はてなキーワード: 健康とは
朝食: TKG
ただ安倍元首相の時のように、カルトに搾取され、社会も警察も対応してくれないというときに狙ったという文脈とは異なるようだ
まあ政治の話は私は深入りはしたくはない、自分の生存を脅かす何かが政治状況に発生しない限りは
ところで、私は何度か異常な不眠に襲われたことがある
覚醒して、何日も眠れなくなった
そのとき「読書を四六時中して、疲れれば眠れるのではないか」と試した
その時に読んだ本が2つあり、一つが「シオンズフィクション」もう一つが「宇宙はもつれでできている」だ
ただ、これがかなり悪く作用した
というのも、SFや量子力学は精神を錯乱するトリガーとなり、危険な妄想を生み出してしまったのである
精神を病んでいるときの妄想体験としての読書は、かなりスリルがあり、それはそれで楽しさもあった
自分に起きた現象というのは、他の人間に対してもある程度再現するものだ
量子力学の間違った知識を信じている陰謀論者・スピリチュアリストは、統合失調症に近い妄想を持っている
知識を得ることは美徳のように語られるが、妄想に変わるほどの半端な知識ならば、持たないほうがよいかもしれない
眠れなくなって錯乱しそうなときは、病院に行くなり薬を飲むなりするしか、手立てはないだろう
余計なことをするとかえって健康を害す
↓
【水俣病】
【薬害エイズ事件】
【福島第一原発事故】
2021年 政府「安心して皆さまに接種していただけるよう取り組んでいます」
202x年 政府「「 」
君の言ってることは分かったよ。
秋からレプリコンで大変だけど頑張ってね
本当に死にたいなら、ドナーカードに登録して、今あるお金でなるべく健康的な生活して、ドライアイス買ってきて密室に入るのが一番世のため人のためになるかもしれない。しらんけど。
【追記】
本人に届いちゃったね でも元気になってくれてたから良かったよ。
配信も見ました。消費と似ているけど、それぞれの受け止め方で良いんだね。良かった。
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だから、ここに書く。
はじめに、Cats and the Other Livesというゲームについてこっそり教えちゃう🐈️このゲームではある屋敷に住まう猫となって、屋敷で起きた出来事を垣間見ることができる。そして、物語の始まりは、屋敷の主が死ぬ日から始まる。一家が屋敷に集合して、葬儀が始まる。遺族は揉めて、コトは起きる。それを猫として眺める🐱
このゲームをあるVTuberがプレイしてて、それを見てたんだよ。内容は面白くて、特に遺族のゴタゴタや屋敷の主人が抱える因縁は発言小町や増田のそれに劣らない。まぁ、別にフィクションと張り合えるような怪文書は求めてないんだけど……
家族の因縁や生い立ちが明らかになっていくにつれ、その身の上話がどんどん重くなってくのだけど、猫として傍から見る分にはこれが面白い。突き詰めると趣味悪になりかねないけど、知らない人の話って誰しもそういう消費の仕方するだろ。
それで数時間のゲーム配信を何回か見ていたんだけど、ある日、その子は配信をしなくなった。1週間ほど、姿を消した。配信だけじゃなくてXですら呟いてなかった。
それで戻ってきた時、彼は家族を亡くしていた。あまりにその、偶然が過ぎるんだけど……その……人が亡くなった物語のゲームをしているときに、彼がその境遇になってしまってた。もう、なんて言ったらいいか分からないんだけど。
俺はさ、そのVTuberは身内じゃないし、視点としては猫ゲーのプレイヤーなんだよな。ゲームの物語としてのストーリーも、配信画面の彼のため息も、同じ画面の向こうの話なんだよ。
でもさ、でも、俺はその日の配信の後に寝れなかった。蒸したような夏夜だった。知らない画面の先の話に心を打たれて悲しくなって、画面右下でぎこちなく動くアバターと同じような顔をした。俺は、画面の向こうを、多分初めて消費できなかつた。知らない人間の話なのにね。人間はアホなんやなあと思った。
直接会った人じゃないし、話したわけでもない。でも人間の声がして、小綺麗なアバターを纏い、チューリングテストをクリアできる返答が出来る相手の話なら、心が動いてしまう。うん、アホなんかも。
