はてなキーワード: 保毛尾田保毛男とは
戦国時代に武将が、女性を戦に連れてくわけに行かないから美少年をとか、
異常な状況相まって、てんかん起こしたのです。
タブーなわけないし、タブーなら、ホモ上官を気遣って部下がセリアス殺そうとするわけない。
「問題無かった」と書くと、問題かのようで、そもそも問題でなかった。
学年に何人かはくねくねした男子がいたし、保毛尾田保毛男もテレビで流れてた。
僕は当事者じゃないけど、昨今のLGBTとかって、欧米文化を背負いすぎだと思う。
僕らは同性愛について何も言われなくて育ってきたし。
閑話休題。ラストの「メーリークリスマス、ミスターローレンス」もハラの命乞いなんかでは、決してない。
日本が負けて、立場が変わって囚われの身のハラにローレンスは会いもきたのです。
「あなた方がつけた理由で死ななければならないのか」が問題なのです。
ここでローレンスの「私にできるなら、あなたを助けたい(反語表現)」を聞いて、
ハラは逆の立場だったローレンスから答えと許し得られたのです。
戦時中にラジオの持ち込みの懲戒処分をクリスマスのサンタクロースになぞらえて不問にしたことを楽しく思い出し、
ローレンスが来て自分に「素晴らしい言葉」のプレゼントをくれたことに感謝して、
心が乱れそうに出口に向かうローレンスに、ハラは陽気に愉快に言うのです。
「めりぃーくりすます、ろーれんすさん!」
みんなこの話をどういう背景で話していたのかな、かな
①差別
②お気持ち
③公共性
別段表現としての問題はない(原作に問題はない)が、公的機関がシンボルとするにはお下品
類似例:碧志摩メグ、のうりんポスター、駅乃みちか、人工知能学会誌
④環境問題
そして、だからこそ③が許されないのだという
でも、最終的な意見が③に集中するってことは、①にしても④にしても弱いと思ってるんだよね、論者自身が
だから、いだてんを例にしたり、かえる某のようにサキュバス描いてみたりして、イメージを拡大してる
ぶっちゃけ、この話は蘇民祭ポスターと同じところに押し込んだほうが、賛同者増えそうな気がするんだけどな
「エロくて何が悪い」vs「エッチなのはいけないと思います」
俺はおっさんずラブに対して初回放送時から気持ち悪い感情しか沸くことがなく視界に入ってきてほしくないと思っていた。
そもそも、同作は深夜帯で放送されていたので、「イヤならみなけりゃいい」のスタンスでやりすごせていた。
だが、世間は放っておけなかったようで
「Twitter世界トレンド第1位獲得!日本中に社会現象を巻き起こした!!」というように局をあげてのお祭り騒ぎに。
で、いよいよ劇場版の公開なんだが田中圭をはじめ吉田鋼太郎、林遣都が徹子の部屋に出演するんだってさ。
なんだそれ?(困惑)。
Twitterでならばミュートワード設定できるけど、局の番組はなあ・・と困惑する(困惑)。
先月、天気の子を観に行った時もおっさんずラブ劇場版の予告が流れてきた。
その時は「うわ・・ひでぇ映像」って感じたし、俺以外のお客さんたちの空気も一瞬固まったのが伝わってきた。
新海監督の映像を楽しみに観に来た人たちにおっさんずラブ劇場版の予告の汚い映像はアカン(困惑)。
いくら盛り上がったからってさあ、もうちょっと映画観で観れるくらいの作品としてのテイを保たないとアカンでしょうが。
そういうクオリティの低さについては一切触れないようにして、社会的な価値やらピュアなラブストーリーの感動()を評価しなけりゃならない機運がひしひしと伝わってくる。
過去にこういう事例がなかったわけではないけどひどい作品をひどいと素直に言いにくいのがなあ(困惑)。
といった感想をみかけて、その妻が正義って論調で評価されていたりする。
しかし、俺はその旦那さんの気持ちがすげえわかるのでそっちの立場で共感してしまう。
おっさんずラブがどう気持ち悪いのかをイチイチ説明しても理屈で殴り返されるだけで辛いし、そんな正当性だけを争うマウンティング作業より大事なのは、おっさんずラブが気持ち悪いって率直な感想を言うのがもう今の世ではリスク含みなんだってこと。
SNSではとくに。
保毛尾田保毛男を笑うのは大問題でおっさんずラブは「純度の高いラブストーリー」と感じないとならないらしい。
人でなしらしい。
いったいだれよ、
先の例のように、奥さまから「春牧いいよね!」と共感脅迫されている旦那さんは地獄の家庭を持つために平成の時代を頑張ってきたのかな。
「そう思えないあなたは悪い奴」
「観ないなんてありえない」
あれぇ?どうしてこうなっていくんだ。
嫌悪感を持つ人への嫌悪感なら堂々と正義づらして言えちゃうのってなんでなん?
