はてなキーワード: 過激派とは
Twitter時代にトランス差別運動を見聞きするのがキツくなって以来、半年以上Mastodon系の個人インスタンスとかに籠ってて最近のX情勢を知るための取っ掛かりもないので誰か教えて欲しい。
と言う辺りなんだが、他に何か目立った話ってある?
ちなみにMastodonとかで起きた面白話って言うと、正直 Misskey.io ぐらいしか追い掛けてないんだが、
と言うぐらい。
https://anond.hatelabo.jp/20230824235929
なんとかいう左翼の報道カメラマンの大御所みたいなやつが最近レイプ常習バレたり
学生運動や過激派の中でも女はモノ扱いされてきた、自称リベラルこそ空気みたいにアナクロなマッチョイズムを身体化してる問題は散発的にはずっと告発されてきた。
まあ外部から見ればそりゃそうだろうねという話なんだけど。世直しヒーローのつもりの思い上がった独善家なんだから、組織の下っ端の女なんか当然備品扱いするわな。
で、当の左翼ジジイが自己批判するわけないのも当然として、上のチズコみたいな左翼フェミ勢が党派性からそこは見て見ぬふりしてきた歴史はもう今更言い訳しようがない
ロシアの侵攻後、近代史においてはアメリカのほうが圧倒的に侵略戦争をしているという議論がある。
アメリカが武力介入をする際、それは侵略戦争ではなく、国際法に則った正義という裏付けがあるため、日本国内においてはアメリカがロシアのような扱いを受けることはない。
ただ、この国際法を作ったのは誰なのか?というのが凄く難しくて、法律が強者の理論になっているのではないか?と思うことがある。
もしも世界大戦の戦勝国と経済的に強い国がキリスト教ではなくてイスラム教の過激派だった場合、国際法に「女は勉強するな」っていうのが定義されていて、それが全世界共通の正義になる可能性がありえるのではないか?
昔は知らんが、ここ10年以内くらいの話なら、すげー単純に言うと
「社会や周りから求められる男らしさ的なものってけっこう男を生き辛くしてたりもするよね。もしそれがしんどいなら、そういう男らしさに囚われるのやめよう。それで男性ももっと楽に生きよう」
て感じの考え方。詳しくは 男性学 田中俊之 あたりでググってくれ。
別に、そういう男らしさの辛くない男は特に変わる必要も無いが、それで辛いって男もいるんだからそれを許容しようぜ、辛い男はやれる範囲で辛さから距離を取ろうぜって感じで、これ自体は、まあそうだよなって感じる男が多いと思う。
ただし、これは当然に、女に対してもそういうのがしんどいって男を許容しろよって話になる。
より具体的に言うと、出世を求めない(収入が上がらない)男とか、男らしく頼りがいがあるってわけではない男とかも男と認めろよってこと。
そんでもって、一部の過激派というか、そういう男もいいじゃんと言いつつ自分は姫扱いして欲しい女によって
「そういう男もいいじゃん。私的にはナシだけど」
「暴力的とか家事をやらないみたいな男らしさは不要だが、社会的地位と収入は必要」
みたいな、要するにネット上の自称フェミにとってすげー都合の良い感じに歪められてしまったんよ。
なんで結論としては「まずあなたの言う『男らしさ』を屏風から出してください。そしてそういうのから降りた男も男として本当に許容してください」て感じ。
情報が欲しくてTwitterやInstagramを見漁ったら、自分より10以上年上の、世間で言う「おばさん」年齢の人たちが本気でおじさん構文の応援メッセージをハッシュタグ付けて投稿しまくっててドン引きしてしまった。
