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2019-08-22

知識人読書量・知識ランキング

SSクラス 江藤淳柄谷行人、廣松歩、栗本慎一郎谷沢永一村上泰亮中村元

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クラス 小林よしのり宇野常寛勝谷誠彦荻上チキ鈴木謙介勝間和代伊坂幸太郎濱野智史赤木智弘坂本龍一いとうせいこう上杉隆酒井順子

クラス みのもんた久米宏古舘伊知郎ハマコー太田光水道橋博士テリー伊藤、リリー・フランキー、コシミズ、香山リカ森永卓郎、ホリエモン、津田大介ひろゆき中村うさぎ雨宮処凛桜井誠

2019-03-12

anond:20190312204810

与党野党言論弾圧はするので比例は個人記名にしてください、という話なのだろう。

大塚英志らも言っているように他の言論の自由や、その根底にある立憲主義という理念を俺はもはや無視できないので、党派性を捨てる勇気を持てなかった。

甘利明が主導しているらしい報道もあったから、これはTPPに合わせた法整備なのかなー。実際締結前から会社書類コピー著作権法違反非親告罪化違法になる」って報道があったような。

2019-03-01

anond:20190228145015

おは大塚英志

https://sai-zen-sen.jp/editors/blog/sekaizatsuwa/otsuka-%20essay.html

実際にはKADOKAWAは見事にコケた訳なんだけどね。

YouTubeがそうだけど、むしろクリエイターの労力を搾取していることに自覚しているところの方が成功してる事実を忘れちゃいけない。

2019-02-26

「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクター」は何が面白いのか?と悩んだ話

 さて、私事ではあるが、私はひょんな事から知人の紹介を以て物書きとして仕事をすることになってしまった。

同人小説の一つも書いたことはなく、詩を紡いだこともないズブの素人が物書きとなってしまったのだから、これは一大事である

世の中に生々しい悪臭を漂わせるクソのような文章を生み出すに違いない。同業の諸先輩方には申し訳のしようもないが、生きていくためには書いてみるしかないようだから、一つ堪忍していただきたい。

具体的に何を書いているのかという話だが、主にソシャゲシナリオフレーバーテキスト仕事をしている。

シナリオ新規追加キャラクターに付帯する「ガチャを回したくなるようなストーリー」であり、フレーバーテキストとはアイテムキャラ説明文といった類のものである

自他ともに認めるズブの素人であるから面白いストーリーも売れるキャラクターも分からずに右往左往している私の論は大変滑稽であると思うが、思考を整理しながら意見を頂きつつ、私のような後進があった時の手がかりになればという考えでタイピングしているのでご容赦願いたい。

物申したい訳ではなくて、自らの認識と世の中の齟齬を確かめつつ、様々な意見に触れられれば良いと考えた訳である

■私が考えた「物語」の面白さとはなにか?

 物書きとしてスーリーを生み出す以上、面白いと思われる作品を作らねばならない。

しかし、困ったことに今までの人生面白いものを作ろうとして作ったことはない。作りたいから作った絵や模型は少々あれど、人にウケる事を目的とした作品を作ったことは全く無い。これでは何を良しとすれば宜しいのかが分からない。

初っ端から大きな壁にぶち当たり、困り果ててしまった私は「ここはひとつ自分が好む『面白さ』を分析し、自分と同じ感性人間ウケる物を作ることから始めよう」と考えた訳である

そのために、まずは自分が好きな作品リストアップしてみようと思い立った。

そうして思いつくままに好きな作品リストアップしてみた訳だが、どうやら具体的なことは何も分かりそうにない。 困った困った。

(例として『攻殻機動隊』『エヴァンゲリオン』『松本零士戦場まんがシリーズ』『姉なるもの』『装甲悪鬼村正』『DARKER THAN BLACK』『Fate/stay night』『イヴの時間』『カウボーイビバップ』『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』『殻ノ少女』『ARIA』などが浮かんだ)

パッと見で抱く第一感は、大抵の作品には何処か仄暗さがある事、ハーレム物ではない事(Fateハーレムに近いが)が共通であるという事ぐらいだろうか。

一見明るく見えるARIAだって地球の海はすでに人の泳げない環境になっており、テラフォーミングされた火星の海で人が営む話だし、その他の作品主人公格のキャラが暗い過去を背負っていたり、あるいは直面している状況が暗かったりする。)

あとは私が「根暗で面倒くさいタイプオタク」のような何かであることぐらいは分かるのかも知れない。

本筋に戻るが、素人なりにこれらの作品を嗜好する人間が好む『面白さ』とは「その世界キャラクターを通して知ること」ではないかと私は考えた。

例えば草薙素子メスゴリラではなくか弱い少女であっても、碇シンジが熱血爽やか少年であっても、私は攻殻機動隊エヴァが好きだっただろう。

なぜなら彼らがどのような性格や外見であっても、あるいは登場せずとも、世界設定が同じならだいたい同じように世界は動くだろう。

極論を言えば草薙素子がか弱い乙女であり公安9課に勤めていなくとも人は義体化し続けてゆくし、あるいは碇シンジが初号機に乗れと言われた時点で超ノリノリであっても、最初に戦う第三使徒サキエルにはコテンパンにされ、進化し続ける使徒を食い止めきれずにサードインパクトを迎えるだろう。

キャラ性格や外見がウケなくとも物語は進行し、あるいは登場せずともその役目は別の人物担当して物語は収まるべきところに収まる。なぜならその世界はそういうニーズを抱えて生まれからだ。

しかしそれではつまらいから、面白く見える視点を借り受けることで、物語は娯楽作品として成り立たせることが可能になる。

結論として、私は「キャラクターとは世界観に内包される1つの要素であって、世界の覗き穴でしかない」という考えに至った。

しかしこれを知人に語ったところ、「世界キャラクター内包されている」という返答を得て混乱することになり、こじらせ続けた結果としてこの日記を書くに至ったのである

■「キャラクター内包される世界」に触れて

 まず私は混乱を与えた知人に「なぜ世界キャラクター内包されるのか?」と問いかけてみた。

すると彼は「大塚英志を読みなさい」と言うので、彼が勧める「物語消費論改」に目を通し、今の私にうってつけの本のように思えた「キャラクター小説の書き方」も読んでみた。

大塚英志の書く文章客観的エビデンスを示す事よりも、一つの前提を提示した上で理論を展開する事に重きを置いているように思え、彼の取る左翼的立場(いわゆる大多数の革新派とは別物との自覚があるのか、自身は『サヨク』と表記するが)が突如乱入して辟易する事もあり、中々体力の必要な内容であったが、ひとまず読み切った。

彼の書き込んだ政治的ノイズと、理論展開をしたかっただけの文章フィルターに掛けながら読んでいくと、どうやら物語というのはキャラクターがいないと生まれないものらしい。

