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はてなキーワード: コラムニストとは

2014-10-05

すっげーな、今日徳島新聞

後藤謙次って政治コラムニストかいう奴が、徳島新聞御嶽山についてコラムを書いてたんだけどさ。

「夜、自衛隊は出動したが、その中に救助用ヘリコプターは無かった」とか書いて、「自衛隊は救助に全力をあげてない」と言いたげに書いてあるんだよ。

これを見てずっこけたね。お前は視界の効かない夜、未だに火山灰が立ち込めてるかもしれない山の中に、ヘリコプターを突っ込ませるのかと。アイスランド火山噴火した時は、ヨーロッパの色んな国で飛行機欠航したのを知らないのかと。

この男がこのことを知らなかったのなら、無知とかそういう次元じゃないし、知ってて言ったのなら自衛隊員は死んでも良いと思ってる鬼畜ってことだ。

2014-08-07

ライター」は「エッセイスト」でも「コラムニスト」でもない。

ライター」は「エッセイスト」でも「コラムニスト」でもない。もちろん、ときには発注に応じて、エッセイコラムを書くこともある。しかし、その仕事の大半は、編集者が設定したテーマに則して、資料を読み、取材を行い、掲載媒体必要とされる文章を書くことである

ブログというのは、もともとの意味では日記投稿するシステムであったはずだが、現状、日本ではエッセイや、流行ネタに反応したコラムを掲載する場として機能している。つまり人気ブロガーというのは、エッセイコラムで人気を獲得している人、という意味であり、それがライターとしての職能の高さを証明することにはならない。資料を集め、読み込む力、取材力ブログの記事から窺い知ることはできないからだ。

さらにいえば、ブログにはリテイクがない。先にも書いたように、ライター仕事は、「編集者が設定したテーマに則して」「掲載媒体必要とされる文章を書く」ことなのだ。そうした、柔軟なコミュニケーション能力があるかどうかは、ブログだけでは判断ができない。

ようするに、「面白いブログの書ける人はライターになればいいのに」という、巷間よく目にする物言いは、端的に間違っている、ということだ。

……そんじゃーね

2014-06-28

小田嶋隆妄言

日本代表戦、私はこう見た 4氏に聞く サッカーW杯朝日新聞 2014年6月26日付39面)

http://www.asahi.com/articles/DA3S11209795.html

サッカーファンで知られるコラムニスト小田嶋隆さん(57)は「サッカー進歩しているが、メディアが成長していない」と指摘。「テレビ番組は、サッカーと縁の薄いアイドル芸人を呼んで応援報道を繰り返し、期待感だけをあおるものが多かった。日本サッカーの将来につながる番組づくりを」と求めた。4年間の強化の方向性は間違っていなかったとみる。「短期決戦に運・不運は付きもの一喜一憂せずに『たかサッカー』ぐらいに受け止め、粛々と強化を進めることも、サッカー強国への道だ」

小田嶋隆が発する床屋政談・テレビ批評サッカー論議については低レベルものが多いが、このコメントも輪にかけて酷い。だいたい、このオッサンが本当にサッカーのことをわかっているのかどうか甚だ疑問だし、そんな小田嶋にW杯の識者コメントを求める朝日新聞もどうかしている。

まず「メディアが成長していない」と書く。まるで『サッカー無知マスコミどもはサッカー通の俺様に跪け』と言わんばかりの上から目線である。そもそも、日本サッカー不毛時代であった1960年代世間の話題になったのはメキシコ五輪での銅メダルくらいで、海外サッカー試合テレビ東京が細々と中継録画で放送してたのだから、そういう時代と比べると新聞テレビはもちろん、インターネットとかエル・ゴラッソみたいなサッカー専門紙まで創刊したのだからメディアは少なからず成長しているのがわかる。

からと言って、サッカー日本国民スポーツになったかといえば、答えはNoだ。プロ野球人気が陰りを見せ始めた1990年代Jリーグが発足しサッカー人気が高まるかと思いきや、テニスバレーボール水泳ラグビーなどそれまでプロ野球の陰に隠れがちだった競技もスター選手の登場で人気に花が咲いた。こうして起こったのが『趣味の細分化である。もちろん競技人口においてはサッカーのほうに分があるが、これほど趣味が細分化した現在においてサッカー国民スポーツと決めつけるのは無理があり過ぎる。ましてや欧州南米みたいに“文化”としてのサッカー日本には根付いていないから尚更だ。

ひとつ、例え話をしよう。企業が新商品を世に送り出すとき、如何にして巧妙な宣伝をおこない自分たちの商品世間に浸透させるのか。最も手っ取り早いのが「有名人の起用」だ。宣伝効果は絶大だし、有名人側も名前は売れてイメージ向上にもつながるから一石二鳥だ。しかライバル企業も違う有名人を起用して対抗してくるから宣伝広告費は各企業において重要支出ひとつになってくる。これと全く同じことをやっているのが、日本スポーツである日本スポーツ中継やスポーツ番組には必ずと言っていいほど有名人やその競技の元スター選手などが解説者として登場して、世間の注目を集めようと努めている。サッカー例外ではない。世間的に“広く浅い”層にいる人たちは、有名人の出ないスポーツ中継には関心を持たないし見向きもしない。コアなファンたちはとっくの昔にBSCSの“専門的な”番組に見入っている。答えは明白なのだ

というわけで、小田嶋くんはエル・ゴラッソでも読んでサッカーを一から勉強し直してきなさい。

2014-06-21

セクハラおやじをヘコませるセクハラ野次募集

村議員に対する野次。

隊長や某コラムニストらのゲスい「塩村ビッチ論」はおいといても、塩村議員がどう感じ何に涙したのかはわからない。

だけど、このニュース不妊に悩む女性にとってはショッキングなことであったことは間違いないと思う。

かくいう私も都内在住で30代不妊に悩む女性として憤ったり悲しかったり。

不妊って、本当にしんどい。「子供ができなかったなら仕方ない」と覚悟を決めないとやってられない。

数ヶ月前から不妊治療のクリニックに行き始めた。日本の(というより東京都の)不妊治療の現状を知って衝撃を受けた。

まず第一に驚いたのが、患者さんがものすごく多いということ。

時間予約ができないので2時間待ちは普通。いつ行っても待ち合いスペースは20代〜40代女性であふれている。

こんなにたくさんの女性不妊に悩んでいるんだ、と衝撃的だった。

第二に、保険が利かない診療科目が多いので当然ながら治療費が高額。

私の場合は初診で血液検査かいろいろやって、2万超え。

通常なら1回の通院で3000円〜10000円以上かかる。

これが週に数回かかるとなるとかなり痛い。

もちろん、体外受精をすると1回につき数十万円が飛んでいきます

そして、どれだけ高額の治療を受けても、それが必ずしも「結果」(=妊娠出産)に結びつく訳ではない。

第三に、時間の融通が効かないということ。

不妊治療女性月経サイクルに合わせて行われる。

初期のタイミング指導なら、排卵日1週間前くらいから毎日のようにクリニックに通って、超音波卵子の育ち具合を見て、十分な大きさになってきたら医師から「今晩タイミングとってくださいね〜(=sexしてね)」と指導される。

sexタイミングくらいなら別に良い。

困るのは、「じゃあ、明日の朝、もう一度来てください」と言われること。

働いている身としては「いや、無理です!」としか言えない。

私は教員をしている。授業計画に沿って授業をしているので、突然「授業を休む」なんてとんでもない。今日明日で、代わりの人に授業をやってもらうわけにもいかない。

もちろん「私、不妊治療してるんで突然休むことあります!」と宣言すれば、受け入れてくれる職場ではあると思う。(学校にもよるだろうけど、教育現場出産育児に関することについては割と寛容です)

