はてなキーワード: 無人駅とは
数秒の遅れも、一瞬の見逃しも許されない――世間ではそういうことになっている職業、車掌。
けど実際は、時間を守って行動している体でやっていれば気を抜いててもなんとかなるし、
たまにアナウンスやドアの開閉でしくじったとしても、何事もなかったように事が進むか、客側に非があったということになってくれる。
加えて、車内で独り言呟いてる糖質にヘイトが集まったりするおかげで、自分の非が客に転嫁されやすい。
ほんといい天職だ。些細な誤字や失言一つで大きく足元をすくわれるようなそこらの零細企業に就かなくてよかった。
無人駅で全員が改札を通るまで見張らなきゃいけないという表面上の役割もあるおかげで合理的に人間観察もできて尚更そう感じる。
たまに改札でエラー吐いて慌ててる人から合法的に金を毟り取れるし、人の上に立ててるって感じがして優越感に浸れて最高だわ。
こんないい職に就いちゃうと、四面楚歌も同然の他の職業が格下に見えて、自分が天職に就いたんだなって気持ちが更に昂って幸せの極みだ。
酒が入っていると「ばらの花」で泣ける。
私はモテない。無人駅の簡易Suicaよりモテない。多感な時期に「性を成すか否か」の当落線上をさまよった経験は当然ない。
そのせいか「成すか否か」、駆け引きというよりも「お互い性への踏ん切りをつけきれない」というシチュエーションに憧れがやまない。とはいえもう30台も半ばに差し掛かった私自身が、今そのような体験を実施することはまったくふさわしくない。やはりそれは10台後半、行っても20台前半までに許された舞台であろう。憧れが過ぎて、数年前には夢にまで見たこともある。しかしその当落線上にあったのは見ず知らずの高校生カップルであり、私はそれを眺める傍観者でしかなかった。夢の中でさえ当事者にならなかったのだからよくわきまえたものだ。
くるり「ばらの花」。「僕らお互い弱虫すぎて 踏み込めないまま朝を迎える」。最高だ。大学生の頃にこんな経験をしてみたかった。スピッツ「ナナへの気持ち」。「街道沿いのロイホで 夜明けまで話し込み 何もできずホームで見送られるときの憎たらしい笑顔」。こんな青春が実在するのか? 私の近くには影も形もなかった。そもそも生まれ育った地域にはロイホもない。
今はそれなりに、植物のような穏やかな日々を暮らしているというのに、それでも酒が入ると「ばらの花」で泣けてくるのだ。琴線の所在が自分でもよくわからない。制服デートとかしてみたかったぜ。
追記
この駅に券売機はない。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00000005-jct-soci
整理券や料金表がない駅もある。
そもそも、車掌が巡回に来てる時点で、無人駅から乗ってるのを車掌が確認したのは確定情報では?
他の改札を突破したという連絡が来てたなら、JR側がそれを公表しないのは不自然でしょう。キセルを隠すのは企業として何ら益のない行為。
行間を読むってそういうことかと。
あと、必要なので強調しますが、高校生が切符を持ってないのは券売機のない無人駅から乗ったから。
車掌が来たのは無人駅から乗ったのを確認して車内改札をしようとしたからです。
おそらく、「切符を持ってない高校生の所に車掌が来た」という状況が「無賃乗車」のイメージと結びついて、デマが発生してるだと思う。
JR車掌「言葉遣いに気を付けろ」 北陸線、乗客の胸ぐらつかみ暴言
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00010001-fukui-l18
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00010001-fukui-l18#
としか書かれてないのに、
なぜ 学生側が無賃乗車をしたと決めつけるブクマがこんなにあるんだ?
そもそもそんな事は記事には書かれてないし。
無人駅で乗って車掌が巡回してきてそこで行き先告げて切符買うのが、おおよそのシステムだろ?
どこに無賃乗車の要素がある?
