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6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com
By: S Peter Davis
これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。
稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。
焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。
それは不寛容と反知性の象徴だ。
だが今回の焚書は違う理由で起こっている。
本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙な田舎の図書館だけじゃない。
おそらく世界最高の権威がある図書館、大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。
オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学やそのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。
今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された。
捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。
17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。
奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。
それをゴミ箱に捨てるのだ。
私は何度もその場にいた。
持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。
これはオバマの共産ナチ新世界秩序に操られたソビエトの秘密作戦か何かではない。
血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。
というのも……
誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。
囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。
蔵書であることが分かるようになっている。
その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。
盗品でないと分かるようにするためだ。
そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする。
そして、処理すべき本はとても多い。
図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。
図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。
選択肢は二つ。
学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、
また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、
というのがひとつ。
第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、
数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。
第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。
そうなれば儲けがでることもある。
ことに司書にとっては、それはまるで、
ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分だけが銃を持っているようなものだ。
それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。
このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本が引っかかってしまうことがある。
2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。
コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。
また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。
ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。
盗られるかもしれないからだ。
誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。
とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。
そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、
館長はそれを救えとは言えない。
捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。
どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。
みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、
ほとんどの場合、一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。
とはいえ司書がこっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。
2004年ごろ、ニュージーランドのビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。
計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り、
それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。
ご想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。
ある教授は図書館を「野蛮人」と呼んで学内に電子メールを回し、
図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、
職員と学生に呼びかけた。
私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。
一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。
それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。
たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。
ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。
本の廃棄を推進する人たちは、図書館の機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。
みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。
通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌の価格も少し変わるだろう。
さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。
そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。
これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。
その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。
そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、
購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?
ところがそれは図書館のパワーユーザー、学者と学生が毎日必要とするものなのだ。
必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。
どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。
というのも……
図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。
悲しいことだが、それはそれで仕方ない。
コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?
オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。
その図書館では、社交的空間を作るため、1850年代からの蔵書と新聞雑誌が廃棄された。
ピーター・スレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。
しかし、図書館の立場にたってみれば、それを要求しているのは、
彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである。
そして出版社は無数の本を出してくる。
ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、
一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。
問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。
この報告書でも分かるように、図書館へお金を出している組織は予算増額をものすごくいやがる。
図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。
ほとんどの図書館に他の当てはない(建物に放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。
本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。
