はてなキーワード: 火の玉とは
ジャップランドであることをやめようとしたらジャップランドはすぐにでもジャップランドで無くなるだろう。
そしてなによりジャップランドがジャップランドである原因がジャップランドであり続ける事にあるのは、ジャップランドの中でジャップランドを否定しながらもジャップランドを脱しようとして動けば後ろから刺される恐怖により誰もがイヤイヤながらジャップランドであろうとし、そうするウチに頭が壊れてジャップランドであり続ける努力に加担して魔女狩りのような真似をする自分こそが正義であり一億火の玉のヒーローの1人だと信じ始める所にジャップランドのジャップランド性が宿るからである。
ジャップ民族は右に倣え国家だからお上であるアベがPTAやめろってしないと変化ないから
自分たちで変えられる素質があるなら平成終わりまでこんな問題組織残ってないっちゅーねんバカかおめーは
同じ様にNHK受信料みたいな化石みたいな法律も手つかずで残ってるわけないし
東電も何のお咎めもなし身銭切らずにヌクヌク電力利用料上げられるわけがない
個人で変化できないってのは歴史が証明してるしこの先未来永劫個人で変えられることはない
そういう人は日本を出て行ってる
増田もお前も俺も日本から出れなかった負け犬なんだから負け犬同士マウント取ろうとせず大人しく黙ってろ
全ての批判がお上に集中するからこそ日本人はお上の言う事に従って1億総火の玉になれるんだよ
でなきゃこんな狭い国で個人で主張激しくしてみろ
摩擦熱ですぐに日本劣等民族メルトダウンしちまうっつーーーーーーーーの!
なんで日本に黒人差別と宗教が八百万()なのか考えたことあんのか
日本はお上憎しで一致団結するしお上の言うことなら仕方ないな…で団結する超法規的国家なんだよ
ポリコレではなくお上が全て悪いという主張の元他の権利が保障され自由が守られる国体をやってんだよ
ここは言ってしまえば究極の個人主義たちが凍り付いた人間関係を構築してる国だぞ
そんな中で出る杭になって何ができるっていうの?
出る杭を否定することが基板の文化形態で出る杭を推奨するのは自殺幇助と同じだぞ
お前がこれから出す例の日本人でありながら出る杭になったプロフェッショナルたちなんて
所詮小物だし小さい界隈のなかで社会全体の変革を担ったわけでもないのに過大評価されてるやつは
ファッション出る杭、ファッション出る杭だよマイルドヤンキーだよ
真なら既に海外に出てしまった人材だからそいつらを引っ張ってきて個人主張の成功結果だというならやっぱりお前はバカバカバカバカカバだよ
グーグルに「ヨガファイヤー」って入れてスペースいれたら「出し方」って候補に出てきてワロタ
まあ普通に考えてゲームの技の出し方ってことだろうけど、リアルに出す方法探してる人がいるかもとちょっと思っちゃったんだよね
[調査] fire と flame の違い - 英語学習SNS Q-Eng
こんなブログ見つけた
ヨガファイヤーは口から火の玉を吐き出し相手にぶつける技です。
何かが燃えながら相手に向かって飛んでいくので、燃えている物質自体も含むという fire の定義に合っています。
ヨガフレイムは口から炎を吹き出し直前にいる相手に浴びせるという技です。
口から出ているのは flame だけのように見えるので、なるほどヨガフレイムですね。
そして、ヨガファイヤーとヨガフレイムは後者の方が入力コマンドが難しい。
ヨガフレイムの方が、完全に flame を制御することで成立する技であり、制御が必要なことがコマンドの難しさに反映されているってわけだ。
そして、ヨガフレイムのコマンドを失敗して flame を制御しきれずに fire になって飛んでいくのが実はヨガファイヤーだったんだね。
数メートルしかない横断歩道でも、信号に従う自分を誇らしげにしている人。
決められた事に従う事に何の疑問も持たない人。
守らない事でさほど害がなかったり、むしろ非合理的であるような事でも、守る事が偉いと思っているからだ。
正しい事さえしていれば、守ってもらえると。そして、そうでない輩を大っぴらに批判する事ができるし、優越感、守ってて偉いねという承認欲求も満たされる。
優先席のマナーも、それが本当にペースメーカーに悪影響なのか知ろうともせず、ただルールだからと盲目的に従い、あまつさえ他人に強要してくる。私は正しい事をしてるんだと鼻息荒く。
そう聞かされて来た。
それに対してどうのこうの言うつもりは毛頭なく、ただ、何かに似てるなと思ったら、
日本は9条があるから守られていると言う変な幻想を未だに唱えてる集団と、根本は同じじゃないだろうかと。
戦前、日本はその特殊なメンタリティ、国民性、さらに外交の稚拙さ故に世界から孤立し、戦争へ走った。
きっとばあちゃんの「神の国」という言葉も、そういう中で周囲からそう教育されて来たんだろうと。
でも、その周囲を作ったのは誰なんだろうと考えると、それは当時の政府・軍部もあるだろうけど
それを煽り立てたメディアであると言う事は、今では誰もが知っている事。
翻って現代、「戦争法案」を唱え、本質を歪曲し誇張して煽動しているメディア。
9条と言う実体のない「神」が居れば救われると思ってるお花畑の人達。
そういう意味で、「戦争は悪だ」「日本が悪い」だけを植え付け、「なぜ戦争に走ったのか」について
正面で向き合ってこなかった戦後教育の恐ろしさが、ここに凝縮されている様な気がする。
神である9条を唱え、自分たちは独立独歩でやって行くと、他国に一切干渉せずやって行くと、
それが出来るならそれでいい。だが、それならば尚の事軍備を強化する以外、自国を守る手段が無いよ?
