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そこで暴走族の車バイク、通称族車のトンチキなデザインがどっから来てるかを説明しようと思う。
増田は暴走族やヤンキーじゃないがはてなー平均よりはヤンキー文化に近いってくらいだ。
それじゃあ行くぜそこんとこ夜露死苦。
まずは「google:image:族車」で画像検索してくれ。
さて全然速く走る事に頓着が無いというか速く走れない族車デザインだが、元はレースカーや街道レーサーの特徴をコピーしていた。
だがそれらの文脈を考えずに合体され、更に右翼ファッションの流入によってスピードの文脈が無くなって形だけが意味を持つようになった。
でもファッションというのはみんなそうであってWWIの塹壕戦防寒軍服がビジネスシーンでの正装になったり、ゴールドラッシュの作業着が反抗の象徴になってカジュアルで定着したり、警官の防護服がハードゲイシーンで流行してからカジュアルになったり、と元の文脈が無くなるのはヤンキー文化だけじゃない。
新聞社に使役されていたプレスライダーである。プレスは報道の意味で事件現場で報道陣がしてる腕章に書いてあったり新聞輸送のトラックに書いてあるあの「PRESS」だ。
元々、速報性が重視される新聞社で取材記事の迅速な伝達を支えていたのは伝書鳩だった。新聞社では屋上に鳩舎を設置して多数飼育しており、記者は取材の時に鳩を連れて行った。現場で記事を書いてそれを鳩の脚に括りつけて放すのである。鳩は帰巣本能でかなりの高確率で社屋屋上に帰着する。
伝書鳩は1960年代、昭和40年頃には廃れるのだが、代わって登場したのがプレスバイクだった。
ところで何で電話じゃないの?というと、電話も使われていた。だが「市外局番」が出来たのが1965年、昭和40年頃なのだ。
これがどういう事かというと、市内を超える通話では交換手を通していた。だが事件が起きると記者が押し寄せ、役所や会社でも市外通話が急増するので交換手がパンクして延々と交換待ちになってしまう。つまり通話が困難になるのだ。この為に警察は早くから警察電話という専用線を整備していた。
プレスバイクは原稿や写真フィルムを受け取って現場から新聞社、若しくは駅でリレーして列車経由で社へと迅速、というか猛烈な速度で運んでいた。
そもそも当時のバイク乗りっていうのは不良である。そんな不良が、新聞記者、これも当時はブンヤで柄が悪く反体制的な気骨がないと務まらない職だった、そのブンヤに使役されて街道レーサーのような危険運転でぶっ飛ばしていた訳だ。勿論公道最速である。
こういう公共性と不良的な特性の硬派な組み合わせというのは今でも映画のモチーフになるし、憧れを産む。
という訳で、以下のようなプレスライダーの特徴が族車に取り入れられ、やがてスピードの象徴から遊離していく。
族車バイクはパイプハンドルを思い切り絞って手前側に持ってきたデザインが特徴だが、これはプレスライダーが上向きハンドルにしていたのに由来する。自転車と同じく、パイプハンドルでは固定ネジを緩めるだけでハンドルの角度を変えられる。
プレスライダーは渋滞では足をついて右に左へとすり抜けをするので、上体が起こせて視界が良く、車体を傾けてもハンドルが遠くならないアップハンドルにしていた。
プレスライダーは上記の通り足をついて渋滞すり抜けをするので、足つきが良くなるようにシートの「あんこ抜き」をしていた。着座部分のシートのスポンジを削って取ってしまう加工である。今でも背が低いバイク乗りはこの加工をする。
すると前後方向にも段が出来てニーグリップ(両足でタンクを強く挟むこと)しなくても前後に安定するという効果も出る。
族車はこれを大げさにして後ろに更に段を増やしたシートに交換したり、更にハーレーなどのシシーバーと合体した長い背もたれに繋がるデザインの三段シートになっていった。というか、ヤンキー相手の商材扱う会社が段々過激化していったのが原因だな。
