はてなキーワード: 霊能力とは
(主人公の相手=ヒロインとする場合はそうだが、作品の顔=ヒロインとする場合は作者は「郷子がヒロイン」と言ってる)
当初は同僚の律子先生をヒロインにするつもりで、「怖がりだが霊的存在を信じてはいないし、霊能力者を自称するぬ~べ~を煙たがる」というキャラだった
物語の中で霊的存在を認めるようになり、ぬ~べ~に妖怪から守られたことで恋愛展開に
「教師の虐待によって自殺した児童の霊」と出会い救おうとしたことで強さを得ていく
作者は律子ヒロインにこだわりがあり、一度はゆきめを死なせたが人気ありすぎてクレームが多く、ゆきめを復活させ最終的に結婚
「人間と妖怪が種族を超えてわかりあう」という恋愛展開の方が結果的にぬ~べ~という作品にとっては良かったが
ぬ~べ~NEOでは10年後ぐらいの話なのに律子は苗字がそのままなので未婚かと思われたが、実際には外国人と結婚し夫婦別姓なだけというイマドキっぽいオチだった
『ズッコケ山賊修業中』の別れの部分と、『うわさのズッコケ株式会社』の商売の仕組みの説明だけ妙に覚えている
地味に街の地図の部分が好きだった
徒歩と自転車で行ける生活範囲から始まるリアリティが小学生には自分にも起こりえるかも感があったからだと思う
90年代後期はホラーブームがあり、児童書でも恐怖をあおるものが多かった中、
ホラーの怪物たる吸血鬼と友達になる展開に面食らった覚えがある
そのため、味付けや内容の異なる『花子さん」を小学生時代は過剰摂取していたと思う
子供向けホラー作品の中で、子供自身が怪奇現象と戦うのが目新しかった気がする
ぬ~べ~とか霊能力者の大人でなくても、呪符や巻物や数珠みたいなアイテムを使って小学生が怪奇現象に立ち向かえるんだ!と夢中になって読んだ
大学のときに、腐女子の先輩に「地獄堂霊界通信と言えばミッタンだろうが!」と言われ、子供に振り回される元ヤン警官に目をつけるとはこの人早熟だったんだろうなと思ったのを覚えている
■リング
車の移動図書館が小学校高学年ごろに地元ではじまり、今まで図書室になかったライトノベルや大人向け娯楽小説などに触れることとなった
何となく借りたら、精子を媒介として増殖する零体という概念が怖すぎて、2日間くらい寝れなかった
初めて触れたアンチヒーローでかつ、ファンタジー的な世界観のパロディ的な作品
これと魔法陣グルグルやドラゴンクエストの四コマ漫画などで、ファンタジーはパロデイして遊ぶものだと意識づけられすぎた
そのせいで、中学生のときに指輪物語を読んで、みんなこんな濃厚な世界観を知ったうえでパロディしていたんだと自分の無知に若干の反省をした
この作品の生でクールであればクールであるほど格好いいし、弱い能力であればあるほど格好いいと思うようになってしまった
ペパーミントの「大衆に売るためのコツはちょっとだけ不味く作ることだよ」みたいな台詞がいまだに印象に残っている
中学生のときに実家の近くに古本屋ができて、100円で買って読み漁った
怪奇現象や登場人物だけでなく、文章での細部描写自体が怖いことがあると知った
スタンド・バイ・ミーの死体に集まるカブトムシという描写が怖かった
最近はジャンプで呪術廻戦が終わりそうな空気感を出してきている。最強キャラ同士が戦って、しかもそんなに長引かなそうだ。でもさ、呪術廻戦の作者、まだ大事なことやってなくない?敬愛する先輩たちが挑んだ、アレやってなくない?って思ってる。勝手に。
呪術の作者が影響を受けたと公言する、BLEACHや Hunter X Hunter、幽遊白書。その中で試みられた「ゲームチェンジ」的な展開が、まだやっていないじゃないかと。
