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はてなキーワード: ニーチェとは

2019-05-18

ニーハオ、ニーハイニーチェ

ニーハイを履いた神、

恥ずかしすぎて死にたくなるアル

2019-05-11

ニーチェを当時の神学者がどう受け止めたのか興味があって論文の構想を立てたんだけど、調べてみたら神学者ニーチェなんて相手にしないで完全に無視していたので、仕方がなかったんや。

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

anond:20190510211902

レーフラーの名を増田で見ることになろうとは。

当時のドイツってニーチェやレーフラーって名前の奴らだらけだったんだろうけどな。

2019-05-05

ボードリヤールとかリオタールの入門書ほしい

カント入門とかニーチェ入門的なノリで解説してくれる入門書ねえかな

2019-02-15

知り合いに

ニーチェ好きそう」って言われたんだけどこれって悪口か?

2019-01-14

anond:20190114232230

縋れるものがあるからそう言えるのではないですか?

なにものにも縋らず、それを言えますか?言えるなら、あなたはごく僅かしかいないであろう強者です。ニーチェがいうところの超人に近い。

2019-01-12

ニーチェってなんであんなにキリスト教きらいなんだ

俺もピンとこないけど

一方でやたら仏教評価してるっぽいのもなんでなんだ

anond:20190112091859

スピノザさんやニーチェさんも、言葉こそ違えど自由は難しく、凡人には不自由な方がいいというようなことおっしゃってますからのう。

2019-01-06

昭和象徴

ニーチェ中世キリスト教価値観終焉を「神は死んだ」と表現した

僕らは昭和価値観への引導を渡すため、何を殺せばよいのだろうか

2018-11-25

anond:20181125055531

家庭環境、親の状況理解、現状、非常に近い。

共感するには辛すぎた。

 

そして、こうした日々に何の意味価値もないことをはっきりと知覚しながらも、さりとて刹那的にもならず、二律背反的だが、人生意味価値があると思いながら、未来を考えて前向きに生きることができるようになったと思う。ニーチェのいうところの超人というやつらしいけど、そんな上等なものではない。現代では一般的なありふれた考え方だと思う。

それは流石にないと思うぞ。

ネット見てるとそういう人が目立つけど、大半の人間は軽い現実逃避常識の中で生きている。

 

最近、あ、よくわかる、という本を発見たから、読んでみるといいぞ。

https://amzn.to/2PSCUyh

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2018-11-22

anond:20181122021044

怪物となった時おれはニーチェを知るには若すぎた

フムンだ

2018-09-24

anond:20180924003310

ニーチェ的には、

人は自分能力判断力を極限まで高めて、正しい選択を行う

前者になる可能性を承知しつつ子供製造するのは罪悪・害悪しか言いようがない

は、ルサンチマン(妬み・嫉妬)と呼ばれるものしかない。

マジレスは求められていない気もしてきた。 )

 

でも畜群がうざいのは認める。と言うか、単に何も考えてないやつがうざいだけなんじゃないか

本当は違うかもしれないのに、アンチナタリスムに飲み込まれて戻れなくならんように注意しろよ。

2018-09-17

anond:20180916200956

進撃の巨人ってどの辺ニーチェ引用してるだけじゃね。それらしい単語いれたり。

anond:20180917002800

おじいさんに憐憫の目を向ける観察者。おまえはどやねんという心にまとわりつく後味悪い読後感。ここは増田なんだぜ。

ニーチェ言葉を贈りたい。

怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。

おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。

2018-09-16

哲学的マンガ

オススメなどありますか?

なんと言うか、漠然哲学的なのではなく、特定思想とかなりシンクロ率が高いみたいなのを知りたい。

 

最近読んだ中では、

 ・「進撃の巨人」は「ニーチェ

 ・「ペット」フロイト

だなと思った。

 

そのようなものがあったら、教えて欲しい。

 

追記

沢山のコメブクマありがとう

とても参考になった。

 

漫画哲学素養が乏しく、カバー範囲が狭いのだが、回答できるコメブクマだけ回答させてもらう。

 

新劇おkなら 伸びたと雲の王国なんてどうです

ドラえもんニーチェ的に読むと言うのは、過激な試みに見える。

一方、当方能力絶対的に足りない感じもする。

 

大島弓子は、ゲスタイ・カレポンで一作描き上げた。

どうもこれはそうっぽい。読んでみる。

 

フロイト哲学でいいのか?だったら無意識を扱ったマンガは多そう(パプリカ含め)