俺はおっさんずラブが嫌いだ。
気持ち悪いと思う。
好きだと思う人の観る気持ちは阻害しないから俺に観ろと迫ってくるのは勘弁してほしいしもうちょっと「観ろ」の圧力を下げてくれ。
劇場版おっさんずラブとコラボレーションキャンペーンをしているルミネエスト新宿では、同作のスペシャル装飾でギラギラしている。
新宿駅は5つの鉄道会社が乗り入れ、一日の乗降客数は300万人を超えている、巨大なターミナルだ。その新宿駅を独占的に囲むようにそびえ立つルミネは公共的な意味合いをほっぽり出して、おっさんずラブ推しに邁進している。
これが世界一のターミナル駅、日本の顔となる新宿のおもてなしだ。
なにが コラボだお だ。
ルミネに掲示されているポスターにはだーりおも大塚寧々も伊藤修子さんも登場していない。
性の選択と集中を行うのであれば、それはもうセクシャルマイノリティが不利な社会になっていくだけじゃないのか。
あとこれは重箱だけどさあ
志尊くん(ジャスティス)を混ぜておけばセクシャルマイノリティ表現の免罪符になるって意図を感じさせてしまうのは界隈にとって将来的には得策ではないだろうに。志尊くんはいい俳優だし適役なのは承知だが違う俳優を投入する勇気はなかったのか。
「ホモ」という言葉を使っただけで差別主義者扱いするの、やめませんか
一方がホモという言葉を使っているから差別的で、一方が「ゲイ」を使っているから差別的でないなんてことがあるだろうか。
ホモという言葉は「ホモセクシャル」の省略形で、言葉自体はなんら差別的ではないし、
ゲイという言葉に置き換えたからって、自覚無自覚問わず差別主義者が差別的な表現に使わなくなるなんてことはない。
スペイン語なら今でも黒人はnegroでいいし、日本でも黒人と言っているのに、英語だとnegroもblackも全部差別的だからだめ、となって、African-Americanって呼ばないといけないんですって!
メラニン色素で外見が黒っぽいのは単純に人種の特徴ですけど、生まれも育ちもアメリカでアフリカに帰属意識なんて1ミリもない生粋のアメリカ人でさえも、当人が興味もない祖先がアフリカに住んでたからって全部ひとまとめにして「アフリカン」と呼ぶ方がずっと差別的だよ!
僕のひいおじいちゃんが沖縄の人だからって沖縄行ったこともないし沖縄の言葉も食べ物も知らないのに「琉球系日本人」とか呼ばれたらビックリするよ!
