はてなキーワード: クリアとは
小学生の時、夏に暑くて「先生、暑いです」って言ったら「みんな暑いんだから我慢しなさい!」って言われた。教室に冷房は付いてるし、よくネタにされるけど職員室は涼しくて、なんで教室はダメだったんだろう。クラクラするくらい暑かった。
それから水道の水は冬に冷たすぎて手が痛かった。ショッピングモールのトイレは温水だったから、大人っていいなあと思っていた。授業参観で来た親が水道で手を洗って悲鳴を上げて、「いつもこんなんで手洗ってんの」と驚いていた。
トイレはタイル張りで、和式ばかりだった。1階のトイレには1室だけ洋式があって、なるべくそこに行くようにしていた。学校の教えではなるべく和式を使うようにと言われていたけど、トイレ掃除の時の和式の汚れ方にはゲンナリしていたので、全室洋式にしてほしいと思っていた。
中高は私立に進学したので綺麗だった。
国立大学に進学した時、そこの講堂もかなり年季が入っていて昔を思い出したものの、空調設備もトイレも水道も大人基準になっていたので特に困ることはなかった。投票権という言葉が脳裏によぎった。
世の中が大きく変化していく中で、小学校だけは何十年も前のままだ。生活の中に嫌な思い出がたくさんあって、もし記憶を引き継いだままあの頃に戻って人生をやり直せるとしても戻りたくない。学区を選べば最新式の綺麗な校舎の小学校に通わせられるだろう。しかしそもそもそういうガチャ要素が国や自治体の施策で用意されているのが気に入らない。親が工夫すれば解決するということは、親が無頓着な限り子どもは苦しむのだ。かといって、調べればクリアできる課題を一つ一つ潰していくなんて面倒くさい。
子どもを持たない理由が一つ増えてしまった。その他にも性犯罪教師の存在や、PTAのめんどくささ、旗振り当番のめんどくささ、オムツの値段、食費のこと、保育園のこと、時短勤務のことなど考えることは山積みで、もうどうしようもない。どうでもいい。犬や猫でも飼って心穏やかに暮らしたい。
手の混んだことをやる人はどんどん減っていく
ゲームもクリアに時間がかかりすぎるようなのは誰もやらなくなるし、小説も手の混んだ文学手法を使ってるようなのは誰も読まない
例えばチェスについて考えると、「チェスの地元グループに参加して、そこから練習して、大会に出て、レートを上げて」というタイプのめんどくさい道を通る人はいなくなり、
オンラインでテキトーにゲストとして参加して気晴らしにやる人が増える
あるいは数学を趣味にする場合も「コホモロジーとはなにか」みたいなめんどうくさい理論を理解しようとする人は減り、組み合わせ論のアルゴリズム問題のように、前提知識がそれほどなくても取り組める題材を選ぶ人が増える
オタクになりたい!
オタクになりたいなと思う。ツイッターを見てても思うし、友達と話してる時でも。
まあ確かに、自分はオタクだとは思う。なぜなら二次元キャラを好きだしアイドルが好きな頃もあった。二次創作もしてるし...
何より、仕事とか恋愛とかそういう”普通の人”ができること、どんなものより志向が向いているものに対して、自分は全く向いていないから。
でも、しかし、中学生頃に抱えた気持ちがいまだに全く薄れず、二十近くなった今でもまだ私はオタクになりたいと思っている。
田舎の子供だった。小学校入学と同時に違う地域から引っ越してきて、保育園からそのまま持ち上がりのような形で小学に上がってきた同級生達にうっすら疎外感を感じたまま遊んだ。運よく虐められるとか小学校六年間ぼっちで終了とかはなかったけど、みんなのノリに無理やり合わせていたとかが正しい表現かもしれない。でかい道路沿いの、都会と田舎の中間のどちらかと言えば田舎寄りで、遊ぶところも大して無く、親は仕事で周りともノリが合わない。そんな(まあ、普通にぼっちだね)子供だったので、案の定インターネットにはまり込んだ。ちっさい白色のノーパソで初音ミクの消失を聴きまくった。本当に幼少期の記憶はYouTube、3DS、着せ替えゲーム、あとマジックキャッスル(ドットの方ね。懐かし!)とかしか思い出せない。で、順当に行けば普通にオタクになる。ゆっくり実況、音楽はボカロしか聞かない、パソコンのタイピングがなぜか比較的早い、絵を描くのが好きではあったので、コピックも買ってもらった。小学校高学年から中学にかけての私は、その趣味に、...
