タイトルでもうなんか、色々と察せられてしまうような気がするのですが。
最近、オタクっていう言葉の意味がなんかもう違うんじゃないか?って思うことが多くて。端的に言えば175と言われたりする、旬ジャンルを追いかける方々のことなんですけども。
この文章では別に、旬ジャンルを追いかけることを批判したいわけではなくて、175って本来、食い尽くしてダメにするみたいな意味合いだと思うけど、「ダメにしない」で追いかける分には別にいいわけで。私も旬ジャンルの中でも気になるものは手に取る。旬ジャンルの、覇権の、あの浴びるような供給って、「シャブ」なんですよね。公式や神絵師から毎日ご馳走がふってきて、色んなコラボに盛り上がって。同人をやられる方も描いた絵が万バズしたり本が売れまくったり(人によっては)するんでしょうし。日々の憂さを忘れる、お祭りみたいなものです。
にしたって、旬ジャンルが来るたび追いかけてはグッズを買い、綺麗に並べて「推ししか勝たん」などと言いながら数ヶ月後にはメルカリで売却したり、神絵師に「今流行りの○○は描かないんですか?そのほうがバズりますよ」と焼きマロを送ったり、なんというか、「旬ジャンルを追いかける」というファッションを楽しむ人があまりも多い。それはオタクじゃなくて、「ジャンルがアニメ漫画ゲームなだけの流行り物好き」だよなって思う。
上記の描写がいわゆる「量産型オタク」になってしまったけど、グッズを綺麗に並べたりデコったり可愛い服を着てピューロなどの映えスポットで写真を撮る傾向にある人=「オタク」と思えない人と言いたいわけではなくて。ただそういった様式美が生まれて、そういった行為を「オタ活」と呼ぶことが、オタクのファッション化を加速させていることは否めないかもしれない。(私も量産という概念は好きだし、推しの概念服着て映えスポットいったりするけどね。)
じゃあどういう人が「オタク」かと思うかって、「オタク」って多分めんどくさい人なんですよ。公式の1シーン1シーンにああでもないこうでもないと解釈をつけたり、情緒を乱されたりする。別に古いジャンルや供給の少ないジャンルをいつまでもこねくり回せってわけじゃないけど、そういう一欠片も映えない静かな狂気みたいのが「オタク」だと思ってる。アニメ漫画ゲームじゃなくても、デパコスや筋トレや美容にそんぐらいの執念をもってる人も「オタク」だなあって思う。
別にオタクがファッション化するのはいいし、アニメ漫画ゲームが好きでも肩身の狭くない世の中に、どんどんなってるという面もあるんだとは思う。ただ、5年前ぐらいよりどんどん一つのジャンルにとどまる人が減って、そのたびに垢移行したりするからネット上でオタクの友達作るみたいな楽しみは得づらいし、一つ一つの作品を作るのには膨大な積み重ねがあっただろうに、あっという間に毎回同じノリで消費され炎上されオワコン扱いされるのってなんだか虚しいなあと。でも多分その傾向はどんどん強まるんだろうなあ。この文章、めちゃくちゃ早口な感じがするね。おわり。