はてなキーワード: 土地とは
「キャンペーン第2弾は『燃えにくそうな絵が選ばれて』『コラボも大々的にはアピールしない方向で』実施されざるを得なかった」が事実では?
キャンペーンとして効果あんのかなそれ、ってなるよね。そんで、今後、宇崎ちゃんでキャンペーン張ろうと思ってたかもしれない人は、あの炎上を見てどう思っただろうね。だからこそ、「今後」を考えたときに、宇崎ちゃん単体で見てもダメージがなかったなんてとても言えないわけだけど?
さらに、都合が悪くてスルーしたんだろうけど、オレが指摘した「着衣でも燃やしにかかる人」たちの付けた火がどこまで広がるかなんて未知数だよ? 第1弾と第2弾の間に客観的な線引きを行うのは不可能で、第2弾にあったのは「はい、配慮しましたよ」という、作品外の「姿勢」に過ぎない。そんな怪しい線引きで物事を潰しにかかるのは、業界的には更にダメージでかい。いつなんどき、何が燃やされるかは相手の気分次第なんだよ。
地面に「見えない線」を引いて「ココ、越エタラオレタチノ聖域。入ッタラ、燃ヤス!」とか呟きながら松明をもつような連中の徘徊する土地に、誰が住もうと思うだろう? 業界側から見れば、ポリコレ棒もってうろうろしてる人々って、おおむねそんな印象だよ。知らんけど。
消費税が10%にもなってしまったこととの背景には、地方の資産税収入の減収という要因もあるんだろうな。
地方の地価は下がりっぱなしで、それに伴い、土地に課税される資産税の税収も下がる一方。
それだけでなく、耕作放棄されたような土地だと、その少ない資産課税すらボイコットされる。
なぜなら、売ろうにも売れない土地の評価額に妥当性なんて無いからだ。
妥当性の無い評価額に従って決められる資産税額にも妥当性なんてないということになる。
この傾向が健全化する兆しは無い。代わりの財源として消費税が必要とされている訳だ。
そもそもなんで田舎の土地がタダ同然になっているのかといえば、
農家は自分で作った農作物の値段を自分で決められないという歪んだ産業構造が背景にあったと思う。
市場で買い付けするバイヤーどうしがつるんで農作物を安く買いたたく、「逆談合」とでも呼ぶべき状況が、昔から野放しなのである。
1990年代は、それでも、農業しかできない人たちは我慢して農業していたんだよ。
でも、今はもうそういう時代じゃない。やってられない。廃業するしかない。
そして農地の地価下落→税収減少→代わりの財源が必要→消費税UP
ネイティブアメリカンや強制収容所に入れられた日系人、あるいは中国のウイグル族やチベット族にも無い特別な歴史。
それを思えば、白人ならまだしも彼らから土地を奪うことなどネイティブアメリカンにも許されない。
BLMの前にネイティブアメリカンに土地を返却したらどうなんだ白ブタと黒ブタども
なわとび:401回
ボクシング:99kcal/26歳
徒歩:270.0kcal/8575歩
8月から少しずつ読んでた『戦争は女の顔をしていない』をやっとの思いで読了した
解説読むと訳者の人がガンになっても標準治療を拒絶して代替医療を選択してそのまま死んでしまったっぽくて二重の意味で残念
左派的な人(フェミニズムの人も一部その傾向がありそうな気もするけど)は権威や権力に対してどうしても対決姿勢を取らざるを得なくなることが多いので、そういった行動様式が「すでに確立されたもの」に対して疑いを抱きやすい思考につながったりするのかなあと思ったりした(立憲民主党に群がる有象無象のことなども考えつつ)
「ルカシェンコ大統領はわたしたちなんかより、野党の知識人なんかより庶民との対話がずっと上手」っていうのは日本でもあるあるなので同意のし過ぎで首がもげた
ベラルーシという土地柄もあるのだろうけれど、パルチザンの話が多くて、これがひたすらつらい
そしてこれだけ辛いことのオンパレードでもまだまだ語られない、語ることのできないことがたくさんあるのだということが巻末の方で示唆されていて、そりゃそうだとは思うけどよけいにつらい
だけど同時に独ソ戦を戦った女性たちという存在にどことなくロマンを感じてしまうのも確かで、地上の地獄ともいうべきこのような惨劇にロマンを感じてしまう自分のどうしようもなさに対して呆れたりもする
この本を読む前に予習として岩波新書の『独ソ戦』を読んでおいたんだけど、ドイツ国内にまで侵攻したソ連人たちのドイツの豊かさに対する戸惑いをみると、そりゃそう思うよなって感じがした
無理くね?
