はてなキーワード: ねじとは
破壊された。
誤ってエアコンのリモコンスイッチでも入れてしまったのかとエアコンを見るも動作している様子はない。
はて? と思って寝室からドア方向から音がするのに気がつく、ここまで寝ぼけ眼でぼんやりと考えること約十分。
夫婦別室で寝ているので(幼子を私のいびきから守る為)、もしや洗濯物を浴室乾燥でもしているのかと思うも、どうも音質が違う。
一体何の音だと、仕方なく音のする方向へ近づくと、浴室内であることは間違いなかった――シャワーが何故か出っ放し。
????と、とにかく、シャワーを止めようと混合栓のダイヤルを触ろうとしたら・・・ない。
えええええ?と、よく見るとダイヤルそのものが混合栓から外れて床に転がっていた。
ちょ、待てよ!、ダイヤルないのにどうやって出続けるシャワー止めんだよ? と焦ること1分くらい。
ダイヤルを元の位置に嵌めたって、破損しているのだからスカスカ。混合栓内部の栓そのものが動くわけがない。
ふと、混合栓につながる根元を見るとその中央にマイナスドライバーで動くねじ山があるのに気がつく。
そういやこれを閉めれば水は止まるはず、と慌ててマイナスドライバーを置いてある自室に。
浴室に戻って、マイナスドライバーを使って回そうとするも、これがびくとも動かない。
そりゃそうだ、住み始めて十年以上、こんなの回したこともないから、固まってるわけだ。
どうする?どうする?とまたもや焦り始めるも、自分がバカだったことにようやく気がつく。
「外のパイプスペースにある元栓しめりゃ止まるだろ、アホか」
と自分で自分にため息しつつ、パジャマ姿のまま、スマホ照明片手にパイプスペース扉をあけて止水――ようやく水は止まった(当たり前)。
しかしどうして、こんな夜中に混合栓が破損していたのか。
今現時点でもはっきりした原因は不明なんだけど、元々壊れかけていて、たまに風呂場に遊びか何かで入ってくる飼い猫が壊したんじゃないかと推測している。ていうかそれしか考えられない。だから浴室は閉めておけと――いや、そのミスを犯したのはおそらく私自身である。油断した。
ともあれ、止水出来たんだし、修理をどうするかは後で考えればいいと一旦自室に戻り就寝。
そして朝五時に叩き起こされる。
「パパ!水が出ない!ちょっと起きて!」
とは言え、そう言われたって水出したらまたシャワーから水が止まらなくなってしまう。
止めるには、あの硬くて動かない混合栓根元のネジを回さなければならない。
こういうときには一家に一本、クレ5-56。これ絶対に必要だからね!
ところが私は普段ほとんど使わないものだから、探し回るも見つからない。
妻は呆れて、業者に電話しようとするも、それは待てと指示。あの手の業者はちょっとした修理で数万単位で金をかっさらうのはよく知ってるんだ。
しかし何とかせねば、トイレも流せず顔も洗えないし、朝食も弁当も作れない。
私はこれは絶対に混合栓のネジを締めなければならぬと硬く決意し、渾身の力でドライバーを回す。
汗で滑ってドライバーが回らないので、ゴム手袋を嵌めるも、それでも動かない。
せいも根も尽き果てようとしていた矢先、ふと浴室外に視線をやると、犯人が廊下の隅からこちらにじっと視線を向けていた。
みーちゃんと見つめ合うこと数秒――閃いた!、ドライバーをプライヤーで挟んで回せば!
DIYなんか滅多にやらぬ私のこの閃きはジャストミートし、見事にそのネジは回り、止水完了。これでトイレ他の水が使える状態になった。
というわけで、その日、休みだった私は、やったことないけど自分で修理しようとホームセンターで混合栓の新品を調達。
ネットで検索すりゃいくらでも修理に関する情報が得られる現代社会って凄いね。
業者に頼めば、部品代の三倍以上はするらしい(部品代そのものがホームセンターよりかなり高い)。
ホッと一息、リビングにてソファーに腰を下ろすと犯人が私の膝の上に軽く飛び乗ってきた。
「壊したんなら夜中でも言って欲しいんだけどなぁ・・・無理か」
詳しくは割愛するが、日々の努力の甲斐あってこの1年でCカップ→Fカップまでサイズアップした。
いやいやいや!誰より自分のおっぱいのサイズを知ってるのは、わたしだし!?!
