はてなキーワード: 極刑とは
凶悪事件が話題になるたびに思うのだが、私は死刑制度には反対だ。データを見る限り犯罪の抑止力になっているとは言い難いし、再審請求が多くなされている中では冤罪を防ぎきれているとは言えないと思う。慣例のようなものが多く、制度自体の透明性も十分ではないと思っている。
そういう意見には、「被害者や遺族の気持ちを想像してみろ!」という反論がある。実際に言われたことも何度かある。
けれど、私はそういうことを言われるたびに、〝私が実は被害者家族かもしれない" という可能性にも気づかないような貴方のお粗末な想像力に価値はあるのかなぁ、と思う。
私には「自分に不利益を与えた相手に罰を与えたい」という気持ちになったことがない。「私はあいつのせいでひどいめにあった、あいつもひどいめにあえばいい」という理屈がよくわからない。ひどいめにあって自分が悲しい、悔しい、怒ったぞ!というのはわかる。私にとってそれらの感情と「罰」は別物で、そのために相手が悲しんだり悔やんだりしても、私には特にメリットがないように思うし、悔しさが埋められるわけでもない。
小さい話で言えばめちゃくちゃに私に仕事を振ってくる上司に「足の指を机にぶつけちゃえ」と思うとか、そういうことが一切ないということだ。もしその上司が足の指を机にぶつけて痛がっていても、別にそれで私が楽しくなるとか、そういうこともない。仕事は減らないし。
毎週のように人権侵害レベルのめちゃくちゃなクレームを浴びせてくるおばさまにも、私の弟をひどいシフトと給料で働かせていたバイト先の店長にも、幼少期に私に暴力を振るった変質者にも、特にその報いを受けてほしいと思ったことはない。新聞やテレビで見る殺人犯などはなおのことで、仕事の関係でそういった事件の現場に幾度か足を運んでも、さほどその感情が変わることはなかった。ひどいなぁとは思う。こんなことが二度と起きないと良いとは思う。犯人をとても許せないと思う。でも許せないってなんだろう。それは完全に私の中身だけの問題で、行動とか、外に出ているものとはあんまり関係がない気がする。私はたぶん、小学校の頃に私を無視した同級生を許していないけれど、彼女が現在進行形で私を無視していないのなら彼女と夕飯を食べることができる。
ただ、これは私にとって理解ができないというだけの話で、それだけでは私がそれに反対する理由にはならない。それは例えば、私が目が見えるから街中の点字ブロックは全部剥がせと言うとか、私がトンボが嫌いだからトンボをいくら殺してもいいとか、そういうのは間違っているのと同じだ。それに、その事件1つ1つに関して言えば私は完全に部外者で、当の本人たちが極刑を望むのならそれは無視されるべきではないと思う。あと、「二度とこういう事件が起きない」ためにはその犯人を世の中に出さないほうがいいと判断されることがあるというのは理解できる。
私が死刑に対して、それでも「反対」の方に傾くのは単純な理由で、「私が人殺しをしたくないし、誰かに人を殺してほしくない」からだ。それは部外者が持ち得る曖昧な想像力よりも私にとってずっと実感がある。
この国に生きてきて、私は何人もの犯罪者を殺している。刑場を準備すること、片付け、それに関わる人の諸経費、お金は私が出している。執行のためにハンコを押す大臣、あの人も私が選んだ。事実としてそう。そういうシステムになっている。
そして私は同時に、誰かに人を殺すことを強いた。誰かがボタンを押したから、死刑囚は死んだ。そのボタンを押させたのは私だ。
高校の頃、死刑制度について考える授業で、反対サイドの私が「死刑を執行する人の負担を考えると賛成できない」と言ったら、賛成サイドに「刑場にはボタンがいくつかあって、一斉に押すから誰が装置を動かしたのかはわからないようになっているから」と言い返されたことがあるが、私はやっぱり、それが反論になると思っている、自分が殺したかどうかわからなければ大丈夫だと思う人が想像する「被害者の気持ち」はどれだけ信頼がおけるものなんだろうと思った。
賛成する人の意見はいろいろある。システム的な部分で理解できるものもある。でもそれを「人の気持ちの代弁者」のような顔をして主張することにはどうも不信感がある。だから知りえない人の気持ちより、私は自分の気持ちの方を重視する。私は人を殺したくない。私は誰かに人を殺させたくはない。だから私は死刑を望まない。おしまい。そっちも代弁者のような顔をしていないで、貴方の言葉で話してくれよ、と思う。
ひとつ、妥協の提案がある。裁判員裁判のように、死刑を執行する刑務官の役も毎回抽選で選ぶのだ。選ばれた人が、一斉にボタンを押す。
裁判員裁判は可能なのだから、それより頻度の低い死刑執行ならシステムや経費の問題もそこまで重大なものにはならないだろう。被害者にさせるのはその後の世間や死刑囚家族との関わりの危険性がありそうだから、匿名の無作為に選ばれた誰かが良い。執行がより透明性が高くクリーンなものにも成り得る。ついでに死刑に賛成する人が主張する「犯罪抑止」の効果も強くなるのではないか。
もしこれが実現しても、私は今の状況も同じだと思っているので、別に気持ちの面で変化はない。人に押させるのはいいが自分が押すのは嫌だ、というのはけっこうわがままなんじゃないかなぁ、と私は思う。死刑制度存続に賛成する人は、この案にも賛成してくれるに違いないと思うのですが、いかがですか?
綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人の“元少年”が、今度は殺人未遂で逮捕されていた!
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/08211145/
私は死刑廃止論者だが、今の基準で極刑が相当な凶悪犯は、人権を剥奪したうえで人体としてのみ活用する終身刑にすべきと思うわ。国家が殺すなんてもったいない
具体的には
・殺人犯の場合は遺族(一親等に限ったほうがいいかな)に限り、自らの手で殺すことを認める。殺し方も自由。もちろん殺さなくてもいい。復讐する権利の行使を認める
で、復讐により殺されることを免れたら
・臓器はじめ、人体のあらゆる部位を強制的に医学的用途に使用する。
前文科省局長「『息子をよろしく』とは伝えたが不正に合格させてくれとまでは依頼していない」
…こんなエクストリームな言い訳を繰り出すとは思わなかった。なかなかの人物であるな。
信用失墜行為で懲戒免職程度かと思ったが、破廉恥罪と国家転覆罪による極刑にこそふさわしい人物かもしれない。
(…とは書いたが『ぶっ殺せ』とまでは書いていない。)
関係者によりますと、佐野前局長は去年5月10日に東京医科大学の臼井正彦前理事長(77)らと会食し、前理事長から支援事業の申請書類を示されたうえで「昨年度は落選したがどうすればいいのか」などと助言を求められたということです。
そして佐野前局長はその場で申請書類の書き方などを助言し、「東京医科大学は医大を受験する息子がいちばん行きたい大学なのでよろしくお願いします」などと伝えていたということです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180713/k10011532211000.html
駐日欧州連合と各国の駐日大使が「日本で死刑が執行されたことを受けた、現地共同声明」を発表した。
https://eeas.europa.eu/delegations/japan/48047/node/48047_ja
私は、死刑制度はすでに「ある」ものなので、存在を疑ったことがないタイプの人間である。多くの人が通勤時に信号を受け入れているように、人を何人も殺したことが確実と思われる者は死刑になると考えて生活している。
ただし、このような駐日欧州連合と各国の駐日大使の声明についてはモヤモヤとしたものを感じてしまう。なので、彼らの主張が本件に当てはまらない点と主張の欺瞞を明らかにしてみたい。すでに「偉い人」によってナンセンスとされている議論かもしれないので、皆さまの叱正も乞いたい。
同声明文には『どの司法制度でも避けられない、過誤は、極刑の場合は不可逆である。』と書かれている。しかしながら、オウム事件の刑事裁判において、犯罪の事実や行為自体は争われておらず、弁護側からの反論は主に責任能力だった。したがって、本事件については冤罪ということはないように思うし、本事件について冤罪を疑うレベルの懐疑心の持ち主は日常生活を送ることは難しいだろう。また、「じゃあ、過誤じゃなかったらどんどん死刑にしてもいいの?」と反対論者に聞いても絶対に賛成しないのでこの主張は本質的でない。
より説得的な意見は、同声明文の「犯罪抑止効果がない」という箇所である。例えば、人権団体のアムネスティは、「科学的な研究において、『死刑が他の刑罰に比べて効果的に犯罪を抑止する』という確実な証明は、なされていない」と主張している。さらに同団体は、以下のようなデータを示している。
「1981年に死刑を廃止したフランスの統計でも、死刑廃止前後で、殺人発生率に大きな変化はみられません。韓国でも、1997年12月、一日に23人が処刑されましたが、この前後で殺人発生率に違いが無かった、という調査が報告されました。また、人口構成比などの点でよく似た社会といわれるアメリカとカナダを比べても、死刑制度を廃止していない米国よりも、1962年に死刑執行を停止し、1976年に死刑制度を廃止したカナダの方が殺人率は低いのです。(http://eumag.jp/feature/b0914/)」
しかしながら、ここでは統計的な手法によって科学的エビデンスを示していないので、主張は信頼性が低い。要は、死刑制度について賛成派も反対派も明確な科学的エビデンスを持ち合わせていない。つまり、犯罪抑止効果については、仮説によって類推するしかないのだ。その点、わが国の法務省の主張は明瞭(もちろん皮肉だが)。
