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2014-06-28

東洋大学II部漫画研究会は最高だった

当方都内美大の油画卒。

かなり以前の出来事になるが、学生時代の一時期に日東駒専一角である東洋大学のII部漫研に通い詰めて活動していた。

きっかけは東洋大生であった友人の「コミケ用の薄い本の表紙手伝ってくれ!」みたいなちょっとした誘いだったと思う。

自分の居た大学が思ったよりもオタクがおらず、げんしけん的なキャンパスライフ大学に求めていた身としては極めて欲求不満だったのもあり、

他大のオタサーに対する興味から友人の誘いにホイホイ乗って東洋大まで向かった。

 

結果的には非常に良かった。

総合大学であるためか美大のような偏った単科大学には居ないタイプオタクも数多くおり、強い刺激を受けた。

美大は…というか在籍してた大学では、少なくとも自分の交友範囲では先鋭的重度消費型オタクや、ブログ等で延々と作品考察したり持論を展開するような文筆型オタクはまず見なかった)

秋葉原へ皆で繰り出したり、コミケサークル参加したりするような典型的ではあるものの楽しく充実したオタクライフを送れたし、

ある意味では自分の真のキャンパスライフ/オタクデビュー東洋大から始まったと言ってもいいくらいの勢いだったと思う。

 

youtubeでふと目にした大学祭動画学生時代の思い出が今更ながら蘇ってきたので、

当時の東洋大II部漫研事情を振り返ってみたい。

 

II部漫研のここが良い!

■夜間学生(II部学生)を対象としたサークルのため、多様な人々が居る

実際これは大きかった。都内大学インカレサークルを筆頭に、他大学学生でもわりと抵抗なくサークルに受け入れるという土壌があるが、

それでも部員殆ど学内の現役学生で占められるようなサークルに他大学生が入っていくのはなかなか難しいもの

しかしII部漫研は違った。一度社会経験してから大学に入ってきたような20代後半の学生や、

卒業したのにまだサークルに来ているような長老20代末)と称される先輩、そして近隣の現役大学生が少数と、

正規の学内生以外のメンバーがすこぶる多様であり、良い意味でのカオスが形成されているのだ。

からこそ、ありがたくも自分のような他大学生でもすんなりと受け入れてもらえ、楽しい活動を送ることが出来た。

様々なバックグラウンドを持った人々がいるため、メンバー個性が均質化せず、アニメ雑談一つとってもバラエティに富んだオタトークが出来て充実する。

 

 

■夜間学生(II部学生)を対象としたサークルのため、遅くまで活動出来る

何と23時まで活動していてOK!

これには驚いた。さすが夜間学生のためのサークルだと感じた次第。

一度自分大学の授業を終わらせてから東洋大まで電車移動し活動参加するような物好きにも優しい時間設定はありがたい。

後述するハイクオリティ学食で腹ごしらえしてからゆっくりサークル訪ねてもまだまだ時間的余裕はある。

日もとっぷりと暮れるまでモンハンうつつを抜かすことも出来る。

冬の寒空の下、夜遅くに皆で部室を出て美しいイルミネーションに彩られた学内林に目にやりながら大学を出る時の良い気分ときたら!

しかしまあII部漫研からこその時間設定だとは思っていたが、隣のボックスでは昼間部学生メインのゲーム研究会23時頃まで延々とスマブラ格ゲー対戦など行い連日奇声をあげておりよくわからない。

 

東洋大学のここが凄い!

漫研に通うということは当然その大学の門をくぐり触れるということであり、そこで東洋大学自体の良さにも色々気付かされたので振り返りたい

 

 

学食が凄い

白山キャンパス6号館のワンコインランチの圧倒的充実ぶりはネットでもよく話題に上るので周知とは思うものの、それでもなお語りたくなるほど東洋大学食は凄い。

何と言ってもコスパが最強。【外に出たら軽く1000円は取られるだろう外食レベルの味+運動部所属大学生の腹でも満足な量】で、

ジャンルも本格インドカレーからイタリアンパスタハンバーグ鉄板料理ラーメン和食など、

ここはレジャーランドかと思うくらいに一施設に様々な料理が入り乱れており初見ではまず腰を抜かす。何を食べればいいか本当に迷う。

しか学内生の話では三ヶ月もすれば飽きるそうだ。それは「美人は三日で飽きる」と言っているに等しい贅沢発言ではないだろうか……一般的学食しかなかった他大学生としては本当に悔しく羨ましい限り。

ここの学食メニューを満喫したいがために、自分の居た大学学食を数ヶ月まったく利用していなかったなんてのはザラ。

個人的にはインドカレーナンお気に入りだった。間食としてよくナンだけ注文して部室に持ち帰り食べながら作業してた。

 

学内が綺麗すぎる

自分の在籍してた大学とは比較にならないくらいピカピカ。そして広い。

図書館も素晴らしい。やっぱり都心デカキャンパス持ってる私大は違うなーと感じさせられる次第。

 

