はてなキーワード: 森田療法とは
統合失調症やら引きこもりやらの個々人の具体的なきっかけや原因は千差万別なので参考になるかはわからないけど、自分は弟さん(追記:早とちりしたけど、お兄さんの可能性もあるか)と似た症状で3年くらい引きこもったことがあったよ。以下は自分語り多目で恐縮だけど参考までに。
当時の自分は自分を不甲斐なく思っていて、その自分を「以前の自分を知っている人」に知られるのが嫌だった。例えば、元同級生と出くわしそうな場所へは出かけたがらなかったし、近所の人ともできれば会いたくなかった。もっとも親しい友人にさえ顔を合わせることができなかった。
弟さんが出来ること・出来ないことを読んでみると、その辺がもしかしたら自分と似てるかもしれないと思ったよ。
まぁ個別の事情が異なるにせよ、おそらく誰にでも当てはまる事は、
①臓器としての脳の機能が弱っている
②認知の歪みが大きい
この2点のかけ算が社会生活に戻るためのハードルになっているということ。
①については発話能力や筆記能力が顕著に落ちた。段取り能力も落ちた。これはそういう能力を使う作業をすれば徐々に回復する。
弟さんの場合、家事はするそうなので日常作業に関してはあまり心配いらないかもしれない。仕事するための段取り力は不明だけど、やらなければならない事に漠然と圧倒されて身動きが取れないようであれば、GTDを習慣づけるのが自分には効いた。
それから、あらゆることへのやる気も顕著に落ちるんだけど、これを短期間で劇的に回復させる処方箋はないように思う。はてブの某先生がお題目のように唱えるアレを続けつつ、できる範囲を徐々に増やしていくと、結果としてやる気も回復していく。
②については最初に提案したようなカウンセリングを相性の良いカウンセラーにしてもらうか、それ関連の本を読んで自分で自分をカウンセリングするかが有効だと思う。自分の場合は本を読んで自分で自分をカウンセリングした。
と言っても、当時認知療法や森田療法を知っていたわけではなく、たまたま仏教の本を読んだ時に、自分の認知の歪みとその原因に気づいたといったところ。
とりとめなく書いたけど、我が身を振り返ると、引きこもりから脱するのも、脱してから引きこもる前の水準まで力を取り戻すのも、どちらも数年がかりだったよ。
弟さんのこともあまりせっつかず、長い目で見てあげてほしいと思う。時々会ってあれをしろこれをしろと言われたり、これからどうするつもりかと詰問されたりするよりは、安心して気の置けない会話ができることのほうが嬉しいし、力になると思う。
勉強に気が進まないなら、気晴らしを兼ねて読書はいかが。物事の観方と読解力が両方手に入って、大学受験の気晴らしには一石二鳥。
何を読むかだけど、増田の状況であれば、自分で自分自身を理解するのと自分の考えを整理するのに役立つ本がいい。
・仏教は心の科学 アルボムッレ・スマナサーラ(仏教僧)
■生き方の参考にする
・素人のように考え、玄人として実行する 金出武雄(工学博士)
■考えを整理して計画し実行する
・ストレスフリーの整理術 デビッド・アレン(経営コンサルタント)
全部ほんとうにおすすめ。ざっくり順を追って読むといいけど、もし一冊だけ手に取るなら「森田療法」を勧めるよ。
後は、ペースづくりのために相談に乗ってくれる相手をつくること。例えば、メンタルクリニックやジョブカフェで相性良い人を探すといい。こちらが現状を打ち明けるのを批判せずに聞いてくれて、一緒に考えてくれるけど、最終的にどうしたいかはこちらにゆだねてくれる人(いわゆるコーチ的な振る舞いをしてくれる人)がいると心強いね。
神経症を森田療法で治した患者は、しばしば元患者として先生のようにふるまうらしい。そういう風に人格変える治療なんだけどさ。
鬱病もセロトニン不足を治療しちゃうもんだから、幸福感が戻ってきたら、そりゃそういう性格になっちゃうこともあるんじゃないかな。
鬱病なんて、1年で9割が治って、だいたい再発しないんだから、別にマイナスでもないでしょとしか思わないけどね。
1年どころか、3年たっても、鬱病が~って言うのは、「重症例の鬱病」っていう、1割のレアトピックスだから、そういう感じで元増田みたいに、「鬱病の患者っは~」と主語でかく語るのは、ちょっと違うって毎回思うわ。
これまでいろんな病院行ってみたんだよね。
