はてなキーワード: 精神論とは
1年目はストレスで胃潰瘍になって入院したんだけど、見舞いに来た上司に、「何時仕事に戻れそう?」と聞かれて絶望して辞めた。
この仕事ってさ、精神論で片付けられてしまうって言うか、自分が一番精神論に頼って仕事してる感じがしない?
利用者の為、頑張ってる同僚の為、施設の為、って、「自分の為」ってことばなんてどこからも出て来やしない。
福祉自体が「人の為にやってる俺カッコイイ」みたいな精神論で支えられてるんだから困ったものだと思う。
そうじゃなきゃあんな薄給で働き続ける奴なんてのは、本当の聖人か、極度のMとしかいいようがない。
自分は2年ごとに仕事を辞めて職場を転々としたんだけど、自分に合う職場ってのは必ずある。
自分が辞めたら仕事が回らない、なんて思っているのだろうけど、そんなの奢りだよ。
自分が辞めたって施設は無くならないし、残った人間でなんとか回していってしまう。
仕事なんてそんなふうにできている。
自分を大切にできない人間は、本当の意味で他人を大切になんてできないよ。
片付けができなくて、本に頼ることを思いつく人に多いパターンが2つある。
・片付け方を知らない
・片付けそのものが苦手
そもそもニガテだのと言ってやらないのは、自身なのである。
このような本を買う人は「どうにかしたい」という思いは持っているはずである。
しかし、1冊の本で人が変わる人は稀であり、学習→反省→実行→手を抜く→投げ出す…というようなサイクルに陥る可能性が高い。
そしてまた「どうにかしたい」という思いが高まり、その類の本のリピーターとなる。
ただ、後者の方はスピリチュアル、風水、禅などのマーケットともシナジーを見込める。
とかそういうことなんじゃないかなーと、
兄弟へのプレゼントに、その類の本を選びながらつらつらと考えました。
とりあえず要らないものが多すぎるように見えたので断捨離本にしましたが、読んだ直後だけやる気があったようですね・・・
ちょっと聞いてくれ。俺はもう何が何だかわからなくなってきたんだ。
でもなんか、こんなことは増田でしか言えなさそうなんで、書いてみた。
前提として、俺はもうすぐ40になる地方公務員だ。働き出して20年近くになる。
曰く、仕事を覚えろ。毎日の仕事をもしこれが完成しなければ辞めるつもりでやれとか。
そう説教した人間は、毎日サビ残をして、予算書にくびったけで電卓を叩きまくっていた。
何を悩んでいるのかさっぱりわからなかった。いつも顔色が悪かった。胃薬を飲んでいた。
俺は紙で何億もの予算を管理するのは、大変で非効率的だと感じていた。
効率化しないのかと聞いたことがある。この場合は、パソコンでも使えと言う意味だが。
誰でもができる方法でないといけないから、変えられないと言う返答だった。
つまり、異動して次の人間が来た時に、その人間がパソコン使えない人間だったらどうするのかと。
知ったことかと思った。世の中には既にExcelもWordもAccessも存在していたのだ。
百年前の人間が紙と鉛筆で仕事していたからって、今の俺らも紙と鉛筆しか使えないなんてことはないだろうに。
結局、仕事そのものが忙しいので、仕事の遣り方を見直す時間がないのだと考えるしかなかった。
とは言え、組織の硬直性と言うものに直面した俺は、それを学習し、今後は何も言わないことにした。
言うだけ無駄だ。言えば言った人間が阿呆扱いされるんだ。やってられるか。
正直に言うと、俺はその仕事を俺がするんでなくてよかったと思った。やっていたら発狂するかもとも。
台帳を開いて、対象者を選び出し、書き写してリスト化し、全員に葉書を送る。無論、全て手書きだ。
ゲロ吐きそうだった。
既にコンピュータで処理している部署もあったが、俺の部署は場末だったので、そんな予算はつかなかった。
調べる限り、昭和47年あたりからずっと同じ遣り方をやっていたようだ。
何のためのこだわりなのか、全くわからなかった。これで一体誰が得するんだ?
本来奉仕する対象である自治体住民にとって、それは何か意味を持つのか?