■冬のイルミネーションが綺麗すぎる

大学正門すぐから緩やかな階段を経て校舎へ向かうわけが、そこにある甫水の森と呼ばれる道中の学内林がイルミネーションによって美しく照らされる冬の夜が素晴らしい。

学食レジャーランド級だったことからも、ここにも某ネズミ王国のようなレジャーランド的にメルヘンチックな夜の華を感じて凄く良い。

日東駒専の中ではかなり良いのでは

何かまあ色々とっちらかって思い出してはみたものの、白山キャンパスマジで良かったと思う。

一度専修大にもお邪魔したことあるけど、明らかに東洋大の方が綺麗だったし特に学食比較にならないレベル

色々言っても部外者の感じたことだから本当の内部事情比較になるとよくわからんけれど

 

 

あーもう一度あの楽しかった日々に帰りたいなー

2013-07-06

女装した自分に恋をした

小さい頃からその兆候はあった。長くなるけど昔話からしたい。

物心ついた頃、よく覚えていないけどきっと多分その頃から女の子になりたい、可愛くなりたいと思っていた。

背の順に並ばされると必ずクラスで一番前になる背格好や小学校に入って少し経つくらいまでよく女の子にも間違えられた容姿もそれなりに影響していたのかもしれない。

幼稚園に入る前あたりの自分写真を見ると全部首をかしげてニコニコして映っている。そのポーズをとると可愛く見えると思っていたから例外なくそうしていた。

両親はそういう行動を取る息子のことをさして気にはしてなかったようだ。「男の子なんだからしっかりしなさい」と言われるようなこともなかった。

しか幼稚園に入ってから、どうやら男の子はそういうことをしては変に思われるのだということに気がついた。

でもぼくは最初はあまり気にしてなかった。18cmのお気に入りだった赤い靴を履いてたらなぜか色々言われたりもしたけど、そこまで気にすることは無かった。

その当時ぼくは男の子にしては少し長めの髪型にしていたのだが、ある日幼稚園の同学年の男の子がぼくの髪をハサミで切り落とした事件が起きた。

その時は悲しくて泣いてしまったけれど、その時に男の子が可愛くなりたいと思うのはダメなことなんだなとようやく理解した。

それ以来、ぼくは表向きには一切そういうことは考えないように、そして他の男の子達が好むものを好きだというようになった。

好きな色は赤より青を、好きなテレビ番組カクレンジャーを推すようになった。

ちょうどその頃から好きなものが何なのかよくわからなくなってきた。いろいろどうでもよくなった。

そしてぼくも遅ればせながら中学校に入っていわゆる第2次性徴の時期を迎えた。そして好きな子ができた。相手は女の子だった。背が高くてちょっと同学年の中では少しませてて、ぼくの仲のよかった女の子だった。その時もしかしたら自分のことを同性愛者なのではないかと思っていたぼくは、差別的な言い方になってしまうけど正直少しホッとした。

かと言って、じゃあ告白するかとなるとそれほどでもなかった。一緒によく遊んだけれど。

付き合わなかった理由は、はっきりとしない。でもなんとなくその時にぼくは彼女彼氏には似合わないなと思ったのは記憶にある。

他の男の子ならもしかしたらそこで釣り合うようになるべく格好良くなろうと努力するのかもしれない。

でもぼくはそれをする気が起こらなかった。格好よくなろうという気にならなかったのだ。

しばらくして彼女は他のイケメン男の子と付き合うようになった。ああ、これはお似合いだなと他人事のように思った。

お察しの通り、その頃になっても相変わらずぼくの身長体重クラスの一番前に並ばされるくらいの低空飛行を続けていた。

確か中学入学時は140cm37kgだったし、卒業するときも160cmまでしか大きくならなかった。

でもその頃のぼくは一気に身長が伸びてガタイがよくなっていく周りの男の子たちを見ながら、この低空飛行状態を望ましく思っていた。もしあんなにガタイがよくなってしまったら、可愛くなくなってしまう、それだけは避けたいと誰にも言わなかったけど内心はそう思っていた。

容姿ももちろんもう女の子に間違われるようなことはなかったけど、あまりゴツゴツしておらず中性的な顔を保っていた。

から高かった声も少し声変わりした(と小学校の時から仲のよかった女の子には言われたけれど、一般的に言われるような声が出しづらくなるとかそういう明らかにわか変声期というのはぼくにはやって来なかった)けど甲高いままだった。顔を上に向けるとなんとなく喉仏らしきものが見えるかなという程度で、喉仏が目立つということもなかった。足も23.5cmでそこまで大きくならなかった。