キャラクターが初めに存在し、ストーリーを作る中で世界が見えてくるのだという。

なるほど、確かに何かしらのネタがなければ物語は書けないし、世界描写することができないように思える。

しかし、どうも私には納得がいかなかった。

例えば年齢や性別を設定されたA子さんというキャラクターけがそこにいて、世界観がなかった場合はどうだろうか。

この場合、A子さんに生まれるのは虚無の中に放り出されたと言う事実だけである

もし、その「『何もない世界』を受けてA子さんが得た情動こそが物語である」というのならば、それは虚無と言う世界観がないと成り立たないのではないか

逆に、例えば「中世風の世界」があったとしよう。登場するキャラクターの設定は何もない。

中世風の世界といえば、人の頭の中には剣戟や鎧がたてる金属音や、あるいはそこで生活する人々が桶を片手に井戸に水を汲みに行く姿などを思い浮かべるだろう。

そして、多くの人は中世と言われただけで頭の中にヨーロッパ景色か、日本中世を思い浮かべたのではないか

あたり前のことだが世界観には内包する事物があり、事物には経緯がつきまとうものである

世界観を定めたことで、これらの自然な在り方の幅が定まり人物も含めて存在する範囲が決定される。

たとえ時間が静止していても、大木には新芽から育った歴史があり、水すらも水素2つと酸素が結合したという経緯が発生する。

私はこれらの変化こそが物語なのではないかと考えているのである

即ち、その世界で起こった変化を拾い上げた時に、初めて事物キャラクター化すると考えているが故に、私はキャラクター世界内包されるという考えが捨てきれない。

そして、物語の本筋というのは、それらの小さな変化全ての集合体であり、世界観そのものストーリーであると考えてしまっているのだ。

うーん…困った…。なんでキャラクター世界内包されるのだろうか。

A子さんの主観から書いた物こそが物語であり、A子さんの認知した物こそが世界である定義するのだろうか?わからん

うーんこまった。うんこまった。

なぜ困っているのかは次項で触れよう。

ガチャを回させるために、物語を捻り出すソーシャルゲーム性質に触れて

 さて、ようやく本記事タイトルに近づく事が叶う。

上記の様に「世界キャラ内包されている」と考えている私が、物書きとして初めて書くことになった物語ソーシャルゲームに追加される新キャライベントストーリーだった。

この仕事キモは、有料のクジ引きでプレイヤーが獲得できる新キャラプレイヤーに対して強烈に売り込むことである

具体的には運営会社が考えるキャラクターの「良さ」を引き立てるためのお話を一本仕上げるのだ。

ここで私は早くも躓いた。

何故ならソーシャルゲームにはベースとなる世界観があり、主要キャラはすでに出揃っており、本筋の進行に何ら問題のない所に、いきなり「強烈な売り込み」を必要とするキャラが登場してしまうからである

本筋の話に必要のないキャラクターを、いかにも重大で必要な魅力を持っているかのように持て囃し、そのために何かしらの話を世界観という大地から発掘して、プレイヤーの周りに再配置する作業となる。

そして、運営としては本筋に明確な終わりを与えてしまうとプレイヤーが離れてしまうから、本筋だけを避けて大地を穴ぼこだらけにしながら不要物ばかりが増え続けていき、やがてはプレイヤーの周りに綺麗にそびえ立つ「本当はどうでもいいキャラ」の山が本筋を隠してしまう。

これは、私の「世界内包されたキャラクター」の考え方だと避けて通ることは叶わない結果のように思える。

しかし、「キャラクター内包された世界」という考え方であれば、大地の形は定まっていないので、きっとプレイヤーの周りに何処からともなく取り出した土を積んでゆく作業となるだろうから、なるほど確かにそちらの方がソーシャルゲームに向いている。

ただし「どこからその土(物語)を持ってきたんだよ」という疑問とともに、「別にその土がなくてもこの世界存在しているし、その山は不要じゃない?」という感想を得る私のような面倒な者も少々発生するだろう。

「要・不要しか語れない虚しい奴め」と言われればそれまでだが、こちらとしてはいきなりステーキか、或いはさわやかハンバーグでも良いが、兎も角ステーキハウスで3000円のステーキを注文したら、鉄板の上にステーキを覆い隠さんほどのミックスベジタブルを乗せられた心持ちなのである

いきなりステーキ店員としても、ステーキが主役なのに上役の指示でステーキを切り捨ててでもミックスベジタブルを山程ぶち撒けろと言われて途方に暮れててしまうだろう。ステーキの前でアホ面を晒しミックスベジタブルを握りしめている店員こそが私なのである

私は本筋を覆い隠さんほどのサブキャラを並べるという在り方は、本筋へたどり着かせない為だけの行為しか思えず、ベースとなる世界観にガチャの新キャラを紐づけていく意義を上手く見いだせなかったのだ。

前項で困っていたのはこの点であって、物語キャラクター内包されているのであれば私の考えが間違っているだけなのだが、どうやら一応理屈は通っているように思えてしまっている。

この矛盾放置するべきではないだろうが、結論は見えない。

え?意義はお金を稼ぐ事だし、キャラ理由なく存在していてもいいじゃないかって?

まあその通りなんだけどさ…青臭くってウブな駆け出しとしては、ちゃん物語を進めたいわけよ…

え?面白ければ本筋がどーこーはどうでもいい?

それも最もな話よ…だけど、面白いって何さ?

■「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクター」は何が面白いのか?

 ようやっとこの4項目にして表題に触れられた。

展望も何もなく書いてきたので、まずはここに着地できた事で一安心である

「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクター」に塗れた作品であっても、成功しているコンテンツというのは存在する。

何を隠そう大部分のソシャゲは「本筋が遅々として進まず(或いはほとんど存在せず)、本筋に絡まない=世界の動きに絡まないサブキャラクターに塗れている」にも関わらず、利潤を得やすガチャ商法確立し、商業的に成功していると言えるだろう。

何故、このソシャゲガチャ商法成功しているのか。

単純に言えば「面白いからである

しかし、これは「プレイヤーが楽をして手に入れられる娯楽としては」という但書が付属するのではなかろうか。

例えば、人が10時間自由と完全に健康な体を手に入れたとして、目の前に据え置きのゲーム機スマホが置いてあり、何れかの"ゲーム機"で好きなゲームをして10時間消費できるとしたらどちらを選ぶだろうか?

多くの人は据え置きゲーム機を選ぶと思う。

ソーシャルゲーム10時間プレイするということは、多くの場合右手の親指で、画面の右下を5秒毎にタップする10時間を過ごすことになるだろう。

ソシャゲファンタジーゲームよりもドラクエXIスマホ荒野行動よりもPS4のPUBGのほうが良いユーザー体験を得られることは当然である

バトロワゲーにおける「物語」とはプレイヤープレイのものであると私は考えている。つまり、より派手に快適に臨場感を得られるPUBGのほうが物語を鮮明に作り出すことができると思っている。まあ、異論どころか非難轟々かも知れないが、本題とは離れてしまうので一旦放置してほしい。)

しか現実には日本ゲーム市場ソシャゲが大きな地位を不動のものとしている。

これは、プレイヤー自身体験考察・のめり込む事なく「楽に手に入れられる娯楽」を欲しているからだろうと思う。

まり「さっと注文して、さっと食べ終えられるファストフード」のニーズが高まっているのだと考える。

ここで本題に戻るが、端的に言ってファストフード的娯楽に、「大きな物語の展開を推察し、その行く末を記憶して楽しみにする」という『面白さ』は重すぎる。

世界観や、大きな物語の動きを受け取ることができるプレイヤーに対して、ファストフード的娯楽を求めているプレイヤーが圧倒的に多い。

故に本筋を覆い隠してでもサブキャラを増やしまくり、ゲームの本筋とは関係のないキャラ推しの話を通勤電車の中で10分で摂取させ、その体験を通してガチャを回させて達成感を与える訳である

本筋というハイカロリーでの御馳走を消化するには、健康な消化管と食後にゆるりと過ごすことができる時間が不可欠だが、これは時間タスク処理に追われる現代人にはちょっと厳しい要求だ。

故に、消化が楽で手早く終わるローカロリー立ち食い蕎麦である、本筋に干渉しないキャラシナリオをちょいと摘むぐらいがちょうど良いという世情があり、まぁ立ち食い蕎麦も許せないほどマズイ訳ではないから多くの人が食べるのだ。

そしてこの2つを比べた時、多くの人は無意識のうちに御馳走と立ち食い蕎麦を「比べるべきではない両者」と判断して、或いは意識的に御馳走を我慢して立ち食い蕎麦を選んでいると言う構図なのだろう。

どちらを食べてもひとまず空腹は収まり、なんとなくか明確かの違いはあれど「美味しかった」という感想が残るから、死に物狂いで御馳走を求める酔狂グルメ以外は、立ち食い蕎麦でも満足感は得られるのである

まりベストである必要が無いと言うのが、物語の器たる創作物に求められているのではないか

立ち食い蕎麦ステーキも美味しいっちゅーことよ。

●疲れてきた。

 結局のところ私はここまで考えた所で面倒くさくなってしまった。

本当は物語の捉え方を考えていたはずなのに、到着したのは「求められる面白さ」になり、挙句の果てにはステーキ立ち食い蕎麦だ。救いようがない。

さて、脱線し続けた挙げ句、私はこの記事命題である「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクターは何が面白いのか?」という問いには、一旦以下の答えを与えることにしようと思う。

