はてなキーワード: 被災者とは
被災者にもかかわらず、なぜかやっかみでディスられている武蔵小杉。
最近はタワマン、古くは億ションなど、高級マンションと呼ばれる価格帯の物件もあるが、
ディベロッパーの観点では、タワマンや高級マンションはそんなに良い(=儲かる)商品ではない。
まず、一番儲かるのがオフィスビルだ。そういう点で、三菱地所は他のディベロッパーからやっかまれているんだ。
丸の内もってるって最強でしょ。スクラップアンドビルドを繰り返すだけで儲かります。
そういう意味で、再開発用の大きな土地があった場合、まず第一にオフィスビルを検討します。
なんてったって、オフィステナントと居住者では、金払いが段違いに違うし、流動性も高い。
で、オフィスビルの需要が満たないなぁという場所の場合、次に検討されるのが、オフィス、タワマン等を含めた総合開発なのです。
その次が商業施設とタワマン。さらにダメな場合は単発のタワマン。
というわけで、駅前にオフィス用途の高層ビルがある場合、その駅周辺の土地は更なる需要が見込まれる良い土地です。
逆に、駅前に居住用途の高層ビル(=タワマン)があった場合、その土地はタワマン以外の用途で開発できる見込みがなかった土地というわけです。
つまり、タワマンがニョキニョキ立っている武蔵小杉はベッドタウンとしての用途では需要があったのかもしれませんが、
水害の可能性やら、そういうものを一切取り除いたとしても、経済的な観点からは高級な土地では一切ありません。
そのため、暮らしている人たちが困っていることをやっかんでも、何の意味もないことです。
また、どこかで六本木ヒルズは自前のガスタービンを持っているから停電になっても大丈夫、タワマンも持つべきだ、という狂った言説を見ましたが、
そんなことはありえません。これはファーストクラスではシャンパンとステーキが出てくるから、エコノミーでも出すべきだと同様の意味です。
こんなこともあろうかと、というリスクヘッジには金がかかるのです。
最近、というほどではありませんが、文京区役所前の後楽園・春日周辺の再開発が主としてタワマンであることは個人的にショックでした。
最後にどうでもいいことですが、郊外にある大型ショッピングモール。
よく地元の商店街をつぶすとか、いや古臭い商店街など意味がない、新しいモールこそ最高だ、などといろいろな議論がありますが、
基本的に3年でペイします。最近はもう少しかかりますが、よほどへたくそなディベでなければ、3-5年です。それ以降はただ儲かるだけです。
儲からなくなったらつぶします。こちらからは以上です。
イラストレーターさんが台風で被災したひとへの応援としてイラスト描いてTwitterに上げるのはわかるんだけど
ネットアイドル?とかミスコンの入賞者とか顔の良い女の人が自画撮りと一緒に「被災された方々にお見舞い申し上げます」とかコメントするのなんか違う感がある。
A 被災者は受け入れるといつ言ったの? お前らだって避難所以外から出入り禁止食らってそこに逃げ込んでるだけの人間なのにどうして同類項のホームレスを差別してよいと思うの?