最初の小さなクリニックでは「相手の考えてることがわかる」と言ったせいか、統合失調症とか診断されて、リスパダールとかエビリファイとか飲んでたんだけど、副作用がやばすぎてやめたし、そもそも自分が統合失調症ってのもなんかちがうなあって感じだった。
そのあとアスペじゃないかと思って、大人の発達障害を扱ってることで有名な病院に行ったんだけど(というのも、ネットでよくあるアスペ自己診断のテストでぼくは超高得点だったから)、アスペじゃないねと言われた。最近なんでもかんでもアスペって言われたりして、アスペじゃない人が自分はアスペだと言い張ってて、病院は困ってるらしい。
で、森田療法やってみるかって感じでそういうの扱ってる病院行ったんだけど、自分で勉強してみるとなんかちがうなあって感じでやめた。
で、今の病院に通い始めてもう3年になる。投薬治療とカウンセリング。先生はやさしくて話は熱心に聞いてくれるからわるい病院だとは思ってない。最初の診断で、複雑性PTSDかなみたいに言われて(そんな病気存在しないらしいけど)、でもまあいまはふつうに社交不安障害+うつ病ってことになってる。社会復帰のためにそういう施設でSSTとかやってるんだけど、まあなんかうまく行く気がしない。
大学卒業後、父親にはかなり怒られてパニックになったりしたけど、障害者手帳取ってからはなんか優しくなったので、そういう意味ではよかったのかなと思うけど、でもまあプリントアウツにたいした意味はないかなあと思う。
専門家でもなんでもないのでカウンセリングごっこになってしまうが、素人意見として読んでほしい。
長文なので、思いついた対処法を簡単にまとめる:
以下、それぞれについて説明する。
それはたぶん「予期不安」というやつかもしれない。(以下引用)
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/1175/yokifuan.html
その他予期不安の説明↓
http://touch.allabout.co.jp/gm/gc/300233/
予期不安が襲ってきた時の対処法には、専門的なものがいろいろあるらしい。森田療法とか認知行動療法とか。カウンセリングや薬での治療ももちろんある。
増田はいろんな物事に具体的に対処しようとして一杯一杯になってるようだが、そもそも感じる不安の「量」が多すぎる状態に見える。つまり、過剰に不安になっている可能性がある。
とにかく、まずは今かかっている心療内料の医師に症状を説明して指示に従おう。説明がうまくできないなら書いた増田をプリントアウトして読んでもらう。
あと、「性格だから一生治らない」「自分は甘えているクズだ」「どうせ首になるし、もうだめだ」こんなふうに極端で強烈な言葉を自分に向けて言い続けるのは一旦やめよう。強い批判の言葉を休みなく浴びせ続けていると心が疲幣し、頭で考える力も体を動かす気力もなくなっていく。
あとで問題への具体的な改善策を考えるためにも、批判の声にはいったん遠くにいてもらって、今は心を回復させて落ち着くことに集中する期間だと考えよう。
考え方のポイントは、「自分を責めたくなる気持ちも分かる。でも、そこまで延々と強く言い続ける必要はない」。
医者やカウンセラーにまず相談するといいと思う。相談する人がいない、ということも含めて話を聞いてもらう。
医師に話して診断を受ければ、今の状態をどんな名前で呼ぶか判明するかもしれない。心の状態にはたいてい名前が付いてるから、それを教えてもらって「○○(名前) 相談」とかでググるとサービスはいろいろ見つかると思う。
あと自治体とかでカウンセリングサービスみたいなのをやってるところもある。自治体のウェブサイトとかで探せるし、問い合わせ窓口に電話してそういうサービスがあるか聞いてみることもできる。せっかく税金払ってるんだから利用しようぜ。
あと、会社の人や家族に相談するのは怖いかもしれないけど、「絶対に相談できない、してはいけない」みたいに思い込む必要はないよ。「今の自分はこんな状態だ」と報告するのは悪いことでもなんでもない。
繰り返すが専門家ではないただの素人なんで、あくまで判断は医師やカウンセラーにお願いしてほしい。(これは増田も同じで、「性格なんだ治らないんだ」と素人判断するのは危険。)
増田と同じく失敗や不安にとらわれやすい人間なんで心配になった。