プレスライダーは仕事なので冬でも走る。そこで後付けの風防を付けていた。元々実用品なのでカッコいいもんじゃない。
だがそれが「硬派」の記号となって族車に取り入れられた。
今やってる会社は無いが、昭和後期まで社用車というのは鉄製前部バンパー角に小さな掲揚ポールを付けて社旗を掲げて走るのが多かった。今は歩行者安全の為に前方に突起物を付けるのは車両法で禁止であり、宮内庁の御料車や総理大臣車以外はやっていない。
プレスバイクも新聞社の庸車なので前輪に垂直ポールを立てて「PRESS」のペナント(三角旗)を、更に四角い社旗も併掲するケースもあった。とんでもないスピード違反してても(プレスライダーは常に速度違反)警察はPRESS旗と社旗を認めると取締りしなかった。
暴走族の前身はカミナリ族じゃなくて街道レーサーのチーム(イニDの赤城レッドサンズみたいなの)なのだが、このスタイルが真似されてチームの旗をつけるという形になる。
これが1980年頃から「硬派」の文脈が右翼ファッションに転じた。この右翼とは1960年代の全共闘運動に対抗した新右翼で、80年頃には軍服着て国防色街宣車で軍歌を流し、軍旗である旭日旗を掲揚するという軍国主義憧憬路線が確立されていた。
ところでこの旭日旗は「プレスライダーのまね」路線ですでに族ファッションの中にあった。それは朝日新聞の社章でお馴染みだったのである。
故に既存のプレスバイクの社旗模倣の上に右翼ファッションの軍国標榜が自然な流れで合わさる形となった。
前輪の掲揚竿は大きさが制限されるので、大きい旗を後部に付けたり、二人乗りの後部乗員が手持ちするようになったのである。
この名残で、旗が付いていない棒を前輪から斜め前に突き出している族車もある。
同様の理由でタンクへの塗装や服のプリントへと波及していく形になった。
こんな風に族車デザインに過大な影響を与えたプレスバイクだが、盛者必衰で1980年代になると衰退して報道の現場から消えて行ってしまう。
置き換わったのは出先で使えないFAXじゃなくて無線と自動車電話だった。どっちも大きくて自動車必須で、汽車+バイクから自動車に置き換わったのだ。両方とも無線兵みたいな箱を担いで運用する。
それで職にあぶれたプレスライダーが流れた先は2つあって、一つは競馬/競艇新聞の運搬。予想欄の関係でレース当日に入稿されるので印刷所の前に多数のバイクを並べて待つ。刷り上がった新聞をバイクの後ろに括りつけて馬券売り場や競馬場の売店に急いで持って行くのである。
ただこれはレースが日曜しかやってないから臨時バイトの面が強い。
もう一つがバイク便で、オフィスを回って営業する。NYの自転車メッセンジャー便のバイク版だ。
こういう経緯なので初期のバイク便はプレスライダーと呼ばれていた。FAXが普及してもサンプル品の急送とか木型(鋳造で使う型)とか需要は多くあったが、白ナンバーの違法操業のところが多かった。
中にはちゃんと法人成りして営業免許を取り緑ナンバーにして特殊分野でのニッチを獲得したり、後に医薬検体輸送→検査会社と進化して自治体の出資を受けて三セク化したところなどもある。街道レーサー崩れからの地道なステップアップ人生であるな。
これは画像を見てもらった方が早い。こういうの暴走族で走ってるやろ? https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/26/Nissan_Silvia_Silhouette_Formula_001.JPG
量産車のガワだけを使って、中はエンジンも足回りもフレームも全部変えていいよという規定のレース車区分だ。シルエットだけ市販車で中は純粋レースカーなので「シルエットフォーミュラ」という。
これは日本では御殿場の富士スピードウェイと筑波サーキットでレースが開催されていた。
特に富士スピードウェイでは「富士グランチャンピオンレース」というシリーズレース(全戦富士SWでの開催)が人気を博していた。走っていたのはルマン24時間みたいな形のレースカーだった。
