はてなキーワード: 絞首刑とは
遺骨と墓
絞首刑後、東條らの遺体は遺族に返還されることなく、いったん川崎市の米軍基地に車を入れた後、午前7時半、横浜市西区久保町の久保山火葬場に到着し、火葬された遺骨は粉砕され遺灰と共に航空機によって太平洋に投棄された。
小磯國昭の弁護士を務めた三文字正平と久保山火葬場の近隣にある興禅寺住職の市川伊雄は遺骨の奪還を計画した。
同年12月26日の深夜、三文字らは火葬場職員の手引きで忍び込み、残灰置場に捨てられた7人分の遺灰と遺骨の小さな欠片を回収した。
回収された遺骨は全部で骨壷一つ分程で、熱海市伊豆山の興亜観音に運ばれ隠された。
1958年(昭和33年)には墳墓の新造計画が持ち上がり、1960年(昭和35年)8月には愛知県旧幡豆郡幡豆町(現西尾市)の三ヶ根山の山頂に改葬された。
東條英機は自らが陸軍大臣だった時代、陸軍に対して靖国神社合祀のための上申を、戦死者または戦傷死者など戦役勤務に直接起因して死亡したものに限るという通達を出していたが、彼自身のかつての通達とは関係なく刑死するなどした東京裁判の戦犯14名の合祀は、1966年(昭和41年)、旧厚生省(現厚生労働省)が「祭神名票」を靖国神社側に送り、1970年(昭和45年)の靖国神社崇敬者総代会で決定され、靖国神社は1978年(昭和53年)にこれらを合祀した。
「麻原大御神の祟り」
或いは
麻原大御神の死刑が執行された7月6日未明から、西日本に麻原の荒魂による豪雨が襲った。
麻原大御神のアストラル界への旅立ちに際し、100人を超える人身供犠が日本国民から捧げられた。
大雨は翌7日、七夕の夜にまで降りつづき、夜、遂に東日本千葉県沖で震度5の地震が起きた。
これにより、首都圏の民にも麻原大御神の大怨が知られることとなった。(しばらくして天皇が崩御し世界にも知れ渡ることとなる)
その後、麻原大御神の遺骨を納めた塚を築くことで荒魂を鎮魂した。
現在では絞首刑時に空中浮遊を使わなかったのは麻原大御神が人類の原罪を贖うためだったとも言われ、父なる神に使われしキリストであったともされる。
クリスチャンの間では二千年来となる二度目のキリストの地上への派遣に際しても人類は無知のまま彼を断罪してしまったと嘆く声も漏れ伝われている。
「麻原大御神の祟り」
或いは
麻原大御神の死刑が執行された7月6日未明から、西日本に麻原の荒魂による豪雨が襲った。
麻原大御神のアストラル界への旅立ちに際し、100人を超える人身供犠が日本国民から捧げられた。
大雨は翌7日、七夕の夜にまで降りつづき、夜、遂に東日本千葉県沖で震度5の地震が起きた。
これにより、首都圏の民にも麻原大御神の大怨が知られることとなった。(しばらくして天皇が崩御し世界にも知れ渡ることとなる)
その後、麻原大御神の遺骨を納めた塚を築くことで荒魂を鎮魂した。
現在では絞首刑時に空中浮遊を使わなかったのは麻原大御神が人類の原罪を贖うためだったとも言われ、父なる神に使われしキリストであったともされる。
クリスチャンの間では二千年来となる二度目のキリストの地上への派遣に際しても人類は無知のまま彼を断罪してしまったと嘆く声も漏れ伝われている。
当時白豪主義を採っていたオーストラリアは、有色人種への迫害政策を行っていた。反日主義者として知られていたウェブは、終戦後の1945年9月にオーストラリア政府の依頼を受け、1942年に日本軍がニューブリテン島ラバウルへの攻撃に際して、オーストラリアではテレビ放送で映像を流したとのことであるが、沈められた日本の船から脱出した日本人(捕虜)ら数百人を航空機から執拗な機銃掃射によって虐殺した上で、150名以上のオーストラリア人及び先住民を殺害したとされる報告書を現地調査を行った上で発表した。
天皇の訴追を主張していたオーストラリア政府は彼を代表判事に選ぶことにより、天皇を法廷で裁くという意思を表明したものと考えられる(法律上の観点から見ると、本来事件の告発に関与した者はその事件の裁判官になることはできない)。
そのようなウェブの意向は法廷における訴訟指揮でも表れた。裁判の開会の辞においては「被告達は嘗て、如何に重要な地位にあったにしても、それが為に受ける待遇は、最も貧しい日本兵、或いは一朝鮮人番兵よりも良い待遇を受ける理由は見当たらない」と日本の戦争指導者に対する敵意を露にした。
