はてなキーワード: キオスクとは
朝起きたら水分が足りなくて1L以上水を飲んで塩飴をなめたのに、まだ水分が不足していたらしく、電車の中で頭痛と吐き気がした。さすがにおかしいと思ったので最寄り駅で下りて駅員さんに救急車を呼んでもらったが、車中で嘔吐。診察後、少し休んでから退院して無事帰宅した。
久し振りに後輩とオンラインで雑談していたが、妙に眠気を感じたので早めに切り上げて10時ごろに就寝。冷房は弱めにして扇風機はつけていた。比較的すぐに寝入ってしまった。
猛烈なのどの渇きと共に目を覚ます。すぐさま枕の脇に置いてあったペットボトルの水を飲んだがそれでも足りず、もう1本分を続けて空けた。朝食を普通に食べ、念のために塩飴をなめて外出。相変わらずのどが渇いていたので鞄に水を補給したペットボトルを忍ばせた。
ホームで電車を待っていると軽い頭痛がする。明らかに脱水していると思い、さらに塩飴と水を飲む。車内は冷房が効いているので少しは楽になるだろうと踏んだが、電車の中で本を読んでも内容が頭に入らない。10分から15分で急に息苦しさが悪化し、マスクをつけているのが非常につらくなる。水もほぼ飲み干したが吐き気までしてくる。これはただごとではないと思い、最寄り駅で下車した。
外の熱気で具合が悪くなる。ひとまず、キオスクでスポーツドリンクをもう1本買って飲み干す。ついで経口補水液はないかと外のコンビニに当たるが無いとのこと(後で調べたら薬局併設の所でないと売っていないらしい)。飲食できるコーナーがあったので席を借りてスポーツドリンクを飲む。そこで買ったものではないので申し訳ないと思いつつ過ごす。しかし、吐き気はまったく収まらない。スマホで検索すると、熱中症を防止するサイトやスポーツドリンクの会社のページに、吐き気は熱中症がだいぶ進んでいる状態なので受診が必要と書いてある。職場に遅れると連絡し、家族には病院に向かうと伝えた。
駅員さんに事情を話し、救急車を呼んでもらう。おおよそ5分から10分で到着するとのこと。みんなのトイレのベッドで横になることをすすめられるが、間が悪く空いていない。代わりに車いすに乗せてもらい、氷嚢を借りた。駅員さんの目の届くとこにいたため、少し暑かった。
救急車が来ると車いすから1、2の3でストレッチャーに運ばれる。ストレッチャーで運ばれるとこういう景色なのか、とぼんやり考える。ここで駅員さんに氷嚢を返す。よく考えればそのまま持っていればよかった。
子どもの頃に一度だけ救急車で運ばれたが、その時に比べると車内は狭く感じられた。
搬送されながら、向かう先の病院名を説明され、氏名や住所、服用している薬などを質問される。それから、家族に電話するのでスマホでかけてほしいとのこと。通話して渡すと、緊急隊員さんが病院名と住所を伝えた。車内は冷房が効いていたがやはり暑さを感じた。氷嚢はもらいっぱなしにするべきであった。
ところで、意識ははっきりしていたので会話に支障はなかったが、それを文字で書いてくれと頼まれると途端に具合が悪くなった。仕方がないので口頭で説明する。救急車に入ったときに、腹の上に洗面器を乗せてくれたのだが、そこに二三度嘔吐した。病院までの道がでこぼこしていて酔ったせいもあるかもしれない。本当に嘔吐するとオロオロとうがいのような音がするのだなと妙な事に感心した。そのまま吐瀉物を抱えたまま病院の緊急用入り口に入っていった。洗面器が吐瀉物で8割ほど一杯になったので、運ばれる中たぽたぽしてこぼれやしないかと気が気でなかったが、意外と段差が少ないので平気だった。
吐瀉物が持ち去られてから、病院でも改めて氏名を確認され、腕に指名の書かれたシールを貼られる。嘔吐して楽になったせいだろう、もう自分で症状を説明できる程度に回復していた。内科の検診のように胸や腹に聴診器を当てられ、舌の裏を見せてくれとか、上下左右に動くお医者さんの指先を目で追ってとか頼まれたりした。これは脳梗塞など脳や神経の病気ではないことを確認するためらしい。診断によれば、入院が必要な病気ではないらしく、熱中症・立ちっぱなしによる疲れ・混雑による体調不良などの複合要因らしい。
