はてなキーワード: 割れ窓理論とは
脳内垂れ流しで書いたので読みにくいです。ごめんなさい。
http://news.livedoor.com/article/detail/16013959/
Twitterで絵師のイラストに「保存した」ってリプライして即逮捕、って絵を想像して思ったんだけど、これって親告罪だよね。警察だけの裁量で好き勝手できる法ではなさそう。
そもそも、取り締まりにコストがかかり過ぎてまともに運用できないのが目に見えてるよな。今の音楽、映像の取り締まりだってまったく行われてないし。そういうことする人は100%実名出してないから、IPアドレス調べてなんとかかんとか...なんていちいちやってられんだろ。
むしろ割れ窓理論的に「すでにスクショが罪なんだから漫画村使っても一緒でしょ」って人が増えるほうがよっぽどあり得る。
そこをちゃんとしないと、そのへんでクスリ売ってるけど吸っちゃダメ、みたいなおかしな話になる気がするんだけど。
まあ現実的に考えると、「原作者の権利侵害が著しいケースはあかん」っていうのが根っこにあって、その適用範囲が増えたっていう見方が正しいのかな。Twitterは微妙だけど、LINEの個人間のやり取りとかでWebページのスクショを送り合うぶんにはなんの問題もなさそう。
あるべき姿としては、YouTubeが音楽でやり始めてるみたいに、使われてる素材の原作をブロックチェーンやら画像解析やらなんやらで解析して、使用した人が得た利益を原作者に還元する、っていうのがいい。
テクノロジーを法に合わせるんじゃなく、法をテクノロジーに合わせるのが賢いと思うんだけど、国会のおじさまたちがテクノロジーへの理解がないせいでこういうとちくるった法が生まれちゃうのよね。嗚呼。なんのために有識者呼んだりパブリックコメント募ったりしてるんだか。
https://www.gizmodo.jp/2019/01/google-eu-white-serp.html
一回これみたいにちゃんと法に沿った形にインターネットを整えて、どれだけ社会へのダメージがでかいのかを見てみるのも面白そう。そのコストはどこから出るのかって話だけど。
「バイトテロ」に憤る人というのが、自分には今一つピンとこない。
たとえば、2万店あるうちの1店のセブンイレブンで、おでんのシラタキを箸で口に入れた店員がいた。
事象は、推奨されるべきことではないが、この事象に憤慨している日本の一般市民というのは、いったい何の被害を受けたというのだろうか?
おでんのシラタキをアルバイト店員が箸で口に入れた。そんなこともあるだろう。その箸には、何らかの形で、店員の口内細菌の何万個かが付着したかもしれない。しかしその箸は、おそらく90℃以上の温度で煮える加熱容器に戻され、細菌学的には完全に消毒されたと言える程度まで殺菌されたはずである。心理的に気持ち悪いのは確かであるが、この時点ではまだお客に対する実害は発生していないはずだ。店に対しては? シラタキ一個分、100円余りの実害を与えたかもしれない。以上。
しかも、この事象が起きたことが確認されているのは、2万点のうちの1店のセブンイレブンである。日本中の「一般市民」が「自分の行きつけのセブンイレブンも同じことをやっているかもしれない!」と疑心暗鬼に駆られるのは、さすがに不安を感じすぎではないかと思う。
もちろん、「割れ窓理論」的な発想で、一事が万事と批判する人がいるのも理解はできる。一度タガが外れたアルバイト店員を許すと、同様の行為がエスカレートし、最終的には公衆衛生上の被害(例えば食中毒など)を生むような不祥事に繋がる、だからZero tolerance policyで臨むべきだ、と。それも分からなくはない。だが、そういう発言をしている人が、果たして現在「バイトテロ」に憤っているのと同じ熱量で、過去の食中毒事件に憤っていただろうか? その憤りはむしろ、心理的な、あるいは文化的なフィクションに根差しているのではないかと私は思う。
この文化的なフィクションとは何か、それは「我々は文明国家に住む文明人である」という幻想である。我々は、朝食のパンとコーヒーをコンビニでイートインし、昼には牛丼をテイクアウトし、夕食のおかずの足しにコンビニのおでんを買って帰る生活を、衛生的で文明的なものだと思っている。私は今日の日本の高い公衆衛生がある種のZero tolerance policyに基づく不断の努力で成し遂げられたことを否定するわけではない。しかし、その公衆衛生の高さを我々はもはや日常経験や、明確な統計上の数字で把握しているわけではない(40~50年前ならまだ違っただろう、「あの店また食中毒出したんだって」「あの地域は野犬がうろついているから危険」なんてセリフが日常であった時代だ)。我々は、「なんとなく衛生的で文明的な気がする」という幻想に基づいて消費行動を選択し、その幻想のもとで安心を得ている。安全衛生を求めているのではなく、安心衛生を求めているのだ。