2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた。
最近のハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。
小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、
巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。
現在の経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。
この動きは三十年前に遡る。
1980年代、図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。
本や新聞雑誌をスキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、
図書館ひとつがキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。
ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。
それによると、大英図書館、アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、
数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。
世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書がマイクロフィルムを掲げて
今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。
ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。
もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。
彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。
彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、
貴重な書物を捨てることは正当化できない。
道は事務書類で敷き詰められていて、
これが現実だ。
どうせ誰にも読まれないとは思うけど書く。若干わけわからない文章になってると思うけど、文句とかあれば書いてくれ。
あと自分は九州の人間だ。東北関係ないくせに偉そうなことな事言うんじゃねえとか思われそうだな。すまない。
だから「ミクっぽいから『はつね』にしようぜ」って気持ちもわかる。
あかつきに数枚のプレートが載るってことも大きい事だけど、列車名はもっと大きい。
おそらく、十数年にわたってその列車名が使われることになる。だから「ミクっぽい色」なんて短絡的な理由はあまり感心しない。
「はつかり」じゃ借金増えそうで不吉じゃね? "痛いニュース(ノ∀`):初音ミクカラーの新幹線を「はつね」に!…ネットで投票呼びかける活動始まる" http://is.gd/aSmjz
ですよねー RT @nerunerune: @nojiri_h この冬景気の時代に冬を知らせる名前「はつかり」よりも春を告げる名前「はつね」の方がしっくりくるしいいっすよね(´・ω・`) #E5_mikumiku
確かに、「はつね」は春を告げる明るい印象であると思う。
しかし、それだけで「はつね」がしっくり来るとは思えない。(少なくとも私は。)
「はつかり」はヨンサントオ、サンロクトオ以前から存在する列車である。(現在、「はつかり」として運行される列車は残っていないが…)
東北の方にはコチラのほうが馴染みがあるのではないか。 その点を考えると「はつかり」もしっくり来ると思う。
また、「はつかり」(初雁)は秋を知らせる名前じゃないのかな? 冬を知らせるってのは全く見つからなかったんだけど。
はつ‐かり【初×雁】
秋になって最初に北方から渡ってきた雁。はつかりがね。《季 秋》
ここまでさんざん否定したけど、「はつね」が悪いとは思っていない。
はつね 【初音】
鳥の、その季節に初めて鳴く声。特に、鶯(うぐいす)についていう。[季]春。《この里の通りすがりの—かな/山口青邨》
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/156908/m0u/%E3%81%AF%E3%81%A4%E3%81%AD/
といった意味もあるわけだし。
で、言いたいのは「ミクに似てるだけでそんな名前を応募するんじゃねーぞ」と。
こう言っては悪いけど、ミクとかの文化はこの年代だけに過ぎないのじゃないかな。(今後どうなるかは断定できないけど。)
それだけで名付けるのは痛い行為としか言えないような気がする。
普通の人は「地方が集まって国家が出来る」と考えているのだろうが、私は逆で、「地方は国家に依存している」と考えている。(ウォーラーステインやネグリやハートにはまた異論があるのかも知れないが)
地方というのは地方で独立している訳ではなくて、国家の一機関として中央との関係の中で初めて成り立つものだと考えている。国家が消滅したり、地方が国家との関係を断ったりしたあかつきには、その地方は地方ではなく、新しい国家になってしまう。
