はてなキーワード: 結果的とは
母親の言動を見ていると、老後の面倒を見てもらいたいと言うのなら、少しは周りがケアしてあげたいと思われるように行動したら良いのにと思う。ここまで愛想を尽かされて、未だ面倒を見てもらえると思ってるのだろうか。
僕のことを投資回収に失敗した(または奪われた)息子だと思っているようだけど、明確に違うと言っておこう。身から出た錆だ。
僕の母親は、幼少期から尽く僕ら兄弟の短所を取り上げてはもう一方と比較をしながら怒る人だった。主によく怒られるのは僕の役目なので、怒られないようにと意思表示を控えるようにすると、お前は弟と違い主体性のかけらもないというのが常套文句になった。子どもながらにして彼女の子育て方針は大変嫌いで、今も変わらず尊敬とは真逆に位置する子育てに関する反面教師である。後々弁解を聞いてみると、かわいい対象は弟、頼る対象は僕なのでしつけのためによく叱ったということらしいのだが、未だによく意味がわからない。
僕が社会人になると、今度は彼女の周囲のトラブルやら不安やらがあるたびに電話を連呼してくるようになる。仕事中だろうがこちらの都合はお構いなしに、1時間以上脈略なく話し続け、最後は怒鳴り散らしてくるヒステリックぶりである。ある時は夫婦喧嘩を仕事中に持ち込んできて、勝手にブチ切れ失踪する始末で手に負えない。故に彼女からの便りはロクなことがないので、電話が来るたびに今でもトラブルかと焦ったり憂鬱な気持ちになったりする。
僕が結婚し、今後の子育てのことを考えて妻側の親の力を頼りやすいように妻の実家寄りの A 県を拠点に選ぶと、今度はそれが気に食わないらしく 僕の実家の B 県寄りの場所に住めと、会うたびにチクチク言ってくるようになる。じゃあお前は育児を手助けしてくれるのかと聞くと、ウェットな付き合いは嫌いだと言う。
子どもが生まれ、子どもを連れて僕の実家に帰ると、昔から僕ら兄弟を遊ばすのが上手だった父親は、いつも率先して子どもと一緒に遊んでくれる。当然子どももすぐに心を許し懐くようになる。子どもというのは鏡みたいなものなので、こちらが開放的で歩み寄ると懐いてくれるし、そうでなく距離感を設けると向こうも警戒心を持ちなかなか懐いてくれない。自己防衛心が強くいつも他人の顔色を伺って生きている母親には当然子どもたちは警戒するので、なかなか懐かない。それがまた気に食わないらしく、立地が離れて会う頻度が少ないせいだと攻撃してくるのである。2〜3ヶ月に1回は帰っているので、じゃあ毎週なり毎月なり帰ったらいいのかと聞くと、ウェットな付き合いは嫌いだと言う。
子どもが大きくなり、さらに一人増えたので、部屋の狭さが問題になってくる。部屋を広げようと思うと賃貸の家賃は馬鹿にならないため、僕らも持ち家を具体的に考えるようになる。 B 県での生活は僕にとっても家族にとっても馴染んでいることと、育児状況を考え、今の立地周辺に物件を探し始める。
一応筋は通そうと、会った時にその方針を僕の両親に伝えると、母親は案の定 B 県に住めとか、間とって都内にしろとか言ってくる。なお、後述するが、妻の実家を建て替えて二世帯化するというプランもこの時点で考え始めた。が、炎上不可避事案なのでまだこの時点では出したり引っ込めたりを繰り返した。
次に、 B 県に新居を構えた弟夫妻は優しいのにと、お決まりの比較を話に織り混ぜてくるようになった。うんざりだ。弟夫妻はともに実家が同じ路線上の B 県内で、夫妻の実家が B 県と A 県とで離れてる僕らとは状況が異なる。百歩譲って比較するにしても、彼らも奥さん側の実家に近い立地を選んでいる。勝手に自分の都合の良いように解釈しないで頂きたい。