おいおい、これって戦前と同じ構図じゃないか?
競争において勝者と敗者が生まれるのは必然であることも、現代社会の中に競争の形を取るものが散見される事を否定するつもりはない。
誰かを貶めてのし上がるものがいて、反対に奪われ続けた事で人生を台無しにするものがいる事も否定する気などない。
だがその前者が勝者だとはとても思えないし、後者が敗者だとも考えられない。
また同様に、生まれつき恵まれ生涯に渡り恵まれ続けたものとその反対に居るものを勝者・敗者と分けるのも相応しとは思えない。
では何故、世の人は己や他者の人生を勝ち負けで区切ろうとしてしまうのか。
競争に勝ち続けた者は自然と人生の良い側に進みやすく、反対に負け続けた者は悪い側に進みやすい。
知能の程度を下げれば一見正しそうに見えるが、知能の程度を標準レベルに戻せばすぐに誤りであると分かる。
だが人はこんな簡単な事になぜか騙されてしまう。
何故なら、多くの者が同じ間違えをし続けているからだ。
人間は暗示に対して脆い。
レミングスは集団であるからこそ崖に飛び降り、帝国海軍は一億総火の玉であるが故に神風と化す。
一匹のレミングスは崖の危険性を知り、1人の日本人は勝機の無さを理解しているが集団となった時それは失われる。
だが、もしも正しくなくてもそれが人を幸福にするのならば辞める必要はない。
だがこの信仰は人を救わない。
邪教である。
簡単なことだ。
勝者と敗者に別れる時、それは戦である。
そして戦において、そこには敵と味方が生まれる。
そして勝者と敗者の概念が個々人の判断に委ねられる時、回りにいる大部分が敵となるのだ。
あいつは俺よりも金があるから敵、あいつは俺よりもブサイクだから敵。
下手をすれば回りの全てが敵に変わる。
そしてその敵の群れに勝つためにその場その場の勝利ばかりを目指す。
他者を敗者と思い人に辛く与えればそれは真の敵になる。
己を敗者と思い人にへつらえば誰もが真の敵になる。
そうして回りの全てが本当の敵になるのだ。
夜店の出ない日があるから、気をつけてね!
あれって絶対、京都に対して超意識高い中学生っていないわよね!
私は京都行ったことはないけど。
さて。
増田はWEBの文章だから、紙の本とは違ってWEBの書き方がいいと思うの。
具体的に言うと、1行短くリズムよく改行していく感じかな。
なるほどーって思ったわ!
もうこの手のノウハウは書き尽くされてるから、もっともらしく真似して言ってみただけ。
どんなにがんばっても4コマ分の話の流れの描画が私の限界なのよね!
何気ない一瞬をいかにしてどうてんこ盛りまくるか!
何も考えないで勢いでバカ書いた方がハイ&ナイスレスポンスもらえたりして
でも、長い物語や話を書くのは超大変だと思う。
あんな壮大なことすら思いつかないし。
食べ比べてみると美味しい。
デパートになかなか売ってなくて3軒まわってやっと見付けたわ。
ドラゴンフルーツって言うくらい、
初めて食べるとき食べ方分からなくてどうしようかと思ったけど、
皮は意外とぺろんと剥けるわ!
果肉は白いけど赤いのもあってそっちの方が甘いんだって!
お試しあれ!
すいすいすいようび!
今日も頑張ろう!