地方を国家が完全に吸収するような中央集権と画一化は、国家だけを強化するかも知れないが、国家の論理だけでは地方の問題にほとんど全く対処できなくなる。
国家と地方が同時に存続するには、地方は国家の論理を継承しつつ、地方独自の論理で動かねばならない。地方分権とはそういうことであって、国家への依存と国家からの独立を常に併せ持つ概念である。独立しつつ依存もするというバランスが地方存続のコツになるのだろう。(逆に国家は地方の論理を継承しなければならないことはない。地方の独自性を国家に全部フィードバックして国家の同一性を保つことは普通は不可能だ)
法の世界では、地方は国家に依存していて、地方の条例は国家の憲法・法律・命令、あるいは国家間の条約から逸脱してはならない。
選挙はどうだろうか。国政においては国民以外の選挙権・被選挙権を認めないことで、国家の人事(選挙と国籍)の中で整合性を保っている。
地方は? さっき書いたように、地方であるということは国家であるということを不可避的に含むから、外国人地方選挙権を認めると、国家の人事と地方の人事の間の整合性はなくなる。それは合理的か?
合理性を追求すると、国籍を取得するか、あるいは特別永住権は国籍と同等に扱うという規定が必要になるだろう。外国は地方に責任を負えないのだから、果たしてどのような理由で外国の人事(外国籍)が地方の人事(選挙権)を決定できるのか、という合理性を欠くのではないか。
強いて言えば、多民族国家のように、多国家地方という概念を導入するという手はある。条約によって地方を両国の共同管理下に置くという手だ(アンドラ公国みたいに)。こうすれば複数の国家が地方に責任を負うので、複数の国家の人事が地方の人事を決定することはできなくはない。人事だけで言えば多国籍住民票は既に実現しているので、やってできないことはないはずだ。
ただ、国境問題でそうなっている地方ならともかく、そういう緊急性のない地方がそれをするためには、何か理論的なパラダイムシフトが必要になるだろう。そういう地方分権論を誰か作るとコクが出るのではないかと思うが、それはちょっと私の手に余る。他の人の意見を広く問いたい。
会社によく電話がかかってくる。都心のマンションを買いませんかと。
話はこうだ。月10万くらいの35年ローンを組んで新築の部屋を買う。と同時にその部屋を売主のデベロッパの子会社である保守運用会社に貸し出す。運用会社はそれを消費者に転貸し家賃をとる。買い手=俺は運用会社から手間賃を引いた額を受け取る。だいたい9万くらい。部屋が空いてる期間も運用会社が家賃を負担するため俺が変動リスクにさらされることはない。そのかわり礼金は運用会社がもっていく。
すると差し引き1万くらいの出金でマンションを持てることになる。35年後にローンを返し終わったあかつきには中古マンションが500万弱で手に入ったと同じことになると。経年劣化で価値半減としても4倍の利回りになると。
これは臭い。だがどこに臭さがあるのかわからない。
ウォール伝「生成ユーモアの企て」http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108
2007-11-08 生成ユーモアの企て。CommentsAdd Starmimisemi2007-11-08 アルファブロガー・アワードってのにノミネートされたらしいんだけど、最初、ブ ログへの書き込み見たときにまたなんかの詐欺サイトかと思ったよ。前のmyspace でのライブに出ませんか?と同じ類かと思ってたら、割とちゃんとしてたっつーか、 推薦してくれた人がいたみたいで、なんだか驚きっていうか、今日は社会学のテス トがあってって昨日も書いたけど、今書いてるのは午前なんだけど、一応、学校行 く前に教科書でも読んでおこうかとか思ったんだけど、ノミネートされてて驚きだ ったからこの時点で思ったフレッシュなことをとりあえず書いておくね。 まず推薦した人のセンスというのは恐らくアングラ系に理解がある人なんだろうな って思ったわけだけど、別に俺がアングラぶっているわけではなく、基本的に色々 カイテルとそれがアングラ志向みたいになっちゃうんだよね。ようはメインストリ ームじゃないことっつーかストリームすらないようなことばっか書いてるんで逸脱 していくっていう、まぁその結果がアングラっていうカッコつきのワードで表され るわけだけど、何を書きたかったのかすでに忘れたよ。 あ、そうそう。推薦者に「推薦していただいてありがとうございました」なんてメ ールなり書き込みをするのは白々しいので、やりたくないんだよね。前のはてなス ターと一緒で、もう心が張り裂けそうなぐらい感謝しているんだが、あんま直接本 人に言いたくないっていう。ってことで推薦してくれた人がこれまだ懲りずに見て たら、耳蝉はこのことだけでまた明日から頑張って算数とかをやる気力が湧いたっ て思っててください。 人との係わり合いっつーか特にネットでの係わり合いは極力避けているのにも関わ らず、知らない人がこういうことをしてくれると嬉しいんだよねぇー。すげー自分 勝手。ところであとこの期待ね。おーなんか凄いことになってるじゃん!とかさ、 あ、その前に、「ニューヨークのコミュニティーカレッジに通う著者」って言葉さ、 いやー文字ってのは凄いよね。こうやって文字で現れると実態と乖離したイメージ というのが文字から生まれてくるというか、読み手に連想させるんだよね。なにや ら凄い感じじゃん。 