そして、その幻想に基づいて合理的に(と勘違いして)選択した消費行動を、衛生的で文明的なものだと思い込み、それを自らの消費生活のアイデンティティとしているのが我々である。セブンイレブンやすき家を利用する我々は、ときにそこに差異化というスパイスを足して自らの「賢さ」の虚勢を張ってみたりもする。「地元のコンビニの○○なんてこないだ行ったけど汚くてダメ、やっぱりセブンがいいわあ」「(ライバル店の牛丼フランチャイズ)はマイルドヤンキーの溜り場で汚い、すき家の方が制服もスタイリッシュ」だなどと言ってみたりする。
ところが、「バイトテロ」は、この幻想を打ち壊してしまう。コンビニや牛丼フランチャイズを利用する生活が、「ささやかな文明的市民の衛生的な生活スタイル」だと思い込んでいた我々に、それが幻想にすぎなかったことを思い知らせてしまう。だから彼らは憤るのだ。「バイトテロ」の対象となった店舗をライフスタイルに組み込んでいた消費者は、自分たちがかつて行ってきたマウンティングに逆襲される。「セブンイレブンなんてアルバイトがおでんに口付けるような店、よく行けるわねえ」「やっぱり牛丼フランチャイズでランチ買うような層は下の方よねえ」と。消費者たちの憤りの本質は、科学的な衛生環境云々ではなく、「自分が(セブンやすき家のような)衛生的な店で食事をする文明的な人間だ」という、中流なりの自己ブランド意識(という幻想)を破壊されたことに対するものなのではないだろうか?
悪いことは悪い。た だ 、他も停めていたしなぜ私だけが…という思いが消えなかった。
結論から言うと、警察署の人は本当に丁寧で、悩むくらいならはやく通報してやればよかった、と思ったほどだった。
下記の通り通報の流れを記載するので、困ったことがあったら通報してみよう。
小さいことだが、割れ窓理論だ。どんどん通報して治安をよくしてやろうではないか。
もちろん緊急度が高いのは交番や110だが、放置車両等の緊急を要さないものは所轄の警察署に連絡する。
対象の地域の所轄の警察署の代表番号を調べてみよう。地域によっては交番の電話番号でも良いかもしれない。
代表番号に電話をかけ、要件を伝える。私は放置車両を通報することが多いのだが、その旨伝えると指令台に転送される。
困っていることを伝えると詳細を伝えることになるのだが、かなり細かく聞かれる。
放置車両の場合は車種、ナンバー、台数、タイプ、色…。もちろん該当の住所も伝えるのだが、どのあたり、目印などかなり細かく聞かれる。
もちろんわからなくても対応はしてくれるが、可能なかぎり確認しておこう。
ここが通報をする際の悩みどころだと思う…。自分の素性を明かさなければいけないわけだが、悪いことをしているわけではない。堂々と通報してやろう。
こちとら税金を収めているのだ。むしろ普段から取り締まれていないことを警察諸君には恥じてもらわなくてはならない。
むしろ通報することによって自分の襟も正す気持ちになるのである。悪が得する世の中など許されては行けないのだ。
ただ、匿名で、と言えばそれ以上聞かれない模様。また、通報内容によっては聞かれないこともある。
(というより取締の結果をお知らせしますか?の問にNoと答えると聞かれないことが多い)
とはいえ、通報したのに改善されていないとさらにもやもやするので、取締の結果は聞いておいたほうが吉である。
マンションの歩道の切り下げのところにいつも停めている車がいたので通報した(このときは結果を聞かなかった)。
数日後、また停めていやがったので通報したことろ、どうやら障害者/要介護者用駐車許可証を示した車だったらしい。
ただし縁石切り下げのところに停めているとこっちも出られないという事情の理解を求めたうえで、
病院およびその患者をのせた運転手に停める位置を考えて停めるよう伝えたとのこと。
どうやらその車の持ち主に対しては、直接警察官がその旨伝えたようだ(患者一行が帰ってくるまで車のそばで待機して直に伝えた模様)。
この件に関しては、現状報告と対応方法で一度電話、そして取締結果と、結果2度連絡をくれたわけだ。
ここまでしっかり取り締まってくれると脱帽である。
わたしも仕事柄クレームを処理することが多いのだが、有無を言わせない完璧な対応である。
もちろん何でもかんでも通報して良いわけではないが、あきらかな法律違反はすぐにでも対応を求めるべきだ。
とはいえ、どんな場合でもおそらく警察の人は丁寧に対応してくれるだろう。
それくらいしっかりとした対応をしてくれるのだ。
その一般的な解釈というのは君の脳内にしか無く、ソースを提示されていないものだね
そういうものに対して「それに照らしてこのwikipediaの記述は妥当」という風に言われても、検証のしようがない
分かるかなあ?
