はてなキーワード: 怨念とは
10代から20代にかけて、およそ10年間、「実家に放火して親を焼き殺す」計画を立てて過ごしていました。
本気でした。警察の本部に売っている「捜査幹部必携」という専門書も入手して、焼死の際の事件性の有無の判定基準まで学びました。
刑務所には入りたくなかったのです。現代の火災現場検証では油が出火もとであればすぐに反応が出る、例えば首を締めて殺した後に火をつけたとしても、肺の中に煙が入っていない(呼吸をしていないから)ことで事件性はすぐに明らかになる、といった内容が載っていました。難しいな。何回も計画を練り、材料を燃やして検証し、でも、実行には移せずにいました。
物心ついた頃から虐待を受けていました。貧困家庭でした。年収200万円の5人家族。その中には、血の繋がっていない人も何人かいました。
思い出したくもありません。口減らしにと、真夜中の山奥に車で連れて行かれそのまま放置されたこともありました。パチンコ狂いの義父が負けて帰ってきて、私のゲームボーイを取り上げて遊びながら私をサッカーの球に見立ててドリブルしてきたこともありました。
食べ物はありませんでした。砂糖に一滴の水を垂らしてレンジでチンすると水飴になるのでそれを食べていたのですが、バレて砂糖を隠され、近所の猫のカリカリを食べました。あれは不味かったです。ハムスターの餌の方が美味しかったです。植物だとツツジの花がほんのり甘くて美味しいと思います。スミレの花も味が薄いので悪くないです。
ある時のドリブルで腰の骨が折れたことがあります。ベッドで動けない私を見た母親は、髪の毛を掴んで綱引きのように引っ張り、私はベッドから転落させられた末、殴られました。ちょうどお盆のことでした。他の家族は私を置いて旅行に行ってしまいました。私は這いずり回りながら、砂糖を探して食べました。帰ってきた母親に折れた腰のまま土下座をして、ようやく医療機関に連れて行ってもらいました。私の足は今も一部がしびれたままです。
紺色の服と白い服しか持っていませんでした。当時流行していた「ベティーズブルー」といった鮮やかな色の衣料とは無縁で、惨めでした。義父は自分が稼ぎが少ないのが気にくわないのか、常にコンビニ店員やガソリンスタンド店員にタメ口で命令していました。かわいそうな、あわれな大人だなと思いました。
長女でした。何度か「父親」が代わり、下の兄弟が増えていき、一番最初の父親に顔がよく似ている私はことごとく除け者扱いされました。
抱っこされた記憶があまりありません。おかげで、25歳ごろになるまでは、交際した男性にも「触らないで!」と要望していました。なにしろ、ハグの仕方が分からないのです。手を繋ぐのも怖かったのです。
自宅では、他のきょうだいが名前で呼ばれる中、「ゴミ」と呼ばれていました。劣等感の塊でした。小学3年から自殺未遂をしました。
数回やってもなぜか生きています。きっと、覚悟がなかったから死ねないのでしょうけれど。
そんな日々で、唯一自尊心を満たしてくれたのが、学校のテストの点数でした。良い点を取れば、認められる。認められたい。なんでも良いから。なんでも良いから認めて欲しい。だから、狂ったように勉強しました。河合塾主催の模試の上位者ランキングに名前が載りました。トイレでも、お風呂でも、ご飯の最中も勉強していました。
志望校に落ちました。「ちょっとだけ頭がいい方」くらいの、赤本を一度も解いたことがないような滑り止めに進学しました。
その時も本格的に自殺未遂をしましたが、死ねず。その学校に通い始めました。
しかし、なんにせよ、実家から脱出できたのは本当に大きかったです。
都内の家賃4万円のアパートを借りました。保証人欄には、今は行方の知れない実父の名前を書きました。奨学金は容易に掛け持ちできました。機関保証と給付です。アルバイトは3箇所ほど常勤で入り、当時規制がなかった日雇い派遣の案件をこなして生活費に当てていました。