まぁコミカレ自体は凄くないけど、ニューヨークってワードがコミュニティカレッ ジの質を高めてるっていうか、オクラホマのコミュニティーカレッジだとあんまス テータス高い感じしないけど、ニューヨークってのがね、コミカレの響きを高めて るっていうか、まぁそういうのがあるわけだけど、実際は「モトニートかそれ以下 みたいな引き篭もり生活をしていた著者が、死か無理な渡米かの二択を自分の中で 勝手に迫られて渡米というか亡命を決意しつつ、なんだかんだでニューヨークのコ ミュニティカレッジに通いながら、特殊学級の算数のクラスと読み書きのクラスを 受けている生活の中で綴るポスニート的ダイアリー」みたいなね。 ただ脳を掃除するっていう表現はさすがだなって思った。ちゃんと読んではるなっ て。前にも書いたけど精液が溜まりすぎると玉が膿んだような感じになるから一刻 も早く抜きたくなるじゃん?それと一緒で脳が膿むんだよね。色々溜め込みすぎる と。だから吐き出さなきゃいけない。音もそうなんだけどね。 あ、んでね、いつも書くようだけど、留学生っつってもピンきりで、今なんて恐ら く昔みたいな、50年代とか60年代とかに留学してたようなエリート中のエリートな んてのは本当に少ないと思うわけねっつーか昔はそういうエリートしか留学できな かったわけだけどっつーのも奨学金とかね、そういうことで。 ただ今ってのは割とカジュアルに誰でも留学できるんで留学自体がたいしたことじ ゃ無くなっているわけ。ただ留学とか「ニューヨーク」みたいなカッコつきのワー ドに象徴されるようなイメージだけが先行しているものってのはね、そういった昔 から継承されてきたステレオタイプの賜物なわけですよ。留学=賢いとかエリート とか金持ちみたいな。ただ今なんて違法でバイトしつつ英語学校に通っている日本 人なんて少なくないし、VISAがキレても惰性で違法バイト続けてはや10年みたいな 人もいるわけ。 ようはね、クローズアップ現代だかで見たんだけど、就職氷河期世代ってのがよう は年齢差別とかさ、日本って雇用っつーか社会が最悪だからっつーかまぁいいや、 仕事が無くてさ、んで中国行って電話のオペレーターとかやってる人とかいるらし いけどさ、時給が日本円で300円だったかな。ただまぁ中国語をマスターするっての とキャリアアップってのもあって日本で無駄なバイトしてるよりマシってことで行 ってる人も多いんだろうけど、こういうの見るともうすでに日本が先進国だなんて いう幻想はもうなくなったなっていうのを実感するよね。 それこそ本国で仕事が無いとか未来が無いんで海外に出て条件が悪くてもまだマシ ってことで仕事をしている発展途上国から来た労働者とかとあんま変わらないわけ。 こういう人達って。俺も同じだからね。元々日本というか日本社会が大嫌いで亡命 したという理由が一番だけど、でもまず俺みたいなもんに仕事があるわけないから さ、だったら同じ苦労でもこっちで苦労したほうがマシだってことなわけで、状況 的には独裁政権の国から自由を求めて逃れてきた移民なんかと本質的には変わらな いわけですよ。 まぁ俺の場合、親のサポートがあるからこういったシリアスな移民たちと俺を一緒 にするのは失礼なんだけどね。そういう意味だとあれなのよ、ニートが上京して専 門学校通うみたいなのをニューヨークでやってるってだけ。俺の場合。だから全然 たいしたこと無い。エリートでもなんでもないし、こっちの大学なんて高校レベル の英語が出来れば誰でも入れるんだから。卒業するのは大変だけどね。ってことで 留学=なんか凄そうっていうイメージはなくしたほうがいいよ。 こういうイメージが流布してるから短期留学でもなんか得られるんじゃないかとか いって来る人が多いけど、何にもならないよ。基本的に留学の先にあるのは似たよ うな資本主義型社会で、言語が英語ってだけです。そこでまぁ行動的な人は何かを 得るかもしれないけど、それはあくまで主体あってのもので、主体性が無くて、た だなんとなく留学っつーと凄そうだからっつって留学しても何にもならないわけ。 こうやって勝手に留学に対して変な幻想を抱いちゃうってのは、留学を売り物にし ている代行業者とかによるイメージの捏造もあると思うんだけど、やっぱなんつー かそれ以前にジェネラルに留学っていうこと自体に個々が勝手な幻想抱いてる気が するのよね。ただ実際はね、来てみて、それがニューヨークであろうがロスであろ うがイメージと全然違ってたっつって心身がダメになって帰るって人も多いらしい し、何も見つけられないまま英語学校にずーっといるって人も多いし、ようはね、 状況自体が何かを与えてくれるなんてことはどこの世界にも存在しないってことな わけよ。 主体性のないやつが違う環境に行けば環境によって様々なことが変わっていくとか ね、そんなことは起こりえないわけよ。あくまでそれは主体性があった上での前に 書いたようなソーシャルインターアクションによってパーソナリティが変わってい ったり認識が変わっていったりするわけで、そこに何らかの働きかけが無いとまず 無理なわけ。勘違いしてる人達ってのは行けばそういった経験が得られるんだって 凄まじくパッシブなままなんだよね。そんなんじゃ無理。 だから中身が何も無いまま自分探しっつって世界を放浪してもダメなんですよ。自 分が無いと何も得られない。ようはその環境から感化されるような感覚とか思考と かっていう人間の意志が無いとダメなわけで、ようは日本で拾った石をエジプトと かアメリカとかイギリスに送ったところで、石自体に何も変化がないのと同じなわ け。 この石状態ってのがスッカラカンな石人間の留学先で起こるわけ。ただこれは師匠 2っぽい言い方すると自明の理なわけよ。まぁ留学に限らずだけどね。