なんだか分かる
KYだとか、そういう言葉にうんざりしたり、あまりの「空気嫁」社会にうんざりする一方、
でもそれでも俺自身もおそらく、他人が空気読んだりしてくれたことに、幾度と無く救われたのだと思う。
「空気嫁」も、デメリットだけじゃなくメリットもやはりあるから一概に否定しきれない。
かといってやはりあまりに空気を重視しすぎではないか、という感情も残るのだが。
それでもなんだかんだ言ってこの空気社会で生きてきた、有る意味空気に甘えることもあったであろう俺が、その空気の助けのないアメリカンな社会でやっていけるのかといえばそれはそれで自信がない面もある。
家でちょっとオカンに反抗してみて家出してみたけどやっぱり家が一番だったみたいな、
そういう事になるのではないかという危惧がある。
これだけ増田で素直に心情を吐露できる人がアスペとか無いから。絶対。ただの性格だって。
「男だからそう」「女はこうだ」「オタクは皆そう」とか括られると、何はともあれやはりカチンとくる。
かといって「そんなことはない」とかいちいち反論することはなくなったが、「いやまあそう思う人もいるってだけだ」と自己を論理で納得させることもできるようになったが、しかしそれでもどうしても心の奥底の感情というのは消し去れぬもので、いまだ見ると稚拙な論であってもとりあえずムッとくるわけである
しかし何故嫌なのか?何故ムっとくるのか?
仮に「○○は皆××だ」といわれ、その○○という属性に自分が入っていて、且つ、自分で「自分は××ではない」と感じているなら、ムっとくる必要はないように思うのだ。単に「いや、自分は××ではないが…」となるだけの話、寧ろ自分の存在が反証理由にもなるくらいなのだ。
しかし自分はムっとくる。
なぜかと考えた。
「自分は××ではない」と思っているが、しかし、そこまでその事を自分自身信じきれていない、のではないか、それが原因なのではないか。「自分は××ではない!……多分」くらいの思いであるがゆえ、「××だ!」と他者に断言されると「そ、そんなことはない……はずだ……けど」と若干思いが揺らぐからなのかもしれない。
というか、更に、何故「自分は××ではない……たぶん……うんたぶん」と揺らぐことがムっとする原因になるかといえば、要するに、結局自分は「××である」事が嫌なのである。であるから「××だ」と言われれば「そうでない」とムッとするのだろう。単純に言えば「バカである」と言われれば誰だって嫌である。「鈴木(仮)という名字の奴は皆バカである」と言われたら鈴木(仮)である自分は「何だと。バカではないぞ」と思うわけである、やはり。
しかし実際には、このような「鈴木はバカ」くらい突拍子がなければほとんど腹など立たないわけだ。それは余りに突拍子が無く、全くこちらが納得しうるような根拠がないためだろう。逆に言えば腹が立つときというのは、ある程度こちらも納得できてしまいそうなそこそこの根拠があるからである。そこそこ筋が通った論で、しかも自分が嫌な属性に帰属するよう結論付けられるから、ムっとするのである。否定したいのである。突拍子が無さ過ぎればどうだっていいし、自分が好きな属性に帰属するよう言われれば別にまあそれはそれでわざわざ否定する気も起きない(鈴木は皆天才だ、と言われりゃ悪い気はしない)。
あるいは堂々と最後まで確実に主張しきれるほど、自分が自分自身の属性に自信を持っていれば、いくら他者が決め付けてこようが「我輩そうではない」とビシッと跳ね除けられようが、あいにくそこまで強くは無いのである自分は。
要するにまとめると「ちょっともしかしたらそうなのかもしれない……でもそうだとしたら自分は物凄く嫌だ」と思っている属性を他者から押し付けられるとカチンとくるわけである。こういう時下手に理論武装せず、「そうだとしたら、自分、嫌だかんな!」と開き直った方が、寧ろ冷静な気持ちでいられる。理論武装するというのはその本心を隠して戦うことだから、どうしても怯えがちになる。そこをつかれたらどうしよう、という気があるのだ。もうそれよりも素直にさらけ出してしまった方が逆に強い心持でいられたりする。