個人を無視して属性で呼ぶことが差別的であることは往々にしてあるけれど、それは属性自体を差別しているのであって、言葉そのものが差別的なわけではないのです。
「これだから女は」「女は黙ってろ」などというミソジニストの使う「女」は非常に差別的な意味合いを帯びているけれど、だからって「女」は差別的だから日本中の全員使うのやめましょうとはなりませんよね。
「ホモ」という言葉で差別されてきて傷ついてきた人、傷つく人がいるからダメというなら、
政治思想の手あかにまみれてる上に元来「陽気」という意味の「ゲイ」で同性愛者をひとくくりにしたら、
ただ男に性的関心があるだけの「陰気な同性愛者男性」が傷つくので今すぐ「ゲイ」という言葉も使用をやめるべきではないでしょうか。
同性愛者がホモセクシャルなのはトートロジーなので当たり前だけど、同性愛者がみんながみんな陽気なわけではないでしょう。
「ホモ」という言葉を使っただけで差別主義者扱いするの、やめませんか。
「ゲイ」とかいうよくわからない言葉よりも、「ホモセクシャル」の方が、その短縮形「ホモ」の方がよほど中立です。
そこには「同性愛者である」という以上の意味が含まれていない。
「ホモ」という言葉でもって侮辱する人は、同性愛者という属性そのものを侮辱しているから、これを「ゲイ」とか「同性愛者」に置き換えたって何が変わるわけでもない。
「ホモ」は差別用語で、「トランス男性」「トランス女性」はセーフなんて、意味がわからないし。
携帯電話は携帯だし、トランスジェンダーはトランスだし、ホモセクシャルはホモ。
それだけのことです。
「ホモ」という言葉を使っただけで差別主義者扱いするの、やめませんか。
やめましょうよ。
お前らが火つけてるだけじゃん?
ほんと、LGBTって表現の自由を理解できないやつばっかりだな。
マジョリティだろうが誰しも何処かしら笑われることくらいあるわけ。
淫夢の場合はつたない脚本とつたない演技な。マジョリティの役者でも同じく笑われるわ。
それを同性愛者は、同性愛者であるというだけで辞めさせる権利があると思ってる。
どんな特権階級だ?
LGBTへの理解が求められる時代に、同性愛者をバカにし日本のインターネット最大の恥部ともいえる真夏の夜の淫夢。
匿名で淫夢ネタを使うだけでも眉をしかめるのに、実名や顔出しで使うバカの多いこと。その一部を挙げる。
オタク知識の一部としてネットのホモネタを使っているんだろうが、はっきり言って不快でしか無い。
原作は読んでいないが、アニメで淫夢ネタが使われているシーンがあった。
ネットスラングの一つ程度の認識なんだろうが、集団制作のアニメにおいて使って良いネタ悪いネタの区別も付けられなかったのだろうか?
手塚治虫の時代から進歩していないどころか退化する姿には呆れて物が言えない。
しかし、漫画を描くうえで、これだけは絶対に守らねばならぬことがある。
それは、基本的人権だ。
どんなに痛烈な、どぎつい問題を漫画で訴えてもいいのだが、基本的人権だけは、断じて茶化してはならない。
それは、
この三つだけは、どんな場合にどんな漫画を描こうと、かならず守ってもらいたい。
https://kanimaster.hatenadiary.org/entry/20100429/1272470913
淫夢語録やネタを使い登録者数を稼いでいるVtuber(漫画家)。
淫夢にはまったきっかけをこの動画で語っているが、いやいやおかしいだろ。
風評被害にあったのに嫌悪するどころか逆にはまるって。ホモ好き腐女子らしいが本当にホモが好きな腐女子なら怒れよ。まさか淫夢が同性愛者への理解を深めると本気で思っているタイプ?
そんな人の代表作が男の娘の漫画って。性同一障害者をバカにして楽しい?
ついでに言えばコメント欄もすっっっごく気持ち悪い。こういう人たちが集まる気持ち悪いコンテンツなんだなと確認できる。そもそも日本のVtuberブームの発端が「ホモと見る○○」というニコニコの淫夢界隈からだったという事実を考えれば親和性は高いんだろうが、ホモガキ相手に媚びて恥ずかしくないのか?