しまいには、自分はパートしつつ祖父母に頼らず自分の腕一本で兄弟二人を育ててきたので甘えるなとか、妻の仕事を辞めさせて専業主婦にしろとか言ってくるのである。
前者はかなり現実歪曲が入っている。まず親父はだいぶ家事育児するほうだった。母親はというと、数年もの間パソコン通信やポストペットにはまりネット依存から昼夜逆転生活となり、肥満や肌トラブルをはじめとした体調悪化と家事放棄を招いた。親父の堪忍袋の緒が切れ、離婚騒動が2回ほど起きたことがある。よく腕一本で育て上げたなどと言えたものだ。ちなみに今はジャニオタである。
後者は、もしかすると、女性のキャリアに関心の欠片もなく、昭和の頃の価値感で生き続けている彼女に、確かに共働きを理解しろというのは難しいのかもしれない。ただ、老害の如く自分の価値観を今の世代に押し付けないでほしいし、ジャニーズのビデオばかり見ていないでニュースを見たり読んだりして、少しは今の世の中を学んだほうがいいと思う。
さて、そこまで注文付けるなら少しは金銭面なりの支援なりしてくれるのか。当然そんなわけはなく老後を考えなきゃならないから出さないし、物件贅沢してるんじゃないかと言ってくる。加えて、10歳離れた親父の方が先に亡くなるだろうから、購入予定の家なりで自分の老後面倒見てくれるつもりなのかと聞いてくる始末である。
そのうちに、義母の病気や、義祖母の不幸、父の痴呆進行、子どもの障害発覚、などが同時点に重なった。どちらの家に看病に行こうにも子どもたちがいるので思うように動けず当時は正直かなり大変だった。
今回分かったことなのだが、車30分以内で行ける程度の近さでも有事の際は結局住み込む必要が出てくるので、ドア一枚で繋がっているくらいが理想なのだ。色々考えた結果、各家庭が分散して住むよりもいずれかの世帯の拠点を寄せたほうが、つまり二世帯化したほうが、結果的に動きやすくなるだろうという結論に至った。で、どちらに寄せるかを考えた結果、今お世話になっている子どもの療育の施設に近く、育児に協力的な妻の両親側に寄せる案に当然ながら分が出る。そもそも僕の実家は 3LDK マンションなので二世帯は不可能だ。妻の実家は二世帯を建てられるだけの十分な広さの土地があった。
僕の両親への説得をリベンジし、最終的には親父から、おそらく自分が先逝くことになるだろうからその後の母親を介護してほしいという条件付きで、なんとか承認された。誰もが自分以外の心配をしている中、母親は、もし父親の認知症が進んだ場合の介護側の、つまりは彼女自身の心配に終始固執していた。あとは、お前はマスオさんか、だとか、お前だけ A 県で新居はずるいと嫉妬してたりしていたが、もう話を通せた後なので何も聞かなかったことにした。
ということで、妻の実家を建て直して、二世帯生活をスタートさせた。この他にも、この後にも、語り切れない量のいざこざが勃発しており、今もなお僕の母親との関係性は最悪である。
正直、先の短いひねくれ人間よりも未来のある子どもたちに最大限のケアと投資をしてやりたいと考えているので、今でも妻の実家との二世帯を選んだのは最適解だと疑っていない。母親とのトラブルは定期的に来る災害みたいなものだと割り切るようにしてはいるものの、もう正直縁を切りたい気持ちである。
この増田が本当に安倍さんを応援していたら、ちょくちょく↓こういう皮肉にも取れる表現は入れないでしょ?
