はてなキーワード: 語句とは
先日、暇空茜はコレコレの配信に出演した
その際に暇空の声質や口調が「歯抜け」「歯がない」と揶揄された
暇空出演以前から、「歯抜け」はコレコレのコメント欄では頻出語句である
コレコレは主にネット上のインフルエンサーのゴシップタレコミを取り上げるYoutuberで、関係者らがよく出演する
一歩間違えれば糾弾され処刑場ともなる場なので、出演者は緊張し上手く話せないことがある
そもそも日頃からあまり人と話していないんだろうなという話し慣れていない者もいる
そういった、しっかりと話せない者が「歯抜け」と称される
暇空が歯抜け扱いされたことは大いにネタにされたが、いやネタにしてもいいのか?
本当に歯に問題があって、お前らは病気の人を揶揄しているのでは?と疑問を感じた
暇空は自分のチャンネルでしょっちゅう配信をしており、話し慣れている
それなのにずっとあの話し方だ
また気になる点がある
暇空はヘルシオでの調理にこだわり、食材をなんでもくたくたにやわらかくして食べる
魚卵のような、対して噛み砕かなくても食せるやわらかいものを好む
これは高齢者など、歯が弱い人に見られる特徴だ
歯に問題、あるんじゃないのか
もし歯に問題があるとしても暇空は大富豪なので、すぐに治せるはず
少し過去のツイートを探ったら、200万円かけて歯科矯正したとの報告があった
だがその歯科矯正の内容、銀冠をすべて剥がしてセラミックに変えるというものだ
セラミックは銀冠以上に多くの歯を削り、神経近くまで削り、本来の歯の寿命を縮める
神経が痛むようになったので神経を抜いた結果、話しづらくなったという体験談がよくある
そしてまた気になる点
本当に付き合っていたのか
自費診療のセラミック治療を受けてくれそうな金持ちの男に点数稼ぎのため一時的に接待してくれただけじゃ……
暇空はその元カノから聞いた情報として「歯科衛生士の専門学校は2年制」と語る
歯科衛生士専門学校はかつては確かに2年制だったが、2010年以降は3年以上かかるようになっている
2年制時代に免許を取った元カノ、そんなに若い人ではないようだ
歯科衛生士は離職率が高く若いうちにすぐ別の業界に転職する人が多いというが、元カノは辞めずに同じ医院にずっといるのかもしれない
短期間だけの付き合いであったらしい元カノとの思い出を温めている暇空は、治療に失敗しても元カノに迷惑をかけられず病院を訴えたりしなかったのだろう
暇空の話し方の特徴は、セラミック治療失敗による深刻な問題だと認知プロファイリングして納得のいったことがある
暇空は堀口英利という人物と揉めており、彼の実家が歯科医だという説をよく当て擦っており、実家とされる場所の晒し行為などしていた
堀口を批判するのであれば堀口自身の言動をネタにすればいいだけであり、親が歯科医だの医院がどこだのどうでもいいだろうと不思議だった
歯医者で失敗した体験から歯科医憎悪に陥って、非常にどうでもいい歯科医ネタへのこだわりが生まれたのではないか
究極的には、堀口の親に歯科医説がなければ暇空はここまで堀口にこだわることさえなかったのではないか
暇空は6億円裁判の時には出頭して本人尋問を行い、弁舌を振るった結果巨額の富を得たという
トークに自信があった人こそ、長所を折られた時のショックは大きいだろう
かつての裁判の時のように話せないとわかっていたからColabo裁判には出られなかった
自由診療で人を騙して大金を儲ける歯医者が、そうやって得た金で息子に海外留学をさせているなんて許せない、堀口家にそんな逆恨みがあったのではないか
単に話し方がおかしいのであればボイストレーニングにでも通えばいい
だが本当に歯に問題があり、回復困難であるなら、それはもうどうしようもない
顔出しをしていて「歯抜け」ではないと確定している人相手にネタで言うならともかく、ガチで困難を抱えている可能性がある人への歯抜けネタは洒落にならない
仕事の愚痴をTwitter(今はXか)に書き込んだら知らん奴がウザ絡みしてくる事ってたまにあるけど、今回はイラっとしたので書き殴っておく。
上司に設定ミスでホームページが見えてないですねって言った際、「DNSが浸透してないですね」と説明した訳だが、それについて知らん人から「浸透言うな」と言われて、は?となった訳よ。
ならなんて言えばいいんだ?って聞こうにも、プロフ見た段階で「知らん人間が使う言葉」とか言ってるのよね。
「勉強してください、そうすれば自分が馬鹿なことを言ってるのが分かります、でも私は何が間違ってるかは指摘してもどうするのが正しいかは教えてあげません」ってことか?どこのフェミニストだおめーは。
上司に説明するにあたって、内容が正確なことよりも内容が簡潔なことが求められるって知らないの?