俺自身も、台帳をAccessに入れようとした。
ただ、当時の俺はやはり未熟で業務知識も充分ではなく、
必要な要件を十分に洗い出せず、テーブル構造のデザインの時点で何度も手戻りしたりして、うまく行かなかったのだ。
こういうのは今だから表現できることだが、当時はどうして失敗したのかもうまく言えなかった。
その挫折もまた、上司たちにとってはサボりに見えたようだ。上司たちはデータベースと言う言葉を知らなかった。
そんな状況だったので、飲み会で俺は散々に哀れまれた。怒られたのではない。哀れまれたのだ。
そいつはお説教と言う形で俺を指導しようとした。ついでに愚痴も盛大に吐いた。
「お前さあ、縁故で入ったとか、そういうことない?」
彼は本気で俺のことが心配だったようだ。情には厚かったのだ。徹底的にスタンスは違って、多分今でも相容れないだろうが。
当時、俺の一族に公務員はいた。確かにいた。だが、その影響力をどうやって調べればいいのかは、未だにわからない。
縁故採用、突き詰めれば汚職であり腐敗なのだが、「あんたは汚職したのか?」と聞いてはいと答える奴はいない。
「仕事、うまくできてないだろ?」
是。それでもやっている。
「そうじゃなくて、言われた通りにまずはやれよ、何も考えず」
考えないと動けない。考えて、何をやると決めて、だから動ける。考えるなとは、動くなと同じことだ。
「……いや、指示通りに動けば」
そうやってきた。あんたも見てきた通りに。
「そうじゃなくて」
埒があかない。仕事ができてないと評価するならそれでもいい。なら、仕事の遣り方を示すべきだ。今すぐ。
「だから」
仕事の遣り方を教えてください。
「だから」
仕事の遣り方を教えてください。
「だから」
仕事の遣り方を教えてください。
しばらく黙った後、彼はこう言った。
「……お前は正しいよ」
だからなんだ、と俺は思った。俺が知りたいのは仕事の遣り方であって、俺の評価ではない。
評価は既に聞いた。同じことを何度も繰り返しても意味がないではないか。
結局、俺を仕事ができていないと評する割に、その基準が本人の中でも明確ではないのだ。
俺は彼を憎悪したと思う。どんだけ衷心から出た言葉や行為であろうとも、ただの老害の繰り言だ。そんなものを大人しく聞かされる身にもなってみろ。
その後も彼は何度か同じセリフを繰り返したが、俺は彼を無視した。
結局、仕事の遣り方は自分で体感するしかないのだ。試行錯誤して、実践の中でつかみとっていくしかない。
やっていく内に、いつかは開眼すると信じるしかない。つまり、今までと同じだ。
二つ目の職場を異動になった時は、俺だけが動いて他の人間は全く動かなかった。
期待されてない。そうか。なら好きにやるか。そう思った。異動自体はありがたかった。
頑張らなかった。最低限のことをやった。
仕事の効率化はした。自分の手の届く範囲で。それを周囲に提供したりはしなかった。求められなかったから。
言えばそれだけ煙たがられる。言わない方がマシだ。
人事からは何も聞かれなかった。上司からも何も聞かれなかった。異動し続けて今日にいたった。
「お前、すぐに異動するってことは、どういう評価を受けているかわかってるよな」
「わかってます。低いんでしょ」
「本来、新人が来るポストにお前が来た。お前の仕事は減らしてある。つまり、周囲に負担がかかっていると言うことだ。お前に大事な仕事は任せられん。だが、与えられた仕事はきっちりこなせ。その上で他人の仕事を奪っていけ」
40近い男が、ここまで言われたよ。これまでの20年は、全くの無駄だったってことだ。40のルーキー。すごいね。
「お前、惰性でここまできたんじゃないのか。仕事をする意味はわかってるのか」
「自治体住民のためでしょう」
「それがわかってるならなんで」
「自分のやってることが本当に自治体住民のためになっているのか、そういう実感を得たことは一度もないですよ。それぞれの職場で理屈はわかりますけどね」
「……」
「何をやったらそういう実感が得られるのか、俺には判らないです」
俺は散々におかしいとかずれてるとか言われた。だからなんなんだ。判らないものは判らないのだ。20年近く試してみたその結果だ。
そしてずれてるからなんなんだ。お前もやはり、評価するだけでこうすればいいとか言えない老害なのか。
肚が決まった。今度はうるさくしてやる。他人の仕事に首をツッコミ続けてやる。来年の異動の理由は「うるさいから」で決まりだ。覚悟しろよ糞野郎ども。
意訳できてないよ、元増田だけど
ただ、本質の一部を欠落させ色づけ・脚色された真実は時として人を動かすことがある
たとえば、「名誉だ!世界のためだ!」という言葉は承認欲求や生物の生存欲求が本質であるかもしれない
