はてなキーワード: ルフィとは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 164 | 21103 | 128.7 | 42.5 |
01 | 63 | 9087 | 144.2 | 54 |
02 | 43 | 3695 | 85.9 | 38 |
03 | 37 | 5766 | 155.8 | 54 |
04 | 50 | 4419 | 88.4 | 43 |
05 | 16 | 3574 | 223.4 | 143.5 |
06 | 43 | 2918 | 67.9 | 38 |
07 | 38 | 3249 | 85.5 | 54.5 |
08 | 50 | 6675 | 133.5 | 89.5 |
09 | 77 | 10044 | 130.4 | 42 |
10 | 80 | 12304 | 153.8 | 45 |
11 | 102 | 13817 | 135.5 | 42.5 |
12 | 128 | 13222 | 103.3 | 29 |
13 | 84 | 13117 | 156.2 | 59.5 |
14 | 79 | 10468 | 132.5 | 52 |
15 | 80 | 15280 | 191.0 | 36 |
16 | 109 | 12169 | 111.6 | 46 |
17 | 78 | 9646 | 123.7 | 50 |
18 | 98 | 15751 | 160.7 | 54 |
19 | 98 | 16287 | 166.2 | 43 |
20 | 107 | 8092 | 75.6 | 36 |
21 | 146 | 20021 | 137.1 | 49 |
22 | 177 | 24076 | 136.0 | 26 |
23 | 133 | 10456 | 78.6 | 31 |
1日 | 2080 | 265236 | 127.5 | 43 |
陸続(4), まゆゆ(5), 低学歴の世界(5), 輸入車(3), カーシェアリング(3), 卵白(3), 昭(4), クルド人(4), なのかな(7), ペン入れ(3), QBハウス(3), ユニクロ(20), 在住(23), 暴動(13), 口座(13), マイナンバー(11), 公立(12), ファッション(21), 貯蓄(13), 1000万(19), ワイン(9), 家賃(33), 年収(92), 飲み会(25), 私立(10), 贅沢(17), 紐(9), リアル(57), 資産(17), 弁当(13), 貯金(21), 都内(14), 買い物(20), 既婚(14)
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これまでなんとなく読んでなかった「ONE PIECE」が無料になってるっていうんで、読み始めてみて感じた違和感を書く。
戦闘や冒険がメインのストーリーは、パラメータを脳内で考えながら読む癖がある。
状況を見ながら、このキャラの強さはこのくらいのはず、という数値を想定しパラメータに変動がありそうな要素があるたびにその数値を修正していく。
登場人物が多いストーリーほど、こうやって全体像を掴むんだけども、ONE PIECEの場合、どうもこのパラメータ設定がうまくいかないのだ。
たとえば、いまのところウソップに最も感情移入して読んでいる。何者でもなく、物理的な強さも持たず、逃げてばかりだが自分を偽りながらなんとか誇りを保って生きているみたいなところに共感するものがあるからだ。
だからウソップが時々活躍するたびに、「いやいや、お前そんな強くないだろ」と思ってしまう。対峙する敵に想定されるパラメータと比べてウソップはずっとずっと低いはず、というシーンがある。
ストーリーに変化を持たせるため、パラメータを超える力を発揮するシーンが必要、というのはわかる。故郷を守るためとか、大事な人との約束とかそういうのが絡む戦いがそうだ。
そういうパラメータを超えられる説明があるシーンはいいのだけど、ONE PIECEはそうでない場面もたびたび出てきてもやっとする。ウソップそんな強くないだろ、と同じくらい、ルフィや敵キャラに対して「お前そんな弱かったっけ」とかもある。
パラメータが変動する要素がその都度描かれている。死にかけて復活したら強くなる設定とか、潜在能力を引き出してくれる存在とか、他人の力を吸収できるとか、そういうやつだ。
パラメータを数値化するスカウターも、理解をさらに精緻にしてくれた。
ONE PIECEは物語としては面白いし感動する部分もあるんだけど、この違和感を持ったまま読み進められるだろうか。みんなどう解釈してるの?