それと余りに言われると、B型はマイペースマイペースと言われ続けることで本当にそうなりがち、というような(こち亀にもあったなそういや)現象も起こりかねないから、やはり、嫌である。自分が嫌悪している属性だからこそ逆に意識しがちにもなるしあまり安易に決め付け語を言わないでほしいものだとつくづく思う。言うだけなら別に、と思うかもしれないが最近富に思うのは言葉というのは言霊だ、言葉にする、ということで、何らかの力を持つ(別に霊的な意味じゃなく)とつくづく感じる。影響を全く受けないなんていうのは無理だからこそ、自分に悪い影響が及びそうなものは極力関わりたくない……とかいいつつ今日もどんな意見があるかわからない増田に来てしまっている僕なのだが……
自分の身を直接守る以外に体壊してまでやらなきゃいけないようなことなんか世の中にはほとんど無いよ。
大事な自尊心もお前なんか最初から大したことないから気にすんな。
逃げて迷惑かかる人もいるけどだからといって自ら進んで重石を背負うやつはマヌケというんだ。
こないだ慣れない土地で道に迷って、田んぼに行き着いた。
水が抜かれて畦が田の字型に見える田んぼを眺めて、
ああ俺はずいぶんこんな風景を見てなかったんだなあと気がついた。
うちの田舎の田んぼは、先祖代々いつから田んぼだったか知らないが、
今は埋め立てられて上に家が建った。
もう田んぼに戻ることはないのだろう。
原因は、「すり合わせ」みたいなことをダラダラやってるからだとうちのセンセーが言ってました。
そりゃ、「コミュニケーション重視」で物事を決めてりゃね。。。
アメリカ的に、論理論理で空気読まずにrationalに物事を決定していけば、もっと効率がよくなるのかもね。とくに経営者とか管理職とかが。
ほんとすいません注意しますんで許して
去年の2月頃の
頭のいい人が成功できるかどうかの境目
http://anond.hatelabo.jp/20070224120207
を思い出すわー。全然関係ないけど、話の流れがちょっとデジャヴった。修士卒と言ったからだろう。
そもそも話題が違うし、この人は文体が頑な印象を与える感じだったけど。
乱暴な言い方だけど、なんか分かる気もする。
どれだけ言っても結局「自分は論理的なんですよー」ってところに帰結しているからなあ。それをいいたいだけじゃないの、みたいなところはある。
きっちり定義しようとするとややこしいし、かといって漠然としたイメージだと、結局個人個人の経験に委ねられてくるしなあ。難しいわな。やっぱりそういう風に変にカテゴライズせずに個人を見よということなのか
すげー独断と偏見で滅茶苦茶な事を言うが、こういう奴を見るとどうしても
「俺ってば理系の研究者気質故にさ、そういう世俗的な事にもついついアカデミックに対応しちゃうんだよね。そうだよね論理とか考えた事もない愚民に対しては感情とか共感とかそういうレベルの低い動物的対応をしてあげないといけないんだった☆俺ってそういうところにあわせる能力がないんだよなー、研究者気質故に。タハハ」
これはまあ大げさに書いてるが、そんな感じの自意識が垣間見えてそれだけでイラっとくんだよな。結局お前、「俺って論理的で賢いでしょ?」っていいたいだけちゃうんかみたいな感じな。つーかぶっちゃけ昔俺がこんな感じだったからそれを思い出して重ねちまうのかもしれないが。あああの頃の自分マジ消したいわ
コミュ力絶対主義の世の中。空気を読まないと満足に金も稼げない。
俺、研究者以外向いてる職業無いんじゃないかって割と本気で思う。
でもそこまで頭が良くなかったことが致命的w負け組みwww
研究者にコミュニケーション能力が不要というのは完全に誤り。
わたしも駄目研究者なのでよくわかりますよー。お相手がメンヘラな彼女だったのなら、しょうがないという気もします。
わたしが、昔、大学院に進学したばかりのころ、論理論理とまさに中二病で、付き合いだしたばかりの彼女と喧嘩したりしたので、そういう感じなのかなあと勝手に邪推してしまっていたのでした。全然ちがいましたね。すみません。
ただ、自身でも認識しているように、世間的なコンセンサスというものを意識して、議論をする/途中でやめる/しない という切り替えを、もうちょっと柔軟にできたなら、いいんじゃないかなーと、お話を聞いた限りでは、思います。
