はてなキーワード: やりたいこととは
この歳になるといろいろな結婚式や結婚披露宴に招かれるけれど、とある披露宴を超える披露宴には出会っていない。
・写真は新聞社に勤める新郎の同僚が担当。(これがさすが報道写真を撮り慣れているだけあって、印象的な撮りかたなんだ)
・ビデオ撮影は金銭的な理由か、なし。
・お色直しもなし。
・新郎がかつて参加していたバンド(メジャー)による生演奏あり、新郎の親族(某交響楽団某楽器第二奏者)によるソロ演奏あり、果ては新郎新婦による協奏あり。
思わず失笑してしまうような臭い大演出もなかったのに、10年以上経っても内容を覚えている、それだけでもすごい披露宴だったなあと思う。
新郎側に普通ではなかなか得がたい人脈があったおかげなのは否めないが、「これ、いくらかけたんだろうねえ」と思うような披露宴に出会うたび、つい、この披露宴と比較してしまう。
金をかけても、中身が伴わなければ、意味がないんだよねえ。次の日には、新郎がどんな生業の人だったかとかなんて、ぽかんと忘れてしまう。
これから結婚する人々よ。特に私が出席しないといけなさそうな同僚たちよ。ぜひ、ウェディング業者に惑わされず、ご自分のやりたいことを心置きなく表現なさり、かつ招待客にも楽しい、思い出深い披露宴にしてください。いやほんとお願いします。今まで、そしてこれからも招待される側でありつづけるだろう人間として、お願いいたしますです。
最近ようやく夢が決まった。というより職業選択。何にもしたいことのない私だし、
フリーターになろう、で30辺りになって両親を看取ったら死のうって思ってたんだけど、
やりたいことが判ったら、それを実現したくなった。
皆が楽しい気分になれる場所を作って提供したい。
荒削りすぎて子供みたいだけど、そういう職業もあるみたいなんだ。
だからそれになりたいと思った。資格を取りにいく。それで、就職活動に備えようって。
今まで、皆の目を楽しませるのは目の力。だから目ってのが一番インパクトでかいって思ってた。
でも最近それもまた違うよなって思い始めた。目を持ってない人も楽しめるようにしなきゃって。
私の好きな人は色覚異常。だから私が「あの色綺麗」っていった途端に無言になる。
どうすればこの溝が埋まるかなって、時々思ってた。
一緒に生きるなんて無理なのかな、って。でもそれは違う。
目を持ってないなら、耳に訴えられるように。耳を持ってないなら目に訴えられるように。
どちらも持ってないなら、感覚に訴えられるように。私はそんな場所を作る人になる。
萌えは世界語であって、翻訳される必要がない。そこでは、魂が、魂に話しかける。
自意識でがんじがらめになっているような印象。
君は君のできること、やりたいことをやればいい。
ギャル男になりたければなってみればいいし、勉強をしたければ存分にすればいい。
大学は試行錯誤するための猶予期間でもあるんだから。
っていうかね、時間の流れ早すぎ。
だってついさっきまで日曜日だったじゃない!それがどうして、明日がもう日曜日なのよ。っていうか、どうみてももう7月です。ほんとうにありがとうございました。
俺の過去の栄光とか、あのときはつらかったとか、そういうのにしがみつくのはやめよう。
web収入で暮らしていけるとか、女にモテモテだとか、そんなのは妄想だけしててもかなうはずは無いんだ。
もし本気でやろうっていうのなら、きっちり計画たてて、タスクを細分化して、実際に行動して、フィードバックして、なにがいけなかったのか考えて、それももっかいやって、何度でもやって、少しずつ成果が出てきては一喜一憂して、挫折したり、無理だと思うことが何度もあっても、それでもトライし続けて、
それくらいやってようやくやりたいことってできるんでしょ。
俺はまだ何もやってないじゃん。そうでしょ。
他人依存のタスクが多くて、しょうがありません、なんていいわけしてる暇があったら、メール一通でも遅れ。来週の課題前倒ししてやれ、本を1ページでも読め。人と会え。