だから、承認欲求や生存欲求という本質を色づけしたものにすぎず、適用範囲や正確性には問題があるだろう
けど、「生存欲求のために頑張ろう」と激励するよりは「お国のために頑張ろう」と言った方が効果はあるだろう
いくら尊い精神論を振りかざしても自己犠牲で自殺することが難しいように
そこには限界があり、そういう場合には本質を踏まえた具体的な対応(医学や物理学、俺で言うなら行動分析学)が必要になる
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/article.php?storyid=536685033
あれだけ安倍が「領海侵犯を平然としてくる中国の侵略行為に対抗するため」って目的をはっきり言ってるのに、憲法改正の狙いがわからないって、真面目に病院に行って脳みそを診てもらった方がいいぞ。護憲派は、いい加減に憲法を守ったまま、中国の侵略行為に対向する方法を真面目に提示すべき。ただ「平和の精神を持っての外交を」などと述べるのは、精神論で玉砕した旧日本軍の生まれ変わりと揶揄されても仕方ないってことを自覚しろ。
人は人の殻を破れないので、「思えば叶う」というのは妄言に過ぎない
それは精神論・根性論に帰結するのであって、現実的には何の影響力も持たない
しかし、その正反対にある工夫や英知、努力や健全さなどもお飾りに過ぎないのですよ
そこに「人はより良いものになる」などという金メッキを貼りつけたところで、何も表せてはいないのですよ
同時に「人は堕落するものである」などと泥を被せたところで、やはり人の本質は捉え切れていないのですよ
そうして色づけされた真実は、その側面のどこかを欠落させるだろう
「しかし君ね、それではおかしいではないかと。真実に貼られたメッキや泥に過ぎない思想の価値を、君自身が認めているではないか」と
「思想によって人が救われないというのならば、君の言う行動分析学とやらは今まで以上に人を救うのかね」と
この時、「思想で救われるものなど一つもないのですよ」という命題自体が思想であることになり、形骸化すると同時にその有用性を主張するようになる
以上でオチが付いたということで、あつちへ行つてくれ。私は、もう、ねむい。
http://president.jp/articles/-/8136
最近は、知性のない老人男子の代名詞として「老害」と言われるようだが、キレる若者世代の私からすると、彼らはハングリー精神さえあれば全てが上手くいくと思っている精神論者に見える。なにしろ私たちの世代は、小さい頃からリストラ、倒産などあらゆることで不景気な社会だった。とにかく勉強していい学校に行き、いい会社に入り必死に働いたとしても報われないという思いが強くあった。ブラック企業に入社したときの同期はほぼ全員が身体か精神を壊しており、ものすごい罵声が飛び交い、ハングリー精神どころではなかった。先輩たちの気持ちも消沈していたし、横のつながりもすぐに切れた。
ところが、社会が貧しくなるにつれてハングリー精神などと言ってられなくなっていき、悪い意味での上昇志向すら低下してきた。特に約20年前に、特に苦もなく就職したような連中が、競争社会だなんだと言いつつ社員を養う気概を失ってしまった。グローバル化が進展する中で、ビジネスチャンスを捉えた韓国や中国に後れを取っても指を加えて見ているだけの結果になってしまった。
「お前が甘えてるのが悪い」≒「俺は悪くないお前が何とかしろ」
↓
彼は、以前の会社の同僚で、頭が良くて仕事が出来たので、仲良くなってから、よく飲みに行っていた友達だ。
SIベンダーでリーダーをしており、最近かわいい子供も生まれて忙しい身だけど、久しぶりに飲みにいけることになった。
ほとんどが、仕事とか、家庭の話だったけど、チベットとかそういう話になったのがすこし面白かったので、書いておく。
俺)最近、オリンピックとかチベットとかの話題で、いろいろあるけど、そういう事を言われたりする?
彼)いや、みんなプロジェクトの事で頭がいっぱいで、世間の話なんかできないよ。
俺)ははは。
彼)でも、奥さんは、中国人とわかると嫌がらせはあるみたい。前からだけどね。
彼)それは、君でしょ。結婚したとき、毎日僕に犯罪者とか言ってた
彼)保育園とかは心配だね。できれば、区立のを使いたいけど。知り合いは、中国人が使うのはおかしいとか言われたらしいから。
俺)どうしても個人を超えた問題になるんだよね。きちんと調べたら、分かるんだけどね。
彼)民族問題や歴史問題は難しい。チベットのことは正直よく分からないんだ。でも、世界中でも大きな国で歴史的に真っ白な国はないでしょう?
