル苦しんでいるのもそういう訳だ。
おそらく信者にはこの文章すらも響かない。近年になって本当のことを言ってくれる伝道者が増えて、
また、ダイエット信仰という別の宗教が勢力拡大することによって、「腹が減っては戦ができぬ」から改心する人も少なくない。
「どんなにくるしくても おいしいものたべて おなかいっぱいになれば "ふとる"よ!」に気づいたのだ。
しかしながら、ハウエバー。「美味しいもの食えば元気がでる」という信仰はいまだに抜けきってないのな。
1.Politician
2.Expert
4.Entreprenuer
5.Missionary
1は(社内)政治家。新卒で入った会社の中で政治力を持って可能な限り権力に近づく。
根っからのエリート思考の人に向いていると思う。ただ、社長になれるかは100%運だろうし、たとえ運よく社長に成れたとしても経済的には普通のサラリーマンとそれほど変わらない。ま、住宅ローンとか子供の教育費には困らないだろうが。最も気持ちいいのは人を支配し、世の中に影響を及ぼす快感だろう。上り詰めれば財界の実力者として、政治家と対等に話すことも夢ではない。
2は職人的専門家。財務とかプログラミングとか法務とかアラビア語とか何でもいいから独り立ちできるような専門知識、難関資格を身につける。
人脈を築いて好条件でヘッドハンティングされるもよし、独立して事務所を持つもよし。会社のだるい柵(しがらみ)が嫌いな自由人タイプの人に向いていると思う。好きなことだけ出来る。ただ、自営業者になったり、会社のレールからは外れるからサラリーマン的な安定度は低くなる。経済面では税金とか報酬の面で有利です、少なくとも普通のリーマンよりかは。
3は国際人。何かしらの武器をぶら下げて海外に打って出る。2の亜種とも見れる。
絶対海外に行きたい、むしろ住みたいって人のタイプ。日本の将来に危機感を持っていたり、嫌悪感を抱いてる人、より広い世界を知りたい人、金髪が好きな人・・・など理由はどうあれ海外にあこがれている人が進むべき道。リスクもリターンも無限大!簡単に国を捨てることが出来る人なんていない。専門知識だけじゃなくて、文化適応能力や対人能力も試される。最悪の場合は寿司職人としてへいらっしゃい!ってやってるかもしれないけど、外人の配偶者と別荘と大型犬をゲット、たまに日本に帰ってかつての友人に死ぬほど妬まれる幸せをつかむかもしれない。
月給なんてくそ食らえ!自分でやって大金持ちって人。あるいは、より大きく社会に貢献する、という庶民からすれば胡散臭いセリフを真顔で言う人がなる。これも無限大のリスクとリターンと背中合わせ。松涛に家を建てることも可能です。専門家と違う部分は実務家ではなくなる、つまり、自分はプレーヤーとしてではなく仕組みを作ったり、資金を供給したりする役にまわるということ。そうなると自分の好きなことばかりやってられない。厭な役回りも柵もサラリーマン以上に多い。人を動かす力ほど難しいスキルはないのではないでしょうか。あ、IPOに掛かる税金は安いです。
5は伝道師。会社で得たことや経験から学んだことを講演、出版などで社会に提供する。
純粋に教えるのが好きで、その行為によって優越感に浸りたい人に向いている。もっと言えば、自己顕示欲が強くて、公共心が強い、名誉欲が強い、金は別にそこまでって人。資本は体のみのゼロ円ビジネスなので、リスクは非常に低い、別に会社をやめなくてもいいし。うまくいけばテレビや雑誌に連載をもったり、バラエティ番組でさんまさんと競演することも。
たらたらと書いたが、これらはお互いに重複する部分が多々ある。
なぜなら現代人が根本的に求める欲<権力欲、自由欲、変化欲、金銭欲、伝道欲>を無限大のベクトルで突き詰めた役割を書いただけだから。
つまり、欲は欲で型にはまってどれかを取捨選択する必要などまったくないのである。
俺だって自分の確固たる専門分野を持って好きなことだけしたい、海外にも住んでヨットを乗り回したい、会社も興して大金を稼ぎたい、大企業の社長として議員をあごで使いたい、ドラッカーも驚くような本も書きたい。
僕はクリスチャンだがフーゾクに通う習慣がある。ソープとかヘルスとかだ。3ヶ月も女の子に触れないと世界中の何もかもを憎むようになるので、それが嫌でフーゾクに行ってしまう。オナニーでは収まらない、というかオナニーするともっとひどく世界を憎むようになる。女の子のからだが必要なのだ。彼女を作って結婚すればいいのかもしれないが、昔恋愛に失敗してそれきりやり直せずにいる。
客としてお店に行き、女の子にイエス・キリストを宣べ伝えたことが3度ある。こんな話は教会ではできないのでここに書く。
1度目は洗礼を受けて2年くらい。店で写真を見てずっと気になっていた女の子を指名して、遊んで帰ってきて、すごく不思議な気分になった。それまでにたぶん200人くらいの女の子と遊んできたけど、あんな女の子に会ったことがない。全く説明できないけど、不思議な気分になった。
それで、キリスト教書店で安い伝道用聖書を買ってその女の子をもう一度指名し、服も脱がずに「イエス・キリストを貴女の救い主として受け入れますか?」と聞いた。すると彼女は言った。
僕は驚いた。そんな返事が返ってくると思わなかったのだ。聖母マリアというのはこんな人だったのかもしれないと思いながら「もちろんです」と答えて彼女に手を置いて祈った。彼女は喜んだ。それから半年くらい彼女は店を続けていたがクリスマスの前に辞めた。弟の学費のためにこの仕事をしている、と彼女は言っていた。彼女はぼくの好みだったが、ぼくはそれきり彼女とは遊ばなかった。
2度目はそれから5年くらい、出張先での話だ。適当に入ってついた女の子が良かったので、一月後だったか、指名で予約した。予定から2時間待たされて、遅れてきた女の子に謝られながら服を脱いで身体を洗ってもらったのだが、彼女が言うには「占いって信じますか?」
借金が少しあってこの仕事をしているそうだ。遠距離恋愛の年下の彼氏がいるのだが最近もうダメかと思っている。そんなところに客で来たのがクリスチャン(カトリック)でバツイチで娘がひとりいる男性なのだという。お互いに気に入っていてつき合って、結婚しようかと考えているのだけれど迷っている、という。で占い師のところに行って相談していて、出勤が遅れたのだそうだ。
身体も洗ってもらったのだが、僕は言った。「それは、男に信仰があってちゃんと神さまに聞き従う気があれば、神さまが正しく導いて下さるだろう。ところでオレはクリスチャンだ。よかったら貴女と彼氏とのために祈ろう。イエス・キリストを貴女の救い主として受け入れますか?」もちろん彼女は信じると答えたので僕は手を置いて祈った。それで、時間もなくなったので、僕はそのまま帰ってきた。お金を払って待たされて、手を置いて祈ってきただけだ。仕方ない。それからしばらくして彼女はお店を辞めた(ことをお店のサイトで知った)。
3度目はそれから2年くらい。単位制高校を卒業して大学の入学金を稼いでいるという18歳の女の子だった。なんというか、前しか見えない、バカな子だった。僕は気に入った女の子はあまり変えない。その子が在籍している間はその子としか遊ばなかったが、クリスマスの頃に遊びに行って、「こういう店で働いたことが後の人生でわざわいにならないよう、オレが祈ってやろう。イエス・キリストを救い主として受け入れなさい。」と言った。素直な子なので(分かってなかっただけかもしれないが)彼女は受け入れた。それと、「貴女は下手すると一生この世界で暮らすことになりそうだから、もし3月の時点でお金が足りなかったら連絡してきなさい。出してやろう」と言って実名とメールアドレスの入った、当時勤めていた会社の名刺を渡した。
3月に電話がかかってきて「ごめんなさい、足りないので出して下さい」と言う。いくら足りないときくと40万円と言う。あの仕事を5ヶ月やって60万円しか稼げなかったのか!?と思うが「身体を壊して病院で40万円使った」と言う。あとで知ったことだが、その子は本番禁止の店で本番をさせるといってネット上で有名だったのだ。子どもができておろしたのかもしれない。出すよというと「なんで他人の私にそこまでして下さるんですか?」ときくので「自分から言い出してしまったからです」と答える。神さまがこうしろと言っている、とは思わなかった。20万円程度で済むと思っていたのだ。僕がバカだったのだ。指定口座に40万円入金した。後悔はしたが、彼女に対しては悔しくなかった。一度神さまの名前を出しているのだから、彼女が僕をだましたのであれば、彼女はそのせいで苦しんでいるだろう。今はちゃんと学校に行っていると信じたい、いやちゃんと学校に行っていたら、今頃卒業しているはずだけれど。ちなみにその店はつぶれて今はない。
こういうことは、やっているときには「火の中からつかみ出してでも救い、」という聖書のことばを思い浮かべるのだけれど、あとで考えると「自分がクリスチャンであることを思い出して、自分のやっていることを恥ずかしく思え」という神さまのみこころだったのだろうか、とも思う。
そうはいいつつ、やはりドラゴンクエストは練りに練られたシナリオが売りだったじゃないか、と思うだろう。
私自身もそう思う。
「練りに練られたシナリオ」なんて無かった。
あの小話の集積みたいなもののどこが「練りに練られたシナリオ」なんだ?
