はてなキーワード: 幼児とは
既婚者で子供がいる母親の腐女子が幼児を二次創作のネタにしようと観察している的な発言をしていて本当に気持ちが悪い。
園の送り迎えの時に子供のこと性的な目で見るな。それをネタにするな。
自分の子供がそういう目線で見られてたら嫌じゃないんだろうか。
ソイツが受けを女児のように描くタイプの腐女子なので男女問わず幼児を性的な目線で見てるんだと思うとますます気持ち悪い。
男が幼女を好きなのも気持ちが悪いが同じように女が幼児を好きなのも本当に気持ちが悪い。
なんとなく女は子供のこと性的な目で見ない安全な生物と世間では思われてるけどそんなことはない。
推しのこと別に性的に見てませんけど、私はとても推しに興奮しています!ってのを表現するために使われている時も多い
最近は「食べたい」もよく使われるようになった。推しをお餅とかにたとえて、食べたい!などと言って、決して性的には見てないけど、何か推しに対して侵襲性のある接触行為を取りたい気持ちを表現する手法である
こういうのって私は興奮しています!って構文だからどんどん表現がエスカレートしていくんだよね。最初は「赤ちゃんみたいでかわいい!」くらいだったのが、幼児言葉使いだしたり、推しの画像にヨダレかけや哺乳瓶のイラストをコラしたり。「白いお餅みたい」だったのが「二の腕にあんこつけてかぶりつきたい」とかになる。うん、キモいよな。
日本人にはお気持ち長文の方が響くから、その方が効果あることによる結果論だと思う。
ロジカルに客観的な立ち位置で書くと、その問題が深刻でないとの印象につながるようだ。
さらに筆者にえらそう云々と反感を持つ読者も少なくなかった。
過去も、悲劇的な事件(幼児や家族複数の犠牲など)→世論の盛り上がり→法制化という流れが多かった。
ロジカルに考えてあるべき論を考える人も、世論や実現性のために、お気持ちマーケティング方法論を取らざるを得ない。
普通に自由競争やった結果、日本市場ではお気持ち長文が勝ち残って来たんだ。
しかし義務教育でライティングはこうあるべき、議論はこうあるべきと教育したら、
今度は逆に、鬼の首を取ったように、お気持ちマーケティングが批判対象になるかもしれん。
ふとオタクのやっていることは幼児の頃から変わらないと思う。例えばアニメも漫画もゲームもみんな子供が好きなことだし、絵や漫画を描くのもクレヨンで自由帳に落書きしてる子供の延長線上だ。コスプレもプリキュアなりきりセットやライダー変身ベルトみたいなものだし、ネットでいくらでも作品を上げられる時代に即売会をやってるのだってお店屋さんごっこが楽しいからだろう。鉄オタや車オタもトミカ好きの子供だし、ぬい活とかしてるオタクもぬいぐるみはまさに子供が好きだ。
人によってはこの時点で無理と思う人もいると思う。
自分の場合はただの幼児趣味というだけならあまり引かない。例えば世間で結構叩かれてる鉄オタは個人的にそこまで嫌いじゃない。あと特撮好きの男オタクとか純粋に可愛い女の子を愛でてる女オタクとか。苦手なのは幼児趣味に性欲がプラスされた場合だ。
例えばプリキュアを見てる男オタクとか、美少女フィギュアやらドールを収集したり写真撮影してる男オタクとか、ぬい活で推し(男)を着飾らせたり男キャラのぬいぐるみ同士でイチャつかせて写真撮ってる女オタクとか、レジンやビーズでキャラやカプのイメージアクセ作ってる女オタクとか、イケメンキャラの男装コスプレしてる女オタクとか、逆に美少女キャラの女装コスプレやバ美肉してる男オタクとか、うわーってなる。あとウマ娘とかけものフレンズとか刀剣乱舞とか艦これとかアズレンとか萌え擬人化コンテンツは全部無理だ。子供は自己中心的であり、物体や現象も自分のように命のある生き物として扱うことで理解しやすくなるらしく、こういうのをアニミズム的思考というそうだ。萌え擬人化コンテンツもそれに近いもの+美少女やイケメンを眺めたいという性欲を感じる。あと女性声優やVTuberの高くてハキハキしたいわゆるアニメ声も、うたのおねいさんを彷彿させる。うたのおねいさんをエロ可愛くした感じ。引かない方で上げた特撮オタクとかもこれが特撮で二次創作してる腐女子とかだと引くし、女の子を愛でる女オタクもそれをイケメンキャラとくっつけてカプとして楽しんでたら引く。
「君たちはどう生きるか」感想。
具体的なネタバレはそれほど無いと思うが、作中のかわいい一キャラクターのみ個体言及する。
一言で表すならば、眠りの浅い時に見た夢。
ナウシカ、ラピュタ、トトロ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫、ハウル、ポニョ、そして風立ちぬといった宮崎駿歴代作品イメージボードをブンブン振り回されて巡らされた。
呆然とした。
