はてなキーワード: 白と黒とは
友人に知識量で負けているという落差はあるような気がしてならないが。
「落差」ってどういう意味で使ってんの?
「知識量に落差があり、負けている気がしてならない」なら分かる。
「ある日人の思考をデジタルデータ化する方法が編み出されたんだ。こいつは面白い技術でね。そこからあらゆるコンテンツや映像が生み出された。するとそこから自然とイメージをどう保存するかという問題にもさしあたる。イメージは大量のデータ容量を消費した」
イメージって急に出てくるけれど、「思考」のことを言ってるんだよね?
急に思考がイメージに切り替わると「どっから出てきた?あぁ、前を読み返せってことね」ってなるわ。
調律って、楽器の音律を整えることだけど。「調整」の間違いじゃない?
部屋の隅から白と黒の二匹の猫が入り込んできて、くわえたネズミを床に落とすと去っていった。ネズミはたちまちシェイクへと姿を変える。
何もされてないのに、なんでシェイクに代わって見えるのか意味不明。
コールドスリープから目覚めた私に、30代のアフロヘアの友人は楽しそうに語っている。
右手には30年前も見かけたシェイクが握られている。この時代では黒人であるか否かは、差別であるか否かを問うことと同様に意味がない。
ただし30歳年上になってしまった友人に知識量で負けているという落差はあるような気がしてならないが。
「だからね、お前の時代にあったストレージなんて今の世の中にはないんだよ」
右手のシェイクはすっかり空になり、彼はフライドポテトを口の中へと放り込む。塩か粉かが宙を舞った。
「いやそうじゃない」
窓の外の手すりを猫が歩いている。
「このケーキのようなんだ、ちょうどね」
彼は私が目覚めた際に用意したホログラフィックVRケーキを4等分すると言った。
「これが俺」
とケーキを指差す。
「つまり、どういう?」
「ある日人の思考をデジタルデータ化する方法が編み出されたんだ。こいつは面白い技術でね。そこからあらゆるコンテンツや映像が生み出された。するとそこから自然とイメージをどう保存するかという問題にもさしあたる。イメージは大量のデータ容量を消費した」
話を遮ってしまったが彼は口角を上げると口笛を吹いた。
「良い質問だ。大量のイメージは妄想も含んでいた。そこからイメージを調律する学校もできたし、東洋的なメディテーションの技術も科学的に研究されるようになった。ただ、これは人間側の努力にすぎない」
目線を一時だけ窓にやると、窓際の猫が群れをなして規則的な動きをしている。思えば妙な動きだ。色は真っ黒で統一されている。
「イメージはやがて機械的な手段で"間引き"されるようになった」
「それとケーキはどう繋がるんだ」
「まあ待てよ。それでもデータは膨大なんだ。するとお前の生きた時代じゃストレージなんてものが必要になってくる」
持って回った言い回しに僅かな違和感を感じる。そして窓際の猫はまるで蟻のように同階のマンションへと消えていった。
「俺たちの時代にはこう考えた。いっそ全てのマシンをつないで、そう、トレントやブロックチューン、それの人間版といったところさ。そいつに全てを共有させる。フィルタリングは各人の無意識の脳の領域と顕在意識の2つを使って最適化された。つまりつながれば繋がるほど最適化される」
「それじゃマイノリティは大変だな」
猫がまた列をなして下の階から上がってくる。そうかと思えば彼らは急にバラけて別々にマンションの窓へと飛び込んでゆく。
「マイノリティ。ずいぶん古い概念だな。少なくとも今そんなやつはいないさ」
「そんなはずはない。社会が最適化されてもニッチは消えないし、マイノリティはますます先鋭化されるはずだろう」
