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30代半ばにして転職したくなった。
キャリアアップというやつをしたくなった。資格を取ったりして、将来的によりやりがいのある仕事に携われたらいいなと思った。
理由のひとつに、子どもを産み終わったことがある。もうすぐ育休があける。ここから先は長い休暇をもらうことなく働ける。長い目でみたキャリアビジョンを考えていける。
(ここまで読んで、いまの勤め先に長く勤めることを考えるべきだと思う方もいるだろうけど、ちょっとそれは置いておいてほしい。そこに長くいられそうもない理由や事情があるのだ。)
幸いなことに保育園は決まっている。
上も下も同じ保育園に通える。
勝手知ったる園で、祖父母の協力も得られる。夫と手分けして家事育児をする仕組みもできている。
いくつかの転職ツールで、いくつかの企業と連絡をとりあい、面談や面接などをうけた。そこでわたしが転職にあたって「壁だ」と思ったのは、
「興味深い求人は中小企業以下、ベンチャーなどから多く出ている」
もう、わかりきってることなんだけど。
資格とかあって転職が比較的容易であっても新卒で勤めて保活を乗り切って復帰まで漕ぎ着けたのであれば、転職なんてしないほうがいいのだ。
でなくても、子育てをしながら働ける雇い先を得たなら、子どもが小さいうちは動くべきではないのだ。やりがいを得たい、評価されたい、そんな気持ちがあっても、世の中は子持ちに甘くない。
そもそも、新卒で勤めて保活を乗り切って復帰まで漕ぎ着けてもそこはマミートラック一択しかない行き止まりになっている、なんてひともざらにいる。
雇い主は、そんなモチベーションが落ちるような雇い方をして、求める仕事のクオリティを得られるんだろうか?
・リモート勤務
・通勤時間
・時短勤務
について。
まずリモート勤務。これが可能なら、子育てしながらの勤務の大きな助けになる。
実際にそれを謳っている会社もよくある。でも実際は、職種によるが、おおよそ顔を突き合わせてコミュニケーションをとったほうがよく、リモートはその補助のように扱われている。
「オフィスでの話題についていけないみたいなこともありますし」なんて意見もきいた。
要は、リモートで作業するよりオフィスで話をし合って作業するほうがより充実した成果が出ると思っている人がいる、実際そうである会社がある、ということだ。
そういう会社のリモート勤務は形骸化しているんだろうか。いるんだろうな。
通勤時間。
うちのあたりの保育園は朝は7時半から預かってくれ、夜18時半までに迎えに行かなければいけない。つまり、保育園を8時に出発して間に合い、仕事が終わってから保育園に18時までに行けるような場所に勤めなればいけない。
前後30分余裕をみているのは、子どもも仕事も通勤もスムーズにはいかないからだ。このくらいの余裕がとれないとあっという間に破綻する。
さて、この条件だと
それでやってみるとわかるんだけど、その狭い選択肢であるところの9時17時勤務で共働きっていうのがまた、ハードだ。
18時にお迎えに行き、18時半になんとか帰宅し、食事を済ませて風呂まで怒涛。寝かしつけ開始がはやくて21時。
1歳児の就寝時間としては遅いのではないかと悩んだのが懐かしい。でも、これ以上はどうしようもない。
時短勤務。
通勤時間と子どもの生活時間がかなりタイトになる子育て世帯にとって、ありがたいシステム。
これって、もともとそれなりに仕事ができる人が出産育児を経て仕事に戻ったとき使うもの、という扱いだと思う。
(だから転職してすぐ時短というのはなんだか図々しいかなと思っている。取れるなら取りたいけど。)
このシステム、リモート勤務と同じく「顔を突き合わせる時間の短さ」がネックになることがある。定時をすぎてから本気を出すみたいな、みんなで残業するところからチームワークが産まれるみたいな、そういう会社ばかりの話ではなく。
しかしこれを使うと使わないとでは子どもにかけられる時間が大幅に変わる。子どものことを考えたら、使いたい。でもそれで、戻れぬマミートラックに乗りたくなくて、使っていない人もいる。悩み抜いて使っていないのだ。
……たぶん、わたしはバリバリフルタイム正社員には戻らないと思う。
ゆるゆる、自分のペースで家庭と子どもと仕事のバランスをとっていくことになるはず。
それでもやりたいこと、なりたいことをどこかで諦めずにいたい。
追記
どっとはらいだ!