だけどその場合、授業を頻繁に休講にする理由として、生徒や保護者にも「不妊治療宣言」をする必要があるだろう。保護者からは「そんなにすぐ休む人をうちの子担当にするな」というクレームも来るだろう。

結局、仕事を休む訳には行かないので、不妊治療クリニックの通院は今のところやめている。

私のように、仕事の都合で不妊治療を続けられない女性って少なくないと思う。

長々と書いてしまいましたが、とにかく不妊って「しんどい」ってこと。

不妊治療の一番辛いところは「私が悪いのか」と自己批判自己嫌悪に陥りがちなところだと思います

妊娠できない自分が悪い、妊娠するための治療も受けられない自分が悪い、と。(科学的には、不妊の原因は男性女性で半々だけどね)

そういう実感を持ちつつ、件の野次のニュースを見ると「あぁ・・・」って絶望しかないですよ。

おっさん世代には「産めない女性が問題」という認識が未だにあることとか、そして今後不妊治療が受けやすくなるような社会制度が作られたり、社会的認知が広がることはないだろうこととか。

というわけで本題ですが、そういうおっさんに同じような痛みを持たせられるセクハラ野次って何がありますか?!

「お前のくされチンポ、いつ勃つんだよ!」みたいな?

性に関する不快加減って、異性では分かり辛いのでご教授願いますm(_ _)m

2013-08-11

平泳ぎ危険なのか?

アメリカ留学中の日本人アメリカ平泳ぎしたところ体に悪いからやめろと怒られたって記事が一部で話題になったので、

本当にアメリカでそう思われているかググって見た。

アメリカ平泳ぎした結果wwwwwwwwwwwwwwww, http://bipblog.com/archives/4549449.html


結論から言うと、

1. 平泳ぎはポピュラーな泳法として認知されていること

2. 一方で泳法の中では特段、膝に負担をかけるであろう泳法として認知されていること

が分かった。


1については、競技人口を示す資料が見つからなかったため、あまり深くはいえないのだけれども、例えば

アメリカにはほぼすべてのスイミングスクールが遵守する赤十字社が定めた水泳レベルというのがあって、

http://www.gonashua.com/LinkClick.aspx?fileticket=gG3o_RpGNuU%3D&tabid=793

これによると、平泳ぎクロール背泳ぎの次に覚える泳法として位置づけられている。

具体的に言うとクロールで25ヤード(23m)泳げて、ビート板で平泳ぎできる等すると昇級、

クロール50ヤード背泳ぎ25ヤード平泳ぎ10ヤード泳げると昇級、次の級ではバタフライ10ヤード…という構成になっている。

まり、少なくとも泳いじゃいけない扱いはされていない。つか、日本と同じ。


一方で、第17国際水泳連盟世界スポーツメディスン会議で発表された報告の内、水泳競技における膝問題を扱ったもの

特に取り上げられているのが平泳ぎであり、平泳ぎ泳手の86%が膝の痛みを感じたことがあり、47.2%が一週間に一度以上の痛みを

感じていることが報告されるなど、いわゆる平泳ぎ膝が平泳ぎ泳手に付き物の問題であることが実証されていることが分かる。

http://www.fina.org/H2O/index.php?option=com_content&view=article&id=2917:knee-problems-in-aquatics&Itemid=974

これがどの程度アメリカ認知されているのかは分からないが、swimming worldという水泳専門雑誌では2012年平泳ぎ膝の特集を行い

その際コラムニストは、出来るだけ平泳ぎトレーニング時間を少なくするようにという提言を行っている。

http://www.swimmingworldmagazine.com/lane9/news/Commentary/30270.asp


こう考えると、確かに留学先のコーチの反応は過剰なものしか言いようがないのだけれど、平泳ぎ膝についての危険性は

日本以上に認知されている可能性があるととれる。まぁ、アメリカ水泳やってた人とかは割といそうなのでこの辺のことについては

肌身で知っている人が情報提供してくれるのが一番ありがたいのだけれども。あと、黒人水泳しねーよみたいな意見ありますけど、

確かにその傾向はありますし問題になってますが、アメリカ黒人の内68.9%が泳げないかまりうまく泳げないというデータがあり、

逆に言えば、少数ながら泳げる人もいます(ちなみに白人は41.8%)。

http://www.bbc.co.uk/news/world-us-canada-11172054

2013-06-25

書評ブログ」という闇

ブログの人気ジャンルの一つに「書評ブログ」というものがある。読んだ書籍をもとに記事を書き、内容の紹介をして、アフィリエイトに誘導したりしている。

彼らは実にたくさんの本を読んでいて、とても感心する。記事にするのもとてもエネルギーのいることだろう。

しかし、同時に彼らを見ているとある疑問が湧いてくる。「いったい読書で得られることってなんなんだろう」という根源的な問いだ。

一般的に本を読むのは良いことだとされる。だから新聞では活字離れが嘆かれるのだし、学校では朝読書が導入されるのだ。読書は読者の視野を広げ、思考を深め、よりよい人生に導いてくれる。

そんなことがまことしやかに信じられているが、書評ブログを見ていると果たしてそうだろうかと思ってしまうのだ。

彼らはたくさん読んで、たくさん書いているが、それによって何かが深められているという跡がまったく見えてこない。

さすが博識だなぁとか、すごくうまい文章だな、と思うことはまるでない。

本の知識はその本の記事のなかで完結していて、他の記事に生かされて絶妙面白い記事が書かれる、ということがまったくない。

商業活躍する優秀なコラムニストはそれをやってのけるが、彼らにはそういう兆しは一向に見えてこないのだ。

そもそも彼らがやっていることは厳密には書評ではない。内容の要約だ。彼らの記事にアクセスが集まるのは、彼らが書いていることが面白いからではなく、本の中身が優れているかである

例えば、プロブロガーを名乗っているイケダハヤトさんのブログなんか、記事の半分以上が引用で構成されている。ほとんど本の内容を写しているだけだ。

とりわけ興味深いのはビジネス書を中心に書評しているブログだ。

彼らはたくさんの仕事術を紹介してくれるが、それが彼らの仕事にどう生かされているのか、まったく見えてこない。

この方法よりこっちの方法が良かった、という比較も書かれないし、果たして実践しているのか謎だ。

それで「夢がかないました」と言うのでどういうことか見に行くと、自分の本が出せたことだったりする。ビジネス書を読むのは本を出すためで、ビジネスとは関係なかったということだろうか。