各マンションですべての猫が一斉に鳴く。それはまるでハーモニカとクラクションを混ぜた音に聞こえた。
「だからケーキの一部なのさ。あらゆる動物も含むイメージが連結されて、各人がそれぞれの存在でいながら全てが共有される。あらゆる性的指向も暴力も好きなタイプも優秀な頭脳も全てだ。フィルタはグローバルフィルタとプライベートフィルタリングで制御される」
「それじゃプライベートなんて」
鳴き声が一斉にやんだ。
「あれってなんだい」
「猫さ」
彼はまた口笛を吹いた。
「ああ、俺にゃ見えないね」
「もう一つ疑問が。こちらはその、なんでイメージが繋がってないんだ。コールドスリープから目覚めたばかりだからか?」
「それも少し違うかな。その質問に答える前に、お前に話しておきたいことがあるんだ」
「もう何年も前になる。俺にはお前に似た友人がいてね。コールドスリープするってきかないものだから、俺りゃ友人として何度の止めたのさ。何しろコールドスリープなんて未来になんの担保もない技術だ。あいつはそれでも聞かずに冬眠に入っちまった。そこから数年後に冷却装置が故障、契約者の大半の脳は凍傷を起こして死亡した」
部屋の隅から白と黒の二匹の猫が入り込んできて、くわえたネズミを床に落とすと去っていった。ネズミはたちまちシェイクへと姿を変える。
「ところが我が友は幸運だった。やつの脳だけは無事だったのさ。そこからイメージを再生するのもね。今だって自由にイメージの世界を行き来してるさ」
「そいつは願いがかなったのかな」
「特定のデバイスがあれば幽霊じゃねえけどよ。そうじゃない限り、そうだな、お前が見ている猫みたいなもんさ」
黒猫たちに混ざって白猫もたくさん見えるようになった。私は窓の外へと飛び出すと、今まで味わったこともないスピードで彼らを追いかけていた。
テーマカラーは白と黒、女児向けなのに殴り合いのガチバトル、をやってそれがウケたからシリーズ化されたのに
今は結局カラフルでセンターがピンクで殴らず魔法のようなもので戦う、保守的な魔法少女ものの枠に収まってしまった、
(製作者側もそれ分かってるから、他の所でやたらジェンダーに気を使ってますよ描写やってそれを必死で宣伝してるんだが)
アンパンマンのアンパンチも先日話題になったし、あれは「直接殴るシーンは描かない」「殴ってるのはばいきんまんじゃなくて乗ってるマシンの方」だし
とらじろうじゃなくてしまじろうも、「『女らしい』大人しめの女キャラしかいない」「母親が全員専業主婦」は問題だとして
「運動が得意でしっかりもののお姉さんキャラ、母親は働くシングルマザー」なにゃっきいを新たに加えたりしてる。
(子供におもちゃ売るのが目的なホビーアニメと違ってベネッセは「親に教育教材を売る」企業なせいかその辺の意識は結構高い。
だから最近(と言ってももう10年以上だよな)のディズニーのプリンセスものはそういうの避けてるってのも散々言われてるだろうが。
古いディズニープリンセスもプリンセスだけをまとめ売りが定着して、最早対になる王子様が誰なのか分からない子供の方が多いくらいだ
(キャラクターとしてのディズニープリンセスは知っていても、元となった映画は見た事ない子の方が多いわけだし)
増田がそういうの知らないだけだろ。
低年齢向けの方が親の顔色伺ってその辺敏感だよ。小学生以上向けの方が酷い。
夏の蚊の残党が残ってるみたいで、
昨日だけでも2匹は見かけたわよ。
ふふふ。
デスクに置いたままのもう秋だから窓から投げ捨てて片付けようと思ってたノーマットをレッツスイッチングオン!って感じで、
申し訳ないんだけど、
アフガン航空相撲で繰り広げられたあの大技を決めるぐらい級に燻りだしてやりたいところよ!
