はてなキーワード: カタログとは
マックロード(MACLORD)は、松下電器産業(現:パナソニック)がNational(ナショナル)ブランド(のちPanasonic(パナソニック)
「マックロード」の商品は、パナソニックブランド誕生の1989年まで発売が続けられた。以降は前面には押し出されなくなったものの、
近年まではカタログにのみ表記が残った。パナソニックブランド誕生後に発売された「れんたろう」(NV-F500)まで「マックロード」、
「Sマックロード」、「マックロードムービー」の名が残っていたが、1990年以降に廃止。
カタログの表紙のマックロード表記は1992年以降に完全に廃止。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89
そんなワイが家を買ったわけだがそこが対面キッチンだった。
これが使いにくいというか妙に気を使う。
料理は運用がすべてだと思っているので普段使うものを使いやすい位置に置きたい。
しかしリビングに面しているのであまりごっちゃり汚くもできない。
なのでそこまで使いやすいとは思えないシャレオツな容器で調味料を揃えたりとか
いちいち器具をシンク下にしまったりなどえらい面倒くさい。なんだこれ。
家を買う時のカタログにはキッチンの開放感だとか家族との一体感みたいな文章が並んでいた気がする。
当時はそんなもんか程度にしか気にしてなかったが実際に使ってみるとめちゃくちゃ面倒。
なんでこんなもんがデファクトスタンダードになってんだよ。
で、いろいろ考えた結果、これワンオペ育児特化型なんだろうなと。
おそらく子供がいる家庭で料理中に子供を見てくれる人がいない、または機能していない。
なので子供に目をやりながら料理する必要があり対面キッチンがその答えになってる。
もちろんこれは想像なんだけど実際どーなんですかね?
仮に子供に気を使わなくても良い環境になっても対面キッチンみたいなのがいいんですかね?
・ガンダムF90・4号機 スペースアーク共用仕様Type-Anonymous
サイコミュやバイオセンサーの影響によるものなのか、パイロットとモビルスーツの相性度合いによって、単純なカタログスペックによってモビルスーツの性能は測れない。
そう提唱したサナリィの開発者ハット・ボーは、パイロットとモビルスーツの相性についての研究を重ねていた。
中でも彼が注目したのは、一年戦争当時の学習型コンピューターの記録であった。
まだ、対モビルスーツ戦闘という概念が定本化されているわけでもなかった当時においては、パイロットの試行錯誤の過程がそこには残っていた。
この試行錯誤の過程こそが、戦闘という何が起こるかわからない場における解答を導き出すために必要な肯定であった。
彼は、その一年戦争当時の学習型コンピューターの記録を元に、モビルスーツの運用をサポートする擬似人格コンピューターを開発し、ガンダムF90に搭載されることとなる。
しかし、この疑似人格コンピューターは、当時のエースパイロットをベースにしていたこともあり、コンピューターがはじき出した結論を実際のパイロットには理解できないケースもままあった。
もちろん、そのAIの意見を完全に信用し任せられるようなパイロットにとっては、疑似人格コンピューターはとてもよいパートナーになるのだろうが、まだそのような人材は稀であった。
そのため、次の疑似人格コンピューターとして着目したのが、一年戦争当時のエースパイロットではないパイロットであり、かつ多くの戦闘を経ているパイロットであった。
そこで発見したのが、かのアムロレイと共にホワイトベース隊で活躍したガンキャノンの学習型コンピューターの記録だった。
このガンキャノンは、当時多くのパイロットが代わる代わる乗っていたこともあり、そのクセもそれぞれであったが、アムロレイと比較すれば良い意味で人間的な選択肢を提示する擬似人格コンピューターを作ることができた。
そんな、「Type-Anonymous」を搭載したガンダムF90・4号機はコスモ・バビロニア建国戦争で運用されていた機体。
フロンティアIVでのラフレシアとの戦いで、ヘビーガン、ダギ・イルス、ビギナ・ギナが大破したこにより、スペースアークが保有するMSはF91一機となっていた。
そのF91のパイロットであったシーブックアノー、その母親であるモニカアノーがサナリィの開発部門に所属していた縁があったためか、軍を介さずサナリィから直接的に授与されたMSがこの、F90・4号機となる。