2013-06-04

フリーノマドが最高っていうけどさ

フリーデザイナーになって数年。

何だか最近ストレスが溜まるようになってきた。ノマドとか言われるけど、実際カフェ仕事している

余裕はないし(モニタ2台ないと効率悪いし、資料が家にたくさんあるし)、朝から夜までずーっと家。

 

フリーを始めたばかりの時は、フリー最高じゃんと思っていた。

会社員みたいに意味のない会議もないし、掃除もしなくていいし、人間関係も満員電車もない。

でも、そんな環境にもいずれ慣れてきて、いまの環境が当たり前になってくると

正直ありがたみを感じなくなってくる。

 

よく言われることだけど、暇でも忙しくても辛い。

昔みたいに、アフィリとバイトで食いつないでいた時に戻りたいかと言えば戻りたくはない。

けど、今みたいに忙しくて出歩けないもの辛い。

 

そして一番辛いのが、自分の実力に直面すること。

腕一本で食ってるから、その実力に満足してもらえないと本当に辛い。リテイクが何べんも続いたら廃業しなくちゃって気になる。

ラーメン屋が不味くて何度も作り直していたら客はブチ切れだろう。

会社員ときみたいに、誰かに見てもらって相談したいけど、それもできない。

フリーでやっていける実力はあっても、まだ満足させられる実力はないんだろう。

 

昔、オネエのコラムニストの方に、

仕事はね、実力が伴ってくればストレスが減ってくるものなのよ」

って言ってもらったことがあるけど、いつになったら実力に自信が持てるのやら。

 

もちろんフリーで良いこともたくさんあるけど、匿名から愚痴ばかり書いてみた。

はいえ、書いたらストレスの原因と自分の悪いとこがわかってきたかちょっとスッキリした。

2012-12-04

http://anond.hatelabo.jp/20121204191846

絵や音楽に比べて文章が下なのは当然だろ

義務教育出てれば誰でも書ける

もちろんプロとして金取れるレベル作家コラムニストは専門的な技能もいるが

趣味の域なら、それこそ何の努力もいらないでしょ

2012-09-20

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1731157.html

外車ティファニーの良さを知らない今の若い世代は可哀想」…コラムニスト木村和久

頑張ることは大好きだ。

だが、俺らの世代が頑張ったら、椅子の上に座ってEXCELいじるだけのバブル世代が生き残ってしまうではないか

汗をかくバブル世代が生き残るのはいい当然だ。優秀な人もいる。

だが、汗をかかないふんぞり返り世代を生き残らせるために頑張らせるのは辞めてくれ。

頑張らない奴のために、頑張るのは嫌だ。ちゃんとしてくれ。

2012-08-18

はるかぜちゃん小田嶋隆と、あるいは正義について

さて、はるかぜちゃんに関係してtwitterが騒がしい。

「はるかぜちゃんの記事は分からん」と言ったら「キチガイ」「韓国人」と言われた - Togetter

はるかぜちゃん「ぼくに否定的な意見を書いた人を、ぼくを守るという名目でいじめるのはやめて下さい(ω)」 - Togetter

はるかぜちゃん( @harukazechan )の「晒しリプ」という「集団リンチ」・「言論封殺」に批判集中! - Togetter

問題は、要するに正義暴走だ。

はるかぜちゃんの言っていることは正しい。あまりにも正しすぎる。炎上処理も一品だし、本人は荒っぽい発言をせずフォロワーを諌めもする。

冷静に問題に対処するし、3歳からブログを書いているというのだから、まぁ手慣れたものなのだろう。

強くて頭が良くて自制心のある良い子。しか子役タレントなだけあってかわいくもある。素晴らしいもんだ。私なんかとても真似できない。

でも、私は彼女の発言に違和感を覚える。

彼女彼女に対して批判的な意見をRTすれば、その大きな影響力で信者が殺到し、良くて非難殺到、悪ければ罵倒の嵐で袋叩きだ。

この結果は何度も繰り返してきたことだし、彼女が知らないはずはない。でも、彼女はそれを続ける。確かに引用元を明らかにしながらRTすることや、批判的な意見を紹介することは基本的に正しいし、それは彼女の言う通りである

問題の発端となった朝日新聞での記事もそうである彼女の言っていることはあまりに正しい。私は彼女言葉に反論するすべがない。

さて、ここで正しくない大人の代表としてコラムニスト小田嶋隆をあげたい。

小田嶋隆氏ははるかぜちゃんのように正しくない。

AGFをたった一年で退社し、しかもその理由は会社勤めに合わないという話。さらに辞めるときも親に甘やかされて帰ってきたという次第。

その後もよくわからない仕事を半端にやりながらの若旦那ライターになってみてそこそこ売れたと思ったらアル中になり生活と仕事が破たん。

twitterでも、妙に攻撃的な発言や小馬鹿にした発言や皮肉を振りまく。

見栄えだって小太りのオッサンだ。美しくもかわいくもかっこよくもないというか、むしろ不細工だ。

でも、私は、そんな小田嶋隆が大好きだ。正しくなくてカッコよくない大人の小田嶋隆が大好きだ。

はるかぜちゃんの正しさは、あまりに正しいがゆえに救いようがない。だからはるかぜちゃん正義になじめない、反対する人間はその中で生きていけない。

からはるかぜちゃん正義に反する人間に、はるかぜちゃんフォロワーはいくらでも残酷になれる。なぜなら、正義に反するからだ。

小田嶋隆には正義がない。あるのは皮肉諦観や小言だ。だから私は小田嶋隆が気に食わないことを言えば実名で批判もできるし、何も恐れることはない。

でも、はるかぜちゃんを批判するなら、増田2chを私は選ぶ。なぜならば、彼女正義が恐ろしいからだ。

私も小田嶋隆と同じ、正しくなくてカッコよくない大人だ。でも正しくなくてカッコよくない大人は良くわかっている。

地獄への道が善意の敷石で出来ていること。

その正義が危ないこと。

世の中は正しくないし、正しいことが必ず通るわけでもないこと。

でも、世の中は悪意と嘘ばかりで出来ているわけではないこと。

はるかぜちゃんは正しい。圧倒的な正義であるしかし同時に愛がない。人に命じ畏れられる旧約聖書の怒れる神である

小田嶋隆は、大工の子倅の与太郎である。だが、愛がある。

2012-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20120320203244

ある女性芸能人離婚したときコメントで言った。

「あの人は結局、21歳の女が好きなのよ」

自分20台のときはそれでもいいけど、30台になっても、40台になっても変わらずに20台前半の女が好きなので、そのことに愛想を尽かして離婚した、らしい。

で、とあるコラムニストがその話を引用した上で、

人間には2種類いる。パートナーの年齢について「自分より○○歳年上or年下が好き」などのように”自分との差”を基準に考える人と、「○○歳くらいが好き」という、”絶対的な年齢”を基準にして考える人だ、と締めていた。

そのコラムニスト曰く、『宇多田ヒカルが年上男性結婚して長続きしないのはなんとなく予想がついた。というのは、宇多田ヒカル自分作詞した歌でたいてい恋人に「キミ」と呼びかけているが、恋人をキミと呼びたがるのは本当の好みは”自分と同年代”だからだ』だってさ。

2011-08-07

http://anond.hatelabo.jp/20110807095323

でもさ、盛り上がってもないモノを大人気と称し公共の電波でブームを捏造する

あの商法自体の是非は問わないのか?