※まだ全然途中(グランドラインで巨人たちの島を出た後、ナミが病気になるあたり)なので、このあといろいろ説明がつく描写があるのかもしれない、とは思ってる。
単独ヒロイン全盛の中、複数ヒロインラブコメのトップランナーとしてアニメ化まで辿り着いた五等分の花嫁とぼくたちは勉強ができないがクライマックスを迎えようとしています。
最終回が間近に迫る中で当然主人公が心に決めた相手が明かされるわけですが、ラブコメ炎上の歴史をなぞるかのごとくこの2作もまた荒れに荒れています。
直近でいえばニセコイが記憶に新しいところですが、人気のあるラブコメの終盤というのは必ず荒れます。ネットのない時代は荒れる場所もなかったでしょうが、いちご100%もスクールランブルも神のみぞ知るセカイも政宗くんのリベンジも俺妹も荒れに荒れています。ハヤテのようにグダグダにならない限り、ラブコメの終盤は荒れるのです。
荒れる原因として愉快犯による煽りがあることは間違いありませんが、決してそれだけではありません。選ばれなかったヒロインを推していた読者が展開批判をすることも多いのです。
そのような方々は結論はいいけど展開が雑とか物語としてダメとか言って批判していますが、まあほとんど戯言です。本人の中では完全に正しい批判をしていることになっていますが、要は好きなヒロインが選ばれなくて腹が立つということを、客観的にこの展開はおかしいから俺は批判しているのだと装っているだけです。
かくいう私も政宗くんのリベンジでは師匠派ですが、終盤の展開は酷いと思いますし客観的にも正しいと思っています。批判者の主観では完全に正しいのですが、同じような展開でも推しヒロインが主人公と結ばれていれば批判はしないはずです。同じ作品の違うところを見て俺は正しいと思いあっているわけです。不毛ですね。
このように荒れてしまうのは「愉快犯による煽り」と「自分は正しいと信じる読者の展開批判」の2つが主なものです。
愉快犯による煽りはどうしようもありませんが、ではなぜ読者からこのような批判が起きて、ラブコメの終盤は荒れてしまうのでしょうか。
結論から言えば、他の多くのジャンルと違い、ラブコメは結果が重要だからです。過程は重要ではないのです。
他の多くのジャンルでは重要なのは過程です。結果は重要ではありません。
読者はルフィがワンピースを見つけることを知っています。コナンや金田一は犯人を捕まえますし、信と政は中華を統一します。結果はわかっていてもその過程を楽しむのです。
スポーツなどのジャンルでは一番になるとは限りませんが、目標に向けて努力する過程で何かしらの目標を達成します。結果が明確にわからなくとも、目標を達成する以上、過程に価値があることに変わりはありません。
またスポーツなどの勝ち負けはあくまでその時点のもので、将来的にどうなるかわからないという想像の余地があります。
もちろんこれらのジャンルにも例外はありますが、概ね結果自体は想像の範囲内に収まることが多く、その過程を楽しむためにあるのです。
なお単独ヒロインのラブコメも過程を楽しむものになります。そのヒロインと結ばれることはわかっているので、どう結ばれるのかを楽しむのです。
一方、複数ヒロインのラブコメは違います。このラブコメにおける過程とは女の子の魅力を見せるためのものであり、主人公とヒロインが結ばれる道筋を描くものです。
展開が雑という批判はほとんど戯言と言いましたが、これが展開が雑と言われる余地を生む理由の一つでもあります。ラブコメの特性上、ヒロインを明らかに決め打ちして描くような方法は許されません。どのヒロインと結ばれてもおかしくないような過程を書くわけですから、特定のヒロインのイベントだけに着目していた読者にとって、そのヒロイン以外と結ばれる結末は「雑」と写ってしまうわけです。
ラブコメ読者の多くは推しヒロイン以外のイベントは推しヒロインのそれと比べて軽いものとみなしてしまいます。恋は盲目なのです。だから同じような展開でも推しヒロインと結ばれれば「雑」と思わないし、推しヒロイン以外であれば「雑」と思ってしまうのです。
