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はてなキーワード: 様式美とは

2021-06-07

毛利小五郎は愛によって死を免れている

最近名探偵コナン』をHuluで追っている。

幼い頃にテレビ放送で全話逃さず見ていても、記憶は段々と薄れていくものだ。特に妃英理と毛利小五郎関係性は、最近赤井フィーバー最中では朧気になってしまう。

こうしてサブスプリクションによって、見たいと思ったタイミングで、ノータイムアニメを振り返ることができる。良い時代になったと思う。

 

(一応、自分は熱心なコナンファンというよりは、結末が気になる一心で連載を追うライトファンである

ガッツリと読み込みファンにとっては、妃英理と毛利小五郎関係性は、新一と蘭の関係性と同等に重要であろうことは言うまでもない。)

 

改めて最初から原作を(そしてアニメを)追っていると、少しばかりからかいの目で以て彼らのストーリーを読んで(見て)しまうことがある。

これはライトファン故に、ディープファンにとってはやや失礼というか、無粋と一笑に付されてしまうかもしれない話題だ。

 

ずばり毛利小五郎の頑丈さについてだ。

毛利小五郎は何度か死んでもいても可笑しくないほどの打撃を、妃英理から受けていると思しき場面がある。

最近だと、映画ゼロ執行人」のED映像の中の一場面。疑惑が晴れ、釈放された毛利小五郎を、妃英理が手料理によって祝う場面だ。

 

あの場面で小五郎は英理の料理の味に青ざめ、料理吹き出ししまうのだが、それに怒った英理が、言い争いの末に煮物たっぷり盛られた土鍋で小五郎の頭を殴るのだ。

五郎の頭にはたんこぶが出来、白目を剥いて伸びてしまった。それだけといえばそれだけのシーンで、ギャグチックに処理されているためか、深刻さは見受けられない。

 

こうした少年漫画における女性男性に対する暴力描写は、最近では眉を顰められることも多々あるそうだが、自分くらいの世代だと、ギャグとしてスルーされることが多いという認識だ。

好き嫌いはともかく、一種様式美

クレヨンしんちゃんで言うところの『げんこつ』的な描写と言えよう──かの描写コンプライアンス関係で喪われて久しいが、表現の自由という意味では、中々に悩ましい事例だ。

もちろん、5才児を拳骨で強く殴ったり、頭をぐりぐりと圧迫してはいけないのだけれど。現実コミックリリーフは、切り分けて考えたいものだ。

 

しかである

そうした様式美として片付けていた描写は、『コナン』という作品の中ではやや趣を異にする。何故なら『名探偵コナン』はタイトルの通りミステリーの側面があり、結構な頻度で殺人事件が発生する漫画からだ。サスペンスドラマももう少し加減するんじゃないかという頻度で人が殺されている。

 

その殺人事件の、殺人手段の中には様々なバリエーション存在するが、その中でも最も手近な方法といえば『撲殺』であろう。

 

撲殺とは、ほぐして言えば叩き殺すことである。何らかの鈍器を、或いは自らの拳を凶器とし、叩いて殴って、息の根を止めることである

殴って殺すといえば『殴殺』という言葉もあるが、ここは撲殺で統一させて頂く。

 

コナン』の作中では、撲殺事件は、ブロンズ像だとかお高い壷だとか、そういった身近な重たいオブジェ家具によって引き起こされてしまう事が多い気がする。

計画性も低く、犯人動機もカッと頭に血がのぼって、思わず──というシチュエーションが多い。

何だかんだ動機の薄さが槍玉に挙げられるコナンだが、現実的だと感じるのは筆者だけだろうか。現実事件も、ドラマチックな犯人動機などあまり聞かないものだ。むしろドラマチックだからといって納得できたとしたら、そちらの方が問題である

 

さて、ここまで読んでくださった皆様の中には、筆者の言いたいことがぼんやりと分かってきた方もいらっしゃるのではないだろうか。

 

まり、『自分料理を貶されて』『夫婦喧嘩に発展して怒りのあまり』『煮物たっぷりと入った鍋で殴りつける』──という、動機手段シチュエーション三拍子揃った場面なのだ

鍋を振り上げてから変な溜めがあったからか、ちょっといつもより洒落にならない絵面だったように思う。

前述の通り、深刻さはないのだが(尺稼ぎだったのだろうか)

