はてなキーワード: 裁判員制度とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/360714
ぶっちゃけ一般人が裁判官に否定の意思を示せるというところに気持ちよさを感じてしまっているのではないか?
裁判員制度でやたら重たい刑が軽率に求刑されるという話と近いものを感じる。
裁判員だって結論に対して右から左で答え出してるわけじゃないし、結論が同じだとしても一かゼロかではなくて、現行法ではこうだが今後議論されることが望ましいみたいな判決だって珍しくないでしょ。
それに対してそんなノータイムで×つけてるやつらの軽率な意思で罷免なんかされたらたまったもんじゃないだろ
id:hapilaki “何も書かなければ信任したとみなされる。”そもそもこの仕組みがおかしいので、何をしたのか分からなければ✕を書く方がいい。何者か分からんやつを信任するのはおかしいでしょうよ。
id:ChillOut あとで納得いかない判決を出されたり、思想家・活動家だったことが分かっても挽回する手段がない。よって詳細が分からない場合は、基本❌️にしておくと後悔が少ない
id:camellow どの裁判官がまともな活動をしているという情報がないので全員×にしてる。政治家は一生懸命自分の実績なり主張をアピールするのに裁判官は何もせず信任される仕組みへの抵抗。
id:santo わからなかったら全部バツにしておくと司法が緊張していい政治になるって神保のおっちゃんが言ってたで。
id:shira0211tama 分からないと考えたくない場合は全員バツだよ!どうせ割と素通りするってなら尚のこと何も考えずに全員バツだよ!
id:oktnzm 基本、全部バツでいいよ。現状、全然罷免ラインに届いてないし、熟考した人の底上げになるので。
id:hatehenseifu 三権分立など画に描いた餅であるワガクニの裁判官はとりあえず、全員✖でOKです。
id:theta ダメな裁判官を罷免できる制度だが、今までこの制度が機能したことはない。機能させたいなら、機能するまで×を積み上げる必要がある。機能させたい人は全員に×をつけるべき。
この人に至ってはそもそも審査のやり方をわかってなくてアホをさらしている(〇付けたら無効)。
id:warulaw 基本的なスタンスとして人は定期的に入れ替わったほうが良いので、よくわからない場合は「×」。その上で非常に素晴らしい判断した裁判官は「○」にしている。
“本来ならもっと早く自白の信用性とか検察官証拠の乏しさで無罪になって然るべきだったが、科学的根拠が出てきてようやく無罪になったのは残念”
“本来ならば、裁判員制度であれば、市民の素朴な疑問でこれを有罪にするにはおかしいんじゃないか、というようなところからスタートしているはずです。”
“推定無罪の原則に基けば、科学的な根拠を用いて証明するのは無罪じゃなくて有罪の方であるべき。 有罪だと明らかにならなかった時点で無罪のはずだからな”
“要は「疑わしきは被告人の利益に」が遵守されていれば、科学的調査を待たずとも無罪を言い渡せた事件のはずだという事。 たぶん、「市民」を自動的に敵対ワードとして反応した結果の曲解でしょう。”
中学生に性的暴行したクルド人は難民申請中だった 地元市議は「実態を正しく直視するべき」 | デイリー新潮
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.dailyshincho.jp/article/2024/04050558/
「12歳の女子小学生に性的暴行したアメリカ人は米海軍と海兵隊だった」こちらの方も「実態を正しく直視するべき」ですよね。https://www.tokyo-np.co.jp/article/174853
https://b.hatena.ne.jp/entry/4751630356195896512/comment/donovantree
今回の埼玉の事件とは直接の関係こそ何もないけど、確かにひどいな。
難民の男性はまだ社会的に弱い立場かもしれないけど、その難民男性の事件のコメントで書かれた沖縄の米兵の事件の方は、擁護すべきところがまったくない。
また、被告人となった海兵隊員の家族は「人種差別によるでっち上げだ」「若者たちが日本に連れ去られようとしている」と主張し来日した。来日後も「沖縄だと陪審員に良く思われないから裁判が我々に不利になる。だから裁判の場を九州に移せ」などと被告人の妻らが主張する様子が日米双方のメディアに流された[注釈 3]。被告人家族は泣きながら失神する姿まで披露したものの、そもそも裁判員制度が始まったのが2009年であり当時は導入されておらず、日本では的外れで空回りに終わった。また文化的にも白人・黒人が絡む人種差別問題になじみが無いため全く同情の声は挙がらず、むしろ反感を煽る結果となり、世論からも相手にされなかった[16]。