「国政のトップとなれたエリート」 → 東大出身のエリートではなくて成蹊大学出身
「ストレス溜め込んでよくわからない施策にGOを出す可能性」 → アベノマスクとかよくわからない施策だった
「時間は待ってはくれず」 → 先手先手と口では言いながら後手後手の対応
「一種アントレプレナー的な判断と決定が必要」 → 自分の頭では考えてなくて官僚の原稿を棒読みしているだけ
「下手を打てば汚名を歴史に残す」 → 実際のところ歴史に汚名を残しつつある
「…ベネチアでは水がきれいになり、水鳥が帰ってきたそうだ…」 → 政策とは関係ない要因(BCG、ウイルスの型など)で結果的に上手く行った時にも、ドヤ顔で自分の手柄にしそう
「安倍首相もまた”努力、尽力している人間”であるという客観的視点」 → 星野源コラボ動画で流しているように、家で寛いでるんでしょ?
バカな行為なんて最初から最後まで叩くに決まってるじゃない。共犯なんかにされたらたまったもんじゃないし、
短絡的過ぎてこの状況で外出しまくる人並に身近に居て欲しくないもの。
ただ、それを無視して勝手に君たちが利益をもたらしてくれるなら、それはいただいていくってだけだよ。
「ああ、あのバカのおかげで結果的に儲けた、ラッキー、それはそれとして邪魔だから消えてくれ。」
こういうことかな。善良な市民ってそういうもんだよ。
君は見たところ正義感拗らせちゃった若い子のように見えて、それならtwitterで暴れてる人よりはまともかもしれないし、
それだと大して本人の利益にもならないのに人生棒に振る可能性があるバカを止めないのは大人としてさすがにちょっとなぁ、と思ったから一応懸念は示しただけだよ。
今回のローソンのPBのデザイン変更は(多分、狙ってないだろうけど結果的に)大成功だったと思う。クソみたいなデザインに変わったとか、デザイナーのオナニーだとかご立腹のはてブ諸氏も多いと思うけど、それローソンと佐藤オオキの手のひらだから。多分。
これ考えるときに最初に考慮するべきことは、今回の商材がローソンのPBだってこと。正直PBって「美味しそうで買う」とか「CMみて気になってたから買う」とか「新しくて面白そうだな」って買うって消費者が少ない商材なんよ。どっちかっていうと「あ、納豆切れてたけどスーパー閉まってるから買おうか」とか「ナッツ系のつまみどれにしよっかな」とかそんなイメージで買う商品だと思う。
つまり、普通の広告で担保しなきゃいけない「商品が美味しそうに見える」とか「手に取りたくなる」ってのをざっくり切り捨てても成立する珍しい商材なの。ましてや、PBなんて商品棚をまるっと抑えられるわけだから、他社商品と比べて目立つみたいなのも必要ない。
視認性とかは、まああった方が良いけど、これも定期購入してるユーザは最初はブーブー言ってもすぐに慣れる。みんな、そこまでデザインで購買行動を変えないよ。しばらくは間違えて購入したってクレーム言う人もいるだろうけど、ちゃんと商品に書いてあれば文句はそんなに言えない(見てない方が悪いから)。
で、今回のデザイン。おしゃれかダサいかってのは感性になるから置いておいて、賛否両論出たってのが大成功だよね。あのデザインは好きな人にはめちゃくちゃ刺さってる。PBなんて正直、あえて買うような商品じゃないのに、今回のデザイン変更で好きな人は絶対買いたいと思って購入すると思う。嫌いって言ってる人も拡散してるわけで、ばっちり宣伝に寄与してるんだよ。
そもそも、デザインが嫌いって言ってる人らも必要となったら普通に買うから。例えばセブンのコーヒー。佐藤可士和のデザイン嫌いって言ってる人も、会社の近くのコンビニがセブンでコーヒー欲しいかなって思ったら買ってるのよ。つまりほとんど購入量に影響ないと踏まれてるのよね。
昔は子供向け番組なのに親が子供に見せたくない番組になってたりして、一部の幼稚園や小学校で「クレヨンしんちゃんは見るな」って言われてたりした事実があるんだよね。
結果的にどんどん内容がまろやかになっていったわけだけど、それで良いのか?