でもさ
盛夏には蚊を見なかったのはそれはそれで良かったんだけど、
蚊まだいるじゃないって
朝階段ですれ違いざまに1匹蚊と会ったけど
もう夏の情緒もへったくれも無いそのノーマットでは蚊もそれが蚊取り線香だと言うことに気付かず意外と平気なのかも知れないし、
蚊取り線香のぐるぐる巻きを見たらヤバイ蚊取り線香がある!ってな具合で
蚊がびっくりして目が回って気持が滅入っちゃうからそれで退治できるものだと思ってるから、
案外ノーマットも全然蚊取り線香のディテールのデの字もないあの形がネックなのかも知れないわね。
知らぬ間に薬剤が無くなってることがあったりと
それはそれでのデメリットはあるけど。
でもやっぱり情緒ってもんが欲しいわよね。
使い切ったら取り替えたりそのめんどくささが
夏ね!って思うところあったりするじゃない。
もう何もかも全て自動化したら
季節を感じる暇さえもないから、
蚊と私の心理戦よ!
私はいつか蚊をベスト・キッド師匠の様に箸で蚊を空中でつまんで退治するという技を極めたいわ。
きっと無理だけど。
お師匠様いつになったら箸でつかむ技を教えて頂けるんでしょうか?って言いたいじゃない。
で、おまえは何も分かっとらん!って一喝され、
それでもほら箸を持ってみなさいって促されて、
初めて箸を持ったその勢いで蚊が捕まえられちゃって、
もうできちゃった!!!って大喜びで幕が閉じるのよね。
本当に映画っていいですよね!ってシベリア超特急ことシベ超の人が言うほど、
エンドロールの長さは涙を乾かす時間って昔女優さんが言ってたけど、
その長いエンドロールでも
涙が乾かないほどの大喝采で、
劇場なのにスタンディングオベーションが起こるの!
もうポップコーンのにおいが充満している館内のことなんかすっかり忘れて、
ヒジ置きを隣の人に取られたからって怒るのを忘れるぐらい。
そう私の夏は私の夏は終わってしまうのよね。
トゥービーコンテニューの文字で終わるの。
パート2はないんだけどね、
でもそんな勢いよ。
うふふ。
2つ買ってみたけど残りは夜食にでもしようかしら?
って感じよ。
温かくいただいたわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ベ平連とか反原発でもなんでもいいけど、坂本龍一とか大江健三郎とかが「自分は十全に正しく批判相手は全く間違っている」という意識が蔓延しちゃって表現の不自由展みたいなことになるんでないのかな。
それらは2chのハイ論破文化にも連なって大衆化していき、TwitterやSNSでの罵倒に近い否定とも結びついてると思える。
何でも白と黒に分けられないだろうし分けられることのほうが少ないのにねえ。
人はたくさんいるのだからグラデーションを描くようにコミュニケーションしないと、すぐに破綻して断絶しか起こさないんじゃないかなあ。
まあ気持ちいいんだけどね、スパッと結論づけるのは。書いてて優越感や全能感が出るし、日々生活に忙しく余裕もないから思考停止してしまったほうが楽。
楽な方に流れるな、と言う人のほうが楽な方に流れがちで、それは今後もっともっと暴力性を持った形で現れるんだろうなあ。嫌ですねえ。
今回のレーダーどうとかのあれやこれ、あるいは昔の取り決めを反故にする裁判などなど、どう考えてもおかしいのはあっちだしくそが、という気分で一杯なのだけれど
もし万が一仮に、我が国と彼の国が敵対することになるとするじゃないですか、白と黒
そんで、あの上にもなんかめんどくさい国があるじゃないですか あれも黒く塗っときましょう(万一の万一、ほんとに同じ色になりかねないですよね)
横にはやたらと態度と国土がでかい国があるじゃないですか 赤いとこ
寒いとこにはなんか酒臭いでかい国があるじゃないですか もう何色でもいいんだけど、まあ青
つまり白対白以外で分かれたとすると、じゃあ我が国が最前線になっちゃいますよね
べつに彼の国くらいは殲滅できるとして、その他まで相手できるかって、無理だし嫌ですよね
ならまああの国とグダグダしても、それによって、我が国の前に、一つ駒が置けてるって考えると、それはアリじゃない?