またラブコメ特有の課題として、将来を想像する余地がないということもあります。様々な事件を経て結ばれた恋人同士が将来別れたとなっては興ざめですから当然です。どんな読者もこれだけは許しません。ですから将来どうなるかわからないという想像の余地はないわけですね。
他にラブコメの炎上が激しくなる理由としては、ラブコメの批判が内向きになることにあります。
バトルやスポーツでは勝ち負けは敵と仲間の間に生まれるものですが、ラブコメではそれまで仲良くしていた少女同士の中で生まれるものです。つまり勝ち負けによる批判が外向きではなく内向きに起こるわけです。コミュニティ内で好きなものを批判するわけですから当然反発も酷くなります。
このようなラブコメが荒れる理由はラブコメがラブコメである以上避けて通れないものです。構造上の問題であって個々の作品の問題ではありません。あれほどちひろを選ぶ理由を積み上げてきた神のみですら荒れるのです。避けて通る方法はほぼありません。
多くのジャンルは結果(目標を達成するということ)がわかっていて、過程(目標を達成する手段、努力)を楽しむものです。
一方ラブコメは過程(ヒロインが魅力的であるということ)がわかっていて、結果(どのヒロインが結ばれるか)を楽しみにするものです。どちらも未知のものを楽しむわけですね。
ですがこの楽しむものが違うことも荒れやすい原因との一つです。読者が期待を裏切られるタイミングが違うのです。
多くのジャンルで未知なものは結果ではなく過程ですから、つまらない過程になればその度期待を裏切られたと感じます。読者によってつまらないと感じるタイミングは違いますから、不満が出るタイミングも読者によって違います。不満があっても分散されるのです。それにこの後また面白くなるかもしれないと思えば今後に期待を持つことも出来ますので、直ちに不満が爆発することもありません。
ラブコメで未知なものは結果ですから、結果が出た段階で一斉に期待を裏切られます。不満が出るタイミングがどの読者でも同じなのです。そのため不満が余計に重なりやすく、また結果が出てしまった以上、今後に期待を持つことすら出来ません。不満が爆発してしまうのです。
これもまたラブコメがラブコメである以上避けて通ることができない構造上の問題です。途中で付き合ってイチャイチャし始めてからも続くのはもはやジャンルが違います。格闘マンガから異世界ファンタジーになったタカヤと同じレベルですから読者はついてこれません。
このように何かと炎上しやすい構造にあるラブコメですが、しかしそれもまたラブコメの良さなのです。
昨今のネットで炎上するのは大抵が政治や不正や犯罪です。負の話題です。そんな中で作品の内容そのもので盛り上がることができるようなジャンルがどれほどあるでしょうか。
個々の作品で盛り上がるものは少なからずありますが、ラブコメほど盛り上がりやすいジャンルはありません。ファンの熱量がどんなジャンルより高いのです。
推しが結ばれたことに歓喜する読者、推しの美しい失恋に涙する読者、推しが選ばれなかったことに納得行かず不満を吐き出す読者。ラブコメのクライマックス時期のネットには、喜怒哀楽の感情が吐き出されるラブコメ特有の熱量があります。このライブ感を感じることもラブコメの醍醐味の一つのように思っています。
ラブコメで好きなヒロインが結ばれれば最高ですが、そうでなくとも素晴らしいものです。
鶫の泣きながら思いを吐露するシーンも、西野の懸垂告白も、八雲の悟った瞬間も、ちひろの頬を染めながら茶でも行かんと誘うところも、吉乃が覚悟しながらもキスをしたことも、桐乃が素直になってはいと答えるところも全てが素晴らしいのです。
単独ヒロインもののお互いが結ばれるまでも見守る優しい空間も良いものですが、やはり感情が大きく揺さぶられる複数ヒロインものが好きなのです。
比較的移行の遅かったラノベ界でも単独ヒロインものが増加しており単独ヒロイン全盛の流れは続いています。
しかしながらカッコウの許嫁のように次世代の芽も生まれています。漫画に比べると影の薄いラノベ界にも幼馴染が絶対に負けないラブコメなど複数ヒロインの人気作が現れてきています。
映画版キャッツ字幕版を観た感想(ネタバレ酷評)を長々と書いていきたいと思います。