ドセクハラを愛想笑いで流しながら、心の中で何度そう叫んだことか。
そんなモヤモヤも忘れかけていた今日、ダラダラと仕事を続けた徹夜明けの朝、
―そうか、男どもは本当のCカップを知らないのだ―と。
繰り返すがこの1年間、バストアップのことばかり考えていたわたしは、
日々、グラビアアイドルの美しい乳を眺めてモチベーションにしたり、
おっぱいに関するネット記事や掲示板を読み漁ることを日常的にしてきた。
グラドルの乳は、当然ながらため息が出るほど美しい。
ようやく大きくなってきたのに、どうしてー!?(泣)
「乳盛り職人」と呼ばれる方々の見えない努力があることを知った。
ヌーブラやガムテープ、パッドなどを駆使し、美しく撮影できるように、
とにかくグラドルの乳を盛って盛って盛りまくる。
だから、グラビアで見ている乳は、実際のサイズとは到底異なるそうだ。
さて、活躍中の多くのグラビアアイドルは、大体がEカップ以上。
中途半端なCカップのグラドルというと、ほぼ存在しないに等しい。
グラビアでつくられた幻想のEカップを、本物のEカップと思い込む。
「彼女にするなら、こんなEカップが良いなんて贅沢は言わない。
実際のCカップを見たことがない癖に、頭の中で勝手にCカップをイメージし、
なんとも捻くれた事実。
これが、バストサイズに関する男女間の価値観相違のねじれの正体だ。
「実は日本人の平均サイズであるCカップが、最も理想とされているんです!」
わたしは改めて聞きたい。
中屋敷均『科学と非科学』読了。まぁ面白かったが前作ほどではない。というより期待が大きすぎたのか。
「科学も非科学も飛び越えて、この世に生きる勇気を与えてくれるのは、人の心にあるそんな「物語の力」ではないだろうか。」
「物語」にも物語にも日々向き合ってるこっちにしてみれば、悪い意味で同感だ。つまり凡庸。これって「科学は万能じゃない」や「人は皆死ぬ」ほど有名ではないかもしれないが、しかしかなり多くの人がかなり多くの場合にすでに悟っている事柄。問題はそこから先なのだ。独力では到底到達しえなかったであろう洞察、それに出会いたくて俺は本を読んでる。本書はこれに応えるものではなかったが、この著者はこれからも追いかけていきたい。
一方で得るものもあった。カオスの縁。フラクタル。直感だが、これを援用すればうまく解けるのではないか。俺が「コジツケの体系」と呼ぶものの構造や生成過程が。中世日本の荒唐無稽ともいえる独特で奇妙な古典解釈大系。
古今集序にせよ何にせよ、書かれた当時にあってはなんてこと無かった筈の片言隻句が、時代が下るに従って転じて転じてねじ曲がりねじ曲がり、膨大な後づけと神秘性を付与された複雑な世界を形成する(思想体系と呼んでよい)。それは社会的には権威の獲得や富の集積と同時進行であるが、しかし単にそれらを得る為の手段というには留まらない(たとえ部外者にはそう見えても、当人たちはそのように割り切ってはいない)。なにか複雑化それ自体を欲するかのような、ある種の情熱がある。その体系がすっかり出来上がり、生成を止め、社会的影響力を失った後の時代からふり返れば、(その情熱には共感できないので)荒唐無稽なまやかしの残骸にしか見えない。だがこれを不揃いの渦みたいなフラクタル図形と見做せばどうか?
思想史における生成発展継承克服、ある思想が成長して影響力をもちやがて失う。こういった変化の過程を理解するのに、進化モデル・遺伝モデル・遷移モデル(極相林とか)等があると思うが、フラクタルモデルもまた有効ではないか。
特に一見して不規則複雑だが無秩序でない点、部分と全体との自己相似という点が、すごく似ているように思う。片言隻句からオウギョウな解釈が生まれ、その解釈から儀礼の形式(例えば物の配置)が生まれ・・・というあたり。人や物をこのように配置してこれこれの形式で行うことで、テキストから膨らませたこれこれの世界と重なることになるのだ、という思考様式。これを自己相似と言わずなんと言う。
これを更に敷衍するなら、「歴史」や「伝統」に基づく正統性が主張/確認されるあらゆる場面にこの自己相似が顔を出す(大嘗祭を想起せよ)。ある習慣がなぜ「伝統」になるのか、あるいはなぜ「伝統」が作られるのかを考える時、適者生存がよく説明に使われる。だがそれではあまり光の当たらない側面もある。生存や利害得失だけを考えるなら、これほど複雑精緻(なのに脆弱)にする必要はない。そこには生存戦略とは別の原理も働いていると考えるべき。それを読み解くヒントがフラクタルにある。
Bは他人を意見でねじ伏せて喜ぶタイプの人間だと見る。Bは他人がBを曲げようとするという。だけど、社会はお互い曲げ曲げられてだよ。