あんまし追い詰めて、色がひっくり返っちゃうと、めんどくさいことになるよね
まあ、同じ色とは言われたくない、濁ったネズミ色だけどな
とは思いつつも、ほんとにまったくほんとにまったくだよなあ!ほんとに
いじめられっこに責任を求める言動はすべてセカンドレイプであり、認める余地はない。
あなたは、自分が「全ての人間から好かれて当然だ」と思っていますか?
私は「好きな人も居れば、嫌いな人も居る。合う人、合わない人が居る。」と理解しています。
そのため、「私から合わないと思えば離れていくのも自由」と思っています。
実際、私と合わないということで離れていった人も居ます。
長々書いてるけど、結局「合わない奴は苛めてよい」としか言ってない。んなわけないだろ。
だから、いじめられっ子にもそういう人が居ると言っているのです。
何故そこが分からないのですか。
そんなクズがいじめを正当化するためだけの事をわかるわけねーだろ。
白と黒、それ以外に「グレー」もあるって何故認められないんですか?
認めたくないんですか?
いじめにグレーはない。
ただ、「いじめられっ子のみが悪い場合もある」という事を話しています。
あなたは、自分が「全ての人間から好かれて当然だ」と思っていますか?
私は「好きな人も居れば、嫌いな人も居る。合う人、合わない人が居る。」と理解しています。
そのため、「私から合わないと思えば離れていくのも自由」と思っています。
実際、私と合わないということで離れていった人も居ます。
自分の意見のみが正義で、意見を押し付け我侭しか言わず、相手の話を一切聞かないような人だとしたら
では、その状況は「いじめ」と何が違うんでしょう。
それお前らがやってることじゃん。
だから、いじめられっ子にもそういう人が居ると言っているのです。
何故そこが分からないのですか。
白と黒、それ以外に「グレー」もあるって何故認められないんですか?
認めたくないんですか?
レビューした人の迷惑になりそうだから直接ブクマつけたくないから、こっちで書くけど(文字数も足りねえし)
若おかみは小学生の映画のレビューに頭オカシイブコメが見られて失笑してる
mouseion その若おかみが映画館に来てくれた禿散らかしたオタク男子に性的消費されてる事に対して何を思われてるのか、わたし気になります。
まぁたぶん、他の記事でも似たようなコメントつけてるガイガイのモノなんだろうけど。
若女将は小学生って初めて出たのが15年前の作品児童向けの本なんだわ
児童向けで、児童が感情移入しやすいように主人公が小学生な事を少女性愛ガ~とか言ってるのはヤバいだろ
黒人が出てれば名作。黒人が出てないから駄作っていうタイプだろ。ブラックコーヒーじゃなくてカフェオレ飲んでそう。カフェオレは白と黒が混ざって政治的に正しいからな。
あと性的消費マン(君らの言葉だと性的消費ピーポーか?(笑))はそういう事言う場じゃないってこと考えような。てかちびまる子ちゃんにも同じこと言うんだろうか。
意味不明なものが多いし何かとケチつけないと気がすまない性格だから面倒なことを一々と
直接のユーザからの意見なら多少は変でもそのユーザが必要としてるなら納得できるし、イライラすることもない
社内でそんなことこだわったところで実際には気にされないことが多いのにだ
まだデザイナーがデザインについてこうした方がUXがいいねみたいなことをいうならわかる
専門の人の意見だし
そうでもないのに何かと文句をつけてくる
CSS すらまともに使いこなせずマージンもパディングもないような酷い作りのものしか作らないのにソッチのほうが良いという
色は red, green, yellow と標準のペイントのデフォルトカラーかよというような色を指定してくる
#fcfcfc や #0a0a0a なんて使おうものなら白と黒にしろと
max-width を指定せずに画面の端から端まであるようなものがいいという