 

もしも彼らが、一週限りのゲストキャラクターだとすると、確実に小五郎は亡くなっている筈だ。

コメディ一言に言ってしまうのは簡単だが、その裏でコメディ的な行為がしっかりと殺人に発展している作品の中では、かなりギリギリ描写なのではないかと思う。

 

そんな『鈍器で殴られる』という場面なのに、何故小五郎は生きていられたのだろうか。

 

ゾウでも一瞬で眠る程の麻酔薬を毎週近く射たれているのだから当然だ、という冗談は受け流すとして、それは恐らく、妃英理の愛故にだろう。

或いは、毛利小五郎から、妃英理に向けての愛故に、だ。

 

端的な話、英理は実際には鍋を振り上げてはいないし、振り上げていたとしても、毛利小五郎の頭に振り下ろしてはいない。

びしゃっと机の上にぶちまけて、ビンタでも食らわせたのではないだろうか。

 

あれは一種幻想的な描写なのである

 

名探偵コナン』はミステリーだが、同時にラブコメディーでもある。コメディ描写通用しないかもしれないが、ラブコメディな描写通用してしまうのである

 

あの鍋を振り上げるシーンなのだが、発端は妃英理が久しぶりに毛利家に上がり込んでいるという事実に、小五郎がちょっぴり照れている所から始まっている。頬を赤らめている小五郎に、英理が何事か話しかけた時に、小五郎が照れ隠しに煮物一口頬張ってしまうのだ。

英理が作った料理だということは承知の上で、である

そして口に合わない料理を、ブーッと噴き出してしまう。

 

まり五郎ツンデレが発動したシーンなのだ。(まるで毒でも食んだかのようなリアクションである

まあそのツンデレが高じて彼らは別居状態なのだが、関係性とは常に変わり行くものである

 

ややフィーリング結論なのだが、妃英理は手加減をしていたのだ。

それを受ける毛利小五郎も、甘んじて受けていた。

深刻なように見せかけて、冗談だった。

 

愛がある見方をすれば、そんなふうに見える。

仮にも警察に拘束されていた所を開放された、という、それこそ深刻な雰囲気を、夫婦喧嘩というロールで和らげた、という見方もできる。意識にしては怒りが強いので(いくら下手とはいえ自分の作った料理をぶちまける心情は、察するに余りある。英理がかわいそうだ)、無意識だろう。

 

ともすれば作中の『犯人被害者』の関係に至ってしまいそうな所を留まれるのは、ひとえに、そんな言葉のいらない信頼関係が成立しているからであろう。

 

コナン』の世界では、ラブが全てを凌駕するのである。蘭が絡んだ事件では新一(コナン)が空回ってしまうように、和葉が絡むと服部がばかになってしまうように。

ラブがきっかけで阿呆やらかしをしてしまった小五郎が受ける暴力は、同じくラブによって阿呆になっている英理からのものからこそ、威力が軽減されるのである

 

恐らくあの世界で『犯人被害者』になってしまカップルは、ラブなパワーバランスが崩れてしまったカップルなのだ

 

そしてその「ラブによってだめになっている」部分は、読者、ひいては視聴者は、愛すべきポイントなのかもしれない。

 

なんだかふわふわとした結論に至ってしまったけれど、夫婦喧嘩は犬も食わないと言う。筆者もここまで考えて、なんだかどうでも良くなってきてしまった。

 

あの夫婦はかわいらしい。

ただそう思うだけで良かったのだ。

 

さて。

感染対策をしっかりして、『緋色弾丸』を観に行くとしよう。

 

(終わり)

2021-06-03

ドラクエホッテントリの奴、アフィの自演じゃないか

ケンモメンと売りスレ民が騒いでたんだけど

はてな匿名ダイアリー特定コンテンツを叩く記事を書く

ファンアンチが反応する

③アフィが「○○という記事話題に!炎上!」ってまとめる

ここまで様式美

なんなら①と②がアフィの自演でも成り立つ

かにこの図式なら成り立つし最近まとめサイトでよく増田記事を見かけるし自演してなんJとかで拡散してそれを記事にして

何か問題があればソース増田ってやらかしてそうだな

2021-05-20

結局ブギーポップ2019年の再アニメ化は失敗なのか?