漫画も打ち切られる程度の売上らしいし必死になるのも分かるけど、いずれ淫夢営業をしていたという過去が足を引っ張ると思う。こんな人が超会議やテレビに出ているというのが信じられない
淫夢のみならずsyamu、唐澤貴洋、長谷川亮太らをネタにしガキの人気を集めてお山の大将を気取っているホモガキ。
名前も住所も割れてるのに続けている以上スタンスを変えるつもりは無いんだろうが、ガキに媚びを売って投げ銭を稼ぐのは楽しいか?
こいつをすごいと褒め称える信者共も同罪。
ホモガキの巣窟。淫夢関連の動画は本当にまずい物は削除するが、基本的に放置。結果本編丸上げや音MAD等でホモを笑い者にする文化が形成される。
AV企業のACCEEDははっきりと「作品の無断転載と使用をやめろ」と警告を出しているのになぜ放置し続けるのか?
オワコン扱いされたくなったらまずランキングから政治と淫夢動画を消せ。淫夢動画は削除しろ。淫夢語録をNGワードにしろ。
保毛尾田保毛男や「LGBTは生産性がない」と言うだけで炎上する時代に、こいつらはよく淫夢ネタを使えるものだね。
人権感覚が欠如してんじゃないの?実在する(した)人物がいる以上、傷つく人もいるどころか明確に個人を指してバカにしているって認識が無い?
百歩譲って子供がネットスラングの一部として使うのは理解しよう。うんこちんこレベルの下ネタで笑っているのと同レベルだから
でも上に挙げた奴らって大人じゃん?恥ずかしくならないの?面白い面白くない以前に人としてやっちゃいけない事だって理解してない?
セクシュアルマイノリティを揶揄し笑い者にする淫夢厨とそれを利用して人気を稼ごうとする淫夢営業をする人間たち。
はっきり言って異常だ。
どうも、おはこんばんちは。増田です。
「おっさんずラブ を楽しく見てたけど、なんかモヤモヤしてみるのをやめてしまった。この気持ちを共有したい」
って話です。
※注記
おっさんずラブを見た人を批判したいわけではなく、見ている課程で自分の中でモヤモヤした気持ちになったので、書いています。
とくに結論があるわけではありません。
また一部おっさんずラブのネタバレを含むので、ネタバレ嫌な人はタブをそっ閉じで。
先にバックグラウンドをイメージしやすいように属性情報から紹介。
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○属性情報
既婚 こども二人(3歳、2歳)
はてブ大好きです。
○性的指向
○性自認
不可:ゲイ
もしかして自分はバイかな?って思ってためしにBL・ゲイものとか見てみたけど、やっぱり可愛い女の子風じゃないとダメだった。。。
○趣味
ある女性アイドルのファン (推しにご迷惑おかけしないように名前は出しません)
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去年、妻が「おっさんずラブ」ドハマりして、子育てに疲れていてもおっさんずラブがやっている間は毎日楽しくて仕方が無いって言ってた。
流行っている時は、なんとなく見たくなかったが、妻と子育て以外で共通の話ができたら楽しいなあと思って見てみることにした。
あと例の結婚相談所のブログでも言及されてて面白そうだなと思ったのもあります。
普段は仕事できて部下の面倒見がよい。すげえイイ上司だな。自分の上司に部長の爪の垢を煎じて飲ませたい。
そんな黒澤部長が花束もって、春田に「好きです!」って大声で言うシーンとか腹抱えて笑った。
あと、2話で屋上で春田が弁当食べてるときの部長の乙女感がすごい!
そして「おまえが俺をシンデレラにした」は本当に名言だと思う。これも腹抱えて笑った。
久々にドラマで笑った気がする。
とここまで来て、なんでこのドラマこんなに面白いんだろうな〜って考えてた。
・黒澤部長の見た目(おっさん)で胸キュンするようなワードを言うのが面白い
これって全部、男同士じゃないと成り立たない。
黒澤部長は吉田鋼太郎さんではなく、大塚寧々さんで春田を好きという設定ならどうだろう?