是非を問うも何も、

そもそも捏造している確たる証拠すらないわけだから

良識あるコラムニストライターが取り上げるわけがないだろ。

チャングンソク800人捏造の話も元ネタサイゾーだったわけだし、

まさかサイゾーの記事を元にコラム書くわけにもいかないよね。

インターネットが「第四のメディア」なんてのは嘘だ

フジテレビ韓流騒動。

日経BPとかtwitterに、ある程度名の知れた物書き達の意見が出てるけど、
「普段の批評姿勢はどこへいったのか!?」というぐらいどれもこれもぬるい。
別の言い方をすれば物わかりが良すぎる。

フジテレビ以外ののキー局新聞が触れないのは利益を共にする護送船団だからわかるが、
第4のメディアたるインターネットメディア人間も同じ穴の狢であることが判明したと言っていい。

彼らが語る文脈はだいたいこれ

 あれは陰謀なんかじゃない
 批難している奴らは商売がわかってない

で終わり。「商売だ」という指摘はまぁそうなんだろう。

でもさ、盛り上がってもないモノを大人気と称し公共の電波でブームを捏造する
あの商法自体の是非は問わないのか?

あの商法を止めるべきという意見は驚くほど出てこない。
「昔からあるんだし、別にいいじゃん」とかコラムニストライター腐りすぎだろ。

考えてみればネットで飯を喰うライターテレビ韓流商法をどうこう言える立場にない。
日頃からメーカーに旅費持ちで招待されて新商品を言われるがまま紹介し
お金やサンプルと称するお土産もらって提灯レビューガンガン書く。

韓流ビジネスの否定=自分ビジネスモデルの否定だ。
自己否定文なんて書かないわな。

メーカーに物申す時は気持ち悪いくらいに気をつけて婉曲表現するくせに
バンピー相手には「ネトウヨ」的なレッテル貼って終わり。
嫌韓人間も、自分たちのビジネスモデルを批判する人間も全部ひっくるめて「ネトウヨ」。

少し前に利権の暗部を報道しなかったがために、大きな犠牲を払ったばかりなのにこの体たらく
日本メディアはWW2、福島原発事故、2つの大敗を経験しても何にも懲りちゃいない。
自身の贅沢のためなら平気で嘘をつくし、暗部を見て見ぬフリをする。
記者クラスタ上杉 隆が批難されてるけどさ、どっちが酷いつったら微妙なところだ。

これから先も新聞テレビ、そしてネットメディア人間もバンピーを煽り続けて美味い飯を喰うのだろう。
彼ら曰く、「商売」だからね。

2011-07-31

http://anond.hatelabo.jp/20110730210206

ある女性芸能人離婚したときコメントで言った。

「あの人は結局、21歳の女が好きなのよ」

自分20台のときはそれでもいいけど、30台になっても、40台になっても変わらずに20台前半の女が好きなので、そのことに愛想を尽かして離婚した、らしい。


で、とあるコラムニストがその話を引用した上で、

人間には2種類いる。パートナーの年齢について「自分より○○歳年上or年下が好き」などのように”自分との差”を基準に考える人と、「○○歳くらいが好き」という、”絶対的な年齢”を基準にして考える人だ、と締めていた。

2011-06-25

初めて風俗に行ってきたので考えたこと、感じたことをつらつら書いていこうと思う。

以下感想

  • 行くのがちょっと遅すぎたか、という感じ。かの偉大な北方先生は「ソープに行け」という万能アドバイスを残しているが、あれって実際、童貞歴が長すぎると効果がないようである
    • これについて、事前の考えとしては、「ソープに行くと気持ちいいので色々悩んでたのがアホらしくなる」、または「童貞で悩んでいたのが、なんだ、セックスなんてこんなものか、と自信がつく」というのがあのメソッドの含意だと解釈していた。実際、こんなものか、とは確かに思ったのだが、あまりにも何もなさすぎて、何の問題も解決しなかったので拍子抜けした感じである女性に対して自信がついたりしたということは全く無い。
    • どうも自分は、童貞であることについて深く考えたり悩みすぎたり、それでいて実際の行動(合コンとか)にはあまり移さなかった結果として、いわゆる「童貞をこじらせた」状態になっているらしく、つまり、手遅れということなのかと思う。
    • 上はどちらかというとメンタル面の話だが、肉体的物理的な話をすると、純粋にそう気持ち良いものでもなかった、ということもある。今まで数年間、散々エロマンガだのエロゲーだのAVだので自慰し放題の生活を続けてきたせいで、女性の生の肉体との接触によってはあまり快感や興奮を得られないようになってしまったようである。これも噂には聞いていたが、実際その通りらしい。
  • はいえ、様々な知見が得られたので決してムダではなかったとも思う。
  • たとえば、風俗店というのは(より正確には自分の行ったソープランドは)、美容室マッサージ店に似ていると思う。相手への信頼のもとに自分の身体の一部の自由を委ねて、何がしか快楽を得る、という店と客との関係が。後付けの知識だが、実際、一部の風俗店業態マッサージ店と限りなく近接・混淆しているようだし、また、台湾では「床屋」とは風俗店のことだとも聞く。フィクションにおいて恋人たちが髪を切ったり洗われたりするのは深い信頼のあらわれであると同時にセックス隠喩である、とはこういうことか、とそんなことを身体を洗われながら思った。
  • 愛のないセックスは虚しい、みたいな話をここですると増田的にはきっと恰好のネタになると思うのだが、まあとにかく、楽しくはなかった。これは純粋自分初体験で緊張していたというのもあるのだろうけど(噂には聞いていたが実際なかなか勃たなくて焦った)、嬢の身体を見ても興奮できないのである感覚としては家族のそれに限りなく近い。キスしてもただ、「肉である」という感想しか得られない。
    • これは相手の嬢の方には非常に失礼なことであるし、態度には出さなかった(はず)。どこまでも当方の問題であるわけだから。実際、ローションプレイはなかなかに気持ちよかったし、最終的には射精まで漕ぎ着けられた、とは付記しておく。
      • ここまで文章を書いていて気がつくのは、自分風俗店に行ったときの話をしているのに口をついて出てくるのは自身についての省察ばかり、嬢の話はこれっぽっちも無い、ということである。今時の男は自分のことにしか興味がない、というスポーツ新聞コラムニストの言を頭から信じるわけではないが、実際そういう部分はあるのだろう。とうとうここまで恋人を作ることができなかったのも、畢竟そういうことか。
    • しかしながら、世の人が「作業になっちゃったセックス苦痛」と言うのが少しだけ理解できた気はする。
  • さて本番、という段になり、愛撫を促された自分は思わず硬直した。いざ抛り出された女性の裸体を前にしたとき、一体どうしたものやらとんと見当がつかないのである。とりあえず見よう見まねで(すなわちAVやらエロゲーやら何やらのように)手を動かしてはみるものの、どうにも奏功している感触がない。初めてだから仕方ない、とフォローは可能なのかもしれないけども。唐突に話が飛ぶが、これは車の運転についてもそうで、ちっとも上手く出来やしない。「誰でも最初から上手いわけじゃない、練習あるのみだ」と人は言うのだけど、どうも自分の拙さはやや常軌を逸してかけているように思えてならない。そういうわけで近頃は世人に対する驚異と尊敬の念いよいよ高まるばかりである
  • ところで奇妙なことに、挿入とピストン運動(古い)、嬢に両足で腰を銜え込まれる感覚は、これまで何度か夢に見たものとさして変わりがなかった。膣内は思ったよりも浅く、ややもすると抜けてしまいそうになるものから腰遣いには注意を要した。といってもただ振ってるだけだったのだが。いずれにせよ、人間想像というのは、ときにはそう外れているものでもないらしい。
  • 店を出て上記のように縷縷思索に耽りながら、ふと頭を過ったのは、これはポルノグラフィティの鑑賞にあたってフィードバックに使える、ということである。今や自分キスの、挿入の感触を知っている、これでまたひとつ豊かな視聴(あるいは読書プレイ)体験の世界が広がったのだ、と嬉しがりながらtumblr.で流れてきた『とある科学の超電磁砲』の佐天×初春キス画像を眺めている。1万6千円はけっしてムダではなかったのだ、と納得しこの稿を終えたい。