もっと狭い 話でもいいや。どっかのサークルに参加するとかコミュニティに行くとかさ、それ で変わるかもしれないっつっても、主体性が無きゃそれは、その辺で拾った石をな んかのサークルに置くだけで、石自体に何の変化も起こらないでしょ。逆に人間っ てのは変な期待するから、そこでイメージと違ったとか、なんか予想してたのと違 うとかって思うわけだけど、そりゃてめーが石だからなんだよってことに気がつか ないとダメよね。逆を言えば意志さえあれば環境なんて二次的なものなわけ。 だから前に書いたことでちょっと思うことがあったんだけど、俺ってどうやら人里 はなれた山というのに桃源郷的な幻想を抱いてるんだなっていう風に思ったわけ。 こんなくだらないゲームはやめて、とっとと隠遁生活を送りたいって書いたけど、 隠遁生活なんて別に山に行かなくても送れるんじゃないかと思ったのね。 ようは心の中に桃源郷的なイメージを持っていれば、自分の部屋が桃源郷になりう るでしょ。別にそれは瞑想しているときでもいいんだけど、頭の中にそういったイ メージがあれば、実質、環境がどうであれ隠者的な生活は送れるんじゃないかと思 ったのね。まぁ環境も大事だよ。ナチ政権下で心に桃源郷を持ってようがそりゃキ ツイよ。 まぁなんつーかそこそこの環境なら別に心の持ちようっつーか、ようはその個人の 世界観によって自分の世界なんていくらでも変わるじゃんって思ったわけで、んだ から別に山に住まなくても、山にいるようなイメージを心に持っていれば、それは 山に住んでいるのと同等じゃないかってことなわけね。ようはそこで人生なんても のにはもう達観して挑むしかなくて、心に桃源郷を描くことに人生を費やせば、色 々と克服できることって結構多いと思うのね。 それはくだらない人間関係についてかもしれないし、煩悩かもしれないし、精神病 かもしれないし、不安かもしれないし・・・。結局こういったことを解決するのっ て内面的な力しかありえないわけだよね。薬とか環境の変化でどうにかなるもんじ ゃない。何しろ人間ってのはもう文明社会に生きているわけだから、社会からは逃 げられないでしょ。桃源郷が社会に存在しないなら、自分の心に作っちゃえばいい だけの話だよね。 まとめると、ようはこれってのは青い鳥と同じなわけで、幸福なんてのは外的なも のの中には存在しないわけで、そういったものを無理やり作っちゃうのが幻想なわ けだけど、青い鳥の「本当の幸せというのは鳥かごにあった」っていうのに準える と、本当の幸福ってのは心にありってことなわけで、まぁ基本的には師匠1の教え に行き着くわけですな。心っつーと深そうだけど、ようは気の持ちようだよ。認識 ね。基本的には。あーダメだ。話が逸れた!もうあと1時間ぐらいしか無いから教 科書読むわ。 いつもこんな感じね。寸前というよりかは寸前の寸前ぐらいにならないと動き出さ ないのね。俺。あ、そうそう。パリ症候群とかさ、あと日本の馬鹿な芸能人がハリ ウッドデビューとかアメリカで活躍するみたいなことに幻想を抱いているのも、今、 書いたことの良い例ね。良いっつーか悪いっつーか。事実とは関係ない幻想という ものに振り回されるほど不幸なことはないから、とっととそんな幻想捨てちゃった ほうがよっぽど幸せになります。 ところでアルファブロガーって影響力のあるブログの書き手のことを指すらしいけ ど、なんか今回俺のブログがノミネートされたやつは2004年から開催されてるやつ らしいんだけど笑っちゃったのが、Wikiで見てみたら「日本ではFPN(フューチャ ープランニングネットワーク)というサイトが「アルファブロガーを探せ」という 企画を主催しており、ここで選出されたブロガーを指すことが多い一方で、この企 画自体の知名度の低さの問題が指摘されている。また評価の正当性、選考の手法な どにも疑問が投げかけられることもある。さらに、このサイトが選出したブログに は社会問題となりうる虚偽に満ちたブログも含まれている。」だってさ。 かなり批判的。逆にちょーメジャーなしょこたんブログみたいなのがノミネートさ れるようなコンテストだったら俺のブログなんてノミネートされないだろうからね。 「虚偽に満ちたブログ」ってまさしくウォール伝も含まれるな。基本的にこういう のを一般向けに開催していたら、まず個性的なのはノミネートされなくて、ようは アカデミー賞みたいなそれこそ虚偽に満ちたアワードになるわけだけど、逆に俺み たいなちょー逸脱したブログみたいなのがちゃんとノミネートされるなんて、なか なかいいんじゃない?幅が広くて。ネクロマンティックとスパイダーマンが同時に 出展されるような映画祭って素敵じゃん?無いけど。 ようはたぶんこれってアルスエレクトロニカみたいな感じなんだろうね。えー? Cosmosが受賞したのぉー??っつって国際的にアワードの価値が疑われるっていう、 ウォール伝はそんなCosmos的な存在かもしれないけど、逆を言えばCosmosみたい なのが賞を取るアワードってのもアリなんじゃない?とは思うけどね。 あとラッセーラのソヴァージュもなんか受賞したんだよね。えらいアワードだよな。 それこそ評価の正当性やら選考の手法に疑問が投げかけられるわけでしょ。アルス エレクトロニカ。世間の評価ってこんなもんだもんね。しょこたんブログと並んで ノミネートされてたら、「他のノミネートブログが凄いね!」っつってなんつーか 比較で凄いっていうアホな評価になるわけだけど、他がさっぱり有名じゃないわけ の分からないブログとかばっかだったら「たいしたことねーアワードだ」ってこと になるわけ。