はてなキーワード: 中流階級とは
と僕は妻に言った。
妻はショックを受けた顔で、「あなたがそんなことを思っているなんて。私に対しても、子供に対してもそう思っていたの?」と聞いた。
僕はもう一度「でも、妥協しないと結婚できないよね」と言ったら、妻は「まあそうね。常に更なる高みを目指すのならば結婚なんてしないもんね。」と言った。
僕と妻はそういう話をする間柄だ。
僕は妻を愛している。と文章にしたら恥ずかしいんだけれども、多分、愛していると人に言いきれるぐらいには愛している。
同じぐらい、子供を愛している。こっちは恥ずかしくはないけれども、多分子供を愛しているのは当然と言う世間の目があるから、すんなり書けるんだと思う。
妻とは大学のサークル時代からの付き合いで、僕は何年もかけてアプローチをかけて、大学を卒業、修士、社会人となってすぐに結婚した。
今では10年を超える付き合いだ。
僕にとって彼女との結婚は当然のことと思えるぐらい、彼女以外いないと思っていたし、今もいないと思っている。
でも、結婚して子供が出来てからのある日、妻が「恋がしてみたい」と言って僕に言ってきてショックを受けた。
「僕はなんなの?」と聞いたら「友達?」と返された。
「友達と子供まで作るなよ。」とか言ったけれども、多分、そういうことが言える関係だったから結婚できたんだと思う。
本当に恋をした相手とだったら、きっと結婚をする前に潰れると思う。
ある日、妻に「私が子供をほっぽり出してほかの男と付き合ったらどうする?」と聞かれたので「絶対に許さないし、何としてでも不幸にしてやると呪うと思う」と言った。
でも、その時「でも、そういう俺の気持ちが関係なくなるぐらいの気持ちになるのが恋に落ちるってことなのかもね」と言ったら、「そうかもね」と頷いていた。
多分、もしもそうなったら僕は彼女を許さないし不幸にしてやると呪うけれども、仕方がないやって思うんだと思う。
もしそうなったら僕はきっとこう思う。
それから彼女が、不幸になるかどうかはもうわからないけれども、恋に落ちたのだからもう盲目なんだ。
こりゃ別れるしかないし、どうしようもないんだ。
と言うように考えて割り切って、自分の目の前の現実に向き合うことになるんだと思う。
結婚して子供が出来て、子育てをすると、妻と話す時間は必然的に削られる。
子供だって幼稚園なり小学校なりやがては中学、高校、大学と行って家庭を持ち僕らから離れていく。
どこかの富豪や大昔ならばいざ知らず、現在の日本の中流階級の人間にとって、家族がいつも一緒でいられるわけなんてなくて、そんな家庭は少なくとも僕が想像できるものじゃない。
結婚して、家庭を持つということは、その後のたくさんの現実を処理する作業であり、旦那は旦那、妻は妻、でそれぞれ何をするべきか考えて、話し合って、それで自分たちや子供たちの生活を維持するための戦略を立てていくことになるんだと思う。
僕は、事情があって妻には、軽い内職を残すとほとんど専業主婦になってもらっている。
でも世の中は、女性も働けとか言う世の中になってきているのだから、戦略の立て方はきっと昔より難しいのだと思う。
きっと僕がクビになっても世間は妻が働けばいいとか言い出しかねないのじゃないかと思っている。
妻が恋をしようが、僕が事故になって死のうが、現実は明日もやってくる。
その現実をどうしようか。
それを一緒になって、考えて、処理しなくちゃいけない。
最初の話に戻るけれども、僕は明日もたぶん生きるっていう現実があると、取りあえず目の前にある道具で何とかするしかない。
より自分を鍛え上げる。
お金をいっぱい溜め込む。
そりゃ、数えられないぐらい準備はできる。
より良いパートナーを探すっていうのもその準備だろう。
でも、準備をしているだけじゃ現実は片が付かない。
目の前にあるもの、自分が手の届くもの、どこかで妥協がないと現実に向かうことは出来ない。
それが、どんな理由であれ、手にしたものが信じられるのならば、手にしたものと一緒に戦うしかないんだと思う。
という話を飲みの席で後輩の女の子に言おうとして、「結婚って妥協の産物だよね」と言ったら、「ひどい!」と言われました。。。
イギリスの第二次世界大戦では金融政策上のスローガンとして「ゆりかごから墓場まで」という
英国の映画監督である、ダニー・ボイルは27時間や、スラムドッグ$ミリオネアを描き
映画、トレインスポッティングの中では、薬まみれの若者に、
と自分たちを対比させ、
「退屈なテレビ、家庭、住宅ローン、最初に買う家、保険、税金控除、
これらをクソだと冒頭で述べる。
その若々しい青さはそのうちに、disappearするのだ。保身、なんとなく生きる人生。
ゴールデンウィークもパーナン。お腹に外人の子を抱えた、風俗嬢(ナンパ)から、
