はてなキーワード: リアルとは
あのお医者さんのニュースで思い出したけど、昔つとめてた介護施設で、そこは大企業の系列なので自分の職場とは違う施設での出来事として伝え聞いた話で、そこに新卒のただの現場のヘルパーとして入社した人が、2年かそこらで「特別に優秀な業務内容」とかで一気に役員まで異例のジャンプアップをして、そのまま20代にして全国の施設のうちの一地方、数百施設とかを束ねるマネージャーになったことがある。その人は自分の職場にも視察とかで何度も来たし、運営のことで何度か話したりしたけど、別に特別に知識や才能を感じるわけでない、介護のお仕事や相談援助業務的な意味での適性は本当に普通の可でもなく不可でもない、ただただビックリするほど態度が大きいだけの兄ちゃん、と思ったのを覚えてる。そもそもこういう仕事で1年や2年で何をしたら「特別に優秀」と認められ異例の昇格とやらができるのか謎だし、ホントにこの人は何をしてこの立場とこの態度になったんだろうな、と思ったりした。
のちのちその人は大きな病院の家系の人のご子息的な方で、企業としても病院としても「太いパイプを持つ」という意味合いの強い人事、つまりは異例の評価や人事というのもそういう事、というのを伝え聞いて、なるほどと思った。現代にそういう形の人生、リアルにまだあるんだなとも思った。
まあそれがあの病院だったんですよね。あそこそんな話ばっかりだな。
いろんな専門家がここにおるのが良いことだ リアルにこんな人と出会えないもん リアルの知人は精々アニメ監督とか大手ゼネコン部長とかヒキヒート無口美少女とかジオゲッサー地理オタとか吹雪クライマーくらいや
即非表示にした
お嬢様ずんだもんやピクニック女を叩いたのって金のかかる趣味を持ってる夜職女って言ってなかったっけ?
あたしは努力してるのおおお!!って自認のある“強い女”さんはゆるく生きてるモサい女が大嫌いですぐいじめに行くのはネットじゃなくてもリアルでもよくある話
だったのが気が付いたら急に「ネットで女を誹謗中傷するのは喪女」っていうことになってるみたいで草
女を救う活動をしているはずのフェミおばさんからはいじめられ男からはいじめ加害者ということにされる喪女
そのことについてフェミおばさんってどう思ってるんだろう?知らんぷりしてるけど
というか喪女の定義変わった?大枚はたいてホスト崩れの男とヤりまくったりパパ活で銀座とかで肉寿司食べたり整形して鼻や顎をとんがらせ爆美女を自称する女とか
精神障害があるのに子どもを2人産んでしまい育児に追われストレスで攻撃的になってるとかそういうのまで喪女にされてる?本質的に満たされていない女の総称になった?
嫌いな人とも波風立てないために表面上は仲良くするのは男女ではなく社会で生きる人間として当然の対応では?
あなたの語る”男”とはあなたの頭の中に存在している「男ってこういうもんだよね(理想)」であってリアルな男性とは異なる何かでは?