でも、それでも心を通わせられたら、もう他人事には思えなくなるんだろうなと今回思った。配信の1ギャラリーとして見てるだけだけど、それでも彼の人となりは分かる。良いヤツなんだよ。
例の猫ゲーも、一人の人間として屋敷で暮らしている設定なら、もっと深入りしてしまう部分があったのだろう。猫じゃないと、あのゲームは成り立たない。
さて、話を戻すと彼はゲーム配信を再開し、無事この猫ゲーもエンディングを迎えた。やっぱり屋敷での物語は感動的に消費できた。画面のこちら側と向こう側、切り離されてる時はその人生を消費できるのかもしれない。
人の人生を消費しないって、なんなんだろうと思ったけど、結局は、「これは読み物じゃなくて俺の仲間の話なんだよ!!!!!!!」と怒ることができるほどの"当事者"感なのかもしれない。別に怒らなくていいし勝手に当事者面すんなと言いたくなるが、詰まる所は「他人事じゃない」という意識なのかもしれない。
ああもう、話がとっちらかってしょうがない。俺が言いたいのは、そんなことじゃない。ゲームの終わり際みたいに、すんなり風呂敷は畳めなくてもいい。手際よく前向かなくなっていい。でも、元気になってくれよな。健康にいてほしい。そう、こういうことを伝えなきゃ
※注:長い
先日、数年ほどFF相互関係を築いていた人物(以下、Dさん(仮名)と表記)から離れるために、私はTwitterのアカウントを削除した。
ひとまず目標通りDさんから離れることができたものの、まだ消化不良の気持ちが残る。この文章ではそれらを吐き出しながら、整理していきたい。
Dさんとは、近からず遠からずな趣味を共通言語として、それなりに親しい間柄ではあったと思う。しかし、ほかのFFさん相手の場合とは異なり、交流期間が伸びるにつれて、Dさんの人格とその言行に私が苦しさをおぼえることが増えていたのも事実だった。また、Dさんと私の母との類似を自覚してから、彼女にストレスを感じるたびに母へのトラウマやストレスもフラッシュバックするという悪循環があった。
離れる決断の決定打となったのは、ストーカー被害をめぐるDさんの対応だった。
あるとき、Dさんが企画した鑑賞会の参加者2人(ともにDさんのFF)が、その会での発言をきっかけに揉めた。2人が揉めだしたさなか、Dさんはその一方に安易に助太刀するような発言をしていた。それでトラブルがヒートアップすると、事態を冷却しようとしたらしいDさんが一方のFFを急にブロックした。結果、Dさんはブロックした相手から連日にわたりフォロリクやブログへのコメントが続く事態となっていた。
その上、Dさんが助太刀をした人物(以下、A(仮名)。私とは一切交流がない人物。)は、その勢いでつけ上がってか、「犬好きはサイコパス」のような、揉めた相手をターゲットとする大雑把で攻撃的な発言を繰り返すようになる。それが理由でDさんはその後Aとの関係も断ったが、Aの粘着行為はDさんが何度も恐怖を表現する程度に続いていた。
第三者の私から見ても、Aの粘着行動は先の人物のそれよりもずっと深刻だと感じられた。Aは、拒否され続けても1日に何度もDさんの鍵垢にフォロリクを送ったり、Aの別垢と思しきアカウント2、3個からもフォロリクをしかけたり、Dさんの相互関係にある公開垢たちを少しずつフォローしていくなどの偏執的な行動を続けながらも、Twitter上では、あいかわらず揉めた相手とDさんのことも誹謗するようなツイートを続けていた。Dさんへの攻撃的な発言を繰り返す一方で関係を保持することに固執しているAの行動は、矛盾しておりむちゃくちゃで異様に思えた。
何より、DさんがAの粘着や監視下にあるような状態を怖がっているような発言を繰り返していたのが痛ましかったので、私は被害の解消が早まるようにと一言二言、心ばかりの助言はしていた。
ただ、次第にDさんへの疑念も私の中で膨らんでいった。そもそもAが日頃から攻撃的な発言を繰り返していることは少しツイートを見ていれば明白だったし、検索すればAはその舌禍のために趣味の「界隈」からさえ煙たがれ、ヲチや誹謗発言まとめページがつくられているような要注意人物だったからだ。Dさんは、「嫌いなものに悪口を言いあえるフォロワーが増えることのほうが嬉しいから」との理由で、Aの言動をあえて見過ごして相互関係を続けていたという…。