なんかそういうとこを作り手も客も勘違いしだして
堀井さんが斬新な構想を持って一般人を先導してたのは何十年も前、
堀井さんがまた若かったころのことだよ。
昨今は世の新しい技術や流行りをあとから追って取り入れるばっかりじゃん。
ドラクエ初の3Dムービーとかびっくりしたよねその邪神ポリゴンに。
もう老人なんだから守成の事業をやってりゃいいのに(違うっていうならそもそも10まで続編なんか作るな)
毎度毎度余計なことするんじゃないよ。
オンラインRPGになることは、ちょっと考えれば、想像できた。
なぜなら、堀井雄二氏がドラゴンクエストを制作するにあたって参考にした、
2つの外国製RPG、ウルティマとウィザードリィが、どちらも現在ではオンラインRPGになっているからだ。
そして、前作のドラゴンクエスト9(ニンテンドーDS)では、かなりオンラインRPGを意識して制作されている。
そうはいいつつ、やはりドラゴンクエストは練りに練られたシナリオが売りだったじゃないか、と思うだろう。
私自身もそう思う。
ドラゴンクエストの新しい挑戦に期待するのもいいだろう。
週末に行ってきたイベントだが、ちょっとインパクトが強すぎて、あとたぶん昼から通しで追っかけてるのは自分だけなので、この話誰かに伝えたい!と柄にもなく思ってしまった。
ここまで、日本語でウケを取り、アメリカ人にしか聞こえない英語をしゃべりつつの話。まじありえないレベルの覚悟と実践なんだが・・・!
この人のセッション、ブラジル事情の紹介みたいな話で大ホール側のセッションも覗いてみようかなと思っていた所にこれで、ただちに絶対参加すべきレベルのセッションに格上げされた。こんな人がいるとは。
で、昼休み後の問題のセッション。結局ツイートどころじゃなかったが、こんな感じ:
Javaはあれが酷いとかPHPがとかいう態度でRubyを使うのも無駄だ。
なんという激熱トーク。本当に小さかった南米のRubyコミュニティを仲間と共に成長させ、いまやRubyConf Brazilとか南米で何個もイベントが立ち上がるまでに育てた。この伝道のため、ここ数年で80箇所は回って普及に努めたとかとか。ブラジル事情への関心と関係なく、この熱量を体験できてよかった。
最後の時間オーバー後の「あと一言だけ(本当はあと1分だけと本人は言っていたのだが、わざと誤訳してタイマー役の人に会場から叫んだ自分w)」でどんなにダメだとされていても、諦めずに進めという、過去の偉人が貶められたり失意にあった時代の動画もよかった(もっとも、この話は知っていたのでインパクト自体は薄めだった)。
この後はLTとクロージング。
インパクト強すぎw
これ漫画系展開をバックボーンにしたエンタテイニングなスタイルだと理解せずに真に受けると大変だなと心配になったり。なにしろ上は三行だけど全部通しで書くと
真面目に受け取ったらヤバイ発言多すぎだろ・・・
こ れ が 締 め の 講 演 か よ !
そういえば途中にまどマギネタも入ってた記憶があるのだが、上のインパクトが強すぎてどこかに飛んでった。
その後の高橋さんの最後の挨拶とスタッフを集めてのスタンディングオベーションはちょっとうるっと来た。初参加だから今回の運営自体への思い入れはないのだけど、この回だけでも感激することが多かった。この完成度に達するまでどれだけの努力と熱意が投入されていたかと考えると。
隣の席が実はtdtdsさんでびびってたのだが、最初に立ち上がったのを見て、続く二人目のタイミングが大事!とすぱっと立ち上がってみてよかった。その後前列の人がみんな!立とうよ!みたいにやって一気に雪崩状態。
これで会議は閉幕したのだが、さらにherokuの緊急パーティーが開催され、思い切って行ってみた。まあ、懇親会に輪をかけたリア充な雰囲気でまともに話せなかったのだが、
こんな一日だった。熱かった・・・
ttp://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/03/post-8d59.html
フリーの伝道者となった業界最薄毛の小林弘人氏のtwitterで面白いRTが。
ttp://twitter.com/kobahen/status/10556580355
[引用]RT @matchan_jp “今アメリカ版Kindleのベストセラーリストは1〜5位まですべて$0です” #freemiumjp RT @kobahen “無料配信で電子書籍の売り上げが増加” ttp://oneclip.jp/p7EVF4
こ、これは…。
こりゃただのチラシじゃねえかああぁぁぁーーーーッ!!!
最先端のビジネスモデル、話題のハードウェアで行われている最前線で繰り広げられているのは、フリーとラベルを書き換えた原始的な「無料お試しセット」戦術ッ…!!
死屍累々のビットバレーを生き抜き… 二度のネットバブル崩壊をかいくぐって、ようやく、ようやく見えてきた新しい時代が… 街頭で配られるチラシ同然の…! 最新技術を使った… 原始資本主義ッ!!
AppStoreでもAmazonでも繰り広げられる、ローテクな口コミさくらマーケティング、それが嫌で走った果ては、昔ながらの八百屋ですら実践してきたワントゥワン、振り返れば化粧品業界が、テレビ通販が、量販店が、名古屋の喫茶店のモーニングセットが、近所のスーパーが、日がな手がけている目玉商品の大幅値下げor無料プレゼントと、それに釣られて高利益商品を買ってしまうand思わずリピートしてしまう馬鹿カスタマー誘引メソッドだと…!?