ベッドに運ばれ、横になって家族の到着を待つ。席を立つときはナースコールを押す必要がある。一度排便のために立ち上がったが、ここでも個室に鍵を掛けないように頼まれた。また、ベッドに戻るときにもトイレの呼び出しボタンを押すようにと指示された。
点滴はされなかった。体温も高くなかったので、その必要がないと判断されたのだろう。
寝ていると家族が来て、再度お医者さんからの説明があった。それから、もう少し休んだら退院してもよいと言われた。意外と早かった。最近は具合がよくなったら早めに退院するのは本当らしい。
それから、ベッドから降りて廊下のソファで休んでいる間、家族が病院の診断書を作ってくれた。保険証を常に携帯していてよかった。
ところで、妹が持ってくるべき荷物を手早くまとめてくれたらしく、経口補水液だけでなく着替えまで準備してくれていた。おかげでゆったりした服で帰宅することができた。これが非常に楽だった。妹は冷静沈着である。それから、帰宅したら父が大量のスポーツドリンクを準備して待ってくれていた。
その後、一日中横になっていた。夕方には読みかけていた本を読み終えるほどには回復した。
大したことなかったのに救急車を呼んでしまってよかったのだろうか、という反省もあるのだが、呼ばかなったら悪化していた可能性もある。
元々私は片頭痛持ちであり、半年に一度くらい猛烈な吐き気を伴う強さの頭痛に悩まされる。今回の熱中症はその時の症状によく似ていて、ほとんど区別できなかった。もしかしたら、片頭痛と熱中症に同時に悩まされたのかもしれない。
普段から定期的に運動しているのにもかかわらず、比較的熱中症にかかりやすい体質のようで、この時期少し外出しただけで頻繁に頭痛に襲われる。単純に微妙な体調の変化に気づきやすく、敏感なだけかもしれないが、今後も直射日光は避けたい。調べてみると、暑さに慣れるには運動だけでなく湯船につかることも大切らしい。私はシャワーで済ませがちなので、案外原因はそこかもしれない。
また、お医者さん・看護師さんの動きには無駄が一切なかったのも心強く感じた。
ところで、母は危うく別の病院に向かいそうになっていたらしい。救急隊員さんが住所もきちんと説明してくれたおかげで、行き違いになることが防げた。確かに○○総合病院、〇〇労働病院など、似た名前は多い。
妹から聞いたのだが、最近のスマホはログインしなくても個人情報や緊急連絡先を表示できる機能があるそうだ。万一私が倒れてもこれで家族に連絡できるそうで、さっそく登録した。アンドロイドの場合は以下の方法で設定できる。
https://support.google.com/android/answer/9319337?hl=ja
以上。
黒本系の官能小説、それらの規制は言うほど関係ないと思う。と言うか、規制のターゲットから外されている感じがする。
ずいぶん勢力は減ったが、今でも一部ではあるけど残ってはいるよ。高村マルス作品とか。
昔も規制はあったんよ。典型的なのがコンビニやキオスクの規制で、ラインナップの中でも気が狂ってる奴はコンビニやキオスクでは販売されなかった。一般書点でちょっと売ってるくらい。
それでも、ある意味では節操なく売れるものを企画してきたのが官能小説界隈だと思ってみている。
だから、昨今の動きも、規制とかでは無く、単に売れるものを企画しているだけじゃないかなと思ってみている。
おいっ!
誰だ!今単に読者が年喰っただけだとか言った奴は!
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”記憶にございません” ”キオスクにございません”との一致はありません。
記憶にございません キオスクにございません の検索結果 (引用符なし):
sports9.5ch.net › test › read.cgi › bicycle
2005/10/19 — 地図見ながら記憶をたどるから、このスレで長く張り込んでいてちょうだい。 96 :93:2006/01/22(日) ... 384 :ツール・ド・名無しさん:2006/10/04(水) 00:38:00: キオスクにございません; 385 :ツール・ド・名無し ...