ブコメで頻出している「1万6千円って安すぎだろう」という突っ込みに対する応答も含め、補足を書いたのでそちらも参照してもらえると幸いです

http://anond.hatelabo.jp/20110625102225

2010-10-26

次期主席習近平では「大変革」など望むべきもなし、と香港専門家

ダークホース王権を手に入れたが背後にいるのは利権巣窟特権階級

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香港りんご日報」(21日付け)によれば、習近平軍事委員会副主席入りは「ダークホース王権」を手に入れつつあるが、かれは高級幹部一族の「太子党」出身であり、特権階級権利を擁護し、独裁体制を維持させることに汲々とする連中が支持基盤である限り、大変革なんぞありうるシナリオではない、と冷淡に分析した。

2007年にいきなり上海書記に抜擢された習は政治局入りを果たしたダークホースで、しかも翌年三月に国家副主席への三段跳び、四段飛びと異例の階段を駆け上った。

習が「改革派」「開明派」として知られた習仲勲の息子であることから、「政治改革に大なたを振るい」、あるいは「“中国ゴルバチョフ”になるかも」という淡き期待は消し飛ぶだろう、と同紙は続けた。

2012年党大会で、習近平は党総書記と党軍事主任となり、2013年に国家主席となることは、いまや規定の方針だが、江沢民最後まで「国家軍事委員会主席」(形骸だけで党軍事主任事実上統帥権)を、三年保持して軍へのにらみをきかせたように、バランス上からも胡錦濤は、2015年まで「国家軍事主任」のポストは手放すまいという観測もあがっている。

他方、香港の有力紙「明報」は同日付けで、尖閣諸島衝突問題に言及し、「結局、中国があまりに驕慢だったため、日米両国同盟をかえって深化させ、中国を非友好国としてあつかい始めたことは『外交的失敗だった』」とする時殷弘教授の談話を引用し、「中国外交の失敗」と題した林華保のコラムを掲げている。時殷弘は中国人大学アメリカ研究センター主任

(林華保は有名なコラムニスト

宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

   平成22年(2010)10月22日(金曜日)貳

    通巻3110号  

2010-04-28

もうだめだ

鳩山首相ルーピー』という言葉日本で注目浴びてる」「鳩山首相は、現実から変に遊離した人」…米紙

http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1272431345/

1 : ☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2010/04/28(水) 14:09:05 ID:???0

鳩山首相は「現実から変に遊離した人」 米紙コラムニスト

鳩山由紀夫首相を核安全保障サミットの「最大の敗者」と皮肉った米紙ワシントン・ポストは、  同記事で首相表現した「ルーピー(loopy)」は「愚か」や「変わり者」でなく「現実から変に遊離した人」が真意だとするコラムを28日付の同紙電子版に載せた。

 著名コラムニストのアル・カメン氏が再び執筆。記事をめぐっては平野博文官房長官らが 「非礼な面がある」と不快感を示していたが、首相を重ねてやゆしているとの指摘も出そうだ。

 カメン氏は「ルーピー」について「組織の意思決定について十分な情報を得ている、つまり 『輪の中に入っている』状態とは正反対の意味」とも強調した。

 首相国会で「ポスト紙が言うように、私は愚かな首相かもしれない」と答弁したことに触れ 「ルーピー」という言葉日本で注目を浴びていると紹介した。

あきらめた。

2009-09-09

遠山の金さん」と裁判員制度

民智が偏向裁判サヨク判決を覆していくのか

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遠山の金さんといえば庶民感覚犯罪者を裁いた”名裁判官”として歴史に残る。通俗大衆小説モデルにもなり、何回かテレビドラマにもなった。

お白砂には花吹雪舞う刺青松方弘樹扮する金さんが颯爽と登場して悪を懲らしめ、弱き庶民から拍手喝采あびる

裁判官ヒーローがいたのだ。

江戸時代までは検非違使伝統が息づいていた所為か警察検察司法が同じ行政機関で行われた。警察逮捕し、検察起訴し、裁判所が法に従って結審するという近代概念はなかった。火つけ強盗改めの長谷川平蔵も然り。

大岡越前守も温情主義裁判で庶民に人気がある。考えてみれば南町北町奉行所の同心だけであらゆる民事裁判をまかなっていたのである。

江戸時代世界同時代的に俯瞰すると日本はたいそう治安が良かった。日本人裁判沙汰を好まなかった証左にもなる。

水戸黄門様は印籠をかざして即席裁判。これは超法規行為であり、そもそも黄門様は司法独立って概念を知っていたのかな。

そういうわけだから日本人は争い事が嫌い、裁判は避ける。なにごとも裁判で決着をつけ、交通事故でも弁護士をよぶ米国とは法律風土が違う。

だが世の中が変わり「国際化」というアメリカ化が進んだ。外国人犯罪ばかりか、外国企業との軋轢、特許係争が頻発し、あげくは米国からの強い要求が突きつけられる。日本弁護士が少ない、と。

この結果、二つの政策が実現した。まずは大学に雨後の竹の子のごとく誕生した法科大学院

米国陪審員制度に酷似

そして日本に馴染むかどうか不明な新制度、すなわち裁判員である。しかもこの裁判員が臨む裁判と言えば殺人傷害致死放火身代金誘拐などの重大犯罪であり、死刑量刑無罪かを決める「大岡越前」の小型ヴァージョンとなる。実際に最初の判決が八月初旬に実現し「業界予想よりすこし思い」量刑が下った。世間の常識裁判官常識を変えた例になった。

ともかく裁判員制度の発足は米国からの圧力が遠因、これに財界の要求が一致し、日弁連が便乗した。奇妙な、面妖な裁判員制度日本にうまれた。

左右の境界線がないまま賛否両論が渦巻き、「ともかく始めてみなければ分からない」ということになったわけだ。

さて裁判員制度本質的問題点とは何か?

