はてなキーワード: 低所得とは
http://use4publicfee.city.chiba.jp/
http://use4publicfee.city.chiba.jp/modelcase/index.html#sim
http://use4publicfee.city.chiba.jp/modelcase/index.html#sim
一方子供二人の年収1000万家庭は年間60万円の受益超過なのである
日本は独身者が保護されてるというのは真っ赤な嘘で、「子供を育てられる家庭」に
(低所得)独身者の富が移転、吸収、収奪されている社会なのである。
もちろんこれは地方自治体サービスの視点でしかないので国税含めるとまた違ってくるのだが、
国税は国税で所得税の住宅ローン減税等があり、住宅を買える収入がないとその利益は受けられないシステムになっている。
で、元増田のように子育てでさんざん受益しておきながら、「やさしくしてくれ」だの言われたら独身低所得者は嘆きたくもなろう。
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一方子供二人の年収1000万家庭は年間60万円の受益超過なのである
日本は独身者が保護されてるというのは真っ赤な嘘で、「子供を育てられる家庭」に
(低所得)独身者の富が移転、吸収、収奪されている社会なのである。
もちろんこれは地方自治体サービスの視点でしかないので国税含めるとまた違ってくるのだが、
国税は国税で所得税の住宅ローン減税等があり、住宅を買える収入がないとその利益は受けられないシステムになっている。
で、元増田のように子育てでさんざん受益しておきながら、「やさしくしてくれ」だの言われたら独身低所得者は嘆きたくもなろう。
「何で頑張ったやつが多く税金を取られんの?」
→「稼ぎがある」=「頑張った」ではない。低所得でも「頑張っている」人はたくさんいるし、そもそも「頑張っている」どうかという、主観的な問題に政治が介入すべきではない。
「頑張れば納める税金が減って、逆なら増える。シンプルじゃね?国はさっさと逆累進課税制度を導入するべきだろ」
→「むちゃくちゃ頑張ったけど稼げなかった」と思っている人はどうするのだろうか。
「あと、法人税と所得税の税率を下げてほしいわ。その代わりに消費税率を上げろ」
→これは実際に北欧諸国を含め世界中で進んできたことで、日本も同じなので「よかったね」という感想しか。ただ日本は過去に再分配政策の一環として所得減税をやりすぎて、かわりに超逆進的な社会保険料が高騰しているという固有の問題がある。消費税を上げるなら社会保険料を引き下げるべき。
「中流以下の人は経済的に苦しめて上昇志向を持たせないと駄目だと思うんだけどなー」
→現実には経済的に苦しむほどやる気が削がれ,どんどん下に滞留するだけ。この理屈だと世の中から便利なサービスは一掃して不便な社会にしたほうがイノベーションが起こる、ということになる。あまりに馬鹿げている。
昨晩のNHK番組の「AIに聞いてみた」をご覧になっただろうか。
いままでなんとなく
日本人男性に恋人ができない、結婚できない原因として「低所得である」ことが第一位に上がっていた感があるが、
昨晩同番組ではこんなことが言われていた。
「国民が低所得でも少子化が改善した国は多い、低所得のほうがむしろ結婚することで所得を増やし支出を抑えられるため、危機感のある人は結婚を選ぶ傾向がある」
とし、
「新しいことに興味のない人間、アクティブでない人間が彼女ができない」データを示したのだ。
つまり低所得でも人間性豊かであればそこに惹かれる女性と結婚は可能だといえる。
実際に彼女のできない男性の行動パターンとして上がっていたのが
あらゆる家電、生活便利品を「不要」とし関心が低い、(かつ支出を抑える行為にも無関心)
保養施設、娯楽施設に「行かない」、「出かけない」、友人や知り合いが「いない」、家からそもそもあまり出ず、生活面でも自炊をしない、筋トレしない、お茶をいれない、食品専門スーパーへいく頻度週一回未満、休日家事30分以下という項目が並び、なるべく動かないで暮らしている人物像が浮かんでくる。
つまり、耳の痛い話だろうが、
無条件で自分を好きになる女の子が部屋のなかから沸いてでてくるのを期待しているからという痛々しい結論が出てしまっていたのだった。
折しも私は漫画やアニメ、ドラマから得られる恋愛経験則が現実の人間に与える影響は非常に大きいと思っていて、なんの根拠もないのにどこかに自分を無条件で好いてくれる異性が存在しているはずで、いつか向こうから積極的に好意を寄せてもらえると信じている男性は割合多いと感じている。
現実問題女性と接触してすらいなかったり、風俗は行っていても女性の友達が一人もいなかったりと、人と人とのコミュニケーションを飛び越えていきなり「彼女」を得られる幻想を持ち続けている男性が多いように思う。
それは男性視点のみの恋愛漫画やAVが日本には氾濫していて、彼女ができることとセックスすることが漫画のなかではとても手軽で簡単に、かつ年頃になれば唐突に起きうる事象となっており、現実もそうだろうと思い込んでしまうからだと思っている。