そんなに浸透浸透言って欲しくないなら、てめーらで、より適切な語句を、作るか紹介するかして「不適切なので浸透ではなくナンチャラモンチャラと言いなさい」と広めろや。
人様ぶっ叩くだけぶっ叩いてくクソ印象悪い真似してる奴らの言うことを素直に聞く奴が、はたして世の中にどれだけいるか見ものだが、それで浸透浸透言われなくなるならお前らの勝ちだろうがよ。
うぜえ。何様だボケ。
文字数上限ギリギリではてな記法を駆使した増田で、何もしなければブクマ数500くらいになるんじゃないかって思う増田が対象。
ファーストブクマされるよりも早くクソトラバを付けることによって、ブクマカに対して「これは長文だけどブクマするほどの価値はないな」って思わせられたら成功だ。
クソトラバは、揚げ足を取るかのような誤字脱字や誤変換の指摘だったり、投稿された増田のタイトルや本文の語句を使ったくだらないダジャレだったりいろいろだ。
あるいはクソトラバではなく、短い文章で簡潔に論破したりもする。
本当に価値のある大作増田ならばそうしたクソトラバに負けずに大量でまともなブコメ・トラバが付くけれども、俺のクソトラバごときで価値が毀損されるならその程度の増田ってことだ。
ただ単に文章量が多ければ、それだけで有名ブクマカからファーストブクマされてそのまま注目エントリ入りなどと甘い考えを持ってんじゃねーぞ。
増田をなめんなよ。
新興バイク雑誌の自社出版物紹介ページにどうみても成人向け漫画雑誌ですありがとうごさいます( ^ω^ )なタイトルと表紙写真があって仰天しうわーそっとしとこうとおもってそのまま数十年、何年かまえからときどき検索しているのだが一向にみつからない、たしか「アップル」という語句が入る雑誌名だったとおもうのだけどぜんぜんひっかからない、でもきのう別件で探してたやはり古雑誌をふとした拍子に辿り着いて手配することができたのでこれも同じく検索ワードが間違っているのかもしれない(そっちはてっきり「英知出版」だと思い込んでここ数年さがしていたのだが正解は「愛宕書房」であった、ぜんぜん違うじゃん!><)
それはそうとさっきのその探し出せなかった検索行脚の際にたまたま知った成人男性向け漫画家さんのnoteが面白かった、仙台弁で『なさがわるい』という方なのだが、文章こんなに面白い人だったのだなー
彼女が言葉責めが好きなんだけど、こっちはおっぱいと膣と足裏にしか興味がない。
言葉責めのレパートリーが少なくて困っているので、教えて欲しい。
「イケ」
「犯してあげる」
「かき混ぜるよ」
「何をして欲しいか言ってみて」
くらいしかない。
語彙がなさすぎる。
彼女はBL好きを公言しているけど、こちらに押し付けたりはしてこない。
そういうところから拾えばいいのだろうけど、BL興味ないんだよね。
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「がるまに(女向けdlsite)」「ムーンライトノベルズ」「BDSM」、初めて見る単語だ。
あとで探ってみるわ。
あ、おっぱいと膣と足裏の他にお顔も好きです。
本人は平凡と思っているようだけど、こちらだけが可愛いとわかっていればいいのだ。
それにしても、言葉責めって「言葉責めする自分」に化けるというか仮装しないと難しそうだなぁ。
でも相手が喜ぶなら頑張る。
次の文章を眺めてみて欲しい。
『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。第二に、以前の小説作品と大きく違って、可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが作品内で主題化されないほどに内在的なものとして組み込まれ浸透しているからである。』
インターネットぶつかりおじさんにカンパし、一度ブロックされて解除された後2023年10月の今に至ってもなお彼やその賛同者の多くをX(旧twitter)でフォローし続けている、推理小説作家・評論家小森健太朗の著作「探偵小説の論理学」269ページから引用した文章である。
