はてなキーワード: 自己肯定感とは
追記)
私は自己肯定感が低いので、自分なんかのために生きても良いか、不安でたまらない。
完璧主義だから、自分のために何かしても満足するハードルが高すぎる。
・
他人が喜んでくれることで、低い自己肯定感が爆上げされるからだよ。
「ママ~(パパー)!大好き!!大好き!!」って胸に飛び込んで来てごらんよ。もうたまらんよ。
しかも、他人のために何かすれば思わぬタイミングで何か帰ってきたりするボーナスもついてる。
自分の領域内で収まる規模は知れてるけど、他人を巻き込めばすごいことになる。
ジジババになったときにかわいい孫に会えるかもしれないし、娘が外国人の彼を連れてきたり、
親には理解できないファッションに走り出して新しい発見をするかもしれないし、
自分一人では出会えない、面白いエピソードが自分の人生に追加されるかもしれない。
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もちろん、自分を育ててくれた親や、自分が子供の時に何かを一生懸命してくれた大人のように
お世話になった昔の上司が「恩返しはしなくていいから、恩送りをしなさい」と言ったのが大きい。
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年を重ねると、自分自身のためだけに生きるのってつまらなくなってくるんだよね。
ひとそれぞれだけど。
自己肯定感が低すぎてESもろくに書けない。PRできるような自己も、大学生活で頑張ったことも、人に話せるような経歴や資格も一切ない。そんな自分が大嫌いだしさっさと死んで欲しいと思ってる。そんな状態でどうESを書けばいいのか分からない。自分のことをよく知る人に書いてもらおうとしたけど、その人も書くことに困ってた。主観でも客観的にも本当に何にもないクズ人間なのだ。
面接では頭が真っ白になってしまい何も答えられず涙目。その経験がトラウマになり、フラッシュバックして、まとめに面接が受けられない。そして負のループ。メンタル弱すぎる。
自分のことを大嫌いで死ねって思ってる自分がいて、そんな事を考えてしまう自分もまた大嫌い。まともに更生して、健全な精神を手に入れたい。どうしたら自分のことを好きになれるのか分からない。どこに行けばその方法を教えてくれるのかも分からない。誰か教えて、導いて欲しい。
この前話題になってた本垢では4桁フォロワーがいる絵師だけど、ROM垢で新人だかを育てるのが楽しいってやつ。いやマシュマロで自己肯定感を高めて〜とかやってないで本垢でrtとか繋がるとかでよかったんじゃね?と思って後日Twitterしてたらまぁまぁ燃えてた。まぁそうだよね、高圧的だったし“俺が育てました”みたいなノリだし。
話は変わるけど、俺は二次創作垢はあるがいかんせん文章力が壊滅、イラストもそこそこ見れるレベルでどうにも妄想が出力できないオタクである。いいなと思う場面が言語化できない。擬音で乗り切ろうとする。一回書いて見直すと羞恥心で爆発する。だから書けない。難しいなこれ。
だけど、神絵師とか神字書きとか仲良しのフォロワーとかの匿名質問箱とかましゅまろにはそこそこな短編小説やら妄想やらが送れる。その時だけはなんか知らんが書ける。その時だけは。
この前、一回マシュマロで送った妄想を神字書きが大層喜んで一本小説を書いてpixivにアップしてくれた。俺が育てましたとか俺のおかげとかは思わなかった、読みたい文章を神が実体化してくれたと思った。そこに俺がどうとかそういうのはない。ネタを一滴差し出しただけで、そこから完全体へと昇華したのは神自身の能力である。優越感などはない。ありがとう神、自ジャンルにいてくれて。もちろん原作絶対主義だけども、それとこれとは別問題である。だって推しの日常とか見たいじゃんね。