おしい
今の若い人々には全く想像がつかないかもしれないが、30年くらい前になると、道端のそこイラ中にゴミが捨てられていた。雑誌やペットボトルなんか車の窓からポイポイ捨てる人たちがいた。おもむろに車を止めて道路に灰皿の中をザバッと開けて立ち去る人もいた。
もう10年位遡ると、通勤ラッシュの地下鉄の中でタバコを吸う人がいた。窓も開けられない地下鉄の社内は煙草の煙が充満していた。
今、ポイ捨てする人たちや電車の中でタバコを吸う人はいるだろうか?いるにはいるが、絶滅危惧種だし、それはだめなことだと社会的なコンセンサスが取れている。
日本ではタバコは男が吸うものだったし、ゴミをポイポイ捨てるのも男性が多かった。道端になんの躊躇もなくゴミを捨てることはどこか男らしい、という認識があったように思う。
タバコで言えば、女性は煙を吸わされる、臭くなる、服を焦がされる、というやはり被害者な立場であることが多かったし、子供の目にタバコの火が入って失明したなんていう事故を知っている人もいただろう。
こういう問題について当時のやっていた人々(主に男性なんだが)「ルールとか関係ないわ、俺はやるわ」っていう人とか「いやいや、タバコとか取り上げようっツーの?人権侵害だろ?」とか「ゴミ持ち歩くのってうっとおしいし、ポイ捨ての何が問題なの?」とかそういう人はわんさかいたのだが、今ではポイ捨てする人もほとんどいないし、タバコは喫煙所で吸うことが守られている。
ポイ捨て問題については「汚くて嫌だからやめてほしい」という意見はあったし、タバコについても「臭くて嫌だ」という意見はあった。たが、ここは論点にならなかった。というよりもちょっと後に出てきた論点だったと思う。そもそもそういう人々は多かったのだが、これらの問題に対応するときの最初の論点ではなかった、とでも言ったほうがいいだろうか。
タバコをそこいら中で吸うことの危険性や健康に対する問題というのが啓蒙されていたし、ゴミを捨てることについても環境問題何かと絡めていたと思う。つまり、物理的で客観的に確認できることを問題にしていた。なので、メディアも動きやすかったように思う。
これらの問題はつまるところ
物理的で客観的に証明できそうな問題(戦いに持ち出した論点)+感情的で主観的な問題(もっと本質的な論点)
の合計だった。
物理的で客観的に証明できそうな問題(戦いに持ち出した論点)+感情的で主観的な問題(もっと本質的な論点)
こちらの式の前半、戦いに持ち出せるカードが少ないのだ。まず、色っぽい写真や萌キャラのメディアを公の場に張り出すことの物理的な問題ってなんだろう、と思うと、なかなか見つからない。主観的な問題はわんさか出てくる。
「環境型セクハラだ!」とか「性的搾取だ!」と言ったところで「お前の感情論にそれっぽい理屈つけただけだろ」と言われてしまうのだ。当然ひどい嫌悪感を持つ人々はいて、私は彼らにも慮る必要はあると思っている。もうちょっと言うならば、もっと適切な表現ややり方は模索すべきじゃないのかと思う。だって、これは差別問題だから。
海外でもこういったアウトプットを問題にするのは昔はやった。レースクイーンは性的搾取だとかその手のやつで、このときも「いや、これ私がプロとして自分で選択してやってるんですけど、私はこの仕事に誇りを感じている」とか「アンチのせいで私は職を失ってしまった、これからどうやって生きていけばいいのよ」と同性からも反発を食らっていたのは覚えている。
海外ではこういったアウトプットを直接的にぶん殴るよりは、教育を変えていくようにシフトしたように感じている。そして環境型セクハラと言っていいようなメディアは姿を消した。色っぽい表紙の雑誌は未だに公然と売られているが。
フランスではポルノ雑誌がそこかしこで売られているというのは「男女ともにそれがもはや環境型セクハラとして感じられなくなった」または「特定の人にはそれは未だに環境型セクハラだが、誰も同意できなくなった」ということでもあるだろう。
