はてなキーワード: 被災者とは
チンポムの気合百連発、別に好きではないが「瓦礫撤去する被災者の若者たちとアーティストが、勢いまかせで思ったことを叫んでいる」という状況を隠して、「放射能最高!」といった悪ふざけ発言だけをピックアップし、被災地を愚弄した作品だという評判をひろめてる連中はアンフェアだな。— ロードランナー様(山川賢一) (@shinkai35) October 8, 2019
https://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1994497.html
チンポムの作品が今更炎上させられてる。正直怒りに震えている。これを反日作品と呼ぶのは、あまりにミスリードが過ぎる。
相変わらずの痛ニューには、作品の文脈を解説するものはなく、ひたすら切り取りと扇動のみ。キャプション読まなかったのか?展示の仕方が不適切!とか言ってるやつは、日本語読めないのかな。
本人のインタビューから、チンポムのこの「気合い100連発」という作品の文脈を紹介する。
これぐらいは、自分達で調べてほしいのだけど、そんな能力のない人間ばかりのようだから。
http://realkyoto.jp/article/talk_takayama-ushiro/
https://www.barks.jp/news/?id=1000072504
>2011年の福島第一原発事故からすぐのときに、原発から50kmのところの相馬市で被災した男の子たち6人と映像を撮った。
>震災後に現地で出会った、自らも被災者でありながらボランティアも立ち入ることが出来ない地域で瓦礫の撤去を続ける若者たち。
>Chim↑Pomの4人を含めて10人で円陣組んで、アドリブでガンガン気合いを入れあっていく。スクリプトはなし。言うことはばらばらで、何を言ってもいい。地元の子たちも盛り上がって、徐々にポジティブになっていく。「車欲しい」とか「彼女欲しい」とかボケ始め、最後は「放射能最高!」と叫びだしたんです。僕らはその明るさに衝撃を受けました。
>この作品自体は、反原発とか推進とか、政治的な立場はまったく取ってない。ただ、被災当時の若者たちのエネルギーをそのまま単純に映し出した作品。
つまり、この 「被曝最高!放射能最高!」は被曝を恐れず復興に尽力する当事者達の、まさにその瓦礫の中での発言なのだ。
映像を見ればわかるけど、最初は「復興頑張るぞ!」から始まってるし、「お母さんありがとう!」とか、「日本最高!」とか、「友達だぞ!」とか、「自衛隊の人ありがとう!」とか、写されてるのは全くもって普通の田舎の若者である。そんな被災者の若者達が、瓦礫の中で不安や怒り、やるせなさを抱えながら叫ぶ「被曝最高!」や「放射能最高!」は、どういった文脈にあるのか、少しは考えてみたらどうか?
こんなのは少しでもまともな感性があれば、フランクルのいわゆる「逆説志向」だって分かるだろうに。つまり、自分の力ではどうにもならない逆境に積極的に立ち向かう、明るさや強さの表れなんだよ。そういうエネルギーを作品にしてるの。
批判するにしても、それぐらいは前提としてくれよ。
何が「反日」だよ。何が「人間じゃない」だよ。何が「ただただ気持ち悪い」だよ。
頼むよほんと。
※追記
当人たちが動画の最後には「放射能最高じゃないよ」「ふざけんな」と発言してるが、痛ニューにリンクされてる短縮版ではカットされてるとのこと。
まだ停電地区もあるが、実家は電気はついていて屋根のブルーシートでの仮補修も済んでいた。それでも昨日の雨で雨漏りが酷かったよう。
支援物資はお陰様で豊富にあるようで、ブルーシートは役場で制限なく貰えた。無料炊き出しのホットドッグ屋さんがいたので、両親と自分の分をもらおうかなとお願いしたんだけど、それが最後の分だと言われて、後ろにも人がいたので譲った。増田自身は被災者じゃないし、実家には親戚や知り合い、増田が食料を届けているので食べ物に困っていたわけじゃないし。