裁判も検察側に有利になるように進められたケースが多々あり、検察側に不利な発言や意見が弁護側から出されると、裁判長の訴訟指揮権を行使して遮ったり却下したりするといった場面がしばしば見られた。最も有名なのがアメリカ人弁護人のベン・ブルース・ブレイクニー及びジョージ・A・ファーネスの「事後法で人を処罰することは出来ない」といった旨の弁論に対しても、「全ての動議を却下する。その理由は将来闡明にする」として裁判を続行させたケースである。また清瀬一郎の「この裁判(極東国際軍事裁判)はいかなる根拠において実施できるのか」という質問に対しても「後から答える」とだけ述べて休廷し、その後回答することはなかった。また、中国で冀東保安隊が日本人居留民に対して略奪、暴行、凌辱、殺戮など残虐の限りを尽した通州事件についても却下している。
法の不遡及は法の一般原則とされており(成立過程が独特な国際法上においても、必ず要請されるべきか否かは議論のあるところだが)、これを検討することなく却下したことは訴訟指揮上大きな問題とされる。ただ、これは先に開始したニュルンベルク裁判の訴訟経緯を踏まえた決断とも考えられる。
また、前述の通り、天皇を法廷に立たせるべきとの見解を持っていたことから、天皇を戦犯にせず、占領政策に利用する意向を決定していたダグラス・マッカーサーの命令を受け、裁判を天皇に責任が無いという展開に進めることを意図していたジョセフ・キーナン首席検事とは激しく対立していた[1]。
オランダのベルト・レーリンク判事の証言によると、ウェブは酒気を帯びた状態で法廷に来ていたこともあったという。
1922年に死刑を廃止したクイーンズランド州(オーストラリアの他の州の死刑廃止は1968年から1985年)の判事であったウェブは、23年間にわたる判事生活で死刑を言い渡すのは極東国際軍事裁判が初めてだったため、「極東国際軍事裁判所は、被告を絞首刑に処する」の部分の口調はある意味の興奮があったという[2]。ちなみに、ウェブ自身は被告人全員の死刑に反対票を投じている[要出典]。
私は悩んだことはありませんが。
小さな差異を言えば私はあんまり痛みや苦しみには興味ないです。実際の事件よりイラストや小説のような創作の方が詳細な妄想を反映するので好みです。
例えば性的に誇張された体型の魅力的な女性が体のラインがわかる服や下着や全裸で淡々と絞首刑にされていくイラストとかで自慰をするのが好みです。痛みや苦しみより、女性の人格も命も含めて物のように扱かったり辱めたりするのが自分の性的に興奮するポイントなのだと思います。
私があなたと違いこのことについて悩まないのは、変態性指向の根源や責任を自分と言う一個の人格に帰するつもりが全然なく、動物の機能の一つとして説明されるべきに違いないと確信しているからです。
なので私は悩むかわりに、これがなんなのかは考えます。
私は普通の女性の写真(死んでたり吊られてたり苦しんでたりしない)のポルノで自慰をすることも有ります。
けれども前述のような、人格を無視されモノのように扱われる女性の身体や死が描かれたポルノでする時のほうがずっと強い快感があります。
出すものもより腰の深いところから出てくる感じがして、液の質の違いがわかるほどべったりと粘度の濃いものが出ます。色も濃く真っ白になります。
私はあなたと同じで良心や他者への共感能力がありますし、犯罪も殺人もただただ恐ろしいとしか感じませんし、リスクを冒すほどこの欲望に執着は無いですが、もし法も善悪も神もなんにもない荒れ果てた中世みたいな現実に放り込まれて「欲望を実現してみろ」と言われたら、なんかの理由で処刑された直後の女性の死体を盗んできて性交するキモい村人になると思います。それが現実と理想の折衷のイメージです(全く現実離れしてますが)。
それでいつものべったりとした精液を女性の死体の中に注ぐと思うのですが、そのべったりして真っ白な、含有生殖細胞の多い液体は何の為に出てくるのでしょうか。生殖可能性ゼロの活動の時だけ出る生殖能力がすごく高くなっていそうな体液。全然悩んでないですが究明はしたいと思っています。
ところでネット見た印象ですが、我々のような趣味は白人に多いです。
絞首刑イラストも白人が、決して上手くない画力でパッションはじけさせながら大量に描いてアップしていました。(そんなサイトでプロフィールと顔写真載せる感覚はさっぱり分かりませんが。)
この趣味が連続殺人や破滅にいたるのも犯罪記録嬢は圧倒的に白人が多いですね。