Q.「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクターは何が面白いのか?」

A.「本筋が進まないシナリオ世界干渉できないキャラクターは一番面白い訳ではないが、なんとなく面白い位にはなる」

まり結論として、「本筋の展開する面白さ」は今の創作物には重すぎる。

キャラを立たせてキャラを売った方が、消費者に優しいし、会社としても嬉しいのだ。

ベストではなくベターいから、世界干渉できないキャラクターでも十分であり、安心できる経営につながるということだけは確かなようだ。

私は物書きの入り口に立った以上、そこをうまいことやっていく必要があるらしい。

さて、私の眼前にそびえ立った、ステーキの上にぶち撒けるべきミックスベジタブルはどうしてやろうか。

ミックスベジタブルを手早く、それなりに美味しく仕上げる方法をご存知の方、或いはこのステーキミックスベジタブルが載っている鉄板料理の良い拵え方をご存知の方がいれば、教えていただければ幸いです。

或いは「お前の料理してるそれ、ステーキじゃねえから!」という声も。

2018-12-28

anond:20181227235712

よし、大塚英志福田和也を担ぎ出してぐちゃぐちゃにしよう

2018-12-02

犬が嫌いだから全部殺処分しろ

タバコはい記号である日本の閉塞感のすべてを標榜している。これほど無意識顕在化するものはないだろう。人間クズである

迷惑からやめろ」がこれほど「正当化」されるのは日本ぐらいだろう。電車内の喋り声は迷惑路上での飲酒職場でのハラスメントなど形式的人間の行動を規制する空気が異常に強い。大塚英志愚民社会ということを数年前に言っていたがこれほど愚民とはなんたるかを明確にしてくれるものはないだろう。閉塞感をつくっているのは嫌煙コメントに躊躇しない人間達のことである

タバコだけでなくすべてのことに関して適切な場所で適切な役割で適切なコミュニケーション作法でふるまうことを暗に強制する。理想的人間から外れた異常者は駄目なのである認知されていない異常を自由で拾おうとしない。発達障害うつ病LGBT言葉ができたことによって認知され意識化され救われているが人間無意識根本的に変わらないのだろう。喫煙者理解不能からダメだというのはLGBT理解不能からダメだということである。誰も理念で考えていない。自分意識がとらえる射程でしか物を考えようとしない。理念とは何かを考えない。具体的、論理的事物に関して形式でとらえているだけで誰も公共性を考えていない。自由意味を知らない。無知の知を知らない。想像外を知らない。他者を掬わない。

タバコが駄目なものだというのは完全に自らの好悪である健康被害に関しても非喫煙者世帯喫煙者世帯セカンドハンドスモーク有意な差は確認されていない。密閉した容器に副流煙を漏らさず流し込んだらラットに害があったという臨床的に無意味方法で行われている。その論文副流煙害悪論の論拠になっているのをほとんどみんな知らない。

さな害、小さな不快をなくすために想像外の他者にたいして自らの欲望をぶちまけていいなら自分も言いたいことがある。

犬を殺せ、全部保健所送りにして殺処分しろ。鳴き声がうるさい。便がくさい。路上に犬がいるのは迷惑から家の中だけで飼え。他人が好きなのなんか知ったこっちゃないからな。

という暴言嫌煙社会は許すのである

2018-11-24

考察力がほしければ読んで読んで読みまくれ

anond:20181123002740

当たり前だが無から有は生まれないし考察も無からまれない。ぶっちゃけ考察なんて慣れの問題で誰にでもできる。

まず、「考察」って一言で片づけずに解像度を上げろ。

ある作品に対して、

お前が思う「すごい」はどれだ。そしてどの能力を伸ばしたい。

1に必要能力物語論であって、キャンベルでもシドフィールドでも石川千秋でもいいからその手の本をいくつか読んでみろ。たとえば貴種流離譚という概念を知っているだけでスター・ウォーズバーバリとかの作品の捉え方が変わる。

2に必要能力キャラクター論で、大塚英志キャラクター小説の作り方』や新城カズマ物語工学論』あたりでも読んでみろ。キャラクター類型という概念を前提に作品に触れてみろ。

3に必要なのは作品読解というよりその作品にあてはめうる「テーマ」について持っている自分自身の引き出しの問題だ。ラブストーリーひとつとっても、恋人未満の二人が恋人になる話、共依存関係破綻するまでの話、三角関係の話、NTRもの、泥沼群像劇等々色々あるだろう。たとえば、コーマック・マッカーシーロード』は火を運ぶというメタファーから「受け継いでいく話」というテーマが読み込める筈で、そこからあの世界観において「受け継ぐ」が「世代交代」に繋がるというのは一つ言える。無数に存在する「テーマ」の類型の引き出しを作れ。

4はとにかく数をこなすことだ。小説なら作者の過去作品インタビューを全部調べて読み込め。映像作品なら監督脚本演出その他諸々(全部とは行かないだろうから最低前述の3つ)の過去作品を調べてみろ。できればインタビューも読め。そして過去作品のなかのどの部分がその作品共通しているのかを読みこめ。

5はこれまでの全部に共通する「演繹力」を磨け。「この設定であれば、この要素が欠けているのはおかしい」という想像を働かせつづけろ。「このキャラクターがこのような性格をしているのには理由があるはずだから、きっと過去にこういうことがあったのかもしれない」「この作品はこの作品オマージュなので、きっとこういう展開になる」等々、上記必要な引き出し全部を使っていけ。

二次創作もそれと同じだ。パターンだ。パターンを考えろ。AがBに対して愛情表現をするとする。どういうアプローチが考えられるか。気持ち言葉にするかしないか身体スキンシップを含むか含まないか、そのときに照れるのか照れないのか、笑顔を浮かべるか浮かべないか言葉にできないならどう表すか、ものを渡すのか、第三者にのろけるのか、色々パターンはあるだろう。考えて考えて考えろ。そのためには読んで読んで読みまくれ。自分なかに引き出しを作れ。質は量で担保される。

2018-10-27

anond:20181027070706

増田が「萌え絵」をどう定義してるかが曖昧から議論すらできないね

ただ、全くエロゲなるものと接点を持たずに生きてきた私が読む限り、エロゲ絵がオタクに与えた影響を増田は随分過大評価してるように見えてしまう。

多分この増田は、自分の狭い経験体験の中の限られたコンテンツから何か真理めいたもの抽出しちゃってる?

そのせいか80年代からの、もっと言えば手塚治虫から脈々と続く流れについても誤認が生じてる。

大塚英志「『おたく』の精神史 一九八〇年代論」

あたりをとりあえず読んでみるといいと思う。歴史を知れば認識が変わるんじゃないかな。

2018-10-09

https://togetter.com/li/1274544

自分メモ社会学では査読付き論文がなぜ重要視されないのか

人文学社会科学の国際化について」(独立行政法人日本学術振興会人文・社会科学の国際化に関する研究会 p.73-75)

https://www.jsps.go.jp/j-kenkyukai/data/02houkokusho/houkokusho.pdf

阪大を去るにあたって: 社会学危機希望

http://sociology.jugem.jp/?eid=277

Laudanの研究伝統論による社会学理論発展法の考察 - J-Stage

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/57/1/57_1_41/_pdf/-char/ja

太郎丸博氏の論↑の極私的まとめ)