こんな記事開いている時点で多少はブギーポップという作品に興味がある人間だろうが、様式美のために簡単説明しよう。

ブギーポップは笑わない」とは、著者 上遠野浩平電撃文庫から1998年刊行されたライトノベルで、その後のラノベ界に大きな影響を与えたと言われている作品だ。

2000年にも一度アニメ化されており、2019年に再アニメ化された。

こんな感じでいいだろうか?

さて、私はブギーポップを書いている著者、上遠野浩平先生ファンである増田だ。

この記事ファンから見たブギーポップの再アニメを記したものである

さて、まず結論を書こう。

2019年ブギーポップアニメ商業的に失敗している。

これは残念ながら事実だろう。

ネットで調べれば円盤の売り上げが散々だったと言われているし、グッズもアニメイトなんかの店頭でもほとんど置かれなかったし、出ると宣伝されたfigmaは出ないし(受注生産でいいので売ってくださいお願いします)。

原因として様々な理由ネットでは挙げられているようだ。

アニメがつまらなかった。話が理解できなかった。監督絵師がもめた。再アニメ化にあたってのキャラデザが良くない。そもそも原作20年前で現代に合ってない。

さて、こういった評価について、またアニメのものについてブギーポップ、そして上遠野浩平という作家の本気のファンである私がどう思っているか

それを書き連ねるのが今回の目的である

1.アニメについて

まらない。という意見もわかるが、正確にはストーリーごとにわかやすさが変わってしまっているという印象を受けた。

2019年アニメ原作に沿ったストーリーで展開しており、原作では巻で分けられていた以下の内容でがらっとわかりやすさが違う。

ブギーポップは笑わない(アニメ1話~3話)

正直一番理解が難しいと思う。ここで脱落した人もかなりいると勝手に思っているし、原作の魅力が伝わっているのか不安になった。

笑わないは時系列がかなりシャッフルする作品なのだが、アニメでは「登場キャラの削減」されて登場時系列が整理されており、これが一番問題なのだが「心の声の描写がない」。

私は原作ファンなので、場面を見るだけでその場面の背景や心理描写を思い浮かべて普通に楽しめてしまうのだが、初めてブギーポップを見た人が理解できるか不安になった。

(ただ、一話がまるまる浪漫騎士として竹田くんとブギーポップの会話にあてられているのはファンとしてはマジでうれしかった。これで口笛吹いてくれたらさら完璧だったが、そこまでは望むまい)

②vsイマジネーター(4話~9話)

笑わないに比べればかなりわかりやすい。が、初めて見た人がどこまで理解できるかは原作既読から見ると少し不安になる。

スプーキーEのキャラデザ原作より本文に忠実。

夜明けのブギーポップ10話~13話)

めちゃくちゃよかったし、なんならブギーポップ初めての人にはこれから見せても許されるんじゃないかと思うぐらい。

少女霧間凪かわいいし、黒田さんの描写も、モ・マーダーもピジョンも最高なので、笑わないとvsイマジネーターの後にあるのがもはやもったいないと感じる。

④歪曲王(14話~18話)

普通に良かった。

音楽的な描写が多い作品なので、アニメBGMがいい仕事をしていたし、ゾーラギとの戦闘シーンの動きはアニメしか味わえないブギーポップだった。

なによりスタートである笑わない編がわかりにくい、というのが何よりも大きい。ファンとしても万人に勧められる作品ではないと思っている。

 なので、小説を読めばいいと思うよ。

2.再アニメ化にあたっての原作からキャラデザについて

 正直、監督原作キャラデザイラストレーターを務めている人がもめた話は語りたくないので、詳細はネットで調べてもらうとして、これがアニメ好きと呼ばれるアニメライト層(ここでは原作を知らないがアニメなら何でも見る層を指す)に悪影響を与えた可能性は否定できない。

 ただ、再アニメ化にあたっての原作からキャラデザの変更がよくなかったという話はファンとして否定したい。

 そういうことはだな、原作原作に忠実にキャラが描かれている「ブギーポップファントム」(2000年アニメ)でキャラ同士の判別完璧にできるようになってから言え!!!