[FNN]「これ以上わがままは言えない…」震災から9年、被災者向け仮設住宅からの退去期限が3月末に迫る
https://sp.fnn.jp/posts/00050704HDK/202003111840_morimototaro_HDK
富岡、浪江、飯舘の3町村の住民は原発事故の際、福島県内外に避難することを強いられ、そのうち応急仮設住宅に住むことになった人たちが今回の退去期限の対象となる。
つまり、被災者たちは強制的に避難をさせられて住んだことのない土地に移り住み、なんとか慣れて生活を再建したところで、今回、そのようやく慣れた家から出ていかなくてはいけなくなるのである。
今後どうするのかを聞くと、「とりあえず荷物の整理をして運んだりはしているんですけど…。どうしましょう?どこかシェアハウスとかを探すしかないのかな?もしかしたら当面はネカフェで寝泊まりすることになるのかもしれません」
Sさんたちの住む東雲の国家公務員住宅は、被災者が退去した後、国家公務員であるキャリア官僚の住居になるのではないかと見られている。
完全に壊れていない限り仮設住宅へも行けず自費らしい
https://www.nhk.or.jp/special/plus/articles/20190402/index.html
宮城県石巻市に、今も壊れたままの家に1人で住む70代の男性がいる。家の外観は特に問題ないが、1階の柱は朽ちて中が空洞だ。床も抜け落ちそうで不安を抱えながら暮らし続けてきた。
震災直後の被災地には、自宅の1階が壊れ、かろうじて残った2階に逃れた「2階族」と呼ばれる人が数多くいた。男性もその1人。自宅の1階は津波で水没し、大規模半壊と判定された。国から202万円の補助が出たがそれだけでは修理しきれずに住み続けている。
地震が起きたとき、男性は倒れてきたたんすの下敷きになり、足に大怪我を負ってしまう。けがのため避難所に行けず、壊れた自宅の2階で過ごすしかなかった。しかし、津波で生活に必要なものを流されてしまったため、厳しい暮らしに耐えかねて仮設住宅への入居を希望したが拒否されたと言う。
「市役所に行って『仮設住宅に入りたいんだけど』と申請したのよ。そうしたら『あなたの場合ダメだ』って。『何でダメなの?』と言ったら、
『あなたの場合、自分の家あるでしょ。2階で避難してたから、2階の部屋があるから2階で住んで下さい』と。」(被災者の男性)
国は災害救助法の運用基準で、仮設住宅に入居できる対象を原則として次のように定義している。
「家が全壊・流出するなどして、居住する住家がない者に供与する。」(内閣府の告示)
70代の男性は、壊れたままの家で8年間も暮らしている。厳しい環境で次第に体調を崩し、病院通いが欠かせない。医療費がかさみ、食費にも困窮している状態だ。
「うどんはね、3袋で百円なのよ。もやしは15円。もやしが一番安いのな、野菜で。おれ最近思ったのはさ、この震災になって7年目になって、自殺する人の気持ちが分かってきた。考えても考えても、生活が苦しくて苦しくてさ。生きる力っていうのが、考えれば考えるほど暗くなってきて、明るい気持ちが持てなくなったのよ。それで死んだ方が楽だなと思って。死んだ方が、何にも考えることないなと思って。」(70代の男性)
[NHK]「震災直後は夢があったけれど…」 老舗菓子店 Tさんの9年
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200311/k10012325051000.html
岩手県宮古市で老舗の菓子店を営むTさん(63)は、今回のアンケートの自由記述に「思い描いていた未来のようにはなっていない」とつづりました。
Tさんは東日本大震災の津波で自宅と店舗、そして工場を流されましたが、それでも震災の直後は前向きな気持ちになれたと言います。