また、Aの粘着に困っている状況にもかかわらず、真偽不明なAの過去発言をまだ信じているような姿勢を見せるDさんに、私は度々戸惑いを覚えた。そうこうしているうちにDさんが、「別SNSのアカウントならフォローしてもいい」と積極的にAを誘導するような発言をブログに明記した(実際、その後にAと思しきアカウントがDさんのフォロー欄に現れていた)ことも、私には理解しかねた。Dさんのプライバシーや心理的安全を本気で心配していただけに、軽率に見えるこうしたDさんの言行に内心で愕然としてしまっていた。
Dさんの、「猫好きなら(「良い人」だろう)」とか「相手が同性なら」みたいな安易な判断で、過剰に攻撃的な言動をする人でも平気でフォローする軽率さ…。ストーカーの粘着に困っていた最中に、Dさんはトラブって閉じた鍵垢とは別に新しいアカウントをつくり、公開垢として使用すると宣言していた。公開垢の運用方針の相談を兼ねてDさんが相互内で行ったアンケートでは、「(公開垢では)大人しくしておいたほうがいい」に投票した相互の割合が圧倒的に最多だった。にもかかわらず、Dさん曰く「正当な機会を得て他者を攻撃したいから」と、マウント・承認欲求を結局優先するような発言をしていたことにも引いてしまったし、結局DさんはFF内のアンケートを考慮することはなく、公開垢をやたら攻撃的な「思想」垢として稼働させるという、軽率さを再び発揮していた。また、いざその「思想」垢のツイートがプチバズしたら、焦ったのか急に鍵に戻す…Dさんの軽率さ…。その連続に、目眩がするようだった。
Dさんの行動は、人の話を聞かないまま軽率に行う自発的な社会行動のせいで自分の首を絞め、そのたびに周囲に自分の感情をわめき、まき散らす点で、私の母にそっくりに思えた。咄嗟に「もう付き合いきれない」と思う発言も何度もあった。なぜ娯楽の一環で利用しているインターネットでまでそんな人間と関わらんといけないのか、それともこの痛苦の感覚は私の認知の歪みの産物でしかなく、私の自他境界の曖昧さの問題で「他責思考」に由来しているんじゃないのかとも、あてどもなく何度も自問もしていた。
いずれにしても、Dさんとの関係が、母とのトラウマを思い出すトリガーとなりつつあった。彼女を相手にすると、いわゆる「カサンドラ」、適応障害のような心理に私が飲み込まれてしまう状態になることが避けがたく、また耐えがたく感じられたため、Dさんから離れる必要性を度々意識していた。
以前から蓋をしていたDさんへの違和感や不満が、何度も爆発しそうになっていた。また、いつか怒りで我を忘れて、ひどいかたちでDさんに感情をぶつけてしまうかもしれないと想像されることも、私には怖かった。
そうはいいつつ、象徴的なエピソードとして記憶している出来事にも触れたい。以前、私が趣味に関するつぶやきをした際に、ポロッとDさんが「自分がカバーしてない知識を持っている人をフォローしておくと相手の知識を食えるのでお得」といったツイートをしたことがあった。私自身や私にとって面白かった趣味の良書たちの情報を、Dさんがそんなふうに雑に消費しているものとは思ってもみなかったので、今思い出しても全身が脱力するくらいに、とても悲しい気持ちになる出来事だった。親しい相手と思っていたはずのDさんからは、便利な情報源、もっといえば「遊び道具(モノ)」としてしか認識されていなかったのだろうかという落胆と不快感の両方を意識せざるを得なかった。また、私の適当なツイートを眺めるだけで「知識を食」っているつもりになるDさんの知的不誠実さにも不信感を抱くようになった。
もちろん、彼女としては軽い気持ちのつぶやきだったのかもかもしれない。私に、自分の信念に決定的に反するような発想と発言をする人間を受け流しながら適当な交流を続ける余裕がないという問題があるのは確かだ。
それでも、他人の言動に対して積極的かつ軽率に対処をするDさんの癖が、彼女にさまざまなトラブルを引き寄せているように感じるようになっていた。
つまるところ、私としてはもう限界だと思ったのだった。
こうした経過があって、私は自分の精神的健康を保つためにはDさんとの関係を断つことが最善の選択だと、最終的に結論づけた。
話が伝わりがたくトラブルを誘発しやすい人と関係を続けることは自分を消耗させるだけなので、こうして見切りをつける勇気も必要だったように感じている。