生身でコミュニケーションするとどうしても自分の年齢も意識することになる。
眼前の相手の年齢と、それに対して自分がどう思うかを通して自分の年齢を嫌でも考えてしまう。
生活習慣を改めて健康診断の数値を維持していかなければいけないことぐらいは諦めるし、転職がもう厳しい年齢になっているからこのままこの職場かせいぜい同じレベルの同業他社に骨を埋めるしかないことも諦められるんだが、それ以外の部分についてまで年齢を感じたくない。
たとえばツイッターやDiscordで今月のワールドトリガーについて「閉鎖訓練ってさ、やっぱ◯ックスしないと出られない部屋っぽいからエッチだよね。あんな空間に女子と閉じ込められてオナニーも出来ない状態でよく発狂しないと思うわ」みたいなことを語り合ってる時に、自分にもワートリキャラと同じぐらいの年の子供がいても既におかしくないことについて考えだしたら、なんで自分の子供ぐらいの相手にエッチだなんだ言ってるんだろうと死にたくなってしまうだろう。
でもそこがネット空間だったら、自分も相手もアイコンやアバターの裏に実年齢をうっすらと隠すことでなんとか直視を免れる。
つーかそこがコンカフェだろうがこんな会話を童貞のオッサンたちが集まってしているのを見られたら通報されてもおかしくない。
だからもう俺は生身で誰かと話したくないんだよ。
休日にダラダラとチャットサーバーに居座って「もういっそオフ会とかでよくないっすか?」みたいになったとき、俺は自分が離島に住んでいるという設定をいつもぶち上げている。
とにかく俺はもう生身で誰かと会話したくないんだ。
ここで俳句の解説するとボロクソ言われるのが落ちなので、リアルで相談した方がいいよ。
…というのは、俳句は滅茶苦茶コンテクスト(文脈)に依存する芸術だからだ。短歌31文字が対決的な文化(歌合せとか)を成立させてきたように「向き合う他者」に言葉を届ける能力をもつのに対して、俳句は仲間内のような座の中で成立してきたように「コンテクストを共有する仲間」の間で盛り上がるタイプの道具であり、背景となる文化文脈を共有していないことが多い現代社会(特にネット上)では、説明したところで、「そうとは限らないのでは?」みたいな突っ込みが山ほど入るのが目に見えてる。「なんでそう言い切れるの?」「必ずしもそうとは限らない」etc……いやうるせえわ。俳句ってそういうモンなんだから仕方ねえだろ。
それを踏まえた上で、可能な限りの解説をするぞ。長いので暇人向けだ。ちなみに、調べて作者名見て「あー」(嘆息)と声が出そうになってあと調べるのはやめた、から、ほぼ推測のみで書く。まあ、ちょっと古い昭和の俳句だわ、くらいに思いながら聞いてくれ。ちなみに、俺はこの句、一読して「短歌的な俳句だ。それだけに、短歌増田が感心したのは分かる」と感じた。俺自身は、こういう俳句は作らないと思う。理由は後述する。
「ここで昼餉(ここでひるげ)」
初手から6字で字余りだ。字余りについては今更説明しないが、基本的にはあんまりやらない。なぜなら、基本的にはリズムを壊したり重たくしたりしてしまうからだ。わずか17字でつくる詩で、およそ1/3のリズムが崩れかねないというのは、かなりオソロシイことだ。逆に言えば「その危険を押してでもやりたい」と作者が判断したときだけ、リスクを背負ってやる。素人にはあまりお勧めしない手法だ。さて、作者はわざわざ字余りをして、「さあ、この辺(の場所)で昼飯にしようかな」というメッセージを伝えているわけだ。何とも人を食った話だが、昼飯の場所が決まっていないということはこの人が日常の中にいるわけではないことを暗示してる。まあ、単に定年で暇になって毎日あちこちの公園やらデパートやらで飯を食ってる爺さんという可能性もゼロではないが、後で出てくる夏という季節にそんなことをする爺さんもあまりいないだろうから、ここで作者はそれなりに若く、夏の最中に野山を歩き回っていると推測される。これで一気に「作者の年齢、場所、状況」に関する情報が得られるのだから、字余り使った値打はあると言えばあるが、それ以上に作者がここであえて句のリズムをもったり重たくさせたのは、「いい年したおっさんが夏の昼間にハイキングしてる」という「のんびり感」を演出しようとしたためであるかもしれない、とも推測される。その意味では、この初句、のんびりして見えて人を食ったような、それでいて計算もあるやり手の初句だ。ちなみに、この初句、体言止めで切れる。俳句はやはりどこかで「切れる」ことが推奨されるが、それは句の焦点をはっきりさせるためだ。句切れの前に焦点があるか、後にあるかはケースバイケースだとしても。
