はてなキーワード: 保毛尾田保毛男とは
なんか勘違いしてる女性も多いみたいだけど、そもそも要らないのは「いきいきママ」なのではなく「いきいき女性」であることって理解してんのかな?
いきいき女性って、実際問題すぐ泣くわ、ちょっとしたことでハラスメントとか言い出すわ、飲み会には来ないわ、感情で物事動かすわ、挙げ句月に一度定期的に体調不良起こすわで、男性社員から迷惑がられてることに気付いてないの? あんたらは俺らと同等な仕事してるつもりかもしれないけど、裏ではほとんどの男性社員が失笑してるよ?殆どの男性は女のくせに粋がるなと感じてる。日本会議がなんで支持されてんのか分かんないのかよ。
仕事に活路見出してる的な女がいきいきママを叩いてるのを見ると笑えてくる。「いきいき女性は社会に認められてる正しい生き方なんだ」とか勘違いするのはやめたほうがいいよ。この前の保毛尾田保毛男の件と一緒で、男性は建前で女性を認めてるふりしてるだけで、みんな本心では失笑してるんで。笑
日本もアメリカと同じ方向に向かってくんだろうなあと実感したよ。
でも日本の場合はハリウッド映画のように必要性も無いのに出てくるホモの同僚、
フェミたちが見て溜飲を下げられるような男勝りで有能な活躍をする女、
といった不要な配役を無理やりにでも作ってねじ込むというよりか
いないものとして、登場することすらなくなる気もするなあ。
「黒人差別をなくす会」の活躍で黒人が創作から一斉に消えたような感じでね。
一切出てこなきゃ批判のしようがないからね。これも彼ら彼女らが望んだ結末だからしょうがない。
明らかにいたずら目的だろうニセLGBTであればちょっとつっつけばすぐに消えてくれるのでまだよいのだけど、始末が悪いのは本人はよいことをしているつもりで主張している連中の方なんだよな。
そもそもとしてLGBT当事者ははっきり名乗り出ずに活動をしていることも多いし(自分もこうして増田で書いているし)、どこまで本気でその人が言っているのかわからないことが多いというのが本音のところ。
保毛尾田保毛男の時は主張が通って喜んだのはむしろ便乗してフジととんねるずを叩いた人たちだろうと思っているし。
支援してくれようとしてくれる人には本当に申し訳ないけれども、いたずら目的の連中もいるということだけちょっと覚えておいてもらいたい。
マジレスすると、同性愛者の権利活動を真面目にやってる人ではない人が保毛尾田保毛男以来わけのわからない主張をし始めている。
多分LGBTという弱者の殻をかぶって主張をすれば世の中が動いてくれるということを知っていたずら目的でやってるのだろう。
保毛尾田保毛男騒ぎの時も最初の主張こそある程度意味があったが、後半からは明らかにLGBTではない人が参入していたのを強く感じた。
保毛尾田保毛男騒動でホモネタ、オカマネタがなぜいけないか、どれだけ我々のような人間を傷つけて来たか、ようやく浸透してきたんだなと今は胸を撫で下ろしています。
この流れを一過性のものにしたくなく、もっと周知してもらいたく書かせてもらいます。
「オカマ」が登場すると必ずしんちゃんは気持ち悪がり、あまつさえ「オカマ」が作品内の敵として扱われます。
近所の子どもたちがクレヨンしんちゃんに影響されて「オカマ」の真似をして、仲間内で気持ち悪がる光景も見ました
身が引き千切られる思いをしました
そんな「オカマ」が出て来るクレヨンしんちゃんの映画は、現在でも容易に鑑賞出来ます。
アマゾンプライムさん。お願いです。映画クレヨンしんちゃんの公開を中止してください。
「時代遅れの笑い」という批判もあるけど、たけしに「こんなネタは他の国なら、ただ事じゃないんだぞ」と言わせたことからも企画側がポリティカリコレクトネスに自覚的であることは伺われる。自覚の上で放映したという文脈から企画側はポリティカリコレクトネスに(挑戦しながらも)反する意図がないことを読み取らなければならない。