当初は、MSパイロットでもあったベラロナが搭乗する予定だったが、彼女はその銘を利用した活動を中心としてたため、固有のパイロットはおかれずスペースアークの要員が代わる代わる運用していたようだ。
その癖のなさは、本業のパイロット以外も登場するケースがままあったホワイトアークでは重宝され、コスモ・バビロニア建国戦争末期まで活躍することとなった。
なお、この擬似人格コンピューターそのもののコスト自体が重かったこともあいまり、次期量産機には搭載されることはなかった。
ハット・ボー氏はその後、サイド3(当時もうジオンは共和国の自治権放棄をしており連邦の一部であった)で、AIに関する業務に携わることになる。
彼の作成した擬似人格コンピューターは、より高度な対話を成せるような優れたものになるだけでなく、そのAIの提案する選択肢を躊躇なく選ぶことができるデバイス・ツールの使い方がめっぽう上手いパイロットが増えた時にはより評価されることになるだろう。
また、余談ではあるが、「Type-Anonymous」のベースとなったホワイトベース隊のガンキャノンに搭乗していたジョブ・ジョン氏は現在まさにそのサナリィの上層部に名前を連ねており「カイよりは俺の方が上手に乗ってた」と言ったとか言わなかったとか……
https://togetter.com/li/1389079
やっとこういう内情が出てきたか、という感じ
20年以上コミケに行ったり行かなかったりしているが、電車男のあたりくらいからか、かなり規模が大きくなり、いろいろ無理があると思い始めている
スタッフも歴戦の勇者であり、あの規模をボランティアで廻しているのはすごいと思うが、だが、20年前の、正直オタク以外に趣味があり、コミケ以外
にオタクがまともに扱って貰える場所がなかった時代と比べ、スタッフの意識は全然違う
昔のコミケ参加者、スタッフにとって、あの場所は「普段迫害されている自分たちが唯一後ろ指指されずにいられる場所」だった。そこを守るためにスタッフ
今はコミケに行かないオタクも多いし、オタクが昔ほど迫害される時代でもない。コミケで買えなくても通販網が整っているので本も買える
二十年頑張ってきたスタッフは年も取り、体力もなくなり、自分たちの声が上に行かないことに絶望し、こうして止めていく
若い人は激務を知っているのでなかなか参加したくない。もうボランティアの報酬を上げないことには人は集まらない
スタッフ不足で開催できない日がいつか来るかもしれない
今回で終わるPRESSや、紙のカタログ等、運営の出す物には昭和臭がある。
それはそれで手作り感があってよいものではあるが、運営が米沢さんから変わって、基本的な方針は受け継がれているとは思うが、重鎮化しすぎていることと、
彼らの高齢化により、今のオタク界のニーズをどこまで取り込めているか難しい
今回だって、運営3人衆はどこまで下の事情を分かっていたのだろうか。当日彼らがスタッフに混じって汗をかいてあれこれするわけがない
20年以上も繰り返され、ボランティアスタッフは言えば動く駒のような物だと無意識に感謝の心も忘れているのではないだろうか
だからといって、全然違う人がトップになるとこれはこれで今までのコミケはなくなるだろう。それが毒薬で一気に消える可能性もある
難しい
数年前、オリンピックで開催できないかも、という話が来たときから、周囲の古参オタクがよく言っていたが、
無理して開催する必要があるのか。会場をわけたり落選率を上げたり、日程を増やしても現場が苦労するだけだ
「休めばいいじゃないか。それで金を稼がないと生きていけない営利企業でもないんだから」
しかし、今回も次回も、超無理矢理に会場をわけ、日程が増え、一般から金を取り強行されている
今回のトラブルを見るにつけ、「だから無理して開催すんなよ」としか言えない
企業なら分かるが、儲けはない、有志の集まり、ボランティアだ、と言うのであれば、無理して開催する必要はないのだ
なのに来年も5月に廻してまで強行する予定であり、そこにはコミケオタク業界で生きている人たちの利権が垣間見える
もう大きくなりすぎて、停止することで倒産するかもしれない印刷所等のしがらみがあり、止められないのだろうと思う
結局はこれだ。
最終的にこれなんだと思う
大規模化してしまったことにより、もうコミケ上層部の一存で止められるイベントではなくなってしまい、その規模になったら当然経営の透明化
も必要であるのだが、ボランティア、営利企業でない、のお題目の下に収支は一切不明
それでもここ以外に息を吸える場所がなかったオタクばかりの昭和時代では見逃されていた物の、令和となり、オタクもそれなりの知名度と立場