とりあえず、自分で文章が書けるようになりたいがいかんせん苦手である。800文字小説で練習中だけども、言い回しがド下手くそであるので長いし分かりにくい。創作ネタ提供botにでも転生した方が自分のためにもいいような気がしてきた。
「男と女に分けてしまってる時点で増田も差別主義者だぞ。」←スポーツの男女別、トイレの男女別、将棋の女流、銭湯の男女別を廃止するよう考えてる俺は進歩的な平等主義者ということだな
自己肯定感が高まったZE☆
ずっと集中して作業していたい。
せっかく在宅で集中できる環境を整えたのに、メールやらチャットやらの対応で集中力が途切れるんじゃ全然意味がない。
数時間に1回とかならまだしも、1時間に1回のペースで対応しなきゃいけなくなるときもあって、これはもう出社とか在宅とか関係なく本当に苦痛。
自分の作業効率を考えた上でかかる日数を伝えて相談して締め切り設定してんのに、そっちの都合で私のペース乱して効率落として時間吸い取って、その結果私一人が苦しむ羽目になるのはマジで意味がわからない。
人手不足とか、私の知識や技能の高さとかで仕事が増えて忙しくなるのは別にいいんだよ。自己顕示欲が満たされて自己肯定感も高まって気持ちいいし。
テレワークしてる?それとも出社してる?後者の人は現場じゃないと仕事が出来ない職種かもしれないから私とエアー握手しようね。
あんまり突っ込んでは言えないからふわっとした感じで愚痴るよ。
割と大手の製造業に従事してるんだが、ここ1年で転属した部署の上司が本当にクソオブクソなんだ。不人気上司の最悪なところを全部凝縮したと言っても過言じゃない。
上司のクソな部分で1番殺意の波動が漏れそうになるのは、固有名詞を言わずに仕事の指示出しをしてくるところ。
『アレやって』『あっちどうなってる』ってやつだ。
こういう話をするとよく、「察せないお前が悪い」っていうタイプのやつもいるけど、うるせーーーーーばーーーーーーか!!!!ってだけ先に話しておくね。
そうそう、あれとかこれとかそれとか、よくそれで通じると思ったよな?って感じちゃうんだ。私は上司の嫁でもなければ母親でもないしそもそも身内でもそんな口利くやつに慈悲なんてないけども。
セクハラモラハラパワハラは通過儀礼、デスクが隣だからいっつも攻撃受けてそれを左へ受け流す毎日。
口癖はみんながよく知ってる安定の『普通は』『どう考えても』を枕詞に。
そして極めつけは、独り言と鼻歌と貧乏ゆすりが酷いのなんのって。音に過敏な人だったら20分待たずに上司の頭シバいてると思うくらいにはうるさい。控えめに言って公害。精神衛生に悪すぎて現世からボッシュートされてほしい。
この上司にこれまで何人か部下が付いていたらしいけど、みんな速攻で辞めていったのも納得。
そんなクソの部下に付いた私が無能って意見出てたら許さない。逆らわなさそうな女ってだけでピックアップされたんだよこっちは!
まあそんなこんなで1年は我慢したからいよいよ反撃に出ようと思う。
もちろん暴力は振るわないよ!昔はついつい口より先に手が出ちゃうタイプだったけど(突然のイキリ)、社会の仕組みを利用すれば自己肯定感の低い独身女でもちゃんとなんとかできるシステムあっからね!
パッションだけはしこたま詰めた愚痴だけど正直言い足りないからまた上司への隠せない衝動訪れたら書きに来るね。ご清聴ありがとうございました。
親の接し方如何に関わらず、家庭外の環境で失敗することが多かったりして、成功体験を詰めないと、自己肯定感の低い子っていうのは一定確率で出てきちゃうものなの?