スポンサー降板もあったから局側は問答無用で、おそらく反射神経で謝罪したんだろう。しかし企画意図の説明を完全に封殺してなんの掘り下げもなく、謝罪して片付けてしまったのはちょっと放っておき難い。
そもそも保毛尾田保毛男というキャラクターの強烈さは、彼がセクシュアルマイノリティーであるからではない。30 年経っても忘れられない強烈さの本体は、彼の「得体の知れなさ」である。
当時ですら時代錯誤の、ポマードで塗り固められた髪。石橋貴明の無駄に良いガタイで派手なスーツをちゃっかり着こなすところから、経済力のある人物であることが仄めかされる(御曹司みたいな設定のようだ)。そして青ヒゲが男性であることを強調しつつ、話し始めるとこれが歯を見せずに上品なお姉様言葉。あらゆる特徴がちぐはぐで、掴みどころがない。
さらに言動から同性愛者であることは明白なのに本人に問いただせば「それはただの噂ですから」と言って否定する、(視聴者は心の中で「そんな訳あるかいな」と毎度ツッコミを入れる、)というのがこのコントのヤマである。
少なくとも視聴者には彼が男色であることが明示されているから、この「ただの噂」という台詞は嘘。つまり素性を明かすつもりのない人物なのだという印象を与えられるため、ますます正体不明の不気味な存在となっていく。
わたしたちはその不気味さと、しかしどうにも悪者には見えないそのチャーミングさとのギャップに可笑しさを覚えていた。この笑いの構造自体はほかのキャラクターにも代替可能なもので、同性愛者の揶揄がこのコントの主旨ではなかった。
主旨ではなかったはずだが、30 年前当時にはポリコレなんて概念はなくて、制作者および視聴者の「同性愛者への無理解」がツカミとして機能していたことも確かである。
偏見や差別はあってならないが、一方で多様なセクシュアリティーの存在を認識し、共存できることを確認する視点も公共電波に課せられた同等に重要な使命ではなかろうか。その視点に座すれば 30 年前には異形扱いだった保毛尾田が、時を経て鬼瓦権蔵(←しかも他ならぬ、こんな昔気質オヤジの権化である…)に扮した業界のドン:たけしとふざけ合いながら銀座を飲み歩くなんて、むしろそれこそ現代が差別のない世界に近づいていることを確認する幸福な画面だった。
ところが今回の説明のない謝罪は、あの銀座の一夜を否定し「今後、セクシュアルマイノリティには特殊な配慮をします。安易に画面に映しません」=転じて、テレビ局が頭を下げて「ホモを映したのはダメだった。これからはちゃんと差別します」と宣言するみたいなおかしなことになってしまっている。チャンチャン、まさにお笑いである。30 年を費やした、巨大なコントのオチが局の謝罪で完成してしまった。これでよいのか。
「部室芸」という表現もあるが、芸もなく、技巧もなく、思想もない。ただ笑わせて、笑った方が強い。それがとんねるずの世界観である。フジテレビが謝罪した日は、ポリコレが部室芸に殴られて「お笑い」になった日として大衆の記憶に留まる。
保毛尾田保毛男でぎゃーぎゃー言ってる人はクソフェミニストと同じだと思います。
で、今回またぎゃーぎゃー騒ぐ人は自ら生き辛く、生き辛いままにしようとしているのだと思います。
主に怒ってる人は自分がゲイで、そのゲイであることがコンプレックスで、
それが笑いの対象になってるのが気に入らないのかなと思うんですが、
(ゲイじゃない、中立的な?正義的な?人もいるかと思いますが。)
人のコンプレックスが笑いになってるものなんて世の中にいくらでもあると思うんですよ。
デブであれハゲであれ出っ歯であれ運動音痴であれみんなそうだと思うんです。
だから、ゲイが真に世間に馴染むにはこれらと同じ道を行くしかないと思うんです。
それ以外の道は望むべくもない特別扱いだと思うんです。そういう意味でくそフェミニストと同じだなと。