割れ窓理論の一般的な解釈を理解していれば、分かるでしょう。増田にはそれが分からないから、wikipedia引いてきたか、と思ったんでしょうし、
間違った例えで使ってしまったんでしょうね。
割れ窓理論(われまどりろん、英: Broken Windows Theory)とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで、凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。wikipediaより
>例の大騒ぎしている輩どもは、痴漢ではないが暴力を伴ったセクシャルハラスメントではあるので、十分排除に値する。
誰でも乗れる一般旅客車両に粛々と乗車していることが「暴力を伴ったセクシャルハラスメント」になるって、一体どういう意味なのかよくわからない。もしかして、女性専用車両には一般の男性も普通に乗車できること、それはマナー違反でも何でもないと鉄道会社も認めていることを知らないの?
>そもそも、そのその電車すべてに乗れないわけでも、女性専用車両の方が仕様が著しく良いわけでもなくまったく同じ電車であるし混雑具合もラッシュ時は同程度であるし、車両編成の大半が女性専用なわけでもないのに「男性差別」とするのはかなり無理があるが。
「割れ窓理論」という言葉があるじゃん。今は1両であっても、これが段階的に2両、3両と増やされていくかもしれない。そうなったらもう遅いし、後戻りできなくなるんだよ。今現在の1両の段階で、徹底的に男性差別であると抗議してその流れを潰すプロセスは社会運動として大事だよ。
割れ窓理論とは、1982年にアメリカの心理学者、ジョージ・ケリングが考案した理論である。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。
日本における様々な社会問題は、いじめ問題や貧困による問題などを見ていく限り、小さな問題が大きな問題につながっているケースが多い。例えば貧困の問題は、福祉システムや税金システムの不備という小さな問題が平均所得の下落を引き起こし、最終的に絶対的貧困者の生活苦や体感的貧困率の増加に繋がっている。
例えば日本の三大疾病のひとつである癌は、初期の段階で放置しているとやがて少しずつ悪化し、最終的には生命の危険に至る。だから、どこの保健機関も「癌は早期発見し早期に治療せよ」というのがスローガンになっている。
では、割れ窓理論が実際にどのように活用されてきたのか?一番有名なものはニューヨーク市の治安改善である。1980年代に治安の危機を感じた当時のニューヨーク市は軽犯罪を徹底的に取り締まることを徹底した。最初は強い反発もあったが、次第に軽犯罪の取締りの強化に伴い中規模犯罪や大規模犯罪の発生件数が減少し、現在ではニューヨーク市はアメリカでもっとも治安のよい都市に位置付けられるようになった。ニューヨーク市の成功事例を受けて、日本でも7大都市圏を中心に軽犯罪減少キャンペーンが展開され、現在は犯罪件数は毎年のように過去最少を記録するようになっている。
ブラック企業や貧困がまかり通るようになったのは、富や労働力の再分配が不十分であることが原因である。富の再分配とは、税制の改造や富裕層の自助努力によって富の一部を貧困層や中流に分け与えることを指す。すなわち、消費税のシステムを日用品や公共インフラには非課税にし、贅沢品にはなるべく高い消費税(10%程度が望ましい)を課すように改善することや、脱税の取締りの強化を行わなければならない。もちろんこれは政治家や官僚のモラルが善良であることを前提としている。
ブラック企業に関しては、人事が体力・メンタル的に仕事面で合わない人間を採用しないようにする、労働力を最適化する、長時間労働を抑制する賃金システムにするといった複雑な改善が必要になってくるだろう。それ以前にゆとり世代やさとり世代といったメンタルやモラルに欠陥のある人間に対する啓発や再教育なども必要となるが…
現在ホットな話題になっているのがまさにこれだろう。人種差別や歴史修正主義や反知性主義の台頭を野放しにしてきた結果が現在の安倍政権であり、欧米における右傾化がある。これに対しては人種差別や歴史修正主義や反知性主義に対して知識層が批判・非難し続けることで鎮圧させることが重要だ。
2017年9月8日に東京京橋のtwitter本社前におけるデモが話題になったが、まさにこれも割れ窓理論に基づく運動である。SNSにおけるヘイトスピーチに対する粛清行為は、ニューヨークの場合における軽犯罪の取り締まりに相当する。これを政治の場面でも活用すべきではないかと思う。
