はてなキーワード: 通勤とは
今月「二駅先までも同額だったぁ!」
1ヶ月定期でよかったわほんま
3ヶ月にしてたら狂っとった
しかも遠回りルート買ったのに所要時間まさかの近道ルートとほぼ互角なの笑った
しかも通勤定期を伸ばすことによって近道ルートも遠回りルートも合格
なんじゃいこれ!
身の回りではちょこちょこコロナの感染者出てたけど、自分は接客とかもないから知らない人と会うことはないし、飲み会も行かないし、通勤も車だから人混みにまず行くことがない
結局かかったのは、子供が学校か幼稚園かでもらってきたみたいで家族感染
子供は予防接種受けてないのにそこまで高熱にはならなかったので、小児科でもコロナ検査はされなかった
で、本題
モデルナの予防接種の2回目の副反応がきつ過ぎたので、3回目以降は受けないことにしていた
3回目を受けていたら今回かからなかったか、もう少し快復が早かった可能性はある
しかし、今回のコロナ発症のキツさと、2回目の副反応のキツさを比べたら、断然2回目の副反応のほうがきつかった
まあまあきついけど、あの副反応を経験してるから、まあそんなもんかー、という感じだった
副反応はこれまでかかったどんな病気よりも人生で1番きつかったし、もちろんインフルエンザよりきつかった
重症化させないために、どんなきつくても2回受けるのは仕方なかったと思っている
しかし、3回目は、これは本当にどっちでもいいなと思った
医療機関的には受けろというのはわかってる
でもあの2回目の副反応と同程度のキツイ副反応がもう1回ある、と思うとなかなか踏み切れなかった
仮に受ければ2回目と同程度苦しんだのだと思うと、コロナ本番の方が楽なので受けなくてよかったと思った
コロナワクチンの副反応が軽いなら、その晩37度出る程度なら別に普通に受ける
でも40度出て2日動けず、完治に4日ほどかかるワクチンはどう考えても受け入れられない
これなら38度が3日出て4日でほぼおさまるコロナ本番の方が楽なんだし、まじでワクチンのメリットがない
ワクチンをみんなに受けてほしいなら、ワクチンを受けた方が楽じゃないと一個人としては意味がない
何千人に1人かは運悪ければ死ぬよ、と言われても、そもそも感染が運悪くなきゃいけないし、そこからワクチン2回受けてるのに死ぬほど重症化なんてさらに運が悪くないとない
副反応があれだけきついなら、自分が死なない方に懸ける人は当然出てくるよねー
つうわけで
結局言いたいことはこれ
副反応がきついから受けない、きつくなければ受ける、という人は俺以外もそこそこいると思っている
副反応のキツさは個人差があるので、きつくない人は何も考えずに3回目以降受ければいい
俺は今回かかって、うん、やっぱりコロナワクチンは受けなくていいな!って思った
あ、さすがにノーガードはやばいと思うから、2回までは受けた方がいいと思います
まだの人は受けよう
めちゃくちゃきついけどね
現金を忘れ、支払いが出来ないと称して、交通系電子マネーを使える店で交通系電子マネーを使わず帰宅する
なお、下記を書いても理解できない模様
ないぞ。最近Suica利用圏に上京したか電車を使うようになったんかいな
沖縄なんかSuicaには対応してるものの、セブンもイトーヨーカドーもなかったし、
iPhoneでSuicaが利用可能になったのは2016年以降だが
SuicaやPASMOなどの交通系マネーのチャージがセブンATMなどで気軽に可能になったのは2018年10月以降でフツーにニュースになってる
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1809/13/news121.html
痴漢というと朝の満員電車、というイメージがありそれは間違いではないが、実際には空いてる電車にも出るし路上にも出る。いつどこにどんな状況で出やすいか適当にまとめた。
朝夕の通学通勤時間帯。朝は6時頃〜8時半頃によく出る。路上は露出狂や盗撮。一人、または少人数で通学通勤中の女性子供が狙われやすい。
昼間もそれなりに車通りや人通りのある午後2時半から出る。これは小学校低学年狙い。そこから午後6時頃までは路上は性犯罪者が出る。露出、声掛け、ストーキング、走って追いかけてくる、稀に拉致、強姦もある。