そんなにあちこちに過剰に配慮する世界になったら、拒食症の人の事を考えたらグルメ番組なんてできないし、
貧乏な人の事を考えたら車とか旅行とかの番組もできないですし、有名大学なんて放送禁止になると思うんです。
で、今回ぎゃーぎゃー言ってる人も、普段の行動から全人類を相手に考えてるかというと、そうじゃないと思うんです。
じゃないと何か食べておいしいとも言えないですし、旅行行って楽しーとも言えないですし、
生きてるだけで幸せとかすら言えないんじゃないかと思うんですよ。極論ですけど。
だから、怒ってもいいんですよ、怒るなとは言わないんですけど、怒れば怒るだけ、
ハゲとかデブとかチビを過剰に気にしてるみたいな、扱いにくい冗談通じない人にしかならないと思うんです。
気持ちはわかるけど相手にすんなよ無視しとけよって言いたいんです。
他愛ない、ありふれたもの、っていうところまで世間の意識を持っていくべきだと思うんです。
うざい女定員とか、バイトリーダーとか、気持ち悪いオタクとか、すぐキレる教師とか、
そういうお笑い芸人のネタになるようなのと同列に保毛尾田保毛男を扱うべきだと思うんですよ。
ゲイだかLGBTにおける一種のステレオタイプとしての保毛尾田保毛男として扱うべきだと思うんです。
じゃないと、いつまで経っても世間的に異物で、普通の人から距離があって、物珍しい存在から脱却できないと思うんです。
「こんないかにもな奴いねーよwww」って笑えるくらいじゃないと、
ゲイであるという事が一個性であるというところまで永遠に辿り着けないのではないかと思うんです。
そりゃ人が嫌がることをする奴は怒られるべきだっていうのはわかります。
でもそれは理想論というか、一般論というか、あくまでも「論」を出ないわけで。
現実的に暮らしやすい世界を作ろうとするなら、ぎゃーぎゃー騒いで謝罪させるみたいな対応は頭悪いなと思うんです。
今回はその機会を無駄にしたなとすら思うんです。
おれがゲイだったらおそらく嫌だろうなとおもってその時はうなづいていたんだが
知り合いのゲイに聞いてみたら、「あんなのいいに決まってんじゃん」と言ってきて驚いた
そんなもんかなと思っていたらそいつがやってる店(2丁目)ではわりとみんな好意的な感じだった
ノースフェイスのリュックが「ホモランドセル」として流行っていると話題になったが
ゲイが自分からネタにしたんだからOKなんだよっていうブコメみて何言ってんだって思った
よくよく考えればそうだ
どこかの男が男を代表することにイラっとすることがあったからだ
男は強者だというなら女の人は女で考えればいい
どこかのオタクが勝手にオタクを代表してるのを見てイライラしたことがない人だけが石を投げなさいみたいな
オタクだっていろいろだろう、オタクとオタクが意見戦わせてるの見たことあるだろ(というか、それしか見たことない)
県民ショーで自分の出身県を代表して適当なこと言ってる芸能人が嫌だし
そして個人的な話だけど、僕は障害を持っているのだが、ぼくはNHKのバリバラが嫌いだ
そんでなに勝手に24時間disってんだよ、お前に何の権限があるんだ!かってに代表面スンナ!と思った
そんではてなの連中が「いやー意義のある番組だよね~」とか言ってるのが腹立つ
そう、僕は頭がちょっと薄いのだ
ハゲが自分でネタにしたからOKなんてことになるんだろうか?おれはネタにしてほしくないのだが
多様性~とかいって、ゲイのだれかがいったことすべてだと思ってゲイのかたもつやつ全然多様性じゃないだろと
障碍者も多様だぞ
マツコがいつだったか私がゲイを代表するのはまずいみたいなことインタビューで言っててなんとなくわかるな~と思った、ゲイじゃないけど
自分は今働いている会社で唯一の障碍者だけど、周りの人にとっては私が障碍者のひな型になってしまう。それが怖い。
もっと多様なんだよ