公開初日に見て間が空いてしまったので、記憶が曖昧なところもあり、映画の内容と異なる部分があるかもしれませんし、ほぼ散文なのでご了承ください。
感想を書く際には公式ホームページやAmazon music unlimitedでサントラを聞くなどして記憶を呼び戻したり、整理しました。
あらすじ
ロンドンのとある晩に天上界に行くことができるたった一人の猫を決める猫たちの舞踏会が開かれる
あらすじというか、ストーリーを端的にまとめるとこんな感じ。シンプルで分かりやすい話ではあるが、ストーリーには深みが無く、薄っぺらい話が二時間弱続きます。
上映開始
最初に配給会社のユニバーサルのおなじみの地球のロゴの映像が流される。普通の映画であればこの先が本編であり、早く本編が見たいという気分になるがそうではない。今回はこの先どうなるのだろうという不安と恐怖でしかなかった。
映画館で10回以上予告を見ているため、化け物のような猫と人間の融合生物には多少は慣れたが、やはり得体のしれない気味の悪い生物であることは変わりない。私が子供であったら恐らくトラウマになって絶対観てないだろう。
今回キャッツを観ようと思ったのは映画館に月約4000円で見放題になるPremyに加入しているからである。加入していなければあんな映画にお金を払う気には到底ならない。
定額サービスでは本来では出会えない作品であっても、定額なら出会おうとする行動の機会が与えられることを改めて認識した。
さて本編が始まる。
説明しづらいが、遊園地のメルヘンなBGMや、映画ITチャプター1の終盤にベバリーがペニーワイズに連れ去られた後に地下水路の中で謎の踊りをしながらペニーワイズが登場したときのBGMのようなものを更に不気味にした音楽でした。
私はこういう音楽が苦手であり、共通で酷評されているポイントではないかもしれないが、既に作品への嫌悪感をさらに抱いてしまった(サントラ最初の曲として収録されています)
今までの人生で約300本近く映画を観ているが、開始数秒で観たことを(正確には音楽を聴いただけなのに)後悔したことは初めてだろう。あと何年生きるか分からないが、二度とそんなことは無いと思う。
本編は主人公猫ヴィクトリアがゴミ捨て場に袋に入った状態で捨てられるところから始まる。そこから未知の世界(観客からしても)に迷い込み、様々な猫と出会うこととなる。
ゴミ袋から出て早々いきなりミュージカルが始まる。この映画は基本的に新たな猫に出会うたびにその猫の自己紹介も兼ねたミュージカルシーンが繰り広げられつつ、ストーリーが進行していく。そう、永遠と猫の自己紹介を聞かされまくるのだ!
最初のシーンでは猫はジェリクルキャッツと呼ばれており、舞踏会で真のジェリクルキャッツを決めることが明らかにされる。
ただミュージカル内でジェリクルという言葉をクソ連発していたが、ジェリクルって抽象的すぎて何だよ、くどいんだよと見ていてイライラした。ジェリクルの意味を調べると、ジュエリーとミラクルを組み合わせた造語で、人などに頼らず気高く自由を謳歌する的な意味合い。
また、日本語字幕のはずだが、歌詞が意味分からなすぎて悲しくなりました。日本語のはずなのに全く意味不明で日本語の難しさを改めて実感しました。超シンプルなストーリーのはずなのに、理解するのが難しいという矛盾。観客に寄り添い、理解を促進させるための狂言回し的な役割を果たす猫がいれば理解、感じ取りやすくなるのではないのでしょうか。
何なんだ、このシーンは。こう戸惑っている間にもまた新しいデブババア猫が現れてミュージカルが始まります。この新しいデブババア猫のシーンが一番の問題シーンではないでしょうか。
このデブババアは本当にだらしない的なノリで歌い踊るのですが、その途中に猫以外の生き物が登場します。
まずネズミが出てくるのですが、ネコと同じく体はネズミっぽくて、顔は人面というトラウマ化け物なのです。人面ネコは予告で何とか慣れたのでいいですが、人面ネズミは想定外で気分が悪くなりました。
そこにとどめを刺すかのように登場してきたのは大量の人面ゴキブリ。
テラフォーマーズを観に来た覚えはないのに...