日本社会学には「学説研究」と「理論形成(構築、発展含む)」の2つがある。

学説研究」とは優れた理論を適切に読み、解釈することである

社会学」を欧米から輸入した日本では、この「学説研究」が(すくなくとも2000年代まで)社会学の中心となってきた。

一方、「理論形成」は社会の諸問題経験問題)を「以前より効率よく解決する」ためのものである

創造的で想像力必要仕事であり、歴史的にはフーコーハーバーマスのような一部の天才的な英雄によってなされてきた(英雄史観)。

例えば、新しい人間観や社会観の創造採用、適切な概念を作り出すことがこれに当たる。

日本でも「学説研究から理論形成」へと移行すべき時期なのだが、「どうすれば理論形成できるようになるのか」というハウツー世界中のどこにも未だ存在しない。

1970年代アメリカでは理論構築のためのテキストが数冊出版されており、

1.学説専門家ではなく,統計数理モデルに詳しい研究者によって書かれており,

2.具体的な現象説明するための理論=モデルをどう作るかを学生向けにひもといたものであり,

3.しばしば数式で理論のコアは表現され,

4.思想哲学的問題最初に登場するだけで,その後はほとんど登場しない

といったものであった。

データ収集分析重要であるという考えは社会学の「統計学化」として社会学から懸念されていた。

これは理論形成データから帰納命題から演繹によってのみなされるわけではないかである

(「社会学理論役割」を考える際、統計学化された社会学では認識論存在論、人間観や社会観などの哲学的問題が脇に追いやられてしまう)

また、理論を発展させるためには「解くべき問題発見(未解決問題発見)」が必要である

「なにが未解決であるか」「すでに言及している・使える学説はないのか」を知るためには、今までの学説研究研究伝統基本的な文献)が結局のとこと必要となる。

まとめると、社会の諸問題経験問題)を解くにはデータ収集分析重要であるが、手法問題概念問題)の解決への手掛かりは学説研究の中にある。

凡人であればあるほど、二兎を追うべきなのである

(まとめここまで)



北条かやインターネット死ぬということ』

https://twitter.com/kaya_hojo/status/1049257254552125440

私は研究者というよりコラムニストになりたかったんだな。もともと東浩紀上野千鶴子大塚英志宮台真司に憧れて社会学を志したのだから研究者というよりは表現者への憧憬が強かったんだろうな。でも社会学を学んだ6年間はすごくキラキラしていて充実していたよ。合掌。

ここに挙がっている名前がすべてで、学者じゃなくて文壇の延長線上にいるコラムニストだよなという感じ。

権威付けで学者を名乗っているだけで、天才にあこがれて社会の諸問題を論じているだけの人々という印象。

2018-09-10

anond:20180910204253

パソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジーフォーラム」内に新しいタイプ小説を語るための「ライトノベルミーハークラブ」という会議室が作られる。『ライトノベル』という呼称の発生。しかし、この名称はすぐには広まらず、2003年刊行された大塚英志書籍キャラクター小説の作り方』においても、「スニーカー文庫のような小説」という呼ばれ方をしていた。

 『ライトノベル』という呼び名世間的な定着は、2004年以後、ライトノベル関連書籍が多数発売されるようになってから

とあるけど?

2018-09-03

anond:20180903131758

一応大塚英志定義してただろ。定義の中身は忘れたけど。

その定義適用すると今本屋で売ってる小説の2/3位はラノベになるけどな。(ワイはガチでそう思ってる)

2018-03-30

ストーリーは死んだ」と最初に言い出したのは誰か

増田?それともデータベース消費という言葉を産み出し、視聴者キャラクターが持つ記号を消費していると主張した東浩紀

いや東を出すならメディアミックスというマーケティング説明する上で物語消費という言葉を産み出した大塚英志こそ最初人物だろうか?

いや物語を持つの文学映像作品だけではない。音楽一種言語と考えたアドルノストーリーは死んだと主張した人物だろう。アドルノは、産業が産み出した大衆音楽は全体の構造ではなく細部の記号しか注意が払われていないとのべ、音楽言語性が失われていると批判した。

ざっと思い付くのはこんな感じだが、それより以前にも言われてるのではないか

個人的には19世紀フランス文学界あたりとかでも言われてそうだと思っている。

2017-12-17

バカあいだで完全に「カドカワがタツキ監督を外した」が事実になっていてびっくり

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R5G9AUGS1HDVC/

レビューと言っても大塚英志が言ってることをそのまま引き写してるだけ。

まとめサイトを見て「カドカワひどい!」と憤り、大塚英志を読んで「これがカドカワの正体!」と吹き上がる。

すべて受け売り

まったく自分の頭で考えてない。

いや、二つの物事共通点を頑張って探すのが「思考」だと思っているんだろうな。

これで教養だのなんだの言っているんだから呆れる。

2017-10-19

anond:20150501113902

最近自らツイートされてた。この辺だったか

自分のおぼろな記憶とは結構印象が違っている。

http://psychodoc.eek.jp/abare/diary0007b.html

2017-09-26

けもフレ降板騒ぎを見て頭から離れないこと

からない人はこれについて話します。

突然ですが、けものフレンズアニメから外れる事になりました。ざっくりカドカワさん方面よりのお達しみたいです。すみません、僕もとても残念です

たつき/irodori (@irodori7) 2017年9月25日

 

けものフレンズをだしにしているようで悪いんだけど、降板の話を聞いて

大塚英志のエッセイが頭から離れなくなってしまった。

このエッセイをめちゃくちゃ暴力的説明すると

    これについては議論すべき点がいくつかあるだろうがそれについては割愛

     

    今回問題にしたいのはこの後、KADOKAWA過程支配しようとしたらどうなるかと言うことである

    大塚言葉角川歴彦(KADOKAWAの一番偉い人)が生み出したメディアミックス説明する中で

    そこで一人一人の「作者」は、その中で創作させられる(ヽヽヽヽヽ)存在となってしまう。

     と言う。

    さらに上記に書いたKADOKAWAが描く未来現実になると作者という特権存在自体が消え失せ、(一次、二次創作含めた)コンテンツ全てをKADOKAWA管理するようになるとも言う。

    今回の降板はこのコンテンツ全てをKADOKAWA支配したいと言う意思が具現化したものではないだろうか。

    インタビューによればアニメ版けものフレンズはそのほとんどをたつき監督制作し、「たつき監督ありがとう」などファンの声でもたつき監督という存在は大きい。

    しかしこうした感謝気持ちたつき監督と言う存在特権化してしまい、KADOKAWAが考えるインフラ形成を阻害してしまう。

    (結果的はいえ)作者という特権的存在を抹消することを望むKADOKAWAにとって、たつき監督インフラの外へ排除すべき存在だったのではないだろうか。

     

    トレンドカドカワ?って思ったらそういう事…
    関係者が並列に多過ぎて、代表して事情説明出来る大人が居ない予感。それにしても一体誰にどんな得があるのか?いちクリエイターとしても気になるところ。更なるビジネススケールを狙った「個」から組織」への進化だとするとその副作用は大きいね

    志倉千代丸 (@chiyomaru5pb) 2017年9月25日

    クリエイターにとって「利益」vs「自身創造性」というせめぎ合いは昔から存在するモノだった。

    そして数多く議論されてきたことでもあった。

    しかし、今回の大塚が指摘したような「コンテンツの流れ」vs「作者としてのおのれと言う存在」にも目を向けなければ副作用解決することはできないだろう。

    2017-06-20

    https://anond.hatelabo.jp/20170620084444

    ロードススレイヤーズオーフェンブギポ猫の地球儀めっちゃ好きだけど「名作」というポジションに行けてるとは俺も思わないな。

    物語としては名作だけど、文化的に名作として扱われてるとは感じない。

    その辺の作品群を読むことが「教養」という風に受け止められてないというのが大きい。

    アニメにもエロゲにも「教養としての作品たち」みたいのがあるのに、ラノベにはそれがない。

    年取ったファンが「あれは凄く面白い」「エポックメイキングだった」と言っていても、それは教養語りと受け止められず、ただ懐古という風になってしまう。

    それが何故かはわからない。ラノベが未熟だから、などという簡単理由ではないだろう。

    はいえ、「名作」がない、つまり「触れていることが教養とされる作品群がない」ことは必ずしも悪いとは思わない。

    名作とされる作品群が発生するということは、権威が生まれるということに繋がるからだ。

    それを読んでいるということを誇り、知識考察をひけらかす衒学に走り、触れてない奴を浅学と馬鹿にする権威主義

    そういうものが、ラノベ界隈ではあまりない。そういう振舞いをしようとする人がいても、周囲から馬鹿にされるだけだ――それこそ懐古厨として。

    同じ時代を生きた人に素早くリーチし、高速で消費され、そして次の世代過去の積み重ねにも触れねばというプレッシャーを受けず読みたいものをスッと手に取れる。

    その猛烈な速度は、たぶんライトノベルのいいところだ。

    大塚英志小説版サイコあとがきで書いた文章に、

    「速度。そう、重要なのは消費される小説けが持ちえる速度だ。屑さえも書物に仕立て上げる速度だ。その速度に乗せなければ届かないことばというものがある。その速度に乗せなければ届かない遠い場所に読者がいる。」