大半の人はこんな感じ。 内容も見ないでこういった表面的なところで評価するわけね。映画のアワードとか もそうでしょ。ちょー有名監督がノミネートされてたりしたら、その比較として凄 いみたいなさ、まぁ大日本人みたいなもんか。正式に出展されたわけじゃなくて、 オルタネイティブ部門みたいなので、ようはネクロマンティックみたいなのでも個 性があるっつって選考されるような枠に選ばれただけなのに「カンヌ」って名前だ けで人々が勘違いするわけ。 で、誰もディティール見ないんで勘違いしたまま、みんな「カンヌ正式出展作品」 だと思い込んだりしてるわけ。アホだなぁーって思うね。マジで。まぁーでもあれ かねーやっぱ客観的に見てもCosmosみたいなのが賞を取るアワードって何?って思 っちゃうのは分かるけどねぇー。スーパーデラックスってさ、俺がまぐれでアート リンゼイのライブの時にDJした思い出の場所なんだけど、あんときのDJはヒドかっ たな。 選曲はいいんだけどミックスがヒドかった。イカに現場慣れしてないかっつーね。 あと10分ぐらいある曲かけちゃったもんだから、勝手に客が飽きてるって思い込ん で、いきなり別の曲かぶせてミックスしたりとか、ようは精神病的強迫観念すらも ミックスに影響してたりしたんだけど、まぁーでも楽しかったなぁー。 なんつーか「選曲良いですね」って言ってくれたお客さんが何人かいてさ、人との 係わり合いも悪くないなぁーっつかさ、あの時の経験がある一つの決定的な認識を 与えてくれたんだよね。 ようは独りよがりでやってるようなオナニー的音楽をやっているのなら評価なんて 求めないっていう、ようは人に「良い」って言われたいっつーか人と何かをシェア できるようなものを作りたいんだったら、俺は音楽を作るなんて諦めるべきだって 思ったわけね。だから俺は前者を選んでいるわけだけどっつーか選んでるっつーか 前者しか選択肢が無かったんだけどね。人と何かをシェアできるような音楽なんて 俺には作れるわけがないから。 そんな意味でもウォール伝は明らかに前者的な態度でやってるんで、そもそもアワ ード的な概念と繋がりがあるわけないんだよね。やってるっていうよりかは勝手に 出力したものをネットに乗っけてるだけだからね。やってるって概念すらない。た だ今回やっぱ嬉しかったのは、こんなブログでも推薦してくれる人がいたっていう ことと、何よりこんなブログのエントリーを主催側が許してるってことだよね。 まぁ逆を言えばこんなブログのエントリーを許してるから社会的な認知が得られな いのかもしれないけど、まぁそんなもんクソ食らえでいいと思うけどね。まぁただ 他のエントリーは大半がまともな人が書いてるちゃんとしたブログばっかりだった んで、まぁ俺のブログはネクロマンティック的な役割を果たせれば十分なんじゃな いかと。 「幅の広いアワードですわね」っていう。でもあれだね、過去にはきっこさんとか 選ばれていたらしいけど、他のも色々見てみてもなんつーか社会的に見れば「反道 徳的」なものも含まれるわけで、ようはエントリーの傾向が左翼じみているとかさ、 そんな批判も聞こえてきそうだけどいいんじゃないかと。 当たり障りの無いメジャーなブログ選出したところで面白くもなんともないからね。 まぁこのアワードを擁護するわけじゃないけど、ブログって極めて個人的な考えと か経験を出力できる凄まじくインディビジュアルな媒体なわけじゃない?これは逆 にメディアじゃありえないことなわけだ。 そういった媒体のキャラクターを利用してアメリカなんかではブログでソーシャル クリティーク的なことをしていたりっていう、ようは社会へのコミットメントとい うか人への影響力があるようなブログもあるわけじゃん?それがまぁアルファブロ ガーの書くブログということなんだろうけど、日本ってこういうの少ないと思うん だよね。俺がアルファブロガーだとはとても思えないけど、ただなんつーかせっか くネットっていうセンサーシップのない媒体があるわけだからさ、もっと個々が色 々なことガンガン書いていくべきだよね。 色々な意見があっていいわけだけど、そこで議論が生まれればもうそれだけで価値 があると思うんだよね。とりあえず色々なことをネットを使って語りつくすってい うね、そういうことが出来るわけだから、個々がどんなトピックでもいいからガン ガンやっていくべきだよね。それこそメディアじゃ放送できないようなこともブロ グならいくらでも書けるわけだからさ、ガンガン書いていかないと。 それこそWilliam F. OgburnのCulture lagじゃないけど、日本ってテクノロジーの発 達が凄まじい割に、ノンマテリアルカルチャーの部分がテクノロジーの進歩につい ていってない感じがするんだよね。 ようは人間側とか社会のシステム側がテクノロジーを活かしきれてないっていうか、 テクノロジーありきの社会構造みたいなのを提唱できてないっつーか、本当はテク ノロジーの進歩なんて社会自体を変えてしまうような可能性があるわけだけど、イ マイチ日本ってのはこういうところに鈍感なような気がするね。 そういう意味だとアメリカは割とこういうところにケイパブルなのかもしれないね。 だからさっき書いたようなアルファブロガーみたいな存在が出てきたりyoutubeだとか googleだとか、それこそ社会的に影響があるようなものがガンガン出てくるし、ユ ーザーも使い方に多様性があるんだよね。でも日本って使い方に多様性が無いんだ よね。ホント、個人的な欲求を満たす目的だけに使われている気がする。 