議論は曖昧なまま、米国へのジェスチャーのごとくに審議が進み、国民が誰も知らないうちに米国流の「陪審員制度誕生となったことは述べたが、米国には黒人奴隷制やリンチによる縛り首があった。日本とは異なり犯罪者も多く、弁護士は百万人以上、なかには悪徳弁護士、アンビュランスチェイサー救急車を追いかけて患者から事故弁護士成功報酬でいかがかと注文をとる)もいれば、マッチ・ポンプもいる。セクハラでっち上げ日本企業から大枚をせしめた手合いもいる。

だから伝統重視の保守派がいきり立って反対の論陣を張る。教養の低い、裁判官に比べると法律知識のない素人にそんな重大犯罪を判定させて良いのか、それこそ左翼の思う壺ではないのか、と。

第一に無知蒙昧なる庶民が重大犯罪を裁けるのか。冷徹な判断が出来ず情実に走り、死刑を避ける傾向が顕著になるのではないのか。

第二に陪審員は買収されやすく誤審冤罪が多く死刑執行後に真犯人がでるケースが米国では頻発している。だから「逃亡者」というテレビは大ヒットした。反面で、陪審員黒人ばかりにして、妻殺しの「無罪」を勝ち取ったO・J・シンプソン事件のような法廷テクニックの悪用がおこる。

第三にこれは基本的に人民裁判であり、ソクラテスの「法は法なり」と言って毒杯をあおいで死ぬようなケース、あるいはマリー・アントアネットのように左翼お得意の人民裁判が復活する恐れはないのか。

上告審には適用されず、なんのために必要なのかは不明

細かな問題点はほかにも多々ある。

一、選挙管理委員会リストを元に無作為に選ばれる「裁判員候補者」は面接で拒否されることもあるシステムとはいえ、拒めば罰金とか、法廷密室での協議内容は一切喋ってはいけないが、違反した場合、数十万円の罰金とか馴染めない特徴あり。

二、籤による選任が「健全市井の人常識」を反映するのか

三、強制するのは憲法違反ではないのか?

四、多数決裁定することが本当に妥当なのか等々、問題点が沸騰する。

ところが新制度では凶悪犯罪の一審でしか適用にならず、高裁から最高裁へと上告するに従い、裁判員はおかれない。どのみち現在裁判で一審で終わる裁判は稀だから、それならいったい何のためにこういう「改革」が必要かも論議された。

裁判員制度導入に賛成する保守論客も意外に目立つ。代表選手コラムニスト高山正之氏だ。

高山氏は産経新聞ロスアンジェルス特派員時代に多くの裁判を傍聴し、陪審員制度精通し日米の裁判に関連する著作も多い。

法律解釈しか知らない裁判官、世間知らずの無知裁判官より大衆の叡智、つまり民度が裁いたほうが適正な判決が出やすく、主知主義、インテリの暴走、左翼優勢といういまの偏向状況を覆せる嚆矢になるかも知れないという。世間智の欠如甚だしきインテリの裁きより大衆のほうが賢いという日本人への信頼がそう言わせるのだろう。これぞまさしく遠山の金さんの時代への回帰ではないか。

ただし米国陪審員制度といい、今度の日本裁判員制度といい、これらは民主主義の発展とは相関関係にはない。司法民主化などというお題目寝言の部類であり、推進側だったはずの日弁連ですら一部は反対に回っているそうな。

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月9日水曜日

        通巻第2702号 

ウラジオストック、ナホトカ紀行(その1)

ロシア北朝鮮中国国境では何が始まっているのか?

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新潟空港からウラジオストック航空に搭乗することになった。東京駅から新幹線車内で待ち合わせたのはコラムニスト高山正之氏ら合計四人。このミニ探検隊が急遽「結成」されたのはひょんな経緯からだ。

昨年、フライングタイガー基地跡を湖南省の西南部にある辺境、渋江までこの四人組にあと三人ほどでグループをつくり見に行った。ここは岡村寧次と何応鈞の終戦協定を結んだ場所でもあり、反日宣伝が濃厚な記念館がある。

例によって改竄史観反日展示だが、日本軍と戦ったのは「偽軍」とあるので、この「偽」は何処かとガイドに問うと、国民党軍を意味することだったのには笑った。そうだ、フライングタイガー蒋介石に協力したのだ。

さてウラジオストック戦前日本人浦塩斯徳と表記したが、ロシア語の原義は「東方を征服せよ」という物騒な意味がある。

ロシア不凍港を求めて清帝国の版図を結果的に強奪し、地政学的にみれば中国の海の出口を塞いだ。中国にとっては恨み骨髄の場所である。

それゆえ中国人ウラジオストックとは言わず歴史的な地名=ハイサンウェイ(中国語では「海参威」)と言う。ついでに言えばロシア人は中国人を「キタイ」を呼び、いまも陰湿に排斥するし、中国人は「オロシア」と言うから、ま、お互い様か。

というわけで筆者の一番の興味は三カ国の国境の現状である。

ロシア中国北朝鮮国境地帯はいまどうなっているのか? 不思議日本マスコミはこのことを追求しない。

筆者は中国側からは何回かロシア国境を見ている。スイフェンガ、黒河、満州里、そして延吉から図門へ行くと北朝鮮、軍春からはロシア国境が、また吉林省の集安、丹東からは北朝鮮国境も見た。つまり旧満州の七箇所から国境を見た。反対にロシア側から中国国境をみたのはハバロフスクからアムール川との国境くらいだった。

とりわけウラジオストックより西側のハザン地区は北朝鮮国境を接し、ちょっと北側へ回れば中国の軍春である。

二ヶ月準備期間があった。第一にロシアのヴィザをとらなければ行けないが、これに一ヶ月を要する。つぎに肝心のハザン地区へ行けるかどうか。ポシェット港、ザルビノ港を見学できるか、どうか。

直前にこの地区に入ったNHKが追い出されたと聞いていた。旅行社を経由してロシアに打診したが、「審査」に最低一ヶ月、そして土壇場で蹴られると旅行そのものが成立しなくなる。というわけでハサン地区はあきらめ替わりにナホトカを加えることにした。

ロシア軍北朝鮮からでていったあとに

事態の変化はつぎのようである。

東西冷戦が終了し、ロシア極東軍は削減され、しかも北朝鮮から露西亜軍事顧問団は引き揚げた。北は最大の保護者を失い、唐突に北京へ秋波を送る。

一方、中国経済力が著しく飛躍し、北朝鮮経済の飛躍が政治安定を招くのではと経済改革を模索しはじめた。日本財界が主導した「日本海経済圏」の思惑とも合致してロシア中国北朝鮮国境付近の大開発が決まり、かなりのインフラ建設が進んでいた。十年前までの話である。

中国側は「図門江開発」、北は「豆満江開発」。そしてロシア側は「ハサン地区開発」(ザルビノ、ポシェット両港を含む)とそれぞれ名称こそ違え、経済交流による相互発展目的は温度差があったが、基本的に共通目標だったのである。