ただの熟年系の不倫ドラマで、コミカルに描かれても新鮮さはないし、面白くないと思う。
牧が林遣都さんではなく、内田理央さんならどうだろう?普通の恋愛ドラマだ。
結局は男性同士が恋愛をすることを映像として見ることが面白いという考えに至ってしまった。
そこに差別は含まれないのか?そんなことを考えていたら、ドラマを楽しめなくなった。
BLや百合好きの人が、ホモセクシャルな恋愛を面白おかしく見ているのではなく、恋愛している姿を可愛いとか愛おしいとか純粋な愛だなとか思って見ているのだと思う。
じゃあこのドラマとそれまでのホモセクシャルな恋愛物とはなにが違うのか。
結局は自分はおっさん同士の恋愛を面白いと思う根底には、おっさん同士の恋愛への差別を含まないと言い切れるか?
実際LGBTの人はあのドラマを見てバカにしていると思ったのだろうか。もしバカにされていると思った人がいるならやめるべきなのだろうか。。。
マンガとかアニメで描かれるゲイってのは、だいたい保毛尾田保毛男みたく
1.異常である
2.キモい
3.常に見境なく他の男のケツ穴をねらう性獣
みたく書かれるじゃん
例えば「斉木楠雄のΨ難」で灰呂 が「コッチ系なんじゃね」と疑惑をかけられた回みたいに。
こないだの「ドラえもん」の女言葉でのび太に迫るジャイアンを見たスネ夫みたいに。
ゲイをメインにしているBLマンガとかでもだいたい1.2.3の一つはだいたい入っている。
「俺はゲイじゃないのに・・・」みたく頑なにゲイであることを否定したがる人物が出るのも
なぜかLGBTフレンドリー作品みたく言われている「おっさんずラブ」もそうだった。
ゲイの上司は部下の主人公を盗撮しセクハラ、後輩は無理やりキスし「巨根じゃだめですか」と迫ってくるという、
あ、「好色一代男」とか三島由紀夫の「仮面の告白」とか古いのではなくてね。
個人的には木原敏江の「真理と慎吾」くらいしか知らん。これもだいぶ古いけどね。
元増田は今ポリコレ棒が振るわれている風景を極端に誇張した未来予想を描くことで
『こんなびっくりするような社会になっちゃうけどええの?』って皮肉で言ってるロジックだと思うんだけど、
ブコメ見て驚いたけどポリコレの人たちが目指してるものって、割とガチでこういう社会なんだな。
男女問わず美男美女の性的魅力を売り物にしているアニメや乙女ゲー/エロゲーなんかはヘイトだし、ポルノ産業なんてもっての外だし
おそ松さんや稲中卓球部なんかは企業が言及しただけで謝罪せにゃならん保毛尾田保毛男みたいな扱いをされるべきだと思ってる。
そんなんで本当に誰も傷つかない世界ができあがるのかなぁ……
そこで列挙されてるのはみんな「傷ついている」と何十年主張しても無視されてきた人。それが無視できない程度の力を得た現代が面白くないなら、生まれた時代を呪うしかないね
傷ついてきた女性のために、男にとっての都合のいい女性像を描いたオタク向けのポルノじみたライトノベルやアニメは社会的に許されなくなって、
傷ついてきた女性のために、女性の性的価値を商品化したダッチワイフやAVや性産業は潰されて、
傷ついてきたゲイのために、イケメンゲイを商品化したBL作品が糾弾されて、
傷ついてきた性的弱者のために、おそ松さんや稲中卓球部なんて数年中に保毛尾田保毛男みたいな腫れ物扱いされるようになって、
ルッキズムに傷ついていた人のために歴史ある超人気作でもブサイクの誰も見たがってない恋愛に焦点当てられて、アナウンサーもブサイクだらけになって、
海外ドラマみたいに1作品に1回は特に意味もなくマイノリティ配慮用の同性愛者の熱愛シーン入れられて、
なんなら30年もすれば『嫉妬』『嫌悪』『奴隷』みたいな女偏が含まれた悪い意味の漢字がNGワードとなって別単語切り替わってて