遺伝的要素に感謝する一方で、高校入学してから一気に身長が伸びたいう母親の話を聞きながら、そのことを恐れる日々が続いた。

中学校入学した時、ぼくは自分の部屋にネット回線を引き、パソコンを手に入れた。

そのうちぼくは夜更かしをして女装している人達HPを観るようになった。可愛らしい人もそうでない人もいたけど、どの人も楽しそうにしているのが印象的だった。時々オフ会なんてものをやってて、友達もいるようでいいなと思っていた。当然ぼくにはそんな秘密を共有できる友達はいなかったから羨ましかった。

そして写真を見ているうちにこれはぼくのほうが絶対に可愛くなるとの確信をもった。単純に年齢の問題もあるけど、それを差し引いても。

そしてその日ぼくは初めて母親が若かった頃着ていた服を着た。やっぱりどうしようもなく古臭かったけれど、初めてのワクワク感で曇った目にはとても可愛らしく映った。そしてそのままぼくはオナニーをした。

そこからの転落は早かった。

中高とそんな生活を続けたぼくは、東京大学入学一人暮らしを始めた。家族の目を気にする必要のない空間と恐ろしく持て余した時間家庭教師バイト生活費お小遣いを捻出しても少し余るくらいのお金を手に入れ、趣味に恐ろしく拍車がかかった。

ぼくはずっと欲しいと思っていたものをその時に一気に揃えた。

周りの女子大生が買っているような(安い)ブランド洋服、バッグ、靴、メイク道具、ウィッグ…資金難になりながらも安いものを中心に通販で買い揃えていった。幸い高校生で急成長するという懸念はどこへやら、165cm52kgで成長は止まってしまい、足の大きさも24.5cmで止まってしまった。女性の体格としては大柄なほうではあるけれど、それでも普通のお店で手に入る大きさの服や靴を買えばよかったのでその面ではすごく助かった。

そしてある程度まとまった暇な時間が出来るたびに、ぼくは鏡の前に立って女の子になるようになった。

もちろん最初は鏡の前におてもやんが出来あがるだけだった。それも悲しくて、女性向けファッション誌を買って研究してみたり自分の顔に何度も塗りたくって練習するようになった。ちょっと痩せすぎててほっぺたに肉が無いなと思って笑顔を作る練習をしたり、ちょっとごはんを沢山食べるようにしてみたり、やれる範囲でいろいろやってみた。

そんなある日、奥二重の目をアイプチではっきりさせてやって黒髪ウィッグを被ってみたら、鏡の前に劣化松井玲奈(ファンの方々申し訳ありません)が出来上がった。あ、凄く可愛い、と自分で思った。

その場ですぐにオフホワイトブルーボーダーが入ったワンピースベルトをしめてカジュアルなバッグを持たせて帽子をかぶらせてみた。鏡の向こうの「玲奈ちゃん」はえ?って感じでちょっとカンとしていたけれど、ちょっと顔が赤くて贔屓目だってわかっていてもとても可愛らしかった。

それから玲奈ちゃん」はいろいろなことを経験した。ビクビクしながら外出もしたし、学校大学祭メイドさんになったりもした。酔っ払ってネットに少し画像を上げたりもした。知らない人に可愛いねと言われた。凄く嬉しかった。一人エッチもしたりした。「玲奈ちゃん」でいるとその間はニコニコしていられたし、幸せだった。

もう「玲奈ちゃん」とのお付き合いも5年くらいになる。ぼくも24歳になった。昔はある程度の年令になったら限界を迎えるだろうしその時には別れようと思っていたのだけれど、結局ズルズルと続いてしまって関係を持ってしまっている。むしろ社会人になってお金に余裕が出てきた分、玲奈ちゃんも貧乏女子大生からそれなりな社会人さんって感じになってきて、これはこれで可愛いかななんて思ってる。なんというか、本当に業が深いなって自分でも思う。

結局今まで彼女を作ろうという気も起こらないまま、そして作ることもないままズルズルと来てしまった。いくら「玲奈ちゃん」が可愛くてもぼくの客観的ステータス24男性会社員であるということには変わりない。数年したら結婚したらどうかとかそういう話にもなるだろう。その時にはぼくは「玲奈ちゃん」に『ごめん、一緒にはいられない。別れよう。』って言わないといけないのだろうか。そうだよな言わないといけないんだよな。

その時に「玲奈ちゃん」はなんて言うだろうか。

「わかった、いいよ」って言ってくれるだろうか。「ずっと一緒じゃなきゃヤダ。一生玲奈になって。」って言うだろうか。

いつか言わないといけない時が来るというのはわかってはいるのだけれど、悲しくて向き合えなくてまだずっと言えてない。

追記

これ酢豚ちゃんに載せてほしい。

2011-05-27

映画運命背中情報まとめ ※非公式

基本情報

 運命背中
英題The Back of Destiny
監督出山知樹
出演者出先拓也 大林伊原武文 竹元恵美子 他
美術恩田敏夫
音楽新垣隆 佐村河内守
製作出山ひさ子
上映時間40分
製作2009年
製作日本
言語日本
予告編www.youtube.com/watch?v=jR5MLx7etik
Twitter@unmeinosenaka
ハッシュタグ#unmeinosenaka #back_of_destiny
Facebook運命の背中 ― The Back of Destiny ―