失礼。

ファンにも様々な意見があるのは踏まえたうえで、私はキャラデザに関してはブギーポップ原作通りのマント帽子かぶってワイヤー使っているなら、割と後はなんでもいいとか思っている。

なので、再アニメ化キャラデザは末間博士とか、委員長とか原作に似た見た目で、いいキャラデザもあれば、スプーキーEとかゾーラギとか原作とは違うけどいいデザインもあるのでファンとしては全然ありでした。

(欲を言えばフォルテッシモや、十助をアニメ化するならどんなキャラデザになるのか気になるのでこっそりください)

3.原作について

原作が古いか現代の人には受け入れられないという意見について。

ブギーポップは笑わない」は1998年初版出版された作品だ。

その人気が高かった2000年に一度アニメ化し、2018年の末ごろアニメ化の発表が会った時我々ブギーポップが好きな増田は、驚きを持ってそのニュースを迎えたのだ。作者が10周年記念の時何も無かった電撃文庫がどうした!?アニメ化だと!?

 そこに「今さら!?」という感情が無かったと言えば噓になるだろう。

 だが、それは我々が何年、何十年も前に書店学校で「ブギーポップは笑わない」の小説を手に取り、そこに歴史を感じるから古く感じるんじゃないかと思うのだ。

 古い作品の再アニメ化成功した事例として「おそ松さん」や「ジョジョの奇妙な冒険」があるだろう。原作が古いから受け入れられないという意見には反対だ。

 だが、同時に確かにブギーポップには時代性がある。

 それは1998年代とかそういう話ではなくて、あなた学生時代に読んだブギーポップを知っているから古く感じるんじゃないかという話だ。

 ブギーポップの描く独特の閉塞感があの時代特有のものだと言うのは、あなた学生時代がその時代だったからじゃないのか。

 「現代通用しない」のは現代あなた通用しないだけではないか

 「ブギーポップは笑わない」は1998年作品だ。

 しかし、2021年になった今も通用する作品だと一ファンとして確信している。

 そしてもしも、この作品価値というものが本当に問われることがあるならば、それは例えば、今から20年後の2040年。1998年ブギーポップを知るものほとんどいなくなった時に問われるのだと思う。

4.まとめ

 というか、アニメが失敗したところで原作の良さは損なわれないのに、原作言及するヤツはマンティコア食糧として献上してもいいと思うんですがね。

ブギーポップの再アニメ化成功失敗については再アニメ化した時点で割と成功だと思っている(刊行20周年に二度目のアニメ化がされる作品の一つにブギーポップがあるという時点でファンとしてはとても嬉しい)のですが、アニメの完成度については話毎に差があると思っているし、誰にでも勧められる良アニメとは言えないでしょう。

しかし、2000年ブギーポップファントムが2000年ブギーポップだとするなら、2019年の再アニメ化2019年ブギーポップだった。

画面は明るくなり、BGMキャラデザも変わって、スマホを使う。

それが2019年ブギーポップだったのだ。

(これで2040年に奇跡的に再々アニメ化なんてされて、また今までと違う2040年のブギーポップが出たら奇跡的過ぎて、失敗だと言われていた話も成功になりそうですね。歴史というものが後から修正されるように)

ところで、ここまで読んだ人はかなりブギーポップが好きか、頭がおかしいのだと思うのだが、ブギーポップと同じ著者の書いた他の作品もとても面白いので是非勧めたい。

「ぼくらは虚空に夜を視る」

ブギーポップSFっぽさが好きな人オススメ

しずるさんと偏屈な死者たち」

ブギーポップに出てくる女の子が気に入った人にオススメ

殺竜事件」「ソウルドロップの幽体研究

ブギーポップミステリっぽさが好きな人オススメ

製造人間は頭が固い」

統和機構が気になる人にオススメ

さて、この駄文もそろそろ終わりである。もちろん締めの言葉ファンとしてこうするべきであろう。

(結局、再アニメ化って失敗だったのかよ?)