長くなってごめん。少しでも楽になりますように。
集中力にはいろんな意味や側面があると思うんですが、ここで取り上げる集中力は「今取り掛かっていること以外のことをしたいと思う気持ちや行動を我慢する、抑制する力」とします
では、どうすればいいのか
そこで俺が提案するのが、タモリ療法です
精神療法には「森田療法」ってのがあります。有名ですけど、適当に説明します。
欝などで何も行動する気力が無い場合に、ひたすら何もさせないで寝かせておく。そうすると何かしたいという気持ちが湧いてくる。それでも何もさせないでおく。行動する意欲が強くなる。これが第一段階。次の段階では、とにかく行動する。行動しているうちにやる気が出てきて社会復帰というわけです
つまり、憂鬱な考えに「集中」して何もしたくないという段階から、「いろんなことをしたい」状態に持って行くのが、森田療法です
この逆を行こうというのが、タモリ療法です
集中できないのは「いろんなことをしたい」からですので、コレに対するやる気を潰して行き、目の前のことに「集中」させるクズ向けハックがあります
その方法は、「いろんなことを我慢する」です。イラッとしました? でも、もうちょっと納得できる形で説明します
我慢する=エクササイズととらえましょう
エクササイズにも難易度が高い項目と難易度が低い項目があります
難易度の大きな項目にいきなりチャレンジするからみんな挫折するんです
・コップの注いだコーヒーに口をつけそうになった時、一回だけ我慢する
・目や頭がかゆくなってもしばらくかかない
・お腹が減って何か食べたくなっても、5分だけ我慢する
・ネットサーフィンしたくなったら一回我慢する
・それでもネットサーフィンしたくなったら時間を設定する(漠然とサーフィンしない)
・扇風機やクーラーをいつもより弱くしてみる(一時間だけでもよし)
・汗を吹きたくなってもふかない
・蝿が停まっても動じない
このくらいなら難しくなさそうですよね。しかも一日にこなせる回数が多いので、そのたびに忍耐力が少しずつ鍛えられるというわけです。この制限回数や時間を徐々に増やしていけば良いのです
こうやって考えると、日常は修行の連続です。いつ何時でも修行は可能です
くりかえすうちに仙人レベルの忍耐力と集中力がつけられるはずです
がんばりましょう
ちなみに、何かに取り掛かるときは漠然と「集中するぞ」と思うよりも、「~と~を我慢するぞ」と、我慢する項目をイメージしたほうが効果的です
しかしそれは、肯定するということではない
ああ、自分にはそういう側面も居るんだなと思いたいということだ
そこの産みの苦しみがある
新しい自分を認め、産みたいのにそれには軋轢が生じる
私は、すまないという言葉が好きだ
済まないと書く、済まないだ
おれは捉えようによって、そしてそれを発言する時に込める意味によっては非常に多義的で含蓄があり、目の覚める納得を喚起する
一体何が「済まない」のだろうか
自分・相手の気分が終わらないのか、自分自身の未完成さを言うのか、失敗や責任は片付くわけではないという意味なのか
なにはともあれ、「済まない」自分がいて、「済まない」相手がいて、そこに付帯する色々な「済まない」事物がある
それをさらけ出して、認めるという意味が「済まない」という言葉にはある様に思える
それは、自分自身と相手とそこで起こってくる事に対して向き合えている事を表すのだろう
いるわけないよね。
友人が、でもいないかな
知り合いが、はどうかな? 居てもそんなに親しくない知り合い程度ならそんな話しないから、知らないよね
強制と言っても、合法というわけじゃなく、措置入院や医療保護入院じゃなく、手続き上は同意入院
自分はそこから逃げましたけど、毎日職員がどなりまくり、周りは本当に薬のんでる人ばかりで、ものすごいストレスで、胃か膵臓かよくわからないけど、背中の左下がかなり強く痛み、それ以来ずっと体調悪いです。 精神的にもそりゃものすごいトラウマです。しばらく数年は、働いたりして日常はこなしているものの、ずーーーーーっと、職員の怒鳴りや色々な事が浮かんできたり、という状態が続いてたし