これのどこがハイテクだッ! どの辺が次世代だッ! 責任者を呼べ! 被害者は叫べッ! 結構本気の馬鹿と暇人のためのイット業界そのものが実現しつつあるじゃねーか! もっと格調高い情報産業の高付加価値ワールドじゃなかったのかッ…?
http://anond.hatelabo.jp/20100221123714の続きです。
現在、統一協会の信者がはてなダイアリー他のはてなのサービスを使用しています。そのうちの一人である、id:ucnow(http://k.hatena.ne.jp/ucnow/)が協会に都合の悪い箇所を隠蔽しようと必死です。
2010/03/03 10:45:08にキーワードの内容の大部分を削除しています。
編集時刻: 2010/03/03 10:45:08 編集者: ucnow 編集内容: 6,26d5 -**教祖 -教祖は戦前、朝鮮を日本からの独立させる抗日活動をしていた[文鮮明]。 - 文鮮明はこれまでに6度投獄されたことがあり、また女性関係では女性信者を清めるという名目で性関係を持つ“[血分け]”をして来たという根強い噂があるが、教団はそのような事実は一切ないと否定している。朝鮮戦争以前に韓国の興南(フンナム)収容所に投獄されたのはその現行犯で逮捕されたという説もある。 -1980年代にはアメリカで脱税の罪で懲役刑を受けて以来、1年 以上の懲役あるいは禁固刑を受けた外国人は入国できないとした入国管理法の規定により、日本への入国ができなくなっている。 -**教団の特色 -★独自の聖書解釈 - この教団は、聖書に再び来ると預言された[キリスト]とはイエスそのものではなく、文鮮明であると教えている。統一教会では、文鮮明を「真のお父様」、その妻の[韓鶴子]を「真のお母様」と呼び、夫妻を「真の父母」(真のご父母様)と呼ばせている。 -教団は独自の聖書解釈をしているために、一般のキリスト教会からは[異端]もしくは「異端ですらない」とみなされており、[エキュメニカル](教会一致促進運動)の対象にもなっていない。 -★独自の活動 - キリスト教でいう[原罪]を清算できる唯一の道だとされる「[合同結婚式]」を数年毎に行ってきた。また独自の経済活動として、偽霊能者を使って、壷や多宝塔、[高麗人参]エキスなどを法外な値段で売る「[霊感商法]」や福祉などの名目で行うニセの募金活動、さらに日本人女性に日韓関係の問題を韓国側の立場から説き伏せて罪悪感を持たせることで洗脳し、韓国の農村部の男性と結婚させていることなどに対し、社会的批判が強い。 - このような霊感商法による被害や、教会名や宗教であることをひた隠しにして、サークルや関連団体を通しての伝道(「[青春を返せ裁判]」)や、合同結婚式による婚姻の無効性などに関して、被害者や元信者らによって多くの訴訟が提訴されてきており、統一教会自体に信者の不法行為に対する「[使用者責任]」があるとされた判決が多数出ている。 -また、多数の関連企業(武器製造、高麗人参の販売など)を世界各地に持っており、『ワシントンタイムズ』(米国)や『世界日報』(韓国・日本)を通じたメディア活動および政治工作なども行っている。自由民主党との癒着も指摘されている((安倍晋三前総理大臣ら自民党議員が統一教会関連組織へ祝電を送った事実からも推測される。))。 - 彼らは様々な団体を隠れ蓑にして様々な活動を行っていり。宗教団体が学校や病院、企業をもつケースは珍しくないが、統一教会の場合は一見すると“まったくの無関係”を装って世間の目を欺いている(ただし実際は、その独特の名称センスのために非常にわかりやすい)ところが他の教団ともっとも異なる。 -霊感商法等の経済行為や政治的工作等に加え、近年は北朝鮮に対する莫大な経済援助をしていることなどによって、公安警察の監視対象になっている。
内容の書き換えが明らかに協会の都合のよいものとなっています。ところで「一部のキリスト教関係者や左翼的思想を持った者に「カルト」と認識され、」と書き直していますが、この認識は正しいのでしょうか。カルトと思っている人はほかにも多数見られますが、何か?
編集時刻: 2010/03/03 10:41:28 編集者: ucnow 編集内容: edit -「[[世界基督教統一神霊協会]]」の一般的な略称。統一協会側は「統一協会」ではなく「統一教会」を正式な略称として主張しているが、統一協会の対策にあたる人々や統一協会に反対する人々の多くは「統一協会」の略称を用いる。 + 「宗教法人世界基督教統一神霊協会」の一般的な略称。統一教会側は「神と人間の理想である地上天国を実現するために、神からそのみ旨を託された創始者・文鮮明師によって、1954年5月1日韓国・ソウルで創立された」と説明する。日本統一教会は、1959年10月2日に創立され、1964年7月15日に宗教法人として認可。2009年に創立50周年を迎えた。 -統一協会とその関連団体による霊感商法などで知られており、手口や被害の多さから、カルトと認識する者が多い(([http://www1k.mesh.ne.jp/reikan/japanese/index-j.htm:title]など。))。 +伝統的なキリスト教との教義の違い、平和運動・勝共運動の社会的影響力などから、一部のキリスト教関係者や左翼的思想を持った者に「カルト」と認識され、様々な批判を受け、呼称も「統一協会」を使用されている。
509 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/04(木) 22:55:23 ID:0hMHBPfc0
>508
なんという厨二病
510 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/04(木) 23:11:18 ID:ZmAlsQ0z0
>508
これを30歳ちかい大人が書いたというのを想像すると、
なんだか愉快な気持ちになってきますね。
511 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/04(木) 23:28:55 ID:LJK06wi+0
>508
2ちゃんねるの最初の頃はこういうのを自作自演で盛り上げてってどんどん
虚名があがってくんだから世の中チョロイなーとか思ってたんだろうなー
まぁツケは後でくるんだけどね。今真顔で山本権兵衛の孫ですとかいったら
ぶん殴るわー
512 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/04(木) 23:41:57 ID:UmutD1lF0
でもこういう情報が降りて来ない過疎板ではまだ切込ネタを信じてる連中がいるんだよな
183 名前:iPhone774G[sage] 投稿日:2010/02/04(木) 18:38:16 ID:fFGfwOFc0
4Gamer.net ― 【切込隊長】ゲーム業界,使えない人サバイバル(前編)
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20100202054/
>プロジェクトがなくなって任地のなくなったプロデューサーやディレクターが解雇されず,
>とはいえやることもないので,暇の延長線上でiPhone開発を社内で手がけるという
だから国内メーカーはロクなのが無いのか
その割に危機感が全然無さそうなのは何故だろう
184 名前:iPhone774G[sage] 投稿日:2010/02/04(木) 18:56:54 ID:xu93WEO00
まぁ今のゲーム業界は「ゲームが最近熱い!!」とか先人達のすごさに甘んじてブランドだけで入ったようなカスが多いから
時間がたてばこうなるのは必然 時代の変化を捉えられない人達の集まりだから
186 名前:iPhone774G[sage] 投稿日:2010/02/04(木) 19:50:32 ID:+HqaE6IV0
>183
どこの会社も口だけのプロデューサー、古株なだけのディレクター、グラフィックデザイナー、プログラマーは腐るほどいるんだよ
遊びやアイデアを仕様書に落としこめる奴がいない会社はどうにもなんない
187 名前:iPhone774G[sage] 投稿日:2010/02/04(木) 20:04:59 ID:PoZZ4RBC0
>183
513 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/04(木) 23:45:52 ID:/0jjJRDN0
>508
フカシ過ぎだろww
なんだこれ
514 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/04(木) 23:55:05 ID:XWOww2nV0
>512宣伝だとおもうけど。
アクセス数稼ぐための。
前に全文検索したけど、
なにかを書くたびに2chのあちこちにリンクが貼られるもん。
隊長がやってるとは言わないが。
515 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/04(木) 23:58:35 ID:XWOww2nV0
2chのあちこちにリンク貼られて、(誰かが宣伝してまわって)、
それで隊長はアクセス数の稼げるブロガーとして、原稿を載せたサイト側に評価される。
516 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/05(金) 00:22:29 ID:hYkXZDnc0
>514
いや、リンクを貼る奴だけじゃなく
そのリンク先の切込の「業界裏ネタ」をスレ住人達がソースとして普通に語ってる所が・・・
517 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/05(金) 00:57:26 ID:8bWyCKnD0
また注意を喚起しなきゃ不味くなってきたかもね。
518 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/05(金) 01:52:52 ID:a69aWQwv0
常に注意は喚起しておいた方がいいよ。こういう奴はもうまともに仕事ができなくなってるから。
それで真面目な人も被害に遭ってしまう。気が弱い人は恫喝され洗脳されてしまう。
面白がって近づいた人ですら、いつしか詐欺被害や共犯などになってしまうから。
519 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/05(金) 03:39:46 ID:ROTUttiN0
俺もたまに山さんに絡まれてキレてる有名人とかにあの人はおかしい人だから
相手しないでください、wiki参照、てゆってるよ。みんなもボランティアでやったら?