上映情報


上映記録

2016年08月28日広島 東広島芸術文化ホール くらら
2015年12月06日広島 廿日市市阿品市民センター
2015年11月07日広島 広島大学 第64回広島大学大学祭
2015年08月03日広島 広島河内公民館 広島公民館被爆70周年事業
2015年07月19日広島 サテライトキャンパスひろしま ヒロシマを語り継ぐ会
2015年06月21日広島 あいあいプラザ
2014年10月02-04日広島 横川シネマ
2013年10月26日滋賀 ノートルダム教育修道女唐崎修道院
2013年08月05日広島 カトリック幟町教会 カトリック広島教区平和行事2013
2013年01月16日広島 広島市立大学
2012年08月24日広島 己斐公民館
2012年08月07日広島 広島女学院大学 BGSU Peace Seminar: Hiroshima and Beyond
2012年08月05日広島 ゆいぽーと(広島男女共同参画推進センター
2012年07月28日広島 広島留学生会館
2011年10月30日長崎 長崎原爆資料館ホール 長崎国際平和映画フォーラム
2011年08月13-14日埼玉 矢尾百貨店 平和のための戦争展in秩父
2011年08月06日広島 レイノ・イン広島平和公園
2011年07月31日広島 八丁座・弐 ヒロシマ平和映画祭プレ
2011年07月30日広島 広島留学生会館 留学生市民による平和フォーラム
2011年07月09日埼玉 所沢市中央公民館
2011年06月11日東京 渋谷アップリンク
2011年05月28日広島 美容室BALLET
2011年04月16日米国 Japan Film Festival LA 2011
2011年02月20日埼玉 秩父歴史文化伝承いのちをつなぐ~原爆荒川の話~
2010年10月16日広島 広島五日市中央公民館 広島ビデオ倶楽部公開映写会
2010年08月06日広島 レイノ・イン広島平和公園 魅力向上プロジェクト2010平和朗読会
2010年08月06日広島 広島国際会議場 ヒロシマの心を世界に2010
2010年08月01日埼玉 浦和コルソ 2010平和のための埼玉戦争
2010年07月31日広島 サロンシネマ
2010年04月10日広島 県立広島国泰寺高等学校
2010年03月17日広島 カフェパコ
2010年03月13日広島 広島市西区民文化センター ひろしま横川映画
2010年02月06日広島 横川シネマ
2009年12月12日広島 広島国際会議場 ダマー映画祭inヒロシマ
2009年12月05日広島 庄原市口和郷土資料館

参考Tweetハッシュタグ略)

snip)「見るに当たって参考文献などあれば」…とご質問いただきましたが、監督としては出来れば頭をまっさらにして見ていただきたいそうです。決して難しい内容ではないので肩の力を抜いてご覧ください。

http://twitter.com/unmeinosenaka/status/69409574981087232 (2011/5/14 23:31)


キーワード

うんめいのせなか unmeinosenaka the back of destiny 上映会 試写会 映画 出山知樹 NHK アナウンサー でーやん #nhk_deyama

lastupdate20171107203700

2009-07-28

気持ち悪い夢をみたけどブログには書けないのでここに書く

彼氏デートしていた。大学祭みたいな雰囲気のイベント

会議室みたいな所に荷物を置いて遊んでたみたいだが、多分帰ろうという話になって荷物を取りに行った。

そこは何かの上映会が始まっていたので、こっそり荷物取って出て行こうと思ったら、上映会を主催しているらしいおばさんにつかまり、チラシとか渡される。なんかの宗教勧誘みたいなヤツらしい。

遠慮します、とやんわり断っていたがしつこい。いきなりキチガイみたく頬ずりされてぞーっときた私は部屋の外に逃げた。

「誰か、公明党以外の誰か居ませんか!?」

ここで目が覚めた。

おばさんは公明党議員だったらしいが、どういう意味なのか。

2008-07-09

大学生における準ひきこもり行動に関する考察

2年前の文だけど今の方がなんとなく需要ありそうだから「全文引用」しよう。少なくともこれを読んで救われた(自分を客観視でき、行動に移せた)人間が少なくともここに一人いるからな・・・

引用

樋口 康彦

大学生における準ひきこもり行動に関する考察キャンパスの孤立者について―(富山国際大学紀要2006年3月号)

http://www.tuins.ac.jp/jm/library/kiyou/2006kokusai-PDF/higuchi2.pdf

http://www13.atwiki.jp/syukatsu_sugoiyatsu/pages/29.html



目的

健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。

筆者がこの症候群に気づいたのは数年前、ある男子学生との関係からであった。彼は安定した仕事を持つ両親と、同じく正社員として働く兄がいる比較的恵まれた家庭でやや過保護に育てられていた。大学の成績も生活態度も良く、非社交的で孤立ぎみなことを除けば何の問題もない学生であると思っていた。しかし就職活動の時期になり、他の学生リクルートスーツに着替え、就職活動に汗を流す時期になっても、彼だけは全く活動を行わないのである。