沖縄でも一番弱い立場の人を襲った被告の家族が、あろうことか、自分たちの方が人種的に差別された弱者を僭称して大騒ぎしたらしい。
反人種差別運動の主張に乗っかれば、自分達の身内の男も難民男性みたいな社会的弱者を装えると考えたんだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/profile/comments/219967c1-2d51-45b8-b04a-4ef6e8e8e0be
この裁判は裁判官も検察も裁判員の方々も全員女性でやって貰いたいな。子供を自らの手で殺めてしまったことについては自分が1番罪を償いたいと思っていると思います。後から子供の可愛かった所ばっかり思い出してるんじゃないかな。この裁判員制度と言うものが少しでも良い方に傾いてくれる事を願ってる。
この案、もっと広まるといいんだけどな。
https://honeshabri.hatenablog.com/entry/onimai
この記事へのアンサーです。
病院の待合室でぼーって書いた増田が伸びててびっくりした…初増田だったのに
なるほど、勉強になりました。
事件として扱われたから控訴して高等裁判所に提出しないと駄目かと思っていました。
本邦裁判員制度は刑事のみなので、本件には無関係。アメリカ合衆国では民事で陪審裁判になることもあるけどレアケースじゃないかなあ……
裁判長の人にいきなり判決結果言われてもう裁判員の人とかと審理終わったのかと思っていたのですが、そもそも裁判長だけの判断だけで大丈夫なのですね。
マジレスになっちゃいますが身分証明書を作る時に非常に面倒くさくなるんです。
いやまぁ中学に編入出来てる話でこういうリアリティ考えるのはナンセンスかもしれないのですが。
ふらっと一人旅する時にも必要だったりするので、身分証明書なしの生活は大変だったりします。
薬が抜けると男性に戻るのか…それは厄介ですね。
まぁホルモン療法と同じ感覚で捉えれば薬が切れないように戸籍変更までいけそうです。
らんまは娘溺泉で若い女性になると明記されてるので染色体も変わっているでしょう。
らんまが望めば割と簡単に女性の戸籍は手に入れる事は可能だと思います。
男性の戸籍を使いたい時は良牙を水に落としてから戸籍借りれば良いでしょう。
結論としては、多分まひろちゃんは戸籍上の性別変更する際に子宮摘出はしなくて良いと思われます。
あくまで個人の見解なので間違ってる事言ってるかもしれないけど許してね。
あと増田は6〜7年前に色々勉強してSRS(性転換手術)したんだけど、ここ最近猛烈に法整備とか追いついて来てたらするので
昔はここが違った、最近はここが違うなどたくさんあると思うので悪しからず。
記事の感想としては、基本的に凄く真っ当な事が書いてて、ここまで調べられるの凄いなぁと思うと共に日本の法律はバグだらけで酷い物だというのが知れ渡って嬉しい限りです。
特に性転換手術の保険適用は性転換手術を行う為のガイドライン上でホルモン治療が許可されるまでの必要プロセスがありお医者さんの(結構面倒くさい)認定が必要なのにホルモン治療してたら適用されないバグっぷりに笑うしかないんですよね。
とはいえ実は保険適用になったのは最近で、少しずつ良くなっていけば良いなぁと思う所ではありますね。
女性から男性への胸オペ(おっぱいを取り除く手術)ぐらいには使えそうなので全く使い道が無いものでも無いのかなと。
手術自体、女性器を作る技術がタイの方が遥かに高いので、日本でしか使えない保険適用は厳しいという話もありますしね。
私は保険適用される話が出る前から水商売で手術費を貯めていたし、バグだなーって思うけど将来的にもっと気軽な手術になってくれれば良いかな、と思います。
さて、本題ですが多分元記事にあった唯一の間違い。
「不思議な力でTSしちゃったお兄ちゃんの戸籍を変えようと思ったら子宮排出しないといけない」という点ですね。
まぁ、これはこの世の事例に不思議な力でTSした症例が紹介されてないので当事者じゃないとわからんよなーって内容なのですが。
手術を行うまでにいろんなプロセスがあるんですが、その中に外生殖器検査、染色体検査というのがあります。
日本ではその人の戸籍上の性別を判断するのは赤ちゃんの時にお医者さんが股間を確認して「こいつは男の子だ!」「この子は女の子だね!」と診察する訳です。
が、そもそも外生殖器の確認を間違ったらしちゃう例がある訳ですね。