追記の追記
全く詳しくない報告→anond:20180226125004
久々に副業でバイトでもするかと思って求人を眺めたけど昔の何も出来なかった自分を思い出して辛くなってきた。
私は世の中の多くの仕事、比較的簡単に就ける職にものすごく向いていない。
人と話すことが苦手だし人の顔を覚えられないし気を遣えないので接客業は無理。
事務のようなことも中々覚えられないしミスばかりするので無理。
声が小さいので大きな声を出さなきゃいけない仕事も無理だった。
正社員で働いてたこともあったけど本当に何も出来なくて失敗ばっかで毎日怒られててひどいミスもいっぱいしてて自分は生きてる価値ないなーとばかり考えてた。
最終的には趣味でパソコンばっか触ってたし絵を描くのも好きだったので
今は流れ流れてそういう仕事をしてるけど。
人と話したりマルチタスクに色々こなしたり、ものすごくハードルが高い仕事だよなぁ。あんなの。
FacebookとかTwitter辺りで流れていた、例の「はれのひ」が給与支払遅延して労基署から是正措置が来てたのにハローワークに求人掲載され続けていた件が本当ならハローワークなんぞ楽天かソフトバンク辺りのIT企業にでも売却しちまえば良いのでは。或いはどこぞの投資ファンドか
なら、制度の改変を待ってる余裕なんてないので、同じサービスを受けようとするママ友同士で足の引っ張り合いするのは普通だと思う。
そして、その苦労がいっぱい大変だったので、入園クエストが終わった後はスッキリ忘れるの。
忘れるっていうか、制度が改変されて後からママになった若い奴が
ってなるのがなんかムカつくので、継続的に問題として取り上げようとしないんではないか?
何年も前から問題になり続けてるのにいっかな改善の気配が見えないのは
「入る瞬間/もしくはその前後」にあるごくごく限られた人しか問題として捉えてなくて
かつてそうだった人も、これからそうなるかもしれない人にも、当事者から運動が広がらないからじゃないかなって。
よくある
ブラック批判すると「俺たちの頃は当たり前だったぜ苦労しろ」って現役の足を引っ張るオッサンたちの構図
趣味の分野で有志翻訳をするようになったら、翻訳が好きだと気づいた。
知らない単語や知識を調べること、適切な表現を探すこと、翻訳して喜んでもらえること…全部楽しい。
今の仕事が性に合っていなくて、転職を考えているので翻訳を仕事にできたら…!と夢見てしまう。
もちろん、自分はTOEICの点数もそんなにないし、英会話や日英翻訳はできないし、もっと英語力がないとダメだろうから実際には難しいだろうけど。
第一、翻訳家のなり方がわからない。求人を見ても大体経験者しか募集していない。どういうこと…?みんな最初は未経験じゃないの…?
http://careers.fromsoftware.jp/jp/career_plan_system.html
新卒初任給22万と見ると、大卒初任給は20万程度が相場ですから割とマシなほうに見えます(インターネットでは初年度から700万だの1000万だの出せと言われていますが、実際相当マッチョな人間でなければ無理でしょう、博士持ちとか)。
しかしよく見ると手当込みの数字。特に「定額残業代:9,000円(7.5時間分)」が目を引きます。
残業代は1時間あたり、時給×1.25円以上払う必要があります。7.5時間で9000円ということは、1時間あたり1200円。残業代でこれなので、通常時の時給は960円と予想されます。これは東京都の最低賃金(958円)とほぼ同じです。月160時間労働とすると基本給(月額)は153600円。22万の中には書かれていない手当も含まれていそうですね。
賞与は年2回とありますが、賞与は基本給から算出されるので何ヶ月分かはわかりませんが予想より渋い数字になりそうです。
https://anond.hatelabo.jp/20180130030322
夢追うのやめたけどあきらめきれないシンパシー。自分は絵じゃないけど。
いま25歳。小中高と吹奏楽部でトランペットやってきた。周りと比べるとうまい方だった。
高校は毎年地方大会出るような強豪だったけど一年でレギュラー取った。