現在の日本人には鉄道=迷惑施設というイメージが定着しており、そのためか鉄道趣味も1990年代や2000年代に比べてかなり下火になっている。鉄道利用者のモラルの低下も叫ばれているが、この大元の問題はインフラの老朽化などにあるのではないか。
地震対策や鉄道の故障やトラブルによる定時率低下が叫ばれるようになってから、人身事故(鉄道自殺)や痴漢犯罪が社会問題化されるようになった。解りやすくいえば、安全対策や防災対策が不十分の、老朽化した鉄道車両や鉄道施設が野放しにされることにより、鉄道会社が注意を払っていないと認識した悪徳利用者が鉄道自殺や痴漢行為を引き起こしている。
この問題については、完全な結果を出すことは難しいのかもしれない。何せ日本は世界的に見ても珍しい、鉄道会社が都市企業化かつ多様化している国だ。しかし、大幅な改善は可能であろう。きちんとホームドアを設置する、監視カメラを設置する、鉄道インフラを更新する…こういった地道な努力をすればよい。
氷河期世代やゆとり世代やさとり世代の台頭以降、日本人の低能ぶりが露見する自体が多発している。学力の低下、政治意識の低下、娯楽中毒…挙げていけばきりがない。
彼らに対する対策は学力、政治意識、適度に娯楽と向き合うことの大切さや大変さを学校等で学ばせることにある。日本人は学習能力の高い人種であるといわれているので、人種性に合わせた教育を行えばよい。もちろん、違う人種に対してはその人種に合った教育法で教えさせるべきだ。
今回のケースは、間違いなく対話で解決できた。ストレッチャーや階段昇降機くらいなら、企業は十分合理的な配慮の中で対応できるんだから。
だからー、今回のケースについては、対話で解決を試みたけど解決できなかった、搭乗拒否されて旅行自体を諦めたっていう同航空会社の同便の利用者の証言があるんだって。ストレッチャーや階段昇降機なら準備できるよ、でも、お願いしてもそれを準備してもらえなかったっていう証言が出てるの。一般論としての対話の価値は置いておいて、少なくとも、証拠がある事は認めようよ。
お前、そんなこと言ってたっけ?「罰則を設けるのはどうかと思う。対話の方が重要」とか言ってはず。意見を自分の論に都合よくコロコロ変えるなよ。俺は、障碍者対策の費用を義務的に企業に負担させる制度があった方がいいね、実際あるよね、他の政策と併せて使うべきだよね、と言っただけ。罰則だけにするべきだ、みたいなことは言ってない。
むしろ、危険な乗り降りを強行したのは障害者の方で、航空会社はそれを禁止してた側。バリアフリー法も障害を理由とする差別の解消の推進に関する基本方針も世論も全部味方なのに、誰が障害者を殺すの?
違う。法律では特に危険とは定められていないのに、航空会社が勝手な内規で危険を口実に一律に断っていた。世の中、口実が無いと思ってるの?何でも、それっぽい理由はつけて断れるんだよ。本当に危険かどうかの実地試験とかも、きっとやってないでしょうね。バリアフリー法自体は一見味方に見えるが、努力義務になっているところは、企業は別に守らなくてもいいわけだから、普通に破る企業出て来るでしょう。そういう意味では、実体にあってないと法が逆に敵になることもあるかもね。世論については、お前みたいに、声あげた人叩く奴がいるから必ずしも味方じゃないよねぇ。まぁ、今回の件では殺す殺さないの話にはならないと思うけど、障碍者の移動・活動手段を何かしら口実をつけて奪って、閉じ込めておこうって、それ、結局、障碍者に関わりたくないから生殺しにしておこうっていうのと同じ考え方だよね。
対立する事自体は問題解決に向けて何も悪手じゃない。声を上げないと、少しずつ少しずつ不便になって、そのうち、ひどいことになる。割れ窓理論。現に、俺の病気は、子供のうちに手術しないと必ず死ぬからね。うちの親は手術費用たまたま出せたし、俺が手術した時は手術自体が医学研究上の価値があったから、病院としても経済的困難はさておきとにかく手術させたい方向に動いていたけど、そのうち、研究上の価値も薄れて、世論も味方しなくなり、医療費削減とかで手術費用が高額になるかもしれん。そうしたら、それだけで、俺と同じ心臓障害で生まれてくる子の何割かは死ぬよ。対話による融和にしたって、健常者が他のタイプの障碍者とだけ融和して、うちらだけ仲間はずれ…とかもありえる。結局、健常者ににらまれようが何だろうが、ちょっとでも障碍者が不利になった時に、必死で声を挙げることが重要なんだよ。