氏のSNSにおける華々しい戦歴の説明は割愛する。冒頭で引いた氏の文章を眺めることからはじめ、氏のSNS上における無数の陰謀論傾倒の人生、ひいては暇アノン化する文化人やネットユーザたちについてなんらかの理解を得ることができないか見てみたいのである。
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『まず第一に、二十世紀に係れたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない。』
主語がないのは先に出ているからである。一つ前の文の「西尾維新の作品」がこの文の主語である。そして、この第一に~第二に~というのは疑問に対する答えの列挙である。
『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』
冒頭の文の一つ前に置かれたこの文がその問いである。なぜ「それでは」なのかというと更に一つ前の文で↓のように認定しているからである。
『様相論理一般が、それらの作品により適合するのではなく、われわれの住む世界にある論理、どの作品にもある論理一般において様相論理は適合性を有している』
つまり、著者はこの箇所で「西尾維新の作品こそ様相論理が合う」と言いたいのである(なお、『様相論理は適合性を有している』だとか『様相論理と親和性のある』とかいう語句の意味は不明)。
それを踏まえた上でも文の後半は日本語がおかしい。いやそもそも『それではなぜ、なぜことさら西尾維新の作品を様相論理と親和性のあるものとしてとりあげられるべきなのか。』の「‥‥作品を~~とりあげられるべきなのか」という文も変なのだが。受動態ならば‥‥作品が~~とりあげられるべきなのかとすべきであろう。とはいえ文意は理解できている(と信じたい)ので無視しよう。
・(西尾維新の作品では)狂気や妄想が、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない
・(西尾維新の作品は)狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものとしていない。
引用した文のある段落の一つ前の段落で、彼らの作品における狂気の取り扱い方について『現実の正気の論理が前提として背後にある。狂気や、いわば正気の世界に枠囲いされる形で、際立たせられる』と説明されている。この書き方ならば前世紀に書かれたチェスタトンや泡坂妻夫らのミステリ作品との違いを述べていることが明確である。
なお別の案として、第二に~の述語に繋がっていると見ることもできる。が、そうして読むと能動態・受動態が変になるのである
・『二十世紀に書かれたミステリ作品と違って、狂気や妄想を、いわゆる正気の論理で枠囲いされるものではない』‥‥『ものとして組み込まれ浸透しているからである』
この能動態・受動態が変というのが引用の二文目の問題でもある。
例によって主語だが『‥‥組み込まれ浸透している』の主語はなんだろうか?そもそも『組み込まれ』『浸透している』は同じ主語を持つのだろうか?候補は『西尾維新の作品』と『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』の二つである。
『西尾維新の作品』は『組み込まれ』がおかしいのは‥を組み込むという能動態に直せば明らかである。『西尾維新の作品』を目的語とした「西尾維新の作品を組み込んでいる」には意味を見出すことは不可能である。
『西尾維新の作品』は『浸透している』は、意味としてはありえる。だが使えるのは読者の認知度などを述べる文脈などであり、どこに浸透しているとかいった説明の無いこの文では意味を持たないであろう。