朝の通学通勤時間帯は必ず出る。混んでいるのとみな急いでいるから捕まりにくい。手も動かせないような満員電車でも痴漢の手だけは何故か動く、と被害者になった知人が言っていた。こちらは身動きできないのに痴漢はこっちのブラウスのボタン全部外していったと。なんなんですかね。
しかし痴漢は空いている電車でも出る。空いているのにわざわざ女性の隣に座る。べったりくっついて、寝たふりして触る。冬場だとコートを膝の上にかけ、コートの下から手を伸ばしてくる
。そういう痴漢は被害者が他の車輌に逃げても追いかけてくる。電車降りても追いかけてくる。
空いてる電車で被害者の向かい側に座って露出してくるやつもいる。大胆というかあたおかというか。
未だに痴漢や性犯罪者は満員電車か夜遅くに出るものだと思っている人は多そうだが、実際には明るい時間帯にも空いてる電車にもよく出る。
冷静に考えれば、ターゲットとなる被害者が多くいる時間帯に出るのは当たり前なんだよね。
だから子どもたちや学生、女性が通勤通学・帰宅してる時間帯が多くなる。明るいのに、顔見られるのに、と思うだろうけど案外捕まらんからね、性犯罪者。警察がやる気無いのかなんかしらんけど。
大学共通テストの日にネットで受験生狙った痴漢犯罪予告がネットに相次いだけど、警察は「受験生は各自勝手に気をつけて自衛しといてね」で済ませてた。
異世界ものとか田舎を舞台にした作品以外は基本的に東京近郊をイメージして作られていると思う。
舞台装置としての街並みや家、通勤通学の風景にそういう都会めいたものが現れやすいと感じる
ちょっとした田舎だと車通勤が当たり前なので電車や徒歩で移動すること自体が少ない。電車だろうが1時間に数本で全然混んでいないってこともよくある。田舎でもピンキリだがアニメの道路ってほんときれいだし、国道と県道と市道で雰囲気がガラッと変わるという描写もあんまりない。歩行者信号がないところで車が全く止まらなくて立ち往生ってシーンも見たことがない。
別にそういうものがあって何が変わるのってことだが、舞台装置としての街並みにも個性があってほしいなって。全部舗装されたレンガ調の歩道をビル群を背景に歩いているってのは、なんか画一的に見える。まあどれも東京のほうがやりやすいんだろうけどさ。
この前のスーパーカブとかは街並みをちゃんと描いていたが、ああやって地域性を全面に出さない限りはよくみる東京っぽい何かなんだよな。
今までコロナのせいで全社的に集まれなかったからって、冬になってから社員集めて泊りがけで保養地行って飲み会とか何考えてんだ?
流石に幹部クラスは出るのが義務みたいなもんだから仕方なくという感じ。
てか東京の人間はコロナが怖くないのか?と思ったけど、あんな過密の場所でリスクに晒され続けてきたら、我々地方住まいの人間とは、見えているものや感じるものが違うんだろうな。
それはそういうもんだとして、どうしても飲みたいなら東京の人間だけでやれよマジで。
でも思い返せば、コロナ以前から東京と地方の温度差は感じていたんだよな。
例えば通勤経費の精算。
二言目には
「その通勤ルートには電車もバスもあるじゃん、なんでそっち使わないの?」
じゃあ自転車にしていいっすか?と訊けば「危ないからダメ」と言う。
とにかく通勤は電車バス以外認めたくないらしいというか、電車バスが常識だろ?というのが思いっきり透けて見える。
あのさあ、電車使うとしても1時間に2本がせいぜいで、お前らんとこみたく3分待ったら次が来るみたいな場所とは何もかも事情が違うんだよ。
出張経費だって、片道100km以上の移動じゃない限り特急や新幹線は使えないし、高速道路も使えない。
どんな職業でも通勤時にもヒール履く決まりなんかないし、ヒール履いてるからって言い訳には宇宙を感じる。仕事で必要でもヒールはロッカーとか机の下に置いていけばいいし、通勤時は運動靴はいてる人沢山いるし。わざわざ人ごみの中ヒールで歩くとか馬鹿じゃね?って思う。
空調服という便利そうな服がある。
会社の近くで大規模商業施設の本格的な建設が始まってから作業者の人を
見かけることが多くなったがどうやら空調服は標準装備のようである。
いつも決まって背部には、謎の換気扇のようなものを書いていたものだが
もしも、その落書きを嬉々としてやっていた子供時代の私が現代にタイムスリップして
空調服を来た作業員の人を見たら、ぐわぁつ!さすが未来!!パワードスーツ着とる!!