520 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/05(金) 07:10:06 ID:hYkXZDnc0
最近はひろゆきに習って洋ゲー関連のコラムに出てくるようになった気がする
関係者風を装って「まあ、例の件がポシャった所為で続編はPが総入れ替えなんですけどね。実の話」みたいな
相変わらずのどうとでも取れるような言い回しで利鞘を稼ぐ感じ
>4Gamer的にはご無沙汰しております,切込隊長こと山本一郎でございます。
>年末商戦で据え置き機向けに企画協力したタイトルはほぼ全滅したということで,
>葬式のような新年会や,針のむしろのような予算会議を経まして,ようやく記事執筆の気力が生まれてきたところであります。
>まあ厳しいのは据え置き機向けだけで,プロジェクトの委託を請ける私の側はあんまり腹は痛まないんだけどね。
>http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20100202054/
かみさん食わせてかないとマズいのはわかるが、
こんな「どうも!ゲーム業界の重鎮こと切込です!」みたいな自己アピールじゃ
またネオ丸ごと事件の二の舞・三の舞だぞ
521 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/05(金) 07:49:34 ID:WuMIDbZ90
>kirik 利権そのものじゃないか(棒
> RT @tsuda 1回2時間くらい話してたかが2~3万円とかもらってるのを
>「Twitter利権」とか言われてもなぁ……。キャバ嬢の方がよっぽど稼いでるよ。
津田さんに相手されるまでイヤミ言い続ける山さんカッコワロス。
522 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/05(金) 08:08:25 ID:tb/trvKH0
津田はネットランナーなどでwinnyの使い方を書いてた元二流ライターだぞ。
MIAUという団体のトップをやってるけど、
その団体もきな臭い話がある。結成当初からもめてる。
金銭的利益を得ないボランティア団体ではなく、寄付金は給料として使ってる。
twitter利権って俺でも言いたくなるよ。津田にじゃなくてtwitterの普及伝道をやってる人、全てに対して。
もちろんソースのない怪しいtwitter調査データを出してみんなを吊り上げた山本にも同じように言いたい。
523 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/05(金) 08:30:14 ID:WuMIDbZ90
>522
津田さんが「元二流ライター」なら、
山さんは「現三流ライター」では?
524 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/05(金) 08:49:32 ID:X/U26Qgv0
>522
525 :名無しさん@お金いっぱい。:2010/02/05(金) 13:28:53 ID:a69aWQwv0
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/market/1258002654/508-
そんなことやこんなことで今話題のウィキペディア。投稿者が減るのはウィキペディアのためにもそんなに悪いことじゃないんじゃないか、とも思ったんだがどうやらそんなに減っているわけでもないのかな。投稿者の減少が何故いいことかっていうと、良くも悪くもノイズが減るんじゃないかと期待するからだ。内容の信頼性とか記事の質は相変わらずだろうけれど、同じ話題に関わる人間の数が減ればおかしな記事はおかしな記事なりに純度を上げて「おかしさ」のS/N比が上がるとすれば、それはいいことだと思うわけ。ザーザー言ってて何を言っているのかよく分からない放送よりはアホな芸人が喋りまくっている番組の方がまだマシなところがあるようにね。テレビを見たがる子供に砂嵐を見せるか民放の馬鹿騒ぎを見せるかというのは究極の選択っぽい気がするけど、幽霊の見えそうな砂嵐よりは民放を見せて「また馬鹿なテレビを見てるのかい」って言った方がまともな子供に育ちそうなものだ。で、それは放送大学を見る幼児に向かって「難しい番組だねえ」と言っているのとあまり変わらない。どっちがいいかは最終的には価値観の問題かな。
だから「おかしさ」って書いたけど、何か特別な要素の純度が上がった状態とでも思ってほしい。で、たぶん、絶対的な投稿者数が減った後に相対的な比率で増えてくるのは、職業的な専門に対するストイックさとか、オタク的な過剰さとかを備えた「熱心な」人達だ。ハタから(つまり「世間樣」から見れば)見ると良くも悪くも常軌を逸して、つまりに真摯に追求している、あるいは配慮を欠いている、つまり常識を変革すべく頑張っている、そういう人達だ。まあ自分の学界の片隅に籍を置かせてもらってるけど、そういう人達のもつ情熱とか執拗さとか真剣さとかは、まさしく人生を賭けた壮絶なものだと感じる。
ちょっと話は逸れるけど、ウィキペディアはなぜ専門家に優しくないのか、という疑問を持っている人は結構いる。専門分野で執筆に参加したけれど、結局「専門家じゃない人たち」に気圧されて撤退してきた本当の専門家を、個人的にも何人か知っている。こうした不幸がどうして起こるかっていうと、おそらく上に書いたような「熱心な人達」と専門家が正面から鉢合わせしてしまった場合、専門家の人達は「おっと、インターネットなんかでシロウト相手に喧嘩している場合じゃないや。今月中に論文仕上げないといけないしな」てな具合に本来の戦線に戻っちゃうからなんだな。研究者はそっちの方で人生を賭けているんだから当たり前のことだ。まあ仕方がないね。
で、宗教の話をしよう。結論からいうと、ウィキペディアにおける生命力という意味では宗教的な情熱を持って行動している人々も市井の「熱心な人達」と張り合ってるんじゃないかと思った、ってことだ。人には物事の「宗教性」に比較的敏感な人たちと、そうでもない人たちがいる。ご存知のようにな日本は圧倒的に「無宗教」な社会だけれども、注意深く暮していれば宗教的な空気というのは比較的よく遭遇するものになっているように思う。まあ創価学会とか明らかなものは置いておくとしても、クリスチャンの多い朝鮮半島からの留学生などが増えているといった事情もあるんじゃないかと思う。例えば東京の都心のカフェで小一時間耳をすませていると、その地元のクリスチャンのコミュニティが会合の場所にしていることが分かったりする。いきなり聖書を読み始めれば分かりやすいけど(そういうことも結構ある)、そうでなくともメンバーが出会ったときの挨拶の言葉だとか、そのグループの顔付きだとかをしばらく見ていると「ああ、なるほど、そういうグループだったのか」って思うわけだ。これはたぶん信者さん自身がもつ「仲間意識」と同じようなものだろう。別に隠しているわけじゃないだろうけど、フリーメーソンの変な握手みたいな、ある種の言語化されない巧まざる符丁が作りあげられている。