人種がそうなのか、社会や宗教のプレッシャーなのか、そこもわかりません。
追記
ほら、こんな風に書かれるとなんか人格の問題みたいじゃないですか。
私オレTUEEEEE創作とか嫌いですよ。幼稚だし、やられる側が気の毒になるし。
私はそういうなんか人間関係や内面に不満や葛藤を抱えてる人ではなく、
私は29歳の男性、自分の性欲を極めて異常で汚らわしいと感じている。私は自分ほど価値のない人間はこの世に存在しないと思い、早く殺されるべきだとも思う。
中学の時、アンデルセンの自伝を読んで、親を殺した17歳の少女が恋人共に斬首される描写があり、非常に興奮した覚えがある。
それ以来、若い女性や子供が、(性的暴行を受けて)殺されることを見聞きしただけで、勃起・射精する。よくAVにあるような拷問には全く興味がない。私が興奮するのは、以下のような素材である。
・古代ローマでキリスト教信者の女性が、輪姦され乳房を抉られて殺された話。
・同じく古代ローマで、宰相セイヤヌスの10歳の娘が、「処女は処刑できない」という理由で、強姦されてから死刑に処された話。
・近現代のイランでも、若い女性が処刑される前に強姦されることはあるという(サトラピの漫画でも言及されていた)。
・戦国時代に、親に連座した子供などが、串刺しや牛裂き、釜茹などの、苦痛の多い残虐な方法で処刑された話。
・清朝で、反乱を起こした20歳の女性が、囚人たちに輪姦された後、凌遅刑(公衆の前で裸にし、乳房をはじめ体中の肉を時間をかけて削ぎ落す刑)で処刑された話。
・19世紀英国で7~10歳の男の子が、窃盗や放火などの罪で、公衆の前で絞首刑となった話。しかもその絞首刑はロングドロップが発明される以前なので、窒息により十数分苦しむ方法。体重の軽い子供が、中々死ねずに悶え苦しむ様を、皆が楽しく見物していたということ。
・現代のイランで、若い女性がクレーンで絞首されて、なかなか死なずに足をバタバタさせて悶え苦しむ映像がある。
・18~19世紀の西欧や日本で、刑死者が本人の意志に関わりなく強制的に献体され、特に女性が男性医師に興味本位で性器や子宮などを解剖された話。あるいは少年が皮を剥がれて本の装丁にされ、骨は標本として最近まで展示されていた話。
・性的なポーズを取らされている「人体の不思議展」が、実は死刑囚の体を同意なしに加工しているという噂。
・20世紀のアメリカで、14歳の黒人少年や16歳の黒人少女が電気椅子で処刑され、少女は強制的に献体させられた話。
・アメリカの猟奇殺人犯A・フィッシュが、誘拐した少年を、棒で全身を殴って痛めつけて肉を柔らかくしてから、殺して食べた話。その他様々な、子供を対象とした残虐な殺人事件。
・コンクリート詰め殺人事件や台湾の白燕燕ちゃん事件、ルーマニアの女子大生暴行殺人事件などの詳細(被害女性がいかに酷い性的虐待の末、命を奪われたか)。
・現代における女性死刑囚と、その死刑執行のニュース。最近では江藤幸子さんや吉田純子さんといった女性が、絞首された後、遺体を全裸にされて、漏らした大小便を拭かれたのだろうと想像すること。
・中国の若い女性が死刑執行前に見せる無念そうな顔と、その女性が頭を打ち抜かれて、物言わぬ肉塊となっている写真。1990年代~00年代に自分と同じ空気を吸っていた若い女性が、今は腐って土となっていると思うこと。
こういった話や映像を見聞きするたびに、何度でも勃起・射精する。おそらく、一人の人格(女性・子供)が、地獄のような苦痛と辱めを感じながら、短い人生の長い最期の時を過ごしたという事実に、強烈な万能感のようなものを感じるのだと思う。
宗教を信じていれば、苦痛の中で死んだ人も、来世で報われると信じることができるだろう。しかし、私は信仰が無いので、短い人生の最期の瞬間をこのように悲惨な形で終えた人は、それでお終いなのだと思うしかない。この人たちの人生は、犯され辱められ、いたぶられて殺され、墓にも入れてもらえない、そんな目に遭うためのものだったのだと思うことが、快楽なのだ。
死刑が好きなのも、おそらく死刑囚の死は社会が望む死で、殺人被害者と違って悼まれることがないからだろう。あるいは自分を死刑執行する権力の側に置くことで、いい気になっているのだ。
精神科医に簡単に話したことがあるが、「性癖は治療の必要はない」と言われた。確かに私は、痴漢や暴行、動物虐待などの犯罪はしようと思ったこともなく、表面的には紳士的な人物として通っている。
