2017-03-08

http://anond.hatelabo.jp/20170308014909

「なぜいきなりそうなる?」という風に見ている側を置いてけぼりにするような行動をとったり感情を見せたりするものだと思うんだよなぁ。

心情を言語化できるレベルのわかりやすい行動を取るキャラしか許容できない、は正しいのかね。

心情の推測が容易な作品否定するわけではないけど、

「心情を言語不可能のわかりにくい人間」には興味を持たないのがあたりまえ、

まらない、見なくていい、存在しなくていい、という態度や、それを追認するのは悪でしょう。

説明不可能な行動を取りうるのが人間であり、そのような現実存在する、というスタンスは、純文学にはある。カフカとかもそうだね。

うまくキャラを作ったり伏線を入れて説得力があればOKだという思想も、

結局はご都合主義キャラバックグラウンドにまで拡張しただけにすぎないのでは、という批判もできるね。

話は逸れたけど、結局元増田の言う「感情移入できなかった」というのは、「キャラに魅力を感じられなかった」くらいの意味だろうと思うんだが、見ている側を引き込むようなキャラ作りや人物描写というのは、ブコメバカにされるほど陳腐ではないと思うんだよな。評価軸に持ってくるのはアレだけど。

キャラ作りや人物描写重要性を、評価軸のひとつとして使っていい場合もあるとは私は思うよ。

バカにされるほどではない。

ただ、それだけで作品として正しいか裁こうとするのは間違いだろう。

PV稼ぎライター、または大塚英志シナリオライティングを学んだ人が

○○をしてないからこの作品ダメ、と安易に決めるのをよく見る。

たとえば、「序盤でキャラの紹介が詳しくなされないと感情移入できない、だからダメ」とか。

一部の評価軸ですべてを決定づけるのがおかしい。

それからパプリカ原作を読んだことがあるんだけど、フロイト無意識が基盤の作品だ。

映画も、無意識カオス性や系譜であるシュールレアリスムのような表現が多いと予想している。

そういう作品に対して「感情移入できるキャラがいないからつまらない、だからダメ」とか言うと、

偏った知識価値観で楽しみ方を狭めてる、くっそつまらないヤツだとみなされるよ。と思う。

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