それで、定期的にウィキペディアを眺めていると、上に書いたようなのと同じ体験をするんだ。つまり明らかに宗教的な関心で活動している投稿者というのを見付けることができる。僕の個人的な関心のせいもあるかも知れないけれど、クリスチャン、もっといえば福音派の方が以前から熱心な投稿を続けているのに気付くのはそう難しいことじゃない。だってほとんど毎日新しい記事を書いてるからね。その編集履歴を眺めていると、気がつくことは三つ。一つ目は、自分のモチベーション、あるいはバックグラウンドを表明した上で編集活動を行っていること。二つ目は用語法に非常に敏感なこと。三つ目は(たぶん自覚しているはずだけど)自分の視点というものを相対化できている人もそうでない人も、よくも悪くも書きたいことしか書かないということ。二つ目と三つ目の点が悪しき融合を遂げてしまうと百科事典のはずなのに「キリスト教事典」みたいなちょっと文脈が他とズレた項目ができてしまう。内容的には正しいだろうから、まあ必ずしも悪いことではない。というか、文句をいう筋合いは全然ないからどうでもいいけど。
書いておきたいのは、そういった方々が福音派なのは偶然じゃないということ。福音派って何かしら、という人もいるかと思うが、ざっくり言えばプロテスタントの中で一番熱心に「聖書が絶対だわよ」って考えている人たちのことを日本語では福音派と呼んでるみたいだ。で、中学校くらいの知識を総動員して説明すると、プロテスタントってのはもともとのカトリックの人たちが「教会ってステキ。おフダをどんどん買えば天国に連れていってくれるんだから」とかちょっとアレな感じになっていると思って、「そんなアホな。聖書を読む方がよっぽど御利益があるに決まってる。金もかからんし」という感じで喧嘩別れした人たちの末裔のことだね。そんなわけだから貧しいながらもマジメにコツコツ働く人たちに圧倒的な人気を博したみたい。で、福音派ってのはその中でも「聖書が大事だね」っていうところで突っ走っている人のことだと思ってればいい。たぶん。「これ全部本当のことが書いてあるんだぜ」「だよね」「最後の審判くるよね」「ヤバいよね」「でも千年王国チョー楽しみ」みたいな。信じられないかも知れないけど、これ全部本当の話、ってやつ。念のため書いとくと福音派って中にも聖書の話と現実の歴史の対応には諸説ある。というか複雑すぎてよく分からん。
福音派はアメリカで多くて、ブッシュ共和党の支持母体になってることは有名だね。政治に熱心で極端になると共産主義は悪魔の手先、イラク先制攻撃万歳、進化論教えるなら学校やめるし、中絶するなら病院焼いちゃうよ? (実際、焼いてるし、医者を殺してる)みたいな人が多いみたい。中絶反対、てのはカトリックの方が厳しいのかと思いきや、実は福音派の人たちもけっこう過激な人たちが多い。ヨーロッパの国がほとんど中絶を合法化しているのに比べて、アメリカで未だに喧喧諤諤の議論をしているのはそれが原因のひとつかな。福音派が政治とか社会問題に積極的に関わりたがるのは全然不思議なことじゃない。つまり福音派であることと積極的なコミットメントには密接な関係がある。というのは、福音派の人たちは自分たちの考えを広めることをかなり大事に考えているからだ。つまり布教(福音派だと伝道っていうのかな)がかなり大事。まあ宗教は何でもそうだけど福音派は特にそこが目立っていて、ちょっとゴリゴリした感じになっているんだね。みんな、生まれ変わって新しい自分にボーン・アゲインしようぜ ! トゥギャザーだぜ ! みたいな。まあ、回心するのが大事だから回心させてあげよう、ていう感じかなのかな。とりあえず頑張れ、としか言えないけど、個人的には家を焼かれちゃたまらんし、できちゃったら産むしかない、ってのは穴があったら入れるしかない、てのと同じくらい野蛮だぜ、って思う。理性ってのは原理的に自然を抑圧するものなわけで。
最近のアメリカの福音派の政治的な人たち(キリスト教右派と呼んでる)は民主党のオバマが政権取ったし、アフガンもベトナムっぽくなりつつあるし、ゲイの結婚もちょこちょこ合法化されてるし、ちょっとヤバいんじゃない? とか考えてるみたいだけど、とりあえずどうでもいいや。うん。ウィキペディアの話だった。政治的・宗教的荒しが日本の数ケタ上の密度で起こっている英語版なんておぞましくて覗く気もしないけれど、書きたかったのは、日本語版ウィキペディアでも熱心な福音派の人たちが(たぶん二人くらいで)頑張ってます、ってこと。ウィキペディアの編集者の中で二人くらい、っていうのが意外と日本における福音派の「熱心な人」の比率としていい線をいってるのではないかと思ったが、調べてないので分からない。まあヘドが出るほど嫌いな人もいるだろうけど、オタクだと思えば貴重な存在かも知れない。で、オタクが絶滅しないように、そういう彼ら(彼女ら)もきっとしぶとく生き残っていくだろうな、と思ったんだ。ある日突然「ウィキペディアは悪魔の手先だから見ちゃダメ」ってことになるかも知れないけどね(英語圏には実際そういう趣旨でできた何とかペディアもあるし)。
別に俺自身が中川さんを許す、許さないって話してないぞ。
ニュースで取り上げられてるからそれについて話してるだけで探し出すとかそういう問題でもない。
俺は愛の伝道者でも何でもない。
読んでいるなら読んでいると言えばいい。しかし、その私の問いにこれまで一言も応えていないのだから、こちらとしては判断のしようがない。エスパーでもあるまいし。
著者のインタビューがアブストに当たるとして、ひとまずは読んだことにしておこう。
そして誰が書評をしたのかね?
さて誰が書評すると信用足りえるのか。片方の言語学の専門家とやらになると、学歴経歴がはっきりしないのだから、全く信用にたるとはいえないだろう。海難記の人はわりとはっきりしているし、梅田氏も同じ。となると、元増田が判断を何処に求めているのかさっぱり不明。専門家が常に信用できるなら、世の中こうはならないだろう。
また似非科学の伝道者とて、一応あやしげなところから博士号を取得しているわけなのだから、ひょっとすると学位においては程ほどの信用力を獲得していると見なされるのかもしれず、元増田はこれを信用してもおかしくないのだが。
あの本を引用して書評してるのはいくらでも見つかるし、その引用部分見ただけであの本がトンデモなのはすぐにわかるんだけどね。
そもそも数ある書評の中から、梅田氏の書評もどきのやつだけを否定することが可能なのか、その理由さえ示されていない。どうしてだろう。教祖様が梅田氏を否定しているから??