地元のスーパーおどやに行ったけど、普通に営業していた。品不足も特にない。
食料支援を役場でする必要性は高くないように感じた。まだ停電している山間部や被害の大きい岩井袋とかで食料支援があれば喜ばれるかもしれない。
車が使えるなら、とりあえず生きていくのに大きな支障はなさそうだ。
ただ、雨漏りしないで安心して安らげる家がなきゃ日常なんて取り戻せない。
世間がこの話題に飽きてボランティアの人手が足りなくなるのと、復旧復興とどちらが早いか。
あとさ、家の補修とか壊れた家財の購入とかって10月になったら増税なんだよね…
雨で水浸しで建物としてはもうダメでも建ってさえいれば全壊にも半壊にさえもならないんでしょ?保険で補修費全部なんて賄えないだろう。補修は何百万の話だから2%は大きいですよ。10万円くらいは変わっちゃう。
あとさ、なるべく頻繁に実家に行ってやりたいけどさ、ガソリン代高速料金が結構かかる。社会福祉協議会を通したボランティアは高速代無料になるらしいけど、被災地の実家に帰るのはダメなんですかね…
報道だと雰囲気わからんと思うけど、まだまだ地震とかの被災地の感じですよ。実家の本格的な補修が完了するのはいつになるんだろう。
パイロット2人は墜落直前にパラシュートで脱出して無傷だった。すぐに海上自衛隊のヘリコプターが駆けつけ、2人を米空軍厚木基地(神奈川県)へと運び去ったが、それを知ったのはもっとずっと後のことだ。ヘリコプターは現場の被災者を救出しなかったし、米軍も自衛隊も、事故の発生を消防に通報することはなかった。
https://courrier.jp/columns/72159/?ate_cookie=1568735359
墜落現場近くの自宅にいた林和枝さんは当時26歳。息子である3歳の裕一郎くんと1歳の康弘ちゃんも一緒だった。3人とも全身に火傷を負って病院に運ばれた。裕一郎くんは翌28日午前0時40分に「バイバイ」の言葉を残して亡くなった。康弘ちゃんも未明の4時半に、「ぽっぽっぽー」と『鳩』の歌を口ずさみながら息を引き取った。
それまでも何度か災害の度に思っていたのだけれど
今回の台風15号の被災者の方々に顕著だなと思ったのが、テレビで取り上げられない=見捨てられている、と思っている発信者が多いということ。
当初は千葉に取材が来ない、自衛隊も来ない、と何度もSNSに書く人が複数おり、千葉に手が回り始めると「うちの島だって大変なことになっているのに」となり、さらには千葉県内でもうちの地域は見捨てられている、とあちこちから出てくる。
テレビで報道したものを見て行政は対応するわけではない(でしょう、いくらなんでも)のに、どうしてそこまでテレビで報道されているかどうかを気にするのか、実のところ以前から不思議で。
(特に、SNSで助けを求めた人を拡散する、渦中の人ではない人たちが「早く行ってあげて!」みたいな一言を入れてRTしているのを見ると、善意なことは分かるけど、テレビを行かせてどうするんだろうと思っていたし、同様にSNSで自衛隊にアクセスする人にも、これで自衛隊が出動できるわけではないのでは…?と不思議だった)
しかも今回とくに渦中の方々はテレビ見られない環境下にあるはずなのだが、テレビ見られる人たちが報道してない!と騒ぐものだから、それをSNSで見かけることにより、余計に不安を煽っているようにも思う。
こういうときの地元のテレビ・ラジオはかなり細かく情報を出してくれているので、役所がどの程度把握しているかつかめると思うのだけれど、求めているのはそれだけじゃなくて、第三者が知ってくれている、という安心感が必要なのだろうかと思った。