数年前にも中国からポシェット鉄道が通じたというので軍春へ見学に行くと、工業団地造成されており、中国企業韓国企業にまざって日本企業が三社ほど進出していた。

延吉から高速道路工事が進み、あたり一面が普請中だった。開発ブームは各地にクレーンを林立さえ、ブルドーザが動き回り、輝かしい未来を予感させていた。

ところがその後、北朝鮮の苦境と核開発が状況を激変させた。

第一に日本企業拉致問題の露呈と核開発に嫌気して進出意欲がそがれ、積極性を失う。

第二に中国北朝鮮へ直通ルートをつくり、ロシア側の港湾へ鉄道をつなげたものの昨今は北朝鮮の羅津、先鋒開発に重点を移した。つまり中国北朝鮮経済植民地となし、ロシアを袖にする野心を露わにしたのである。

第三にロシア中国北朝鮮への鉄道接続ルート強化に乗り出し、ちぐはぐに対応をみせた。

第四に韓国が間隙を縫って各方面に浸透していた。

そこである日、モスクワからプーチン大統領(当時)がウラジオストックへやってきて、「シベリア極東大開発」の号令を出し、状況が一変する。2014年ソチで冬季五輪。ならば極東の目玉を2012年、ウラジオストックでのAPEC。そのために大開発が必要というわけだ。

怪しい旅行団の結成にはそうした経緯があった。

(続く)

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月8日(火曜日)貳

        通巻第2701号 (2700突破記念増刊号)

2009-09-03

根拠のない批判はもう止めないか ネット右翼アンチの泥試合

選挙前に2ちゃんねるを中心に出回った、いわゆるネット右翼と呼ばれる人たちを誹謗中傷する内容のイラストを描いたのが、日経ビジネスオンラインコラムを連載している小田嶋隆氏ではないかという疑惑がある。

・とてつもなく日本 : 最近よく目にする。この絵を描いて2ちゃんにばら撒いた人物。

http://awfuljapan.livedoor.biz/archives/51268307.html

こちらの記事では、出回ったイラスト小田嶋が描くそれが似ているのではないかという指摘がされている。

こちらが2ちゃんねるで出回った誹謗中傷イラストの1つ。

http://livedoor.blogimg.jp/gekisha-krw/imgs/1/c/1c21ac8b.jpg

こちらが小田嶋氏のイラストの掲載されたコラムの1つ。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090828/203664/?P=1

小田嶋氏の描いたイラストは他にもこちらで見ることができる。

http://images.google.com/images?hl=ja&lr=lang_ja&um=1&q=%E5%B0%8F%E7%94%B0%E5%B6%8B%E9%9A%86%E3%81%AE+%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%7C%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB&sa=N&start=21&ndsp=21

疑問点として、同一人物の描いたイラストと判断できるほど似ているだろうか?「なんとなく似ている」というだけで、中傷イラスト犯人小田嶋氏に決め付けているのではないだろうか。

この指摘を鵜呑みにし、小田嶋氏を非難する書き込みが多く寄せられる。小田島氏のブログにも直接非難コメントが多く寄せられている。そこに、小田嶋氏のものと思われる、この件の関与を否定するコメントが書き込まれている。以下、無断で転載させていただく。(問題があり次第削除させていただきます)

 これ以上荒れるのも面倒なので一応お答えしておきます。

 コメント欄の上の方で引用されているイラスト2chに出回っているいわゆる「ネトウヨ」の絵)は、あれは、私の作品ではありません。

 っていうか、ちょっと見てわかりませんか?

 まるで違うじゃありませんか。

 ちなみに申し上げれば、イラスト描きとしてのオダジマの作風は

1.「ペン入れ」をしない

2.下描きの線を消さない

3.ゴミを取らない

 という、プロにあるまじき以上の3点において特徴づけられるもので、件のネトウヨカリカチュアの下品ながらも丁寧な仕上げぶりとは対極を為す世界に属しています。

 以上、否定の弁でした。

 以後、この件についてはお答えしませんのであしからず

 小田嶋隆 2009年9月02日 22時23分

お知らせ: 偉愚庵亭憮録コメント欄より。

個別のエントリーで書かれておらず、見つかりにくいだろう。気付いてないのか、信じようとしないのか、否定コメント後も非難コメントは続く。

本人が否定している以上、件のイラスト小田嶋氏のものであると非難する方には納得できる根拠を提示していただきたい。非難を表明した方は、何らかの反応をする責任があるのではなかろうか。撤回するのか、納得できる根拠を提示するのか。もっとも、「気付いてない人」が多いだろうが。

この件に関して、まず問題なのは件のイラストの内容の酷さだ。

件のイラスト選挙前から2ちゃんねるの多くの掲示板に出回ったらしい。その内容は酷いものだ。自民党支持者・麻生総理(当時)支持者を明らかな悪意をもって醜く、愚か者に見えるように描かれている。風刺だジョーク事実だという声があったが、僕にはそう思えない。あからさまな偏向、根拠無き誹謗中傷にしか思えなかった。

そしてそのイラストが、今度は日経コラムニスト批判に使われる。「マスゴミ陰謀だ」と。

もうたくさんだ。見えない敵に向かって不確かな情報を元に空虚な批判をするのはもうやめないか。

批判って、もっと用意周到に相手の一番嫌がる所へ的確を殴りつけるものなんじゃないか。空虚な批判は、頭抑えられてグルグルパンチしてる池野めだかコントのようなもんだ。ギャグでやってないんならオナニーだよそれは。

威力は無いが目障りな分性質が悪い。それに陽動される馬鹿も多いし。ただそれは、似た考えの者同士が集まって内輪基準で楽しんでるだけなんだけじゃねーの?

2008-10-29

[][]クルーグマン米国日本になってしまった」

http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200810220019a.nwc

ポール・クルーグマン氏(55)と初めて出会ったときのことは忘れられない。男子トイレでの出来事だった。

 1998年8月、シンガポールトイレで手を洗っていると、隣に(著名な)エコノミストがいることに気づいた。クルーグマン氏が今しがた講演した「流動性の罠(わな)」による日本経済の弱体化について、ちょっとした雑談をしながら、私たちはトイレの流し台が壊れているのをみた。

 「これこそまさに、流動性の問題だ。世界中どこに行ってもつきまとってくる。」クルーグマン氏は顔色一つ変えずにそう言った。

 そのときのクルーグマン氏のジョークを思いだしたのは、彼がノーベル経済学賞を受賞したからというわけではなく、国際金融システムが陥っている状況と関係があるからだ。問題は各国中央銀行が信用、ひいては経済コントロールする能力を失ってしまうのかどうかにある。

 ≪アジア危機を予言

 「経済活動における貿易の傾向と拠点の分析」によってノーベル賞を受賞したクルーグマン氏は、日本バブル崩壊後のいわゆる「失われた10年」に関する研究でも知られる。

 アジアクルーグマン氏に対する評価が高まったのは1990年代半ばのことで、当時、同氏は1997年のアジア危機を首尾一貫して予言した人物の一人だった。その数年後には、クルーグマン氏はアジアが目覚ましい回復を遂げると予測し、的中させた。