たとえば、BLEACHで言えばフルブリング編。主人公の能力が一度消えて、今までとは違う概念の能力が現れる。幽遊白書で言えば仙水編前半、霊能力とは異なる超能力者の出現。今までの強さが通じない、別のルールの出現。パワーインフレに対して、別の力が現れて主人公たちを翻弄する展開。
これはストレスの溜まる展開にも繋がるし、今までの積み上げはなんだったんだ、という感想になり得るので、きっと賛否両論。BLEACHも幽遊白書も、そこがうまくいっているのかというと諸説ありそう。でも、呪術の作者、絶対影響受けてるでしょう。自分なりの解決方法を見つけているでしょ。
もしかすると、最強の呪術師に対して、まったく違う力で対抗するのでは?呪いが巡る戦いを、呪いとは異なる力で抜け出すのでは?と思ったりする。
後半のトンデモ展開ばっかり頭に残っててあんま覚えてなかったけど
わりとダークなトーンで話が進んでいくのけっこうよかった
特に伽椰子サイドは完全に巻き込まれ型ホラーで、あ、なんかすごい呪怨っぽいと思いながら見れた
その分貞子サイドは出てくる人間全員クソバカって感じで、っぱホラー映画ってこうなんすよ!ってなった
後、今さら見てびっくりしたんだけど貞子って元々7日間の猶予があったのが
貞子vs伽椰子では3日間になってんだね
ちなみにまだ見てないけどサダコデラックスでは24時間になってるらしい
中盤でわけのわからん霊能力者のところに行く展開でズコーってなった人も多いと思うんだけど
「来る」なんかもそんな感じだし(柴田理恵のキャラよかったよね)
貞子vs伽椰子の監督の過去作でもある名作「カルト」なんかもそんな感じ
海外でも神父さんとか牧師さん呼ぶんだけどボコられて帰る展開はよくある
個人的には貞子はウイルスであるっていう本来の設定(見ることで感染し死に至る)は無視して
フィジカルモンスターとしてクソつよ設定にしたのは振り切ってていいと思った
伽椰子サイドの俊夫君もクソガキの頭引きちぎったりするフィジカルモンスター化してたの笑ったし
俊夫君なんか本来、父親に絞殺された怨念で地縛霊になっただけのガキンチョなのにね
最後のスローの使い方もマジでクソ笑ったし、めちゃくちゃいい映画だった
貞子って元々生まれつきの強力超能力者で両性具有で死んでから自分の怨念をウイルスに変異させるなろう女で
対して伽椰子って単に逆上した夫にぶっ殺されるだけのクソメンヘラストーカーなんだよね
実際には一度も見たことはないのだけど、
暗い夜道を歩いているとき、一人部屋の中にいてふと後ろが気になったとき、
見てしまい目が合ってしまったらどうしようと内心怯えている自分がいる。
存在しないであろうモノに怯える自分が嫌で、幽霊が怖い理由をいろいろ考えてみた。
創作の世界ではクリエイターがこれでもかと幽霊のパターンを例示してくれているので、見たことない幽霊でも対策を練ることができる。
まず幽霊は、外部から情報を取り入れ、その情報について思考し、場合によっては予想して行動するモノなんだろう。
主人公が自分に注目していることに気づき、主人公の表情や挙動を見て自分に恐怖を感じていることを認識し、恐怖のあまり逃げる主人公を追いかけ、主人公の行動を予測しながら周到に先回りできるある種の知性を持ったモノなんだろう。
また場合によっては主人公が逃げ切ったとしても呪いという形で遠隔的に作用を及ぼす個体も存在するんだろう。
一方で、主人公から幽霊に対しては何ら物理的な干渉はできない。
霊能力者でもない一般人ができることは、幽霊の攻撃を一方的に受けて逃げ回り恐怖することで、モノを投げてもすり抜けるし言葉も効かないのだろう。
幽霊を恐怖するとは、おそらくこの一方的な関係が主要因なのではないか。つまり一方的な暴力に怯える一般人という構図だ。
やつらは、反撃されることなんて想像もせず、一方的に暴力を行使し、弱者を蹂躙することを楽しんでいるのだろう。