と大興奮したあとに、あれはただの送風機で風を送っているだけなんだよ、と聞かされてガッカリすることだろう。
私も毎日の通勤で汗だくになることを考えると導入するべきだろうか?とよく考えていた。
しかし、結局のところを買うことはなかった。
理由としてはファッションとして空調服をうまく調和させる方法が思いつかなかったからだ。
ワークのテイストを取り入れる、ということをカッコつけていってる服屋さんは枚挙にいとまがないが
現代のワークにおいての最重要テイストである空調服を取り入れているものを見たことがない。
そういうきっかけを与えるのが天才とあとから呼ばれる人たちなのだと思う。
駅ではないですが、通勤途中、駅に向かう道で前を歩いていた女子高生がチラリと一度振り返り、意を決したように私の所へ来て話しかけてきました。
いくら必要なのかを尋ね、財布の中にあった500円玉を1枚渡しました。
「ありがとうございます!」
その子は駅に走っていきました。
数日後、同じく通勤途中に後から視線を感じて振り返ると、その子が居ました。
目が合いましたが、気にせず歩き続けると後から駆けてくる足音がします。
足音が少し手前で止まったので気になり振り返ると、自販機でコーヒーを買っていました。
コーヒーを買ったその子は駆け寄ってきて、「先日はありがとうございました。」と言って買ったばかりのコーヒーと500円玉を手渡して来ました。
軽く会話を交わした後、彼女は再び走って去っていきました。
「明らかに男よりも女の方が避けない」で一致していると思う。
これは自分の経験のみならず、過去の増田やその反応の数々(もちろん女性側からの声も含む)からも、そろそろ結論づけていいのではないかと考える。
個人的な印象としては、単体では「スーツの女性」の避けない率の高さが異常。
制服の十代女子は、一人だと道を譲りがちだが、「イケてそうな集団」では高確率で避けない。
地味な集団は道を譲る。
なぜか女子より「人来たよ」と注意する率も高い。
男子は何も考えていない。
そもそも「道を譲るグループ」「避けないグループ」で、自然と小隊がわかれる。
そして、たまに出てくる「イカツイ恰好をすれば避けてもらえる」というライフハックは、半分正解で半分ウソ。
それは、いかつくない人が「無理してイカツイ恰好をしてる異物感」に相手が反応して避けてる。
イカツイ・ガタイのいい人が道で避けられるかというと、意外と全然そうでもない。
身長180㎝以上でガタイが良い、武骨な顔のいわゆるゴリラである自分は、全然避けられない。
薄いサングラスをかけるとか、スーツに黒シャツレベルまでいけば別だろうけど。
(しかしブコメには坊主タトゥーですら、若い女性は避けないという報告もアリ)
ちなみにガタイと併せて、街中でテキトーな服に安いゴムサンダルとかを履いて歩くと、周囲は一気に避ける。
やはりガタイのよさ単体よりも、「不自然な格好」の方が避けられる原因だと思う。
特に若めの女性は自身の魅力を信頼しているからか、マジで避けない。
まっすぐ前を見て大股で歩きながら、絶対避けない。
「オスゴリラなんぞを私が避けてたまるか」という気迫を感じる。
なんなら、こちらに対し「道を譲らなかったら分かってんだろうな?」とばかりに、バッグや肘等での攻撃を準備し、「半身ですら避ける意思がない事」を執拗にアピールする。
(偏見だという人もいるだろうが、「道を譲る側」の人間なら絶対わかってくれるはず。マジで多いんだよ)
これらはガタイがいいスポーツマンなら共感する人が多いと思う。
こっちは縦一列になってるのに前方からきた女性二人組が一切避けず、コントみたいに壁に貼りついて避けたことがあった。
友人はそのことについて特に何も言わなかったので、(ここまで極端なことは例外としても)ガタイがいい人が避けること自体はあるあるなんだなと改めて思った。
人混みを見ていても、ガタイのいい人ほど実は人を避けるのがうまいと思う。
ぶつかってトラブルになったときに、見た目で「加害者」扱いされてしまうのだから、自然とそうなりがちなのだろう。
「ガタイがいい人間は向こうから避けてもらえる」というのは、実情と乖離した偏見だと思う。
ただ、一時期髪型をツーブロックにしていたことがあって、その際、「前髪を弄りながら避ける女性」が少し増えた印象だった。
この小さな出来事から、「イケメン・美女は、道を譲られることが多いのではないか」と推測している。
先ほど、イケメン・美女は道を譲られるのではないかと書いたが、