女性の知り合いから、マッチングアプリで知り合った男数人と会ってみたが、どれも自分語りマンや絶対目を合わせないマンだったという話を聞いた。会える段階まで行ってるってことはそいつらは明らかに問題があるのに自分からアプローチできる程度に自己肯定感があるということか。俺はそもそも他人にアプローチできるほどの価値があるとは思っていないのでマッチングアプリなんて使えないわ。
禍福は糾える縄の如し
今増田は福のターンなんだと思うよ
次に禍が来た時苦しまないよう後ろ暗くても今の自己肯定感を大切にしておくの凄く良いと思う
子供がいる人もいない人もそうやってみんな頑張って生きてるんだと思う
机だの温度だの二酸化炭素濃度だのいろいろあると思うけど、仕事に対する向き合い方が一番大事だと思う。
今大事かなと思っているのは以下のこと。
・定時のみ働く。仕事が終わらない場合は、業務中の効率を上げる。
・仕事してなくても罪悪感を持たない。自己肯定感を無駄に下げない。
効率を上げることと、一日の締め切り時刻、これらを意識して働く。
そうすれば、無駄にやる気が出るのを待ったり、ネットサーフィンして時間を使うことを減らせる。
また、ちょっとネットサーフィンしてしまっても、まー良いかという気持ちでいる。
念の為断っておくが、当方は自己犠牲を礼賛する立場でもなければ、悪役に対しても性善説で接しよというつもりはさらさらない。
件のプリキュアにおけるメッセージはカギカッコ付きで「正しい」。
だからこそ大人として世界に向き合う責任と自覚を放棄した歪みがあると思う。
現在ツイッターでプリキュアおじさん(見る限りほぼ全員独身の高齢アニオタ男性)が
「もし本当に反省しているなら悪行をして笑ったりしない。
都合の良い時だけ私(主人公)を利用しないで!」
よく言ったこれでこそ令和だ正解だ画期的だ脚本ブラボーと褒めそやすツイートである。
この悪役が例えば映画版とTV版のキャラ違いを往復するジャイアンの如く、何度も何度も何度も何度も利用されて裏切られるを繰り返してきたならば、確かに悲しいけど仕方ないねと腑に落ちる。
自分のみならず世界人類全体に迷惑をかけていたなら、これも仕方ないけど自分ひとりで許すのも違うからわかる。
でも文脈上はそうではないらしい。(プリキュアの敵なので世界人類の敵であることは事実だが、伝えんとする意図は別にある)
命乞いから実際裏切られた、裏切られる可能性うんぬん以前に、丸1年間の放送でずっと主人公陣営を傷つけてきたボスに不快感を抱く事は間違っていないと全肯定する。
そして何より自分の心を守るために「お前が不快だから助けてやるもんかざまぁみろ」と堂々と拒否をする。
そういうある種の「人生n周目のループもの主人公が書き換えた正解の世界線」じみた、自分の繊細ハートが傷つく前に敵を殺れ!という心の防衛を至上とした完璧なる護身メッセージなのだ。
ヒーローだけど無理して全てを愛さなくていい。弱り目を承知で悪意をぶつけてやりたい憎い奴を憎んでもいい。そうやって自分の心を大事にしようと。
これに爽快感を覚えるのは基本的に自分を「つけこまれる側の被害者」と認識している人間と思われる。それでいてもろい自己を他者に守ってもらいたくて仕方のない人間だ。
おそらく自称つけこまれた被害者の彼らは思い思いに己の人生の闇をフラッシュバックさせて
勝手に「救われた」気分になっているんだろう。
散々陰キャの俺をいじめておいて、卒業間際あるいは問題化された時に、保身で都合よく和解を申し出てきた学生時代のイジメっ子。
イジメっ子が放つ軽々しい「ごめんね」の言葉に、事を荒立てなくない教師から許しを強要された思い出。
無能だと罵倒しながら、人手が欲しい時、辞めてもらいたくない時には急場しのぎでチヤホヤと引き止める嫌な上司。
もしかしたらアニメスタッフが現場のちょっとしたトラブルを思い出しながら書いていたのかも知れない。
そんな彼らを悪と断じられる程の信念や自己肯定感も持てず、うまく対処したくても出来ないフラストレーションを、「この叫びは陰キャの俺のものじゃない」「女児向け思想だから」と言い訳が出来る投影先のプリキュアに代弁してもらった、射精せんばかりの絶頂感。
そういう失敗陰キャおっさん達の泣きシコ汁に塗れたくっさいくっさいツイートだらけで鼻が曲がりそうだ。
でもな。
お前ら「人生あそこでやり直したかった」塗れのプレイ時間だけは長い低レベルプレイヤーには良心的な教えでも、まっさらな状態から人生ゲームをスタートする子供にはそれじゃダメなんだよ。
なぜか?