BCGに転職した同級生まで、いろんな人にあった。そんななかで
岩瀬大輔の「ハーバードMBA留学記 資本主義の士官学校にて」
を読んだ。
ここに出てくる連中はいわゆる過去のケース、成功した人を後からたどったMBAの
ケースであるというよりは、かなりとんがっておかしくなった連中に見えた。
ベンチャースピリットとは路上でナンパすることから、HBA(ハーバードビジネススクール)
を出て、ベンチャーをExitさせることまで、どれもそれは0→1をする、スピリットなのかも
しれない。
http://anond.hatelabo.jp/20140324164403
基本的にミドルレンジの層では現状の累進課税よりも消費税の増税の方が公平性があると思う。
特にサラリーマンは同じ金額の税金取られるなら、同程度の実質消費の人たちよりも圧倒的に消費税の方が得で、反対する理由が見当たらん。
例えば仲がいい友達何人か集まって、飲み会費でも部費でも花代でも、みんなで使う共用品を買うなど何でもいいが、
「俺は収入少ないから10%な。お前は収入多いから50%な。」って言える人の神経が分からん。
「全員3000円な。」
か
「全員20%な。」
が公平だろう。
自分以外の見知らぬ人だから高率でもいいと考えてるとしか思えない。
「ミクロとマクロは違う!」ってのは勿論分かっているが、公平性という意味なら、考え方の出発点は上記のようなやり取りから考えるべきだと思う。
この問題の旗頭である共産党なんてせいぜい数十人しかいない年収数百億円の人の「実効税率が低い」なんて文句なんて言う暇あったら、
党費でバシバシ累進性を見せて、最高50%ぐらいの党費で、自ら見本を見せて欲しい。
(ここが一番言いたかった)
共産党に年収1000万円の高所得者や5000万円以上の財産持ちなどたくさんいるので、是非、一般的に金持ちと
思われているこの層から党費で多く徴収する+国庫への寄付の強制を望む。
下流~中流階級の人は税金の補足も簡単で、公平性からも消費税が向いていると思う。
年収1億以上になってくると、見合った消費はしないからある程度の累進性は必要はある。
年収400万以下は、やっぱ生活しんどいと思うから格安の税でもいいかも。
となると割りと高率(20%前後?)の消費税+負の所得税を含めた累進課税が個人的にベスト。
ちなみに法人税も税金の2重取りなので、理想は0%でもいいと思うが、問題もあるので割愛。
> 低学歴と高学歴の世界の溝 http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
先日地元に帰ったら、そろそろ人生に絶望し始めてる連中が何人かいた。
4~5人、いやひょっとしたらフリーターなんてゾロゾロいたからもっとかもしれない。
25才の店長にコキ使われてる33才フリーター。ブラックだなんだという以前の人達。
思えば高校の頃堕落した青春を謳歌し、ゲームだバイクだタバコだなんだ、テストがあっても何一つせず、
周りも何となくそんな連中ばかりだから安心してか、目の前の現実をスルーして流されるまま生きてきた人達。
そのツケが眼前に立ちはだかり、気づけばパチスロ三昧(本当にパチスロしかする事がナイって言ってて、
昔のバンドマン時代を思い出して切なくなった)、負けて帰れば鬼嫁が待っている現実…。
おれはリアルカイジ(もしくは帝国住人)と名付けた。当然皆低学歴だ。
勿論その底辺にいても尚成功した奴もいて、おそらく、自分の頭で考え、流される事無くしっかりと行動できたのだろう。
そういう奴も当然いる。決して「低学歴=不幸せ」では無いのだ。というか幸せかどうかなんてそんなもん本人が決める事だ。
つらつら書いたが、こちらの勝手な思い込みで、絶望なんてこれっぽっちもしてない可能性もおおいにある。
逆に「高学歴」の称号を手にすることができても、無職の奴や失敗した人間もごまんといる。
「低学歴の世界」「高学歴の世界」と分けて認識する事は、90年後期から叫ばれ続けてきた、
「一億総中流階級から、上流・下流の二極化へ」突き進んだ現代日本に置いて、確かに意味のある事だと思う。
「地方の世界」と「都会の世界」、とか「非正社員の世界」と「正社員の世界」なんてのも当てはまるかもしれない。
しかし、親がDQNで学校もDQNだからそういう世界になりがちで、不幸になりがちだ、とかは、ある意味当たり前で、
じゃあどうすればいいかというと、環境とかそんなもんは関係無く、実にシンプルな話なのだ。
要は、「この世は奪い合いでできている」という事に気付く事から始まる。
この進撃の巨人的で実に厨二臭い、真顔では言いづらい残酷な世界の成り立ちを、ハッキリと思春期の内に認識する事。
新しいお店ができれば、古いお店が消え、誰かが儲ければ、誰かが損する。