就職活動の進行状況について問うと、決まって「今はインターネットとかで企業情報を集めています」と答える。

「他の学生はもう続々と内定を取り始めているがそのことについてはどう思う」

「はあ、危機感は感じますね…」

そんな会話を何度となく繰り返した。秋になり就職活動が終盤に入る。「もう、大手の会社は大体内定を出していて、もう小さな会社しか募集活動をしていないけど…」「はあ、危機感は感じますね…」いつもそのような会話の繰り返しであった。しかしこの時点ではさほど心配はしていなかった。「就職活動を何も行わず無職の身として卒業することはないだろう。いつか重い腰をあげるに違いない」と考えていたのである。

それから非常にショックな出来事があった。就職課からセミナー合同会社説明会等の連絡が教員にあり、それらは全てコピーした上で彼に手渡し、参加を促していた。多分その数は10 以上であったと思う。彼は受け取る時に「この会場は家の近くです。だから参加しやすいですね」とか「こんな大規模な説明会がT県でもあるんですね」などと言っていたので、筆者はてっきり参加しているものと思い込んでいた。しかし、後で問いただすと、ただ案内書を受け取っただけでひとつも参加していなかったということがわかったのである。

とにかく、どんなに励まそうと、焚きつけようと絶対に就職活動を行おうとはしなかった。それは極めて強い拒絶であった。筆者がそれ以上強く言わなかったのは、基本的に就職は本人の問題であることと、彼はとても繊細で傷つきやすく、また無業者としての卒業を前にして神経質になっていたからである。

また心配した両親が一度、筆者と大学就職課を訪ねて来たこともあった。確かに、性格的に就職活動やその後に続く職場生活は苦手だろうとは思っていたが、このように全く就職活動をしないという方法で対処するとは思ってもみないことであった。就職活動から、就職・自立というのは誰もが避けて通れない道だと考えていたからである。当然彼も、苦しみつつ自分なりに取り組むものと考えていた。

しかしある時、突然次のことを閃いたのである。「就職活動などできるわけがない。実は彼はひきこもりなのだ」大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイル本質ひきこもりと何ら変わりはない。中学高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。

ひきこもりの人でもコンビニには行けるという話をよく聞くが、そのように密で複雑な人間関係に巻き込まれる恐れのない場所になら出かけられるという点で、大学には来ることができているに過ぎない。夜遊び等せず真面目に大学に出てくるのも、遊びを知らず、また一緒に出歩く友人もいないことからそうせざるを得ないのである。つまり夜遊びさえできない。結局、強い非社会性・非社交性を持っているにもかかわらず大学という、学級もなく複雑な人間関係に煩わされることがない環境であるがゆえに、見せかけの適応をしていたに過ぎないのである。社会に出ていくことへのレディネスの不足は特殊な環境の中で隠されているだけなのだ。つまり社会と本格的に関わるには、あまりにも未熟だったのである。

ただ、真面目に大学に通い、単位もきちんと取れていることから、両親や、担当教員、そして本人も問題点に気づいていなかったのである。問題点とはすなわち、圧倒的な社会経験の不足の中で、人と関わることが苦手であるという欠点矯正されたわけではないことである。就職活動職場生活を送るに必要な社会的スキル等のレディネスが全く形成されておらず、その後の生活に適応できないということである。大学時代の彼は社会に参加しているようで参加していなかった。一応、家の外には出て行くものの、誰とも深い関わりを持つことはなくただ自分の世界の中で生きていただけである。病気かというとそうとまでは言えず、また表面上は今の環境適応しているかのように見え、大学生活の後半頃になってから問題が暴露されるという点で実に厄介である。こういった現象は純粋ひきこもりではないが実質はひきこもりに近いという点で準ひきこもり行動と言えると思う。

準ひきこもりは現代病の一種と言えるが、社会進出を控えた大事な4年間を、極めて自閉的かつ無為に過ごすのだから、社会性がほとんど身につかず、卒業しても会社での激務など到底できない。立ち直るのは難しくそのまま人生自体を無駄にしかねない。現代の大学生における、フリーター問題、ニート問題、離職率の高さの問題はマスコミ等で連日指摘されているが、その背景にある一つの大きな要因に、準ひきこもり症候群が隠されていることに気づいている人は少ないと思われる。一般に、非社会的行動は反社会的行動とは異なり、目立たないため見過ごされがちである。