ただ、それにしても「ここ」が山とか自然の中、は分かったが、どんな場所なのか、また、ここで昼飯にしようと思ったのはなぜか、作者はいまどんな気分なのか、とかは分からない。それは、続く部分で種明かしされる。(よって、ここでは句切れの後、つまり「種明かし」パートが句の焦点だと考えられる。)
「真赤な夏の/花佇つゆゑ」
最後に「ゆゑ(故=理由)」とあるが、普通に考えたらこれまた俳句では普通やらないおきて破りである。句の中でこういう「理由の明示」みたいなこと、ダメだろ普通。なぜかというと、基本的にカッコ悪いからだ。たとえば「閑けさや岩にしみいる蝉の声」を、「蝉の声岩に染むゆえ閑かなり」とかやったら、なんかいろいろ台無しだろう? ネタ晴らしというかなんというか、たとえそういう意図を込めていたとしても、言わずにそこを感じさせて感心させるところがさあ、まあ句の仕掛けなんだから、答え言っちゃったらもう何かダメじゃね?とふつうはまあ思うんだよ。でもこの句はもう少し進化した句で、理由を言っちゃった上で「え?それが理由になるん?」と読み手に突っ込ませることを狙った作品なのだな。突っ込みさせた上で、「え……理由…?………になるんか、…ならんこともないか、うーん、なるほど」みたいな。最初ののんびり路線がここで効いてくるわけだ。作者は「それが理由なん?」という突っ込みに対して"のんびり"という姿勢をとることで「それが理由ですが、何か?」と返してきているわけだ。そうやって自信満々に言われるとなんかこっちが間違ってる気もするし、そう言い切られたらそうかなあ、と少し納得感がないでもない……と思わされた時点でもう作者の術中に落ちているのだ。この作戦、小難しく解釈しようとする人であればあるほどハマる。
もっとも、そういう、突っ込みさせつつセルフ納得もできる「微妙な線」を狙うのはなかなか難しい。だから、それを実現させるために作者は2つほど仕掛けをしてる。
一つは「真っ赤な夏の花」だ。これ、普通なら夏に咲くその花の名前を入れる部分だよな。たとえば朝顔ならアサガオ、向日葵ならヒマワリ……だいたい花の和名なんてそんな長いものじゃない。少なくともただ花それ自体を指すのに9字も使うのって、俳句始めたての人の句なら真っ先に直されそうな部分だ。でも、その上でだ。聞いてみるけど、この花何だろうな? 日本の、ハイキングで行くような野山に、真夏に「真っ赤」な花なんて咲いてるか? あとで「たつ」という言葉がある以上、人の背丈程度には高さがあってすっと伸びた草花だ。さて何だろう? 作者の答えは「知らん!」だよ。知らないから「真っ赤な夏の花」なのだ。おいおい、そりゃねえだろ、と読者に突っ込ませておいて、そこで作者はぬけぬけと「だからここで飯にするんだ、悪いか?(ニヤリ」とやってくるわけだ。無責任に適当にやってるように見せながら計算もあり、でも基本的に楽天的で天衣無縫な語り口の句だ。それが初句の「のんびり」加減と相まって、この句に独特の雰囲気を醸し出していることは否定できない。なんだったらここで笑い出しちゃうような面白みがある。
二つ目は「佇つ」だ。学のある人をこれで引っ掛けようという腹だ。この字、音数から考えれば「たつ」と読ませているのだろう。だがこの字に原則として「たつ」の読みはない(少なくとも家にある広漢和辞典(全四巻)でみる限りはない)。一般的な読みは「たたずむ」で、じーっと立っている、という意味だ。「たつ」に宛てたのは、その意味を合わせて感じさせたかったからであろう。花はいつまでもじーっと立っているのだから、人間が「立つ」のと同じ字でない方がいいんじゃありませんか、というか、「佇む」には途方に暮れて立ち止まる、みたいなニュアンスも漂う。何か、その夏の花が所在なくじっと立っているので、仕方なくしばしのひと時を一緒に過ごす、みたいな感じだ。なんだろう、ひょっとしてこの「真っ赤な夏の花」というのは、山道を歩く途中で一緒になった、真っ赤なサマードレスを着た女性か何かの比喩なんではないだろうか、みたいな、そんなちょっと色気みたいな解釈・深読みが(実際、俳句読みはその手の暗喩、創作をよくやる)この「佇」一字から立ち上ってくるのである。そうなると、花の名前が特定できなかったことも、何だかそのための仕掛けであるようにすら見えてきて、うーん、と悩まされるのだ。当然、そこまで考えての、このルール違反の用字である。