今の時代のアプリやサービスを全く見てないのか?としか言えないようなセンスだ
自社サービスなんて手を出したらこれは酷いと話題になりそうなものだ
見た目にあまりこだわれない社内用サービスしか作ってないからと言って、その他サービスをみてる人からすれば明らかに
しかもデザインに限ったことではないがまだ序盤の時点で言っておけばいいものの完成後にいまから変えるなんて難しいのが
わかりきってるようなときになってからああしろこうしろ言い出す
先に書いたようにユーザの要望ならまだ仕方ないと言えるがなぜこんな無意味なことに付き合わなければならないのか
わりと自分が完璧主義なところもあるので作るならちゃんと作ろうとしてるんだが
こういうのを相手にしないといけないせいで結局グチャグチャになってくる
色のバランスやレイアウトを考えたところで一瞬でそのバランスが無意味になるようなことになる
プログラム側だって全然関係ないものを無理やり入れ込まないといけないようなことになることも多い
疎結合だとかグローバルをつかわないとかそういう作りやすくするためのことをしていても
それが維持できないような無茶で無意味な指示が出る
根本的に変えたり対処するためのものを作るとかすればなんとかできなくはない
過去のプロジェクトでもそういうのが多いから自分で作るのくらいは扱いやすくしたいと考えていたのだが
過去に言われたものだと速度を優先だとか言って自分で作ったものよりは遅くするなと言う
しかしながら関数は使わずコピペだわforeachなどは使わずループ変数を使って地道にやるなどメンテナンスが
できる気がしないが速度においては早いと言えるものだ
当たり前のようにグローバル変数がいっぱいあるしライブラリの使用箇所はカスタマイズするための仕組みがあるのに
便利で読みやすいような書き方だと速度的にはそれに劣る
だがわざわざそんな扱いづらいし見づらいコードは書きたくない
そんなに速度にこだわるなら勝手に一人で機械語でも書いてろよって思う
どちらか取捨選択すべきものなのに両方みたせとか無理なことを言う
ちなみに便利なライブラリは基本無駄が多い遅いものだからライブラリ頼みのベンダはクソだとか
能力がないだとか言っていた
そういえば昔先輩社員と仕事したときには変に凝ったものとか必要以上に作り込んだりはしないほうがいいとか
言っていてそれなりに手抜きでさらっと一応は動くようなものを作っていた
私はそういうやり方が嫌いだったのだが今ではこういう環境に長くいた結果仕事のものにこだわって作り込んでも無駄
ということがわかってそうなったのかなと感じた
自分でもサビ残や休日に無償出勤してまでいいものにしようと努力はしていたが謎の指摘に合わせていると
愛着もなくなってきたし後は適当に済ませてしまおうかなという気持ちだ
ちゃんとした自分なりの完璧なものを作ろうとするなら仕事ではなく趣味で作ってるツールやライブラリで
やればいいかと思う
作ったもの次第でユーザが集まる自社のウェブサービスやパッケージの商品やゲームなどは作り込む方が
良いと思うが先に値段が決まって受注して作るようなものだと最低限の要望さえ満たしていればあとは
どうでもいい
むしろ不便な方が改修依頼が来て稼げる
さらには綺麗で完璧な作りで大抵の想定できる改修は1日とかからないようなものに仕上げるよりも
どこ変えればいいかや影響範囲すらわからないくらいモノのほうが実作業時間が多いのでそれだけ請求できる
先に作り込むメリットがない
ストレスが溜まってきたので発散がてら書いてみたけど疲れてるのかわりと分かりづらい文章になった
けどまぁいいか
そろそろ転職でもしたいなーと考え始めた
私は五輪へのe-sports導入に断固反対だけど、これは会長&増田の言い分が変だと思うわ。
別に実際に人を殺しているわけじゃない。死ぬのはゲームの中のキャラクター。
ゲーム内でも人を殺しちゃいかんのか? ゲーム内での殺人技術を競っちゃいかんのか?