大学教員なら誰もがその存在を知っているし、彼らがどのようなコースを辿るのかについても大体知っている。彼らは孤独大学生活を真面目に過ごし、結局は社会で活躍することができない。しかし大学時代、表面上は適応しているかのように見えることからその問題点について理論的に考察した研究は見当たらない。そこで、本論では大学生準ひきこもり行動について基本的な考察を進めて行くことにする。




準ひきこもり定義

一部の大学生が取る非社会的行動の一種である。大学には真面目に登校し、学業成績にも問題はない。また目立った問題行動はない。しかし、家族を除く他者との交流がほとんどなく、従って対人的な社会経験が不足している状態のこと。しかし本人や周囲の者は問題の存在にさほど気づいていない。就職活動社会人生活へのレディネスが形成されていないため、就職活動期もしくは卒業後に社会適応を起こす状態のこと。




通常のひきこもりとの違い

通常のひきこもりとの違いを、以下にまとめる。


ひきこもり
  • 20 代までに問題化する。
  • 6ヵ月以上自宅に引きこもって社会参加をしない。
  • 他の精神障害がその第一の原因とは考えにくい。
  • 周囲の人は問題に気づいている。
  • 本人は問題に気づいている。



準ひきこもり
  • 大学入学以前に問題化している。社会的に問題が顕在化するのは就職活動期もしくは大学卒業後である。
  • 大学には登校するものの、ほとんど社会参加をしない。他者との交流が極めて少ない。
  • 他の精神障害がその第一の原因とは考えにくい。
  • 周囲の人は問題に気づいている場合と、気づいていない場合がある。
  • 自分が準ひきこもりであることに気づき、悩んでいる場合もあるし、気づいていない場合もある。








準ひきこもり学生典型的なコース

準ひきこもりルーツはかなり昔にまで遡ることができる。小学・中学高校時代から人付き合いが苦手であり、不登校を経験していることが多い。その時期における社会経験の不足が準ひきこもりを作る基盤になっている。

大学に入学し、真面目に登校して単位もしっかり修得している。しかし、友人はほとんどおらず、ただ自宅と学校を往復しているだけである。従って対人関係の技術は未熟なままに置かれる。孤立していることを除けば、自分の妄想現実との間を行き来しつつ、割合に快適な大学生活を送る。自分の弱点である非社交性がつまびらかになることもなく、人格はないが相手をしてくれるもの(テレビパソコンコンピュータゲーム漫画アニメなど)を延々と楽しみ自閉傾向を強めつつも幸せな4年間を過ごす。ただし大学には登校していることから、やるべきことはやっているという気になり、純粋ひきこもりのように追い詰められ絶望的な気持ちになることは少ないし、危険な状態にいるということもない。キャンパスの孤立者として静かに暮らしていることが多い。特に4年生になり、卒業に必要な授業がゼミ程度になるとひきこもり傾向は一層強くなる。一般の水準からすると、かなり問題のある無為な大学生活を送っているが、本人はそのことに気づいていないことが多い。

就職活動をうまく行えない。知らない会社電話でアプローチしたり、OBOG訪問をしたり、初対面の人に自分を売りこんだりといったことは一番苦手である。

就職活動を途中でやめ大学卒業と同時にひきこもりに近い生活に陥る。もしくは就職できたとしても、回りの人とうまくやっていけないため早期退職に至り、ひきこもり生活に陥る。結局、大学生活とそれに続く長い歳月を社会にとっても自分にとっても無為に過ごし、健全社会人になることはほとんどできない。ただし、準ひきこもり大学生の全てが社会適応できなず、このコースを辿ると断言はできない。社会に出た後で、自分の世界と、社会一般との認識のずれに気づき、徐々に自分を変えて社会適応を果たす者も存在する。




準ひきこもり大学生の特徴準

ひきこもり学生は性格や行動パターンに共通性が多い。そこで(1)性格・行動的側面(2)知的(学習の)側面(3)社会的側面の3つに焦点を当ててそれぞれ見ていきたい。




(1)性格

■自分の力で自分の人生を切り拓いていくというたくましさに欠ける。準ひきこもり男子学生の方が多いように感じるが、社会で期待されている男性役割を身につけておらず、性役割の取得において葛藤が見られる。

社会経験の不足から、極めて自己中心的で視野の狭い考え方をする。

精神病ではない。現実との接点はある程度残っているし、善悪の区別はつくので犯罪を犯すようなこともない。むしろ他の学生よりも大人しくて真面目な部類に入る。

孤独に静かに大学生活を送っているケースが多いが、少し親しくなると甘えた非常識な言動、わがまま押し付けなど自己中心的言動を取ることがある。学生の間ではストーキングセクハラの常習者としてマークされていることもある。これは、本人にはそんなつもりはなくても、社会の標準がわかっていないことから、つい不適切な言動を取ってしまうことによる。