あなたの場合は、相手の論理の穴をみつけてもむやみにツッこんだり追いつめたりしない手心、って感じじゃないですかねー。
あとはいつもニコニコして多少のゴマすりと根回しを厭わなければ良いんじゃないですかね。同僚と飲みに行くとかそういう、ありきたりなやつ。
でも最後は、隣人をどれだけ愛せるかだと思います。クリスチャンじゃないですが、ああいう考え方は大切だとおもいます。
女性には共感っていうか基本的に人間の話は共感が基本原則だよ、仕事上の話合いとかでもなければ
というか「共感」って言うからよくないんだろうな
共感というより、受け止める事が大事。たとえ意見賛成じゃなくても、受け止める事がね。
相手の意見に賛成じゃなくても相手の言い分をとりあえず受け止めると言う事が大事
それが「共感が大事」っていう言い方で伝えられているけど、共感が大事というとまるで反対なのにいつだって相手が何かを言えば賛成しなきゃいけないみたいなマイナスイメージがつきかねない。そういうことじゃなく、賛成か否かはさておき、相手の意見・感情・意思を受け取ってやる、ということが大事なわけでね。
それはお互い様だから「なんだよ共感してやったじゃないか」ていうのはちょっとな。多分君だってそう言う意味ではたくさん共感してもらって生きているんだと思うよ。人間である以上。ていうか現に今その増田に受け止めてもらっているでしょ。そもそも増田に吐露した時点で誰かに受け取って欲しい、この想い分かってほしい、ということの表れなのだから。別にそれは恥じることでもなんでもないしね。主張というのは概してそういうもの。分かってほしい、受け止めて欲しいから発するもの。そういう気持ちがないなら、そもそも誰も何も発しないし発する必要は無い。
最初に医者に行ったときわたしも同じようなこと云ったのまざまざと思い出した。
「好きなことも楽しいこともあります、大丈夫です」。医者は「ムリ。薬飲まないと死ぬ」て云った。プロは、クライアントの云うことを注意深く聴くが鵜呑みにはしない。一件冷静にしゃべっているような言葉の端々、顔つきや、全体の「雰囲気」の全体で診断しているはず。
>誰でもいいわけじゃないけど、迷惑だろうということはわかってるけど、そうやって依存したくなんかないんだけど、だけど。
甘えて、依存して、弱音吐いたらいいよ。弱くなったら、弱い人のことを許せるようになる。
じたばたすることで一時的に、周囲の人が減ったり、環境を変えざるを得なくなったりして、そのことが更に動揺を煽るかもしれない。けど、増田が、誰か他人の人生に責任を取れないように、他の誰かも増田の人生に責任を取ってくれる訳じゃない。残るのは自分自身だけだ。だから、目の悪い者がメガネをかけるように、脚を怪我した者が杖を使うように、人に、環境に、薬に、頼れ。そして、離れる人、変わるものを繋ぎ止めようとムリをするな、ただ「縁」だと思って行かせてやるといい。持ち直したときに、自分の居る場所、ともに居る人が、また見えるよ。だから命だけは落っことさないように気をつけて。
ていうか干物女ってよくわからんのだよな
多分さっきから言われてるのは干物女ってより「モテない系」って奴だと思う
干物女って言葉、流行りそうで流行らなかったもんね。だからいまいち干物女の方はイメージが流通していない気がする
あと実際には、その二つの中間層が一番多いんじゃないかという気もする。
痛いニュースで掲載されたRAG FAIRのおっくんのブログ内の2ch批判により、ものすごい数のトラックバックをされていた。
その中で、2chを匿名じゃないと何も言えない小さい人の集まりと批判しているブログがあった。
私は情報収集程度であるが2chを利用し、マスコミが隠している事も一般人のホンネも中には誹謗中傷も含まれているがとても重要な場所だと思っている。
なのでその批判したブログのコメント欄に、ウェブによって聞くことの出来なかった権力を持たない一般人の意見を共有できることを可能にしたと、2chを支持する旨のコメントを残した。
しかし、次の日の朝コメントは消され、「ブログとは関係の無い意味不明なコメントがあり今後は承認制にすることにしました」と書かれていた。