    というものがある。

    この文章が書かれてから20年がたっても、ライトノベルは速度を失っていない。

    2017-05-05

    http://anond.hatelabo.jp/20170505101030

    勉強に気が進まないなら、気晴らしを兼ねて読書はいかが。物事の観方と読解力が両方手に入って、大学受験の気晴らしには一石二鳥

    何を読むかだけど、増田の状況であれば、自分自分自身理解するのと自分の考えを整理するのに役立つ本がいい。

    自分自身理解する

    ・働くことがイヤな人のための本 中島義道(哲学者)

    仏教は心の科学 アルボムッレ・スマナサーラ(仏教僧)

    森田療法 岩井寛(精神科医)

    生き方の参考にする

    人間における勝負研究 米長邦雄(棋士)

    自分の中に毒を持て 岡本太郎(芸術家)

    自由をつくる 自在に生きる 森博嗣(作家工学博士)

    素人のように考え、玄人として実行する 金出武雄(工学博士)

    ストーリーメーカー 大塚英志(まんが原作者批評家)

    ■考えを整理して計画し実行する

    ストレスフリーの整理術 デビッドアレン(経営コンサルタント)

    ・夢に日付を! 渡邉美樹(経営者)

    理系のための「即効!」卒業論文術 中田亨(工学博士)

    絶対達成マインドのつくり方 横山信弘(コーチ)

    全部ほんとうにおすすめ。ざっくり順を追って読むといいけど、もし一冊だけ手に取るなら「森田療法」を勧めるよ。

    後は、ペースづくりのために相談に乗ってくれる相手をつくること。例えば、メンタルクリニックジョブカフェで相性良い人を探すといい。こちらが現状を打ち明けるのを批判せずに聞いてくれて、一緒に考えてくれるけど、最終的にどうしたいかはこちらにゆだねてくれる人(いわゆるコーチ的な振る舞いをしてくれる人)がいると心強いね

    2017-03-08

    http://anond.hatelabo.jp/20170308014909

    「なぜいきなりそうなる?」という風に見ている側を置いてけぼりにするような行動をとったり感情を見せたりするものだと思うんだよなぁ。

    心情を言語化できるレベルのわかりやすい行動を取るキャラしか許容できない、は正しいのかね。

    心情の推測が容易な作品否定するわけではないけど、

    「心情を言語不可能のわかりにくい人間」には興味を持たないのがあたりまえ、

    まらない、見なくていい、存在しなくていい、という態度や、それを追認するのは悪でしょう。

    説明不可能な行動を取りうるのが人間であり、そのような現実存在する、というスタンスは、純文学にはある。カフカとかもそうだね。

    うまくキャラを作ったり伏線を入れて説得力があればOKだという思想も、

    結局はご都合主義キャラバックグラウンドにまで拡張しただけにすぎないのでは、という批判もできるね。

    話は逸れたけど、結局元増田の言う「感情移入できなかった」というのは、「キャラに魅力を感じられなかった」くらいの意味だろうと思うんだが、見ている側を引き込むようなキャラ作りや人物描写というのは、ブコメバカにされるほど陳腐ではないと思うんだよな。評価軸に持ってくるのはアレだけど。

    キャラ作りや人物描写重要性を、評価軸のひとつとして使っていい場合もあるとは私は思うよ。

    バカにされるほどではない。

    ただ、それだけで作品として正しいか裁こうとするのは間違いだろう。

    PV稼ぎライター、または大塚英志シナリオライティングを学んだ人が

    ○○をしてないからこの作品ダメ、と安易に決めるのをよく見る。

    たとえば、「序盤でキャラの紹介が詳しくなされないと感情移入できない、だからダメ」とか。

    一部の評価軸ですべてを決定づけるのがおかしい。

    それからパプリカ原作を読んだことがあるんだけど、フロイト無意識が基盤の作品だ。

    映画も、無意識カオス性や系譜であるシュールレアリスムのような表現が多いと予想している。

    そういう作品に対して「感情移入できるキャラがいないからつまらない、だからダメ」とか言うと、

    偏った知識価値観で楽しみ方を狭めてる、くっそつまらないヤツだとみなされるよ。と思う。

    2017-03-07

    http://anond.hatelabo.jp/20170307222326

    「没入すること」は「感情移入」だが「「劇中で一貫性だったり背景を上手く描写させていて、見ている側に「このキャラクターはどうなるのだろう」と興味を持たせる」」はやはり別の概念なのでは。

    興味を持たせるようなキャラ作りができたとしても、すべての人にフックをかけられるわけじゃないでしょ。

    感情移入という結果に至る原因のひとつにすぎないのでは、という。

    共感という言葉に対してはhttps://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E6%84%9F-477908#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29

    共感はまず他人感情体験が前提であるのに対して、感情移入はまず自分現在における感情体験が前提になっているなど、両者を区別して定義づけようとしているものの、実際には混同して用いられることも多い。

    という点では正しいけど

    ある人とともに悲しむためには、自分もその人と同じような悲しい体験をしていることが必要ともいえる。親を失った人の悲しみは、自分も親を失って悲しい体験をしたという人によって初めて共感できるというように、ある感情への共感は、その感情についての先行体験必要条件ということができる。

    という点で間違ってるよね。

    混同して使われる可能性が高いのであれば、やはり「キャラに読者が引っ張られる」的な概念必要だろうね。

    この表現も引っ張られるについての知識がないと誤解を招きそうなので。

    例として挙げられてるキャラでも感情移入しにくいだけであって、感情移入する人はいるんじゃないの。

    人物描写がめちゃくちゃでキャラもブレブレで行動原理理解できないし矛盾があるみたいなキャラクター

    だけど人間としてはまぁいるよね、という形で理解・没入できる可能性は十分にある。

    しろこういうキャラクター存在否定的ということが元増田の主張なのだとしたら、

    キャラクターは配置や役割においてなんらかの貢献をしなければならない、という価値観を持っているように思う。

    これって大塚英志好きやシナリオライター的な人間ありがちな発想。

    2016-09-17

    安倍マリオでわかった「煽動技術」が不要日本

    http://news.nicovideo.jp/watch/nw2397470

    安倍マリオでわかった「煽動技術」が不要日本

    あのさ、リオ五輪閉会式安倍マリオ、あれバカでしょ。webだけでなく、TVなどの旧メディアでさえ「世界中大絶賛」と自己愛妄想全開中だけれど、呆れて物が言えないだけだよ。批判すれば即「反日」だろうし、小学館系のドラえもんも出て来たから『週刊ポスト』も叩けない。でも、もう一度言う。バカだよ、安倍も、あれ見て喜んだやつも。

    バカでしょ」とか大塚英志言葉かい増田2ch化しててワロタ

    2016-06-11

    ガルパンが良かったこと

    http://anond.hatelabo.jp/20160604234004

    http://anond.hatelabo.jp/20160604210038

    ガルパンは確かにそんな大層な作品じゃないから、ただ「いいぞ」「凄いぞ」と聞いて見ると言うほどの作品か?と思える所はあると思う。

    ただ、そんなガルパンが何故そんなに評価を高められたのかというと、

    昨今の映画化や続編商法を多用する流行作品がぼかしたり疎かにしたりすることが多い王道的なことや基本的なことを気を遣いながら堂々描ききった作品からだと思う。

    悪くいえば脚本的には児童向けの作品に近い単純さがあるが、雑にやったからそうなったのではなく元からそれを100%やりきるつもりで描ききったため特別価値として高められているのが貴重。