Dさんと交流のあったアカウントを削除した結果、このさき私とDさんが直接衝突する事態は未然に避けられたわけだから、こうしてあらかじめ身を引けてよかったのかもしれない(と、思うほかない…)。
私に見えないところで私とは無関係に、これからもDさんがどうか楽しく過ごされていますようにとは願っている。
おしまい。
宮脇輝彦という地区担当員は、2019/4/1から何か月か、ケース記録を起案していただけの起案者で、記録の仕方も滅茶苦茶で、肝心なことをしていたときのことを何も記録していないし
内容が終わっているので開示請求したとしても何の参考にもならない
2020,2021,2022/3/31 までは、中谷という担当者が書いており、 「きょうわいぶっけん・・・」と言っているが、狭隘(きょうあい)物件のことであるらしい。板橋区徳丸のマイトピア徳丸が
借りられそうになったが、 狭隘物件(15平米未満である) だからだめである。 なお記録はしていない。
2022/0401 から、 腐乱死栖古俣という地区担当員が処理していたが、 6月10日に、健康管理支援士の小島良二と面談し、保護第2係の藤原氏に交代した。
シムソンの定理の美しさを説明しようとする、と記載がある。 ※ シムソンの定理の何が美しいのか?理解不能。 技術はともかく、定理に美しいも何もないような気がする、という見解。
それに対し、城戸の方から、シムソンの定理は美しいというように決まっているから言い方は変えられない・・・ 人工衛星のプログラムで決まっているから分からなくてもそういう風に言わないといけない
城戸の方から、 「どうせ解けないし・・・」といった文句も見られる。なお、同日夜中の0時頃、リヴァージュシティの14階から女が出てきて、こうして出会えたんだから、ブヒィ、といった短い会話が
あったが全然会話にならなかったという。
令和4年6月19日頃から、新しい 支援士にずちゃんが着任・・・。 城戸の書いた経過表をみせると、それは昔の記録でもう使えない・・・ 衛星のプログラムが変更された・・・といった
言動。7月1日からつけ始めた、37ページにわたる、実施要領に基づく事業経過記録がこれからの主戦力になるという。 ※ 何が主戦力だゴミが、と思うが、ずちゃんの悪口は言わないように
している。ただし城戸は人ではないのでその限りではない。
37ページにおよぶ自立支援経過表と呼ばれる書類に、 ケース記録がついているが、ケース記録は、令和4年7月5日に、起案者の高橋が、マイナンバーポタルから確認したというのを
最後に、 令和5年6月19日まで何も書いていない。
板橋区健康管理実施支援要領に定める支援対象者に該当するため、記録する、という文字が、毎回のように並ぶ。
令和5年7月24日?に、支援対象者の受療状況照会を、須佐医局長に行う。 8月25日に次のような回答が得られた。
稼働能力 なし
ハンチバック
気持ち悪いんだけど気持ち悪く感じること自体が悪みたいな感じもあり、いい小説だ
全体にラノベっぽい軽薄さ?がありながら内容はめちゃくちゃズバッと怒りを放っていてかなりいいんだよなー
これ読んで主人公キモイ!って批判してるやつとか「考えさせられた」とか安直に言ってるやつめちゃくちゃダサいな…感性が
あと本当にズレた感想になるけど
病院に行くなりしたら状況が好転する可能性があるやろって主人公が頑なに病院に行かんと話の都合を感じてイライラするから最初から主人公がグループホームに入っていてそこは安心して読めた
弱者男性に対する主人公の差別心とか、主人公も結構性格悪い(言うてそんな悪くない、障害者は聖人ではない、なんなら作中でも出てる通り健常者に比べて曲がるに決まってるやろ理論は私もそう思うしなんなら健常者より徳高い寄付してるから)けどそのへん精算されず最後まで弱者男性的な人が悪というオチなのできつい人はキツそうって言うかしんどそうにしてる人の感想見てそうやろなと思った
弱者男性は元は社会問題的な本当にしんどい人に関する真面目な意味もあるスラングだったのに意味が変化したとはいえなんも考えず「キモインセル男性」みたいな意味で使ってるとかさー
エンタメやないから精算がないのは全然いいけどそういうの読むと当事者に近い人とかはしんどいよな
コンビニ人間もそうやけどフェミニズムちゃんと学んでそうな作者の作品の弱者男性が悪役でなんやかんやオチみたいな話多くね?(2個しか読んでねーだろ!!!)