「避けない女性が多い」こともこれに絡んでいるのではないか、という仮説を思いついた。
「道を譲られない=美人扱いされていない」というプライドのために、「避けない女性が多数いる」のではないかという仮説だ。
実際、そうでもないと「若い女性に避けない人が多い」ことに、説明がつかない。
仮にもし、若い女性が「前方から時速4㎞(相対速度は8㎞?)で近づいてくる1.5m以上の物体」を認識して避けられないような空間把握能力なら、女性は日常を生きていくことなどできない。
小走りになったらほぼすべての物にぶつかることになる。
化粧品売り場など、ライブ会場のモッシュ状態になっているはずだ。
序盤に挙げた、「十代女子のイケてるグループは避けず、地味グループは道を譲る」も、この仮説を補強する材料だ。
もちろんこれはあくまで仮説にすぎず、安易な結論を出すつもりはないが。
人を避けながら道を歩けばわかることだが、「周囲の観察」が必要だ。
簡単に言えば、ぶつかる直前で不意に避けると、避けた先でさらにぶつかったり、隣の人がビックリしたりと不都合が多い。
それなりの人ごみだと、「その場で反応し、瞬発力で避けて対応すること」が困難になっていくのだ。
(多すぎると、逆に密な流れが出来て避ける場面も少なくなる)
そのため、道を譲る人は「常に(事前に)薄く広く」周囲を警戒し続ける必要があり、何mも手前から警戒することで人を避ける。
これをしていると、大体の流れや傾向がわかってくるのだ。
道を譲る人は、こちらと同じようにそもそもかなりの距離から予備動作に入っている。
そして避けない側は「避けないスイッチ」(なぜだ)を入れていることが結構多い。
「道を譲る側の人間」なら、避けない相手がこういう状態なのが、容易に認識できる。
この感覚を知らず、呑気に「心が広い方が避ければいいだけ」などと言っている時点で、「日常的に道を譲っていない人間」で確定なのだ。
※日常的に人混みを歩く必要がなく、その経験がないのか知れないが。だとしても、そもそも門外漢ということになる
※また、「前を歩く人間のあとをくっついて歩く」ことで、自分で回避する手間を減らすこともできるが、それも結局自分で「道を譲っている」わけではない。前を歩いている人間の労力を想像もせず、タダ乗りしているだけである
オッサンが道を譲らないという話もあるが、個人的な体感としては、
スーツを着てるときは避ける、私服でスーパーなどにいるときは避けない、という傾向がある気がする。
駅や街中などでは、老人未満(定年以下)の中年男性は、道を譲るというか、最小限の動きで自然にかわす側が多い印象。
この(長年の通勤生活で身につけた)「最小限の動きでかわす」という動きが、実はオッサン最大の特徴だと思う。
ここで思うのは、
世の中で「オッサンが道を譲らないでぶつかってくる」「ぶつかってきて睨んでくる」という説を提唱しているのは、
「一歩も避けない女性」ではないだろうか、ということ。
オッサンは最小限の動き(相手が少し歩幅をずらすか、肩を捻ればぶつからない)でかわしているつもりなのに、相手が「一歩も譲らない」ために結果的にぶつかり、「なんだこいつ」と睨んでいるのはないかと思うのだ。
そういう風に「わからせてやる」という意思でぶつかる人間は、ぶつかった後にわざわざ睨むことはないと思っている。
本来、「避けない」と「ぶつかる」は、厳密には違う行為なのだ。
「避けない人間」はぶつかった後に睨むが、
「わざとぶつかる人間」は下を向いてそのまま通り過ぎることが多い。
これは「道を譲る側」として、「周囲を薄く広く警戒」し、わざとぶつかる人も含め、オッサンを観察していて感じたことである。
しかし自分はオッサンにぶつかられる女性ではないので、詳しいことはわからない。
「小学生男子レベル」でマジで何も考えないで歩き、突っ立っているのをよく見かける。
(邪魔そうにして避けると、こちらに気づいて本当にびっくりしたような顔のオッサンとよく目が合う)
老人になると、
男女関係なく、道を譲る譲らない以前に、
「改札の出口で立ち止まる」とかそういう状態なので、これは話が全く違う。
老人はいたわりましょう。
私はフェミニストかどうかと問われればフェミニストなんだと思う。
女性をまんさん呼びする男の人に嫌悪感を覚えるし、女性が社会進出できるように仕事を頑張りつつ、社内で出産育児に理解を得れるよう意見を出すし。
しかし最近のSNS上でみるフェミニストに大きな違和感を感じている。