そういう奪い合いの世の中(資本主義社会)で「お金が欲しい」のであれば、少数派になるしかない。
少数派とは「高学歴」になってお金をなるべく多くもらうか、特殊な技能を身につけてお金を稼ぐかの二択だ。
それ以外にお金をなるべく他人より多くもらうなんて虫のいい話、宝くじに当たるくらいしか無いのだ。
ではその二択を取るには、どうすれば良いのか?
これはもう、当然、努力しか無い。忍耐強く勉強をするか、好きな事・得意な事を見つけて、
努力をしなければ、遠慮なく他に全て持っていかれる。どんなDQN親だろうが、どこに住もうが、それは関係なく共通している。
親がいくら賢くったって、高学歴エリアだからといって、自動的に勝手に頭が良くなる訳ではないのだ。
ただ、努力した上で、「超一流」とかになったとしても、それでも運が悪かったりすれば、敗者になる可能性だって十二分にある。
それを踏まえて、じゃあ自分はどう生きたいのかを、人生の節目に選んだかどうかの違いだ。
ボーっと大学進学選んだやつもアホだが、同じ流されるのなら、まだそっちの方がマシだったって事だ。
価値があると思えば払えばいいし、嫌ならその程度ってことでは。
増田で「自分は東大だけど」って書くとホッテントリ入りする法則なんなの。
海外に出ると「東大」っていうくくりで見られなくなるからほっとする。
でも、それって海外が学歴社会じゃないからっていうわけじゃなくて、単に東大の知名度が低いからなんだよね。逆に日本の事情を知ってる人は、もうなんていうか、日本の学歴コンプな人たちとは比べ物にならないくらい、「東大すげー」ってなる。
それは階級社会だからなんだろうけど。階級社会がベースにあって、大学に行く=中流階級以上、なおかつ名門大学=アッパーミドル~上流階級っていう区分けになる。
誰でも行きたければ大学に行けて、がんばれば東大、京大に行けるっていう日本のシステムは悪くないと思う。結構本気でそう思う。
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。
私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。
初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。
コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。
これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。
彼は散漫の対極のような人でした。
彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。
スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。
彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。
彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。
パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。
愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。
彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」
リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。
リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。
ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
旬の野菜。
簡単な調理。
若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。
リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
何年もかかりました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。
そして実際、買いました。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。
彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。
スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?
彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。
四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。
そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
もうできませんでした。
最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。
兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。
彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。
その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。
病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。
「これが特別治療だよ」と私は伝えました。
彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。
挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。
彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。
私たちは自分が何年生きられるか知りません。
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。
ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。
二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。
火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」
「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。
昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。
そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。
呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。
これが私が学んだことです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。
彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。
フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。
彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。
やらなければならないことでした。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。
山を登っているようでした。
その意志、その使命感、その強さと同時に、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。
その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
船出の前、
彼は妹のパティを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110118-00000524-san-bus_all
バカが多いんだから五割でも十分。
働かざるもの、食うべからず。
労基法は破らざるをえないというのが、そのとき嫌でもわかるでしょう。
http://www.sankeibiz.jp/econome/news/101208/ecd1012081457001-n1.htm
職安からは《「夜勤あり」「休日出勤あり」では応募は見込めませんよ》といわれ、その通り、2カ月で問い合わせはわずか2件。応募した人からも《「土日は必ず休みに…」などといわれ、電話口でお断りした》そうだ。
この男性は《「ミスマッチ」とぼかした表現を耳にしますが、何より今、国内に不足しているのは「働かざる者、食うべからず」の基本的な意識だと思います》と辛辣(しんらつ)だ。
まあより好みし続けてニートになってそのまま詰み、になるまでわからないのかもしれませんね彼らは。ゴネればくれると思い込んでいる。子供の頃からゴネ得を許してきた中流階級の親の教育が悪かったと言えばそれまでですが。
まずは、どんな商圏が存在するのか整理しておこう。
釜なんかの労働者のおっちゃんが稼いだ金を綺麗に使い切れるように簡易宿泊所を中心として居酒屋飲み屋ギャンブルと完璧な商圏を築いているのはたまに問題視されるけど、アレと似た構造に見えるので話題になるんだろうね。
○○食いとか言うから詐欺チックに聞こえるわけであって、コンビニがスーパーより高いからと言って叩く馬鹿は居なかろう。
(コンビニは必要とされているからそこにあるのであって、「小銭を持ってて家計簿付けない非正規雇用を狙い打ってる」なんて批判はナンセンス)
この構造のポイントは、商圏によって分かれているだけであって、金を持ってる持ってないとは独立である点。
トラックの運ちゃんなんかは「プチ下流」と分類されるが、下手な「中流」よりは金持ってたりする。
元増田です。ああ、そういう風に取られるかと思ったので補足。
私が「英語の時代」と言ったのはそういうことではなく、現在先進国の人間が誰でもその国の公用語を「国語」として、日常会話から高度な話題に至るまで読み書きできるようなことが英語において起こりうるということはないということです。中国語圏での北京語、アラブ圏での古典アラビア語、スイスでのフランス語、そういったものの地位に英語が就くことは無理です。その外の世界では英語をしゃべる集団が社会の中に形成されていないし、テレビやラジオで聞きかじっていれば身に付くなんてのはヨーロッパのゲルマン語圏でもなければ無理。
そして、エリートが英語の読み書きを寡占する状態なんてのは続きません。アンデルセンが偉人たる所以の一つは、作品を「デンマーク語で」書いたこととされています。当時デンマークでは、上流階級はフランス語、中流階級はドイツ語を話していてデンマーク語は下層階級の言葉のように扱われていたわけです(現代で敢えて近い例をこじつければ、台湾での北京語、客家語・台湾語、その他少数民族語の状況ぐらいでしょうか)が、こうした努力によってデンマーク語が独仏語にも劣らない機能を獲得することができたわけです。