小さすぎたり一部が大きすぎたり、そもそもお母さんの子宮内で上手く形成されなかったりで。
そのため、ジェンダークリニックなどから大学病院などに紹介してもらい外生殖器と染色体の検査をするのです。
具体的にはスカートずらしてショーツ脱いで仰向けになって股開いてお医者さんに検査されるわけですな。
私は残念ながら生殖器や染色体共に男性だったので、非常に恥ずかしい思いをしてその検査をした後に「染色体上男性ですね」と言われるわけです。
ただ、まひろちゃんは恐らく不思議な力で完全な女性になった訳ですよ。
すると、ここでお医者さんは「おやぁ?これは女性じゃないか」と診断する事になるのです。
そうすると、話は非常に簡単。
家庭裁判所に「この子は男性としての戸籍があったけど外生殖器と染色体上は女性と酷似している為、社会生活上女性としての戸籍が妥当」という感じの手紙を送れる訳です。
そうすると(裁判員にもよるのかな?ここはわからん)晴れて裁判所からこの人は女性であるという事件番号が出て、これは行政書類なので役所に持っていく事で戸籍を変える事が出来る訳です。
めでたく?これでお兄ちゃんは子宮を摘出する事なく花嫁さんになる事が出来るのです。
羨ましい…。
ちなみに、気をつけないといけないのは、この裁判記録は再度覆せないということ。
(高等裁判所に行けばいけるのかな?)
一度下った判例は覆せない筈なので、お兄ちゃんが何らかの原因で再度男性に戻っても戸籍を男性に戻せないのです。
いやぁ、こうして見ると性転換周りは大変な事がわかりますね。
例えば子供に暴力を振るう親や危険運転でひき逃げをする人なんかだね
でもそういうのは記憶に残りはするけど基本的には法律や規則といって大きな枠の中だけで解決されてしまうので、一般人が意見をかませる余地があまりない
池袋の母子がひき逃げにあった事件等も裁判が完結すれば基本的に内容に文句を言う人ってそんなにいないんだよね
ところがそういう規則とはちょっと外れた場所に対しては人間の感情が入り込む余地があるらしい
例えば池袋の事件は「犯人の男性が上級国民だから逮捕されなかった」という話で持ちきりだった
本人の罪の重さよりも逮捕されたかどうかの方がなぜか話題として大きいのは印象的だ
端的に逮捕する意味がないなら逮捕しないけど、人間ってのはなぜか「逮捕=刑罰」という印象が強く、それを実行しないことが不当だと思い込みやすい
論理的に説明してもなお人間は自分の気持ちが最優先になってしまう
逆に、その事件の被告を裁判員制度に参加して裁くという考えは起こりづらい
量的なものの見方より、気持ちや配慮と言った他人から見えづらく説明のしようがない部分で他人を殴りたいという人ってめちゃくちゃ多いよね
これはそういう気持ちを盾にすればあらゆる暴力が許されると考えているからではないか?
精神的苦痛とは少し違い、あえて定量的に示すことなく自分の気持ちを侵害されたことを強調すればあらゆる常識や法律をかいくぐれると信じる人が結構多いように見える
解釈の世界だけで全てを判断できるため、論理的な説明はいらない
全ては声の大きさと勢いだけで言いくるめられる
国民のうち、成人からランダムで選ぶことになると思う。いわゆる裁判員制度の政治家版だ。
このメリットは一般国民の考えがダイレクトに政策に反映されることだ。
通常の多数決選出では最も人数が多く選挙に熱心な老人世代に支持される政策が掲げられてしまう。
また、宗教の力で選ばれた政治家は宗教の考えを政策にしてしまう。これは一般的な国民の考えとはまったく違ったものだ。
現在は、政治家は最も人数の多いグループを忖度してしまっており、税金を支払う労働者層が奴隷扱いされている。未来の国家を支える子どもより老人が優遇されるのはこのためだ。
年齢別ランダムで政治家が選ばれれば、忖度する必要がないため特定の階層が特に優遇されることもない。
宗教家の中から選ばれてしまう可能性はあるが、政治家が十分に多ければ国民中の宗教率と政治家の宗教率は同じはずであるため、正しく優遇政策が取られるという意味であり、問題はない。
ただしやる気のない人を政治家にしてもろくに活動しないため、辞退する権利が必要である。また、良くない考えを持つ人が活動してしまうのを避けるため不信任投票は実施するべきである。
裁判員制度とかなんの為にあると思ってるんだよ
自分はたぶんどっちかというと死刑廃止派で、だけど自分の大切な人がむごい殺され方したら「犯人を殺したい」と思うはず、という人間です。
日本における死刑の議論において、当然のように前提となっているのが「司法は復讐の代行機関(たるべし)」という考え方です。
たしかにそうであれば胸がスカッとするかもしれませんが、果たしてそうなのでしょうか?