2ch見るな。ニコニコ見るな。mixi、メールチェックは1日1回か、隙間時間に携帯チェックで十分。
というか、PC起動するときは、目的をもってやれ。買い物と一緒だ。何より時間を無駄にするな。
時間の大切さを知ってるくせに、いつも時間が足りなくなるくせに、それの解消の仕方もなんとなくはわかってるくせに、実行できない。
なんで。
A1.時間を有効に使う、仕事したり勉強したりはそもそも苦痛なことだから。
A2.まぁなんとかなるやとタカをくくってるから。時間の見積もりが誤ってるから。
そういえばシゴタノに載ってた。
●端的に言えば、未来というのは理想に過ぎない
●食料の買い置きがあり、
●天気は晴れで、
●ミーティングは予定通りの時刻に終わる
●と思い描いている
●しかし、"コト"は起こる
●未来は常に複雑さを秘めている
●今日できたことが明日も同じようにできるとは限らない
これ暗誦しろ。
とにかく今を生きろ。そなたは美しい。
反骨精神というのは、やはりささやかにでもあった方がいいのだろう。
状況に流されることなく、己のやりたいことやるべき事を貫く骨っぽさ、それは時には必要なことだとも思う。
だから得てして、そういう反骨心旺盛な人は「御上」のやることが基本的に気に食わない。
まぁ、確かに政府だの官僚だのに押さえ込まれたまま、何もせずに無抵抗な犬になってしまうと言うのも、気分が悪い。
そういう自分になりたい、とは確かに積極的には思わないだろう。普通
だけども、時折思ったりするんだ。
「相手が御上なら人間じゃないんだ!」っていう「差別心」で反体制を貫いてる奴もいるんじゃないか?と。
強者が弱者を差別することは出来る。一般的にはこう言うのを「差別」として取り上げるモノだが
もちろん逆も可能なのだ。精神的には。下手をすると、物理的にも。
「上にある」と思っているモノを、心の中で下に引きずりおろして、感情のままに罵倒する。
それは確かに気持ちいいだろうとは思う。でも、その快楽を得る過程に、
非常に気持ち悪いものも同時に感じる俺は、政府に去勢された無抵抗な犬なんだろうか…?
物事、何事にも節度ってのを持ちたいモノだと思う。
今でもやっぱり文系就職戦線は男子に圧倒的に有利で、体育会系で物怖じしないタイプの男子学生には少々の学歴差などモノともしないアドバンテージが与えられる。性別フィルターに比べたら、学歴フィルターなど取るに足らないレベルだといっていい。だから女子は理系(特に工学部)に進むべき。理系の就職戦線は文系に比べれば緩いし、世間の人が思っているのとは逆に、理系の方が男女格差は少ない。文系のように何度も何度も体力の有無を聞かれることはなく、就職面接の場で親の意向を確認されることもない。ただし面接ではあまり女っぽいところを見せてはいけない。そんなの四年間の男まみれ生活ですっかり擦り切れました、という空気をかもし出さなければならない。しかしそれはあんまり難しくないので心配しなくてもいい。ちなみにパンツスーツだと受けがよい。女子生徒の理系離れだとか何とかとか、理系の女子生徒数が増えないだとか何とか、色々言われているけれど、女子こそ後の厳しい就職戦線を睨むのであれば、専門知識という武装が必要になる。だから致命的なまでに数学が苦手だとか、他にどうしてもやりたいことがある、というのでなければ理系の、できれば工学部、さらにさらにいえば、機械か電気に進むとよい。それはきっと就職や後の人生で色々と武器になる。そして何かを作る仕事というのはとても楽しい。
弟が突然高校を辞めたいと言い出した。
「なんのために勉強しているのかわからない」んだと。
途方にくれた親が、俺に電話してきて話をしてくれと頼んできた。
とにかく面食らったね。だって俺は「なんのために勉強するのか」なんて考えなかったもの。
勉強は勉強のためにするものであって、少なくとも高校生までの勉強なんか、「世間を読むための最低限の知識」を仕入れるための物だと思っていたから。