自分は芸能人のファンになった事がなかったから、あるよねーこう言う人ってくらいに思ってたけど
自分が推している人に対して送られる無数の愛を綴ったおじさん構文と、おばさん構文(お世話になってます、かわいい、バブい、これもう赤ちゃんじゃん等)にゾっとしてしまいファンになり切れない。
気持ちが昂るとこうも自分が客観的に見られないようになるのかと。相手からの反応が返ってこないとこうも自分勝手な解釈になってしまうものかと。見てて恐ろしい。
10代、20代前半のファンは割と「結婚してくれ」とか「供給多くで死ぬ」とか、本当にぶつぶつつぶやく感じで相手に届ける気がないと言うか、好きなら黙って金や視聴率、視聴回数で推せと言う控えめな人が多い(少数のガチ勢は同担拒否の過激派リアコっぼい)
もう反AI(正確には反AI描画、と言うべきか)と言うのは(過激派)ヴィーガンのような存在に成り果てた、と。
こんなことを書いてはいるが、私とて最初は反AI側の人間だった。
その人の努力の結晶たる絵をAIに簡単に読み込ませて量産するのは絵を作った人に対して失礼だと感じていたし、だからこそAI描画は正しく使われるようにしなければならない、と思っていた。
最初はその危機感を訴えていたし、そういう認識が広がってほしいと思っていた。
しかし、反AIはもはや思想めいた何かに傾倒していき、いつしかAIで絵を描くこと自体がまるで悪かのようになっていった。
ここでAI技術で絵を描くことの是非を問う気はない。いろんな意見があるからできるだけそれを尊重したいし、それは少し本筋からズレるから。
過程を無視して、AI画鋲する事自体が悪であるかのようになっていく反AIに私は強い違和感を感じたので、AI画鋲については徐々に言及することは少なくなり、最近は対岸から眺めているような感覚だった。
私がいよいよ反AIがカルトじみてきたと感じたはFGOのCMを見て反AIが「AIを使って作ってる!」と騒いだ時だった。
話題になってるCMを見たが、確かに画像生成AIっぽい演出ではあったが、別に珍しい演出でもなく昔から存在する演出だ。AIじゃなくても出来る。
それをまるでAIを使った!と騒ぎ立ててる反AIの人たちを見て、私の中で反AI思想というのは完全に冷え切ったし、いつかこの人たちやらかしそうだな、て感じた。
心底あきれ果てたし、過去とはいえ自分が少しでもこの人たちと同じような行動を取ってたのかと思うと気が滅入る思いだ。
「これはAIで書かれた絵だ!私にはわかる!!」という証拠もない真偽も定かではない、個人の感情を元に何百人と言う人が個人を攻撃する。
一歩でも引いてその光景を見れば、如何に異常な行動を取ってるのかわかると思うのだが、彼らは自分たちがつかんだ『正義(ふいんき)という棍棒』を振り回すことに必死だ(ふんいきはわざとです。
で、あらいずみるい先生が動画付きで証拠を提示すれば、謝罪するなんてごく一部で、ほとんどの反AIはだんまりを決め込んでこの騒動が落ち着くのを待ってるわけだ。
どれだけ自分たちが恥ずかしいことをしたのか自覚も出来ないんだろうか。
確たる証拠もない、たった一人の思い込みに乗っかって個人を攻撃したとに対して、ダンマリを決め込むなら今後、学校のいじめ問題やパワハラ問題についても口を閉じててほしいものだ。
謝罪すれば許される、なんてのは言わないが、謝罪した人はそれだけマシともいえる。
今回の騒動、あらいずみるい先生はちゃんと声をあげられる人だったから良かったが、そうじゃなかったらどうなっていたのだろうか。