ちなみに4万円のアパート、壁が薄くて、外で住人が階段を上がる音がするたびに、かつて母親がそうやって暴力をふるいにきたときの足音を思い出してしまいしばらくは安眠できませんでした。
もともと家に居場所がなかったため、学校ではずっと社交的で行動的なキャラクターを演じ続けていました。表面的な友達がとにかく多いタイプでした。親友はできませんでした。
それが功を奏してか、大手マスコミの内定を取ることができました。
初任給が、かつて私が育った家庭の2.5倍ほどありました。
5人家族で200万円だったのが、1人で500万円です。
お金の使い方が分からないので貯蓄してばかりですが、ずっと入れなかったファミレスの「ジョナサン」などに行くようになりました。
付き合いの宴席も多く、クレジットカードはあっという間にゴールドになりました。
PTSD。
心的外傷後ストレス障害とも呼ばれるこの病気は、辛かった日々が急に頭の中でフラッシュバックし、同じような苦痛を感じる、というものです。私は毎晩、義父にドリブルされる夢や、母親から階段で突き落とされる夢、10代の私が苦労して貯めたアルバイト代を母親が奪い取って美容整形に行って顔が変わって帰ってきた時の夢、そんなものばかりを見ました。
次第に不眠になり、虐待関連のニュースでも吐き気がするようになりました。マスコミ勤務でそれは困ります。現場では頓服を飲みながらかなり無理をしています。この無理ができなくなった時、私は職と社会的地位を失うと思います。
10代の時は貧しくて憎かった。20代で就職し、富を得ても病気で常に苦しめられた。だから元凶の実家を燃やしたい。ずっと、ずっと思っていました。
「実家を燃やしたい」から「どうでもいい」に変わったのは、最近のことです。
私は発病から5年以上が経過しました。一生病気と付き合って行くと思います。そんな中で、憎しみと怨念を抱きながら暮らして行くのは、もう疲れました。
そう、疲れたんです。
幸いにも今、「あなただから話せる情報なんだけど」と仕事に役立つ情報を提供してくれる人も増えています。結婚はしていませんが(結婚話は、元彼との間で一度でました。親の話などが出てくると、とたんに受け付けなくなってしまって、衝動的に別れを告げました)、結婚もありかな、と少しずつ考えることができるようにもなっています。今の生活を守りたい。それだけ、それだけなのです。
故郷の役場に行って、あの家庭の戸籍から私の名前を抜いて分籍しました。頼る家族はいません。正真正銘、ひとりです。
精神疾患を患った我が身のみが頼りです。
これで、よかったんですよね?
現在日本が抱える様々な問題は、国民を50歳で強制的に安楽死させることでその多くが解決されることに気づいた。
50歳強制安楽死制度下での日本国民の一生は大体以下のようになる。
まだ若い両親の寵愛を受けて育つ。
後述の通り両親はまだ学生であるため時間も体力もあり、全面的な愛を受けて育てられる。
小学生。
現行の小学校とほぼ同様だが、来るべき中学生時代に備え恋愛やセックスに関する踏み込んだ性教育を実施する。
中学生。
男女ともに中学校にて婚約相手を見つけて婚約。第一子をもうける。
妊娠中は女子生徒は学校に通えなくなるので、e-larningや家庭教師などで国が全面的に学習をサポートする。
高校生。
大学生。
学生であるため長時間残業で子供と接する時間が取れないなどということもない。
後述するが両親はすでに退職間近であるため、子供の面倒を全面的に委託することができる。
子供の面倒に気を奪われることなく、全身全霊を仕事に注ぎ込むことができる。
退職。
40歳以上の人間は仕事のパフォーマンスが下がるため社会には不要。早々にリタイアする。
孫(概ね10歳前後)とも仕事を気にすることなく存分に触れ合うことができる。
社会人時代は身を粉にして働いたため、遊びに使う貯金も十分にある。
第二の青春と言って良いだろう。