例えて言うなら機械を作るためのネジだけ見て「これがいったいなんの役に立つ」と考えるようなものだ。
単体で役に立つわけが無い。パッと見はつまらないものに見えても仕方が無い。
息をすることに疑問を感じる奴は居るのか。
というのは後から考えた理屈で、そのときはすぐには出てこなかった。
ただ高校辞めたって何が出来るわけじゃないことは判ってたから、とにかく辞めさすまいと思った。
しかし頭ごなしに言ったって溝が深まるだけだろう。だから「辞めてもいいよ」と言った。
ただしやりたくないから辞めるというんじゃダメだ。やりたいことがあるなら辞めろ。
それだけしか言えなかった。
電話を切った後も自分の言ったことが正しかったのか判らなかった。
なんかもっと雄弁に語れたんじゃないかと、弟の言葉を何度も自分の中で反芻した。
それが数年前の話だ。
結局彼が高校を辞めることは無かった。俺の言葉のおかげだとは思わないけど自分なりに何か考えたのだろう。
もしかすると本当は辞めたくなかったのかもしれない。就職もして俺なんかよりバリバリ働いている。
しかしあのときの疑問と衝撃が俺の中から消えたわけではない。
人生の蹉跌はどこにあるかわからないし、自分でなくても自分以外の人間から問いかけられる事だってある。
俺は答えを知っておきたい。
次の問いかけには自信満々に答えたいんだ。
[タイトル]ゆとり教育はブッ飛んだ思想を持った少年少女を育成するためのプログラムだと期待していた。
ヤンキー先生とかオール1先生とかどーでもいいからやりたいことだけやらせろ、そういう教育をしてみろ。
なにがゆとりなんだよ、結局のところ学力は全国統一テストでしか計れないくせに。
個性がどうこう言うなら同じ教室で同じ時間を過ごさせるな。
規律を守らないやつを叱って何が個性だ。
数学が好きなやつに何で歴史を教えてるんだ、その時間で極限とかやらせてみろ。
外国語が好きなやつに何で生物を教えてるんだ、その時間でバイリンガルに仕立て上げろ。
http://d.hatena.ne.jp/hmori/20070616#p3
ブクマコメに反論しつつ「ブクマコメに反論できないのが問題なんだ」とのたまう高度な芸を見た。
この人が問題視しているのはなんだろう?
1. 批判してきたブックマーカーが、その反論を読むとはかぎらない
2. 批判的なブクマコメを読んだ観客が、その反論まで読むとはかぎらない
この2つのどちらかだろうか。
やりたいことはなんだろう?
1. 批判してくる人に対して直接的に反論を読ませたい
2. ブクマコメントを読んでいる観客に、あわせて反論も読ませたい
解決するにはどうすればいいか?
今自分がもっともやりたいことが出来ていて職場の上下関係はお金の絡まないそれと同じで人の役にたつ気がない俺は
レイプ犯罪をするような奴はペドフィリアもペドフィリアじゃないも関係なく「強姦魔」と呼ぶべきなんです。
だからそりゃまあ、ペドフィリアの中にも強姦魔はいるかも知れません。
非ペドフィリアの強姦魔がいるのと同じようにね。
被害者が幼い場合は精神的苦痛も大きいという理由があると言われますが、
何だかレイプしちゃうこと前提の意見ですよね。別に、しなけりゃいいんでしょう。
そして実際大多数のロリコンの人は虚構や何やらで発散することで致命的逸脱を予防しているわけですよ。
というと今度は「初めから欲求がなければ、そもそも我慢する必要はないし危険値もゼロだ」となるんですな。
デモソ・レッテ、人間の理性とか品性とかを丸っきり信じていない物言いですよね……。
やりたいことを、それでもあえて抑え込む力、それを倫理と呼ぶのだと思います。
ヨース・ルニ、煙草なんか大嫌い吸いたくもない、だから吸わない、という人よりも
本当は吸いたいけど家族のこととか健康とか「考えて」あえて吸わない選択をしてる人のほうがより倫理的だよね。
でも理性を信じない立場に立つならば、いっそ脳をいじって「そもそも煙草の臭いを嫌うようにする」のが最短/最適解ということになるのかしらん。時計仕掛けのオレンジかしらん。