その自分に、オタクであることについて、誇りを持っていた。インターネットだけが居場所だったしアイデンティティだった。めちゃくちゃ孤立してたわけでもないのになんでだろうとも思うが、めちゃくちゃ孤立してたわけでもなかったから気づけなかったんだろうなとも思う。
で、オタクっていうのは、固まる。中学美術部女子が教室の奥の方で腐オタトークをするように、私にもオタクの友達ができた。そこら辺からか、だんだん気付き始める。
というのも、私は全くと言っていいほど、アニメも漫画も見ないのである。
幼少期からのめり込んだのはYouTube、唯一読んだことがあるのは日常とドラゴンボール、それだけだった。
アニメを観まくり、商業BLを読み漁り、これこそオタク、女オタクの教科書みたいなオタク友達と、趣味が合わなかった。シンプルに言うとただそれだけなんだけども、
私は自分がオタクではないという烙印を押されたような気分になった。今でもそう思っている。
だってオタクが観るのはYouTubeじゃなくてニコニコ動画で、深夜アニメは録画して全部観て、たくさんの漫画を読んでいてその話で他のオタクと盛り上がれる、それをオタクと言うんだから。(今はちょっと違うだろうと思う。自分のトラウマの話をしています)私はオタクじゃなかった。
それと同時にオタクのことも少しずつ嫌いになり始めた。私個人の僻みもあるだろうけど、私が好きなもののことを他のオタク友達に話すと酷いことを言われたり、(例えば私が昔から好きなボカロpの話をしたら「まだ好きなの?」って言われたり)同じグループを推してる友達に私の好きなアイドルを「でもダンス下手だよね」って言われたりした。(トラウマすぎて涙出てきたw)こんなことみんなは言われ慣れてるのかもしれないけど、私は自分の好きなものを面と向かって小馬鹿にされたのがかなりショックで、しかもそれをパンピーじゃなく、仲間だと思っていた同じオタクに言われたもんだから、裏切られたとかではなく、ああ、私オタクじゃないんだ、って思った。逆に全然オタクじゃない、パンピーの友達の方がひどいことも言わずによく聞いてくれたと思う。
そんな感じだったので、元々早口オタクの話を聞く側の人だった私は、ますます自分の好きなものの話を他人にするのが怖くなった。もう否定されたくなかった。自分自身のことを否定されるより自分が好きなもののことを否定される方がきつかった。
で、今。私は女オタクという括りになるんだろうけど、そういうオタクへの憧れは女オタクへの憧れに変わっていった。正直満足に女オタクできてるわけじゃない。というかできてない。
誰かとぬいを持ち寄って写真撮ったり、ヌン活したり、アクスタと飯を撮る、新調したネイルの画像をあげる。私は現代のオタクに必要な『グッズが欲しい』という欲さえ持ち合わせていない。貢ぎたい欲もない、タイムライン上で名前を呼び合ったり、一生誰かとスペースしてたり。私はそのどれもクリアできていない。オタクになれない、オタクできてない、オタクとして失格。私は、オタクとして、女オタクとしてのノルマを、何一つとしてクリア出来なかった。私は女オタクにもなれずに、当然パンピーにもなれない。
じゃあ私は何の人なんだろう。私は何に属している人なんだろう。私は誰の話もわからない。誰にも私の話をわかってもらえない。私もみんなみたいに、誰かと好きなものを分かち合ってみたかった。結局何かのコミュニティに属してみたかっただけ。私はずっとひとりぼっちで...
ゲームの話しかも今ハマっているスプラトゥーン3のログインボーナスも忘れてしまうほど夢中な
あれ結局誰が誰に怒っているお話なの?って考察しまくっていたんだけど
なんだ!あれ全部ゲーム内のメニューで見られるキャラクター情報に全部書いてあるじゃん!
アダムおまえか!って
良い意味で白けちゃったわ。
良い意味でよ。
それ書いて欲しくなかったなぁって思うのが正直なところでもあるし、
謎が解けてスッキリとしたというか。
思わず東洋新聞デスクの田良島さんにこれどういうことなんですか!?って問い詰めたいぐらいよ。
まあ『ステラーブレイド』やってないひとからみたらお尻のことしか話題になってないから、
中身のストーリーのことなんて一体何のことを言っているのか?って申し訳ないんだけど、
謎が謎を呼ぶままでもよかったのに。
でも結果的にそうであっただけであって、
もちろん本編ではそれを匂わせる会話やそう言うのはいっぱいあるから、
気付くっちゃー気付くと思うんだけど。
あまりにストレートにゲーム画面メニュー開いてのデータバンクのキャラクター図鑑に載っていたのが潔すぎるわ。
つーかさ!