何故かっていうと、同じ部活に入っていた友人と、いつも冬場の電線に並んでコロコロしてる雀みたいにいちゃいちゃしていたからである。その姿が異常だとかいう事で、ある男子(仮にA男とする)が私に「レズ子」とあだ名をつけた。
けど友人の方はレズだという中傷はされず、攻撃されていたのはもっぱら私だった。友人はめちゃめちゃ腕っぷしが強くて男子でも殆どの子が敵わなかったから、弱い私だけが狙われていたのかもしれない。
しかし私は弱かったしA男はやたら執拗だったが、それでイジメを受ける事にはならなかった。
というのも私本人がレズ子と言われる事を気にしていなかったし、友人も「A男はしつけーな」位の感想しか懐いていなかったし、他の生徒達もだから何なんだって感じで、いくらA男が私を罵りまくり皆を煽動しようとしても、誰もノッて来なかったのだ。
別にイジメの全く無い清らかな環境ではなかったのだが、それはイジメのネタになる様なものではなかったらしい。
私が思うに、当時レズビアンやレズビアン的なもののイメージが良かったからなのではないかと思う。主に宝塚とセーラーウラヌス・ネプチューンのおかげで。
ま、そもそも女同士で冬の雀みたいに距離感ゼロで群れている光景なぞ、珍しくもなんともないのだ。
もしあの頃、保毛尾田保毛男みたいな、ヘンテコなレズビアンっぽいキャラクターが笑っていい者としてテレビに登場していたら、状況は違ったのかもしれないなぁ。
などという事を考えていてふと思ったのだけれども、保毛尾田保毛男って私も昔テレビで見てたが、あのキャラ本人は飄々として超然としており、どんな好奇や嘲りの目で見られていようがゴーイングマイウエイで生きている、一種の強かさのあるキャラクターなのだな。
強かだから、どこまで叩いたら折れるのかっていう好奇心でもって人々は保毛尾田に残酷な視線を向けていたのではないか。
しかし保毛尾田は柳に風とばかりに受け流す。
その姿は、あの頃執拗にA男から絡まれていた私にも通ずるものがある。
A男の私への攻撃は日増しに酷くなる一方だったが、最悪の事態にならなかったのは、幸運だったかもしれない。ブラウン管の向こう側の存在の保毛尾田は撲れないが、生身の私の事はやろうと思えばおもいっきりブッ飛ばす事が出来た筈だ。A男のなけなしの良心や自制心によって私は無傷でいられただけだ。
と、遠い昔の中学時代に思いを馳せたのは、保毛尾田復活騒動がきっかけではなくて、うちの娘の友人B子ちゃんのお母さんの一言のためなのだった。
B子ちゃんはうちの娘の事が熱烈に好きで、どれくらい好きなのかっていうと、ノー娘ノーライフ、それくらいに好きなのだとB子ちゃん本人談。
娘とB子ちゃんは、かつての私と親友の様に、電線の上で身を寄せる雀の様にコロコロといちゃついている。
そんな様子を見ながら、B子ちゃんのお母さんは言ったのである。
「あらぬ方向へ進まないといいんだけど」
そんな事が気になるのか。
別にいいじゃねーかあらぬ方だろうがなんだろうが。
しかし私の中学時代、いっくら私と親友がいちゃこらしていたって、同級生の多くは私達をあらぬ方向へ行っているなどとは言わなかったし、むしろ女子ってそんなもん、くらいの受け止めかたしかしていなかったのに、今は、「あらぬ方向」か。
単にB子ちゃんのお母さんが気にしすぎなだけかもしれないが。
なんだかなー。
保毛尾田保毛男を擁護している人に聞くが、ではどういった内容は放送に適さないものだろうか。
出自(部落・在日)、宗教(創価・統一・幸福)、皇室、障害者などだ。
ニュースでは扱えてもバラエティ番組でこれらをネタにしたりいじるのは絶対に不可能だ(障害者はNHKが頑張ってるけど)。
たとえばこんなコントはどうだろうか?
在日朝鮮人の「キム山キム男」とか
おつむの弱い「知枝オクレ」とか。
1秒で絶対に放送できない、くらいの判断は誰にでもできるはずだ。
(例に挙げられているのがつまらない?「保毛尾田保毛男」を楽しめる感性はあるのに?)