Tさんは、当時の心境について、「すべてを失いましたが、家族で住宅フェアや見学会に行って再建するならどんな家がいいかと考えたりして、不謹慎かもしれないけど、楽しい、夢が持てた時期でした。店の再建もできない訳がない、お菓子屋さんをまたやるんだと、当然のように思っていました」と振り返りました。
しかし、再建は当初思い描いたようには進みませんでした。仮設住宅で不自由な生活を送りながら仮設店舗で営業を続け、震災の2年後には工場を再建。しかし、売り上げは震災前の10分の1にも届かず、不安材料だけが増えていく日々が続きました。
▽「震災1年頃までは明るい夢を持てたが、それが2年たっても実現出来ない。むなしさを感じる時が多々ある」と書き、震災3年のアンケートには「仮設3度目の冬はマイナスイメージの言葉しか思い浮かばない。全てを失った震災直後は、それでも立ち直るという強い意志と希望が芽吹いていた。当時の思いは3年で日に日にやせ細り、しおれかけている」と記しています。
当時の胸の内についてTさんは「復興のつち音が響きたくさんの人が来て復旧復興に尽力してくれていることが励みになって自分も明るい気持ちになれたが、そういう人たちが去っていくと人が減り静かでさみしくなった。売り上げがゼロの日もあり、切なくて、自分たちでお菓子を買ってレジにお金を入れたこともあった」と語りました。
それでも「完全復旧する」と意気込み、店の再建という夢に向かって進んでいたTさんに「建設費の高騰」が追い打ちをかけました。復興需要の増大などで震災前1坪あたり50万円程度だった工事費用が、2.5倍近い120万円程度にまで上がったのです。
工場に加え震災から5年後に自宅を再建し、すでに多額のローンを組んでいたTさんは、震災6年のアンケートに「歩みが減速して、1度勢いを失うと、強い気持ちを持続させるのは難しいと実感している。借金を増やしてでも店舗再建を目指すことは正しいことなのだろうか?」などと、自分が選んだ道は正しかったのかと自問自答を繰り返していた当時の心境を記していました。
震災から6年半近くたった2017年の夏、仮設店舗の退去期限が迫る中、Tさんは店の大きさを当初の計画の半分程度に縮小してようやく再建を果たすことができました。
Tさんは「店と工場が離れてしまうなど当初考えていなかったことが重なった。行政の方針が二転三転して読めないのでその時その時で対処していたら借金が1億を超えてしまった」と話しました。
ところが、ようやく戻ることができた街は思い描いた姿とは変わっていました。住宅が高台に移転し商店街もなくなったため店の周囲ににぎわいはなく、震災前は大勢いた自転車や徒歩で店に来る客は今はほとんどいません。
Tさんは「元の場所に戻ったら悪くても震災前の半分は売り上げがあるだろう」と思っていたと言いますが、震災の影響で商品の卸し先が廃業したこともあって、売り上げは震災前の3分の1程度にとどまっています。
家が欲しい。できれば新築一戸建て。場所は千葉がいいな。出身地なんで。
夫は都心のマンションに賃貸で住み続けたいって言ってる。でも、私も夫も在宅勤務なのに都心に住む必要ってなんなの?と思わなくもない。
世帯年収は1300万くらい。このくらいだと、今住んでる街で新築一戸建てなんて夢だったりするけれど、千葉の田舎あたりだとプール付き一戸建てが買えたりする。
とかいうことに今日ネット広告を見て気付いてしまって、なんだか家が欲しい欲がムクムクっとしてしまった。
まぁプール付きなんてのは冗談だとしても、千葉の田舎ならちょっとした土地に注文住宅くらいは買えそう。
懸念点は田舎ってことだけど、千葉の田舎でもちゃんとお店があるようなところに土地を買えばそんなに不便じゃないのも知っている。私の実家はお店も無いようなところだから不便だけど。それに千葉ならちょっと頑張ればすぐ東京に出られるのもいい。