さらに、引用部分が、著書はいうまでもなく過去の学問においてどのように敷衍されているのかを理解しないといけないのだが、元増田はそれが可能であろうと推定するに十分な学歴や相応のトレーニングを積んできたとも思えない。つまり理解する能力がないにもかかわらず、トンデモと非トンデモを分類していることになるのであるが、これはあまり奇妙で且つ不可解すぎて。
なにより教祖っていうのがすばらしくいいひびきです。元増田の教祖様を教えていただければ幸いですが、その前にこのような発言をしている人は、あまり頭が良くないと見られるんじゃないかと思うのですがいかが?書評の良し悪しにも、たぶん主のオーラが直結しているように推測されるのだけど、そうするとこの元増田も自身でマイナスイメージだけを積み上げているようにしか見えないです。
最後に、総表現社会になれば、本当に権威があるのか不明な権威にすがりつくトンデモクンがイナゴのように大発生する。何しろ自分には権威もなければ、判断する能力も何にもないんだから。このようなプチ教祖様にすがりつく信者様がイナゴ。ネット社会は大変だあ。殺虫剤を作れば一儲けできるね。
梅田もっちーとダンコーガイの自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。
ま、そんなことはともかくとして、言語学を新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評と著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学のバックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家の言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。
そもそも、著者が言うような意味で日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語の歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語のフランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学の伝統が花開いた。
日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥・奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。
単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。
そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島の言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語や琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。
いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語やオランダ語は、かつてはスペイン語やドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人はドイツ語やフランス語を使っていて、アンデルセンやキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。
その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁はラジオ・テレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者や子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語が日本の言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝の米朝師匠が事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。
あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言や歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。
このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。
というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言を通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力の政治的な措置なのだ。
それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れのナショナリズム、保守反動でしかないとさえ言えるのだ。
からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧な英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。
仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズムの伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。
b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。
水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。
「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。
##追記;
##当ブログの後半に、自分なりのまとめも書いておきましたので、良かったらどうぞ。
##昨日書きたかったけど眠たくて落ちてしまい、書けなかったことを書いたので。。。
##これを読む人達に、一番伝えたいコトだったんで。
を書いた増田だけど。
ブクマが沢山ついてびっくりした。
でも、良く考えれば、エホバの証人って自分を語る人は少ないはず。だって、自分が書いたように、宗教討論なんて避けるからね。
「あなたの信条を聞きたい」って人には喜んで話すけど、「俺の信条を聞いてよ、君はどう思う?」って言ってくる異教徒には警戒モード、防衛モードに入り、あわよくばその場で心の中で「神よ、試練に耐える力を私に下さい」と祈り始める(※本当です。二世なら解るよな?な?)人達なので。
それを、変とも思わないし、当然って思ってる。そういう概念なんだから、しょうがない。
だから、おいらみたいに、ドロップアウトしようとしてる人、もしくはした人しか、こうした場で話すことはないだろうと思う。
もし、現役でこうした場で話す人がいるとしたら、かなりの幹部とか、そういうバリバリの人で、あなたの家の近所にいるかも知れない身近な人は出てこないよ。
特に女性は公の場で語るのは非とされとるんで、女性なら尚更。まず聞けないだろう。
まぁ、それはさておき、ブクマコメントに自分なりにちょっとコメント返ししてみたい。
コメ返し対象のブクマコメントは下記の二つに寄せられたコメント
討論ではなく説得(証言と言う。証言?なぜ?それは、エホバの証人=エホバの証言ってこと)はOKというスタンスなので、言い方によっては結果的に討論に応じるってことはあると思う。
例えば、「あなたが何を信じているか聞きたい」と言えばきっと証言にやってきます。
で、一通り話を聞いた後に「自分はこう思うんだけど・・・どうかな?」と言えば答えると思う。
ただ、その場合でもエホバの証人は「回答できない時は、調べてきますので今は答えれないと言って沈黙せよ」と教えられてるので、やっぱり突っ込んだ話はできないかもだけどね。
目的が「エホバの証人の話を聞く」ではなく「エホバの証人と議論したい」と判断されれば、来なくなっちゃうし。
追記:公開後に読み直しで修正している中、たまたまついているのを見つけたので、ついでにお返事書かせて頂きましたw
JWって結構明確に、リーダー(幹部)系と一般信者に分けられた扱いがある。
で、自分は幹部系で一時期はエリートか?みたいな勢いがあった。
自分みたいに若いうちから幹部系に持って行かれそうなタイプは、自分みたいに考える人も結構いるようです。
ただ、そう考えながらも慣れたら苦痛じゃないしって淡々と宗教やめない人も多いです。
自分の場合、好きな子がおかしくなったとか、そういうのなければやはり淡々とやっていたかもとは思います。
10年もやってりゃ、何でも習慣化して無意識にできちゃいますからね(家々に訪問する奉仕活動=布教活動とか)
ただ、習慣化するってのもある意味、自我が死んでると自分は考え始め、そう思った時から急激に多大な精神的苦痛を感じるようになりましたけど(自分と同じ経験は時々聞きます)
神の組織である以上、減るはずがない。減るとしたらサタンによる試練がはじまったという証拠である。つまり、聖書にある終わりの日が近いという予言が成就しようとしている!って解釈するんで、どう転んでも良い教理になっとる。
二世で脱退ではなく残るが側を選ぶ人は、一般人より組織に友達が多いってのが大きな理由の人も実際いる。ただ、そうなればそうなるほど、友達のために宗教辞めたくても続けないとあかん。
一旦信者になった後、辞めますと脱退届け(断絶と言う)を出すと、宇宙論争を知らないゆえに悪魔の側にいる一般の人より、宇宙論争を知りながら悪魔の側を自らの意思で選んだ一番最悪な奴、という解釈に基づき、徹底的な排他を受けます。
それがどれぐらい厳しいかっていうと、断絶した人と、信者は一緒にご飯を食べに行くというのも許されない。それが発覚すればその信者も警告もしくは追い出される。
で、これは親子の場合でも、可能な限り、断絶した子とは接触を避けるようにといった教理なので、二世の社会人でもない子供は恐ろしくて脱退など絶対にできないのです。