教養晒していると思うけど、バカなので大目に見て下さい。

パプリカはどうやらそうっぽいので、これも読んでみよう。

 

よく知らないけど手塚治虫の「ブッダ」は仏教思想シンクロしてるらしいな。伝聞なので間違ってたらゴメン(意味不明ファンロードでなんか凄いの読んだ記憶あるが内容とか何一つ思い出せんので偽記憶かも

ブッダレベルシンクロしている漫画が、哲学的マンガと言って差し支えないものなのではないかと考え直した。

手塚治虫解釈が入っているかもしれないが、仏典仏教からマンガを起こしているからな。

なので、今回の質問はかなり曖昧質問だったかもしれない。

 

ブッタとシッタカブッタ

ちょっとググって見た。内容紹介には「宗教でも心理学でもない」ってあるんだけど、心理学仏教ミクスチャーとして読んでみよう。

 

オーダーとずれるけど面白いよ /有罪無害玩具http://tirasimanga.web.fc2.com/TUM/043/043.html 下校時刻の哲学的ゾンビ https://omocoro.jp/kiji/64616/

未読のweb漫画発見。ありがたや。

 

蒼天航路は、儒教から道教皇帝社稷を語ったり、庶民思想や、ヤクザ者の思想まで東洋思想デパート状態

これも要チェックで読んでみる。

 

キン肉マンにはニーチェ用語が頻繁に出てきた記憶がある。

なんかこっちの方が鬼気迫るものがあるな。

俺にそれを読み解く能力があるかが疑問だが、チェックしてみよう。

 

2018-08-28

クソインターネッター、クソクリエイター、クソオーソライザー、クソインフルエンサーに物申す

おまえらのやってることなんて格差拡大装置しかなってねーんだよ。

インターネットが新しい産業になって社会を変えるなんて息巻いたのはもう何十年前だよ。実際にインターネットで起こっているのは格差拡大嫉妬怨嗟承認欲のるつぼ地獄じゃねーかよ。ネット民主主義も変わるとか言ってた人もいるが結局はさらタコツボ化が加速して自民党支配のそこらへんの村社会と同じじゃねーか。

SNS自由な発信の場だとか言ってるお花畑連中もどんだけ自分無謬性に無警戒なのか笑うわ。おまえら自由ってのはおまえらが見たいものだけ見て村化する自由だろ。そんなのはから各地で点在してたんだよ。それがインターネットを介してるから新しいんだってアホか。おまえら所詮人間なんだよ。

クソクリエイターもも一緒だよ。ネットクリエイト云々なんて言ってるけどおまえら創作物なんて他人時間無意味に奪うだけのクソシステムしかなってなくて功利的に人類幸福にまったく寄与してねーんだわ。残念ながら。クソ言論も一緒だよ。おまえらの言ってることなんてすべて過去歴史存在していてネットで得る思考とか価値観なんてものニーチェサルトルの足元にも及ばないわけ。

クソオーソライザーどももだよ。ランサーズとか完全に格差拡大のクソ業者だろあれ。バリューとかタイムバンクも一緒だよ。おまえらのやってることは市場化してその市場恩恵かすみをすくってるだけでいっさいの社会的意義なんかないんだよ。どれだけ綺麗なオフィス承認顔して仕事してんのか知らねーけどな。

ゾゾタウンヤフーアマゾンもてめーらみんな同じだよ。権利市場化することで需要の奪い合いに着手して金儲けしてるだけでなんの意義があんだよ。てめーらのクソ市場のせいでせどりとか転売するクソが増えてクソが出す注文のせいでトラック運転手が月給20万で家にも帰れず運転してんじゃねーか。クソ死ね

インフルエンサーも同じだよ。そもそも人を啓蒙しようとか私は人に影響を及ぼせる人間だとかい人間がクソほど嫌いなんだけどよ。おまえらのやってることも結局需要の奪い合いでしかねーじゃねーかよ。どんだけ自己肯定感つよいんだよ。その自己肯定迷惑からやめてくんねーかな。

インターネット自明だとか時代だとか自然だとかいうクソ言い訳はもう聞き飽きたよ。定量的功利的に判断してインターネットで巻き起こっているすべてのことはクソだろ。ビジネスにしてもSNSにしてもてめーら結局金と承認が欲しいだけなんだろ。いちいちお題目みたいにクソ理念を綺麗な表情で唱えてうざったいんだよ。じゃあな。クソインターネット

2018-07-22

anond:20180722004506

歌だね

アンパンマンマーチみたいなものだよ

ただのアニソンなのに、ニーチェがどうのこうのウンチク垂れてるだけの話

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