映画が終わった時には、なるほどね、と口から漏れていた。何故広告を打たなかったのか、得心したからだ。むしろ広告が打てなかったと言う方が正しいのではないかと思う。
ストーリーが訳がわからんかったのは別にいいというか、この作品自体が夢みたいなもんだからどうでもいい。
まず引っかかったことの第一、台詞回しが説明的だったのに結構なダメージを受けた。
映像だけで説明できているはずのシーンで重ねて行動の意図を口に出して「今この台詞言う必要あったか?」となったのが、覚えている限り少なくとも二回はあった。
他にも感情の流れの描写がなく、どうにも唐突に結果だけが放られる台詞が多かった。細田守を彷彿とさせる台詞回し。辛かった……
私はキャラクターへの共感については特に必要性を感じない方なのだが、感情の流れだけはしっかり描いてほしいと思っている。その流れがブツブツ途切れていて、最後に繋げたい結論だけを口にさせていて、気持ちが悪かった。
それも意図的なのかもしれないが。
第二にショックだったのは、ワラワラがただ可愛いだけのゆるキャラだったこと。
駿の中にはもうマスコットになりうる「可愛くて、でも不思議な」キャラクターはいないんだなと痛感した。
安直でなんの捻りもない造形には、宮崎駿の原体験や自然の中にある生命の伊吹を感じることができない。そこに「いる」必然性は描かれず、ただ丸く、かわいい、特徴の廃された「マスコットらしいマスコット」でしかない。
子供向けにフックとしてマスコットが要るだろうという「思いやり」もしくはジブリと言えばという商業的要請から出されたキャラクターにしか感じられなかった。
DNA螺旋なことは分かるが、それにしたって安直なデザインには宮崎駿の興味・関心が感じられない。
まあそこは今の宮崎駿にとってはどうでも良かったのだろう。でもシンプルながら風変わりで、動物や幼児の見せる原初の感情や愛嬌を細やかに描いたキャラクター達を愛していたので、個人的にショックが大きかった。
現在の宮崎駿の中で鮮やかに表現されるのは、戦争であってファンタジーではないというのは今作を観て強く感じられた。
最も切実にこちらに訴えかけるのはやはり空襲のシーンであったし、街が燃え、人が炙られ彷徨うシーンだった。
主人公が自らを傷付け、結果二兎を得るが上手いこと加減できず割と深い傷になる小賢しさと迂闊さも少年らしく良かった。
背後に不穏さが漂う陰鬱な現実こそが「今」の宮崎駿なのだろう。現代情勢からも必然だろうとも思う。
私は宮崎駿の、普通エンターテインメントに乗りきらない切実で繊細なものを、エンターテインメントという砂糖をまぶして結実させ、本来のターゲット外の人までより広く世に送り出す手腕にこそ心酔していた。
「風立ちぬ」なんかはその真骨頂で、あんな純文学を大々的にお出ししてきたのは正気ではないと思いつつ狂喜乱舞したし、そこに込められた宮崎駿の諦念を目の当たりにし、これで創作活動を終いとするのは悲しすぎると涙した。庵野が棒すぎて頭に入らないから嫌と内容以外の部分で周りに否定されたのも悲しかった。
結果的に言うと「風立ちぬ」は宮崎駿の終点とはなり得ず、私の望みは叶えられた。
「君たちはどう生きるか」を鑑賞し、ここまでただ狼狽した心情を書いてきたが、今の宮崎駿に非常にショックを受けつつも、なんとなく心穏やかになった部分もある。
宮崎駿作品から既にひりついた表現への欲を感じなくなったのは、それはそれで救いであるとも思う。
そういう意味では、私にとっても「宮崎駿」への餞というか、終活になった。
どんなに作品の底に込めた意味があろうと、こちらに伝えようという意思が感じられない、というか作品を観ながら「伝えたかったもの」を考える余地がある、物語に没入できない時点で出来の悪い作品と考えているので、作品単体で言うと★1なのだが、監督が宮崎駿ということを加味すると★3になってしまう。
「君たちはどう生きるか」を宮崎駿ではなく、例えば米林宏昌あたりが作っていたら私は激怒し、オマージュを大義名分にジブリブランドを体良く利用して棄損するなと気炎吐き散らして暴れ回っていただろうが、宮崎駿ならばこれを作る権利がある。
・同じような家庭、階層出身の女の子と学生時代に付き合って結婚
・人生で金銭的に一度も不自由することなく、やりがいのある仕事をして充実した毎日
・自然妊娠で生まれた子供たちは健康で明るく優秀で自分と同じかそれ以上に充実した人生を送り、可愛い孫たちを見せてくれる
来世の人生を想像してたらもう現世生きられなくなっちゃった。1番辛いのはこんな人生を送ってる奴が都内や高級住宅街にはマジで相当数いることなんだよな。〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇みんな怒る?
・父親は身長は175以上、母親は165以上 ・両親ともに国立or早慶or医学部 ・中学受験することは息をするくらい当然の地域で育つ ・幼児教室でスポーツ、ピアノ教室でピアノ、塾で中学受験 ・学校、幼児教室、ピアノ教室、塾でできる友達全てが上流階級 ・私立中高一貫校から東京大学か国立医学部に進学 ・同じような家庭、階層出身の女の子と学生時代に付き合って結婚 ・人生で金銭的に一度も不自由することなく、やりがいのある仕事をして充実した毎日 ・自然妊娠で生まれた子供たちは健康で明るく優秀で自分と同じかそれ以上に充実した人生を送り、可愛い孫たちを見せてくれる ・老衰で眠るように永眠 来世の人生を想像してたらもう現世生きられなくなっちゃった。1番辛いのはこんな人生を送ってる奴が都内や高級住宅街にはマジで相当数いることなんだよな。〇〇エクスプレス止めたらみんな怒る?
「本来のあなた」と言われて思い浮かべる「自分」とはどういう人間だろうか
多くの人間が「素直さ」から離れてなんか拗らせたアイデンティティを確立しちゃう時期は大体思春期・青年期だ
だとすると、混じりけのない己というのは幼少期の自分…と捉えていいだろうか?(つーかどの時期だって間違いなく「本来の自分」だけどな。他の誰かなわけねーし)
そういうことにしとくとして
自分の幼少期について思い出してみると
「なんかしらんけど地面とかをほじくったりしていた」
イメージだ
その1
親戚の家の隣は空き地だった。その空き地にはもともと家が建っていたそうだが、火事で全焼したそうだ
ほんで建物は無くなったが綺麗に整地されていたわけではなく、タイルの残骸とかがあった
稚い増田が親戚の家に遊びに行った際は、そのお隣の空き地でタイルを掘り返す作業を熱心に繰り返していた
親からは勿論「危ないからやめなさい」と言われていたけれども。ほじくり返すのがマイブームだったのでこっそりとやっていた
その2
自宅の裏には庭があった
砂地だったので、いろんな容器に砂を入れては何らかのごっこ遊びをしていた
ある時、砂に小さな穴ぼこが開いているのを見つけた稚い増田は、とりあえず穴を埋める作業を行った
穴の中に砂を落とし込む
するとどうでしょう
いま埋めた穴の部分がモゾモゾと盛り上がってくるではないですか
ぢっと観察していると、砂を押上げて地中から何かが姿を現し始めました
顕現したのはなんと蜂でした
地蜂というやつでしょうか?
ブブブブと可愛らしくお尻?を揺らしながら地上に向けて掘って上がってきたのです
砂を被ったお尻は薄緑の縞に見えました
その後の展開はお察しの通りです
待ちます
蜂が出てきます
以後ループ
といった具合に、大変迷惑な遊びを喜々として繰り返しておりました
蜂、健気
ごめん。蜂
その3
稚い増田は大体2階でお昼寝をしていた
母親が階下に降りてしまい暇になると起き上がって部屋の隅へ這っていく
部屋の隅っこの床と壁の間にはなんか隙間があり、そこには埃が溜まっていた
ほじくりチャンス到来である
一人黙々と埃をほじくり出す幼児
愉しい
といった具合に、なんかほじくったり埋めたりしていた
なんだそれ
つーか、ほじくってないだけで生産性無いところは今も変わらんわ
家の近くに大きめの公園がある。区が契約してると思われる公園整備の人たちが入ってるので、ゴミどころか落ち葉も落ちてない。
おしっこのニオイ!夕方〜朝にかけて散歩した犬のおしっこの臭いが夏の熱気で蒸されてすごい臭いになる。
そのニオイの中を散歩できる犬好きは鼻がおかしくなってるに違いないって確信できる臭さ。
ずっと思ってるんだけど、コンクリートの道でおしっこさせるのなんで?