具体的な例が無くてアレだけど、言ってること分かるでしょ?やっぱいつまで経っ てもアメリカの後追いじゃダメなんだから、やっぱ民度上げていかないとダメだと 思うわけね。まぁ一概には言えないけど、経済とか文化とか教育のレベルではアメ リカとの大差はそこまで極端じゃないんだから、国民のあり方によっては、それこ そアメリカから独立できるわけよ。でも独立しないのってさ、まぁ色々と政治的な こととか経済的なこととかがあるにしても、やっぱ民度が低いんじゃダメだよね。 少なくとも俺がアメリカに来てこっちはレベルが高いって思うこと自体がアウトで しょ。それってアメリカのレベルが格別高いわけじゃなくて、日本のレベルが低い ってことなんだからさ、そりゃマズイよね。あーまた話が拡散バズーカーしてきた。 あ、んでね、今はもう夜なんだけどっつーか今日は社会学の先生がなぜか来なくて、 みんな帰っちゃったのね。っつーかこっちでは15分経ってもプロフェッサーが来な い場合は授業は無しってことらしいんだけどっつーか まぁそんなのが一般的なのかどうかは分からないけどさ、ただなんつーか生徒が独 自に当日の出席票を作って後日先生に渡すとかさ、なんつーか15分経ったからもう 次行こうってああいうクイックなディシジョンメイキングはさすがだなって思った ね。日本だったら生徒がざわざわしててみんな座ってるだけだろうなって思ったも ん。こういう差を見るとアメリカ凄いなって思うのと同時に日本レベル低いなって 思っちゃうわけだけどっつーかまぁ安易な一般化はできないけどさ、これってもう モノの考え方の差なのかなって気もするけどね。 日本は周りの様子を見て慎重で、アメリカではとっとと独自に決断して次行っちゃ うっていう。周りの様子を見て慎重でっつーとポジティブだけど、まぁ頭使わない ってことでしょ。周りに流されてばっかっていう。普段から思考力が鍛えられて無 いからすげー流動的なの。すべての行動が。これって個々がどうのってより、もう 社会の特徴っつーかさ、社会によって個々の人格とか考え方とか習慣ってのがカス タマイズされるから、そういったアホアホな行動パターンってのが社会によって作 られている部分もあると思うんだよね。 それは言語と一緒でアホアホなパターンが身につきやすい日本社会に生まれた人で も、アメリカとか他の国で育てばその国らしい人間に育つっていう、ようは日本人の DNAとか性格がどうのって話じゃなくて、社会の話なんだよね。ってことでこの話 題の流れから行くとやっぱ話が教育になるわけだけど、まぁそれは前に散々書いた からいいや。 っつーかオナニーしたいんだよね。帰ってきてからメシ作ってさ、で、アルファブ ロガーにメールしてこれ書いて今に至るわけだけど、オナニーが無いわけよ。外に 出ると色々なインフォメーションが頭に刷り込まれるからズリネタも増えるでしょ。 俺の眼鏡ってそういう意味だと妄人メガネなわけだけど、妄人と違って俺は自分自 身で妄想ネタを色々と収集してこれるから便利だよね。 あ、そうそう。今後はあれなのかな、書くたびにケツに「クリックお願いします」 みたいな、よくブログにあるさ、ブログランキングとかの投票のあれあるじゃん? あれのテンプレートみたいなのをペーストするべきなのかな?まぁ一ヶ月ぐらいだ しいいかな。俺的には読んでいる人に投票を求めるなんて反革命的だなーって思う んだけど、やらないってのもアレだから、とりあえず投票ページのURLだけ書いて おくね。 https://www.sixapart.jp/inquiry/alphablogger/alpha_vote.html あと選挙期間内は政治家みたいに一時的な注目を集めるためにセンセーショナルな ことを毎日書き連ねていくべきなのかな?で、ベストなんたらに選ばれたあかつき にはとっておきの音源をアップしちゃいますよみたいな、特典つけるとかね。ファ ンキーキンキーアップするとか。 まぁいいや。このことは忘れよう。無駄に期待するとダメだったときに残念だし最 終試験まであと二ヶ月切ったしブログどころじゃないんだよね。過剰にブログに注 意をフォーカスするのも嫌だし、そういったことをすると俺の中の革命度が下がっ ていきそうだからやめたほうがいいよね。ってことで今までどおり時間があるとき に更新していきますので投票ヨロシク。っていう落ちはどう?って感じで落ちを書 いたりさ、投票ヨロシク(結局、頼むんかーい!)とか一人ノリ突っ込みするとか ってよく文章であるけど、最近、アメリカでも一人ノリツッコミが存在することに お笑いの普遍的な価値を見出しましたね。 生成文法ならぬ生成ユーモアみたいなのが人間にはあるのかもしれないね。ユーモ アといえば今日も学校の手前ぐらいでマサさんの波が来たんで、テストが今日じゃ なくて良かったかも。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108
もう既にどちらが持ちかけたというのはどうでもよくて、
小沢代表がある程度連立を視野に入れていたということが重要なフェイズに移っているから。
民主党も小沢復帰のあかつきには、安保関連の政策協議を検討する約束事まで作った。小沢があれだけの記者会見をしてしまったのだからどちらにせよこれからだね。
朝日・日経以外の毀誉褒貶はあったかもしれないけど、小沢があの会見をしてしまったことで結局マスコミにはジャブぐらいしか打てなかった。
行き過ぎはあったけど小沢があの会見をしたんだから小沢が連立も考えてた事は既に事実になってしまったということ。
だからこの後もみんな読売を信じるだろうね。