結果、山歩きの途中花の下で飯食うかあ、というだけの句が、俄然ストーリー性、物語性、ロマンスの色彩まで帯びてくる。が、もちろん現実にはそんなことはないのであって、実際ただ飯をくっただけなんですけどねー、という緩い種明かし(そもそもそんなロマンスが勃発したら俳句なぞ作っている暇はないので)を前提に、その幻想を楽しむ、そんな句ということに落ち着くわけだ。
そんな風に、この俳句はなかなか外連味(けれんみ)のある、仕掛けとイメージてんこ盛り、物語調の俳句で、実に面白いと言えば面白い、一般的な俳句の目指すところとはちょっと外れた句だ。一般的に俳句はもっと、瞬間的、即物的、断片的に風景を切り取るのが基本なので、まあ普通は「季語+感情」でつくるとこから始めるのが適切だろう。この句も、山道で赤い花に出会った瞬間の感情を句にしてると言えなくもないが、それにしてはいろいろな仕掛けが人を食っていて、また、無用に物語調で独特だ。一般的な俳句なら、たとえば「握り飯ハイビスカスの色に染む」とかでいいわけだが、この句はその瞬間の風景以上に、遊び、のんびり感、山道を歩いてきてよいしょと腰を下ろすそのしぐさ…からああ花がきれいだな、という一連の感情を全てこの一句に込めようとしてるのだ。これを17字でやるのは、本来かなり無理筋なので、普通はもうちょっとワンショットに切り分けようとしたりするか、あきらめて短歌にいくかするだろう。その無理をやってる(そして、そこそこ成功もしてる)のがこの句の面白いところで、たぶん短歌増田が感心したところなんじゃないか。
まあ、こういう句、狙って作るのはなかなか難しい(ちなみにこの作者・中村草田男は、こういうのをやたら作るのだが、ひどい失敗も多いので有名な人だ)。そういう意味でも、まあなかなかない句ではあると思う。あと、何も知らずにいろいろ書き飛ばしたので、もっと知ってる人から突っ込み入れてもらえたら感謝する。
漫画家の汐街コナ氏は、以前SNS上で「永井豪の漫画が原因で、現実でもスカートめくりなどの性加害行為が発生した」という、永井豪先生に対して批判的なポストを行っていました。
https://twitter.com/sodium/status/1612993220979621888
このポストをした汐街コナ氏は、ネット外のリアル環境の場において、永井豪先生の殺害を示唆する発言を行っていました。
申し訳ありませんが、こちらの身バレ防止のため、場所・時間・状況などは伏せさせていただきます。
・永井豪がハレンチ学園を描いたせいで日本中に性加害が蔓延した、許せない。
・タイムマシンがあったら過去に戻ってハレンチ学園を描く前に永井豪を殺しに行く。
・永井豪が拡大させた性被害者の規模の大きさを考えたら、私達側が永井豪を殺害しても正当防衛は十分に成り立つ。
言った証拠はあるのかといわれたら、私が実際に見聞きした、としか言いようがありません。
前述のように身バレを防ぐためどういう状況下であったかは詳細に書けません。
永井豪先生をどうやって殺すか、というような会話を笑いを交えて話す人に、自分に身元を知られるのは恐怖でしかないからです・・・
そのうえ、なんか相手に理解されなくて、ひたすら自分はごめんなさいしていた
なんで電気回路の説明をしたのか、そもそも回路図間違ってた気がするし、なんなんだろう…
考えてみれば、夢の中での自分は、リアル自分とはまったく異なる判断してたりするし、
起きてから考えてみれば、あんなことするはずないんだよなあ…、と思うのだけど、
夢の中の自分は正常な判断ができていないのか、間違った判断を平気でしてたりする
なんなんだろうな
オカルトでもなく、漠然とした記憶を整理してるみたいな説明でもなく、