ということは、少なくとも幽霊に一矢報いることができるならば、私の恐怖の一部は解消するのではないか。
一矢報いるには方法を考え備えなくてはならない。幽霊には物理的にもそしておそらく言葉も通じない。反撃方法も熟慮する必要がある。
幽霊は、思考し予想するモノであることはわかっている。ではその思考を混乱させ予想を裏切るような行動で一矢報いることができるのではないか。
もしかするとその一瞬の驚きや困惑で逃げる隙が生まれるかもしれない。
この考えを兄に相談してみた。兄は答える。「俺ならバンツ脱ぐね。幽霊が俺の下半身へと視線を向けたら俺の勝ちだろ」
安定のバカだが一理ある。しかし待って欲しい。出会ったのが幽霊ではなく私の勘違いによる一般人なら私はただの変質者ではないか。
幽霊との突然の遭遇ですぐに行動できること。予想を裏切る驚きがあること。緊張した場を一瞬で緩和できること。
ただし勘違いだったときに、私が檻の中に入るような過激な方法はいただけない。
驚きと恐怖の表情は瞬間的なものなので仕方ないにしても、すぐに下を向いて表情を隠し、次の瞬間に変顔で対抗するのだ。
幽霊は突然現れて私を脅かすのだろう。私が恐怖している顔をみてそれに歓喜し図に乗って襲ってくるはずだ。
だが私は変顔で対抗する。恐怖の顔を予想した幽霊は、変顔の衝撃に驚き固まるのだ。
同じく親が真光にハマっていた(というか現在進行形でハマっている)のでうんうん頷きながら読んだ。うちの親はもう20年くらい熱心に信仰している。
知らないこともたくさん知った。オミタマってそんな値段するんだね…チャチなロケットペンダントによくわからん紙が入ってるだけなのに。ボロい商売だな。
元増田みたいな家庭環境じゃなくて、うちは割と一般的な家庭だったと思う。
一般より稼ぎのある父と、専業主婦の母と、体が悪い父方の祖母と、姉と自分が家族構成。
両親は温厚な人でいつもニコニコしていたけれど、母が結構なメンヘラで異常に撃たれ弱く被害妄想が絶えない性格の為よく落ち込んでた。
母は祖母と折り合いが悪いと思い込んでいて(祖母は母がお嫁さんに来てくれてよかったと私と姉にはよく語っていたけど)家の中でもビクビクしていた。
家族仲は良かったと思うし、人様から見ても「仲いいね」と言われることが多かったから、私は家族のこと大好きだし母が宗教に手を出すなんて思ってなかった。
20年前祖母が死んだ。体がもともと悪かったし、後半はもう寝たきりだったからしょうがないという雰囲気だった。
病院のベッドの上でチューブだらけになっていたのが子供ながらに怖くてちょっと泣いた。
父はケロッとしていたように見えたけど多分落ち込んだ姿を見せないようにしていただけだったと思う。
でも母は違った。母が家族の中で一番落ち込んだ様子を見せた。専業主婦で時間があったためか妙なことを考えるだけの下地があったことも手伝ってか、ある日「新しく知り合った人に誘われたので外出します」という理由でしばらく家に帰ってこず、帰ってきたときには入信していた。
「手から清めの波動が出るの」と言っていた。私はバカだから、あとちょっと早い中二病を患っていたため、「それを持っていれば霊能力者になれるんだ!」と勝手にワクワクしていた。本当にバカだと思う。霊感にあこがれていた。
元増田では泊まり込みのと記載があるし、もしかしたらそれが当たり前なのかもしれないけれど、私や父・姉は特に宿泊などさせられず何度かありがたい講習を拝聴しただけでオミタマをもらった。泊まり込み必要ならそれいらないってテンションだったから、特別に許されたのかな。そのあたりはよくわかんないけど。
母は毎日熱心に道場に通った。姉も私もたまに連れていかれて、「おひたい」(対面で座って10分間眉間に手をかざされる)と「後頭部」(首の後ろをまさぐられて手をかざされる、これがたしか15分くらい)を受けさせられた。