このレースの前座としてシルエットフォーミュラが開催されていて、こっちは街で見かける市販車ベースで無茶な改造がされているのでこっちも大人気、更に自分の車を同じように改造するのが流行したのだ。
族車で出っ歯にするのはこのシルエットフォーミュラの真似を大げさにしたものなんである。
更に初日の出暴走を「グラチャン」という理由も判ったかと思う。シルエットフォーミュラ風の改造をして富士山の方、即ち富士スピードウェイがある御殿場方面に東名高速を走っていくからグラチャンなんであるな。
因みにあの出っ歯は貧乏暴走族などではベニヤ等で手作りしてあり、強度が低いのでボンネット辺りから針金で吊ってある。
そんなヤワな造りのものが走行風に耐えられる訳もなく、ほぼ必ず途中ではがれて取れてしまう。または出発地近所の踏切でぶつけて引っかかってしまい、電車が来たら危ないので周りのおじさんや善男善女に助けてもらって出っ歯を踏切から撤去してもらい、「危ないよ~」とか言われてるのである。出っ歯も手作りで温かみがある上に重ねて温かみのあるエピソードである。ハリボテエレジーの如き侘び寂びの趣きだ。
で、出っ歯が無い普通の車として他の族車と一緒に東名を走っていくと、途中で交通機動隊が集中取締りをやっていてFRPの高級出っ歯車は皆とっ捕まってしまうが、手作りシルエットの方はなにしろ普通車に戻ってるからそのままスルー。
これは他の出走馬が前部倒れた後にハリボテエレジーが壊れた馬体というかダンボールを引き摺り走ってきて完走するのを彷彿とさせる。大穴である。
新書とは書籍の大きさを示す言葉になります。大きさは、およそ縦18cm×横11cm。新書判、B40判と呼ばれることもあります。
新書とは、大きさを示す言葉です。:【 FAX DM、FAX送信の日本著者販促センター 】
新書の歴史は1938年創刊の岩波新書に始まる。ドゥガルド・クリスティーの著作である『奉天三十年』の上下巻で創刊した。
1938年当時、文庫はまだ判型が定まらず、小型の叢書という程度の意味であり、現在の新書に近い判型のものも含んでいた。そんな中、すでに岩波文庫を発行していた岩波書店が、判型・内容ともに岩波文庫とは違うものとして創刊したのが岩波新書である。
古典を中心とした岩波文庫に対し、書き下ろし作品による一般啓蒙書を廉価で提供することを目的として、1938年(昭和13年)11月20日に創刊され、新書と呼ばれる出版形態の創始となった。
その答えは「新書」は1938年時点で新しいレーベルとして刊行されたから。
食パンの「新食感宣言」が1997年に発売されて以降、いつまでたっても「新食感」と銘打たれているのと同じ現象ということがわかった。
例えば公表されたFAXの一つはこれだけど、見事なゼロ回答だよね。
https://anond.hatelabo.jp/20210307141915
で、これがその前の財務省への照会。
問い合わせ
メール:kawareta.morioka@gmail.com
ファクス:019-656-8463
確かに同じですね
住所
019-662-3993(事務所)
https://www.city.morioka.iwate.jp/shisei/shigikai/giinshokai/giinmeibo/1014485.html
市のサイトには事務所として違う住所と電話番号が書かれていること、共産党のサイトに北松園在住という記述があることを考えると
買われた展の問い合わせ先と一致している上述のFAX番号は三田村市議の自宅のFAX番号だと考えるのが妥当でしょう
三田村市議のツイッターを見ると「私たちは買われた展」について準備段階からツイート、リツイートを繰り返していますね
まとめると要するに「私たちは買われた展に協力した三田村市議が自宅FAXを連絡先として使わせてあげてる」ってことですよね
これなんか問題あるん?