永遠の0の作者なあ……。いっそのこと、思想的には対極の位置にありながら築き上げた業績では足の爪にも及ばない宮﨑駿に対して反旗を翻したのち、著作よろしく華麗に玉砕などして存在感が永遠に0になったら超面白いと思いましたが、映画大ヒットの報を拝見するかぎりそれも難しい様相で、なんとも盛り上がりません。
http://biz-journal.jp/2013/09/post_2979.html
この記事によれば「風立ちぬ」をべた褒めしたところパヤオからこれ以上ないカウンターでフルボッコ、という状況です。それについてのリアクションは寡聞にして知らない。そもそもパヤオに対する反骨の相もあるのかないのか……あるいはガン無視でしょうか。このテの人材がこうもボロクソ言われたら自尊心が刺激されないわけが無いのだが……。
さて、俗にいう“特攻”、自国民の消耗にもとづいた戦法を肯定的にとらえようとしている時点でコイツの視座が現実から乖離して形而上的ステージへと突入しつつあるのは明快であります。特攻を美化し、賛美したものを書物にしたため、売り物にしてお金を儲けている。劇中でも「史実を知らない現代の若者」に蔑視のまなざしを向ける配慮も忘れないと聞きます。映画は大ヒットだそうですから、さぞおいしいものを毎日たくさん食べているのでしょう。戦没者300万人をおかずに供して日本人の感動を誘い、その涙とともにこぼれ落ちたお金の力を使って召し上がる食事の味とは、果たしていかばかりのものか……。“第二次大戦中における日本戦没者のおよそ5割は餓死”という話とあわせて考えると大層感慨深いものがあります。
そのような彼の勢いはツイッターでもとどまるところを知らず、やたらと威勢のよい佞言を垂れ流してリツイートを稼いではえびす顔、というわけですからいよいよもって香ばしい。俺は当初、これほどの大ヒットを叩きだした小説家なのだから、賛否両論あるにせよ洞察に満ちた示唆をツイッターでも与えてくれるのだろうとおもっていたが、彼のツイートからプンプン漂ってくるのはネトウヨフレーバーの小物感でした。なに、これ。ただのクソウヨじゃないか……。彼の著作はゼロ戦モノなのに、申し合わせたように嫌韓嫌中というのも見逃せません。
これが、この人物こそが、本邦で話題沸騰中の小説家その人である。
この煉獄めいた事実には絶望と諦観を禁じ得ません。水嶋ヒロの話題で盛り上がるほうが5億倍マシだ……。
――敗戦濃厚な状況下にあって、それでも敵に立ち向かわねばならないという時に“お国のために命を捨てる”ということが美しいのか、あるいは愚かしいのか、そんなものは平和と飽食のなかに生まれ育った俺が一言に断じることは出来ません。が、国家という視点で眺めてみると、替えの効かない人間を100%使い捨てる「特攻」という手段が戦略的にはあきらかな悪手であり、絶対に死ぬという前提のもとで14,000名もの人的資源を消費してなお局面を打開することかなわず敗戦に至った、その現実を忘れてはなりません。
ところで、戦地に赴く兵員も守られるべき国民の一部です。まともな軍隊は無意味な命の消耗を決して行いません。生還が期待できない作戦に従事させるなどありえないと聞きます。なればこそ、最低限の技術すら充分に仕込まず、戦略的確信もロクにないまま、垂れ流すように人間を消費していった大日本帝國という組織が、もはやマトモに判断する頭を持っていなかったのは想像に難くない。というかそんなもん作戦でもなんでもなくて、呪術か狂信の域です。氾濫した川に人柱を捧げるとか、そういう次元の愚行。20世紀の話ですよ? そんなクソ『作戦』に殉じて死んでいった人間を「護国の英霊」だなんだと奉じてただただ祀り上げたり、「日本を護ってくれてありがとう」などと謝意を述べたりするのは、まず現実に即していないという意味において死者の耳に届くものではありません。
特攻では日本を守ることが叶いませんでした。われわれは、国を挙げた狂乱の最も哀れな犠牲者である彼らについて、ただただ哀悼の意を捧げるしかありません。まったくの非論理性に基づいて死んでいくことを強いられた彼らについて、国に身をささげて護ってくれた偉人だと位置づけるのは、どう取り繕ったところで美化だし、また身勝手にも程があります。