じゃ逆にこのキャラクター図鑑って誰目線のそのステージから言ってる言葉なの?って
いわゆる天の声的に、
物語のナレーターみたいなゲーム中には登場ありえないそんな人物が
そうねストーリーテーラーと言ってもいいぐらいなタモリさん的な。
私が『ステラーブレイド』を1周目クリアしてぜんぜん整合性のない物語についていろいろと考察しまくりまくりまくりすてぃーの時間を返して!って言わないけれど絶対にそれなんて槇原敬之さん?って言わないけど、
イヴのお尻だけじゃなかったわ。
ちぐはぐなのよね謎をまとうようにストーリーは。
とは言え、
私は絶賛いま2周目周回中の楽しくゲームを繰り広げているんだけど。
ストーリーのその壮絶なデータバンク内キャラクター図鑑での中でのネタバレはよそに
どんどんカッコよく待って戦うイヴがカッコいいのには変わりないので、
お尻に釣られてそのゲーム買っても充分良いと思うのよね。
でも、
でも!
そんで次のステージに行ってしまってストーリーを進めてしまうと
平場のサブクエストとかできるフィールドには戻れなくなるからなおのさら次に進めたくないのよね。
そんで進めてサクッともうクリアして
早くも3周目!ってそこで遊べば!とも思うけど、
遊ぶ上で贅沢な悩みよね。
ただ私は楽しかった整合性のないストーリーの考察が楽しめないつーかそのゲーム内メニューでたどって見られるデータバンクのキャラクターのアダムの項目のところで全部謎が解き明かされていたので、
どうせ有耶無耶なら最後まで有耶無耶のままにでもよかったかもね。
かもねかもねそうかもね!そう思う次第よ。
でもこのストーリーの考察にはある程度のピリオドは打てたと思うので、
いやさらにこのストーリーの話のツッコミどころを探すべくピリオドの向こうへまだ行ける余地はあるので、
そこの深掘りっぷりを楽しむしかないわね!って思うわ。
あと地味に釣り!
これ釣りゲー?って思うぐらい釣りも一所懸命やんなくちゃいけないサブクエストもあるから
ゲーム内の釣りの魚図鑑を完成させるのも私の新たなるゲーム内の目的なのよ。
ポケモンには一切興味なくやる気も湧かなく結局「ポケモンアルセウス」の楽しみ方がゲットしても何が面白いのかよく私にとっては響かなかったけれど、
釣りで釣ったことのない魚を釣り上げて早く魚図鑑を完成させたいものよ!
もーこんな魚釣る?ってぐらい魚なのよ。
うふふ。
そのまま商店街、
みかんの花咲く丘公園前駅の商店街の喫茶店だけど和食モーニングもやっているところで朝食よ。
鯖でした。
鯖多くね?って感じのここんところずーっと鯖率高しなのよ。
鯖大杉漣!って感じ。
美味しいから良いんだけれどね!
激安炭酸水よりも、
あれ?こっちの方が美味しいのかも?って気付いた
そんなことに分かり始めたマイレボシューションね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
自分の場合、ひとつのゲームの中でいきなり違うメカニクスのゲームをやらされたくないというのがある
たとえばステージクリア型アクションで、平場のステージとボス戦で求められる操作が全然違うゲームは苦手だ。古いけどクラッシュ・バンディクーとかそうだった
純朴で優しそうな、見た感じ20歳前後の少年がパチンコ(リゼロ)を打っていた。
強い演出が来るたびにスマホを構えて動画を撮っているので、きっと初心者だろう。
しばらくして当たって、3000発を取ったが駆け抜けしそうになった。
残り5回転で3000発が当たって、少年は胸に手を当てて鼓動を抑えるほどびっくりしていた。
その気持ちよさはきっと、これから一生、少なくともあと数年はパチンコにハマらせるのに十分な刺激だろう。
20代前半の時間をそれに使えば、あとは暗闇に向かって進むだけだ。
外れても当たるまでやる、当たっても外れるまでやる。そのサイクルで得た金はそのサイクルでしか使わないだろう。
ただ失った時間は戻ってこない。けど、20歳そこそこの人間にとって、大金はたいて欲しいものなんてそんなにない。
親に恩返しをする幸せ、
やりたいことを見つけて、それを通して多くの人を助ける幸せ、
この趣味とは言えない行為を続ける限り、自分は知らず知らずのうちに多くの幸せを失うことになる。
それでもこの世界はゲームじゃないから、クリア目標はないし、あるべきものもないべきものもない。
自分らしい、まぁこんなもんでしょ、これでいいでしょ、などいくらでも言える。
いくらでも落ちることができる。
この世界にゲームやアニメは溢れていて、やり直しが効いたり、強制的にハッピーエンドになったり、
主人公である自分が最終的に誰よりも優れた存在になるような物語がたくさんある。
今からでもいい。というか、今しかない。みんな平等に今からしかできない。
自分の全てを受け入れて、認めて、自分が幸せになるために行動していく。
がんばれ自分
FFやドラクエといった、昔からあるおっさん向けIPに頼ってるからみたいに言われてたりする
それはたしかにそうだけど