横に草むらあるじゃん。道路歩かせてて、コンクリートの道しかないなら仕方ないかもだけどさ。ここ、少し踏み込んだら草むらじゃん。
おしっこに水かけたところで何も変わんないよ。排水溝なんてないでしょこの道。てか、水少ないな!
犬が吠えてくるの押さえつけてくれてありがとね。でも、あなたが水で薄めたおしっこが私の靴につきそうなことについては気にならないんだね。ここ坂道だから少ない水でも周りに広がるんだわ。
あと、この公園幼児が多くて、水たまりがあると走って触りに行く子が多いみたいだよ。
少なくとも水飲み場の周りでおしっこさせるのはやめさせられんか。
たくさんの犬のおしっこ薄め水が集まって水道の近くの道がびちゃびちゃだから、水遊びした水だと勘違いしてる子供がたくさんいるっぽいぞ。
犬も生理現象でやめられないし、コンクリートだらけの街で犬のおしっこどうにかしろって言われても難しいかも知んないけどさ、夏場はきついわ。
この前ペットシーツでおしっこ吸ってから水かけてた人いたよ。それでどこまで軽減できるかわかんないけど、気を使ってますって言う姿勢は見せて欲しい。
ちょろっと水かけたらOKって思ってる人たちは全員無理。やるならもっと薄めてくれ。めちゃくちゃ薄まった水が靴につきそうなくらいなら、こっちが100歩譲るわ。
でも水とおしっこ1:1はほぼ変わらんて。こっちも譲歩できないわ。
与党は(正確には内閣だけど)、最低でも月イチで、メディアが身銭を切って世論調査をしてくれる。「この製作が不人気だ」「こういう理由で内閣を支持しない」「◯◯で内閣を支持しない人は全体の何%」とかね。
一方、野党は、せいぜいが政党支持率が報じられるだけで、「立憲のこの政策を支持している人は◯%」とか「この案はめっちゃ不人気です」なんて出てこない。
与党はきちんとしたデータを元に、「この政策は不人気か。やめるか」「この政策はそこまで反発されてないな。続けるか」って事ができる。
野党はそれが出来ない。
ネット記者とかが「これこれ、こういう理由で立憲民主党は支持されないのでは」みたいな記事を出すことはあるが、その根拠となるデータは「記者の肌感覚」や「SNSの調査」くらいで、きちんとした数字は存在しない。
もちろん、すべてが誤りじゃないだろうが、肌感覚なんてかなり周りの人間の意見に左右される。
Twitterでリツイートが数千も行けば、バズってると言われるだろうが、冷静に考えろ。「数千」だぞ。数で言うなら、日本国民全体の0.0001%以下だぞ。もちろん、ネットも出来ない幼児や、寝たきり老人とか除外すると、もうちょっと率は上がるだろうが。
野党はそんなデータを元に対策を立てるから、頓珍漢な方向にばかり行く。
割と真面目に、野党はメディアに「うちが不人気な理由もきちんと世論調査しろ」と言うべきだし、それが通じないなら身銭を切ってギャラップとかに調査を依頼した方がいい。
子育てって健常児を産んで
上の子が三歳で攻撃的で、産まれてまだ1ヶ月たってない下の子に嫉妬して攻撃する
子供を一人だけ育てた親が「子育てって楽しいよ。自分にもできたんだからみんなにもできるよ」ってはてなでも言ってたけど
健常児の一人っ子って一番子育ての中でもイージーなパターンだろ
教育費は一人分
イージーモードじゃん
楽勝じゃん
これで「自分にも子育てできたんだからみんなもできるよ」何て言われても
子供の人数が増えるほど母親の幸福度さがるらしいけど、実際複数子供産んでみたら幸福度さがるのよくわかる