それを一番早く実感できるものが、今でもテレビなのか、ということに驚いている。
現場で復旧作業にあたっておられる方々、役所の方たち、現場ときちんとした指揮系統については機能したのだと思うけど、場所柄難しいとか、いろんな要因があるんだろうと思う。
被災者じゃないんでそんなの知らんがな
今後おなじ被害の遭われた方の為の
参考としてあくまで
◎私はSNSをしていません。
なので文章の上手な方、
漫画の描ける方等、
とにかく今も停電の続いてる方や
今後同じく被災された方向けに、
【被災時の状況】
私は県外出身で旦那の出身の千葉県で24歳・妊娠8ヶ月の状態で里帰り出産の為単身滞在。
この時の家族構成は義父義母(60代半ば以降)と認知症の義祖母(91歳、この方は義父母の避難や生活において1つの課題になるので後述)と
【9月9日の午前4:00から停電被災〜11日午前8:30頃まで停電】。
●全て30~35度気温の日。晴れ、晴れ、雨(復旧日)のち晴れ。
●一軒家、停電開始が午前4:00からだった為エアコンが切れている事に違和感はあるがカーテンを開けていつも通り動いた為、最初停電に気がつかず。
→判明後は
少し今後の為の避難準備を開始する。
→水が出たので明るい内に洗浄する事でそれ以降は使用)
●信号がついていないのに外を車が走っている
●トイレは2つで1階が自動水洗な為機能しない。使用禁止の紙を貼る。
テレビ、冷蔵庫、携帯電話の充電、風呂が全滅で、最初はスマホで情報を得た。
→【①カーテンや窓が手で開けられる
※開けた所で蒸し風呂です。
【②コンロがガスで火がつく】
という条件だけで
精神面がきっとかなり違う。
加熱した物を後3日間
家では食べていない。
(ガスや食べ物を車移動をして
外に求める事にした為)
●家電関連で助かった事、
1500Wの日中のみ使用出来るソーラー発電パネルが家に乗っていた。初日は実働した事がない為不使用で、2日目の日中から義母の提案により使用。
→スマホの充電と冷蔵庫と扇風機が日中だけでも生き返る事により「電気のなくなる夜」への精神的な備えと安定をかなり得る。
★11:00頃
近所のセブンイレブンにておにぎりとパンのラックのみが全て空、食べられそうなサンドイッチや卵等を見つけたと思ったら
「3時間無冷蔵な商品は売れない」との規約の為売ってもらえず、
まず直面したのは食料確保。
「営業している同系列店の立地とエリア(例:千葉駅付近は営業している)」の情報を得る
●精神的にはまだ余裕がある。
★私自身の祖母がたまたま安否確認の為に家の固定電話に電話かけてきた為、固定電話が繋がる事が確認。
→スマホの連絡よりまずは被災地の固定電話が通じるか否かをまず身内は確認してください!
→「お見舞い申し上げます!」等のLINEは不要、淡々と終日空いている公民館や電力会社のサイト情報や「今電気が通っている県内地域」の情報を送ってください。
物凄く助かった。
「15秒で見られる被災者に関わる情報(通電地域の進捗や避難場所等)」しか不要です)
→★ただし被災地の方が弱音を吐いたりしたLINEがきた時等には、当事者としてはものすごく心の支えになるのでぜひ返信してください。
(①スマホの充電が刻々となくなっていく絶望感は凄いので、ニュースだけを得る機械として使用した方がいい。
③復旧地域の人の「千葉県●●町復旧しました」Twitterのつぶやきだけでかなり救われた。
→停電3日目には台風が過去の話となりニュースが入れ替わりホテルで見たテレビでバラエティーばかりがやっていてそれらの情報がかなり減ってしまう)
④夜は初日から蘇我地域が復旧していたので、車を出してみて、ショッピングモールで外食。
この時点では「翌日10日復旧予定」と出ていたので朝ごはんの時をしのいで昼以降はまた考えればいいと思っていた。