結論から言うと、歴史的経緯からは「NO」です。このあたりの話はこちらのエントリがよくまとまっているので、一度読んでみてはどうでしょうか。
https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20071206/p1
https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080707/p2
https://kihamu.hatenadiary.org/entry/20080816/p1
もう一つは、西洋における死刑の歴史を紐解かなければいけません。
西洋に限らず、アニミズムに端を発する文化圏ではしばしば生贄という慣習がありました。
これは自然や不運という「命を奪いに来る制御しがたいもの」に対し、あらかじめ命をささげておくことでそれを鎮めるという狙いがありました。
なので、何らかの理由を持って定期的に人を殺害するというのは文化的には自然なことであり、その標的となるのは罪人や余所者であることが多いのも納得しやすいでしょう。
また西洋における近代法や人権の考え方として、国家や権力というものは暴走し、それを個人(市民)がけん制しなければならないというものが基礎としてあります。
フランス人権宣言以降、西洋の法というのは個人を縛るものであると同時に国家を縛るものでもあります。
よって、西洋の諸国家には国家があくまで法に則して虐殺・恣意的な死刑を執行した歴史があり、その反省として死刑廃止がトレンドになっているという経緯があります。
日本でもたまに、政府高官が不審死することがあるでしょう。あれも広義の国家権力の暴走による死刑です。
「冤罪だったらどうする」論もこの辺に含まれるものと考えていいでしょう。つまり裁く側の権力が間違ってたらどうする?って話なわけです。
ここで困るのは、そうした西洋近代法の成立に通底する思想と、天下り的にそれを”輸入”した日本人の仇討ち感覚との間で、死刑だけが異質なものとして浮き上がってしまっているのです。
刑法論には「応報刑論」と「目的刑論」というものがあり、簡単に言えば「刑罰で犯人に同じだけの苦痛や損害を与える」というのが応報刑論で「刑罰でその犯罪を思いとどまらせる」というのが目的刑論です。
例えば次のような命題がそろっているなら、論理的に考えて死刑廃止に賛成する人がいてもおかしくないはずです。
・「司法は歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない」
・「死刑があるからといって凶悪犯罪を思いとどまる奴は少ない」(目的刑論)
・司法は歴史的に見て復讐を代行する機関として成立したものではない
⇒知らねーよ輸入したんだから。こちとら150年前まで仇討ちやってたんだよ。
⇒でも犯人殺してすっきりしたいじゃん?(応報刑論絶対正しいマン)
日本には死刑廃止に至る十分なロジックがないということなのです。
私も親や配偶者や子供を殺されたりレイプされたら、それ以上の苦痛を与えてやりたいと思う程度には俗な人間ですが、でもそれって俺の感情であって司法のあるべき姿とは限んないよな~とも思います。
光市の母子殺害事件なんかで遺族の男性が会見している風景をテレビでよく見ていました。
非常に痛ましい事件ですが、あのあたりから「遺族の感情を司法に反映すべき」みたいな意見が増えて、なんかモヤっとしていました。
そして裁判員制度までもを輸入した日本ですが、上のような議論を経ずに来ているので変なことになっているなと思います。
「うるせぇ、俺は加害者殺して気持ちよくなるんじゃ!」とクールジャパンな法整備をしてもそれはそれで結構なんですが、外国から「お前の国って法学無くなったん?w」って笑われるのがオチだと思います。