今年のキングオブコント、例年と比べても全体的に面白かったと思う。
ただ、かまいたちは優勝で文句ないと思うし、さらば青春の光も高評価に恥じないクオリティだったと思う。
かまいたちのコントのお約束を逆手にとったトリック、さらば青春の光の演技力、
そんなこんな盛り上がった大会だったが、ひとつ気になったのは、ゾフィーのネタが「プチ炎上」したという話だ。
ネタをざっくり説明するならば、母親が家出してしまい、息子と父親が「なんで出て行ったんだ!」とか、ありがちな言い合いをするのだが、
息子が「母さんがいなかったら誰がメシつくるんだよ!」「メシいつ帰ってくるんだよ!」とどうも様子がおかしく、
「母親=メシつくる人」としか思っていない発言を繰り返し、その異常さに父親がツッコむという構図だ。
順位は振るわなかったが、個人的にはもう「メシ」というワードだけで笑ってしまうくらい面白かった。
なぜプチ炎上したのかと言うと、「母親=メシつくる人」という設定が「不愉快」「笑えない」という声が挙がったかららしい。
まあ、「母親=メシつくる人」ってのは勿論ヤバい認識なわけだが、ヤバいからこそ、それを笑えるのではないのかね。
あのコントはあるあるネタではなく、「こんな奴いるわけねーだろガハハw」と笑うネタだ。
お笑いなんてのは大なり小なりマジョリティから外れた何がしかを、笑いという形で消化し楽しむものだ。
あのコントが「笑えない」ということで消化不良を起こしているのだとしたら、そんだけ「笑えない」普通のことになってしまってる、ってことかい?
その現状を笑いに変えることもできないくらい気力も体力も残ってないくらい疲弊してるってことかい?
ちなみにお笑い畑での炎上といえば、保毛尾田保毛男が復活し、炎上した件がある。
むしろこっちの方が大炎上なのだが、あいにく放送を見てなかったうえに世代じゃないこともあってか、ゾフィーの件のほうが先に耳に入ってしまった。
何を笑うのか、何なら笑っていいのか、ということに関して、両方とも根っこは同じ問題なのかなぁ、と思っている。
保毛尾田は性的マイノリティを徹底的に戯画化しているが、時代的にはもはやマイノリティがいることは当たり前、偏見を抱くほうがおかしいというのが潮流だ。
「ホモ=青髭で気持ち悪い喋り方」という設定が、すでに時代遅れである今、むしろこんなもの笑い飛ばしてしまっても良かったのではないか。
ゾフィーは今回のネタで、いわば専業主婦幻想やら女性蔑視といったものを笑っていたように思う。
これも同じく共働きなんぞ当たり前のこのご時勢でいまさら何を言っているんだと笑い飛ばしていいのではないか。
両者がこうして炎上してしまう現状を見るに、どちらも思っているほど解決してない、ってことなんだろうか。
トレンディエンジェルがそれなりに人気を得てきたように、ハゲは笑いになる。
タイムマシーン3号が賞レースに名乗りをあげてきているように、デブは笑いになる。
でも、これらも程度の問題でしかなくて、何か潮目が変わった途端に笑ってはいけないものになるのかもしれない。
何なら笑っていい、ということが時代の流れで変わっていくのだとしたら、お笑いというものは本当に難しくなってきているんだなと改めて思った。
もしハゲもデブも笑ってはいけないとされる時代が来たとき、僕は何を見て笑っているんだろう。
プチ炎上だからどうでもいいだろ。
お笑いが炎上したときはおまえみたいなクズを叩いて笑っていると思えばいい それならお前も納得だろ?w