ちんちんで遊ばないしんちゃんなんてしんちゃんじゃないでしょ。
もういっそのこと深夜にやればいいのにね。
完全に良さが失われてるよ。
コロナ禍に伴う外出自粛で持て余した時間を有益に費やそうと、学生時代ぶりに読書をしようと思い至る。
以前からゲームに時間を奪われてばかりだが、「良質な人生」やら「スキルアップ」やらのため読書をすべきと思ってはいた。
そうした気分と、今回のコロナ禍という状況を鑑みて、前々から気になっていたジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」を読むことにした。
学生時代に同著者の「世界史」を読もうとしてギブアップした苦い記憶があり、今回はしっかりと読み込みたいと思っていたので、こうして読んだあとのことをアウトプットしておきたいと思った。
しかし、数多の名だたる知性人たちが読み漁り語り尽くされた名著を、今更に教養のない者がまとめても誰も得しないので、ただ個人的に気になったところをいくつか己の言葉にする程度にとどめておきたい。
今回は、特に気になった「病原菌」がどのように世界において役割を果たしていたのかという所である。
「病原菌」とは他の生き物の構造に感染し、伝播することによって己を増殖し存在を拡散していくものと大雑把に理解した。
時に細菌は突然変異によってその性質を変えることがある。ネコにだけ感染する菌が、ネコからヒトへ感染するようになり、さらにヒトからヒトへ、という具合である。
しかし、この問題は前提に「異種」が接触する範囲に存在し、更に突然変異を発生させるだけの試行回数を重ねる環境を要する。
世界では、先んじて家畜と共に暮らす人びとが家畜からの細菌と接触し、そして(結果的に)その耐性を得て、遺伝子に刻み込んでいった。
逆に、家畜を持たず生きてきた人びとは、こうした機会を得ることはなかった。それだけの理由で、家畜を持った人びとと比べて、免疫という力において圧倒的に不利になる。
その「家畜化の条件」から「栽培可能な植物」、果ては「大陸の形」に至るまで様々な要件を読み解き、現在の世界情勢に至る起源を多面的に語り尽くそうとしたのが本書だった。
私は「人やイベントの名前を覚えるのが致命的に苦手」で、歴史という学問にあまり興味が沸かない。
それでも、今に至る歴史の流れの中に、ただ条件が悪かったと言うだけで死んでいった者たちで溢れていると思うと、今生きている私が明日を迎えるかどうかすら約束されてはいないという事実に思い当たり、陰鬱とまでは行かなくとも、逃れがたい何かに流されているような、言いようのない浮遊感を覚えてしまう。
単純に時間かかりますよね。お年寄りとかだと細かいものが見えにくかったり、つかみにくかったりして、いつもより時間がかかる。そうなるとお客さんが並ぶ。結果的に(短時間だけど)人口密度が上がるわけです。
そもそもメリットは「接触が減る」ことらしいんですけど、それで感染リスクがどのくらい下がるんでしょうか?気持ちの問題じゃないのだろうか、という気がしてなりません。
お客様の手と従業員との手が触れたとして、どちらかの手にウイルスが付着していたら、そこから感染するから、ってことなんでしょう。
でも、感染するには手についたウイルスが目とか鼻とか口とかの粘膜を触らないといけないはず。手渡し自体では感染しないはずです。
それに、どちらかの手にウイルスが付着していたとしたら、お金を触った時点でもう片方の人の手にウイルスが付着するわけです。お客様の手→お客様のお金→店員の手→レジ内のお金→店員の手→お客様の手という流れですからね。
ここにトレイが介在するからといって、ウイルス感染のリスクが下がる、という理由がわからない。どちらにせよお金を通じてお互いの手を触ってるみたいなもんじゃないですか。