それはリアルの人物に向かってフルーレを向けたり大外刈りかけたりするよりタックルするより危険な行為か?
リアル人間にハイキックしたりリアル人間同士で殴り合ったりする方がよっぽど野蛮だろ……
でもそれなら、e-sportsは導入するが、倫理に背くものは排除する、といえばよくない?
格闘ゲームとか、人殺し要素のない冒険ゲームとか、レーシングゲームとかを導入すればよくない?
なーんか会長さんの言ってることは筋が通ってないように思う。
しかしそれはそれとして、e-sportsは断固として五輪に導入すべきではない。
なぜならそれは不公正だからだ。
サッカーを例にしよう。仮にある業者が、サッカーボールの供給を一手に握っていて、有力選手は事実上そのメーカのものを使わないといけない状況だとする。
しかしそれでも、私的に作った規格外のボールを使って草サッカーすることは自由である。新しい業者が規格を満たしたボールを作って競争に参入することも自由である。ルールブックは万人に開かれており、特定のメーカのものを使わなければならない、という決まりはどこにもない(あるメーカの技術力が卓越しているおかげで寡占状態になっているとしても、より優れた技術をもって参入する余地は常に残されている)。
あるいは、e-sportsではないがマインドスポーツを例にしよう。囲碁もチェスも将棋も、ルールを知ってさえいれば誰でもどんな道具を使ってもプレイできる。ノートに線を引いてそれを盤面にしてもよいし、頭の中だけで完結させてもよいし、地面に木の枝で書いた盤を使ってもよい。
ルールが同一であるならば、名人や竜王と地面に駒を書き入れる子供たちは同じゲームを遊んでいることになるはずだ。たとえ使う盤がどんな業者に作られていようとも。ネイマールや本田圭佑と、スラム街でボロボロのボールを蹴る子供たちもまた、同じくサッカーをプレイしていることになるはずだ。
e-sportsの問題は、この公平性がまったく存在しないことだ。特定のゲーム会社から特定のタイトルを購入しなければ、そもそも遊べない。お金がない囲碁好きの子供でも、ノートに書いた盤面に白と黒の点を書き入れていけば囲碁を遊べる、というような余地はどこにもなく、まずゲームをスタートするためには特定の業者から特定の商品を購入する必要がある、そんなものを公的団体が競技として公認すべきじゃないと思う。
これは単なる理想論ではない。一歩間違えば癒着にも繋がる。なにせ、ある競技を採択するかどうか、が、そのままある特定の民間企業を優遇するかどうか、につながるのだ。寡占状態にあるので事実上そうなってしまう、という話ではなく、ある競技を採択することは論理的にある民間企業を優遇することとイコールになる、というのは大きい。
IOCが高潔な組織というのならばまだしも、そうでないことは幅広く知れ渡っているというのに、なんでこんな腐敗臭に満ちたものを競技として採択しなければならないのか。
スポーツあるいはマインドスポーツは、皆に開かれているべきだと思う。ルールの策定の段階である程度権力が絡むのは仕方ないにせよ、そもそも特定のメーカによる特定の商品を購入しないと遊べない、ようなものを、公的なスポーツの大会であるオリンピックやアジア大会などに持ち込むべきではない。
もちろん、ゲーム会社が自社のゲームを使った大会を企画するのは、経済の自由、趣味の自由として大いに肯定されるべきだ。何も悪いことではない。日本法でそういうレジームが賭博にあたる場合があることについては、不当なので賭博罪に関する条文を改正する必要があるとすら思う。
しかし、e-sportsは公的なスポーツ大会にはそぐわない。むしろ積極的に排除されるべきだ。ゲーム内で人を殺そうが殺すまいが、それは公平なスポーツという理念に反しているのだから。