逃げてすぐから2~3年くらいまでは、その病院の事だけじゃなくて、人間の死ぬ前に記憶が走馬灯のように蘇るという状態みたいに、色々な事が浮かんだりしてました。責めてる感じでばかりではありませんが、過去の記憶が責めるように浮かんだりという事もありました。そこに入れられる前はそんな事はありませんでした。自分だけ逃げてしまったという中に居る人への罪悪感のようなものもすごくありました。
その頃は、逃げてからずっとそうでしたが、対人恐怖、や不安感はずっとありました。怖さを感じながらもずっとそのまま、したいことよりもするべきこと(でしたっけ?森田療法でもいうやつ)をやってきました。
例えば、何が怖いか書き出して、そうならないようにするとか、
どういう事かと言うと、明日をも知れぬ運命、みたいなところはずっとあったので、これからどうするか、みたいなのを、書いて、今のこの状況はどこがどう不都合で、それを回避する方法は、こういうのとこういうのがあって、それをやるにはこういうメリットとこういう問題点があって、みたいな感じ
例えば、寮がある派遣(正確には業務請負)で働いてたとして、その土地が寒いから体の調子が悪いとか、困った上役がいるとか、ではそこからどうやって転職するか、色々条件を書いてシュミレーションしてみたり
普通 みたいな事を考えなくなってて、(普通というのは、感覚的に人が普通の感覚として捉えてあまり考えない部分とか、周りを見て合わせてる部分とか。うまく言い表せてないけど、フツウ何々だよね~みたいな)
ずーーっと何かが浮かんでくるという状況でも、割合平気だったのは、一度に2つの事ができないわけじゃないのと同じで、例えば歩きながらものを考えるとか、浮かんでくててもそれはそれとして、別の領域を使って作業するみたいな。
どうして、こうなるのかは、おそらく情報を求めて脳が検索してるのが、止まらないからじゃないかなと思った。何か新しい情報とか、気を逸らすような情報を入れれば良いのでは無いかと思って、そうしてた事もあった。
割合平気と書いたけど平気でもなくて、歩いてて止まってしまう(比喩じゃなくて)ような時もあった
普通の記憶が走馬灯のように、というのと、病院でのショックな事が浮かんでくるのとではまた違うのではないかと思った。強烈なショックを受けるとは、ちゃんと調べたわけではないしあくまで仮説だけど、脳内ホルモンが大量に放出されている状態なんじゃないかと思った。(脳内ホルモン?脳内麻薬?脳内物質?正確にはわからない、良い感情だけじゃないから脳内麻薬物質というのともちょっと違うかもと思ったので。 それとも強烈な体験と言うのはそれを癒すために脳内麻薬物質が放出されてるのかもしれない。結局一緒かな。 でも、脳内麻薬擬似物質とはいえ、体に害は無くても、やっぱり何かが壊れてしまったり調子が狂ったりという事はあるのではないかと思う。)
うまくいえないんだけど、普通に落ち着いてものが選べるような状況で、閉鎖的な状態に置かれているとかでなければ、人は感じたくないものを感じないし、心は開きたいものに開くだろうから、無意識に閉じたり開いたり、ちょうど服を脱ぎ着するようにやってるんじゃないかと思う。 ショックを受けた時というのは、それができなくなって、心が開きっぱなしになってしまって、それで付け困れたりするのではないかと思ったりもする。
相談でこういうのもあるし
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1274109.html 友人が両親に精神病院に入院させられました。長年両親に虐待を受ける側だったのですが、警察に相談したところ、けしからんという理由だそうです。その病院は、周りから評判が悪いし、薬の過剰摂取強制と暴力で知れ渡っています。
2年も通院して今さらだけど、精神科医には何を相談とか期待して通院したらいいのかわからない。
初診のときこそゆっくり話聞いてアドバイスとかあったけど、以降はお薬受診て感じ。
診察室入る→挨拶しながら即カルテにいつもの処方書き始める→ たまに処方に注文があればそれを私がいう→処方修正→診察終了。
体調に変化があったときにお互いの話のやりとりが報告程度に伸びるぐらいだが、それでも1回3分程度。
話があるなら院内カウンセラーに別料金、別予約日で、といった具合(院外でも可ではある)。どこもそうなのだろうか。
チーム医療というのか、職種分担としてはまあそれが正しいんだろうがそれでは患者はどういう受診をすると治療効果につながるんだろうか。。