タバコもポイ捨ても社会的なコンセンサスが取れたことで新しい問題を生み出した。それは当初の反対派が想定しなかった方向に転がった、ということでもある。海外でも同じだろう。おそらくフランスでは今でもキオスクでエロ本売るなっていう人々はいるだろうけど、今の時点ではおそらく男女ともに「え、なんで?」ってなるようにアップデートされてしまっている。だが、それでもいいようには思う、何故か。
海外のフェミニズムたちの活動における最も重要な成果は「誰が言ったかにかかわらずそれは議論に値するトピックだ」と誰もが考えるようになったことだと思うからだ。そしてそこには教育が重要であると言ってもいい。そしてこのトピックは「性教育」の一項目だったりもする。子どもたちが目にする最初の多様性は男女や人種だからかもしれない、単純で理解しやすいからかもしれない。
なので、日本のフェミニストたちは海外の性教育を一度見てみることをおすすめすするし、そういう書籍を発行したりしてもいいかもしれない。
寝台では浅く眠っただけだった。起きるとそこは横浜駅を発車したばかりで、車内は人々がまばらに朝の眠気を横たえていた。
金曜、仕事が定時を少し回って終わった。
エンジニアとして現場研修をしている私は、帰路につくためバスから電車へと乗り換える赤羽駅にいた。
――どこか遠くへ行きたい。
そう思いたち、改札を抜ける前にみどりの窓口へと向かった。
用意されたのは、琴平行きの座席特急券。それを手にしたあと、大宮にある自宅へ一旦戻って、身支度を始めた。
最低限の替えの着替えと、歯ブラシ、タオル、文庫本をリュックサックへ突っ込み、口座から少しだけ金を引き出し、気付くと東京駅9番線ホームでサンライズ瀬戸を待っていた。
入線してきた赤色と薄茶色の車体に乗り込み、間もなく発車したサンライズ瀬戸号の車窓へ目を向ける。
通過する品川駅にはまだ多くの通勤客が帰路を急ぐ。彼らを裏切るかのようにして、私は東京を離れた。
小学生の遠足のときのように、興奮で眠りは浅く、然し心地の良い揺れはまるで子守唄のようだ。
沼津を過ぎるまではそんな調子で、しかし体がいよいよ慣れたのか、それからは岡山で出雲市行きと分割するまでぐっすり眠った。
瀬戸大橋線に入り、車窓には瀬戸の島々が並ぶ。それまで横になっていた私は、その時を待っていたかのようにすぐさま体を起こし、洗面台で丁寧に顔を洗い、歯を磨いた。高松では多くの乗客が下車し、それから延長運転を行う琴平行きの車内は伽藍であった。
定刻で琴平に到着したサンライズ瀬戸は、しばらくホームに身を横たえ、旅を始める我々を見送っていたように思えた。
観光案内所も閉まっている。まだ9時前だった。
急ぐ必要もない私は、とりあえずその足で気の向くままに、初めて足を踏み入れた四国の道を歩き出した。
金比羅山の長大で急な階段参道はやはり足に堪えたが、御本宮からの眺めを見てそれも消えてしまった。
初詣からまだ数週間足らずで再びお参りをするのは変な気分だったが、この旅の無事を願い、参道列に加わり手を合わせる。
いきあたりばったりでこのあとの予定も何一つ決まってはいない。不思議とそれが心地よかった。
来た道をそのまま下り、琴平駅に戻る間に土産の品をいくつか買った。飴、手ぬぐい(今治のものだ)、饅頭。
すれ違う人々は意外にもスーツ姿の団体が多く、1人の私は割に目立った。それもまた不思議と気分を高揚させた。
予讃線に乗り継ぐ多度津駅で近くの食堂に入り、日替わりの昼食を注文した。
予想はしていたが、メニューにはナチュラルにうどんが設定されていた。かき揚げやおにぎりと一緒にいただく。もちろんとても美味しかった。
予讃線下り松山行きの特急いしづち、しおかぜの自由席は半分ほど埋まっていた。
空いている窓側席に腰を下ろし、金比羅山で蓄えた疲労をしばしの間、癒やす。
文庫本を開いてすぐ眠ってしまい、松山駅の到着案内で目を覚ますことになった。
松山駅を降りると、失礼ながら想定していた風景とはだいぶ違った街並みが広がった。
すぐそばに伊予鉄道の路面電車が走り、人々が休日らしい顔持ちで道を往きかっていた。