安楽死。
「初恋をしたのは中学生の頃だった」という人も多いのではないだろうか。
この制度下では中学生時代に結婚するため、現在のような30歳を過ぎて男女ともに打算で行う醜悪な結婚とは異なり、若い純粋な恋情をそのまま婚姻という形で実らせることができる。
今日、恋愛の自由主義化はますます加速している。それに伴い男女ともに恋愛・結婚から取り残される人間が多く出現するようになった。特に男性の高齢童貞が社会に対して抱いている怨念は凄まじく、その存在自体が人々や社会に迷惑を与え、中には直接人々に危害を加える人間まで出現する有様である。
この制度下ではかつて共同体や企業が果たしていた「お見合い」の機能を中学校が代替する。これにより恋愛やセックス、結婚から漏れ落ちる人間がいなくなり、それは即ち高齢童貞の消滅を意味し、治安においても精神衛生の面においてもこの国が安定することに繋がる。
40歳以上になると体力も低下し思考も硬直化するため、労働力としての価値は低下する。
この制度下では40歳で退職となるため、20~30歳の働き盛りを労働力の中心に据えることができる。
女性は生物学的宿命により、妊娠出産のために最低でも1年近くは前線から離れることとなってしまう。一方グローバル社会での企業間の競争は日に日に激しくなり、どの企業も産休・育休による社員の前線からの離脱を容認できる体力がなくなっている。女性の社会進出の意義を企業は理解していても、どうしてもこの事情があるために女性社員の雇用や重役に任命することに二の足を踏んでしまうのだ。
この制度下では新卒入社時点ですでに女性は2~3人の出産を終えており、また祖父母による育児サポートを得ることができるため、産休・育休による戦線離脱がない。これにより企業も安心して第一線の企業戦士として女性を雇用することができる。
「24時間働けますか」とはバブル時代を象徴する栄養剤のCMのキャッチコピーであるが、この言葉通り資源のない日本は粉骨砕身の労働によって世界トップの経済大国に躍り出た。企業間の競争の苛烈さは日を追うごとに増すばかりだが、それに反するように労働者の育児に関する休職・早退の問題も増してきている。この制度下では前述の通り現役労働世代が育児の問題に悩まされることはない。気を惑わされることなく自分の取り組むべき仕事に100%のエネルギーを注ぎ込むことができる。これにより日本の競争力は高まり、グローバル経済戦争の覇者となるだろう。
両親が仕事に忙殺されるがためにネグレクトとは行かないまでも十分に愛情を受けることができない子供も多くいる。特に専業主婦が少なくなり母親もフルタイムで働くことが多くなった今日においてはどうしても子供が両親と触れ合う時間が少なくなってしまう。
この制度下では0~7歳くらいまでは両親に、10~20歳くらいまではリタイアした祖父母と触れ合うことができるため、多くの愛情を受けて成長することができる。
この制度化では中学~高校時代になるべく多く子を産むことが奨励される。
まだ学生の身分であるから仕事を気にすることなく産休・育休を取得することができる(休暇中の学習は前述の通りe-larningや家庭教師でサポート)。
また、すでにリタイヤ済みの若い祖父母に全面的に育児のサポートを受けることができる(両親は仕事に集中しているためまだ孫の養育には参加できない)。
社会としても少子化が解消されるし、仕事に熱中するあまり出産適齢期を逃して涙を流す人も減るだろう。
卵子も精子も加齢によって痛み、男女ともに年を取るごとに妊娠能力が低下する。
この制度下では生物学的な妊娠適齢期である中~高校生の間に妊娠・出産を済ませるため、不妊問題は大きく減少するだろう。
現在の日本社会では60歳定年制度すらも無くなり、65歳あるいは70歳までも働かせようとする動きがある。
70歳でリタイアしたとして、その老体でどのような第二の人生を楽しむのか?