(まあ、いいじゃん)

BGM“Boogiepop And Others”by 牛尾憲輔

2021-05-12

anond:20210512104036

そうだな。なかなかオプトアウトできないメールに遭遇してプチキレるまでが様式美ってもんだな。

2021-05-09

anond:20210509152257

あの作風変えずにやれてるのが様式美なんだろうな

2021-04-28

様式美グダグダいう人は3種類だと思います

・お堅い仕事の人で職業病的に気になる人

相手が知らないことを言って煙に巻いたりマウントを取ることが多い人

・気に入らない相手に対して手っ取り早く圧をかけたい人

職業病統一されたマナー存在すると若い時は思ってたけど、どうも違うらしい…

これね…私がADHD多めのアスペっぽい部分も持ってる広汎性発達障害から、ある時期まではマジで気づかなかったんです。

でも、落ち着いて考えてみると間違ってたり一般常識でないマナーで人を攻撃する人ってけっこう多いか

「あー好き嫌いを正面切って言えない人のあてつけの手法か」

ってなってる

個人的マナーを口実に人に攻撃する人間は一番キライです。

これが科学だったり、正解のある知識だったらまだいいんですが…マナー攻撃するのって

「それ本当に誰の目から見ても正解で、みんなが気にすることなの?」

みたいなのも含まれてるからマジで悪意でしかないです。

客観的な正解があったり、知ってて当然であろうモノで攻撃するなら、相手が変わるチャンスはあるからまだいいよ?

ただ、知識でもマナーでも重箱の隅をつつく攻撃ってもはやマウントとそう変わらない。

その人の問題にするにはあまりに酷だから少なくともぼくはやりたくないし、やるならフォローする

https://anond.hatelabo.jp/20140704171301

2021-04-22

anond:20210422141827

何があっても会食禁止はできないみたいだからな。

政治家やら経営者やら票田の取りまとめ役なんかが反対しているのかもしれない。

その条件で次にできる対策を考えたら酒類禁止だろう。まぁ理解はできる。

とはいえ、偉い人が根本的な対策を間違えたまま現場小手先対策を取ろうとして

泥沼に入るのはこの国の様式美であり最終的に大負けするんだろうなと思う。

2021-03-21

anond:20210321183258

投稿は甘え>再投稿権利(様式美)は

単純に複数人いる

 

魚拓マンは流石に手作業じゃないだろ

統計増田と同じくプログラム組んどるやろ生物的に無理

2021-03-14

anond:20210314130022 anond:20210314124547 anond:20210315144012

やべーやつ番付のヤツが一番ヤベー説(様式美)

 

あと増田統計

わざわざプログラム組んでテキスト拾ってってな

愛?憎しみ?それとも仕事

 

現在は 00:04 に投稿されてるけど昔は結構ずれてたし。最近はずれてないみたいですね

2021-03-10

シン・エヴァ秘密(重大なネタバレあり)

公開から三日、はてぶ見てるだけでも様々な感想が、アニメカテゴリからはみ出すぐらい飛び交っていて楽しく読ませてもらっている。

だけど、一つだけ誰もあまり気にしていないように見えて自分にはどうしても納得できない点がある。

それはシンジの復活具合、というか変貌ぶりだ。

冒頭からかつてないほどの壊れっぷりだった彼が、チョーカーを見ただけでロッパーしてしま状態だった彼が、ゆっくりと第三村生活の中で回復していく話なのはもちろん分かる。

だが、そのあとヴィレの面々の信頼を勝ち取り、初号機に乗りゲンドウと対峙し、各登場人物を救う碇シンジの変貌ぶりは、ちょっと心の傷が回復したなどという生易しいものではない。復活しすぎて別人格になってませんか?

少なくとも自分はかつて見たことがない碇シンジだ。とんでもない極限状態の中、落ち込むこともなく激昂することもなく自らの考えを伝え、どこまでも冷静に他人を思いやって適切な判断を下していく。

圧倒的に大人だ。控えめに言って悟ってる。これじゃまるで別人だろ。これは別人です。ストーリーとしてつながっていないのだ。いくら作劇の都合だからといってやりすぎだ。

そうぶつくさ思いながらインフィニティの如くホッテントリを埋め尽くしたエヴァ感想群を徘徊していて、突然気がついた。

日本?の物語様式美としてひとつだけ、男子が一生のうち一回だけ、一日いや一瞬で全人格換装できる儀式存在することを。

やりやがった。

そっくりさん最後LCLか?LCLメタファーなのか?