バスターミナルにて1Dayパスを購入し、中心市街である大街道電停に向かう。
大街道電停は松山城の目と鼻の先にあり、電停を降りる瞬間、目に入った。
琴平駅では松山方面に向かうか、高知方面に向かうか一寸悩んだのだが、松山に来て正解だったようだ。非常に立派な天守閣だった。
城を横目にマンホールカード収集のため坂の上の雲ミュージアムに赴き、1時間ほど観賞したのち、喫茶店に入りたばこを吸った。
道後温泉行きの時刻に合わせて喫茶店を出て、再び路面電車に乗り込む。
きっとこのまま温泉宿に泊まるのだろう。車内は温泉客でほぼ席が埋まっていた。
道後温泉街は本当に賑わっていて、改めて今日が土曜日だということを私に再認識させた。
――少し急がなければ。
人混みを縫うようにアーケードを抜け、道後温泉本館で湯に浸かった。
復路の寝台が高松駅を21時半前に発車する。
琴平駅のみどりの窓口ですでに確保していた、その列車のことを念頭に置きながら、再び路面電車に乗り、JR松山駅前電停で降りる。
駅前のキオスクで少しのビールとつまみを購入し、もうすぐ発車する高松行きの特急に乗り込んだ。
もうこの旅も終わりだ。
余韻と若干の寂しさを感じながら、日が暮れかかっている四国の風景を見て、ビールを飲んだ。
2時間以上瀬戸内海のふちを走りきり、降り立った高松駅は、高層ビルがいくつかそびえ立つ、立派な港町だった。
連絡船時代の面影をほんの少しだけ残したホームでまたうどんを食べ、キオスクでビールとつまみを買い足す。最後の晩餐ともいえるような光景だった。
もう少し、ここにいたかったな。
そんな気持ちを奪い去るようにして、寝台特急サンライズ瀬戸は高松を出発。途中の岡山で出雲市から来た列車と連結し、東京に私を運んだ。
<追記>
「座席特急券」と書いたのは、ノビノビ座席について、寝台券の必要がなく座席として発券される特急券というニュアンスを込める為です。
・高知について
今回でサンライズが大好きになったので、また近いうちに乗って、高知城も見てみたいです。
あと、四万十川も。
デート誘うための街の情報集めるために、ぴあ、hanako、ウォーカー系読んで
バンド情報詳しくなるためにロッキングオン、音楽と人、クロスロードとか、日経の情報誌とかをおさえとく。
女性なら、non-no、an-an、Camcan、とかを大学生〜新社会人くらいが読んでて、社会人になるとそっから各自好きなファッション誌へ。ちょっと個性的な女の子はオリーブとか。
おっさんは週刊新潮、週刊文春、週刊ポストなどの週刊誌を。そこに若者向けのしょーもない情報誌としてSPAとかAERAとか。
意識高い系は日経新聞とか日経とか東洋新聞とかプレジデントとかの経済誌。
仕事情報は毎週月曜だか日曜だかの朝日新聞の朝刊か、有力地方新聞の朝刊チェック。
アルバイトならAn、FromA、転職雑誌は今もあるリクルート系かな。
駅のキオスクにも雑誌はあったし、駅前にはちっちゃな本屋が大抵あったし、大都市圏には大規模書店がど〜んとあったし、CD大量に売ってるタワレコやHMVとかにも音楽とかアート系とかおしゃれな雰囲気の雑誌出てたし。
アニメ雑誌はハマったアニメが表紙になってれば、どんな情報が載ってるか知らなくても本屋で手に取って、購入に結び付けられたんだよ
そっから「これはこういう情報が載ってるんだな」とはまった人が、継続して購読するようになる
週刊ポストなんかのゴシップ週刊誌は、昔は、床屋、病院、食堂と至るところに置いてあったから、若い人もそういうところで手に取り始めて、「こういう情報が載ってるんだな」と購読するようになる。基本、読み捨て雑誌だから、駅のキオスクで買って通勤時間の十数分でパラパラと見るだけ見て網棚に置き捨てるってのが珍しくない時代だったからいくらでも売れた。
文藝春秋なんかの意識高い月刊論評誌は、新聞広告なんかで読者を稼いでたんだよ。毎日のように新聞をじっくり読む意識の高い読者は、見出しで興味深い記事があれば購入してチェック