今までは都心の会社に勤めながら千葉の田舎に住むのは通勤時間が無駄過ぎたけど、コロナウィルスの騒ぎで私の会社も夫の会社も在宅勤務が基本になったのだから、その辺りの懸念ももう無いし。
一番いいのは木更津だなぁ。アクアラインがあるから東京も横浜も簡単に行けるし。
その次は市原か富津あたりだなぁ。木更津から遠過ぎずお店も場所を選べばそこそこあるし土地は安いし。
この辺りに家を買うなら資産にはならずに買い捨てのつもりじゃなきゃダメだけど、このまま賃貸に住み続けてもそれは一緒だし。
はぁ、家が欲しい。
世間的には田舎と呼ばれる小さな地方都市で、長男として生まれた。
両親に加え、祖父母も一緒に住んでいて、広い庭のある家で、それが当たり前のようにして育った。
立派な庭だから、自分が手入れしてでも守りたいと、小学生の頃は思っていた。
だが中学、高校と上がるに連れ、部活だ勉強だと時間に追われ、いつしかそう思ったことを忘れるしかない自分がいた。
年に一度の、地元の祭もそうだ。この地に残って大人になったらあの場所に居るのだろうと、おっちゃん達を眺めながら思っていたのに。
中学の部活は、俺の地区の事情なんて知ったこっちゃない。高校じゃ尚更だった。
それでも合間を縫って参加してたのに、いつからか人が足りないからって他所の地区から来た奴らが多数派になってて、この土地に生まれたときから住んでるはずの俺のほうが疎外されてて、そして数年後にはその祭も無くなった。
変わらないでいてほしいと願った世界は脆くも崩れ去る、それを何度も感じながら、気づいたら大人になった。
しょせん、自分にはそれを守る力なんてなかったのだ。
中学高校の頃、都会に出ていきたがる奴らを、チャラい奴だと馬鹿にしてたくせに、結局自分も、仕事を理由に町を離れた。
そんな自分が悲しいと思う反面、子供の頃に思い描いた未来なんてないのだという諦めを受け入れないと、生きていけないと悟った。
静岡くらいまでで、それより北では美味しくならないのだ
国民皆保険、基本給がいわゆるBIを具現化したものだとは気が付いてるよね
みんなが働いていれば基本的な生活は保障されてるを自給してるのが現状
それを一旦政府が吸い上げて政府が再度基本給に還付金を入れる必要がないだけ
みんなが言ってる一回回収して分け隔てなく再分配しろって言ってるのは
自分で働いて稼いだ分を知らない人になげうつ可能性を加味したものでいってみれば
正社員になって市民県民税を収めるのに追加でベーシックインカム税を払ってベーシックインカムをもらおうって話
現状はできるだけ消費が促進されて貧乏人が出し渋るけど金持ちがホイホイ買うものに課税したいなっていうのが政治の手腕で
現状働いてない人間が現金もらえてやる気が起きるこれこそベーシックインカムというならそれは歓迎だけど
現状働いて生活している人に国が供給してるサービス全般こそが「ベーシックインカム」
働いてない人はすでに働けないから福祉で生存権を立証するためだけに生かされてる
銃殺されない社会の治安とか砂ぼこりが舞わない道路とか非常事態戦前で飢餓難民が他府県に押し寄せたりしないとこ
そんなものはいらないから麻薬も銃も解禁にして警察は民営化して移動手段や土地整備も自分でやるから
その分現金で一人ずつに頂戴って換金したら一人当たり現金だと数千円とかにしかならないよ
むしろ税金をつかってみんながお金を出し合ってそういう人も働ける労働基準や団体などそういうものを作るほうがいいんじゃないかな
もうすでに現金ではないけどもらってるんだよ
たりないのはお金をつくるための労働ができない人のための労働の制度や内容についてだからいってみればベーシックワークみたいなものを導入すべきなんじゃない?