社会人になっても、幼い頃から仲良くしてた人、みんなが自分をシカトするかと思うと恐ろしいという、人間関係の恐怖心から残っている人も結構います(ソースは自分調べ)
ちなみに、組織のほうからクビにされることを排斥といいます。
行われる制裁は全く同じです。つまり、みんなで一斉にシカト攻撃。
断絶や排斥者は数年すると、「戻ってこない?私が悪かったですと認めれば復帰認めるよ」と、声をかけにいく仕組みも設けられています。
元信者だけど心はJWという人は結構多いです。あと、優しい性格の人が多いのでみんなからの一斉に拒絶されることに本気で参る人もいます。
元信者だけど心はJWという人は、何かにつけて不安定になっています。毎日毎日が罪悪感。
普段は意識してないけど、911のテロ事件をハルマゲドンの到来だと確信して、慌てて、神の側につくので助けて下さい!みたいな問い合わせが組織本部にあった・・・というのも有名な話。
ちなみに、排斥になるよーな人は3割ぐらいは、この宗教は嫌いだけど、宗教の中にいる人達はみんないい人なんだよなーって浮ついた心で居る時に、出来心で・・・とか、
うっかりミス☆(いや真意は知らんが)みたいなので、いきなり翌日に排斥措置とられて真っ青って人もいます。
そういう半端者は排斥システムで本当に参るので、以後は真面目に・・・ってこともなく、二回目する人も結構居る。
多分、不倫するようなタイプの人は何度もやっちゃうと思う。知らんけど。ごめん、この行はテキトーに書いた。
いや、その理解はちょっと誤解がある。これは自分の書き方がまずかった。面白く読ますためにちょっと歪曲してた。
「がんばってこの試練を乗り越えれば」ってのは結果であって、目的ではないんです。
詳しくは、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03を参照してください。
最も、それでも結局はそゆことだろ?って言われたら、そうだねぇとしか言いようないけどさ。
現役でも目的と結果を勘違いして、マゾになる変態がいるのも一言付け加えときます。あれは見ていて最悪だった。
苦しいのは当然だ!アハハ!ってのはさすがにJWでもいかれた奴にしかいないよ。
残念ながらJWの教理上、増えることはないです。カミングアウトしはじめてる時点でそいつはもはやJWではない。形だけの奴ですよ。よってこれも、読書感想文みたいなもので、リアルタイムではないということを付け加えておきます。
そう、それをテーマにしたかったんだけど、歴史とかがテーマじゃないけど比率的に多くなってしまって・・・こうした考察を得てもらったのは当初の目的だったので嬉しい限り。結局、自分自身、その一人と言えますしね。
知らない方が幸せという言葉もあるので、プラスであるとも言えるのではないかと。実際、脱退したために一般社会の厳しさ、複雑さ、面倒さについていけず、エホバの証人にも一般の社会人にもなれない元二世も結構いる。ああ、こう書くとやっぱりマイナス面ばかりかなあ。
でも、どうして今の世は不条理なんだろうって鬱な人が希望を持つのが宗教の役割の一つではあると思うので、こういう仕組みは(宗教という性質上)しょうがないようには思います。
デメリット、問題点は同意だけど、プラスマイナスだけで簡単に片付けれない所が宗教にはあると思う。
他の具体例が、当ブログの上記で述べてる「断絶」というシステムです。
脱退自体は自由にできるようになってるんだけど、その場合の心理的制裁が半端ない。自由意志は尊重してますよ、責任は求めますがという側面は一番二世を悩ませてる性質です。自分もこれにはほんとうに克服するのに苦労した。
合わせてお読みあれ。
今度、見かけたら優しい言葉をかけてあげてください。
補足というか寝ぼけて中途半端に書きました。「リベラリズム」自体は初期より歪んだ形で持ってます。詳細は 当ブログの「断絶」の話とか、http://anond.hatelabo.jp/20080723230708 の 回答03とか。
具体的に言うと、以前より開放的に見えるけど、一方でますます抜けたくても抜けれない二世が増えているというほうが正確だったのかも、です。詳細は上記の通り。
現世救済主義は一時的に信者を増やすのには有効ですが、質の悪い信者ばかり集まります。
それで、今の世に救いはないと明言し、天国に希望持てと言ってしまう宗教もあるのかなと。個人的感想ですが。
自分の親友だった学会員も二世ですた。JWとは違う形で葛藤しとったのは印象的でした。そっちはそっちでいろいろおありのようで。
そうやね!「リング」に出てくる呪いのビデオって例えはいいね。書いたのは全体的な傾向とか、自分なりの考察や感想なんで、全てのJWがそうだとは言いませんよ→宗教論争。
ナチの件は自分はどうでもいいので検証してません。事実であるかどうかも興味ない。テキトーですんません。
そしてそれを自分の精神基盤としている人間には当然、理論で話し合うのは難しいのです。
相手の話を聞いて、相手の価値観(もはや異国の異文化同士の交流と同じ)を理解しないと、話が全く噛み合ないと思う。
あと、別に宗教やってる人間が、サイボーグな訳じゃないっすよw
人間誰だって中身は同じです。欲望を自己否定したり抑圧する人と認める人、その行為を平気な人と苦しむ人、そのあたりの個人差じゃないかな。
表情だけならいい、感情(罪悪感、恐怖心、不安感、多幸感)までプログラミングされるのは経験してほしくはないけど、経験した者にとっては本当、恐ろしい体験です。二度と味わいたくない。
彼女は結果として得た世界の一つであって、役割ってもんではないかも。勿論、新しい世界は見せてもらってるけど。
自分の場合は、医者に薬もらって休職するぐらいまで自分の精神構造を一回バラバラにした。一ヶ月寝たきりになった中で自分の精神を再構築して、客観的に見れるようになった。
役割という言葉を与えるべきなら、その時、自分が壊れそうになっても自分と向き合った、あの時の自分だと認識してるよ。
最も、二度とあんな精神崩壊寸前の経験なんてしたくないけどね。
小さい頃から、この生き方が「真理」ですと言われた場合、そうではないと考えると今迄の自分は何?という自我崩壊になる。
と言われて悪魔主義になる奴なんてのは、なかなかいない。普通に生活して幸せに生きたいって思う人間ならね。
でも、そもそも、神か悪魔か?っていう概念、何よりも二択しかない?二択?何の?この世界って何?
そのレベルまで自分の人格を分解しない限り、幼少から育てられたエホバの証人の子供は、無意味な罪悪感から脱却できない。
増田でトラバくれた、元二世のお二人(http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 と http://anond.hatelabo.jp/20080723111359)はどちらかというと軽症だっただけと言える。
ただ、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951 は、役に立ったと思ったり(いや、本当に役立ってるのでしょう。良かった良かった)
オフ会開いて共有してみたいと思うあたり、まだ完全には脱却できていないと推察します。
何かのきっかけで、完全復帰はしなくとも、気持ちが囚われることはあるはず。
あと、http://anond.hatelabo.jp/20080723123951が文中で書かれた「高校でグレちゃった子」の話。
こういう子は、しばらくすると懺悔して復帰する可能性が高いです。
行動すればするほど、心に埋め込まれた精神の規定を成す概念が自分自身を締め上げていくはずだから。
遅かれ早かれ、何らかの行動起こすんじゃないかな。
それか、それを否定したくてもっと自虐に走るかも。
ちなみに、俺はJWの中で好きな子つうか、仲良くお互いにしてた子もいたよ。
男でも本当にいい友達とかおった。
でも、自分の育つ時代が一番、最悪なあのスパルタ時期でさ、みんなおかしくなっちまった。
頭良くて学校でも成績優秀な子が、どうしていきなり停学になるような不良行為を起こすんだい?
俺は、俺の好きだった子や、可愛がってた子、遊んでくれた年上のお兄さん達、が否定したいけど否定もできず、
そして自分を責めるという行動にしか走れずに混乱していく様を何度も見たよ。
自分の場合は、あまりに親が厳しくしたせいか、叱られる時に、叱られる自分と、叱られる自分を見つめる自分を作るようになった。
教理にも納得する自分と、納得できない自分、色んな所で自分が体の中に二人いるそんな精神構造になった。
これ、二世ではけっこう「自分もー」って言う人、いるんだけどね。
ただ、大抵の人は、客観的な自分を肯定しないんだよね。
それを何とか殺そうと努めて、結局、自己否定になり(そりゃそうだ、その精神だって自分だもお)おかしくなったり
それは私が不完全で救いを必要する人間だからなんだわとかいう変な自己解釈(俺の両親とかキモいから解らんがきっとそうだと思う)しちゃったり。
自分の場合は、その二つなっている自分は結局、どちらも自分であり認めなければならない。
おかしいのは俺か?違うんじゃないか?と、考え始め、しかし二人の自分を一緒にしようとすると、この考えは教理に違反している!という罪悪感と、俺はこう思っているんだ!と叫ぶ自分が脳内で騒ぎ立て、まともにまっすぐ歩けなくなるぐらい苦しんだりもした。
もっとも、学校卒業しなきゃ負け、と思い、10日でノコノコ返ったけど。そんなヘタレさ、どうせ。
自分はおかしくない、俺が思うことを俺がその通りに行動するのはおかしくない。これが人間。
それをいちいち、正しいか、正しくないか?と考えて誰も見ていないのに、勝手にビクビクしたり、これは聖書ではNOとあることだ・・・と脂汗が出るのは、俺が信じているからではなく、そのように作られてるからだ。
そうやって、自分で自分にカウンセリング?リハビリして、死ね!クソ宗教!とようやく言えるレベルにまでなった。長い苦労だったよ。
だからって、必死になって幸せになりたいと思わない。
俺の仲良しだった良い奴ら、同じ宗教というきっかけで知り合えたいい奴らは、本当、みんな社会的にドロップアウトしたり、「僕も信じてないけどさ・・・行く所ないじゃん」とかいいながら、今日も宗教活動してる。
俺をこんな目に合わせたのは・・・誰だ?