「自分を信じろ」「自分の心の声に従え」と言われても幼児~小学生位の子供には信じるべき自分が物理的に存在しない。まだ形成途中にある。まず目の前の世界と他者をありのまま認識する作業を経て、そこに存在する自分の姿を経て自我を形成するのだ。
児童本人の自主性なんてものはハッキリ言って幻想にすぎない(大人ですら固まってないのが山程いるのを考えればわかるだろうに)。
大人に出来るのは「子供が学びを楽しいと思ってくれる」「家族や友達を思いやってくれる」よう、監視の目を絶やさず巧みに線路を引いて神経質に誘導しながらも「君自身の意志で選択したんだよ」風を装ってそらっとぼけることだけである。
いわばチクタクバンバンの動く時計とマスをカチャカチャ動かすプレイヤーと同じ関係だ。
だから半ば幼児の情操教育が存在意義である幼児向けアニメは裏側にどれだけ深淵な設定を重ねようと、「メッセージ」だけはシンプルで単純で子供でも反射レベルで実行できる、主観を廃した絶対の指示性がなければいけないのだ。
(一部高齢オタクに幼児向けコンテンツマニアが居るのは、物語の綺麗事に対する絶対的信頼感と安心感、そこに含有される複雑怪奇な人間社会の闇を幼児にもわかるシンプルな言葉で解き明かす性質に魅了されているのだと思う)
なのに件のプリキュア見捨てエピソードは「悪人の都合の良い言葉で利用される正義ワイの心の痛み」とかいう、複雑かつ理解に経験則が必須で子供にとって一番アテにできない自我を拠り所に「相手から発せられた言葉の意味と反対の事をしろ」と言ってしまってる。
端的に言って複雑な無茶振りがすぎて処理落ちするレベルなのだ。
「先生やご両親の言う事を聞きましょう」という子供が生活するうえで必要な基本メッセージに唾を吐いて「いやいや、教師や親というだけで信じるのは危険だからやめろ。奴らの嘘集をあげるから悪い奴から身を守ってくれ」と言って
毒親やパワハラ教師の体験談を未就学児にプレゼントしてしまうが如き「余計なおせっかい」である。エルサゲートを見せて社会勉強になると言ってるようなもんである。
確かに現実はそうかも知れない。でも子供にいま一番必要なのは「世界をとりあえずそのまま受け入れて信じて自我を確立すること」なんだからお前らのしてる事は発育妨害でしかない。
まずありのまま信じさせてやれ。
大人が子供に出来るのは、子供に敢えて綺麗事を示して「安心して世界を信じろ」と断じる事だ。
自己護身のために「その時は悪い事を言っていない他者」を疑え警戒せよと煽る事じゃない。
わざわざ言葉の裏を疑えうんぬんと世界に不信感を持たせる事を言う位なら何のために勧善懲悪のキレイゴト物語のフォーマットを用いているのかわからない。
自我どころか言語認識すら途上で危うい子供には綺麗事を疑う事を前提としたメッセージ処理できないから、メッセージは「自分といったん敵対したからには悪は悪だからやつの口にする反省は嘘だ」になる。
小さなガキは四六時中間違いを起こすし、友達とは毎日ケンカと仲直りを繰り返すような生き物なんだけど、これ自分が悪役側になることだって充分あり得るのに、みんなが鵜呑みにしちゃったらどうなるんだろうね?