私の考えるフェミニストは男女の格差を無くしたり「女らしさ」とやらのために就業制限されることがないように活動したり、そういった性別のみの基準で格差が生まれないよう主張する人々だと考えている。
近年では献血の広告に胸の大きい女性キャラクターが使われたとかエロ本をコンビニに置くなとかいわゆる「性的搾取」の基準がおかしくなってしまっている「ツイフェミ」と呼ばれるジャンルが登場してしまった。
献血の広告に大きな胸のキャラが使われたことで、コンビニにエロ本があったことで一体何の男女格差が生まれているのだろうか?私には理解できない。そもそも男性が女性を(逆も然りだが)性的な目で見るのは至極自然なことで、そうやって子孫は繁栄しているのである。(今回はフェミニストについて話すので他LGBT関連の性については言及しない)
もちろん、性的に見たからという理由で無理やり行為に及んだり強要する行為は犯罪である。そのラインを理性をもって引くのが人間だ。
一方、もちろんフェミニストの方々の運動により恩恵を受けていることもある。
例えば、私からすれば電車の女性専用車は非常にありがたい。実際に被害にあったことがない人は想像できないだろうが都内の通勤ラッシュ時の痴漢の数は想像を絶する。盛ってるのでは思われるかもしれないが特に学生服を着ていた時は本当に毎週痴漢に遭遇していた。
友達と一緒に登校していようが関係なしだった。電車の中で露出狂にあったこともある。それくらい性犯罪者の数は異常だった。
痴漢される方に問題があるというような言い方をする男性もいるが、これは確実に否である。どう考えても犯罪者に非がある。これは法的に戦えばわかるが、明らかなことである。
しかし一方事実として、足を出していたり、学生服を着ていたり、そういった「見た目」によって痴漢遭遇確率が高くなってしまうというのは事実である。事実と善悪は別だ。
その対策として生まれたのが女性専用車であって、「痴漢に遭遇する」事実と「好きな格好をして出かける」という理想を掛け合わせた仕組みだ。これは女性がしっかり活動をして成し得た功績であり、非常に私も助けられた。
一方でこのような話をすると「男性も痴漢冤罪のリスクがある」という意見が挙がるがそれは別物である。
それは男性側が活動して男性専用車を作る等の取り組みをなすべきであって、女性へ不平等を訴えるのは些か疑問である。
男性も日々痴漢冤罪のリスクがあるから女性に痴漢遭遇のリスクを背負えということなのだろうか。そこは男性諸君に取り組んでいただきたい。
事実を逸脱した理想を振り翳したところで何の解決にもならないのである。
コンビニのエロ本を減らそうが献血の広告を変えようが性被害に遭わなくなるわけじゃない。
いくら会社に訴えようが、男より仕事を頑張ろうが妊娠、出産は女しかできない。
いくら筋トレしようがいくら護身術を極めようが男より力が強くはならない。
だから私は今日も女性専用車で会社に向かうし、昇進のために上司と自分のライフプランをしっかり話し合うし(妊娠、出産のプライベートの予定含め)護身用に武器を忍ばせて出かける。
今日仕事帰りの電車の中で、自分が好きなマイナー漫画を読んでいる男性を見掛けて
見た目も正直好みだったので声を掛けたい、知り合いになりたいと思ってしまった
SNSやマッチングアプリで探してもさっぱり見つからない、同じ漫画のファンでそれも通勤圏内という近くに存在している男性が実在するのに。
漫画の感想をあれこれ語り合ったりそれを通して親しくなったりといった夢を見てしまうのに
なんで現実にその場にいて、滅多にいないマイナー趣味が同じ(かもしれない)人を見付けられたのに、みすみす逃さなければならないんだろうか…
異性と、いや人と人が「出会う」って、なんでこんなにハードルが高いんだろう、って本当に寂しく思う
目の前に沢山人がいても、それは徹頭徹尾未来永劫他人であって、「出会う」対象にはならないんだよね
人口はとてつもなく多くて、どうやら男余りらしいと聞く都会の孤独
まあ声をかける事自体が許される社会だったとしても既婚や彼女持ちの可能性も高そうだし、そうじゃなくとも自分の容姿じゃ相手にされなそうだけどさ
これがもしも大学のキャンパスとかなら、上手くいくかどうかはともかく声をかける事自体がここまで不審がられたりはしなかっただろうか…?
いや、それでも無理かな
同じ大学の学生同士だったとしても親しくなるにはゼミやサークルといった取っ掛かりが必要そう