完全に調子乗ってた。
毎日居残り練してもレギュラー取れない同級生や先輩たちを見てせせら笑って過ごした。
追われる立場のもろさも知らず。
今思うと成長期で口が変わってたのもあったし、そのため無理やりアンブッシュア変える訓練を強いられていた(アンブッシュアとは吹く口の形。要するに投球フォーム変えるようなもん)のもあったし、当時心酔していた先輩からペダルトーンっていう練習法(古く最良のトレーニングと言われてきたけど最近の研究ではあまりよろしくないとされてるもの※諸説あり。気になる人はググれ)を教えられてたのもあった。
バカにしていた同期はぐんぐん上達し、高校三年の夏、ついにトップの座から陥落した。
それで意気消沈なんてしてられるか。自分はまだまだこんなものじゃない。まだやれる。今は調子悪いだけで、大学行けば、また昔みたいにふける。ダブルハイベーだって出る。と言い聞かせて、現状への不安や迷いは見て見ぬふりして昔からの目標だった音大への進学を決めた。
この時点で今思うともう完全に周りも自分も見えてない。強迫観念と執着心だけだったと思う。
ところで、中学生のころから師事していたトランペットの師匠がいた。学校とは別に、個人レッスンに
通っていたのだ。
中学の時はまだそんなガチガチになっていなかったので、受験の季節に高校でも吹奏楽を続けるか迷っていた。それを師匠に相談したら、「続けなよ。そして、僕が講師をしてる音大にもおいで」と言ってくれた。それに胸を打たれて、ちょっと無理して遠く私学の強豪校を選んだ。
そんなこんなで師匠が待つ大学に入学したものの、メンタルも演奏もコンディションの悪かった。当時おそらく鬱だったためか記憶があまり残っていないが、吹いても吹いてもうまくならない。思った音が出ない。音大つったってもちろん吹いてばかりじゃない。ソルフェージュ、和声、副科声楽、ドイツ語、フランス語。どれも集中できなかった。思い通り吹けない焦りに覆い尽くされて目の前が真っ暗だった。
ほどなくして、音大をやめた。
なんで辞めたの、なんて聞かれても一言じゃ答えられない。
そりゃ食ってけなささも続けんの無理と思った理由の一つではあるかもしれないけど、そんなの承知の上で飛び込んだ世界だし、それが理由とは言い切れない。
スランプで思い通り吹けなかったことかもしれないけど、それこそとしかたないことだし、乗り越えなければならないことだから、理由にならない。
しいて言えうなら、あの時はもう精神的に続けられる状況じゃなかったということが理由かもしれない。
まあそういう精神状態に追い込まれた背景としては上記のようなしがらみにさいなまれたこともないとは言えない。
しばらくは楽器見んのもいやだった。長い付き合いだったbachの180MLは箪笥の肥やしどころか忘れ去られた過去の遺物だった。
大学中退後、わたしは適当なデザイン専門に入り、ヘラヘラ学生をし、順当に卒業・就職し、4年。
今はwebデザイナーとしてそれなりにやってる。
(webデザイナーを選んだのは、グラフィックより求人もあるし給料もよかったから)
(元々オタク時代に同人サイトを少しかじってたのでとっつきやすかったのもある)
残業もたいしてないし、自分がデザインし構築したサイトが世に出回ってるのは、なかなかやりがいも感じる。
もうすぐ社会人五年目に突入というのもあり、社会人と呼ばれることにも慣れ、バランス感覚というのがようやく身についてきた気がしたと思ったら、トランペットが無性に恋しくなった。
実家から楽器ケースを引っ張り出し、久々に吹くと音色はひどいものだったが、当時の嫌悪感は完全になりを潜めていた。
幸い高校にOBOGによる一般バンドが存在したため、数年ぶりに顔を出した。
当時のい比でないほどひどい音にはなってしまったけど、随分と夢からは遠くそれてしまったけど、今は吹くのがとても楽しい。
これから先の人生ではもう投げ出さないで、周りと比べたり焦ったり嘆いたりせず気楽に楽しく吹いて、少しでいいから学生の頃より上達して、いい演奏をして、当時の自分への餞になればと思ってる。