すると『西尾維新作品』は、『西尾維新の作品では』という句であり、主語は『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』と見るべきである。これならば受動態能動態を変えても意味が通じるであろう。
・(西尾維新の作品では)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』は‥‥組み込まれ浸透している
・(西尾維新の作品には)『可能世界へと分岐する「相対的」な論理』が‥‥組み込まれ浸透している
いけそうである。しかしそう理解すると今度は九段の文の書き方があまりにも奇妙に見えると言わざるを得ないのである。
『(西尾維新の作品では)可能世界へと分岐する「相対的」な論理を、それが……組み込まれ浸透しているからである。』
「を、それが」と書いた理由はなにかあ在るのであろうか‥‥???「‥‥を」とするならば「それが」をそこに付けず「組み込み、そしてそれが浸透している」というようにすべきだし、受動態のまま「組み込まれ」を使いたいならば「を」をなくして「‥‥が~~組み込まれ浸透している」と書くべきであろう。なぜここまでねじくれた、好意的に見て文法違反スレスレで読みにくい書き方をしているのだろうか‥‥???著者も校正者もなにかおかしいと思わなかったのだろうか???
余談だが、様相論理において可能世界ごとに分岐(というか異なる)のは、命題への真偽値の割り当てであったり個体領域である。それらは一般的にいって「論理」と呼ばれるものではない。このあたりも意味不明なのである。ようはポストモダンにおける科学の誤用濫用の仲間である。さておきこれまで氏の華々しい戦歴を目にしてきた者の意見として言うと、氏の癖として、彼がカンパしているインターネットぶつかりおじさんと同様に、勝手に定義した「A」を、他の意味の「A」と気軽につなげて論証をするというものがある。いわゆる「媒概念曖昧の虚偽」と言われたりするやつである。こうした論証上の誤りに無頓着な事も陰謀論にたやすくはまる一因と言えるのかもしれない。
海法紀光や、アレな発言を非難する者がしばしば指摘していることであるが、氏は、理由をあげたり説明したりといったいわゆる論証をする際こういった文章を頻発する傾向がある。特に、自身の立論が苦しくなってくると、文法が崩壊していると感じられる弁明が増えるように見えるのである(quantumspin氏による批判とそれへの応答なども参照せよ)。主語や述語がみつけにくいのもよくあるパターンのひとつである。小説以外の活動に関しては、ずっとそういうやり方で通して来ているのかもしれない。
これは結論に対して必死に理由を拵えているせいというのもあるのかもしれない。そのような、結論にあわせて理屈を拵えることをよしとする姿勢もまた陰謀論への傾倒を片側から支えているようにも思えるのである。
などなどと、かつて新本格のムーブメント到来に歓喜したものとして心苦しい気持ちを抱いていたのであるが、最近大きなヒントを見つけることができた。
https://twitter.com/furukawa1917/status/1708364352540246446
氏にとって人類の進歩は虚構的観念であるらしい。勿論、氏のいう虚構的観念は、非難されればすぐにその中身を適当に入れ換えられるブラックボックスであり、「生活費切り詰めてカンパ」と同じ程度の軽口でしかないのやもしれない。
だが、そういうことかと得心もしたのである。
かつてポストモダン思想が華やかなりしころ、同じ世代にあって「進歩なんて幻想だ」と嘯いた者は多かったのではないだろうか。なにしろ、特に思想や政治について色を出さず、特に「後期クイーン的問題」等の話題に珍説を披露したこともない有栖川有栖氏の作品においても、「ホイッグ史観」「進歩史観」といったかたちで冷めた態度が見られるのである。