夢の仕組みを明快に説明してほしいよ
考えてみれば、AIが生成する絵をAIが見ている夢と表現してた気がするけど、あれも言いえて妙だよな
キャバ嬢?の夢は三度寝ぐらいで、
一度寝の夢は、街でバスを待っていると、三階建てぐらいの巨大なバスが二台連結したやつがやってきて、
なかは人が満員で乗れないので、諦めて近くの巨大な店舗に入ると、
なぜかアメリカっぽい学校の教室にいて、話が全然つながってないし…
二度寝の夢は、高い場所でジェットコースターだかロープウェイだかを待っていて、
なぜかやっぱり手すりがない、このパターン多い気がする…、ので、下を見ると怖いので必死で階段にしがみついてた気がする
なんなんだろうな
注: 「True Skate」にはスケート パークが 1 つ付属しています。他のコンテンツを入手するにはインアプリをご購入ください。詳細は下記をご覧ください。
特徴:
インアプリを購入して入手: (「トゥルー クレジット」を使用すれば同じコンテンツを無料で入手することも可能です。「トゥルー クレジット」はトリックやミッションを通じて獲得します)
ほとんどの学会はオンライン開催からオンサイト開催に戻ってしまった。ポスター発表が盛り上がるような良いシステムがないので得るものが減るし学生の未来がひいては学問の未来がヤバイのが理由である。
「学会も全部オンライン開催でよかったのにみんなオンサイトに戻った」のを不満に思っているのを確かGW前の増田で見た気がする。
まあ学問を仕事にしている人ならわかっているが、私は仕事にしている人ではないし、ここは増田なので書いておく必要があるかもしれない。付録にして後ろに置きたいが先に書いてしまおう。
コミックマーケット準備会とコミックマーケットに対応しているようなものだ。コミケットを開きたいから準備会を設立する必要があったんですね。
ただ、両方を指して学会って言ってるようなもんでなんでそんなめんどくさいことになってるのかは私の分野ではないので知らない。日本語関連の先生に聞いてください。
新型コロナウイルスcovid-19が流行り始めて対処も良くわからない時期があった。今なら換気してマスクしてワクチン打って手洗いうがいをすればかなり抑えられることがわかっているが、2020年、ダイヤモンドプリンセス号が魔界の船のような雰囲気を出していた時点ではそうもいかなかった。
というわけで現地開催が無理になり、急遽学会中止にしたり、スポーツで言う無観客開催のように予稿集に載ったことで発表したことにするね!現地には来ないでね!といった対応をとったりした。全部未発表扱いにした学会はあったのかな。私は知らない。
病気への対処は全然わからない時点でも、学会を開催する側は来年の開催を考える必要が出てくる。学会の準備って9か月前ぐらいからやってるんで。なんなら会場の予約は1年前にしとかないといけないんで。
そこで注目されたのがオンラインである。結構昔からオンラインで会議できることは知られていたしZoomは急速に普及した。それにyoutubeの動画でイベントや講義の動画を発表したりするのは以前よりよくやられていたから当然の帰結である。
vimeo使ってもいいし、youtube使える場合だってあるし(学会計画時点でだれでもyoutubeliveできたのに計画中にチャンネル登録が一定以上じゃないとできなくなって慌てて違うのを探したという事件を聞いた)、ニコニコだっていい(参加有料の学会をニコ生でやったのは知らない。一般向けの講演ならやってるのは見た)そもそも動画とっといてUPしてもらえば何とでもなる。
そんなわけで2021年から既存の学会がたくさん、オンラインにいったん移行した。
これはある程度うまくいった。講演や口頭発表のように、広い会場で一人が発表して、司会がほんの少しの質疑応答を仕切るスタイルだと、質疑応答がオンサイトよりやや盛り上がらないぐらいでほとんど問題にならなかったのである。なんなら質問はテキストでのみ受け付けて司会が代読するスタイルにすると演説始めるような変な質問者をはじけて最高。それに住んでいる地方に関係なく参加が簡単だし、おまけに講演者に外国で活躍している人を旅費なしで直接呼べちゃう。さっきまで動画でしっかり講演してた先生がリアルタイムの質疑応答になったらコロナで息も絶え絶え熱が下がんねえよって言いながら回答してたのは不謹慎ながら未来を感じたりした。