たまに大学時代の友のfacebookやツイッターを覗くと、自己研鑽のためドイツ留学した先でのレッスン中の写真、T●Lの鼓笛隊になるべくオーディションを受けた所感、バイトいくつも掛け持ちしながらフリーランスとして講師やエキや小さなハコでコンサートのセルフ主催などしながら演奏活動を続けている様子など、あいかわらず音楽に当時と寸分たがわない情熱を傾けている様が見られる。(こういうのも最近になってようやく受け止められるようになった)
今の暮らしは不自由もないし、それなりに楽しくやっているが、それでもやはり苦労やコストもなりふり構わず夢を追う彼らを見ると、憧れと羨望と嫉妬で少しだけ胸がざわつき、当時の激情を思い出す。
案外しょうもない切っ掛けで辞めるよね。
新しく支社を作るからそこの新規として雇われたんだけど体制整ってなくて片道2時間の本社に行って仕事してた。
3ヵ月くらいそんな感じでいい加減うんざりしてた所でようやく支社通いになった(といっても相変わらず月半分くらいは本社でうんざり)。
で、月末に交通費の請求はどうすればいいか本社に問い合わせたら「交通費はでない」って言われた時は意味がわからなかった。
求人票で交通費支給って書かれてるんだから当然出ると思ってたからね。
聞いてみれば支社→本社の交通費は出すけど、自宅→支社の交通費は出さない、と。俺支社採用なのに。
もう詐欺に近い。
「あ、そんなことすらちゃんと出来ないんだ」ってブラックな仕事でも耐えてたのにプッツリ切れた。
それ聞いた30分後には会社の荷物まとめて熱が出たから早退つって電話してハロワ直行して病気のフリして1週間転職の準備して一度も出社しないまま電話で辞めるって言って終わり。
40歳を過ぎて、本当に自分がやりたい事を見つける事がこんなにも難しいとは思わなかった。
学生時代はバンドに勤しんで、将来はデビューして曲を作って稼ぐという目標、夢があった。
その夢を諦め、今の職に就き10数年働いてきた。
最近、このままこの会社で定年を迎えて良いのだろうかという思いが強くなり、生き方、働き方を見つめ直そうと思った。
これまではのんべんだらりと生きてきたと思う。今の仕事に就いたのも、たまたま求人を見て応募し、数年の契約社員の後、正社員となった。
正社員になる時の選考も自分から手を上げた訳ではなく、当時の上司からなるようにと言われ、いい気になって社内面接を受け合格となった。
自分の能力を超え(歯の掃除をさせられ歯を抜く人に説明しろとか、術後の応対がわからないしあいまいなことしかいえないし、乳幼児の歯磨きをしろとか。それも10分以内で全部終わらせろって要求)、かつ患者相手に利益を生まない仕事ばかり要求される。
学ぶためにいろいろ勉強や自腹で研修セミナーいってみたりもしたけど、手に職がつかなかった。
我慢しながらこんな状況を7か月繰り返してるんだけど収入月3万円食費に消える実家暮らし家に入れる金もできない
求人票は1年中出されてる医院だがバイトできた新人衛生士や新人歯科医師が50代お局集団にいじめられてすぐやめてく 離職率高い 院長は雇用契約についてなにも応じてくれない
去年は一人歯科医師が途中で逃げ出した有様だった
これなら夜間掃除のアルバイトのほうがまだ食べていけるんだろうか
一日10時間労働残業毎日2時間......昼休みは2時間だが電話番しながらお弁当一人で食べてる虚しさ 居眠り休憩もできない
見習いだから一番朝早く来て掃除して、一番遅く鍵を閉めて帰る(朝8時半ー13時30分 休憩2時間 15時30分ー20時半 そのあと2時間掃除や残業 帰宅開始が22時半 通勤1時間40分 家に着くと1時前 晩御飯食べて就寝が夜中の1時半 起床6時)
この前訪問歯科診療で特養に行った先からインフルにかかってそれでも休めなくて休みたいのを相談したら「俺は風疹でも仕事頑張って根性でやってたんだぞ」と言われそのまま出勤せざるをえなく・・・・インフルこじらせて39度の発熱と衰弱で死にかけて結果10日入院した 体重37キロで摂食障害気味になって死にたくなってる
休んでから復帰すると休んだ分もっと働け お前がいないせいで医院に損害だ 逆に金を払えとまで言われる始末で鬱になった
私は泣いているばかりになった