結局のところ保毛尾田保毛男は前出の圧倒的タブーに比べれば弱めであまり怒られそうもない同性愛者をネタにしているにすぎない。
それも30年前の当時の状況がそうだっただけで、そこから1秒も改まっていない時代遅れの状況認識なことが今回露呈したわけだ。
たぶん、この問題を批判してる人の殆どの(気づいていないかもしれないけれども)本音はそうだと思うんだよね。
差別だろうと何だろうと、面白かったり強者への攻撃ならある程度は許されるんだよ。
もちろん、LGBTだかなんだかのケンリガーみたいな人もいるんだろうけど、もう単純に保毛尾田保毛男とか2017年にもなって懐かしネタでもなんでもやっちゃうフジテレビやとんねるずのセンスが不快すぎるってのが一番だろう。
30年前はもしかしたら面白かったのかもしれないけれども、もうこんな少数者を上からバカにするだけのネタ見せられて不快感しかない。
例えば、アメリカで、もしかしたら1950年代くらいには面白かったのかもしれない黒人差別ネタを大物白人コメディアンが今やっちゃうみたいな絶望的なセンスでしょ。
ハゲいじりとかデブいじりも差別なんだろうけど、まだハゲやデブの芸人が自分でやってる分にはまだそれなりに面白い。
今年のキングオブコント、例年と比べても全体的に面白かったと思う。
ただ、かまいたちは優勝で文句ないと思うし、さらば青春の光も高評価に恥じないクオリティだったと思う。
かまいたちのコントのお約束を逆手にとったトリック、さらば青春の光の演技力、
そんなこんな盛り上がった大会だったが、ひとつ気になったのは、ゾフィーのネタが「プチ炎上」したという話だ。
ネタをざっくり説明するならば、母親が家出してしまい、息子と父親が「なんで出て行ったんだ!」とか、ありがちな言い合いをするのだが、
息子が「母さんがいなかったら誰がメシつくるんだよ!」「メシいつ帰ってくるんだよ!」とどうも様子がおかしく、
「母親=メシつくる人」としか思っていない発言を繰り返し、その異常さに父親がツッコむという構図だ。
順位は振るわなかったが、個人的にはもう「メシ」というワードだけで笑ってしまうくらい面白かった。
なぜプチ炎上したのかと言うと、「母親=メシつくる人」という設定が「不愉快」「笑えない」という声が挙がったかららしい。
まあ、「母親=メシつくる人」ってのは勿論ヤバい認識なわけだが、ヤバいからこそ、それを笑えるのではないのかね。
あのコントはあるあるネタではなく、「こんな奴いるわけねーだろガハハw」と笑うネタだ。
お笑いなんてのは大なり小なりマジョリティから外れた何がしかを、笑いという形で消化し楽しむものだ。
あのコントが「笑えない」ということで消化不良を起こしているのだとしたら、そんだけ「笑えない」普通のことになってしまってる、ってことかい?
その現状を笑いに変えることもできないくらい気力も体力も残ってないくらい疲弊してるってことかい?
ちなみにお笑い畑での炎上といえば、保毛尾田保毛男が復活し、炎上した件がある。
むしろこっちの方が大炎上なのだが、あいにく放送を見てなかったうえに世代じゃないこともあってか、ゾフィーの件のほうが先に耳に入ってしまった。
何を笑うのか、何なら笑っていいのか、ということに関して、両方とも根っこは同じ問題なのかなぁ、と思っている。
保毛尾田は性的マイノリティを徹底的に戯画化しているが、時代的にはもはやマイノリティがいることは当たり前、偏見を抱くほうがおかしいというのが潮流だ。
「ホモ=青髭で気持ち悪い喋り方」という設定が、すでに時代遅れである今、むしろこんなもの笑い飛ばしてしまっても良かったのではないか。
ゾフィーは今回のネタで、いわば専業主婦幻想やら女性蔑視といったものを笑っていたように思う。
これも同じく共働きなんぞ当たり前のこのご時勢でいまさら何を言っているんだと笑い飛ばしていいのではないか。
両者がこうして炎上してしまう現状を見るに、どちらも思っているほど解決してない、ってことなんだろうか。
トレンディエンジェルがそれなりに人気を得てきたように、ハゲは笑いになる。
タイムマシーン3号が賞レースに名乗りをあげてきているように、デブは笑いになる。
でも、これらも程度の問題でしかなくて、何か潮目が変わった途端に笑ってはいけないものになるのかもしれない。
何なら笑っていい、ということが時代の流れで変わっていくのだとしたら、お笑いというものは本当に難しくなってきているんだなと改めて思った。
もしハゲもデブも笑ってはいけないとされる時代が来たとき、僕は何を見て笑っているんだろう。
まともなこと言っている。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201710040000361.html
これについて、太田は3日深夜放送のTBSラジオ「爆笑問題カーボーイ」で、
クレームを受けてから謝るスピードがあまりにも早すぎちゃって、自分の頭通してねえだろって思った」と指摘した。
太田は、今回の視聴者の苦情は「『なんで今ダメなのかってそれぞれ考えてくださいよ』って訴えだと思う」
と推察した上で、宮内社長の謝罪について「『ちょっと時間ください』と言ってもいいと思うんだよ。『あれはもう1回、
よく考えます。制作を含めて、バラエティーも報道も含めてよく考えます』と。
実はLGBTの人たちっていうのはそういう時間が欲しくてクレームを入れてるんじゃないかな」
と私見を述べた。