もし靖国神社におもむいたなら、特攻で死んでいった霊前に際して感じるべきは、決して感謝の意のたぐいであってはならない。ましてや参拝者自身のナショナリズム(笑)のズリネタとするなどもってのほかです。お前自身の事なんざどうだっていいわ。われわれは彼らに対して『あなたがたのような無意味な犠牲を今後二度と生み出すことのないよう、いついかなる時においても冷静な判断力を保持し続けるべく不断の努力をする』と誓わねばなりません。彼らの無意味な死に意味を与えたいのなら、彼らの教訓から悪い部分を点検・評価をし、処置・改善を施し、よりよいみちすじを計画し、そして実行する。そうやって戦後の我々がつねに賢く在ることで、彼らに報いねばなりません。それができなかったからこそ戦前の日本はあれほどの愚を犯したのだから。
――とは申せ、この国においては困難に取り組む姿勢や努力そのものが崇高であって結果は二の次三の次、という精神論が未だに根強いので、自爆攻撃が二度と繰り返すべきではない馬鹿げた愚行だと確信するにいたるのは少々先の話だとは思うのだけれども。とりあえず日本人が特攻隊員を美しく思っているうちは、いまなお旺盛なサービス残業はきっと無くならないでしょう、残念ながら。ていうかよくポツダム宣言なんて受諾できたもんだな日本……。
そんなウワサの永遠の0さんですが、述べたようにツイッターの閉じた輪っかの中で自らの考えを発信しては、同好の士(と書いてネトウヨと読む)のさんざ輻輳しきった肯定のレスポンスを受け取ってほっこりしているようであります。RTとfavの数字だけみたらまぁよくも次々と数百RTを連発するなあという感じですが、実際のところ汚泥が汚泥と混じりあって発酵していく毒の沼地のような醜悪さです。日夜この国のトラフィックを増大させてプロバイダの業務を1%くらい煩雑にしておりますが、その様子はナメクジ同士の交歓にも似た淫靡さで、読んでて正直恥ずかしい。とあるツイートなどでは『有事の際には9条論者を最前線に立たせ、彼らの物言いで戦争を止められるかどうか眺めればいい』などと超ドヤ顔で言いだす香ばしさ。うーん、これは上手いことを言ったつもりなのかな? たいへん粘着味あふれる皮肉センスで小生は惚れ惚れいたします。膨れ上がった自尊心が伺えます。かようなトラフィック上のクソですら、山ほどの(とはいえ3ケタ程度の)RTをされてしまう魔のフィードバックに取り囲まれた裸の王様こと氏は、お勤め時代ならいざしらず、今はもう自分の見たいものだけを見て生きているに相違ありますまい。実に幸せそうです。人間かくあるべきというお手本のような状況です。われわれ日本国民は、かの映画を見ることでこんなおもしろ人材を養っているのだという現実にそろそろ向き合う覚悟が必要でしょう。くわばらくわばら。
――以上は多少のオブラートに包んだ物言いでしたが、ただいまの気持ちに偽りなく申し上げるならば、先の大戦からこのようなスイーツ受けする感動話(笑)しか導きだせないこのようなボケナスは、有事の際においてまず靖国ならびに千鳥ヶ淵で1億回陳謝ののち速やかに最前線に赴き、一億火の玉の嚆矢と成り果てて欲しいと思った。氏の著書に感銘を受けたフォロアーが80人くらい同行するかもしれませんし。
映画の方ですが、あんな見え見えの地雷をだれが踏むかって感じなので5億円くれたら見たいです。ツイッターで感想をつぶやいた人々がおおむねスイーツ(笑)層とジャニオタ的人材である点には少しホッとしています。単純に「泣ける感動モノ」という文脈で受け止めているようです。とりあえず、根底をうごめくクソウヨ史観に運悪く感染してしまったインフェクテッドがそう多く見受けられないのは不幸中の幸いでしょう。人々はいまだ中庸なり。多分。
ゲーム:http://web.archive.org/web/20060112062814/http://www.atom.meti.go.jp/game/atomdepon/index2.html (要FLASH)
遊び方:http://web.archive.org/web/20060116040813/http://www.atom.meti.go.jp/game/atomdepon/howto/index.html
検索で見つけた紹介文:(ttp://www.green.dti.ne.jp/mmazda86/diary/diary0408.htmlより引用)
先ずタイトルが『アトムdeポン!』であり、プレイヤーは「アトミくん」
となり「火の玉小僧」「アクアちゃん」「エネちゃん」をやっつける
のである。
これからは原子力もリサイクル(ウラン+プルサーマル+再処理工場)
誰かさんが不謹慎アピールしながら自画自賛している原発麻雀よりも、かつて経済産業省さんが直々に公開していたこちらのゲームのほうが、よりシニカルでよりアトミックに楽しめるのではないかと思います。