    結果的には続いたが、一期だけで作品内容は完結されていて、続きがいらないくらいにまとまっている。

    唯一足りなかったアンツィオ戦もOVAで補完されたし、続編となる映画を作るのは難しかっただろう。

    そこで基本に忠実に、ファンサービスに重点を置いたオールスターお祭り映画形式にした所もいい選択だった。

    主人公の姉をはじめとした本編で敵として戦った連中との共闘王道ながら(だから?)萌えたし燃えた。

    一方でストーリー的な導入は取って付けた廃校危機再びで賛否両論で仕方ないなと思うのだが、結果的お祭りを盛大にやりきったことで終盤のカタルシスを生む要因にすることもできた。

    まあ、でも同時に結局一期はなんだったんだと作中の大洗女子学園の連中同様に怒りが沸くような導入設定でもあるので、やはりどうかとは思う所ではあるが、

    元々完結して満ち足りている作品で続きやおまけを生み出すために仕方なく負った傷ともいえる。


    同様に基本的ファンサービスのための取って付けた続編映画を作ったのが劇場版けいおん!だった。

    基本的ファンサービスのための内容でありながら、初見でも楽しめる内容で、そんなにけいおん!ファンというわけではなくあまり期待しないで観に行ったのに面白くて感心した。

    日常系作品長編映画を作るなんて大丈夫なのかという不安があったのだが、結果的には、日常系からこそ初見でも見やすく、ファンサービスとしての魅力も両立させられているという内容だった。


    ガルパンけいおん特別凄まじいことをしたかといえば、音楽面や戦闘シーンの面以外の根本的なストーリー等の面では特にないと思う。

    しかし、しっかりと期待されたことをやりきった点が昨今においては残念ながらとても尊く価値があることだった。

    他の映画化された流行作品ファンの予想の範囲に収まることを避けて何かと奇を衒いたがることが多い。

    大筋で予想を裏切ろうとして期待も裏切った半端な拙い内容に仕上がることばかり。

    それに加えて大筋から離れた部分ではファンの想定より陳腐劣化二次創作のような描写を入れてしまい、ファンにも初見にも微妙なちぐはぐな作品が多かった。

    そんなものを無理に奇を衒って絶賛したがる箸が転んでも転ばなくても笑うような訓練された信者も増えているが…。

    ガルパンはそれらと違って不可解な空回りがなく完全燃焼させているので評価やすい。


    少なくとも全体的に好感が持てる作品であることも大きい。

    敵となるキャラクターは当然多数いたのだが見終わって悪印象を持つキャラ殆どいないことがキャラ描写や扱い方が絶妙だと感じる要素。

    そういう面で、キャラクターコンテンツとしても高いレベルで完成されていると思う。

    記号的だのどうのという批判もあるし、確かに記号的な面はかなりあるため、キャラコンテンツに慣れてないとクセを感じてしまうとは思う。

    だがそういう同系統作品の中ではキャラも多い中で上手くやっている方という印象が強い。


    そのような意味ガルパンを見て色々と合わずに70~75点、偏差値でいえば55程度の評価になる人は仕方ない所があるし理解できる。

    しかし65点前後偏差値でいえば50前半やそれ以下の評価をつけてしまう人は何か過度な装飾や奇を衒った誤魔化しに塗れた作品でないとハイになれない人だろうと思う。

    自分信者とまではいかないのだが、悲しいがガルパンが頂点に来てしまうというより、この中ならガルパンが頂点に立つべきだというくらいの状態現在業界現実としてある。

    ガルパン以外の昨今の興行収入や人気がトップクラス日本アニメ映画を見たら最もその人気や地位に見合っているのがガルパンけいおん!

    映画だけで見てもまどかラブライブエヴァは金儲けのためのファンサービスならぬファン搾取映画としての面が強すぎて現在業界の中ですら上から数えた方が早い作品と堂々とは言い難い。

    描ききらずにぼかして終わる美学蔓延しているので内容的にしっくりとハマりきらない作品が多い。

    それならそのまま終わっていればいいのに下手に言及しようとするおまけを金儲けのためか追加して作ってしまって、でもやっぱり描ききらないので空回りするものが多い。

    そんな中でけいおんガルパンは元々の本編もノルマを超えている出来で、映画もちゃんと作りきったという感じがして高く評価してあげたくなる。


    ※余談

    映画カチューシャとノンナらが別れるシーンのしつこさは実際の戦争でなく生死の関係がない前提の設定なので余計というか茶番に感じたが元々茶番前提で小ネタエピソードをつけてくる作品なので不快には思わなかった。

    しかしあれを感動したとか賛美してしまうのは自分ちょっと正気を疑ってしまうがカチューシャを一人で何かする勇気がなかった幼児くらいに思ってるのであれば分からなくもない。


    さら追記

    ・もしかしたら王道・基本の意味自分と違う捉え方をしている気がしました。自分は娯楽作品としての基本、つまり大勢の観客の視聴に耐え得るストーリーのしっかりした手の込んだ作品を考えていますTVアニメ劇場版はいえ、最低限のストーリーの質を要求するのもこの点からです

    ・他の続編商法といわれる劇場アニメを観ていないので正確な比較はできませんが、ストーリーの酷さやエピソードの薄さなど、ガルパンはそういった王道基本的な部分に気を使えていないことも気にしています

    王道にしても基本的部分にしても捉え方が違うでしょうが、それを抜きにして考えても、そもそも「最低限のストーリーの質」「基本」をどの程度に考えているかというハードルが高すぎるのでは。こちらとしては仮にガルパンがそのハードルを越えていないとしても同類作品の中では最もハードルに近づいている作品であるため、評価が高まったということを述べているので、その指摘は少し的外れです。

    ・ただ、Twitterなどを見た個人的感想ですが、ガルパン艦これに近い受け入れられ方をしている印象を受けました。ガワだけを用意し、観客は本編の物語より二次創作的なキャラクターや背景・関係性を膨らませる楽しみ方です。確かにガルパン戦闘艦これとは比べものにならないですし、こういった楽しみ方をするなら作中のドラマエピソード希薄な方が受け手想像やすいと思います。もちろんこれらはただの自分の印象とその感想です

    ・また、そのガワの出来がよくないことを今まで批判してきましたが、ただ艦これゲームの出来はよくないしイラスト玉石混交ですので、もしかしてこれくらいのバランスの方がいいのか…?大量の新キャラ投入も疑問だったのですが、それなら納得がいく気はしま

    ・これって昔大塚英志の言ってたビックリマン的な大きな物語的なこと???

    希薄キャラクター性とストーリー性で釣って、二次創作妄想を膨らませる誘いを設けることで人気を得る…というのは残念ながら最近流行作品の特徴ですね。

    しかし、その中でもガルパンストーリー的に説明が行き渡っている所と気を衒っただけというわけではない意外性もあり、まとまっている所が優れているわけです。

    また、艦これガルパンは少し違うと思いますアニメ艦これ評価基本的に悪いですし、自分も高評価は難しい出来だと思います

    コンテンツ全体としての艦これを言ってるのであれば、似て無くもないでしょうが似てるとも言い難いかと思います

    そもそもそういったガワだけ作る…という作品形式艦これに限らず昨今流行キャラクターソーシャルゲームに多いものですから、似てるとしたらそれらの作品であって、取り立ててガルパン艦これやそれらの形式に似通っていると言うのは違和感を覚えます

    ソーシャルゲーム以外でも、ラブライブを筆頭とするアイドルアニメの方がまさにガワだけ用意して釣る形式で、二次創作的な味付け抜きにしては現在の人気や設定が成り立たないほどに作品自体の出来は劣悪です。

    そういった昨今流行作品群と比べると、ガルパン普通のことをちょっと頑張ってやった程度なのに、目を見張るほど素晴らしい作品のように感じられてしまうのです。

    8~9割くらいキャラや設定のガワで釣ろうとしているのが艦これその他だとしたら、ガルパンはそこまでは比重が傾いていません。5~7割程度です。あくま戦車戦をテーマとしたストーリーを土台にした上で主人公達のキャラを活かすというのが主題としてあり、万人にとってとっつきにくいネタでありつつも、一般向けにも親しみやすいようにアレンジが施されているという様々なキャラストーリー・各要素の調和キャラの掘り下げの物足りなさもあまり不満と感じさせません。