ついていけない若者以外がのこのNGワードを発する度に一回一回失言として社会的制裁を受けるの社会が待っているのかもしれない。これも、傷ついていた人はいるのだから。
自分の予想では大勢の女性を性的価値を含んだ要素で品評して篩にかける某恋愛バラエティとかも近いうちに誰かしらに目をつけられると思ってる。まあ、傷ついていた人は探せばいるだろうな。
ヘイトだと女性蔑視だと糾弾されて社会から消えゆくニュアンスと、捉えようによってはそうとも取れるけどなんとなく社会的には許されているニュアンスの合間に明確な基準なんてあるわけがない。
いいよいいよ、誰も傷つかない綺麗な社会になっていけばいい。
今が10だとして、これが50になって、100になって、200になって、それでも君たちは生きづらさを感じずに盲目にこの手のポリコレ棒振り回した声の大きい奴らの意見に従うんだな。
http://news.livedoor.com/article/detail/14539261/
この中ですごくストンときた一言に「心の原風景」っていうのがあった。
要するに今になって保毛尾田保毛男を笑うことを社会的に非難されると、自分がかつて子供の時に友達と一緒に大笑いしてきたことが罪であったかのように言われてそれにひどく傷つくという主張だ。
記事の主題はLGBTについてだけど、「心の原風景」で引き合いに出していることとして「女子の夏服から透けた下着」ということがある。
このインタビューを受けた人はきっと他にもエロ本を盗み見たり、同級生の女子の胸の大きさを比べて批評したり、生理の日を予想したりとかそういったごく当たり前の男子中学生らしい日常を送ってきた人なんだろうと思う。
また今日になって突然にハリセンボンの春菜がお笑いを目指すルーツとして「小学生の時にブスと言われてそれを笑いに変えた」という話が再燃してきた。
ハリセンボンの側からしてみると、自分がおどけて見せたことで周囲が笑顔になったということが自分にとって大きな精神的ターニングポイントになったのだろうが、おそらく当時の同級生たちは「ブス」とからかった同級生がそれを笑いに変えて、それを大笑いしたということもまた「心の原風景」になるのだろう。
自分はおとなしい陰キャ男子だったからそこまで「心の原風景」を否定されることに拒絶反応はないが、おそらく陽キャとしてプロトタイプなバカな男子中学生時代を送ってきた人にとっては、その自分たちが共有してきた「笑い」が実は女性やLGBTを傷つけることで成り立ってきたということを今更事実として突きつけられる罪悪勘は非常に不愉快なものなのだろうと思う。
だけど同時にその罪悪感に耐えられなくなるからいまさら罪扱いするなというのも自分勝手な主張なのではないかと思ったりもする。
中学生の時、気になっていた女子の持ち物を一つ盗んだことがある。
当時は悪いと思っていたけれども、ずっと持ち続けていて捨てられなかった。オナニーもした。
その子が今どこで何をしているかは全く知らないが、こんな陰キャな自分にとっての心の原風景にされてしまったことを知ったら、おそらく気持ち悪いんだろうなと思ったりする。
https://withnews.jp/article/f0180406003qq000000000000000W03j10101qq000017134A
これ、本当にこの人が存在するのか、ってくらい釣り記事過ぎるんだけど…
保毛尾田保毛男で傷ついていたゲイが居た事は、周りにカミングアウトしたゲイがいてその人が嫌悪感を示している様を見なければ分からないだろうけど
下着が透けて見えた事をからかわれた女子が傷ついてた事くらいはバカな中学生だろうと流石に分かるだろうに。
いや、当時はバカ過ぎて分からなかったとしても、43歳にもなれば分かるだろうに。
それとも本気でそれに対して女子は何とも思っていなかったはず、と43歳になった今でも思っているんだろうか?