さらにレジ内のお金は特に消毒されていません。お金をいただいたら、そのままレジの中におきっぱなしです。ますます手渡しだけを問題視する理由がないように思います。
この件についての解決策は簡単、電子マネーかクレジットカードを利用していただくことです。そうしたら手と手が接触することはありません。店員としても楽です(一部電子マネーが利用できない商品や、料金収納はありますけど
)
だから本部には「電子マネーかクレジットカードのご利用をお願いします」とか言ってもらえるといいんだけど、まぁ無理なんでしょう。いやまぁ、ビニールシートとかゴミ箱の封鎖とか、結構頑張ってくれてるからあんまり文句いいたくないんですけど、この件に関しては過剰反応かつ意義が薄いと思うのですよ。こういうご時世だから仕方ないんでしょうけど。
かつては嫌いだった、というべきかも知れない口語。
~じゃね。
~(だ)(なる)からな。
~だろ。
おまえは~。
等2ch・5ch由来の、一様に皆同じでイキった喋り方をする口語。
なぜ皆一様に同じ喋り方なのか当時は疑問だった。
というより、今でも多少疑問はある。
悪口を言われた際彼らは一意の人格性を自らに認めている。すなわち反論する。
みな名無しであると自覚するならば、単なる群れの一種である彼らに個別性など存在しないはずだ。
ところが彼らは同じように他人に合わせながら自分は個別であるというおかしなコンプレックスに陥ってる。
(スタンドアローン・コンプレックスといえばまるで攻殻機動隊だ)
コテハンなど個性があればそれを否定しにかかるが、レス番付きの「我」のことになるとコテハンのごとく振る舞う。
このダブルバインドの矛盾は柔軟性として機能していない。したがってあの場所ではよく闘争が起こる。
一つはまるでAIのような群体としての5ch、もう一つは匿名なだけで個別性しかない5ch。
個別性しかない連中が「荒らさない」という共同作業するには「押さえ込み」しかない。
いまならTwitterのプロフがそれに近い。話しによれば、どうやらプロフでは以下の者達がNGらしい。
曰く、
見ての通り3,4番目は相反する。1,2に至っては思い込みでしかない。
あるいは傾向がある、程度の話だ。ここでも個性に対する検閲が入る。
しかし一方でTwitterはそれぞれが個性を発露してユーザーを獲得するという大矛盾した構造がある。
その割に上記「押さえ込み」により発生した「空気」により同調圧力を強いられる。
ここに至りSNSで疲れは発生する。言い合うときは「空気」が恐ろしいので集団で襲いかかる。
いわゆる炎上である。抑圧が「空気」を発生させ、その空気が炎上の火種になるとは、まさに化学反応的ではないか。
空気は抑圧の結果生まれるので、水面下では皆本当の自分を容認されたいという承認欲求を抱えることになる。
日本人はディスカッション文化ではない、ディスカッションが苦手であり訓練されていないという。
もちろん嫌味や嫌がらせも多くあるためこの可能性は除外できない。
しかしながら、反論は直ちに人格攻撃ではなく、意見の穴に対する指摘であったり、改善案であったりする。
ディスカッションが苦手となると、結果的にお互いを傷つけない「大人の対応」という欺瞞を皆実践することになる。
そういう仕事の選び方してる人って今までの人生にビックリするくらい影がないんだよ。
学生時代、「人事の人が良い人そうだったから」「合説で社員と仲良くなったから」「話聞いたら面白そうな仕事だったから」、本当にそういう理由で全く損得考えないでエントリーして結果的に中小企業やブラック業界に飛び込んでいくことになった連中たくさんいたけど、総じてリア充だったわ。
逆に屈託なくこういう会社選びしてる奴らって超健全、情操教育大成功の証なんじゃねえか?と思ったくらい。
まあそんなある意味ハイスペックな彼らをも地獄に叩き落とす外食産業のラスボス感はすごい。みんな4年目突入したあたりで限界きて辞めてた。