でもIPだけの問題じゃなくて、スクエニが得意とするJRPG問題があるよね
まずは制作が大変すぎるって話よね。
1000人で7,8年かけて作ってると思うんだけどさ
それでじゃあ7のリメイクが全部入れれるかって言ったら無理なんだよな
だから分割したんだろうけど、それで手抜きだとか言われてさ
いまはApexとかフォトナとかValorantみたいなサービスゲーが主流になった
毎週なにかしらのイベントがあって限定アイテムとか入手しよう!みたいな煽りがあったり
君はランクいくつかな!?みたいな承認欲求を刺激するいろいろな仕組みがある
なので以前のように、一人の世界にこもって世界を救うために50時間もプレイするなんてことができない時代になった
だからスイカゲームとか8番出口とかああいう2,3時間でできるゲームが流行るようになった
いまも受けがいいAAAはバイオハザードみたいにメインコンテンツだけなら10~15時間でクリアできる比較的短いものが好まれる
昔だったらクリアに10時間なんて聞かされたら手抜きとかぼったくりとか言われて炎上したけど
今の時代には10時間でクリアできますはかなり肯定的な反応になると思う(そりゃ人によるけどね)
そして、JRPGの場合、10時間でクリアできるようにするのはかなり無茶だ
JRPGというのは基本的には世界を救うみたいなスケールだからね
バイオハザードみたいに洋館と別館と地下施設みたいなスケールじゃないといけないけど、そんなJRPG見たことない
○ご飯
朝:なし。昼:サラダ。夜:エノキ、人参、大根、ピーマン、ウインナーのスープ。豆腐と海苔を混ぜたやつ。納豆。たまご焼き。バナナとヨーグルト。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、むむむー。
トラブルの話を整理して各所に連絡。
明日は忙しくなりそう。
○FGO
FGOと魔法使いの夜コラボはチュートリアルみたいなやつをクリアしてサポート借りればクリアできるから、ストーリー読むだけならガチャしなくても良いよ。それぐらい調べたらすぐわかるでしょ?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4753369330852241632/comment/aukusoe
はてなIDaukusoeさんからこんなブコメを貰ったので、魔法使いの夜コラボだけ遊ぶためにインストールして、チュートリアルみたいなステージをクリアした。
金曜日までみたいだけど間に合うのかな?
だからすぐにクリアできない大作ゲームはコスパが悪いと感じてしまって熱中できずに鬱が入ってくる
なんなら短いゲームでもデュアルモニタでyoutubeを見ながら裏でクッキークリッカーを放置してコスパ最高の状態でプレイしてる
攻略サイトを見ることは絶対にしたくなくて、時間が過ぎるのも気にせずにカーフェイを尾行してた
おれは運がいい。
理由は簡単で、人生に起こる51%を良いことだと思い込むことができるから。
半分より少しでも多くのことが、良いと感じられるのであればそれは紛れもなく運がいいだろう。
具体的に運が良いと感じることは
小学5年生の時に急に【賢く】なり、運動もできるようになった。
大学入学の際には、進学ギリギリの最低ラインをクリアして大学に入学した。
就職活動は失敗したが、同年代に比較すると年収は高くいただけている。
今年で勤続8年目になるがそれも運の良さがあったからだろう。
運が悪いと思うことは、日常的にちょっとした過ちを犯すところだ。
これらのことを考えた時、運は全部思い込みだと思うようにしている。
側から見たとき、おれの感覚で運が良いと思ったことは、運が悪くてそうなってるとも捉えられる。
自身の運ですら、自分の思い込みでコントロールできるような人間でありたい。
自身の都合で束縛されたいし、【孤独】でいたいし、残業もしたい、運が悪いことすら自分が選んだこと。
子供の成長は凄まじいと思う。
毎日顔を合わせているから細かい変化に気が付きにくいが、新しいおもちゃを買った時などすぐに順応するところを見ると驚くことが多い。
人間は何かしら悩みを持っていたほうが人間らしくて良いと考えている、おれでさえ自身の成長感がないことに頭を抱えている。
恐らくこのまま普通に頑張って、耐えて、適度に力を抜きながら過ごしていくと定年になるだろうと思っているからだ。
もちろん、世の中の情勢によっては急に解雇されたり、会社そのものがなくなったりするかもしれないが、その時はその時で別のことを仕事にする覚悟ができている。
そもそも、自分の成長を実感できた経験が中学生の時の受験勉強と高校の部活と大学の部活だけで、どれも明確な指標をクリアできていたからだった。
社会人になって何も結果を出していないものだが、いつのまにやら何事も【運】で片付けることが多くなった気がする。
上記の成長でさえ運が噛み合っただけだと。
せめて自分の【運】だけでも【成長感】が持てるように日々を過ごしたいものだ。
次は自分の【運】について書いていきたいと思う。