今更やってるんだけど。
ドラクエはポリコレなんて知らんわ、な昭和臭漂うシリーズだと思ってたが
最新作はちゃんと時代に合わせてるんだなあ。
オカマというかオネエというかなおっさんなのに、「オカマ」とか「気持ち悪い」とか「男なのに女言葉使ってる」といった事を
女キャラ二人連れて「女三人で行ってくるわね」なんて言うシーンもあるが、「お前は女じゃないだろ」と言う突っ込みも誰もしない。
本人も意外と常識人で、この手のキャラにありがちな男キャラにセクハラなんて事も全くしない。
あと、今回は歴代ドラクエのぱふぱふイベントを全て再現しているんだけど
2のぱふぱふ娘の、ぱふぱふを断ると「オカマのどこが悪いのよ」と言う台詞は不採用。
他の娘の台詞は元ネタに忠実なので、明らかにこれだけ意図的に削除してる。
(「オカマ」と言う言葉がそもそも現代だと差別用語扱いかもしれないが)
何より凄いと思ったのが、「仲間キャラを相手に結婚式のリハーサルをする」と言うイベントで男キャラにも普通にプロポーズ出来ること。
「男にプロポーズすんなよ」とか「男同士で結婚できねーだろ」と言う突っ込みも誰もしないし、
全員、最初は戸惑いつつあっさり受け入れて喜んでくれる(最初は戸惑うのは女キャラも全て同じ)。
台詞もごく自然で、もし主人公が女だったら何も違和感ない感じ。
自然過ぎるので、ひょっとしてドラクエ11の世界では同性婚はごく普通にあり触れた事なんだろうか…とすら思える。
(マルティナが「私はずっと年上だし…」とか言ってるが、同性婚より女が年上の結婚の方がハードル高いのかよこの世界)
ともコレとかFEの件で過敏になってるのかもしれないけど、
海外では大して売れないドラクエでここまで配慮するとは思わんかった。
あ、因みに女性の扱いについては昔ながらのドラクエだなあ…という感じなので
(ぱふぱふとかエロ本(ムフフ本と言ってるが)とか、マルティナのお色気要員扱いっぷりとか。
これまでの議論を振り返ってみると、ポリコレを振りかざす人間ですら自分の好きなものには甘い
好みのコンテンツが攻撃されそうになった途端、謎の理屈をひねり出して擁護を始めるのが常だ
つまり、ポリコレ棍棒が有効に機能するのは不人気コンテンツ(保毛尾田保毛男など)や、
人気があっても大っぴらに支持しづらいコンテンツ(エロなど)に限られるということである
自分の好きなコンテンツが外部の人間に叩かれ、改変を要求されたとしても、
政治的正しさのためならそれもやむを得ないと覚悟できる人間は思ったより少ない
以上を踏まえると、逆にポリコレをぶつけても消されないような人気コンテンツをあえてけしかけて、
「これは○○という理屈で問題ない」という言質を取るというのも有効かもしれない
別にどちらもダメではない。面白いと思う人もいれば、不愉快だと思う人もいるという話。
インターネットを通じて、「不愉快だ」と発信できるようになった。
保毛尾田保毛男はゲイを揶揄するように見え、それを不愉快だと思った人が声をあげる。
浜田の黒塗りも黒人を揶揄するように見え、それを不愉快だと思った人が声をあげる。
同じようにキングスマンで大虐殺された「白人至上主義者」が、不愉快だと声をあげることもあるだろう。
あげられた声に対して、当事者でない人がその声に共感できれば、その表現は差別認定される。
共感できなければ音沙汰なし。
今後はもしかしたら俺、そいつ死ぬほど嫌いなんですなぜなら……という論法で笑いが作られるかもね。
そして表現もそうなっていくかもしれん。
岩手県一の進学校、盛岡第一高校では、男子生徒が黒塗りした裸に腰ミノをつけ、棒を持って踊る