君もその曲げ曲げられてということをわかってない。だからBが他人を変えるのは良いが、Bが自分は変えられたくないというのにすんなり納得するがそれは違う。
最も他人なんてそうそう変わらないのはそうだ。そのうえでめんどくさいやつはめんどくさいと距離が置かれるだけ。
君は他人と対話がしたいわけじゃなくて、ねじ伏せたいだけじゃないのか?というのを、なんかBが絡んできたら言ってみたら良い。
けど基本Bには言葉は届かないと思うから、君が疲れなかったら付き合ってやって、疲れてるときはBと疎遠にしてやるぐらいでいいと思う。
偏見という単語の定義は「偏った見解・中正でない意見」なんだって。
という事はさ、「それ偏見じゃん」っていうその発言そのものが偏見かもしれないよね。
そもそも「中正な意見」について理解してない自分を棚に上げて、根拠のないでたらめで他人の意見を少数派にねじ込み、
最近、Twitter(の一部)で、自称オタク達と自称フェミニスト達の対立が激化している
昨年の秋に赤十字の献血ポスターの事で大きな騒動になっていたのを存じている方は多いだろう
この騒動でフェミニスト側の首魁の一人となっているのが、石川優実という人物だ
この、石川優実という人物は、Twitterで一時期世界的に話題になっていた
#metooという運動のタグに便乗して#Kutooという運動を立ち上げた
そして、#Kutooに賛同する人の署名を2万人分集めた事で、2019年にBBC(英国国営放送)の「100人の女性」という
BBCが独断と偏見で選ぶ、その年に世界で話題となった100名の女性に選ばれた
その後、この石川優実という人物は「100人の女性」に選ばれる知名度のある自分と、
その自分の運動についてくるフェミニスト達は自称オタク達を相手にする必要が無い
という主張をしながら活動している
だが、これについて、イギリスに住んでいるある人物に話を聞いてみた
Q「石川優実は「100人の女性」に選ばれた事を武器に使っているが、イギリスでは石川優実はそんなに有名なのか?」
A「BBCはイギリス国内でそんなに視聴率の高くないテレビ局であり、100人の女性」にはリベラル(左派)枠が存在している
おそらく、石川優実は左派枠でねじ込まれたのだろう、イギリスでは知名度は全く無い
2019年の100人の女性にグレタ・トゥンベリも選ばれているが、グレタ・トゥンベリの腰巾着としてねじ込まれたのだろう」
との事だ
石川優実は、BBCの100人の女性に選ばれた事が武器になると思っている様だが
実態はこうでしかない
「日本では知名度が低くても外国では知名度が高い」等と言う主張には耳を貸すべきではない
増田主:マン光太郎
1つ。戦闘シーンがつまらない。毎回心臓が複数あるとか首をきっても切れないとかそんな話ばかり。技もどういう技なのか伏線も解説もない。残り体力が無いという描写をしてるのに平気で全力のまま最後まで戦うので危機感も伝わってこない。
2つ。線が汚い。太い線を使うのは構わないが細い線を全く使おうとしない。味があるとか言い訳しないで線を綺麗にする技術を身に着けて欲しかった。ここは期待していただけに非常に残念。
3つ。キャラに意外性や深さが無い。一度こういうキャラだと決めたら徹頭徹尾そこからブレない行動しかさせない。そのせいで似たような性格やキャラが出てきたりノリが似通ってきて魅力を感じなくなる。
4つ。俺可哀想エピソードにウンザリ。何かあるたびに可哀想エピソードをねじ込みたがる。作者は毒親にでも育てられたのか知らないが、毒親持ちフォロワーにサービスしすぎ。たまにやるならいいけど毎回挟むな。
5つ。せっかくの歴史ものなのに史実と絡ませたりする遊びがない。呼吸とか日輪刀など現実には存在しないが、もし存在したら、という遊び心がまるでない。作者にも担当にも日本史の知識がないので書けないということ。ちなみに俺も無い。
6つ。復讐劇から話が膨らまない。復讐するのが主目的なのは結構だがそれだと救いがなさすぎるので、旅の中でそれ以外の希望のある目的を主人公自ら見つけさせるべきだった。妹を守る、復習を果たすだけでは弱すぎる。興味ない母ちゃんでも感心できる程度の裏テーマを用意するべき。
社会人になって何年か経つが、母校の教授が記事に出ていて驚いた。
理系大学院生を就活疲れから救う 大学推薦制度を改良、1カ月半で就活完了 | 日経 xTECH(クロステック)
自分は途中から自由就活に切り替えて就職した身だが、本件に関して思うところが多くあるので書いた。
あくまで当時の話だが、制度の一番の問題点を偉そうに記事で語っていたので、あまり変わっていないのだと思う。
「良いところに就職できそうだから工学部」という高校生に向けて内情が伝わればいいと思っている。