ところが大きな問題があった。懇親会とポスターセッションである。
あんなん飲み会じゃんと思う人がいるかもしれないが、基調講演するような偉い先生に対して講演の質問をできる機会というのは貴重である。懇親会に出てくれるから細かい質問は後にしろって講演の時に質問ぶった切られたりするしね。それができないんなら全部質問させろってことになりかねない。
それにそういう質疑のサブセットがフラクタル状に起きてるのが懇親会なのである。
でもまあ非常時だから仕方ないよね疫病だもんねっていうのでまあ納得できるぐらいのダメージではあった。
ポスターセッションというのは、会場に模造紙サイズのでかい紙を貼れる板を何十枚か用意して、そこに研究の成果を貼って、来た人に研究の説明をして、来た人の質問をもとに議論するっていうセッションである。
すげえよな2024年なのに板に紙貼ってるんだぜ紙。布もあるけど。私は全ポスターがモニターやプロジェクターになった学会は見たことない。多分お金と土地と電力が足りないんだと思う。
オンライン学会のポスターセッションではいわゆるZOOM/WebEX/Teamsみたいな会議ツールがよく使われた。Zoomのブレイクアウトルームでよく参加したなあ。わーい紙じゃない未来が来たぞ。
これの問題としては
などがある。
あとはoViceみたいなオンラインオフィス系統もあった。オンライン会議に比べると比較的質疑し易くはあるんだけど、一方これだけで学会しようとするとこの形式は講演がやりづらいとか資料が見づらいという問題がある。
どのシステムでも質疑応答が盛り上がらないし、質問する方は回れるポスターが減る、質問される方は場数が踏めないし、質疑応答から生まれる新しい発想なんてのも生まれてこない。
結局、多人数が発表していてさらに多人数が質問するけど質問者は発表者一人一人の声がクリアに聞こえなくちゃいけなくて、なおかつ空いた発表がどこなのかわかりやすいツールはまだ出てきてない。
そりゃVRChatの部屋みたいなところでポスターセッションできればいいと思うよ。でも同時に2百人とか3百人とかは入れないじゃん。3百人いて発表者30人ぐらいをさばけるシステムがないんだ。どうしても時間あたりに議論に参加できるポスターの本数が減っちゃうんだよな。
学生さんが充分な質疑応答の経験を積めないということは、学者としての経験値が不足するということだ。ということは学生さんの成長がヤバイ。学生さんが成長しないということはその学問の分野の未来がヤバイ。なんのために学会やってるんだっけってなる。
そんなわけで、covid-19の対策が進んだことにより学会はオンサイトに戻っていった。
オンラインだけだと不都合があるのは分かった。じゃあハイブリッドにしてオンサイトオンリーはやめてほしい。
うんわかる。参加者からそう言いたいのは分かる。特に参加費より旅費交通費が大きい民は特にそう思うと思う。わかるんだけど、発表者にオンサイトポスター見ながらオンライン会議の質疑応答もやれっていうのは負担が普通に倍なんで無理です。学生さんだぞ。ネットでレスバしながらゼミ受けろってのと変わらん。何の拷問ですか。
あとな、オンライン学会のシステム利用費、なんかリアル会場に引けを取らないぐらい高い。運営したらわかる。ピッタリ一緒じゃないけど、10分の1で済むとかそういう感じにはならない。桁がおんなじ感じ。
つまりフルにハイブリッドでやるとお値段がだいたい倍かかるんだ。参加者が倍になってくれないと割が合わないよな。で、倍にならなかったんです。
結局、いままだハイブリッドやってるとかは相応に頑張ってるので応援してあげてほしい。あとポスター少なくて口頭発表と講演中心の学会であればオンラインも十分やっていけると思う。そういう学会を自分でやるしかないんじゃないかなあ。
学会がオンラインだけに戻るのはポスターが盛り上がる発表システムがないと無理。そうじゃないと学生と学問の未来がヤバイ。オンライン学会向けの発表システムについては今後の課題である。