必要のない人はベーシックワークを受け取り拒否してもいいしそしてふつうの労働についたらいいし 働けない人はベーシックでいいとかみたいなかんじで
清貧大好きすぎるからね、シャッチョは無給で霞食ってるくらい言わないと喜ばないよ。いやそれでも土地持ってるんだろう!か言い出す
十数年前に買った中古のワゴンRなのだが、あっちもこっちも地味~に壊れている。乗るのに支障がない程度の故障のせいか、車検で毎回不具合箇所が見逃され、車検から戻ってほどなく本格的に故障して整備工場に逆戻り。
年数乗ってるせいで軽自動車税は高いし、燃費が悪くてガソリン代もかかる。細かい修理代も馬鹿にならない。
こんなポンコツにお金をかけて騙し騙しで乗る意味なんてあるのか?と思ってしまう。山の方へ行けばエンジンの馬力がたりなくてAT車なのに坂道発進にてこずるとか、北関東道を走れば震災の時の道路の修理跡に乗り上げる度にハンドルを持ってかれそうになって冷や汗が出るとか、遠出に向かない普段使いするしかない車だ。
なんかあちこち凹んでるし、最近になって気付いたら覚えのない傷がサイドミラーのとこにガリガリと着いてるし。そもそも別に珍しいものでもない、なんの変哲もないただのワゴンRだし。
けれども、私は基本的に物は大事にしたい方なので、やっぱりもう寿命でどうしようもないという所まで使ってやりたいという気持ちが大きいんだよなと思う。自分と同乗者……主に私の大事な家族……の、命を預ける機体に変なお情けをかけるもんじゃないとも思うが、日々家族を乗せて走らすからこそ思い出と愛着の積もり積もった車でもある。
だがやっぱり金がかかるのは……。と、私がお金の心配を本気でしだす前に夫や車のディーラーの方が勝手にお金の心配をしだすのであり、つい先週、お金がそれなり貯まったから一年点検に出した愛車は、タコメーターの所の基盤がぶっ壊れてメーターの照明がたまに思い付いたようにしか光らない状態になってしまっているのだが、ディーラーと夫の判断で、基盤を取り寄せて交換すると五万円くらいかかるから直さないで放置でいいだろ、ということにされてしまっていた。
私のワゴンR、お前、私の知らん所で変に見捨てられちゃったんだけど……。持ち主の私はちゃんとお前を直す為にお金貯めてたんだけどな……。
新しい車を買うかぁ、と私はぶっちゃけ前向きに考えられないんだが、でも点検に出してさえ、「金がかかる」という理由で故障箇所をギリギリまで直して貰えず、本格的にトラブルを起こしてからやっと修理ということがここ数年で何度もあったという状況では、もう買い換えしかないのかもしれないと思う。私は正直お前をさっさと捨ててせいせいする気が全然しないのだが、このままお前を使い続けで走行中に壊れて事故を起こしたりでもしたらと思うと……。(ちなみに去年はエンストを何度も繰り返したのを診てもらおうとしたらそんな事はよくあると整備工場で突っぱねられた挙げ句に、交差点の真ん中でエンストしちゃって危うく後続車に追突されそうになったという)
で、夫とディーラーにしょうがないから買い換えようかなあっていうじゃん?「金がないからそれはちょっと……」とか言われちゃうんだなぁ。どうしろと。
ディーラーまで渋るのって夫がそんな金うちには無いとか言うからなんだけど、お金なら私は車のためにちゃんと取っておいてあるから大丈夫なんだ。だって私が住んでるのは車がないとどうにもならない田舎なんだから、車の為にお金を貯めるのなんか当たり前なのであり、そこをケチるなんて意味がわからん。そんなに車にかけるお金が惜しけりゃこんな辺鄙な所になんか住むなとしか……。ここは夫の生まれ育った土地なのであり、私が結婚前に住んでいたのは東京都新宿区なのであって、私の方がくっそ真面目に車貯金してるとか意味不明過ぎるんだけど……。
まあ、そんな訳で私は車貯金をコツコツとしながら、ポンコツ愛車を満足に直してやれず、かといって新しい車を買えず、ガソリン代と軽自動車税と車検の請求書を見る度にあーあと思い続けなければならない、訳がわからない。
@mune16
結婚を機に、ぼくの実家のある奈良に引越し、仕事を一旦退職した妻がミルクレープを作ってくれました。
https://pbs.twimg.com/media/Eg_H9QUVoAI6RgB.jpg
https://pbs.twimg.com/media/Eg_H9QTUYAIKJnG.jpg
@UxCWDbueIa4Jd6q
結婚すると自分の今までの人生やキャリアを捨て、夫の実家がある見知らぬ土地に引っ越し、また一から仕事を見つけて働き(キャリアに傷がつくので給料は低くなる可能性大)、
元凶の夫が上から目線で渡してくる”お小遣い”に感謝しなければならない。地獄か?