「刑罰に犯罪抑止力があることは明らかであり,刑罰体系の頂点に立つ死刑に抑止効がないというのは説得的ではない。(http://www.moj.go.jp/content/000076135.pdf)」
本事件に当てはめていても、(報道から)1審で死刑判決を受けたとき麻原は「何故なんだ! ちくしょう!」と叫んだことが知られており、宗教的なインセンティブから罪を犯したものでさえ死刑対してコストを認識していたことがわかる。
ここまで、駐日欧州連合の主張が少なくとも本事件に当てはまらないことを論じてきたが、一般的に「死刑は残忍で冷酷であり、」誰に対しても行うべきではないという主張もある。この点については私も賛成する点もあるが、所謂「おまいう」案件でもあり主張は欺瞞に溢れているように思う。ここでは、EUに加盟しているフランスとチベットのダライ・ラマ法王の二つの行動に着目したい。
例えば、駐日欧州連合が「欧州における死刑廃止の取り組み」として紹介しているフランスである(http://eumag.jp/feature/b0914/)。フランスが2015年11月にISISによる同時多発テロの対象となったことは、記憶に新しい。(事実として)フランス空軍は、1週間も立たないうちに、ISISが首都とするシリア北部の都市ラッカに空爆している。そこには、過誤の議論も抑止効果の議論もない。
これに対して、もう一人の死刑廃止論者の意見も紹介しよう。こちらは、2007年のサダムフセインの死刑に反対したダライ・ラマ法王の声明文である(http://www.tibethouse.jp/news_release/2007/070118_sdm.html)。チベットは中国による人権と自治の侵害に晒され続けているが、法王は「私は、中国と敵対などしていません。私が目指しているのは、チベットの自治を確立することです。」としている。法王は、フセインの死刑に対して「とても悲しいことです。大変、悲しいことです。」と表明している。
ここまで紹介したら、欺瞞なく「死刑を批判できる人」が誰か明確になっただろうし、この問題で日本が取る立場も見えてくるように思える。「国連人権理事会の普遍的・定期的レビュー(UPR)の枠組みにおける勧告」なんて知らない。
発達障害の一種、アスペルガー症候群と認定した殺人事件の被告の男に、求刑を超える懲役20年を言い渡した7月30日の大阪地裁判決について、患者や支援者でつくる日本発達障害ネットワークなど3団体は9日までに、「障害に対する無理解と偏見があり、差別的な判決」などと批判する声明をそれぞれ発表した。
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0901C_Z00C12A8CC0000/
一方で
https://mikle.jp/threadres/2321463/
最近にはじまったことではないが、Yahoo!ニュースの各記事へのコメント(ヤフコメ)がいよいよ暴力的な色彩を帯びてきており恐ろしい。
「殺せ!」という言葉があまりに普通に使われており、あまつさえその表現の残虐さを競うような状況である。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171009-00000020-asahi-soci
(※削除された後用のアーカイブ https://archive.is/0x5RH )
高速道路上での死亡事故についての報道で、ある運転者が事故の原因となっていたかもしれないことが取材でわかったとの内容。
事故自体はとても痛ましいものであるが、この記事に対するヤフコメが異常である。
要約すればとにかく「殺せ!殺せ!」と。
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kur*****
sup*****
念のため強調するが、まだ逮捕もされていない者に対しての「殺せ!」である。
報道機関(この場合朝日新聞)が報じたことだけを根拠に、いや、その根拠以上のことを勝手に見出して
極刑を指示(殺せ!)し、あるいは残虐な私刑を勝手に検討(殺せ!)する。
fum*****
aps*****
轢くだけじゃダメ。
100km/hの衝撃を教えてあげないと。
bas*****
一瞬で死んじゃうから
kur*****
顔写真付き実名報道、高速道路における引きずり殺しの刑にしたいくらいだ!