それともアスカマリの寄り道のときか?どっちだよ?まさか両方か同時にか犬畜生

劇中ではっきりと描写されていないのが悔やまれるが間違いない。庵野に聞いてみろ。あの手のアニメ主人公人格変異を起こす理由はそれ以外にないのだから

2021-03-01

3分クッキングを見て思うこと

こちらが全て切った材料です」

こちらが〇〇分炒めておいたものです」

これ要る?

映像の早回しとかカットを使えば最小の材料で済むと思うんだけど。

.

まあ、その分映像編集の手間はかかりますね。

あと料理先生拘束時間が長くなるからだめとか。

余った食材は後でスタッフのまかないになるからいいんだよとか。

あらかじめ用意しておくこと自体ネタというか様式美なので、とか。

いろいろあるんだろうな

2021-02-16

anond:20210216110825

そういう話だったんか

旅館なんて古めかしい「様式美」を例に現代を語ってるのって頭悪すぎるなw

教えてくれてありがと

2021-02-08

anond:20210208113135

という両面を、右も左も双方が理解してくれればいいんだけどね。

海外からしたら日本中国も「対等」なはずなのに、そこに偏りが生まれるのはなぜ?というのは当たり前の問。

まあ、ウヨ陰謀論者が考えるように「中国に肩入れしている」わけじゃなくて、「敵国の中国と違って日本は実質植民地から白人の思い通りに統治してよい」と勘違いしているだけだろうけど、それはそれで日本人としては面白くないよね。

一方、日本人が中国のことより日本のことに興味があるのは当たり前。

しろ日本国内と中国のことを「対等」に扱ってたら、ただの偽善者だろう。

しかしまあ、日本国内にも「敵国の中国と違って日本は実質欧米植民地から白人様の意向通りに統治されるべき」と勘違いしている人がたくさんいるけどね。

それをウヨ陰謀論者が「中国に肩入れしている」とレッテル貼るまでが様式美

会長性差別問題については、IOCが参戦した時点で日本だけの問題でもなくなってしまったので、以上の議論が使えたのもこの間までの話なんだけどね。

2021-01-28

200200年アニメ感想

爆走ひぐらし烈&郷

前作で遂に圭一が魔女になったのを見てもうついて行かねえと決めて20年、やっぱりまた続編が出てくると見てしまった。

平行世界と繋がっているのをいいことに相変わらず雛見沢が広がる広がる。

番組パロディのために平気で日本列島より長くなったのは苦笑しか無かった。

オチ

まあ相変わらずやね。

鬼滅の刃RX-2

惑星連盟CEROに合わせるために首が飛ばなくなったのに爆発で血しぶきが出るのはセーフなのか……。

というか今回も兄の呼吸最強ですか?

そろそろ新参者呼吸を活躍させてもいいのではと思うものののこれも様式美か。

アサクリと公式世界観繋げたのに相変わらずアサシン教団はかませのままなのでそれも様式美か。

ダイの大冒険 魔界編3章

今どき全編人間手書きとか完全に狂ってるんだが?