を持ってしまった現状では、コンプライアンスにメスが入るのも仕方がない
体調を崩して仕事ができなくなって、家でゲームするくらいしかできなくなったので、レッツゴーピカチュウを買った。ニンテンドーカタログチケットというやつで。(もう一本はベヨネッタ2を買った)
ピカチュウにしたのは、自分が子供の頃初めてプレイしたポケモンがピカチュウ版だったから。小学校低学年の頃、ある日突然、黄色と黒のゲームボーイポケットとソフトを、親が不意に買ってきた。それがピカチュウ版との出会いだった。あとモノクロのポケットピカチュウ(万歩計のやつ)もクリスマスプレゼントでもらった。
自分のポケモンの腕(?)と言ったら下手なもので、属性の組み合わせ(何が何に強いとか)がほとんど覚えられなかった。水と火や電気と水とかはイメージで理解できたけど、じめんといわの違いはわからなかったし、ひこう、ドラゴン、どくとかになるともうさっぱりわからなかった。その上個体値とか、戦闘中のデバフなんてわかろうもなかった。とりあえずニドキングのにどげりがめっちゃ強いんだと信じてひたすらレベリングしてた。だって2回攻撃できたし。
それは大人になってからも同じで、ポケモンGOも少しやったけど、フェアリーとかゴーストの属性や倒し方なんて攻略サイトを調べて初めて知ったくらいだった。
それくらい下手だったので、当然原作のピカチュウ版ですらチャンピオンロードをクリアできておらず、自分のセーブデータはむじんはつでんしょの中でサンダーが捕まえられないままになっているのだけど。そんなドのつく下手くそにとっても、ポケモンは確実に幼少期の思い出だった。
下手くそなりにも、イワヤマトンネルをさまよったり、シオンタウンの音が怖くて音消してプレイしたり、サイクリングロードの坂道に抗ってみたりした思い出はある。それからポケットピカチュウをこっそり学校につけて行ってピカチュウに嫌われないように毎日一緒につれあるいたり、好感度をあげようとおやつを貢いだりもしていた。
結果的に、レッツゴーピカチュウはそんな私の思い出にどストライクなゲームだった。いつか歩いた町をもう一度歩き回り、耳コピして弾いていた曲のアレンジに懐かしんだり。相棒技のソラワタリやミズバシリは、ピカチュウ版のOPで何度もみた光景だった。ついにあれが自分のピカチュウにもさせてあげられるんだと思うと嬉しかった。
それから、何よりも良かったのがコミュニケーションの点だ。ボールから出したポケモンに話しかけるとコミュニケーションが取れるのは、ピカチュウ版でできたことだ。あれがピカチュウ以外の仲間ともできるようになっていた。当時はピカチュウのことしか知ることができなかったけど、今作では皆とコミュニケーションできるようになった。お花をみて喜ぶナゾノクサが可愛かった。
相棒のピカチュウを撫でたりきのみを貢いだりして喜んでもらえるのは、ポケットピカチュウでやってきたことだ。レッツゴーでは、撫で続けるとくすぐられすぎた子供みたいに笑うピカチュウが本当に可愛くて、何度も何度も撫でてしまった。
そして、属性表をみたりレベリングを頑張ったりして、どうにか してんのうを倒すこともできた。カンナさんというセクシーなお姉さんがいるなんて知らなかった。
殿堂入り後のピカチュウとのやりとりでは号泣してしまった。そのピカチュウとの付き合いはレッツゴー以来のはずだけど、子供の頃からゲームの中の自分の後ろをついて回って歩いていたピカチュウから返事がもらえたみたいで、ようやっとあの子からの返事をもらえた気がした。これを書いてる今も泣いている。
そして、プレイ開始後から今に至るまで、ゲームフリークという会社に感謝の念が絶えない。随所に散りばめられたその思い出に、たとえばゲーム内のゲームフリークの事務所に貼ってあるポスターひとつとっても、「ぼくたちは遊んでくれたきみたちを覚えている」というメッセージが込められている気がしてならないのだ。自分たちがかつて遊んだ遊び場を、持ち主がまだ大切に持っていてくれて、もう一度自分たちを遊ばせてくれているような。そんな嬉しさがあった。
そうして一通りクリアして、ソフトを終了して、スイッチのホーム画面に戻った。レッツゴーピカチュウのパッケージが目に入る。そこで自分は気づいた。このパッケージイラストは、ピカチュウ版のゲームOPのスタート画面のピカチュウと同じポーズなんじゃないかと。絵柄こそ今風になっているけれど、ポーズや視線、表情はよく似ている。そう思ったらいよいよ泣けてしまった。「かつてピカチュウ版を遊んだ子たちへ」というメッセージを勝手に受け取って勝手に泣いてしまった。全て思い込みだけど。でもそう思い込みたいくらいには、かつて遊んだあれこれがアップデートされて帰ってきてくれたような感覚があった。