二次元の彼女は生理にもならず妊娠もせず、性病ももたず、ホルモンによるメンタルの不調も起こさない、きれいになるための投資や努力は表立って見えず、男性に常に優しくて、興味と信頼を持って丁寧に話しかけてきてくれる。
大方の女性が毎晩風呂場で尻の毛をせっせと剃っているなんて知らないだろうし知りたくもないだろう。(脱毛サロンで何万も出して他人に局部を晒し、痛い思いをしながら処理してる人もいる)子供を産むとき力むのでうんこを漏らさないよう浣腸をして出産に臨んでいるなんて知らないだろう。(昔は当然ウンコを漏らしまくって産んでいたはずだ)
女性の友達がいない男性に、フィクションで語られるような聖母か娼婦かの二択しか女性像が存在しないのは問題だと思う。
社交辞令の笑顔を好意と勘違いしたり、ただ話しているだけでお付き合いまで妄想して照れ始め、目が合わせられなくなったり挙動不審になるなどの事故が起きている。
あるいは、女性の中にある精神や人格を想像できないために、その処女性でもって新品、中古という表現で女性を語る浅はかな男性もでてくる。
男性がもし採用面接で面接官に「中古かあ(侮蔑の目)…」といわれたらどう思うか、である。
コンドームをつけたセックスしかしていないK子さんが中古なら、生理の時タンポンを使う女子中学生Aちゃんも、大人のおもちゃを入れて処女膜貫通してしまったセックス未経験だけどペッティングまではしたことがあるOLのRさんも中古である。男性器が直接触れてないなら新品というならコンドームをつけたセックスしかしていないK子さんは新品だということになる。
男性とイチャイチャした時点でもう中古!というなら、処女厨の男性はペッティングまで経験してるセックス未経験のRさんからの告白を無下に断るんですかね?Rさんくそ美人なのに?
女性が人間であることを実体験として知らないまま男性が恋人や結婚相手を探しだしたら、女性から突然恋愛漫画では一度だって触れられたことのなかった年収だの身長だのの選別条件をいいだされるのだから、現実の女に裏切られた気持ちはさぞ強まることだろう。
(男性であることがなにより女性にとって価値があることだと無意識の差別意識がある人ならば、自分も選別される側であることに気付き自分の市場相場を知ることも初めての体験で屈辱であり苦痛だろう。プライドはズタズタに傷つけられるはずだ)
女性の平生(友達としての女性)を知らずに、いきなり汚いところ(恋愛対象としての女性)をみるのだから、ショックはなおさら大きく感じるに違いない。
彼らは女性が人間であることを知らずにいきなり漫画のような「生まれたときから彼女」を探してしまう。
女性の権利を訴える方々がよくいう「女性のモノ化」の本当に言いたいところはこれだ。娼婦としての女性表現はもちろんだが、女性の扱いが「良すぎる」作品も問題なのだ。
女性キャラが聖人化しすぎていると、現実の女性への勝手な失望をおこし、現実の女性を嫌悪する男性がいるからだ。聖人が尊くえがかれるのは人を集めるために利用される誇張された存在だからであり、フェイクであり、中身のない「モノ」なのだ。
「清楚」設定のはずの美少女キャラが下乳のみえる服を着ているように、二次元の女性に本人の意思や人格はない。あたかも人格があるように巧妙に設定されたAIのようなものだ。
もちろんAVもだ。女優さんが演じている架空の人物であり、架空の性感帯であり、架空の世界なのがAVだ。
男が企画し、男が作り、女優さんはお金もらうために男の言う通り動いてるだけだ。女性の本当はそこに存在しない。
例外もあるだろうが、そう思っていたほうがずっと本物の女性にとって、優しいのなら、そう思っておくべきだ。
そもそもその人に「彼女ができない」のは、「彼女を作るための行動」が必要最低限に足りていないのが生々しい理由だ。
映画や漫画で世界を知った気になっている人に限って、海外に出たことがないように。
彼女ができるのが100ポイントと数値化できるとしたら、容姿のおかげで生まれたときから20ポイントある人もいれば2ポイントの人もいる。
新しい習い事を始めたとしてもその習い事に女性がいなければその努力はたった1ポイントだし、高齢女性しかいないから1ポイントだと思っていたらその人に同世代の孫がいたりして20ポイント前進することもある。動くしかないのだ。
おそらく「低所得だから彼女ができない」という理由すらも、現状を変えずに済む甘い心地よい理由として彼らに好まれていたわけである。
草食化と言われてきたが、昔は強制的または半強制的な結婚が存在していたので、私は日本人男性が最近になって突然草食化したとは思っていない。むしろ日本人男性の3分の1以上が本来自発的に動くことに対して消極的な生き物なのではないだろうか。
彼女がほしいなら、勝手に女性から裏切られた気持ちになって恨みを募らせる一人相撲はやめて、リアルの女性と友達になるための行動を起こすべきだ。知り合って、好みのタイプの女性がどんなタイプの男性を好むのか知り、そのパターンの男に近づくように自分の属性を変えていく努力をするのが恐らく一番労力の少ない努力だろう。そして相手の出方をみてないで、さっさと好きになっちゃったから付き合ってほしいと男性からいうべきだ。