そこまでやる情熱が凄いんだが、そもそも2章が前すぎてスタッフですらストーリー誰も覚えてないという。

歴史に断絶があったせいではあるんだが、転生時の持ち越し不備も重なってるからマジで全員うろ覚えっていうね。

バギムーチョとか絶対名前間違ってるだろ。

2021-01-19

民主主義ってのはゴミクズどちらか選べって選択国民に迫るもの

そんなゴミクズを選出すべく投票所に通った国民共が、裏切られたと知った途端に

選挙に行かなかった若者が悪いとか言って責任転嫁するまでが様式美

そんなに若者を参加させたけりゃ、手前が選挙に行かなけりゃ若者比率上がるだろ

普通に多数決やったらどうあがいても勝てないんだから

そりゃ政治に無関心というより民主主義懐疑的と言うべきだな

求められているのは革命なんだよ

古い政治より新しい政治の方が優れてるなんて誰も思っちゃないんだ

清き一票では世の中の何も変えられないと知っているだけ

新しい世界支配しているのはGAFA

そこに投票権はないが、ゴミクズを選ぶ必要もない

2021-01-06

社長年始挨拶の冒頭、

寝正月というのは、大晦日まで忙しく仕事して、元旦は寝てるという商人を指した言葉だそうです。私にとっても今年は寝正月でした。」と話すのが慣例。

「嘘つけ! 仕事してねぇだろ!」と年男が野次飛ばし

「ウルセェ! バラすんじゃねぇ!」と言い返して初笑いをとるまでが様式美

2020-12-20

anond:20201219123854

記憶に新しいところでいえば発表会でのアニメ版サクラ革命もそんな感じだったな

知性のないモンスターのようなエネミーが目の前にせまっているのに

ピンチに陥ってる主人公ヒロインの長々とした会話が終わるのを悠長に待ってくれている

これは原作漫画もないんだからもうちょっとやりようあると思うんだが、

そこらへんはやっぱアニメーター脚本家センスないんやろな

作ってる側からたらこれはわざとで様式美だってことかもしれんけど

まりにもリアリティを置き去りにされると萎えるんよ

2020-12-10

別にオタク」じゃないオタクが増えているよなあって話

 タイトルでもうなんか、色々と察せられてしまうような気がするのですが。

 最近オタクっていう言葉意味がなんかもう違うんじゃないか?って思うことが多くて。端的に言えば175と言われたりする、旬ジャンルを追いかける方々のことなんですけども。

 この文章では別に、旬ジャンルを追いかけることを批判したいわけではなくて、175って本来、食い尽くしてダメにするみたいな意味合いだと思うけど、「ダメにしない」で追いかける分には別にいいわけで。私も旬ジャンルの中でも気になるものは手に取る。旬ジャンルの、覇権の、あの浴びるような供給って、「シャブ」なんですよね。公式や神絵師から毎日ご馳走がふってきて、色んなコラボに盛り上がって。同人をやられる方も描いた絵が万バズしたり本が売れまくったり(人によっては)するんでしょうし。日々の憂さを忘れる、お祭りみたいなものです。

 にしたって、旬ジャンルが来るたび追いかけてはグッズを買い、綺麗に並べて「推ししか勝たん」などと言いながら数ヶ月後にはメルカリで売却したり、神絵師に「今流行りの○○は描かないんですか?そのほうがバズりますよ」と焼きマロを送ったり、なんというか、「旬ジャンルを追いかける」というファッションを楽しむ人があまりも多い。それはオタクじゃなくて、「ジャンルアニメ漫画ゲームなだけの流行り物好き」だよなって思う。

 上記描写がいわゆる「量産型オタク」になってしまったけど、グッズを綺麗に並べたりデコったり可愛い服を着てピューロなどの映えスポット写真を撮る傾向にある人=「オタク」と思えない人と言いたいわけではなくて。ただそういった様式美が生まれて、そういった行為を「オタ活」と呼ぶことが、オタクファッション化を加速させていることは否めないかもしれない。(私も量産という概念は好きだし、推し概念服着て映えスポットいったりするけどね。)

 じゃあどういう人が「オタク」かと思うかって、「オタク」って多分めんどくさい人なんですよ。公式の1シーン1シーンにああでもないこうでもないと解釈をつけたり、情緒を乱されたりする。別に古いジャンル供給の少ないジャンルいつまでもこねくり回せってわけじゃないけど、そういう一欠片も映えない静かな狂気みたいのが「オタク」だと思ってる。アニメ漫画ゲームじゃなくても、デパコス筋トレ美容にそんぐらいの執念をもってる人も「オタク」だなあって思う。

 別にオタクファッション化するのはいいし、アニメ漫画ゲームが好きでも肩身の狭くない世の中に、どんどんなってるという面もあるんだとは思う。ただ、5年前ぐらいよりどんどん一つのジャンルにとどまる人が減って、そのたびに垢移行したりするからネット上でオタク友達作るみたいな楽しみは得づらいし、一つ一つの作品を作るのには膨大な積み重ねがあっただろうに、あっという間に毎回同じノリで消費され炎上されオワコン扱いされるのってなんだか虚しいなあと。でも多分その傾向はどんどん強まるんだろうなあ。この文章、めちゃくちゃ早口な感じがするね。おわり。

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