「英語の支配」とは帝国主義まっさかりの19世紀に世界が逆転することです。そんなことを長く世界が許すはずはないでしょう。そして英語一極支配を肯定している「現地人」はそのうち必ずや顰蹙を買うことにも気づくべきです。
相対的少数派の東アジア、アラブ、東南アジアの大半なんかの人々だけが英語の支配する世界から取り残されていくと考えるべきです。
それだけの人間が世界の人口に占める比率は決して小さくないどころか非常に大きいわけですが。過半数になりこそしないかもしれないが、大雑把に見て3割は堅いでしょう。
となれば、たとえばアラブが(古典)アラビア語、東アジアが漢文、東南アジアがマレー語あたりで固まったとしてもこれは「ガラパゴス」とは言えず、むしろ現在の経済発展の流れが続くならばEUを上回る経済圏が出現することになる。これは「グローバル化」ではなく世界の「ブロック化」であり、つまり「英語」は「国際語」のうちの最大勢力ではあっても支配言語ではなくなってしまうわけです。要するに英語の影響力は弱まる。
ちなみに現在でもヨーロッパ人は「EUの共通語は英語よりもむしろフランス語」と意識している人は少なくないし(建前としては全言語が共通語)、アラブ圏での古典アラビア語は中国での北京語のようなもので、この地域の経済発展に伴ってこれらの言語の力が強まりこそすれ弱まることはないはずです。また、ブラックアフリカでもスワヒリ語やズールー語、東南アジアでもマレー語やインドネシア語の力が同様に強まるはずです。その方が自分たちの固有の文化(多くの場合言語も)に近いわけで、「近代語」をエリートに独占されずに誰でも学べる形になるわけですから(国民国家の出現と教育制度の整備に伴い、読み書き能力をエリートが寡占していた状態の破壊が進んだことを思い出してください)。
日中韓なんかでは確かに「そのような流れは一般化しえない」かもしれないけど、そんな地域は少数派なんだよ。地図帳と統計資料見ようぜ。インドとアフリカの人口なめんなよw
あなたに言われなくてもその程度の数字は知ってますけどね、日中韓の人口もなめんなよということです。こういう物事というのは多数決で決まるものじゃないのでね。
スペイン語、フランス語、ロシア語、ウルドゥー語etc.の「そこそこの努力で英語力を得られるインド・ヨーロッパ語族の言語を(少なくともエリート層は)日常的に使ってる地域」なんだよ。
残念ながら同じインド・ヨーロッパ語族であっても、ヒンドゥー語やウルドゥー語やペルシャ語は英語と文化が違いすぎて、もはや英語は「学びやすい言語」とは言えない。「難しいとは言えない言語」程度だ。トルコ語は日本語と文法が類似しているというが、日本人がトルコ語を理解するためには、イスラム教やオスマン朝のことをかなり体で理解しなければ礼儀作法といった文化コードまで含めたレベルでの習得は極めて困難だろう。それと同じ壁が存在する。
あなたも言ったように、高度な英語力を身につけられるのはエリート層にとどまり、それに対する非エリート層の不満は経済発展につれて急激に高まることは容易に想像できる。
休日、彼女から、「お昼は家でうどん茹でて食べる。お金ないからw」みたいなメールが来た。あまり深く考えることもなく、「俺も貧乏だから昼はカップラーメンだよw」と返した。
すると、急に真顔になったような感じで彼女は、「増田くんは慰めようとしてそういう返事をしてくれたのかもしれないけど、正直、増田くんが貧乏とか言うと、笑えない」というメールを送ってきた。
え? 俺、今、そんな変なこと言った? と慌てて電話で話を聞いたところ、次のようなところだった。
彼女は今資格試験の勉強中であり、仕事に就いてはいるものの、将来への展望が明確に見えているわけではない。だから、(結婚とかを考える上でも)増田の収入面を頼りにしているところがある。その増田が金がないとか言い出すと、将来がすごく不安になる。
うーむ、と僕は思った。
大した意味があって「貧乏だから」と発言したわけではなかった。男同士で話す時に「いやー、俺、金ないからw」とか言うのとおなじノリだった。
実際のところ、金はありますよ。なくはない。ただ、所詮中流階級、本当の金持ちではない。そんな程度の男が粋がって金があるというのもみっともないから言わないだけで。
そもそも、女が男の収入を頼りにする、というのがあまりぴんとこない。今の世の中、女性でも一生仕事をしようと思えば、(ある程度職業の限定はあるにせよ)できなくはないはずだ。特に彼女は資格を必要とするような専門職であるわけだし。にも関わらず男の収入に頼るなんて、例えば、年取った時、「離婚したいけど自分一人では食っていけないからしかたなく夫と暮らす」みたいな状態になりかねんぞ、と思う(さすがに、僕が彼女に言うのはハイパー余計なお世話なので言わないけど)。
なんとなくもやもやしたまま、翌日、職場の後輩女子に顛末を話してみた。
「……というようなことがあったんだけど、○○さんだったらどうよ?」
すると、後輩女子はこう答えた。
「うーん、私が彼氏にそんなこと言われたら、やっぱ不安になりますね」
「そうなの? 今のこの職場だとさ、うなるほど金があるわけではないけれど暮らしていく分には、まあ、困らなくて、急にクビになるってこともないと思うけど……それでも不安になるの?」
「なりますね」
と後輩女子は少し考えながら頷く。
「そうなのかあ。男女共同参画社会はある程度実現したと思っていたのだが……」
「うちが、母親が専業主婦ってのもあるかもしれないです。親がそうだと、やっぱそういう意識が刷り込まれてるっていうか。すぱっと変えられるもんでもないです」
「なるほど……」
本音を言えば、自分の彼女も、後輩女子も、自立志向が強い人間だと思っていたので、このような発言はショックだった。しかし、特に利害関係のない二人がおなじようなことを言うのだから、たぶん、多数の女子がおなじような価値観をもっているのだろう(もちろん、二人とも、首都圏出身で、四大卒で、専門職に就く、あるいは目指していて、1982年生まれ、という偏りはあるのだけど)。
「俺は心を入れ替えた。これからは金持ちぶる。ばんばん金を使う。俺に任せろ」
トラバ、ブコメありがとう。一通り目を通させていただきました。
全レスすると必死っぽいので、これはリアクションした方がいいぞ! と思ったところに。
gouk 男女 子ども産むつもりなら、女は1年近く無収入の上に病院は実費。保育園NGだったら産んだ後も働けない。育児にも金はかかるし、復職しても結婚前と同等の給料が得られるなんて限らない←という現実、男はわかってる?