昭和63年、女子生徒が生徒総会で、黒塗りで土人というのは差別ではないか、と問題提起し、校内
での議論・投票やメディアでの取り上げの結果、数年後に「猛者(もさ)踊り」と名称変更して赤や
(モヒカン等ネタ髪型強要など焦点のずれる問題は今回触れない。)
旧制中学からの伝統校で校歌が軍艦マーチ。「土人踊りの歌」(現「猛者踊りの歌」)も、インド
ネシア民謡を学徒出陣から帰ってきた生徒が伝えたもので、ある意味歴史遺産であろう。
3年経てば生徒が全部入れ替わる高校という場で、変更の結論が出るまでに5年かかったことを考え
れば、20年30年も現役張っているダウンタウンやとんねるず(保毛尾田保毛男)が時代感覚に即応で
きないのは仕方ないことかもしれない。が、漫才コントではないああいうバラエティは本人だけでは
なくP・D始めとしたスタッフも当然企画から関与しているわけで、公共の電波を使っている第四権力
日本人に黒人差別の意識はない、などという話は土人踊りの時にも散見された意見である。旧態の
まま存続、完全廃止、変更して存続、選択肢は3つあり、高校生は最後を選んだ。
昭和の終わりから平成初めにかけて高校生が既に出していた結論を、平成も終わろうとする時に、
土人踊りは今,どうなっているのか
http://excelact.com/Mori1/dojinnow.html
猛者踊りの歌
原曲「ノナ・マニサ」(インドネシア民謡),選曲 田村喜八(昭和22年卒)・竹原由雄(昭和25年卒)
http://www2.iwate-ed.jp/mo1-h/seitokai/song.html
「私以外がやってる童貞表現はどうなん?」という糞みたいなお前はどうなんだ論を展開し始め、
まんまと乗せられたはてなーが混乱しつつあるので、表現の自由からこの点について整理しておく。
表現の自由という観点で言えば、「童貞いじり」も表現の自由の範疇であり、地震おっぱいしかり
特定個人に向けてなければそれをやるのも、またそれに対して批判するのも自由、嫌なら見るな、フォローするな
だが、問題はそこではない。
セクハラ要素を含むが、興奮するエロ漫画 (強要系エロ漫画など)
など加害的な表現を現実に影響しない範囲でどこまで許すかというものである。
つまり、それらが加害的な表現であるということが確認された上での議論である。
一方、当のはあちゅうは
「特定の誰かを童貞として笑ったわけではなく、童貞「的」なものについて語っていた」
と、そもそも童貞いじりそのものが(相手が不特定多数でも)「加害的・差別的なセクハラ表現」そのものであることを未だに理解できていない。
これは例えるなら、ある強要系エロ漫画が是が非かを問うているときに
「登場人物の女がセックス中に快楽を得て喜んでいるからこれは和姦表現であり強要表現ではない」
表現の自由以前に、こんな主張をする人間を野放しにしておいたら社会の危機である。
つまり、はあちゅうの童貞いじりが表現の自由の範疇であろうとなかろうと、
「童貞いじりはセクハラである」と認識・理解できてない時点で自らが告発した加害者と同じ思考回路であり、
「童貞いじりは特定個人にやったらセクハラ、不特定多数でもセクハラ表現」
この認識が出来てない以上、彼女は表現の自由の土俵にすら立てていない。
みんながダメと言ってるからやめるのではなく、まずは素直に自分の童貞差別感情と向き合って欲しいと思う。
なお、性的表現をする際の自由の範疇についてはゾーニング論などより深い議論が必要なので後で別にゆっくりやればいいと思います。