まぁ、下っ端プログラマには要らないだろうけど、いわゆるシステムエンジニアとかアーキテクトとか言われるレベルの仕事するには、なるべく知っとかないといけないよね。
オレの場合は、大学はかろうじて理系の一角だったけど、学問的にコンピュータサイエンスを学んだことはなくて、某IT会社でなかば業務上の必要に迫られ、なかば趣味的な興味本位もありで、ちょっとずつ勉強した。
で、もう20年くらい前だし、すでに廃止されてる(と思う)ので、守秘義務違反とかの面倒なことにならなそうだと想定してぶっちゃけると、大手携帯会社のショップで各店舗独自のプロモーション打ったりするためのWebシステムの開発に関わったことがある。
顧客の(および自分とこの)エライ人なんかに、システムの設計の根拠(この方式が最善なのか?もっと安く早くやれる方法はないのか?などなど)を常に問いかけられ、説明説得しなきゃならない。そこでコンピュータサイエンスに基づいて理路整然と話をすると、ちゃんと信頼してもらえるし、納得してカネ払ってもらえるw
そこで使ったのが、以下のような各種理論だ:
などなど... 自分史上最高に残業させられたこの仕事やってた年の年収は、900万円台おしくも1000万には届かなかったねぇw
--追記--
コンピュータサイエンスがらみの思い出でもう一個面白い(とオレが思う)ネタがあるので、ついでに書いとこうw
これは、上で書いた携帯会社のシステムよりだいぶ前のことになるが、とあるグループウェアの開発に関わってたとき、メールをFAXに向けて出力するドライバを書いたことがある。昔のことなのでオープンソースもあんまり普及してないし、タダでお手軽に使えるライブラリが見つからなかったので、「車輪の再発明」っぽいけど自分でハフマン符号化によるデータ圧縮のアルゴリズムを勉強して作ったのだ。
Win32のAPIとか呼び出して、ビットマップにテキストを描画させたとこから、ドットをちまちま数えて、白のドットがいくつ続いてたらこのコード、黒がいくつ続いてたらあのコード...って可変長のビットパターンをつなぎ合わせてファイルに書き出す...みたいな。これが理論通りにうまいこと動作して、FAXから文書が出てきた時はとっても楽しかったw
去年の夏頃から片耳にfaxの受信音のようなダイヤルアップのようなピーヒョロロ~ヒョロロ~みたいな高音の耳鳴りが続いていた。
耳の穴に指を入れて1部を押さえると強くなったり弱くなったりする。朝起きた時に聞こえて会社や外に出ると消える。が、段々日中でも耳をすませると聞こえるくらい頻繁に鳴っていた。
日常では困らない程度の音なのでそこまで気にしてはいなかったが少しずつ強くなっていったのでずっとこのままなのか、もっと酷くなるのかと段々不安が増えていった。不安でパニック症状が出始め今年の春からメンタルの薬を飲む羽目になった。
そんな中部屋の掃除で昔買った磁気ネックレスを見つけた。肩こりに悩んでいた時に購入して効果が分からなかったのでしまい込んでいた(肩こりはジョギングと筋トレで治った)それを何となく装着して眠った。
そしたらなんと翌朝に例の耳鳴りが消えていた。
磁気ネックレスのお陰だと思うが絶対にそうだとは言えない。ただネックレスを付けて1週間だが耳鳴りはごく稀に鳴るくらいで落ち着いている。
あんなに悩んでいたのが嘘みたいだ。
メールアドレスってもっと短く交換しやすくならないのかな。スパムが増えないように長いんだろうけど、技術でなんとかならないんだろうか。
自分は不動産業でこの業界はFAXが根強い連絡手段として根付いてる。なぜかというと、客に物件を紹介するにあたり、レインズで見つけた会ったことのない同業者に対し日付や金額を確実に間違いがないよう伝えなければならないので、手段はメールかFAXとなるのだが、メールアドレスは電話で伝えるには長すぎるしアルファベットは聞き取りづらいので、消去法でFAXが使われ続けている。
かといって最初からレインズの連絡先にメールアドレスを掲載しておくと迷惑メールだらけになるので多くの業者は載せたがらない。
でも全人口じゃなくて生産年齢の人口で考えると一人当たりのGDPは他の先進国と変わらないんだとか。
全人口で一人当たりのGDPを考えると、働いていない高齢者が増えるほど減っていくのは当然だと。
つまりなぜ日本の生産性が低いのかという答えは「高齢化が進んでいるから」。
みたいなはてナーの指摘は的はずれだったんだ。