 日本金融政策の停滞に関する調査研究が、アジアやその他の地域にも通じることを証明した。日本の「失われた10年」が、例外ではなく世界中蔓延(まんえん)するリスクだ。

 米国も例外ではなかった。1月以降、米連邦準備制度理事会は主要政策金利を4.25%から1.5%まで引き下げてきた。そうした政策が米国経済の支援となっただろうか。

 ≪「米国日本に…」≫

 中央銀行金融政策を施してからその効果が経済に表れるまでに相当な時間差はあるものの、米国消費者は信用危機の予期せぬ影響を完全には体感し始めてはいない。バーナンキFRB議長は一段の利下げ圧力にさらされるであろう。

 クルーグマン氏は、ブルームバーグインタビューに対し「あらゆる点から考えて、われわれは“流動性の罠”の領域にいる。バーナンキ議長はあと何回か利下げを実施できるが、実体経済に影響を及ぼさないだろう。ええ、そう。伝統的で従来型の金融政策が奏功する余地はない。弾切れだ」と述べ、さらに「米国日本になってしまった」と語っている。

 ≪ケインズ主義浮上≫

 クルーグマン氏はまた、経済において政府が果たす役割を重視するケインズ経済学ケインズ主義)の提唱者でもある。12日に米NBC放送のインタビューに対して、ニュージャージー州知事ゴールドマン・サックス会長のジョン・コーザイン氏の発言を補足して、「恐らく肝心なのは、われわれが実体経済に対する刺激を必要としているということだ」と語っている。

 王立科学アカデミーが期を逃さず現時点でクルーグマン氏への授賞を決定したのは、ケインズ主義が過去の遺物ではないとの認識が高まっていることと関係があるように思われる。

 現状はケインズ主義が葬られたとする向きにはほど遠い。米国金融システム国有化しているのと同様に、航空会社自動車メーカー、大手小売業者が政府資産としてバランスシートに計上されるのも時間の問題のように思える。

 グローバリゼーション世界に、国有企業民営化され、そして再び国有化されるといった循環をもたらしている。レッセフェール(自由放任)型資本主義の信奉者である経済学者フリードマン氏の政策よりも、長きにわたってケインズ提唱し、最近ではクルーグマン氏が主張する経済政策に軍配があがるように思われる。

 しかし、やはり最大のリスクの一つは、中央銀行の(存在)意義が危機にひんしていることだ。日本の信用システムはいまなお罠にかかったままだ。他の国が日本と同じ羽目に陥れば、事態はさらに悪化しかねない。(William Pesek)

                  ◇

 William Pesek氏は、ブルームバーグニュースコラムニストです。このコラムの内容は同氏自身の見解です。

2007-04-27

個人用コピペメモ

産経新聞古森義久氏が、米国PBS(公共放送)で慰安婦問題について

日本立場を説明した動画。実際にアメリカで放送されたものです。

http://www.youtube.com/watch?v=Z9VFiNPe4do (日本語字幕付)

ワシントン古森義久 慰安婦問題での陰謀説

http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070421/usa070421003.htm

米国のPBS(公共放送)系テレビのニューズ・インタビュー番組に招かれ、

慰安婦問題について意見を述べる機会を得た。ニューズウィーク誌の

コラムニストなども務める米人ジャーナリストのファリード・ザカリア氏が主宰する

「フォーリン・エクスチェンジ(対外交流)」という番組である。

日本占領中の米軍も慰安所を使ってたというNYタイムズの記事

http://www.nytimes.com/aponline/world/AP-Americas-Comfort-Women.html?_r=2&oref=slogin&oref=slogin

2007-04-15

ゼネラリストのすすめ、2割の労働力で8割の生産量→1%のスキルで業務の50%以上がこなせるかもな話。

どっかの技術雑誌の囲み記事かもしれない。長いからカナリはしょった。

2割の労働力が全生産量の8割を担っているとか聞くことがある。

その2割の労働力と8割の生産量に注目した場合、同じ法則を適用すれば、0.4割の労働で6.4割の生産を担っていることになる。さらには0.08割で5.12割の生産を担えるという計算だ。パーセンテージに直せば、全労働力の0.8%分で全生産量の51.2%分を引き受けていることになる。

個人的な実感としては、「企業内の社員」と「利益のつながり」を数値的に把握することは大掛かりすぎて難しいけれど、「自分のスキル(およびそれを身に着ける過程の手間)」と「自分がしている仕事の量」に注目すると、意外にしっくりきてしまう。

自分が持っているスキルセットを考えたときに、毎日繰り返し使っている能力(たとえばコミュニケーション能力)をどのように身に着けたかに思いをめぐらしていると、実は苦労して身に着けたスキルは、(少なくとも直接的には)実際の生産につながっているとは限らない。たとえば大学受験をしたころ(遠い目)に苦労して身に着けた物理の計算など全く使うことはないし、新入社員のころ研修で毎日残業しながらしつこつ教えられ身につけた一般的なスキル、そんな能力自体を直接的に活用して仕事をこなしている人というのが多数派かというと、それが少々、あやしく感じられる。

PCアプリケーションなどもいい例かもしれない。イラストレーターという高機能なソフトウェアがあったとして、ふだん自分が使っている機能は全体の何パーセントだろうか?おそらく1%にも満たない部分ほとんど仕事は済んでしまう。非常に細かい環境設定であるとか、画像の補正機能なんていうのは、それこそロングテール部であって、その機能を必要とする作業にとってはとても価値が大きいけれど、ふつうの大雑把な画像作成には不要なわけだ。

Windowsのペイントは、イラストレーターと機能を比べたら、1%くらいの機能しかないかもしれない。しかし、

ふたつの比較を見比べてみても、違いとしては前者の方が大きいだろう。スキルや能力を3段階考えて、レベル1:全くできない・レベル2:少しだけできる・レベル3:何でもできる、とした場合、レベル1とレベル2の差は、レベル2とレベル3の差とは比較にならないほど大きい。

分業によってプロフェッショナル化が進んだ社会だということで、自分の中のプロフェッショナル的な部分は大切にして伸ばしていくことが当然好ましいだろう。けれど、ゲーテの時代から叫ばれていた、「自分のスペシャリティは、オールマイティに能力をつける過程の中で見出すべきだ」という教育の理念を、最近社会や個人は忘れがちだ。

自分がやりたいことを突き詰めるのはよいことだろうけれど、自分が専門を持っていて狭く深いスキルを持っているということと、自分がさまざまな方向に興味をめぐらして浅く広いスキルを持っているということ、この二つは全く矛盾しない。社会フレッシュな新人があふれているこの季節、いろんなことを試してみるという方向性のメンタリティを、斜に構える前に身につけてもらえたらなぁ、などと、いちコラムニストが考えているのは、これは大きなおせっかいであろうか。

長かった、やめときゃよかった。。。

あとエピソードが長かったから省略したせいで誤解あたえちゃまずいんだが、筆者はコミュニケーション能力はスグ身について広範に利用できる「1%」側のスキルだと考えてるみたいだ。その点は私も賛同するが、ハテナ内のウケは悪そうだなw

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