→帰路にて左右の町内は見事復旧していた為希望を持ったが、
最寄り駅を超えた瞬間、
徒歩数百メートル区間違うだけで「自分達の家が恐らく確実に復旧していない現実」に段々直面していく道中となり
さすがに常にプラス思考の姿勢を見せる義父母達も心にダメージを負っていた。
→★本格的な精神と身体的苦痛を感じたのは帰宅した18:00以降の真っ暗になった家に帰った夜から。
→真っ暗な風呂に懐中電灯をドア外に吊るす、最低限のシャワーとシャンプー等だけ入浴。
→認知症の義祖母は、風呂ではなく濡れタオルで拭いて着替える事になったが目を離すと浴槽の蓋をあけて浴室に入ったりし「いつも通り」の動きをするので静止する。
→実はこの日の正午に「辛うじて手に入ったセブンイレブンの片手分しかない人数分はないパンを、お腹がすいたのか正午になると時間通り触り出す」等
★認知症の方のこういう「1日の本来ならするはずの生活のいつも通り」の行動に、要介護者と初共存生活をする事になった妊婦の私は少し精神を削られる感覚がした。
→恐らく慣れている介護している方にも同じ様に心労が積もる。
→トイレはLEDのスタンドライトを常時設置した状態で、事前に案内したので認知症の義祖母も夜間きちんとそこで用足しをするが流せはしない。他の人が入った際気づいたら流す。
(せめての義父母の負担減になるよう寝られない私がメインでしていた)
→固定電話で旦那に連絡、非被災時の旦那には正確状況わからず、非被災地の友人達や親類のふとした一言や数秒で電話を切られる対応に傷つく。
泣きつつ現状の本音を1時間程話す。「頑張れ」と言われ精神的に持ち直す。
【2日目】
→前日夜間は自室にうちわと懐中電灯持ち込みはしたが到底寝られず、
肌に触れるベッドや布のシーツが全て気持ち悪く感じ、眠いのに横になっていられない。
基本的にうちわで仰ぎ、窓の外の景色を見て1:00~3:00位の時間位に気絶したのか寝られた。
→旦那が置いていった自家用車に充電ソケットを忘れたとLINEが来た。少し救われる。
→
暑さに耐えきれず、思いつき
4:45~5:00まで、
夫の置いていった自家用車の
充電もしてみる。
低速充電モードだったが、
最悪少しは出来るのかと確認。
→スマホのバッテリーは40%台になっている。今日で電池切れになる事を覚悟をする。
→朝5:00頃諦めて起床(ほぼ完徹)、
私は軽度の熱中症により
フローリングの上で辛うじてまだ冷えていた保冷剤をタオルで巻き、2時間ほど寝ていた。
「日中の晴れた時にしか使えないが、リアルタイムで発電する為ものすごく便利」なシステムだった。
※Twitterにて、
→
1500W以内の家電の組み合わせ
冷蔵庫は40W、
使わない、
使わない)で
【スマホ、冷蔵庫、扇風機】の組み合わせで朝10:00程まで過ごす。
→★特に扇風機を出してきて使える点とスマホの充電が満了できる点。
→旦那の車が
テレビ・ラジオ・クーラーの役割を果たす事をこの日の朝確認した為、ガソリンを満タンに入れに行く事は早朝に決めて義父母に伝達。義父にも全ての車の操作を教え、この車をメインで使う事を共有。
★ついでに市街を周回、
★そこの町内のコメダでは待合時に備考欄に「電源」という文字が客側の欄に書かれていて、
→被害を免れた各店が
「我が家は水の汲み上げが電気システムなので、水も止まっている」との事。同じ境遇の人たちと話す事で気は紛れた。
店内は皆その住宅の住人らしい。
(近くの公的施設が9:00-21:00までは解放されていると町内会長が自転車で連絡周りをしていたが、
義祖母の環境が違うことによるストレスになるとの事でそこには行かず行けず、
飲ませないといけない為、
この時点で4人中2人が2泊エアコン無し家での2夜目確定で危険)