大量の動く人面ゴキブリの出現を見て気持ち悪さのピークが急上昇。人面ゴキブリが出てきた瞬間、見てられなくなり、入場で貰ったキャッツのポストカードで自身の目をとっさに覆い隠し、途切れ途切れに見ることに。おまけに人面ゴキブリをデブババアネコが食べるシーンがあり、それを一瞬見てしまい、我慢の限界で一時退出。
今まで映画の上映途中でシアターから出たことがないのですが。わずか20分で耐えれなくなり退出してしまいました。
ネコのCGですら気味が悪いのに、ネズミやゴキブリはマジで地獄です。
今まで映像を見てられなくなったことは二回あり、ウォーキングデッドのシーズン7の1話の2人の処刑シーン(グロイからではなく、いなくなるのが辛いから)と1984の主人公ウィンストン・スミスがババアと売春するシーンなのですが、それらを上回る嫌悪感と恐怖と衝撃でした。
ウォーキングデッドも1984も過激な作品であり、万人が見るような作品ではないからまだしも、キャッツはR指定もなく話題のミュージカルを映画化したものです。そんな映画で気持ち悪い物を見せて何がしたいのでしょうか。
ネコのリアリティーを出したいのか、製作者の意図はよくわかりませんが、映画館の予告やテレビスポットで散々見せてきた華々しいシーンを観客は見たいと思ってるはず。なのにあんなものを見せられたらたまったもんじゃない。
海外のメディアがあれだけ語彙を振り絞ってレビューしているのがうなずけました。
退場して数分後には心も落ち着き、全部見るかこのまま帰るか正直悩みましたが、まだ本編開始20分しか経過してないのでまだ見どころはあるに違いないと信じて席に戻りました。
結局見どころは特になかったけどね。
特にストーリーの展開のない自己紹介クソミュージカルをして悪役ネコ(作中では珍しく服を着ているのですが、そのせいか特有の嫌悪感があまりありません。みんなまともな身なりをすればネコのふりをした化け物から脱却できるのはず)が自己紹介をしたネコを特殊能力で連れ去るくだりを何回も繰り返していきます。特にミュージカルが面白いわけでもなく相変わらず意味不明かつ単なる自己紹介で話が進まず、永遠に悪夢が続きます
悪夢を繰り返していくと遂にジュディ・デンチが演じる親方長老ネコが登場します。
MI6のボスとして007に無理難題を突き付け、嫌みを言い時には対立もするも頼れるあの方がまさか長老ネコに転職するとは誰が想像したのでしょうか。器だけでなく、胴体も大きいです。007に出演している所以外見たことないので、キツメのおばあ様という印象なのに、やさしいハルク並みの体を持ったネコのおばあ様に変身してしまい、終始困惑していました。とにかくこの親方長老ネコがネコ界の有識者であり、舞踏会のチャンピオンを選ぶ決定権があるそうです。
親方長老ネコが現れてから今まで街中や家などで自分勝手にミュージカルという名の歌い騒ぎ踊る狂乱発狂が少し収まり、舞踏会らしいステージ会場に一同終結しました。いや、なんでみんな会場に最初から集まらないで好き勝手に暴走してんの?
全てのネコが会場に集結してミュージカルが再開するのですが、結局は新たなネコの自己紹介です。
落ちぶれた演劇俳優のよく分からない怖い話と、鉄道社畜ネコのタップダンスを見せられ、パフォーマンスが終わると悪役ネコに連れ去られるお決まり。
その後悪役ネコと愛人ネコのミュージカルが始まります。この愛人ネコはテイラー・スウィフトです。テイラー・スウィフトの曲は高校の時に友達が紹介してくれたアルバム1989に収録のwelcome to new york とblank spaceとshake it offぐらいで更新が途絶えていてあまりよく知らないので特に感動もしませんでした。ただ、悪役ネコと違い服を着てないのにあまりネコのCGに違和感を覚えませんでした。キツメの美人顔だとちょうどいいのでしょうか。とにかく悪役ネコのコンビは唯一のネコだと個人的には思います。
パフォーマンスが終わると何とジュディ・デンチが悪役ネコの超能力で連れ去られます。先に連れ去られたネコと一緒に船の上にいて、悪役ネコに天上界に行けるネコに選ぶように脅迫をされます。