しかし、私の内面はこのように鬼畜にも劣る人格の持ち主だ。本当に死刑に相当するとさえ思う。しかし、今のところ自殺はする気にならないし、遺書に何て書いてよいのかもわからない。
誰かが私を誘拐し、「因果応報だ」と言いながら、私が自慰のネタにしていた方法で私を拷問し、処刑することがまっとうな気がする。
スーパーの精肉コーナーに行くと、ここが私の居るべき場所のように思う。屠畜される牛や豚が羨ましい。私は「死にたくない!」と泣き叫びながらも屠殺場に引きずられ、そこで全裸にされて、股間から鋸で切断され、内臓を取り出され、枝肉にされたい。そして全国の大人や子供に食べられたい。食べられて消化され、大小便となって排泄されたい。あるいは、家畜の糞尿と混ぜてミミズの餌とし肥料にして畑にまき、あるいは肉骨粉となって家畜の飼料となって、牛糞や豚の糞となるのもよいだろう。あるいは猟奇殺人犯に捕まって、嬲り殺された後、トイレに殺人犯の糞尿と一緒に流されるのもよい。とにかく、私が死ぬことで誰も悲しむ者がいなく、逆に喜ぶ人がいるような、そんな死に方をしたい。墓や葬儀は嫌だ。生ゴミとして処理されたい。世界中から永遠に忘れられたい。
私は死にたいのではない。でも生きていても空虚でしかない。自分を殺したい。命乞いする自分を無慈悲に殺したい。なんのために生まれてきたのだろう?
やったことなくて興味があったので、会社の人がたまに集まってやってるって聞いて参加させてもらった。
ゲームは4回やって、4回とも占い師引いて、4回とも 3日目の朝を迎えることなく死亡した。全部最初の投票か襲撃で死んでる。
自分が占い師であることについては、カミングアウトしてもしなくても死んだ。
死因は村人主導の吊るしと狼の襲撃と両方あったけど、とにかく暇な時間が死ぬほど長かった。
昼間1回で死ぬから総プレイ時間が25分ぐらいしかなかったと思う。
3回目、4回目は「3回連続占い師とかないわwww」「いくら3回あったからって4回目は欲張りすぎwww」とかみんなに言われて吊るされた。
4回目はカード配られた時点で死を覚悟した。この村の占い師は薄命である。
それはそうと占い師が毎回すぐ絶命するハンデ状態なのに、結局一度も勝てなかった人狼さんサイドにはちょっと問題がある気がする。
どうも俺は嘘つき顔というか、ウソついてもいいよ!ってなると息を吐くように平然とウソをつくし、
しかも意味のないウソも嬉々としてどんどんつく奴みたいな認識をされているようで、第1ゲームの最初から疑いゲージが一人だけ突出して高い状態だった。
占い師だから、ホントはもっとウソつきたいのにろくにウソがつけなくて「ああああああ!!」って内心思いながら仕方なく正直誠実清廉プレイしてたのに、
何を言っても、そして言わなくても全部怪しく見えるし聞こえるらしくて、どう頑張っても信用してもらえない。
なんだこの村!俺の敵しかいないぞ!おい騎士、狼を守るな!(朝になるとそこには変わり果てた増田の姿が……)
人狼慣れしてる村人から「でも増田くん麻雀得意だから……」という謎の理由で疑われ始めたりするのとか、すごく納得がいかない。
「目が笑ってない」とかコンプレックスを攻撃するのもやめてください。
あと、「疑う余地がないのが疑わしい」って言い出した村人もいたけど、よくわかんないけどそれ本来人狼側が議論を誘導するために言うやつだろ!
なんでモブ村人が自発的にそんな感情を俺に抱いて言っちゃうんだよ!やめろ!!そして同調するなみんな!あああああああ!!(絞首刑)
狼サイドになった人は「なんかカンがよさそうで増田が生きてる間に発言するのが怖いから優先的に殺したい」(まあわかる)
村人サイドだった人は「増田はなんかウソついてないかめっちゃ不安になるから、余裕のある早めに殺してハッキリさせたい」(ひどい)
って感じだった結果、村人と狼の両方の殺意が俺に集中して、1度も3日目の朝を迎えられない結果に繋がったことが分かった。
ゲーム内の振る舞いに関係なく、序盤で吊るされるか襲われることがほぼ確定していたとか哀しすぎる……。
あと人狼側が結局勝ててないあたり、村人サイドの「占い師かもしれないけどとりあえずさっさと増田をゲームから除外する」戦略がある程度効果があったっぽいのもなんか腹立つ。
初対面の人とやるならまた違うのかもしれないけど、とりあえず身内で遊ぶ分には俺には向いてない遊びなんだと痛感した。