男に振られる女は哀れだが、女に振られた回数を男は誇っていい。
振られることを恐れない男はカッコいいからだ。
(セックスにおいて女性の方がリスクが高いため、リスクを追う方が誘いをかけて振られるのはやはり悲しく惨めだ)
無事彼女ができたら少しずつ本来の自分に戻していってもいいはずだ。服の趣味を無理に変えていたのなら、もとに戻してもかまわない。もっとも、彼女の好ましい視線を受けられるなら、着る服の趣味くらい変えてもいいかなと思う男性がほとんどだろう。
かつ好奇心の強い
意欲的な人であった。
健康な人は現状をかえる逼迫した動機が生まれないのも皮肉だ。不健康になり能動的に動けなくなった頃になって、「妥協」する相手すら見つけられなくなるのは悲惨だ。健康で焦りのないときからどれだけ人間関係を広げられるかにかかっている。
「インターネットでの情報収集」はしたほうが結婚率は上がるが、
「ネットニュースを1日一時間以上読む」、「SNSに投稿している」と彼氏ができない傾向がある。
というのが印象的だった。
社会学者の上野千鶴子が東大入学式で述べた祝辞の内容がネットで話題になってる。
俺は自分のTwitterのTLでたまたまこの祝辞が回ってきたので軽い気持ちで読んだ。
そしたら冒頭から女性差別の話が始まったので、「あ~上野千鶴子っぽいなぁ……」と思ってた。
ちなみに俺の上野千鶴子に対する前提知識はフェミニストで学者のお婆ちゃんって感じ。
詳しくは知らない。
だが祝辞が終わりに近づいてきたところで俺は問題の文章に行き当たった。
具体的には祝辞の以下の部分だ。
「あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。
あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。
がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。」
これを読んで俺は絶句した。
何故ならここで上野が述べている理論は正しく「俺達の理論」だからだ。
こんなことを言うと統合失調症患者の造語みたいに思われるかもしれないけど確かにこの理論は「俺達の理論」だ。
上野が述べていることって要するに、「東大生はたまたま環境と能力に恵まれて東大に入学することが出来た存在なのだからもっと謙虚になれよ🦁」ということに尽きると思われるが、これは俺達の様な低学歴低所得で親が子供への教育の大切さを理解せず教育に投資してくれなかった者達が自分達の不遇を慰める為にこれまでずっと援用してきた理論だ。
決して上野の様なエリートが「環境と能力に恵まれなかった者」として俺達を規定し、「環境と能力に恵まれたエリート諸君」は彼等を慮ってあげましょうね、という帰結に導く為に使ってはいけない理論なんだ。
ここで唐突に俺の話をするが、俺の父親は「子供は中学まで出たら働かせてそれまでにかかった費用を返還させる」というパンクな教育方針の男だった。
だが俺が中学に在学してる時に父親のDVが激化したことにより母親に連れられ母親の実家へ逃亡し母子家庭になった。
それでなんとか高校まで進学させてもらえるようになった俺だが、俺の母親は父親ほどのパンクな教育方針こそ持ち合わせてはいなかったもののやはり教育の大切さを知っている親ではなかった。
本や参考書を買い与えてくれることもなく、塾にも当然通わせてはくれなかった。というより通わせる金もなかった。
当時の俺のお小遣い2000だしな。
俺がこの2000円を本や参考書を買うことに使ってたら今よりもう少しまともな頭になれてたかもしれないが、俺もまた環境的に教育の大切さを知らなかったので漫画買ったり牛丼食ったりしてた。
そして俺は高卒で労働者になったわけだが、そうして社会に出て初めて俺は高卒だと差別する人達がいるということを知ったし、高学歴が高所得の道に通じてることも知った。
今さら遅かったわけだが。
そうした俺達の様な低学歴の人間が高学歴高所得の人間をある時は貶め、またある時は自身の不遇を慰める時に使ってきたのがこの理論だ。
「所詮親に敷かれたレールの上を歩いてきただけのボンボンだからな」
と嘲笑する。
自分の低学歴について馬鹿にされたり、単純に学歴の話題になった時には
と自己弁護して慰める。
こういう具合に俺の様な低学歴は恵まれなかった環境を盾に自分を正当化したり弁護したりしてきた。
なのに上野のようなエリートが俺達を「たまたま環境や能力に恵まれなかった者」と規定してエリートが憐れむことを推奨し出したら、それはかなりまずい。
ぶっちゃけて言えば俺は東大生のようなエリートには高慢でいてほしいとすら思う。
自分は環境に下駄を履かされたのではなく1から10まで自身の卓越した才能で苦難を乗り越え東大に入学したのだ、というくらい自惚れていてほしいとすら思う。
彼らが自分達を「たまたま環境と能力に恵まれた者達」だと自覚しそれを理由に俺達を憐れむ社会なんて地獄だ。
上野の述べるように東大生が謙虚なエリートになってしまったら遂に俺達低学歴の立つ瀬はこの社会から消えてなくなる。