2022-06-25

プロライフ極北プロチョイス極北

中絶権利に関するコメントを見ると「胎児生命」といった素朴なプロライフ意見に対して「であれば乳児受精卵は?」といったプロライフ極北を問う指摘が寄せられることが多いように思う。個人的にはこの生命境界事例論争はあまり筋の良い議論には成りえず、理性(能力)を基準動物障害者が持ち出されるとそれ以上理詰めで話を進めることは難しくなってしまう。

他方あまりコメントがつかない印象なのはプロチョイス側の極北である中絶権利は直接的には「妊娠した子供を産まない権利であるが、この権利本丸は「多くの時間と労力を擁する出産育児自身人生において行うのか、行うとしていつにするかを決定する権利」つまり人生の決定権をより個人帰属させること」にある。

したがってプロチョイス極北は「自らの人生に置いていつ何をするのかは個人が決定権を有する」ということになる。これは古典的リベラリズム理想といって良い。よってここから議論はかなり能力主義に関する議論に近接する。「現に我々の多くは人生自己決定権など大して持ち合わせていないし、将来的にも実現不可能である」と不完全な理想として批判するか、「仮に各人が完全に人生自己決定できたとして、そのような完全な自己責任である人生は多くの凡人にとって地獄である」と幸福論に進むか、「各人が自分人生に対し十全の自己決定権を発揮した場合、そのような個人集団社会を維持できない」と集合行為問題に進むか、である

プロライフに比べると議論直感的ではないし、前提も長くなるので字数制限があるsns向きではないとは思うが、プロライフ極北だけでなくプロチョイス極北についても中絶権利を考える際には重要であると考えている。

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