以下長文。まとめだけ読んでも良い。
問題点に入る前に、東北大学工学部機械系の就活の特徴から話そうと思う。
学部3年生を過ぎると、落とすと即留年の実験や厳しい進級要件に追われ、研究室配属後は、平日休日の区別なく働かされる学生が結構な割合で存在する。
また、元記事の教授を始めとして、多くの教員はバイトやインターンや就活を快く思っていない。
講義やゼミを説明会や面接のために休ませて欲しいと言う申し出を認めない人も多い。
そのため、地理的な不利と相まって就活時期の動きが相当制限されるのが事実である。
ただ、そのような鍛えられた工学系大学院生の需要は高く、加えて地方ながら旧帝大の名前は一定の評価があるらしい。
実際、真面目に就活をしなくても無内定にならない程度には求人が来る。
推薦については、景気にあまり関係なく学生200人に対して毎年2倍以上の枠が安定して存在する。
動物のお医者さんという北大を舞台にした漫画に「人買い」のエピソードがあるが、学部内合同説明会はまさにあのような様相となる。
メーカー系だとCore30はもちろん、日本を代表する超大企業が揃っており、企業を選ばなければ就活には全く困らない。
例を上げると、
など、枚挙に暇がない。
ただ、業界に著しく偏りがあったり、大手子会社や中小企業も多数含まれているのも事実である。
この少子化と売り手市場において、そんな推薦に対して多少の物足りなさを覚える就活ガチ勢もいる。
大学推薦というと、研究室の学生を教授が知った企業にコネでねじ込む、といったイメージが強いと思うが、これは一昔前の話であり今は中々聞かない。
元記事にもある通り、大学推薦と言う制度自体を機械系全体で管理しており、各教授の推薦状の発行を制限しているため、基本的に抜け駆けは許されていない。
3,5で分かる通り、自由就活に比べてES選考やグループディスカッションの足切りはないが、人気の大手企業を狙う場合、ある程度頑張って学内選考および企業選考を勝ち残る必要がある。
ここまで書くと、大変さはあるかもしれないが世間一般から見ると恵まれているという意見が多数だろう。俺もそう思う。
問題点は背景で書いた以下の規定および、記事の以下の規定である。
https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00138/013000472/?P=2
このような仕組みにおいて何が起こるのか?
企業「今年は採用目標を増やすので推薦枠を15人設けてくれませんか」
就職担当「一部の企業に学生が集中しすぎると他の企業が不公平になるからダメ。5人で。」
就職担当「推薦された学生が不利になる可能性があるからダメ。うちの学生を自由で取った事がわかったら来年から推薦枠なくすから。」
ト○タ、ホン○等の人気企業の推薦枠を競って学生数十人が争う。
枠からあぶれた人々は自由応募をすることを禁止されているため、泣く泣く諦める。
推薦を取り直そうと2次募集を見ても、人気企業の枠は1次募集で埋まっているため、行きたい会社が残っているとは限らない。
自由応募で別業界を狙うか、子会社や領域の違う会社で妥協することとなる。
完成車や重工等の花形業界を狙う学生は、小さい頃から車や飛行機に夢を持ち、必死で勉強してきた人揃いである。
そんな人達が、
大学に隠してでも人材を確保するぞという気概で、黙って自由応募を受け付けてくれる企業も存在する(した)。
しかし、昔からの長い付き合いがある人気企業は、大学の報復を恐れて受け付けてくれないことが多いのが現状である。
なお当時、就活担当職員(※1)に対して自由応募を認めてくれるよう必死に訴えかけたところ、非常に面倒くさそうに当時の就職担当教授につないでくれた。
ただ、件の教授は就活に時間をかけず研究に没頭することの重要性や、別の会社でもやりたいことはできるなどの一般論を説くばかりで、あまり話が通じなかったので諦めてしまった。
結局、自分は外資や推薦が来ていない業界に切り替えて自由就活を行い、最終的に複数内定を得ることとなった。
一言で言うと「学生の就職先平準化のため、大学が推薦枠を絞り学生の自由応募を禁止する」のが問題である。
これらが曖昧になり、抜け駆けや裏切りを許してしまうと、大学推薦制度に対する学生や企業の信頼がなくなり、制度が崩壊してしまうからだ
元記事のこの意見や、背景にも一定の同意はするが、学生と企業の希望を無視して推薦枠を意図的に絞っていることを言わないのはフェアでないと思う。
そもそも面接が何度もあり、落ちることがある時点で推薦制度の意義は崩壊しているのである。
進学先を就職と言う軸で考えている学生の一つの判断材料となれば幸いである。