→
★ホテルの空室確認をタウン誌で1番最初から義父母がしらみつぶしに電話をかけて行くが見事に全て埋まっている。
全て埋まり、
空いてない状況。
→部屋の価格
¥20,000(空室紹介時)
→¥17,000(停電避難をしたい旨を伝え可能ならもっと安価はないかと問い合せて結局この部屋)
お世話になりました。
→夜にホテル室内で
12万戸まで減らす」と
電話あり、
どうかその12万戸には入りたくないと
ただその件は義父には伝える。
■この時、53万戸停電
【3日目】
「昨夜言っていた
悪天雷雨のため立たず」の
まあ、だよね.......」と
義母が言っていたが、
この朝65歳の女性が同じく亡くなるニュースをみて「同い年だよ!」と戦慄する。
→
★徐々に刻一刻と
「自分の身近に自分達と似た状況の死亡者が増え出す」環境になる事を自覚する恐怖が増える。
どこがどれだけ復旧したのかを教えてくれ!」と私と義母。
①9日初日は
「翌日の10日には復旧予定、
入っていなかった為
明日には復旧すると思っていた)」、
②終日復旧せず、
2日目の10日夜には
「翌日の11日には
減らす事を目指す
「目指す」なので
期待は当然してない半々の気持ち
③11日の3日目朝は
「本日中の復旧の見通しは
立たない(断言)」と.......
→
★延期発表が「明日中(以降)復旧」を
繰り返しすぎて少し振り回される。
初日から2日目ですでに復旧予定が覆っている為、非情な内容でも
正確な情報が欲しい。
→
が重なると
はなから今どこをやっていて、
どこが復旧したのかだけ情報が欲しい。
→チェックアウト後の、
過ごし方までも当然覚悟した。
→8:30頃
「もう一泊部屋を確保出来るならするか(テレビがある、電源がある状況を確保する事はとても心強く感じたが、
義父が3日連続して義祖母と家滞在になる為、義母は帰って公民館とかを
利用しないといけないか)」と
義父より「電気復旧きました」と
電話連絡があった為。
少なくとも我が家の
停電状況はここで終わる。
【今回の教訓〜停電編〜】
●認知症の方や妊婦や幼児等がいたり、高齢者のみだったりすると途端に避難場所の選択肢や「我慢できる事」の範囲が狭くなる。
でも例えば20代妊婦の私だけだった場合はネカフェやカラオケ等やラブホまで視野に入れて宿泊可能施設として使えるが、
今回は私以外が全て
65歳以上の高齢者だった。
そうすると本当にそこらへんの
電話をかけ続ける事になり厳しい、等。
少なくとも水ガスが普段通りの
停電になった際においては、
不足していない】。
→長期に渡ると必要かもしれない。
→ただただ充電が出来ない事と
明かりがつかない事と
暑さ寒さがしんどいので、
ただひたすら
日中は車のある人は
とにかく店が空いている時間は
【外に出た】方がいい。
→★家の中にあった方がいいものや
防災グッズを揃えるというよりか、
「もはや蒸し風呂に
なっている家が不愉快と
夜だけはどうにもならないので
だが本当に体感が厳しいのは
店が空いていない夜21:00以降
どこから誰から情報が入ってくるかはわからない為本当に情報と人の伝達頼り。
かなり精神的な安定を得られた。
早く見つかり、
また楽だったと思う。
多少のお金を出してでも、
空調設備の下に
逃げ込んで欲しい。
ガス火はガスにするか
卓上ガスコンロ常備。
(追記)
反応ありがとうございました。
もう被害の日数とレベルが私が経験した物をはるかに超え援軍物資が必要な被害レベルになっている為停電対策にはならないあくまで実録として残し、復旧進捗をTwitterにてRT協力していきます。
どの道具を備えるか、どういう行動を取るかは個々人のその時の判断で正解はないと思います。
今後参考になる箇所のみ使用して頂ければ幸いです。