そもそも、あらいずみるい先生だって、今後のコミケに参加するかどうかも、同人誌を出すかもわからない。
これで先生がもし同人誌活動から離れたら、それは反AIのせいだと言われてもしょうがないことを起こした、と当事者たちは理解しているのだろうか。
先生のようにちゃんと声をあげて身の潔白を晴らせたらまだいい。
ちゃんと絵を描いたのに、「絵がAIっぽい」という理由だけでAI描画だと言われ、今回のように攻撃されたら、ほとんどの人は筆を折るんじゃなかろうか。
そうなったら本末転倒じゃないのか? ちゃんとAIに頼らず絵を描く人が筆を折ることになったら、何のために彼らは反AIなんて言ってるのか。
ましてや筆を折るくらいならいい、下手をすれば誹謗中傷を受けて自殺を選ぶ人だっているかもしれない。
私は反AIというのは思想が過激かもしれないが、その根っこにあるのは「絵師を守ろう」という気持ちだと思いたかった。
だが、今回の件で私は反AIというのは「自分の不愉快なものを攻撃したい」集団なのだと思わざる得ない。
それくらいに今回の彼らの行動は浅はかだし狂気じみているし、自分の行動に責任をとらない人たちの言葉を積極的に聞く人などいないだろう。
今回の件で反AIというのは地に堕ちたのだ。
事務所盲信擁護派「ジャニーズ最高!中居もTOBE(だけ)に苦言言ってる!」
事務所アンチ過激派「中居くんのことも好きだったのに事務所擁護してTOBEに苦言って失望した!」
中居担当わたし「芸能界全体に圧力忖度するなってデカい釘ぶっさしたの、ファンじゃないとわからないのかな?」
どれでもない他の視聴者「中居くんは音楽の日でも事務所の垣根こえたこと喜んでたもんな〜」
しらない人向けに解説すると(あくまでわたしの解釈ですが)だれだって独りよがりはダメだよ、協力していきましょうって言ってるだけです。
どっちかじゃなくて両方、なんなら全体に向けて言っていると捉えたほうが良いです。
それにトニセン(とくに子会社とはいえ社長である井ノ原くん)が理解を示す画は業界にでかいインパクトになると思います。
圧力や忖度を求めていると思われている人がそれはいりませんと示したわけですから、番組を見た業界人がどう動くのか見ものですね。
文字だけでは伝わりにくいニュアンスを多分に含む内容を、ネットの切り取り記事や他人の言葉だけで判断するのはもったいないですよ。
自分はこの件と関係なく数年前にジャニヲタ卒していて、ただ当時のSNSのフォロイーは半分くらいはそのままにしている。
彼女らは笑えるほどこの件には全く触れず、相変わらず自担への愛を語りお仕事のRTをしているわけだけど、「おすすめ」にたまに過激派ファンの呟きが流れてくる。
見覚えのあるアイコンの有名アカが、被害者に始まり、松谷創一郎や松尾潔、ニュースで報道したTV局までも重箱の隅を突きまくって「嘘つき!」「そんなに金が欲しいのか!」と吠えてる。
曰く、その年にはジャニーは朝鮮戦争に行っていて日本にいなかったはず、その年に地方でのジュニアが付いたコンサートはなかったはず、その頃ジャニーは車椅子で性加害などできなかったはず、など。
(ちなみにその根拠も「だったはず」程度かと)
訴えているのが1人だけならまだしも、長年に渡りこれだけの人が顔出しで告発してるのに本気なの?と驚く。
おすすめに出てくるって事は、私のフォロイーはこの辺りの人をフォローしてるんだろか。
というかこの人達ってなぜこんなに必死に事務所を庇うんだろう。
自担自体が叩かれてるならヲタなら反論してしまう人もいるかなとは思うけど、事務所だよ?元社長だよ?