@akita_aru11
結婚して夫の実家近くに引っ越し仕事もやめて夫以外の全てを捨てた妻が、最終的に夫のいいね稼ぎの道具にされる。こりゃひでぇな。
@chokyea
自分の実家付近に住まわせ仕事もやめさせその上小遣い「あげる」とは失笑なり。財布全部渡せや。
@green_lemo
結婚を機に引っ越して仕事も辞めてミルクレープまで作り、いいねの数だけ「お小遣い」……。マジで結婚は地獄じゃん。女性にとってメリットあるかこれ?
@drowcy_
日本の男性の伴侶に対しての考え方がよくわかるツイート。結婚を機に妻に色々捨てさせてる事にあまりに無自覚
@Ayaka17761912
自分でお金を稼げるのに夫のために退職なさった方が、夫から「お小遣い」をもらうという構図になっているのは心が痛いです。
単に書き方が悪かった、ではなく「妻が使えるお金は自分の裁量で決まる」という上下関係が頭の中にあるからこそ出たお言葉なのだと思ってしまいます。
@rieslife_j
ポテサラじじい、冷凍餃子手抜き夫、そしてミルクレープおじさん…日本に住む男性に無意識に刷り込まれた、家父長制からくる女性に対する人としての扱いの低さは本当に根深いな…
気付いていないところ、が根深いんすよね
@myamyamyaaan
すごいな日本男w構造的女性差別の実例。このツイートを好意的に受け取れる人はなにが問題なのか理解できないと思うけど、自分の人権意識が低いこと自覚した方がいいよ
@Petitpeu
これにイイネする人の気が知れない…モラ夫の気配が…
@AndMore78795258
合法的にタバコを吸える小部屋ビジネスを思いついたが誰もやらないのな。
森友問題、本来取るに足らない案件を塚本幼稚園が絵になるからという理由だけで煽りまくった野党とメディアに対し、愚かにも過剰反応した官邸官僚がこれまた内容的には取るに足らない改ざんをやらかし、結果的に自殺者が出てしまったことで、本来の土地値下げが単なる近畿財務局のやらかしでカラ疑惑に過ぎなかった事実がボケてしまうという、登場人物全員バカと総括するしかない事件ではあった。
中坊の時に洒落怖(2chのオカ板に寄せられたインターネット怪談)にドハマりして、夏休みの間狂ったようにバックナンバーを読み漁っていた時期がある。その頃にはオカ板はもう全盛期を過ぎていて、今でも名作として語り継がれているような話はなんでも閲覧出来た。
その年の夏、東北に家族旅行に行くことになった。具体的な行先はどこかというと、岩手県の遠野。ちょっと怖い民話も沢山残ってるし、怪談にハマっていた俺にとっては鬼門みたいなイメージのある地域だった。
泊まったのは、駅と合体してるタイプのホテル。俺の家族は俺と両親の3人家族で、俺を挟んで川の字に並べられたベッドで寝ることになった。
その夜、俺は金縛りで目が覚めた。隣で寝ていたはずの母親もなぜか起きていて、目をかっぴらいてこっちを見ている。只事では無い雰囲気が漂っていた。
その時、部屋付きの浴室から妙な物音がした。
………キャハッ ハハハハハ キャッキャッ
甲高い女の子の笑い声だ。俺はゾッとして、思わず母の方を見た。声をかけようとする。母も同時に口を開いた。
「「この部屋、なんかいる」」
ハモったところで、二重に目が覚める感覚がして、俺は正気に返った。目の前の母親は普通にいびきをかいて寝ていた。
あれは夢だったんだろうか。怖い話を読みすぎて、記憶の整理とやらまでホラー風味になってしまったのかもしれない。