2011-11-22

グローバル化された普通基準」の持つ暴力

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普通でない女性普通を騙る事でどれだけの普通女性が抑圧されたか世間一般の愚かな男達があれを普通だと思う事で、どれだけの女性が癒えることのないダメージを被るか。言葉暴力である破壊行為である普通である。これはパワーハラスメントなのだ。抑圧なのだ。力による支配なのだ。普通ではない人間普通を騙る事で、本来普通であったはずの人達劣等感と敗北を植え付けられて洞窟の中へと逃げ込んでゆく。

ああ、よくぞ言ってくれた。本当に、本当に、よくぞ言ってくれた。

 

普通」を定義することは暴力的だ。

世の中で「優れている」とされているものに負けても、人はさほど傷つかない。

しかし「普通」とされている基準に満たないことには人は傷つく。

身長185cmに満たないかパリコレ男性モデルになるのは厳しいね」と言われても傷つかないが、

日本人の平均身長は172cmなんだけど、あなたはそれに満たないかチビだね」と言われるのは不愉快ものだ。

ただしイケメンに限る」場で排斥されるのは傷つかないが、

「ただしフツメン以上に限る」場で排斥されるのは傷つく。

"お前は普通未満だ"というメッセージをぶつけられたときに人は傷つくのだ。

普通定義するということは、その基準に満たない人々に"普通未満"というメッセージをぶつけているのと同じだ。

 

では、ここで言う「普通女子大生」は、自分普通というカテゴリに置くことによって、

普通界の女神のような存在になることが目的なのだろうか?

自らを普通定義することで、勝利を実感することが目的なのだろうか?

私は違うのではないかと感じている。

 

普通大学か。早稲田普通か。

違う。普通ではない。普通大学ではない。

世間早稲田は有名大学のうちに入る。「普通」ではない。優れていると言えるだろう。

しか彼女は普段、早稲田学生に囲まれて暮らしているのだ。

見渡す限り早稲田学生、という状況で日々講義を受けているのだ。

早稲田よりも偏差値の高い大学に進学した高校時代友達なども居るだろう。

彼女たちにとっては、早稲田は「普通大学」なのだ。

彼女たちにとっては、東大京大一橋大…などが「良い大学」であり、マーチ未満は「不可視」なのだ。

 

普通女子大生か。その顔が普通か。

違う。普通ではない。普通女子大生ではない。

友達同士というのは、レベルが近い同士でつるむ傾向にある。

男子大学生5人のグループがあったとして、4人はフツメン以上の彼女持ちコミュ充、

1人だけがいない歴=年齢のコミュ障キモメンだとしたら、そのグループは上手く行くだろうか?

"持つ者"側の4人が"持たざる者"側の1人に気を使って摩耗するか、"持たざる者"が"持つ者"をひがんで卑屈になるか、"持つ者"が"持たざる者"をバカにして苛めるか。

友情を維持する上で障害になるトラブル無駄に起きやすくなるだろう。

から似たようなスペック境遇人間ばかりが友達グループとしてつるむ傾向が生まれるのだ。

似たような体格、似たような髪型、似たような木こりファッションに身を包んだ男子学生が、

似たようなノリで居酒屋で騒いでいるのはあまりにも見慣れた光景だし、

女子学生集団やOL集団の服装・メイク・基本的なルックスレベルの均質化され具合はおそろしいほどだ。

育ちも同じである年収2000万の父親と教育熱心な母親に育てられ、家族海外旅行に行くのが当たり前と思ってきた人々と、

水商売母親と酒を飲んで暴れる父親に育てられた人々とでは、話が合わないのだ。無駄な軋轢を生むのだ。

坂口さんの顔は、日本全体で考えれば、普通よりも上だろう。

しかし、坂口さんの関わっている女子グループが、坂口さんと同等かそれ以上のルックスを持つ女性ばかりだとしたら?

彼女自己認識は「普通」で落ち着くだろう。

 

インターネットグローバルなツールである

底辺の人間が感じる「普通」と、素養や運に恵まれた人間が感じる「普通」との間に、

大きなギャップがあることを可視化してしま暴力的なツールである

 

インターネットマスメディアのない頃、

底辺の頭と底辺の容姿を持って生まれた人間が、似たような底辺とつるみ、

似たような底辺と結婚して底辺の再生産を続ける、そんな彼らの自己認識は「普通」であった。

視界に入るのが底辺ばかりなのだから、そうなるのも当たり前である

そして恵まれた頭や容姿を持ち、親や親戚や友達も恵まれた者ばかりの環境で育った人間は、

自らの優れた点を奢り高ぶることなく、自分は「普通」だと認識して生きていったのだ。

 

インターネット自分環境に疑いの目を持たせる。

自分とは違った常識を持つコミュニティ存在発見しやすくなる。

ダルビッシュが贅沢な暮らしをしていることが窺えるツイートをしたことに対して、

オッサンが執拗に絡んでケチをつけたことがあったが、これはインターネットが生んだ軋轢である

インターネットが無く、優れた人間私生活がわからない時代であったなら、

このよくわからないオッサンは"持つ者"の恵まれた暮らし発見することがそもそもなかったであろうし、

ダルビッシュ因縁をつけられずに済んだのであろう。

 

「昔のインターネットオタク非モテコミュ障にとって救いだった」という意見があるだろう。

それは昔のインターネットが本当の意味グローバルではなかったということだ。

昔のインターネットコミュニティには、ほとんどオタクしかいなかった。

「開通作業が面倒」「接続料金が高い」「遅い」「見たいコンテンツが無い」などの要因がボトルネックとなって、

一般人の参入が妨げられ、オタク以外がふるいにかけられた世界になっていたのだ。

そこはオタクが圧倒的な多数派であり、オタク常識をつくっている世界だった。

インターネットでの普通」は、「オタクにとっての普通」と同義語であり、

一生独身アニメマンガゲーム好き、インドア非モテ童貞、服はダサい髪型床屋

この生き方が「普通」として容認・歓迎されていたのである

 

しかインターネットというものは、一般人をも飲み込んでいく。

mixiリア充を取り込み、モバゲー情弱ニコニコで"オタDQN"層、Facebooktwitterで"意識の高い"層を取り込んだ結果、

インターネットは既にオタクものではない。

これからネットを使いこなす老人が増えれば、「若者もの」でもなくなる。

インターネット上の人口構成がリアル人口構成とさらに近づいてゆき、

あらゆる世界、あらゆるグループ組織所属する人間インターネットに参加するようになる。

そして全日本人の認める「普通」のスペック、「普通」の生き方というものが、インターネットによって広く知らしめられる。

弱者ばかりが集うコミュニティで独自の「普通」基準を制定し、「普通」を充たしている気になっていた人間たちに、それは暴力的に襲い掛かる。

 

初期のインターネット現在インターネットは全くの別物である

前者は弱者に優しい逃げ場所であり、後者は「グローバル化された普通」という圧力によって、弱者を容赦無く叩きのめす残酷な場である

坂口さんを「普通女子大生」として広く紹介する残酷さ、それが「今のインターネットというもの」なのだ。

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