怒りの矛先普通はそっちに向かないのかな。
ある二人がいて、なんだかいい感じに見える。
そして二次創作を見る、もしくは作る。
しかし一向にくっつかない。っていうか作品が終わらなかったりする。
そうすると二次創作期間が長くなっていく。
結果的にくっつかなくてもいいや。二次創作でくっつけるからってなっていく。
原作でくっつくと思ってる人を見ると、長年の拗らせで「原作ではくっつかねーよ諦めろ二次創作見ろ」のスタンスをとるようになる。
レスバする。
実は普通に見るとフラグが立ちまくっているのだが、それも幻覚に思い始める。
この時点で二次創作レベルのことをしないとくっついてないと思い始める。
明らかにもうそれなのに、キスやセックスや告白をしていないからカップル成立してないと思いはじめる。
最早疑心暗鬼になっている。
結果、なんか思ってたんと違う?ってなる。
けど、なんか思ってたんと違う?ってなる。
「大阪の海は 悲しい色やね 悲しみをみんな ここに捨てに来るから」とか、ムチャというかヘリクツというか、そんなことをいって何の議論になるの?議論拒否するって少なくともリベラルの態度じゃないよね?過激なことをいう過激派だよね。
「処理水全部東京湾に流せ!」とか「東京に原発建てろ!」とか、ムチャというかヘリクツというか、そんなことをいって何の議論になるの?議論拒否するって少なくともリベラルの態度じゃないよね?過激なことをいう過激派だよね。
「処理水全部東京湾に流せ!」とか「東京に原発建てろ!」とか、ムチャというかヘリクツというか、そんなことをいって何の議論になるの?議論拒否するって少なくともリベラルの態度じゃないよね?過激なことをいう過激派だよね。
一次大戦の債務の大半は、ドイツに支払い能力があると判断されたら発行されるもので、現実的には請求されない債務だったんやで
戦勝国の国民を納得させるための見せかけの金額であって、実際請求されるのはケインズが問題なく支払われると考えた金額とほぼ同等やったんやで
しかも講和会議中からさらなる減額が想定されてたと関係者の日記に残っている
経済成長率や失業率からみてもドイツ経済は普通に戦勝国側より好調で、ハイパーインフレになったのは国内の過激派が暴れてて増税が出来なかったからなんや
まあそんな情勢になったのも一次大戦の結果ではあるけど、それって戦勝国側の責任ではないよな……
という説もある ワイにはそれが本当に正しいのかは分からん
年 | 名称 | 概要 |
---|---|---|
1531年 | 享禄・天文の乱 | 浄土真宗本願寺派の権力闘争である享禄の錯乱。管領・細川晴元が一向一揆を利用したら暴走してしまったので本願寺を討伐した天文の錯乱。 |
1532年 | 北部九州天文の乱 | 大内氏と大友氏が北九州を巡って抗争を行うなかで、大内義隆が大友氏の支援を受けた少弐氏を滅ぼし、豊前・筑前・肥前を平定した。 |
1533年 | 稲村の変 | 安房里見氏当主・里見義豊が、叔父の里見実堯を誅殺したところ、その息子の里見義堯が謀反を起こして義豊を殺し、自らが当主となった。 |
1536年 | 花倉の乱 | 駿河守護・今川氏輝と弟・彦五郎が急死、その他の弟で出家していた玄広恵探と栴岳承芳が後継を争った。栴岳承芳が勝利し今川義元を名乗った。 |
1537年 | 河東の乱 | 北条氏と今川氏は長く同盟を結んでいたが、今川氏が武田氏と手を結んだため、武田氏と争っていた北条氏が今川領に攻め込み河東地域を占領した。 |
1542年 | 天文の乱 | 伊達氏当主・稙宗とその息子・晴宗の内紛。婚姻外交が進んでいた奥州を二分する大乱に発展した。最終的に晴宗が当主となったが伊達氏は衰退した。 |
1550年 | 二階崩れの変 | 豊後の大名・大友氏において、嫡男の義鎮を支持する勢力が、当主の義鑑と三男の塩市丸を襲撃して殺害した。事件後に義鎮が当主となった。 |
