2007-04-15

ゼネラリストのすすめ、2割の労働力で8割の生産量→1%のスキルで業務の50%以上がこなせるかもな話。

どっかの技術雑誌の囲み記事かもしれない。長いからカナリはしょった。

2割の労働力が全生産量の8割を担っているとか聞くことがある。

その2割の労働力と8割の生産量に注目した場合、同じ法則を適用すれば、0.4割の労働で6.4割の生産を担っていることになる。さらには0.08割で5.12割の生産を担えるという計算だ。パーセンテージに直せば、全労働力の0.8%分で全生産量の51.2%分を引き受けていることになる。

個人的な実感としては、「企業内の社員」と「利益のつながり」を数値的に把握することは大掛かりすぎて難しいけれど、「自分のスキル(およびそれを身に着ける過程の手間)」と「自分がしている仕事の量」に注目すると、意外にしっくりきてしまう。

自分が持っているスキルセットを考えたときに、毎日繰り返し使っている能力(たとえばコミュニケーション能力)をどのように身に着けたかに思いをめぐらしていると、実は苦労して身に着けたスキルは、(少なくとも直接的には)実際の生産につながっているとは限らない。たとえば大学受験をしたころ(遠い目)に苦労して身に着けた物理の計算など全く使うことはないし、新入社員のころ研修で毎日残業しながらしつこつ教えられ身につけた一般的なスキル、そんな能力自体を直接的に活用して仕事をこなしている人というのが多数派かというと、それが少々、あやしく感じられる。

PCアプリケーションなどもいい例かもしれない。イラストレーターという高機能なソフトウェアがあったとして、ふだん自分が使っている機能は全体の何パーセントだろうか?おそらく1%にも満たない部分ほとんど仕事は済んでしまう。非常に細かい環境設定であるとか、画像の補正機能なんていうのは、それこそロングテール部であって、その機能を必要とする作業にとってはとても価値が大きいけれど、ふつうの大雑把な画像作成には不要なわけだ。

Windowsのペイントは、イラストレーターと機能を比べたら、1%くらいの機能しかないかもしれない。しかし、

ふたつの比較を見比べてみても、違いとしては前者の方が大きいだろう。スキルや能力を3段階考えて、レベル1:全くできない・レベル2:少しだけできる・レベル3:何でもできる、とした場合、レベル1とレベル2の差は、レベル2とレベル3の差とは比較にならないほど大きい。

分業によってプロフェッショナル化が進んだ社会だということで、自分の中のプロフェッショナル的な部分は大切にして伸ばしていくことが当然好ましいだろう。けれど、ゲーテの時代から叫ばれていた、「自分のスペシャリティは、オールマイティに能力をつける過程の中で見出すべきだ」という教育の理念を、最近社会や個人は忘れがちだ。

自分がやりたいことを突き詰めるのはよいことだろうけれど、自分が専門を持っていて狭く深いスキルを持っているということと、自分がさまざまな方向に興味をめぐらして浅く広いスキルを持っているということ、この二つは全く矛盾しない。社会フレッシュな新人があふれているこの季節、いろんなことを試してみるという方向性のメンタリティを、斜に構える前に身につけてもらえたらなぁ、などと、いちコラムニストが考えているのは、これは大きなおせっかいであろうか。

長かった、やめときゃよかった。。。

あとエピソードが長かったから省略したせいで誤解あたえちゃまずいんだが、筆者はコミュニケーション能力はスグ身について広範に利用できる「1%」側のスキルだと考えてるみたいだ。その点は私も賛同するが、ハテナ内のウケは悪そうだなw

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