お母さんの無償の愛に甘えてイキって困らせてそうなオタクおじさん達は「プリキュア(俺)に我慢を強いる無償の愛を求める敵をよく倒してくれた」と言いながらウットリしてるけど、
悪役とされる側への寛容ってヒーローヒロインに犠牲を強いてる訳じゃなくて、自分がもし道を誤って悪役とされる側に堕ちた時の為の救いでもあったはずだ。
そういう可能性を僅かも考慮しない高齢オタクおじさん達は卑屈な陰キャのくせに、どうしてそんなにも頑なで自分は絶対に被害者のままで断じて加害者に回らないと言い切れるんだろう?
まさか自分が病んで追い詰められて道を外した時には潔く「僕は擁護のしようもないクズですううう」と叫びながら一切の救済を拒否して誰にも迷惑をかけずに腹でも切るのか?
なわけねーよなぁ?自分が僅かでも救済されるかも知れない余地があるなら見苦しく立場の一貫性もかなぐり捨てて縋りつくよな?正義のヒーローの犠牲なんか知ったこっちゃない、ヒーローなら俺をも救ってくれるはずだと。
そういう人間の業と弱さを認めて見放さずチャンスを与えることで、他者も自分自身も許せば楽になれるよというのがこの手のエピソードの肝だったはずだ。
「罪を憎んで人を憎まず」は無念を押し殺して涙を飲んで敵を許せという意味ではなく、人として自分も含めた人の業と折り合いをつける知恵だったはずだ。
他者への潔癖な非寛容は自分自身を縛って生きづらくするという事は、他ならぬポリコレ叩きのオタクおじさん達が嬉々として口にしている言葉だろうにな。
なんか、自分を大事にとか理不尽な犠牲の否定とかじゃなくてこういうものが生まれる根底に、陰キャキモおっさん目線の失敗を過剰に恐れる間違った完璧主義と「俺は被害者なので何があっても絶対に悪(加害者)に回ることはない」という勘違いと、
幼児向けアニメなのに高齢オタクである自分のためのものだと思って子供目線で想像しようともしない傲慢さ(女児向け云々はアリバイ工作の時に口にするうわべワード)が鼻につく。
そう言えば別の某アニメで「若い子供のうちは間違っても取り返しがつくことが特権なのだから、迷ったり悩んだりして動けなくなるくらいなら思い切ってどんどん間違えてみればいい」と中学生の子供にアドバイスした親がアニオタ達から結構叩かれていたのを思い出した。
これも連なる話なのかね。
人間なんてご飯食べてトイレ行って寝てたまに性欲解消してたら生きているって言えるんだよね。
自分でも自分の欠点をわかっているけれども改善できないからしんどいってことなんだろうけどさ、なんとかなるさの精神で行くしかないんじゃないかな。
自分の知っている人で、大学の学部に八年間在籍して卒業できず、それでも就職してなんだかんだ中間管理職している人もいるからさ、
そら卒業するに越したことはないんだろうけどそこまで考えすぎるのも良くないよ。
自他問わず期待をすべて捨て、最底辺のところから考えてみようぜ。生きてるだけで偉いし学生なだけでも偉いんだよ。上を見ればきりがないけど、下を見ながら一歩ずつ自己肯定感高めていこうぜ。
素顔が分かりにくいということで、何かと買い物がしやすくなった側面がある。
例えば、ガチャポンが大量にあるようなコーナーに行きやすくなった。
別におっさんが行っても問題は無いのだが、家族連れや女の子が多いところだと肩身が狭いという思いをした人もいるだろう。
だが、マスクつきなら素顔が晒されないということで、じっくりと吟味が出来る。
おっさんがガチャポンを買うなんて恥ずかしい…というのは、自らが抱く幻想かもしれないが、その恥ずかしさを打ち消す効果がマスクにはあるのだ。
例えば、マスクが当たり前の世界なら、おっさん一人でディズニーランドだって行けるのである。
マスクが恥ずかしさを打ち消してくれるのだ!
マスクが恥ずかしさを打ち消してくれるのだ!