■謙虚で常識をわきまえており、周囲を悩ませないこともある。一口に準ひきこもりと言っても、異常性には違いがある。




(2)知的側面(学習)

■真面目で大学での成績も良い。どの授業にも真面目に出席している。

レポート卒論を書くというのは基本的に自分一人の世界での作業であるため、比較的得意である。




(3)社会的側面

無気力で、実際には人恋しいものの他者との関わりを避けようとする傾向が強い。クラブ活動アルバイトの類はしていないし、体育大会大学祭など学校行事にも参加しない。また、お祭りなどの地域行事にも参加しない。それから下宿をしている場合には、家族とのコミュニケーションさえ少ないため、準ひきこもり傾向を加速度的に強めて行くことがある。

アルバイトに関しては、過去にやったことはあったとしても現在はしていないことが多い。結局自分にとって居心地の良い世界(社会と関わらない自分だけの世界)に落ち着くことになる。つまりアルバイトでさえもできないというのが実情である。アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもり大学生よりはましである。

人間関係をうまく行うことが苦手である。例えば、質問をしたり会話を続ける努力が少ない。ある意味で、孤立するのは必然と言える。

■友人が極めて少なく、いつも一人でいることが多い。他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもり学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある。また、恋人はいない。

■優しくしてくれる誰かに、甘え、強く寄りかかろうとし、その結果厳しく拒絶されて傷つくことがある。これは長年にわたる実質的ひきこもり生活のため、人との距離を適切に取るということができないために起きる。また学生からは相手にされないため、教師に対し辟易させるほどしつこく付きまとうことがある。

孤独感から他者(特に教師)の関心を引こうとする行動を取ることがある。教師にしつこくつきまとい悩ませていることも多い。一方、教師の側からすれば指導上の難しさがあってもなかなか周囲の理解を得られないということになる。ゼミなどを通じて深い付き合いをすると、明らかに他の学生とは違うとわかるのだが、付き合いのない教師には少々非社交的な感じではあるものの普通大学生に見えるためである。

若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。

■全体的に見て、知的側面に比べて社会的側面が未熟である。




準ひきこもりの主な問題点

■自らの非社会性に対し、他者と触れ合うことで矯正を目指すのではなく、問題から逃げ出して、隠してしまっていることである。

青年期の発達課題を達成しておらず、場合によっては青年期以前の発達課題も達成していない。社会性の健全な発達のためには同世代の者との親密な交わりが不可欠である。しかし、準ひきこもりは、人付き合いをつらいこと苦しいこと、と捉えてしまっており、なるべく避けようとする。準ひきこもり学生は、親以外ではお店の店員などとの非人格的な接触をするのみであり、対人関係能力の発達には役に立たない。青年期の発達課題である(a)職業生活、結婚生活の準備、(b)親からの自立の準備、という観点から見ると極めて問題の多い環境に住んでいると言わざるを得ない。

■他の問題を併発しやすい。潔癖症など神経症的傾向を持っていることがある。




準ひきこもり学生の家庭の特徴

過保護で、親が甘い。子ども不登校歴がある場合、親は厳しく接するのではなく腫れ物に触るように接する。一方準ひきこもりは、親が自分を見捨てないことを見抜いている。不登校歴がある場合、そのことは証明済みである。親が厳しいことを言わないので、居心地の良い方に流されてしまうのである。

■比較的裕福な家庭が多い。お金のことで苦労した経験はないし、今後も切実な心配はない。

■親は大学に真面目に登校していることで安心している。不登校歴がある場合、毎日登校する姿を見てやっと立ち直ってくれたと一安心していることもある。あるいは、親は自分の子が非社交的であることに薄々気がつき、心のどこかでは卒業後に不安を抱いているものの何の対策も取っていないことが多い。




今後の課題

今後、準ひきこもりに関する様々なことを調べて対策を講じていかなければならない。まず最初に出現率について調べなければならないだろう。筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところである。また女子学生より男子学生に多い。それから最近特に多く出現しているのはなぜなのかについても考察して行かなければならない。準ひきこもり不登校経験者が多いことは既に述べたが、不登校者は一般に学力の低いことが多い。しかし、大学全入時代を迎えたことにより低学力者でも大学生になれることが原因のひとつになっているのかもしれない。現在の多くの大学が、高校卒業時点で社会に通用せず、従って就職さえできない者の受け皿になっているという現実がある。

それから準ひきこもりになってしまう原因を探ることも重要である。おそらく家庭における問題と、大学生活以前にそうなりやすい性格的傾向を形成していたと考えられる。いずれにせよ社会経験の不足、社会的スキルの不足、孤立、それにともなう悪循環に原因を明らかにする鍵があるように思われる。