事実を一面的に語ることはできない。
俺)でも、チベットの問題では結構強硬的だよね。そういうのは、いまの中国にとっても良い方法ではなかった。
彼)もちろん。人が死んだり傷ついて、泣いたり憎んだりするのは、悲しいよね。誰も望んでないよ。政府には、もっと上手に問題を解決できる人も多いけどまだ力が無いみたい。
俺)中国は変わると思う?
彼)さあ。
でも、ビジネスがもっと好調になれば、今のやり方では難しくなるかもね。誰かを犠牲にしたり、敵対しつづけるのはビジネスとして賢明ではないからね。
でも、それには時間がもうすこし必要だろうね。むしろ、日本が変えればいいのにと思うよ。
俺)ええ、そんなことしたら、外交問題とか言われてとんでもないことになるでしょ。
彼)直接的に言ってはだめだね。日本のほうが先進国だろう。教えるには、良い方法を知っていないとダメだね。
俺)どういう事?
彼)今、会社で新人の研修もしてるんだよね。プログラムもそうだし、エンジニアとしての考え方ね。そういうの。部長が精神論とか講義したりするのもあるんだけど。(笑)他の人が教えてるの見ててさ、中から変わらせるのがうまい人っているでしょ。
俺)癖になっていたり、慣習になってると変われないからね。
彼)そう、でも変えてもらわないと、チームの生産性が落ちるし、本人にも良くない。そういう事。技術は結構時間掛けていいこと教えても本人がモードに入ってないとダメっていうか。
彼)厳しいプレッシャーかけても、自分でも無茶な仕事が出来るとか発見はあるけど、持続できないでしょ。本人が気づくのが大事じゃない。「こっちのやり方だと便利だ」とか「この方法が効率的だ」とか。そういうのwikiに書いても、みんな読まないし、グループセミナーで話しても効果ないじゃない。
彼)タイミングね。
だから、わざと課題に困らせるもの入れておいて、でも、目の付くところにヒントがあって、本人が自分で発見したように思わせる。そういうのは、ちゃんと身に付く。
俺)たしかに。
彼)だから、覚えて欲しい方はそうやって、一度苦労をさせて本人に気が付かせる。教えてない、本人が勝手に気づいた。でも、チームはそれで幸せ。本人も幸せ。
俺)うまく行ってる?
彼)簡単だよ。間違ってる方法をやってれば、絶対にどこかで困ったりするから、そのタイミングを見てればいい。そこで、そっとパスを出す。
俺)なるほど。だから、日本も中国にパスを出せばいいんじゃないかと。
彼)そう、日本は世界中のどこにでも、パスを出しやすい立場にあるよ。世界っていうか、そういうのでしか変われないと思うんだよね。人間は。
彼)中国人は政治とか体制にほとんど興味がない。だれがリーダーかとか歴史とかには、本当はどうでもいい。おいしいもの食べたいとか、かわいいことSEXしたいとか
俺)それ、世界共通でしょ
彼)いや、中国はたぶん一番直感的だと思うよそれで何回も歴史が変わってるから
こんな話だったかな
主体出版(しゅたいしゅっぱん/チュチェチュルパン)は楽天株式会社(楽天)で行われている主体思想に基づいて電子書籍流通を目指す出版法。
元来楽天はインターネットの総合サービスでネットショップモールとして開発が進められていた。そのため、ここに買収されたカナダkobo社による電子デバイスの発売が課題となり、三木谷浩史の指導によって進められた。
しかしその実態は、観念的発行点数に疑念を持たずに三木谷浩史の指導に服従し、精神論のみでやり抜く事を要求するというもので、伝統的書籍販売も科学的知識に基づく電子書籍もまったく無視しているため失敗し、楽天の電子書籍事業とそれを背後で支えるkobo開発部隊が破壊され、かえって収益減をもたらしたと言われる。程度こそ違うものの、ソニーやシャープもかつて同じような事を行い(ソニーの場合はリブリエを、シャープでは岡田圭子の指導やガラパゴスの顛末を参照)、大失敗している。しかし対外的には「大成功だった」と喧伝されたため、過去の過ちから学ぶことなく、楽天も同じ間違いを繰り返す事になった。
例を挙げれば、「コンテンツが足りないならギター譜を書籍に変えればよい」とする単純な理論を振りかざし、アディインターナショナルと契約してギター譜や1枚写真集を造ることになったのだが、三木谷浩史が実体のないコンテンツ水増しを指示したがためにコンテンツの種類が増えれば増えるほどkoboの評判は崩壊したという話がある。このような強引な出版によりkoboマーケットはゴミコンテンツの掃き溜めとなり、ゴミコンテンツがリストに溢れて、ひいては検索が困難となる原因となった。ISBNにおいては無断割り当てを引き起こし、国際管理番号という目的に反し独自コード、ひいては商品番号への変更を招くこととなった。またwikipediaの規約違反で著者情報にDRMがかけられ、謝罪もなくDRMが外されてしまったため企業モラルまで不振に陥ることとなってしまった。