とか、思って叫んだ日もあったよ。親を蹴り上げて、会衆を燃やしてしまえとか本気で考えた時もある。
でも、そんなことをしたって、何か変わるか?変わらない。
失われた時間、失われた人間関係、無くした友達、好きだった子はもう目の前にはいないんだ。
俺はもうこんな歳だ。社会的にも働き盛りであるべき年齢。
俺がここで止まっても、世界は崩壊しないし、誰も困らない。
明日は淡々とやってくる。
だから、俺はだだっ子のようにぐちぐち言わず、自分で考えて自分で行動して、自分で生きていきたい。
だが、俺は一生、親の愛情としてあなたにああいう教育したのよと言う両親を、憎む事も否定することもできず、振り上げた拳をどこにも持っていけないまま、生きていかなければならない。
俺は、ここでみんなに知って欲しい、知って欲しかったんだ。
あの家にピンポンしてくる変な宗教団体の陰で、俺みたいな奴が一人、世界中に何百万人もいる教団のたった一人の小さな存在だけど.
こうやって、静かに戦ってた奴がいたんだぜ?ってことをさ。。。
ただ、すごく疲れる人生だった。
正式に脱退できたら、彼女と祝いたい。
そして、しばらくゆっくりしたい。。。
俺は、彼女がどういう選択するかも兼ねて、彼女にも教理を他の信者を通して学んでみてもらったんだよ。
彼女は「納得できる部分というか精神的に高い志をもとうしてるのはいいんだけど、自分の望まない話になるとシャットアウトするね」とさらっと言ってくれた。
それで、俺の心の最後のつっかえはとれた。
彼女が入信していれば俺はまた苦悩してただろう。
賭けには勝った。もう俺は大丈夫だ。そうさ、俺だってね俺は一人じゃない、俺を認めてくれる人は欲しかったんだよ。
でも、JWの複雑で独特な背景を好奇心で見てはくれても、俺自身を見て、俺の背負ってきた人生の一部がどんなもんか?みたいな視点から見てくれる奴は、彼女だけだった。
貴重なかけがえのない存在なんで大事にしたい。
俺はこの決断、こういう道を葛藤なしですんなり選べるようになるまで本当に苦労したんだ。
その自分の中に埋め込まれた変な宗教の精神構造のせいで、それを取り除くのが精一杯で、友達を作るのも途中で辞めていた。
恋愛するぐらい余裕ができたのもほんの数年前だ。それまで、自分は生きてるのか死んでるのか、俺は何?俺は誰?俺の本当の気持ちはどこ?って自問自答してたよ。
宗教は否定しない。
でも、誰もそれを強要してはいかん。
何より、子供に必要なのは自分で考え人生を選んで行くための能力と機会を与えるべきだ。
籠の中に突っ込んでも死ぬだけだ。
まぁ、そんな感じ。
言いたい事言えてすっきりした。
これが多くの人の目にとまると思うとすっきりする。
いい時代になったよ。
ネットなければこんな声、絶対に残せなかったから。
聞く耳を持ってくれるかどうかはわからないけど、一応書くだけ書いてみるぞ。
今のおまえさんの様子を見ていると、俺はなんとなく20世紀のユダヤ人の歴史を連想してしまうんだ。
イスラエルを建国した当時、ユダヤ人と言うのは確かに虐げられた民族以外の何物でもなかった。でも、それから60年間の歴史を見通して、現在のイスラエルはどうだろうか。むしろ他人を虐げる側に回って、しかもその行為を
「かつて自分達は虐げられていたから、自分達の生存のためには全てが許容される」
という形で正当化しているのではないだろうか。
現在のイスラエルの全てを肯定して無批判に包み込むだけが、イスラエルとそれに関係する全ての人を救う道だとは、俺にはとても思えない。イスラエル政府がパレスチナ・アラブ人を扱うやり方が、ホロコースト体験によって全て正当化されるとも思えない。
はしごたんに対しても、俺は同じことを思う。俺はおまえさんの過去を追体験することなんて出来ないが、それを軽んじる気は全くない。でもそれは、おまえさんの過去に関わっていない人を攻撃の的とすることを正当化するのだろうか?
まあ、イスラエルの話は脇に置いておくとしてもだ。
そんなおまえさんを誰かが全肯定して包み込んでくれるなら、確かにその時は気持ちがいいかもしれない。救われた気にだってなるかもしれない。それを否定はしない。
でもさ……その後どうすんの?
もしその後を考えずに、その場その場の救済だけに人生の全力を集中するとなれば、例え一晩であれ二晩であれ、おまえさんはMasaoに人生の全ての重みをかけた救済を求めるってことになるんじゃないの。そんなむちゃくちゃヘビーな荷物を他人に負わせて、いったいどうすんのよ。
それに、その一日か二日が終わった時、おまえさんは相手(Masaoであれ誰であれ)に背負わせた人生の重い荷物をもう一度背負いなおして、帰りの電車に揺られて帰らなきゃならないわけだけど、一度降ろした荷物をもう一度背負って、家路につくことが出来るの?
はっきり言って、いまのはしごたんにそれが出来るとは、とても思えない。一度重荷を降ろして身軽になって救われたと感じた人が
「さあ、これで救済の時間は終わったから、また重荷を背負って帰りなさい」
と言われて、はいそうですかとはなかなか言えないと思うぞ。
イエス・キリストは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28新共同訳)と言ったけど、もしその数日後にイエスが「さあ、私はこれでいなくなるから、また重荷を背負って家に帰りなさい」なんて言おうものなら、多分その途端に教団は分裂して、その後のキリスト教なんて生まれてなかったろうな。
実際には当のイエスが処刑された後でさえ、遺された人々は復活神話まで作り上げて、重荷を軽くしてくれた神の子の下になおも留まり続けようとしたんだ。この時に遺された使徒たちによる伝道がその後のキリスト教会発展の土台を作り上げたんだけど、早い話が、イエス本人がいなくとも重荷を恒常的に降ろしておけるような場として、教会システムを整備したわけだ。
要は、一度降ろした重荷をもう一度担ぎ上げることは、誰にだってなかなか出来ることじゃないってことだよ。はしごたんに限った話じゃなくてさ。
自分で自分の感情を完全にコントロールするなんて、神ならぬ人間の身にはたぶん無理だと俺は思う。俺自身だってそうだし。
今は“その後”の感情をコントロールする自信があるのかもしれないけど、俺は今現在の自信をそんなに当てにしない方がいいと思うな。
まあ、少し考えてみてよ。
うむ。
加えて言うなら、たとえ嘘とわかっていて、相手にその嘘に気付いて目覚めて欲しいとしても、ああやって「お前の宗教は嘘つきだ」ってストレートに言うのは、全然イケてないやり方なんだよな。
「自分はその宗教の嘘を知っているが、相手はその嘘に気付いてない無知な人間だ、どうだ、俺がお馬鹿な相手を啓蒙してやろうではないか」という下心が見え見えだと誤解されても仕方ないよ。
しかも、エホみたいに反対意見を「サタン的」「伝染病のように避けるべき」とか言って、全然聞く耳を持たず拒絶してしまうような、そういう宗教の信者相手では、相手にはその言葉はなおさら届かない。
ストレートもいいけど、こういう時は変化球を投げてみましょうや。
http://anond.hatelabo.jp/20070620032418の嫌いなエホは、戸別伝道で会った他の宗教の信者に「お前の今信じている宗教は間違ってる」なんてストレートに言ってるか?
エホの間違いを指摘したいなら、エホの上手を行く上手な説得技術が求められるんだ。http://anond.hatelabo.jp/20070620032418、がんばれ。