容疑者よ、出てこい!
nas*****
業務上過失致死なんかでなく、
もっと重い罪はないのか?
市中引き回しにして、苦しませながら同じ目に遭わせるべき!
コメント欄の流れをよく見てみると、ある「殺せ!」という内容の投稿に呼応するように「殺せ!」という投稿が連なっていく。
日本が法治国家であり、自らがその担い手であるという意識は見られず、あたかも娯楽のように、おびただしい「殺せ!」が積み重ねられる。
冷静なコメントもあるが、当たり前のように過激な意見が支持され、埋もれていく。
悲観的予言をするならば、いつかこの殺意はコメント欄を飛び出し「魔女狩り」は起こるであろう。
ヤフコメは、すでに殺意をかき立て、正当化し、増幅させる役割を果たしている。
このような惨状を放置しているヤフージャパンの社会的責任はどうなるのだろうか。
そして我々の社会は。
日本社会が日に日に衰退していくのが明らかすぎて辛い。
あらゆる領域で途上国と思ってきた国々に横並びどころか抜かれるまでになった。
日本人は非合理的なことでもステレオタイプによって、思考抜きで正しいと盲信する。
政治家は政治家で、誰も未来に対しての政策を取らない。もう政策がバカすぎて絶望しか感じない。
いつまでも医療期間に金をばらまき、老人の寿命を引き伸ばすことに今なお大量の税金を使い、健康寿命そのまま、死に損ないを大量生産し、少子化を無視だ。
少子高齢化をどんだけ進めたいんだよ。俺が日本を内部から破壊するなら、今の政治家がやっていることと同じことをする。
ちょっと洗脳してしまえば、この少子高齢化は意図的であることを隠せるからね。
自民もカスだが、希望も負けじとカスだ。能無しだが金への執着が強い人しか政治家を志さない日本は終わってるよ。
2050年には日本は崩壊すると言われていたが、それどころか2040年ですら怪しいらしいじゃないか。
それでも政治家はせっせに老人の靴をなめて票を稼ぐ。
この先予測されることは、平均年齢が若く人口増にある国は内需に頼ることができるが、日本は真逆。あと数年足らずで2人に1人が50歳以上という異常事態だ。
内需は絶望的、さらにもう既に国際競争力はない。日本って世界で最も未来のない国なんじゃなかろうか?
つまりこの先、仕事も社会保障もなくなる日本で生き抜くということは、既に資産をつくりあげた資産家だけ。
こんな地獄のような国ができあがるくらいなら、ヒトラーみたいな非人道的だが超合理主義人間に日本を立て直してもらいたい。
極限状態において、それもやむを得ないよね。
そのほとんどがシングルマザーに新しい男が出来て、家に入れたことで起こっている。
「腹を痛めて産んだ我が子」というのはもう死語なのか、自分の子供より新しい男を
大事にしたがる。
親になるということは真の大人になるということ。
母親になれず女のままで生きたいというのはガキと同じこと。
ガキがガキを産み、これまた大人になりきれないガキ男といっしょに産んだガキを痛
やれ子育てに厳しい世の中だ、社会の有り様が昔と違って変わったから、といった屁
こんな時代でもちゃんと子育て出来ている若い親もいる。むしろその方が圧倒的に多
い。
虐待死させた親どもに下される量刑はやったことに対する償いとしては少なすぎる。
極刑に処してもいいくらいだ。見せしめとして効果がある程度期待できる。