また、wikipediaの著者情報書籍化やギター譜や1枚写真集における常識外れと言える水増しを指導したために、一時的に発行点数は上昇したもののユーザーの批判によってkoboの評判が崩壊し、また青空文庫の無断使用によるコンテンツの供与が絶えたこともあり、多くコンテンツが形骸化と呼んでも差し支えないほどの惨状を呈している。しかし、勝手に出版物の内容を改善したりすれば命令に服従しなかったと言う理由で処罰される可能性が大きく、また当然ながら最高指導者に意見できるわけもなく、この惨状はある意味放置されている。
このような惨状に対し、官僚たちはユーザーレビューを政策の失敗をごまかす材料に利用して、各社からのコンテンツの支援を仰ごうとしており、三木谷に至っては「細かいことで騒いでいるのは少数派ですよ」とマスコミに嘘の宣伝をし、それを聞いたユーザーも、本当の原因を言わずに会社のためと納得した(していない)。
近年小食率が著しく低下しているのには怠けグセの影響が少なからずある。
こうした社会問題を考察する場合に盲点になりやすいのがいわゆる精神論である。
ではなぜ怠け者が増えたのか?それを一緒に考えてみたい。
・食生活の近代化にともない栄養過多の食事が当たり前のものとなったから
・テレビや漫画にド根性系のストーリーが姿を消しゆるいアニメが主体となったから
こうした三大理由がまず挙げられる。
ここで終わっては何も対策ができない。ではどうしたら酔いかを考えねばならない。
はっきり言って政治でどうこう出来るレベルの問題ではないことにいち早く気付くべき段階に来ている。
・AV的な自分本位な享楽セックスから、生きる気力を与えてくれる愛のあるセックス(通称power sex)へ
・国力を高めるためにも不健康な食事はニューヨーク市の事例を学んで徹底的に弾圧し、民間団体においても圧力をかけていく
・ド根性系を求める潜在的なニーズを発掘すべく新たな基幹メディアのネットワークを構築する
子供の頃から自発的に嫌なことをすることができず、親や教師の監視下以外では勉強しませんでした。
それでも中学までは成績は良かったのですが、中二で不登校になってからは教師という見張りが居なくなったため全く勉強しなくなり、学力はガタ落ちしました。
今でも勉強、否、勉強に限らず嫌なことは一切ヤル気が起きず、やらないという自堕落な生活を送っており単位も取れていません。「皆イヤイヤながらやっている」と言われても、嫌なことをするとストレスが溜まるのにワザワザやる必要性を感じないのです。
アルバイトも面接をドタキャンし、資格のスクールに通ってもスグ辞めてしまいます。こんな僕でも生きていられるのは家族のおかげですが、その家族の一員で同じ血を引いている弟は優秀な努力家で東京大学に通っております。
精神論でヤレ、と言われてもシャーペンを持つ気になれないのです。拳銃を頭に突きつけられでもしない限り本当に勉強や努力ができません。
普通の人が「眠いなぁ。でも学校行かなきゃ、起きよう」という所を、僕は「眠いなぁ。学校面倒だから二度寝しよう」となるのです。
「お前は甘えだ、そんな事では生きていけない」と思われるでしょうが、本当にその通りで、ここでどうにかしなければと思い相談させて頂きます。
だらだら書きましたが、要は「目の前の嫌なことと、それをやって得られる成果」が直結しないのです。
英単語一個覚える度に一万円貰える、なら勉強しますが、英単語一万個覚えないと利益を得られない、では動けないのです。
ただ、好きなこと、興味のある事なら他の人より熱中してできるので、専攻している学門の教授からは優秀な学生扱いを受けています。
これは甘えですか?
【その他】
・気心の知れない他人といると疲れるので一人で行動する。
・法律に触れない範囲のマナー違反をしてはいけない理由が分からない(深夜にスピーカーで音楽を聴くなど)。
・東日本大震災が起こっても他人事のようにしか感じられず、被災者に感情移入ができなかった(当方関東住み)。
・承認欲求が強く、誰かに認めて貰いたい。