1551年 | 大寧寺の変 | 周防の大名・大内義隆に対して、家臣の陶晴賢が謀反、義隆は自害に追い込まれた。後継は大友氏から迎えられ、陶晴賢が実権を握った。 |
1565年 | 永禄の変 | 畿内で勢力を誇る三好氏が、将軍・足利義輝を襲撃して殺害した。その後、将軍の後継争いから、三好氏の内紛へと発展していった。 |
1568年 | 本庄繁長の乱 | 越後上杉家臣・本庄繁長が上杉謙信に対して反乱を起こした。繁長がよく戦い、謙信の被害も大きかったので、繁長は降伏して帰参を許された。 |
1569年 | 本圀寺の変 | 本圀寺にいた将軍・足利義昭を三好三人衆が襲撃した。幕府軍がよく守るあいだに畿内の織田方の勢力が救援に駆けつけたため、三好三人衆は敗れた。 |
1569年 | 大内輝弘の乱 | 九州に侵攻した毛利氏の後方撹乱を狙った大友氏が、大内氏再興を目指す大内輝弘を周防で挙兵させた。毛利元就は九州侵攻を諦めて引き返し鎮圧した。 |
1570年 | 元亀の変 | 伊達晴宗と伊達輝宗の父子が対立するなかで、晴宗に重用されていた中野宗時が謀反の疑いをかけられ、中野一族は粛清・追放された。 |
1574年 | 天正最上の乱 | 出羽最上氏の当主となった最上義光と、その父・義守が対立し、伊達氏が義守に味方して内乱となった。最終的に義光有利で和睦した。 |
1576年 | 三瀬の変 | 伊勢北畠氏は織田氏に降伏し、織田信雄を養子に迎えて家督を譲っていたが、その後も叛意が残っているとされ、そのため北畠一族は粛清された。 |
1578年 | 御館の乱 | 上杉謙信の死後、その甥の景勝と、北条氏から迎えた景虎という、謙信の養子二人で後継争いがあり、武田氏を味方につけた景勝が勝利した。 |
1578年 | 天正伊賀の乱 | 伊勢を掌握した織田信雄が続いて伊賀に攻め込んだが敗退、数年後に織田氏はあらためて大軍で侵攻し、伊賀を平定した。 |
1582年 | 本能寺の変 | 織田家臣・明智光秀が謀反を起こし、本能寺に宿泊していた主君・織田信長を襲撃した。信長は自害した。 |
1582年 | 天正壬午の乱 | 織田信長の死去により武田旧領から織田軍が撤退し、空白地帯となった武田旧領を巡って徳川・北条・上杉が三つ巴で争った。 |
1585年 | 粟ノ巣の変 | 伊達氏に降伏した畠山義継が、前当主・伊達輝宗を拉致した。追いかけた伊達軍により、輝宗ともども義継は討ち果たされた。 |
1591年 | 九戸政実の乱 | 南部晴政の死去に起因する後継争いから南部家臣・九戸政実が反乱を起こした。南部当主・信直は豊臣秀吉に救援を求め、諸大名軍により平定された。 |
1599年 | 庄内の乱 | 島津忠恒が重臣・伊集院忠棟を誅殺した。伊集院氏は籠城して徹底抗戦したが、秀吉死後に実権を握った徳川家康の調停により、最終的に降伏した。 |
1637年 | 島原の乱 | 島原・天草の苛政に耐えかねた領民が、旧領主に仕えていた浪人たちを中心として一揆を起こした。一揆勢は籠城して戦ったが、幕府軍に鎮圧された。 |
1651年 | 慶安の変 | 軍学者の由比正雪が、教え子の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。由比正雪は自決した。 |
1652年 | 承応の変 | 軍学者の別木庄左衛門が、仲間の浪人たちと共に、幕府転覆の計画をしていたが、事前に幕府側に露見して失敗した。別木庄左衛門は磔にされた。 |
1837年 | 大塩平八郎の乱 | 腐敗した大坂町奉行所や、飢饉でも米を買い占める豪商に失望した元・町与力の大塩平八郎らが決起し、豪商などを襲撃した。半日で鎮圧された。 |
1837年 | 生田万の乱 | 国学者の生田万が、大塩平八郎の乱に感化され、仲間とともに越後桑名藩の陣屋を襲撃したが、長岡藩によって鎮圧された。 |