そのころ舞踏会ではジュディ・デンチがいないことに気づき大騒ぎになります。そこでネコたちはマジシャンネコにマジックで瞬間移動のマジックで連れ戻すように要求してマジックをさせられます。
マジックは種と仕掛けがあるからマジックであり、勿論ジュディ・デンチを連れ戻す種も仕掛けもなく、超能力者でもないので当然連れ戻せません。連れ戻せないのにネコたちは
Oh magical Cats~~ Oh magical Cats~~ Oh magical Cats~~
しかしこれはご都合主義の映画なので何故かミラクルが起きてマジックでジュディ・デンチは戻ってきて喝采を浴びます。
あくまでも個人的な意見ですが、デスノートは死神のノートだから名前を書くと死ぬ、ルフィは悪魔の実を食べたからゴム人間、キャプテンアメリカンは実験で超身体能力を得たなど、特殊能力には何かしらの最低限の根拠があるべきで、いきなり根拠もなく奇跡だけでおこるのはどうなんでしょうかね(性格悪くてごめんなさい)
戻ってきたので、天上界に行くネコを決める審査が再開され、そこに見ずぼらしい姿をしてネコが現れます。そのネコは舞踏会に行く直前で主人公ヴィクトリアが美声を聞いて励ましていたネコです。見ずぼらしいネコはミュージカルを見たことがなくても聞けばわかるであろう有名曲メモリーを皆の前で披露、見事天上界に行くネコに選ばれます。
これで終わればいいのに、ジュディ・デンチがネコ版のトリセツみたいな曲を歌いだして困惑しながら謎のエンドクレジット。ネコは話しかけてほしいけど、気高いから馴れ馴れしくしないでほしいらしい。いや意味わからないし、この曲いらないだろ。
エンドクレジットの瞬間悪夢から逃れたくてすぐ退出。テイラー・スウィフトのビューティフルゴーストは聞いてません。
総括
ネコの方も修正の無い初期版はそんなに酷いのか気になるところ。
ストーリー要素の面白みは皆無でほぼミュージカルが永遠と続く。
曲もメモリー以外はそこまで好きになれず。
ミュージカル版は面白いらしいのに映画版を微妙に感じるのはミュージカル部分がクソだからでしょうか。
目を閉じて鑑賞するといいのかもしれません。人を究極的に選ぶ映画。
全編自己紹介ミュージカルで途中気分を害する映像が流れると覚悟した上でみれば、そこまで酷評をしなくてもいいと思うが、面白いわけではない。
こんなのにお金払うならジョジョ・ラビットかパラサイトかフォードvsフェラーリを見てほしい。
4505字
俺の理解では、少女向けであるというのは、物語の目的が、「楽園の維持」に向かっているということ。
俺の世代では、ふしぎ遊戯なんかが顕著だったんだが、たとえ冒険に出ているとしても、敵を倒すことや困難を達成することは副次的な要素で、本質的には仲間と仲間の関係を維持して保つこと、破綻を仲裁して元の鞘に戻すことが物語の目的なんだ。だから敵はそもそも家族であるべき相手……皇弟だとか……が望ましいし、主人公は隣を歩く仲間のことを信頼どころか、基本理解できないと思ってる。
あと、漫画とか絵がつくコンテンツなら、絵柄やバックボーンも楽園感が出るのが望ましい。美しくて線が細い浮世離れした、あるいは可愛らしい柔らかいぬいぐるみの世界。
ちなみにこの意味での少年向けってのは、基本的に外に冒険に出て、外敵を倒し、未知を知ることに主眼がいく。
ワンピでは、ウソップと一時的に仲違いしても、それは外敵と戦う上での一つの困難であって、仲が良くなれば解決とかではない。それ以外の場面でもルフィは理解できない家族を気遣ったりしない。仲間は信頼しきるし、仲間や家族は基本的に理解できる。
少年向けが少女漫画の手法を取り込んだっていうのは、仲間を理解できない存在にすることで、キャラクターに深みが出るんだよな。
ちゃんと主人公と仲間たちをキャラクターとして掘り下げるってのは、特に少年向けでは、わりと最近の発明だよ。
ドラゴンボールの中でベジータだけやけに人気があるのはそれが斬新だったのがあるし。スラダンの選手たちとハイキューの選手たちの差面白いぞ。そして同じチームの選手間の掛け合いだけでいえば確実にハイキューのが深いのがわかると思う。銀魂とかもコメディーでありながらそこは内向きで、むしろ外に出ていく冒険ものが不得意だったんじゃないか?あの人。だから女子に受ける。