想像してご覧
超絶悪臭を撒き散らして知らん顔している奴らを
路上生活をしてはいけないと決まっているのにしているようなモラルハザードと一緒に暮らすことになった被災者のストレスを
遂に限界が来て追い出す追い出さないで入れる前以上の混乱が起きるさまを
最初から入れるべきなんかじゃなかったと後悔する時になって気づく
思い出して欲しい
相手はヤクザや不法入国者と同類の人種であるってことを決して忘れちゃいけない
甘い顔をして何かを渡せば当然のように全てを吸い上げられてしまうよ
皆で決めたルールに従わないことを当たり前と思うようになった連中に気を許しちゃいけない
災害が起こると、マスコミは情報収集に奔走して、落ち着いた後に被災者のもとへ取材に行くことを、リアリスト気取りに、
被災者を見世物にして、視聴率を稼ぐ守銭奴みたいにとらえる人がいるけど
でも、マスコミがテレビで被災状況を取り上げて放送しなければ、
災害前にガラスにテープ貼る必要性を感じる人なんて少なくて、こんなに盛り上がることなんてなかっただろうし
慌てて、風呂に水を張ろうとか、防災意識がここまで高まることなんてなかったと思う。
そもそも、今、公の電波使って放送してる局に「被災者をダシにして視聴率荒稼ぎ」なんてことをメインで考えて作ってるところはないと感じてる。(少なくとも関東圏では)
視聴率を稼ぎたいなら、災害放送なんてやらないで(どうせNHKでやるし)大人気芸能人が出るバラエティの方がよっぽど視聴率を稼ぎやすいと思う。
でもテレビは災害情報を発信してるし、公共性の高いテレビが発する情報は最低限の信頼性を担保してると思う。
SNSではやった災害前の窓ガラスにテープなんて、なんか賛否どっちを信じればいいのか、SNSだけでは判断付かなかった
マスコミを叩く風潮が蔓延してるせいなのかは知らないけど、仮にマスコミが死滅してSNSとネットだけになったときは、こういう時、日本は地獄絵図になると思う。
はっきり言ってヘドが出るほど低俗なものだとは思うが、表現の自由とはまさに『ヘドが出るほど低俗な』表現を守るためのものである。
(はっきり言うならば、津田大介が自分の対立者にもこの原則をきちんと守っているとは到底思えないが……。)
そして、誰かの権利を直接的に侵害するような表現(脅迫、名誉毀損、業務妨害)は認められるべきではないが、件の不自由展の展示作品は、誰の権利も侵害していない。よって開催は引き続きされるべきだと考える。
こう書くと、「福島原発事故被災者を侮辱するようなアートも含まれており、それによって福島原発事故被災者である俺を侮辱した」と言うかもしれない。だが、そのような主張は認められない。なぜならば、敢えてはっきり言わせてもらうが、『福島原発事故の被災者』に人権は無いからだ。
何もこれは、「放射能に汚染された福島在住者は遺伝子が変化して人ではない別の存在になってしまったから人権は認められない」などのように言っているのではない。
単に、『被災者個人』には当然として人権があるが、『被災者』という抽象的な集団には人権がないと主張しているだけだ。
表現の自由擁護の活動をしている山口貴士弁護士が集団的人権は認められないという点について解説しているし、あるいは弁護士ドットコムでネットで流行る「修羅の国・福岡」の書き込み 「福岡県民」は削除を要求できるか?という記事において福岡県出身の中島繁樹弁護士も『削除を要求はできない』と明言している。表現の不自由展も同様で、『福島原発事故の被災者という抽象的集団』『日本人という抽象的集団』には人権が無い以上、少なくとも法的に止めさせるべきではない。
無論、被災者や日本人だけでなく、『在日朝鮮人という抽象的集団』『同性愛者という抽象的集団』『女性という抽象的集団』にも人権はない。
津田大介の親の顔写真を踏んだり焼いたりする行為は犯罪か、というとこれは難しい。『津田大介の親』が生きているならば当然にその親に対する侮辱罪が認められるだろうが、故人であるならば微妙だ。
そのような行為を繰り返して津田大介が精神疾患になった場合はもしかしたら傷害罪になるかもしれない(※特定個人に無言電話をかけ続けて相手を不眠症にした行為が傷害罪として成立するという判例は実在する)が、不自由展を開催する程度には面の皮が厚い津田大介がそれで精神疾患になるのか。この場合の未遂は暴行罪(※字面とは異なり暴力犯罪では最も軽い罪であり、主に『暴力は振るったが怪我はさせなかった』場合に成立する)と扱えるかというのはおそらく判例がない(前述の『無言電話をかけ続けた』例も、相手が発病しなかったらどうなるかは不明)。がともかく、『抽象的集団に対する侮辱』と『個人に対する侮辱』は厳然として区別されるべきだ。