    ただ一方で廃校とか主人公過去などの前提的な設定以外、ほとんど痛みを感じさせない作品で、敵のキャラ達も最終的には不快感を抱かない程度に描くようなフォローが行き届いていますから、それが物足りなさ、子供向けの茶番っぽさを強めているかもしれません。

    しかし、その点も、敵でなく主人公格のキャラすら魅力的に描けず、何か落とす脚本を入れて、大してフォローすらできてないまま終わってしまったという作品がありふれている昨今では、よっぽどマシで、救いに感じられてしまうともいえます

    キャラ作品としては艦これストライクウィッチーズなどの他、主人公姉妹関係、家庭事情描写を用いている点から咲-Saki-との比較もできますが、咲-Saki-がその点においてストーリー的に停滞している中でガルパンは端的に王道の回答を公式で見せつけてしまったことも高評価の要因の一つになっている気がします。

    2016-06-04

    ガルパンを観た

    http://anond.hatelabo.jp/20160604210038

    劇場版をリバイバルで観てあまり面白くなくてちょっとびっくりした…。見所があまりにもない。

    公開時にマッドマックスFRに例えてる奴とかいたけど共通点アクションシーンが多いことだけじゃん…。FRみたいな重層的な優良作と並べるとかさすがに失礼過ぎるだろ。

    せめてアクションレイアウトがいいとかビジュアル面だけでも見所があるかと期待したけど、それもなし。ガルパンはいいぞって本当にそれしか褒めようがないからこその言葉だったんだな…と思ってしまったよ。

    出来がいいから、とかじゃなくて「売れたから売れた」作品なんだなあとつくづく。

    まずストーリーが酷すぎるんだが、これはつっこむ価値すらないっぽいので置いておく。キャラ描写はなく記号性でしか成り立ってなくて魅力的に見えない。

    何より驚いたのが、劇場作品とは思えないほどしょぼい作画。始まった瞬間からしかも新キャラの顔が歪んでて、以降も大抵ワンシーンのうち誰かの顔が崩れてた。こんなんで誰から文句出ないの?

    画面も全体的に立体感がなくて動きも美術も安い。背動用の3Dも無理にコマ落としたせいでガクガクの動きしてるところばかりで、なんで金払ってこんなもん見なきゃいけないんだと。

    肝心の戦車も構図ユル過ぎだし動きはチャカチャカと軽すぎだし、戦闘に緩急がないので平板でダラダラ長いだけ。自慢の戦車戦がこれ?ってレベル

    戦闘も行き当たりばったりにしか見えないんだけど戦略とかあったの?それっぽい解説してる人もいるけど場当たり的な戦闘ばかりで、演出全然表現できてないじゃん。これを褒めてる人って他にアクション映画を観たことないのか?

    話は置いといても作品のウリの女の子戦車部分がこんな有様。これでファンが喜べてるっていうのが信じられなかった。こんなものを褒めなきゃいけない界隈って奴隷かなんかなの?少しでも批判したら死ぬの?本音が言えない中学生LINEグループか?

    作品の質が悪かろうが興業でいい成績残すって海猿とか恋空とかのクソ邦画ランキングしまくる構造と全く同じだよね。

    こだわるべき部分すらお粗末なものが売れてしまうと以降の作品の質もどんどん悪くなっていくと思んだけど、マニアオタクと言われる層がこんなので喜んでるんだからそら邦画も衰退するしアニメももうそろそろダメなんだなと思って悲しくなった。

    追記

    ブコメ

    キャラ作画の話もしてますアニメ文脈としても見てるつもりです

    ・ちなみにTVシリーズは観てます これも好きではありませんが

    ブコメ感想リンクを見ましたが何も言っていない文章だなと思いました

    ・どこが的外れなのかを指摘してもらえたらうれしいです

    悪口が多いのはそういう感想だったからです。よかったところもありますが、悪いところと被ってる印象です。ジェットコースター上のチームの俯瞰はい映像だったのにカットが短く、面白さが生まれる前に途切れるのが惜しいと思いました。逆に張りぼてはテンドンし過ぎてつまらなく感じました。戦闘に緩急がないというのはこういう部分にも感じた印象です。フィンランド戦車?は素直に面白かったです。能登は好きです

    作品面白くなかった理由を考えたら上記の内容になったのであって劇パトと単純に比べたわけではないです

    大衆娯楽というのは本来ストーリー比重が置かれるものでは

    市街戦?での主観貧乏ゲームみたいで本当にひどかったと思いますTV版の方が主観による没入感はうまくつかっていた印象です

    FRガルパンのどちらが好きかなんて個人の嗜好ですが客観的な完成度ならFRです

    ジャッキーチェンは行動の動機付けと観客の感情コントロールを丁寧に重ねているからすごいんです

    ・そういえば音に関してはデカスピーカーで鳴ってる音くらいにしか感じませんでしたが、これは劇場設備がよくなかったっぽいのと、自分の耳がもともとよくないので触れなかったです

    ・送りたいところには届いたかもしれないけどきちんと評価はされてないという話です

    ・いろいろな反応をみて疑問なんですがBDだと作画直されてるんでしょうか。キャラデとかじゃなく普通に顔崩れてるカットだらけだったんですけど

    トラバ

    ファンの人がなんの批判もなく手放しで最高だとか熱いとかスポ根だとか、FR並だとかフューリーよりいいなどと放言するのは本当によくないと思います心配になります

    ・もちろんただリアルを追求すればいいとは思ってないです。人物キャラに寄せるのは賛成ですがそれがあのチャカチャカなら失敗していると思います戦車リアルモデリング?と軽い動きがあっていなくて逆に張子に見えるのでいかがなものかという感じです。手間はかかるだろうけど演出にあわせてもっと戦車モデルや動きをキャラっぽく可愛くするとかそういう工夫はして欲しかったと思います

    普通に劇パトが好きです。戦車映画ではレッドアフガンパットン大戦車軍団が好きです

    FRはそのベタな話を成立させるために大量の設定を詰め込んでいると思いますが、ガルパンストーリーメガネ一人の気分で進行されるようにしか見えなかったです

    ・競技?

    2ch晒しは怖い

    ・恐る恐るみて大半はごもっともと思いながらも、作画が悪くないという人がいてなんじゃそらとは思った

    ・支持されてる理由だと思ってた女の子戦車レベルが低いのでこれはいかがなものかと思ったです。ただ艦これのように本編より二次的な楽しみ方が強いのかとも感じます

    ・真に迫れよ!

    演出に合わせて戦車キャラっぽくうんぬんは例えのひとつです。面白くなるならリアル一辺倒でも構いませんが、それよりはキャラに寄せた方が作品とは合っていると思います

    ・確かにFRとき自分の主張のために都合よく作品解釈を扱う人が大勢いて辟易してこっち来るなと思いました。ただ、FRが好きだから擁護するわけではないですが、もともと映画動画movieなわけで、優れたアクション映画というのはそれだけで映画史的に事件になり得るのでそこのところはちょっと事情が違います。また、そのFRの売上がガルパンに負けたのは凄まじい敗北だと思います

    http://anond.hatelabo.jp/20160605135117

    女の子とか戦車とかは好きだし作品の評判もよくてリバイバルまでしてたから、もしかして劇場版面白いのかと思って観に行きました。完全にミーハーです。劇場アニメ100%ファン向けという理屈はわかりません。また、別に言い訳じゃありませんが、正直にいうとそもそも作品を誇大に喧伝していたのはガルパンファンじゃないのとは思うです

    ■20160604234004

    http://anond.hatelabo.jp/20160605211214

    ・構図のユルさは簡単に例を上げれば、固定の俯瞰で移動する戦車を見せるところです。他にも奥行きを活かせていない構図など緊張感のないものが多いことを指しています

    ・何も実際の戦車の動きをそのまま見せろと言っていません。演出がヘボと言ってます

    ・行き当たりばったりの攻撃回避ばかりで、戦闘における展開の緩急が乏しいです。例えば最終戦ではインパクトのあるものを序中盤に見せたため以降の印象が薄れていると思います