311以降かどうかは定かでないが、SNS上では、ミステリ業界の「知の欺瞞」が手ひどく叩かれる時期があった。氏も基礎的な誤解を指摘されてはよくわからない弁明を書き連ね、最終的に相手が呆れて去っていくということがしばしばあった。その後、左翼・リベラルに敵対的な気分をもつひとは自らを「科学的」と自認するようになり、小森もなんとなく菊池誠氏などをRTしたり科学的な雰囲気のある人々の輪に入ることで、これまたなんとなくのうちに過去の知の欺瞞は有耶無耶になった。
しかし上記の発言から察せられるように、頭はポストモダンのままだったのである。この点を傍証する発言はひとつではない。
『紀藤さんは、カルトと宗教の弁別ができる超越的な裁定者であると自認しておられるのでしょうか?』
これは、統一協会が話題になった際、紀藤弁護士の発言に対して、なされた引用RTである。
カルトであるかカルトでないかの区別ができることが『超越的な裁定』だと言うのである。その理由もふるっている。
『カルトと宗教の線引きがわからないのではなく、できないと言っています。』
まさにあの堕落したポストモダン思想にかぶれたあの世代の、あの辟易するような懐疑的態度を思い起こさせるものである!!!認識的な不確実性を理由として判断の正しさを否定する。現実的・実践的な正しさをすっ飛ばして「超越的」なものに基礎づけようとする(そして、その不可能性からお好みの結論を導く)。‥‥ところで、なぜ「分からない」「できない」「不確実だ」という判断だけは正しいと信じられるのか自分にはまったく理解できないのだが‥‥‥笠井潔なら教えてくれるのであろうか‥‥????
結局の話、己の欲する結論のためにいい加減な理由づけを許容する態度、あらゆる価値・論証・実践的合理性等を無効化した気になれる堕落したポストモダン思想、メチャクチャナ言説をまともに文章を読み批判をすることのできない現代ニッポン論壇・批評コミュニティの無力さ、そうしたものが無数に積みあがって悲惨な令和の余.命事件へと通じる道が敷かれたのかもしれないと思うのである。
これ元のラブコメ増田とは別人の釣りだね。ラブコメ増田に比べて文章が達者過ぎる。
音引きの使い方と表面的な文体をざっくり真似ただけじゃラブコメ増田の味は出ないよ。
俺はこいつが出てくるたびに嫌な気持ちになる、はっきり言って。
で、なぜこうするのか?
作者的にかっこ悪く描いてるのはほぼ間違いないと思うんだけど
なんでそんな風に描くかというと
こういうギリギリ大人の日本語として成立してる文章を意図的に書くのはなかなか難しいんだよね。破綻しきってないから余計に。
やたらに句読点を連打しても電磁波攻撃の被害者の文章を模倣できないのと同じ。
ラブ増が長い話を区切るとき文頭に「で」を付ける傾向があるのを見逃してるよ。ラブ増はこそあど言葉が大好き。「あと」「なんか」「とか」を多用する。改行も大好き。読点を打った直後に改行することがある。気を抜くと関西弁が出て句読点を使わなくなり、読点は全角スペースで代用する。3点リーダーの使い方にはこだわらない。
ね。改めて比べると全然違うでしょ。誤字を入れる程度じゃ誤魔化せないよ。
とりあえず全体的に平仮名増やして語彙絞った方がいいよ。語句の理解が曖昧なのを匂わせつつ、必要に応じて誤用するとそれっぽくなると思う。いらん文節増やして語順ももうちょいグダらせた方が良い。
「根拠はない」の5文字で片付くところを“別に凄く自信がある仮説でもない”と書いてしまうラブ増から突如こんなリズム感のある文章が出るわけないのよ。
文体を変えていたという理屈も通らない。記事へのリアクションに浮かれて追記しまくってしまうラブ増がはじめから反応されやすい文章を書かない理由がないので。
ラブ増がこんな長いセンテンスを違和感なく仕上げられるわけないでしょうが。エミュるなら真面目にやりなさいよ。なんならちょっと素が出てるじゃねえか。
書くなら、
こうだろ!
こうだろ!!
こうだろ!!!
はい、やり直し。