別にそれ以外は強要されなかったし、何か月に一回でっかい支部に出かけるのも母だけがやっていた。
母が不在の時は私が家事を全部やっていたため、単純にそれが嫌だなとは思っていたけれど、母がでっかい支部にいくことは嫌じゃなかった。
金銭面では父が被害を被っていたし、それに対する父の胸中は知る由もないけれど、私個人として一番いやだなと思ったのは元増田にも記載がある薬を使わないといったような思想だった。
熱が出ても体調が悪くても薬を飲むと悪化すると飲むことを許されなかった。自然派ママかよ。
それどころか、体調不良やなにか嫌なことがあったりすると(友達と喧嘩するとか、そういうの)心配やアドバイスを受けるより「前世であなたがやらかしたことのしわ寄せがきているだけだから、きちんと反省するように」と毎回言われた。マジで釈然としなくて影で姉とガチギレしてた。
体が弱くてしょっちゅう発熱していたから、そのたびに枕元で自分の眉間に手をかざされながら「あなたが悪いのよ」と呪文のように繰り返されたことは結構なトラウマ。いや薬飲ませろや。
でも、元増田ほどひどいめにあっていないこともあってか、宗教自体には結構肯定的な感情を私は持っている。私がそこまで熱心に道場に行かされることを強要されていなかったからだとは思うけれど。
母はメンヘラだ。幼少期に私の首に手をかけて殺そうとしてきたこともあったし、なにかあるとすぐに落ち込んで「私が全部悪い」とうわごとのように繰り返すこともあるし、こちらがされて嫌なことを訴えたら(上記の、殺されかけたことを謝ってほしかったので面と向かって抗議した)被害者面をして論点をすり替え結果的に私が「お母さんが悪いわけじゃない」と謎に慰めた経験も一度や二度じゃない。私が丸め込まれやすいのはそれはそう。
祖母の死に落ち込んだのも、母らしいなと思う。落ち込みやすい。理由を見つけては落ち込む母。
でも、宗教に出会ってからはほんの少しだけその荷が下りているように感じることもたまにある。
自分が死んだ後でも誰かが手かざしをされたら救われるとか、体の不調も道場の人に清めてもらえるとか、そういう妙に前向きなことを言うようになったのも事実だし、神様だとか不確かなものにすがらないと生きていけない人間がいるのは確かだから、そのとっかかりを用意すること自体は悪くないんだよね。
道場の人も私はそんなに嫌いじゃなかった。子供だからか優しくしてくれた記憶も強いし、ヤンチャ盛りだったのでもう40代50代のおば様方が「なにかして遊ぼうか」と提案してくれた時、「鬼ごっこがしたい!」と無理な返答をし、しかし付き合ってくれたことは今でも覚えている。
みんな終わった時汗だくになっていたけど、道場の人たちに全然怒られなかったしなんならおかしもご馳走してもらった。
宗教が救いになることはもちろんあるから、私のこれも洗脳かもしれないけど新興宗教だろうが何だろうがすがれる場を生み出していること自体は別に否定的じゃない。
ただ、お金をむしり取るやり方とか、思想強めのワケワカラン教え(病院ダメとか薬いらないとか前世がなんだとか)は本当にキショいんでそういうのはマジでやめろよ……と思います。
おわり
某Vtuberの心霊現象の件、なんか周りがやたらと心霊現象だなんだと騒いだり、切り抜き動画を沢山作ってそういう空気を創り上げちゃってるけど、あれ良くないと思うんだよね。
元々不健康な生活送ってる人なうえに体調も悪いって言ってるんだから、病気で幻聴・幻覚起こしてるだとか、記憶が飛んで自分でやったことを忘れてパニック起こしてる可能性とかも疑うべきだし、
まずは病院でしっかりした検査を受けて心身共に健康を保証されて、それから他の原因とか探るべきだと思うんだよね。