oya03 男女, 社会 ネタにマジレス致しますが、相手の収入に不安を覚えるって「本音は自立したくない」んじゃなくて「例え自立出来たとしても人生設計を考えると頼らざるを得ない」現実が未だ横たわっているってことです。
orangevtr 増田, ジェンダー 男女共同参画に対する考えが甘いと思う。でも独身時代ならこれくらいで普通なのかもね。
hanapeko gender, 労働 マジレスすんぜ!自立志向ということと、現実に自立するための障壁がないということは同じではないし、自立志向の強い女ほどガラスの天井に心が折れて保守回帰っぽい言動をしちゃったりするんだぜ!
マジレスウェルカムです。正直言って、自分はそういう現実をあまり認識してないと思う。男が稼いで女が家を守るとか、そういう価値観は大嫌いだけど、そうせざるを得ない現実があるのだとしたら、今は社会に合わせていくしかないですね……
まず、僕自身、まだ社会人経験が数年なので、結婚→妊娠→休職→出産→職場復帰、というサイクルを最初から最後まで見たことがないのです。この辺が自分の視野の狭さだなと、改めて思いました。
ただ、子供がいても総合職的に働いている女性の方は何名か知っています。
それは彼女も言ってました。受かったらあんま不安じゃなくなるかも、とか。
kiku-chan しかし、この増田はどう考えても優良物権だと思うんだぜ(安定した収入と、女性の就労への理解、他者の意見を聞こうとする姿勢)
tora_17 増田, 恋愛 良い文章。思慮深くわかりやすいしオチまでつけてる。増田の人柄が滲み出てるね。/彼女が資格を取って軌道に乗ったらまた変わると思うけど。
褒められると素直に嬉しいです。超ありがとうッ!!
歴史の授業では、過去に起こった出来事を教える。しかし、「なぜそのような事が起きたのか?」「どのような法則性があるか?」などの解釈はほとんど教えられない。これは、小学生の理科と似ている。小学生までの理科では、観察される事実や実験結果を覚えることが中心で、「なぜそのような事が起きたのか?」「どのような法則性があるか?」などの解釈はあまり教えられないからである。歴史だけを学ぶのは、非効率であり、簡単な歴史を学んだ後は、経済学・政治学などを中心に教えるべきだ。
歴史の授業では、過去に起こった出来事を教える。しかし、その出来事に対する解釈はあまり教えられない。そのため、戦争があった事を学んでも「残酷ですね」くらいの感想しかもてない。下手をすると感想文を書かされる。
社会科の教育として、そんなことをしているので、下記のリーマンショックの解釈のように、中二・大二病的解釈をする”歴史好き”な教員・生徒を発生させる。
不況の機構などは、歴史を研究することで発展した経済学である程度理解することができる。しかし、歴史好きほどそのような学問を学ぶことなく、自分勝手な中二・大二病的解釈をする。
歴史は、理系科目でたとえると、小学生の理科と似ている。小学生までの理科は、観察される事実や実験結果を覚えることが中心だからだ。理系科目では、それらを覚えた後、中高と進むにつれて観察される事実や実験結果の解釈方法を学ぶ。観察される事実や実験結果は無数にあり、それを覚えていくのは非効率だからだ。
同様に、過去に起きた出来事を覚えることを中心とする歴史を学ぶのは非効率である。歴史は小中学生までに薄く広く教え、以降は、経済学・政治学等の過去に起きた出来事の解釈を中心として教えるべきだ。理科が、物理学・化学と名前を変えて、事実の解釈方法を学ぶようになるように。
相続税を高くして解決しようという根性が気に食わない。
例えば土地を相続した場合、その莫大な相続税が課せられる代わりにそれが払えなければ土地を売らなければならない。だが税金は待ってはくれない。
リートかなんかにして大きな資金をもってるところに土地を売り払ってビルを建てるよりほかない。
結局得をするのはそういう資本をもったところだけだ。
固定資産を受け取る代わりに税金を払わなければならないのだけど、払えるだろうか?