    ・何かでみた、ガルパン戦闘他人プレイするゲームを横で見ているようなつまらなさという評はしっくりきました

    まどマギを観た

    http://anond.hatelabo.jp/20160606125236

    ・改変はやめろ。俺に効く

    ・改変するってことは自分文章同意しないんでしょうけど、本当にあのストーリーとか作画が平均より悪いと思わないんでしょうか。あの戦車戦で満足なんでしょうか

    自分文章ってそんなに雑で無内容なのか…新キャラ登場時の顔の作画とか具体的なものも入れたつもりでしたが

    http://anond.hatelabo.jp/20160607111745

    ・素直に実写と比べたつもりはないです。戦車が出てくるものならナウシカとか劇パト2とか、殺陣がありならガンダムとか、大変つまらないチョイスになります普通にアクションの見せ方が優れてると思います

    ジェットコースター上の戦闘的なもので言えばラピュタとかこれまたつまらない上に正確じゃない比較もあります

    ガルパンにおける戦闘は、丘をとれば有利なのになぜか敵がいなくて怪しいけどとりあえず行っちゃえ で案の定やられるみたいな展開が連続する印象で、作戦意味も薄くなり、観ていてうんざりしました

    ・アップでは重量感ある見せ方なのにロングではプラモデルのように軽い動きになるなどの演出の差も観ていてどうかと思います

    パースをつければ迫力が出ると言わんばかりのダメ画角や、ロングのカットでは奥行きが間伸びしたものばかりなのも緊張感がなくイライラしま

    ・歪んでるは変な表現だったかもしれませんが、普通にデッサンが崩れてるということです。他人のしかも高評価ブログで失礼かと思いますが、このページの下の方の顔作画とかわかりやすいです

    ttp://reviewotaku.blog.fc2.com/blog-entry-1359.html

    直リン回避って意味あるのかな?わかんないけど一応念の為

    ・奥の目が小さかったり立体感おかしかったり、単純に顔や身体のバランスが崩れてる絵が散見されます劇場でこれを見せられ続けるのは正直苦しいです

    http://anond.hatelabo.jp/20160607192341

    ・もちろん、これよりレベルの低い作品もあるでしょうがこれほど売れた作品は少ないですし、そこを問題に思います

    ・これが例えば戦車ではなくロボットアニメ劇場版だと考えた場合、このレベルストーリー作画、ぎこちない3D演出、行き当たりばったりの戦闘などでは、批判もっと増えると思います

    ロボット戦車に変えるだけで批判が減るならこれほど簡単なことはなく、極論ですがそうやって自浄作用が働かず泥沼化しかけているのではと思うととても暗い気持ちになりました

    ・もちろん褒めるべきところはあるしファンが最高に楽しんだのはいいことだと思いますが、客観的批判はされるべきだとも強く思っています

    自分批判客観的だとは思いません

    ガルパンが良かったこと

    http://anond.hatelabo.jp/20160611073946

    ・もしかしたら王道・基本の意味自分と違う捉え方をしている気がしました。自分は娯楽作品としての基本、つまり大勢の観客の視聴に耐え得るストーリーのしっかりした手の込んだ作品を考えていますTVアニメ劇場版はいえ、最低限のストーリーの質を要求するのもこの点からです

    ・他の続編商法といわれる劇場アニメを観ていないので正確な比較はできませんが、ストーリーの酷さやエピソードの薄さなど、ガルパンはそういった王道基本的な部分に気を使えていないことも気にしています

    ・ただ、Twitterなどを見た個人的感想ですが、ガルパン艦これに近い受け入れられ方をしている印象を受けました。ガワだけを用意し、観客は本編の物語より二次創作的なキャラクターや背景・関係性を膨らませる楽しみ方です。確かにガルパン戦闘艦これとは比べものにならないですし、こういった楽しみ方をするなら作中のドラマエピソード希薄な方が受け手想像やすいと思います。もちろんこれらはただの自分の印象とその感想です

    ・また、そのガワの出来がよくないことを今まで批判してきましたが、ただ艦これゲームの出来はよくないしイラスト玉石混交ですので、もしかしてこれくらいのバランスの方がいいのか…?大量の新キャラ投入も疑問だったのですが、それなら納得がいく気はしま

    ・これって昔大塚英志の言ってたビックリマン的な大きな物語的なこと???

    http://anond.hatelabo.jp/20160612095429

    ガルパンファン比較されたマッドマックスFRはそれができていたということを元増田に書いていました

    ・しっかりしたストーリーというのは説得力があるという意味です。そのためにエピソードや設定の作り込みが必要です

    ・8割が銃撃戦や格闘の映画が好きなのですが、基本的ストーリーは出来ています。あまり売れてはいないと思います

    アクション映画感情移入重要なため、この辺りはしっかりやることが当然の作業です

    劇場版ファンでない人もお金を払って観る可能性がある以上、特殊だろうとファンサービス作品だろうと他の一般映画と同じ批判に晒されるのは前提条件ではないでしょうか。自分もこれがTV特番だったらあの増田は書かなかったと思います

    ・また、自分ファンなら雑な新作ストーリーを観せられるよりも、序盤のように新旧キャラトーナメント戦とか総集編に新規カットとかの方が嬉しいだろうと思います。もちろん、面白い新作なら言うことはないのですが。面白くないストーリーなら批判すればいいと思います

    ファンサービスの例のうちイツワリノウタヒメあの花は観ていますが完全新作ではないし、総集編形式はご新規さんに向けても作られる印象なのでファンサービスとうまく結びつきません

    ・また、繰り返しで入り組んで申し訳ありませんが、ストーリーなどの基本を置いてもウリの部分のクオリティに疑問を持った、というのが元増田でした。口調がアレですが、ファンならもっとクオリティにこだわるべきだという内容です

    劇場版は観ていませんが、例に出てきたラブライブCGクオリティを褒めている人って少数派で、大多数のファン批判的だと思います

    http://anond.hatelabo.jp/20160613215711

    ネットではなく紙から情報を得ることを学んだ方がいいのではないかと思いました

    2016-05-16

    http://anond.hatelabo.jp/20160511000626

    人工知能とか、チャットボットとか、VRとか、いろあろあるけど、楽しい感じはしつついまいちクワクしないなー、昔みたいに、と思ってしまうのは、全てなんだかんだ昔からあるものの焼き直し繰り返しパターンに見えてしまうからなんだろうなあ。。

    90年代後半にインターネットがでてきてからweb2.0ぐらいのちょっとの間に語り尽くされたコンセプトの新しさを自分の中では超えることがない。ダイヤルアップテレホタイム個人サイトで感じたPCの大きな画面の向こうとの匿名コミュニケーション文化ダウナーな高揚感。

    いや、この記事にいわれるまでもなく老害だってのはわかってる。その90年台後半の中途半端アングラ的新しさだってたぶんもっとからいる政治的時代を超えたヒッピー世代とかには新しくなかったようなきがする。おたくとかニューアカ世代ギリギリわかる人もいただろう。

    当時のおっさんはどう乗り越えたのかなと想像する。ピンとこない新しい文化を。若者同調できてインターネットの到来をワクワクできたひとたちもいたのだろうとおもう。でもやっぱりワクワクしきれずアナログな楽しみに拘泥した人もたくさんいただろう。

    でも同調できなかったとしても、おじさん文化に軸足を置きつつ、自分たちにとってワクワクすることを追求しまくったおじさんが当時から今にかけていたはず。イメージ的には糸井重里とか大塚英志とか。

    まあそんなかんじで、ワクワクしきれないときに、表面上同調してワクワクするふりをして内心ストレスためるより、また逆に諦めて懐古主義にはしるより、自分のなかのドキドポイントを追求し続けて自分感覚で新しいものを探しつづけることが自分精神衛生上よさそうだなあと思う次第。

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