実際プロの霊能力者とか占い師とかでも、周りに異変を感じたらまず病院行って自分自身が正常であることを確認しろと言うくらいだし。
で、そういうのしないで周りがお化けだなんだと騒いでるから集団心理が働いて、なんでもかんでも心霊現象に結び付けて考えてる感じが余計にする。
配信に変な声が載った!みたいな切り抜きも見たけど、その声ってのも一音だけで文章ってわけでもなかったし、雑音に字幕を当ててそれらしくしてるって言われればそうとしか言えない程度だし。(その程度の音なら他の配信者でも入ったりするだろって感じ)
同僚の人もお化けとか苦手なせいか、逆に心霊現象であることを前提に考えてしまってて、一緒になって大変なことになってる!って怯えちゃってるし、一歩引いて冷静に事態を受け止めてる人がいる感じがしない。
まぁ本当かどうかは置いておくとしても、相手がパニックになってるのに周りがそれを囃し立ててお化けだ!呪われてるよ!とプレッシャー掛けて精神を追いつめてちゃ
目の前の出来事が本当かどうかの判断すら出来なくなってより深刻な事態になりそうだし、外野からは周りが追いつめたせいでおかしくなったのでは?と言われそうで、別の意味で怖い。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e4732a14881669ab8114893932e100660208aded
神田沙也加さんの魂を呼んだって言いきっている記事を読んで思い出した。
竹内結子さんが亡くなった後、自称スピリチュアル・ナビゲーターを名乗る人物達が自身のSNSやブログ(アメブロ率多め)で、「竹内結子さんの魂が来た!」と好き勝手に言っていた。
今回の小林麻耶の発言は、この自称スピリチュアル・ナビゲーター達に近いように感じる。
自称スピリチュアル・ナビゲーターの中にはYouTube活動をする者もいて、怪しすぎる。
だけど、怪しいと言ったとしても奴らは怯まない。「私のような力がないのだから、信じられないのも当たり前ですね。このセミナーに参加すると、死者の声が聞けるようになります。」と、インチキ臭いセミナーを開催しているのだ。
病も運も、全てスピリチュアルの力で良くなるらしい。
まず、一言言っておくと小生は青年会議所の元会員である。地元の青年会議所に入っていたが高額な会費と活動方針が合わず退会した。
それでも、純水に青年会議所の持つ政治力と組織力には一定の評価をしているし、地域の為に何かしようという心意気には尊敬の念を持っていた。最近までは。
ただ、最近地元の青年会議所を見ていて、そんな気持ちも消え失せた。
青年会議所は毎年1月1日から新理事長体制になる。私の地域ではタウン誌に新理事長のインタビュー記事を載せている。
そしてわが地元の青年会議所の理事長を見て驚いた。なんせ入会して1年程しかたっていないにんげんなのだから。
私が会員だったころから会員不足だった会議所、中には入会一年目で理事を引き受けることになった人間もいた。
それは会員不足だからしょうがないとしても、問題はそいつのやっているビジネスだ。そいつの会社のホームページを見てみたが、わんさか出てくるスピリチュアル用語(笑)。
ようはヒーラーやら霊能力者やらのビジネスをしている人間のようだ。
正直、青年会議所理事長にこんなビジネスをやっている人間がなるなんて驚きだ。こいつが霊感商法でもしてつかまったら会議所はどうする気だ?
2.会員数が終わっている
俺がいた頃も会員数の少なさが終わっていた。しかし、それでも12人くらいはいた。
その後、風の噂で会員数を倍にしたと聞いていた。すこしだけ、安堵はしていた。
正直、落ちていくところまで落ちていったなという感じだ。