事業主後継者は不安に思う。
だとするとそれをあてにして個人事業主が事業をするのは困難だ。
小規模なところが事業を維持をするために掛かる税金が高すぎる。
日本の生産性が世界と比べても著しく低いのはここに端を発してはいないだろうか。
もともと固定資産税や相続税は大きな旧家や農家に対して土地を吐き出させるためにできた税率といっても過言じゃない。50年経った。土地移転は進んだだろうか?
農家は孫を戸籍上息子にしたりして相続税対策を相当練っている。
調べれば判るが駅近くにある小さなお寺が駅までの土地をまるっともっていたりする。
相続税?
資本がある程度あれば法人化できるし生前譲渡とか策を練らなくても財産移転はできる。
国会議員の資産等の公開が本当ならなぜ鳩山は40億、兄弟合計で80億も損できるほど資産を持っているのだろうか??
相続税なんかをあげたところで結局負担が増えるのは貧乏な対策も抜け道も探せない中流階級以下だ。
そもそも税金をあげて何につかっているのか?
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/h20/h190911.htm
厚生労働省の22,160,406百万円の使い方を見直すだけで税金負担なんて相当変わる。
あと、再分配につかわれているとは思えない農林水産と国土交通の公共事業。
あとなにげにあちこちで予算食ってる文部科学省の体制を見直したらいい。
足りないからと税率変えるまえに、その事業ややってきたことが本当にタメになったのか、
もしくは将来的に投資にたる公益性があるのかはきちんと検証するべきなんじゃぬゎぃの?
制度を弄らなくても体制を変えるだけで十分だ。
君は出費がおいつかなくなったらといって今の職を辞めてもっと稼ぎのいい仕事付こうとするのかい?
職を変えるリスクの方が自分には大きいように思える。
元増田。
爺につっていただいた。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20080131/1201736621
そーかな、ビール一杯で見れるヌードバーとか、酒屋においてあるエロ本とか、スタンディングのねぇちゃんのかっこうとか、階層によってはかなり露骨に米人はエロ。日本人の方がよほど禁欲萌え。特に女性の愛情萌えっつうか、禁欲萌えっつうか、「こんなにエッチをがまんしているあたしってえらい」と思っているのが不思議。でも、日本人の女のからだってエロをがまんしてるのが尻のあたりにでてたりする。
おっと、そうそう、米人だけど子どもに一直線に素直に愛情をそそげるのはすごい。けど、一歩間違うと日本の子殺し、親殺しなんて問題にならないくらいのDVの嵐が吹き荒れてたりする。それでも、それでも、それでも、そんな環境で子ども産んで育てているそのタフさに日本人は負けた。
だがいま、辞表を書いている。
子供の頃から自分は何のために生まれてきたんだろうとかずっと考えてた変な奴だったが、
30歳を目前にして、再度同じ問いが脳裏から離れなくなった。
おそらくこのままだと、結婚して子供作って家のローン繰上げ返済がんばって
ちょっとは出世してすこし恰幅が良くなって子供もなんとか大学に入れて、
2040年ごろに退職して送別会でもらった青いバラの花束を抱えながら山手線に揺られて帰宅して
子供も就職したので、ちょいと旧式リニアでのんびり京都行ったりして妻とセカンドライフ楽しんで
年甲斐もなく妻に内緒で高級セクサロイド買ったりなんて冒険もして
下流層と違って抗加齢手術受けるだけの貯えは用意してたから死ぬ直前まで若々しく楽しんでて。
人生の流れはたぶんこんな感じだろう。2050年のありきたりな中流階級。
ちょっとは面白いかもしれん
でも、自分がありきたりな人生に落ちつくだろうと想像すると胸が苦しくなる。
そりゃ未来の子供もかわいいだろうし未来の奥さんとも仲良くしたいし仕事も面白いかもしれん。
だけど、自分はなんで生まれてきたの?ていう問いに真正面から向き合ってないのでは?と疑問をもってしまう。
自分はこんなことのために生まれてきたわけじゃない。そんな気がする。いや、常にそう頭に浮かんでくる
これは中ニ病?脳の病気?「自分探し系OL」病か?それとも「自分だけは特別」病か?