確かに長文であったし、馴れ合いコメントが並ぶ中で堅苦しいものだったのかもしれない。
だが、ブログをトラックバックすることも、公開することも他人と情報をシェアして意見を書き込む事がブログの楽しみと思っているので、真剣に書いたコメントを意味不明とみなして被害者面するのがどうも気分が悪い。
ブログの管理者は女性の様で、それにかわいそうだと励ます男のコメントが並ぶ。
2chの批判をした後に、「自分の発言に責任をもて」と書いた投稿者が無責任ではないか。
私は2chを一括りに気持ちの悪い集団と見なすこの人に、2chだからこそ可能になったことを伝えたかったのだ。
権力によって無視をされてきた弱小者に武器を与えて、政治はともかく企業に十分の圧力を与える事ができたこと。
仮に2chを実名制にしてみよう。それはウェブを殺したも同然である。
実名にすれば、いいたい事は現実社会と同じで言えず、現実社会がモニター画面にうつっているだけでまったく魅力がない。
ってよく言うけど、それは多分、女子が「このタレントカワイイ」「このグッズカワイイ」「この子カワイイ」って言ってるのを見て、「えっ?!何?!全然可愛く無いじゃん」と思うことによってこの言葉が生まれてくるんだろうけど、それはなんか違うんじゃないかと思う。
男「え?何?全然可愛くないじゃん」→「女って本当に可愛いものにはカワイイって言わずに微妙なものに言うんだ」とか思うんだろうけどそうじゃなくてそもそも男がかわいいって思うのと女がかわいいって思うものが違うだけなんじゃないのかな。多分ほとんどの女は別にそのまま本気で可愛いと思ってるだけ。男から見たらそれが可愛くないだけ。逆の現象もあるよね。男がかわいいっていう女性タレントとかアーティストとか、「えっ?かわいいか…?○○の方がよっぽど可愛くね?」みたいな。
男がかわいいって言っても女から見るとあんまりかわいいと思えないというパターンだと、割りとそのまますんなり「男ってああいうのが可愛いって思うんだ、変なの」とあくまで「自分達と感じ方が違うんだ」というところに落ち着きがちだけど、その逆の場合だと、「女ってああいうのが可愛いって思うんだ、変なの」じゃなくて「ああいうのが本当に可愛いなんて思うわけない。ていうことは女はウソを言っているんだ。女怖い!」みたいになってしまいがち。
それは、男の場合可愛くないものを可愛いと言って自分の好みを偽装する意味が、特に感じられない(まだ女側の好みに合わせるとかならわかるが合ってないわけだから)のに対して女側が本当は可愛くないと思っているものを可愛いと言う事には、男側から見ると、意味があるんだと思われていることに起因する気がする。
何故『「女が、可愛くないと思っているものを可愛いという事」に意味がある』と男側が思いがちか、といえば、それは多分、「女同士の友情って陰湿らしいぜ」「女はすぐ同性に嫉妬したりするらしい」「女同士好きなもの合わせないとハブられるらしい」とかそういうイメージを男側が持っているからなんじゃないかなあと思う
可愛くないけどカワイイーって言うことによって、周りの子と合わせるとか、女は嫉妬深いから、自分より可愛い子は褒めずに下の子だけカワイイというとか、そういう陰湿なイメージから来るんだろう。
そして「女子が言うかわいいは信じるな」という言葉ができ、またこれ自体が女の陰湿性を言及する言葉となる。
ほとんどもう、「女はやはりそうやって陰湿で友情ってもんもないに等しいんだ」という結論ありきなのだ、たぶん
もともと男の人って「女同士は陰湿」論が何故だか大好きだからね(一般にね一般に)。そしてそういう男に迎合されるためわざわざ「ええそうです女同士って本当陰湿で」と身売りする女子も時々いるから余計に歯止めが利かなくなっている。なんか必死に「別に陰湿じゃないよ!」とか言うと逆に「必死だなw」になるしね。
でそれで何が言いたいのか、男叩きたいのか、って言うと別にそういうわけでもなくただ単にこういう理屈なんじゃないかと思いついたからしたためてみただけでたいした意味もないんだけど……まぁ
「(俺らの感覚と女子の感覚は違うから)女子が言うかわいいは信じるな」っていうのもあるんだろうけどその文脈で使っている人はまず見た事が無いしなあ。