1860年 | 桜田門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、安政の大獄を引き起こして水戸藩を圧迫していた開国派の大老・井伊直弼を襲撃し、暗殺した。 |
1862年 | 坂下門外の変 | 攘夷派の水戸脱藩浪士たちが、公武合体を推し進めていた開国派の老中・安藤信正を襲撃し、負傷させた。 |
1863年 | 朔平門外の変 | 破約攘夷派の公家の代表格であった姉小路公知が暗殺され、薩摩藩の田中新兵衛が逮捕されたが、新兵衛が自害したため真相は不明。 |
1863年 | 天誅組の変 | 尊攘派公家による倒幕計画に基づき、尊攘派の「天誅組」が大和国で挙兵したが、幕府に鎮圧された。同時に京では政変があり尊攘派公家が失脚した。 |
1863年 | 生野の変 | 長州の支援を受けた尊攘派浪士らが、天誅組と同様に但馬国で挙兵をしたが、幕府に鎮圧された。 |
1864年 | 天狗党の乱 | 水戸藩内の尊攘過激派「天狗党」が急進的な攘夷を求めて筑波山で挙兵したが、幕府に鎮圧された。この内乱により水戸藩の影響力は低下した。 |
1864年 | 禁門の変 | 前年の政変により京から追放されていた長州藩が、復権を目指して京で挙兵、会津藩や薩摩藩らと戦ったが敗れた。これにより長州征伐が決まった。 |
1874年 | 喰違の変 | 征韓論で失脚した不平士族たちが、征韓反対派の右大臣・岩倉具視を恨みに思い襲撃、負傷させた。下手人らはすぐに逮捕され処刑された。 |
1874年 | 佐賀の乱 | 征韓論で失脚した江藤新平らが中心となって不平士族が佐賀県で挙兵したが、政府軍により鎮圧された。 |
1876年 | 神風連の乱 | 熊本県の不平士族が結成した「敬神党」が廃刀令への反発から挙兵したが、政府の熊本鎮台軍により鎮圧された。 |
1876年 | 秋月の乱 | 神風連の乱に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、政府の小倉鎮台軍により鎮圧された。 |
1876年 | 萩の乱 | 神風連の乱に呼応して、山口県で不平士族が挙兵したが、政府の広島鎮台軍により鎮圧された。 |
1877年 | 福岡の変 | 西南戦争に呼応して、福岡県で不平士族が挙兵したが、福岡城に残っていた政府軍などに鎮圧された。 |
1878年 | 紀尾井坂の変 | 石川県の不平士族たちが、内務卿・大久保利通を襲撃、暗殺した。下手人らは自首し、処刑された。 |
(Wikipediaで立項されているものだけまとめた。「〜の変」「〜の乱」という別称があっても、その呼称で立項されていなければ除外している)
明確な定義は決まっていないという前提で、だいたい以下のような基準だと思う。
〜の変:大きな戦闘を伴わない政変。謀反・暗殺・粛清・失脚など。権力の上下は関係ない。成功したか失敗したかは関係ない。
〜の乱:大きな戦闘を伴う内乱。反乱・暴動・後継者争いなど。国家同士の戦争を指すことはほぼ無い。成功したか失敗したかは関係ない。
こういった呼称は「絶対にいずれかに統一しなければならない」というものではないので、「これって乱というより変じゃね?」と思うような事件は、だいたい「変」「乱」どちらで呼んでも通じたりする。たとえば蘇我氏と物部氏の戦いである「丁未の乱」は他に「丁未の変」や「丁未の役」とも呼ばれる。将軍・足利義教が暗殺された事件は、その暗殺の部分だけを見れば「嘉吉の変」と呼ばれ、その後の赤松討伐戦も含めれば「嘉吉の乱」と呼ばれる。
あとついでに。
〜の役:大規模な軍役。必然的に辺境への遠征や対外戦争が多い(がそれに限らない)。例として前九年の役・後三年の役・富山の役・文禄の役・慶長の役など。
〜の陣:長期間の在陣。遠征・戦線の膠着・包囲戦など。例として鈎の陣・志賀の陣・天正の陣・大坂の陣など。
という感じだと思う。「役」と「陣」はなんとなく互換性があり、「小田原の役・小田原の陣」「朝鮮の役・朝鮮の陣」「大坂の役・大坂の陣」などはどちらも用いられる。