あと枝葉主人公ネットにどっぷりやのにネットリテラシーなくほぼ本名で特定できそうな呟きすなーっ!になった
メタ的都合もあるやろうけど主人公がほんまは誰かに見つけて欲しかったとか主人公の幼さの表現とかでもあるんかな
考えたことなかったあ(ʚ̴̶̷᷄_ʚ̴̷̷᷅)知れて良かったです!考えさせられましたあ。健康な体に感謝✨」みたいなただ障害者を消費するだけの安直感想ダサいから絶対言いたくないけど作者としては怒りで書いたわけだし問題提起のつもりなら「考えさせられた」でいいのかもしれない
紙本派まじダセーみたいな下りに「好きな物は好きなの!いや俺たち悪くねーし!」てキレてる人多くて自分と同じ属性がちょっと否定されただけで自分が責められてると思って安直に反論してるみたいで幼さを感じる そういう話じゃなくね?
しかし、反論も自由…(そもそも読解出来てなくね?みたいな反論多いけど)
普段娯楽作品ばっか見てるからマイノリティがテーマのものでも「マジョリティに対する配慮も無いとゴミ!!」みたいな感想ばっか見てて、まあ娯楽作品は楽しませるためのもんやからその感想も一理あるんけど何となく自分もそう思い込んでたから
純文学やからこそのマジョリティに対するおもねりが全然ない投球を見れて衝撃的で気持ちよかった!
いや私が分からんかっただけでこれでもマジョリティに媚びてるところあるかもしれんけど
つくたべとか私結構楽しんでるけど結構上の理論で叩かれてたりしててほえ〜と思う
娯楽作品でも言い方ゲロ悪やけどマイノリティ向けスカッとポルノみたいな形で結構需要あると思うけどなーマジョリティからの叩かれは無視で、、、(マイノリティがマイノリティな限り売れねーだろ)
スキゾイドパーソナリティの人は社会的関係に無関心な傾向があるため、SNSによる社会的プレッシャーからの解放は精神的健康に大きく寄与します。
内向的で自己内省的な傾向があるスキゾイドパーソナリティの人にとって、自己省察の時間は重要です。
SNSによる情報過多や他者との比較から生じるストレスを避けることで、精神的な安定が得られます。
スキゾイドパーソナリティの人は独立性が高いため、SNSの影響を受けずに自己のアイデンティティを維持しやすくなります。
落ち込んでるだろう元増田には悪いが、麻酔して腹切ってノーリスクなんて若い健康な人間でもありえないよ
手術の同意書書かなかった?最悪の場合は麻酔した段階で死ぬって説明されなかった?
本当に一切何も説明が無かったら説明義務違反になる可能性はあるが、80歳で術後の体力が戻らないって話だと合併症と呼ぶには弱すぎるなとは思う
唐揚げ八宝菜ハンバーグぐらいの手間かけられるんなら、その食事回の労力を副菜に回せばよい
とはいえ、自分も面倒なので副菜はほとんどスーパーの総菜売り場で買ってきてる
にんじんしりしりのしりしりしないバージョンとか、人参抜きで別の野菜とか、ツナ玉子抜きとか、和風やめて洋風やら中華風、トマト系とか
ガチの薬物玄人「コカインも健康リスクは屁でもない。覚せい剤もヤバさは酒と変わらん程度で、アホやメンヘラが人生崩壊レベルまで依存するだけ」
ワイは健康のために酒飲まないやで。
それならそれでいいんだけど、十分幸せなはずなのに「嫁や旦那がいて子供がいて、不自由なく健康で過ごせてるだけで十分幸せである!それを幸せと思わない人間は愚かである!」みたいなことを四六時中SNSとかでポストしてるのがそこそこいてなんだかなあと思う。
嫁や旦那がいて子供がいて、不自由なく健康で過ごせてるだけで十分幸せな人間だってゴマンと居る。
少なくともこのアラフォー無職のおばちゃんは本人的にも他人から見てもとてもじゃ無いが現状幸せじゃねーよな?
今までの30年の生き方のツケが回ってきただけなんだよ