最後にもし準ひきこもりになってしまった場合、どう対策を取るのかについても今後考えて行かなければならないだろう。アルバイトボランティア活動、クラブ活動(サークル活動)、大学内の各種委員会などを通じて、仲間付き合い、参加意識、チームワークなどを体験することが防止策・対応策として有効であろう。もちろんこれらの活動は、強制するのではなく本人が自発的に取り組み、周囲の者がサポートするといった枠組で行われることが望ましい。しかし本人や周囲が問題に気づくのは大抵、卒業間近か卒業後であり、こういったことをして社会性を育てている時間的余裕がないことが多い。

筆者は調査を始めたばかりであり、彼らが今後どうなるのかについてはデータ不足のため正確には知らないが、いずれにせよ早期発見、早期対応が何より重要であろう。ちなみに、社会性を育てている時間的余裕がない時の就職先として、例えば、工場生産現場農業、造園業関係仕事が考えられるのではないだろうか。彼らに関わる人たちからは少々変人と見なされるかもしれないが、なんとかやっていけるかもしれない。それらの職場では弁舌の巧みさよりもまじめに取り組む粘り強さが評価されるからである。本来の能力からすると、ホワイトカラー関係仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えており、何らかの理由で急激に社会性・社交性が上昇しない限り、到底勤まらないであろう。本論の冒頭で紹介した学生に関しても、仮にもし就職活動または親のコネにより、何らかの企業就職できていたとしても結局は早期退職に至っていたと思われる。かなりレベルの進んだ準ひきこもりであり、民間企業での複雑な人間関係、営業活動などの激務には到底耐えられないからである。いずれにせよ新卒での就職を逃してしまった上、新たな就職活動職場での適応など、今後大変な苦労が予想される。

将来、社会適応するために、また人間としての尊厳を守り現実感を維持するためには大学生のうちに人と交わっておくことが大切である。社会適応するための力を身に付けることが不可欠であり、それをしない限り、根本的な解決には到らない。人生自体を台無しにしてしまうことも有り得るだろう。




参考文献

2007-10-09

大学祭のラクガキコーナー

ていうのがあったんだけど今年は酷い。

ラクガキの内容がニコニコ弾幕そのもの。ニコ厨は害悪だな・・・

2007-10-02

占いというものをはてなの皆さんはどう思いますか?

とりあえず、思考をメモすると同時に皆さんの反応が見たくて投稿します。

僕は占星学が好きで独学で地味に研究しています。もう七年ぐらいになるでしょうか。今のところかじってる占いは以下の通り。

四柱推命系統(7年目。動物占い・0学占い六星占術など。何人占ったか最早覚えて無いけど500人は間違いなく下らない…はず)

ホロスコープ(いわゆる星座占い太陽星座月星座の研究メイン。200人ぐらい占いました)

・姓名判断(何を持って大吉として、何を持って大凶とするか研究中。80人ぐらい占いました)

手相学(生命線・運命線・知能線・感情線・太陽線の五本線に特化して研究中。100人近く占いました)

エニアグラム(正確に言うと占いではないが人間分類学という位置づけで)

で、色々研究を重ねてきて、得られた実績は以下の通り

占いを題材に相互理解を進めることで、両親を中心としたが家庭環境改善(十年かかっても改善されなかった夫婦仲が占いを用いることでだいぶマシに。少なくとも皿が割れなくなりました。)

大学祭占いプログラムを作り、リピーター客が来るなどそれなりの成果(利益は4日間で60万くらいだったはず)。しかも二年連続で。

携帯で見られる占い計算機サイトを作り、屋外での突発的な占いに使用してそれなりに当たっていると言われています。

で、「占い」というものには科学的根拠がないのは正直心底わかってます。僕も以前は信じていませんでしたから。というか私は理系人間で、しかもSEですから。でも、「この人はこういう人間なんじゃなかろうか」と考えていた相手を四柱推命で占うと、結構それに近い結果が出るのです。適当誕生日変えてもう一度占ってみると、自分の分析からは大きく外れる。そういうことが50回以上続くので、とりあえず研究することにしたのです。

確かに占いは、胡散臭いものですし、人の心の弱みに付け込むこともできる怪しいものです。でも、占いには歴史があって、それこそ中国五千年の歴史の以前から占いというものはあったわけです。その間ずっと占い研究され続けてきた。そして今でも占い存在している。それは占いが本質的だというひとつの証明ではないでしょうか。もちろん、同じところをぐるぐる回っているだけだ、という指摘も否定はできませんけれど。

そして、占い技術の向上に沢山の人を占うことはとても重要です。何故なら占いの結果を現実世界にフィードバックするためには、統計的に多くの人を占わなければ適切な診断が出せないからです。なのでそのうち僕は、街頭もしくはネットで「あなたの人生サポーター占い師」とか名乗って、「ワンコイン占い500円」とかで占い師をやってみようかと思っています。

ただ、そういう行動を起こす前に、はてなの皆さんに占いについて聞いてみたかった。もしよかったら「占いというものをどうとらえるか」をトラックバックなどで教えていただければうれしいです。

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