額にブラックライトで刻印でも押してコミケに入場できなくしたほうがいい。
もしかしたら風呂に入るという概念を知らないだけかも分からん。
風呂が部屋になくても濡れタオルで丁寧に身体を拭くだけでもマシにはなろう。
それすらしてない奴らが電車に乗るな。
人前に出るな。
入浴恐怖症なら諦めて死ぬまで在宅ワークとインターネットで暮せばいい。
コミケは、電車は、公共の空間は、風呂に入っている人間のための場所だ。
これは法で決まってるんだ。
端的に言えば、煩い奴や、臭い奴はそれ相応の理由がない限り許されないということだ。
そろそろ結婚してもいい年だと思うし子供も欲しいので結婚したい。
めんどくさがり屋ですごい恋愛したいとかでもないので、
ちょっと上の年代のもう遊ぶのはよくて結婚したいってなってる人に結婚してもらいたい。
一応カタログスペックはこんな感じ(特定されないために少し変えてます。)
年齢 : 二十台半ば
年収 : 650万ぐらい
家族 : 次男、両親は田舎の持ち家にいて、兄弟はみんな結婚してる
趣味 : ゲームとかアニメとか映画とか漫画とか見るぐらい(グッズとかは買わない)
補足 : お酒、たばこ、ギャンブル、夜遊びはしない。ミニマリストで物欲がないのであんまりお金使わない。
だけどこういうのってどこで出会えばいいんだろうか。
そこまで結婚への欲があるかといわれるとまだない。
どうしたらいいか誰か詳しい人教えてください。
今やコンシューマーゲームが廃れソーシャルゲームが流行っているって言われてるけどそんな事は無いと思う。
今難しいゲームを出せばクソゲーと言われユーザーが離れてしまう。そんなことは無いと思うんだ。
あ。端的に言うとガチャが嫌いなんだよ。グラブルのガチャは9万出せば9万分のガチャ+欲しい物が一つ必ず手に入るからまだ好きよ。
別にガチャっていう形態を嫌悪してるわけじゃない。むしろアリ寄りのナシだと思ってる。基本無料のゲームだったらそりゃ別の方法でお金を回収しないといけないからね。
んで、今はコンシューマーゲームが売れないって所にピックアップすると本当に売れていないのか?と思ってファミ通.comのゲーム販売本数を見たんだ
1位プロ野球スピリッツ2019[175,189本]ーPS4
2位スーパーマリオメーカー[46,065本]ーSwitch
3位プロ野球スピリッツ2019[44,270]ーPS Vita
5位妖怪ウォッチ4ぼくらは同じ空を見上げている[9,608]ーSwitch
あれ。売れてるじゃん。ファミ通のゲーム販売本数の数え方は大型デパートやら大型家電量販店の売り上げ数を元に作られてるって話だから実際はもうちょっと増えるよね。
あれ。売れてるじゃん(2度目)。
当方最近のゲームで難しい物と言われたらダクソぐらいしか思いつかなかった。
というわけでダクソのエゴサを開始する。
まず売り上げ。
ダクソ本体+DLCの合計が全世界で236万7000本売れたって書いてある。
ミリオン商品じゃん。こんだけ売れてたらクソゲーとは言いにくいよな
DLCを購入するには本体を買ってないと購入できなかったり遊べなかったりする。遊べない物をわざわざ買う奇特な人は居ないでしょ。なのでもし購入ユーザーが全員DLCを買っていたとしても半分の118万3500本は売れているって計算。DLCは買っていないって人は必ず居るから本体の売り上げは半分以上売れている。 ミリオン商品じゃん。
んで、もし売れていたとしてもソレはクソゲーなのか?
でDARK SOULSの項目をチェック。
判定は良作&改善
パッチが当てられ判定が覆ったと見ていいのだろうか。まあそう見とこう。
ごめん力尽きた
だからって家にカタログ送りつけまくったり、遠方から来て自転車盗んだりエアガンで撃ったりなんかするほどか?
ハセカラとかもそうだけど、「おもちゃにしていい」ってネット上のレッテルが貼られたら死ぬまでおもちゃにされるって怖すぎない?
自分の行動を省みる知性も教養もなくて、レッテルが貼られたら何の考えもなしで破壊行動に移れるのもおぞましい。
開示される遊びとか楽しめるのも「無敵の人」だから可能なんだろうなと思うし、複数の「無敵の人」の社会人から見たら無限の時間と無限の人的リソースで嫌がらせされたらどうしようもないと思うし、「無敵の人」には社会的制裁も名誉の損失もないから、ゾンビと戦ってるようなもんだよね。