この制度下では40歳という若い年齢でリタイアするため、旅行やスポーツを存分に楽しむことができる。
10年という余生は短く感じられるかもしれないが、まだ若い中年時代の10年の密度は後期高齢期間の数十年に匹敵するだろう。
50歳で安楽死するため退職~死までの期間は10年しかなく、現役時代の苛烈な労働によって十分な貯蓄を行うことができるため、年金制度を廃止することができる。
ガンの終末は苦しい。
ガンに限らず年を重ねるごとに重い病気によって死ぬ確率は高まる。
そうなる前の50歳という比較的若い時点で安楽死することにより、苦しみの果てに臨終するという悲劇を可能な限り避けることができる。
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2014/01/24/111403
2014-01-24
昔からインターネットが大好きな人は一度は聞いたことがあるであろう人物、御堂岡啓昭氏がなくなったようだ。彼に長年つきまとわれ、嫌がらせを受けていたBeyond氏が彼の死についてエントリーを書いている。
・御堂岡啓昭、死んだってよ(悪徳商法?マニアックス ココログ支店)
・【悲報】熊本・放射能防御活動の中心、御堂岡啓昭氏が亡くなった理由。11月に過労死寸前で医師が入院通告。(木下黄太のブログ)
ご参考
やまもといちろう ▲10
otsune ▲8
村長 ▲8
(お友達)
beyond ▲6
(その他)
はあちゅう ▲2
イケダハヤト 無傷
ピンポイントで狙われすぎや
罵倒と詭弁のワンツーをベースにした2ch的な「絶対に負け(を認め)ない」テクニックを駆使しつつ、
そこには何某かの論理が存在していたし、奥底に一筋の理性が残ってたよね。
手動で24時間コピペ荒らしを続けてる奴とか、ひたすら特定人物への怨念めいた文章だけを投下している奴、
明らかな妄想を有名人にリプライしまくっている奴、そういうのと比べたら荒らしともキチガイとも思えない。
少なくとも、俺は低能先生を通報したことがないし、通報しようと思ったこともなかった。
うざいけど、アホだけど、どうせニートなんだろうけど、決定的に迷惑なわけではない、せいぜいクソコテくらいのイメージ。
それを挨拶程度にしか感じられないのがおかしいって分かってもいるんだけどな。
俺の中にこんなにも低能先生への愛情…ってわけではないけど、愛着があったんだなと思うよ。
イクメンっていう言葉の響きは気持ち悪いなと思うんだけどさ、良い父親であるかどうかってのは資質の問題であって善悪で断じても仕方ないだろうという気がしている。
俺には小学生の子供達がいる。発達障害があるんで2歳から療育に取り組んでいる。
遠い病院や療育施設に通ったり、自宅で自分で療育したりとかいろいろしてきた。
ただ、料理はほとんどしないので、所謂イクメンと言っていいのかわからないけれど、家庭を蔑ろにするタイプではない。休日は子供達の用事でほとんど埋まってしまう。
このことは大変ではある。ただ、嫌なのかと言われるとそんなことはない。何故なら子供達が好きなので。
独身時代の自分を知る人には変わったと言われる。自分としては実は変わっていない。
独身時代は趣味が一番大事なものだった。だから没頭した。他はどうでも良かった。
今は子育てが一番大事で他はどうでも良い。自分の中で大事なものが変わっただけで自分自身は何も変わっていない。
子供たちを大事にする一方で親や妻への配慮は足りないんだろうと思う。大事なものはいつもひとつだけで他に配慮が足りないのは変わっていない。
別に責任感とかそういうので子育てをしているわけではない。子供達が好きなだけ。好きになるのは努力ではなくて、自然とそうなっただけ。好きなものには自然と力が入るもんだ。
だから世の中の奥さんの夫に対する溢れる怨念を聞いてもその夫が悪いとは思えない。
自分だって自然に子供を好きになれなかったら独身時代と同様に趣味にかまけていたのかもしれない。
良い父親になれた人はラッキーなだけで偉いわけではないんだよな。
全部バランス取れている嫌われる勇気な人が理想なんだろうけど、なかなかそう上手くはいかんよね。
父親に責任感の下での理想的なあり方を求めるよりも、子供を好きになってもらうためのメソッドを考えた方がいいと思うの。
どうしたら良いかはお前ら考えろや。