わからないけど、どうにも我慢できない。
You、宗教にでも入っちゃいなよ、とたまに考える。神様か仏様か大作様に悩みを引き受けてもらいなよ、と。
だけど身に付いた懐疑主義のせいで宗教にはまることができない。
物価の安い国に早期リタイヤして人生を楽しめ、これもたまに考える。だけど、それはあからさまな逃げだ。今よりひどい。
今のままではいけないことは直感で理解している。惰性に流され、日常に沈んでいくだけ。
別に貧しくてもいいから、できたらなにかに向き合ってから死にたい。解決策を考えたけど思い浮かばない。とりあえずボーナス後の辞表は確定。
妥協案をふたつ思いついたのだが、どうだろう?すくなくとも問題を回避したり先延ばししたりはできる。
◎資格を取る。
喰いっぱぐれのない資格で収入だけは確保しつつ自分の時間を作る。弁護士・会計士・医療関係?そんなところか。そんで大学の哲学科にでも入って勉強しなおす。創作活動に集中するとか?
◎我を忘れて仕事に打ち込む。問題を回避。
今の仕事は楽すぎ。生きるために必死になれるように、会社作って仕事に没頭。理想は「気付いたら死んでた」
この妥協案のどちらかを実行することになりそう。惰性に流され、日常に沈む恐怖よりは幾分マシだ。
誰か助けてくれ。 とりあえず外出て酒買ってくる。
【追記 05/29 13:30】(書くべきことをまだかけてないのにとやかく言うのはあれだけど)
anond:20070526132630とか書いたとき、トラバくれただけでもうれしかったのに、ブックマークつくとなんか嬉しいんだな、最初だけは。
この68usersという赤文字、mixi開いたときに新着○○!の赤文字が出た時の嬉しさと似てる。なんでだろ?ってんで思い当たったのは進研ゼミの赤ペン先生。「赤ペン先生が返事くれると嬉しい→赤文字に期待感」。これが日本の「みくしパブロフ犬・はてぶパブロフ犬」の源流だろうか?
まぁいいや。
で、そこのはてなブックマーカーさん方、きみらはのんびり「上から目線」だなぁ?冷静なコメント、かっこいいな。
でもね、いつまでもそうして高いところ飛んでられっと思うなよ。
こっちまで降りて来い、なんてこた言わねぇ。(救えるもんなら俺を救ってみろ、とは言ってみたい、心の中で)。夏休み、アリンコを虫めがねで観察してるうち、太陽と焦点合わせてジュッて焼く遊びを憶えた頃を思い出した。今はアリンコの気持ちさえわかる気がする。
「やりたいことは既に心が知っている」みたいなことをどこかのCEOがスピーチしてたな。自分の心にもそれがあるのはわかる。ただし自分の心が読み取り辛くて、現代語訳しても「血迷え!」という言葉にしかならないんだよ、まだ。
(モテない男性板「人生の難易度が高すぎるのですが」スレより)
・ベリーイージー:
ものすごいイケメンで金がある優しい親のところに生まれる
なおかつ運ステータスが桁違いに高く、何をやっても結局はうまくいく
・イージー:
基本ステータスに+1264%。隠された才能などの隠しステータスがON
・ノーマル:
基本ステータス+50??80%の修正、能力値に偏りも発生
プラスイベントもマイナスイベントもあらゆるイベントが発生しうる
・ハード:
フツメンで貧乏、片親がいない、両親が早くに他界、ブサメンで中流など
基本ステータスにプラマイ5??10%の修正がかかる、運のステータスが低い
ステータスには偏りがあるが、イベントは一通り発生させられる仕様
基本ステータスがハードプレイヤーより256%ダウンした状態ではじまる
多くのイベントがフラグが立っても発生しない仕様になっている。
隠された才能などもない
同じゲームをやっているんだけど、各々難易度が違うんだよね。変えられない難易度で強制参加させられてるMMOみたいなもので、プレイする世界は同じだけど、実質的には違うゲーム。だから神ゲー、糞ゲーと評価が分かれると。