いや、帽子で顔が隠したとか服を着替えたとかそういう誤魔化しをして車掌の目を欺いたなら確かに無賃乗車だわな。
でも、この学生はイヤホンして座ってただけだろ?なんで無賃乗車なんて話が出たんだ?むしろ、払う気しかないと思うが・・・。
記事によると車掌は巡回してきた時に少年が『寝たふり』をしたと思って
『車掌が学生の胸ぐらをつかみ「言葉遣いに気を付けろ」とにらみつけたという。また、音楽を聴いていたイヤホンを引き抜かれたり、購入後に再び胸ぐらをつかまれ「こっちに来いや」引っ張った』
をしたとの事だが、寝たふりなんて外からわからんし、寝たふりだとしても車掌の行動は会社人として異常性すら感じる行為。
さらに細かく言えば
『購入後に再び胸ぐらをつかまれ「こっちに来いや」引っ張った』
て書いてあるだろ。買ったんだから無賃乗車しゃないのはわかるよな?
あと、寝てた客を起こして金を払わせた後に
『こっちに来いや』
て。借金返した後も嫌がらせを続けるヤクザかよってレベルだろ。この車掌は。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170317-00010001-fukui-l18#
お前ら、どうしちゃったの?
田舎定義で盛り上がってるが、自分としてはどうしようもないマイルドヤンキーが巣食うところこそが田舎だと思ってる
この間、友人と地元のバーに行ったが
おれはそいつらが大っ嫌いだったが
別段邪険にしたりはしない
一緒に飲んでて出てくる話がだいたい昔話なんだ
昔の○○はできない奴だったとか
そんな話ばかりでうんざりする
一番イライラするのは中学校の頃のイケてないグループを馬鹿にすることなんだ
なんで昔の人間関係をそのまま引っぱってるんだと
だいぶ稼いでるやつもいるし
だけどそいつらの中じゃ、イケてないグループのアイツのまんまなんだな
まずまずの大学行ったやつらはやっぱりまともだわ
絶望的なのはこれが大都市と言われる都道府県の話ってことなんだ(中心地ではないけど)
つまりいくら便利で、発展してても、その恩恵が行き渡ってないぐらい
教育水準の低い連中がいるんだよな
無人駅があるとか人が少ないとじゃなく
未開の土人が住み着いているところが田舎なんだよ
鉄道で働いてて困った経験は何度もある。遅延・運休は毎度のことだし、そのたびに文句言われるのも最初は嫌だったが慣れてきた。
朝通勤時と夕方退勤時では圧倒的に夕方のほうが乗客を捌くのが難しい。朝は会社着く前に余計な体力を使いたくないからなのか、慣れからなのか、電車がちょっと遅れたくらいでは怒る人はいなかった。運休になれば主婦や行楽らしきシルバー世代からお叱りを受けるくらいで、スーツを着ている人や学生はむしろ哀れみに満ちたような目で見てくれていた。ちなみに苦情受けているときに周りの目が同情の眼差しだと僕は大分救われていた。
夕方、特に金土は。酔っぱらいが吐くのは日常茶飯事、仕事終わりの開放感からか、歩く速さが遅いから、電車を発車させようとしても安全確認が難しい。というのも車掌は時間通りに発車させるのが仕事なので、こちらが目配りしてなければいけない。実際に酔っ払いが車体にぶつかって怪我する事故はかなりある。これも人身事故扱いになることがあるので困ったものだった。
定時出発というのは簡単なようで難しい。運転士や車掌のほうが苦労していると思うが、駅員もそれなりに気を使う。無予約の団体乗車、1つのドアに固まる学生、段差があって乗れない車いすの補助など例を挙げれば枚挙に暇がないが、ここで意外に知られていないと思うこと、その中でも運行の上でぜひ知っておいて欲しいことを挙げてみる。
幼稚園・保育園・小学生の団体乗車をよく目にする。通勤ラッシュが落ち着いた時間によく来る。子どもは好きなので苦じゃないし、僕がお願いしたことをちゃんと聞いてくれるのでヘタしたら大人よりもいいお客様である。
ただ、団体乗車のように人数が増えるとそれだけで遅延の原因になる。歩幅の小さな子どもではなおさらで、安全確保も難しい。小さな足が電車に挟まるということはままあるからである。
団体の乗客がやってきたら、引率者と思しき人に「人数」「乗車する電車」「降車駅」を必ず聞く。遅延が起きないように人数に寄って「できれば2両に分かれてくれると助かります」といえるし、車掌には子どもを残して発車しないように抑止の放送を行わなければならない。降車駅にも団体が降車する手配を行う必要があるし、そこが無人駅ならば指令から車掌に連絡がいくはずである。団体乗車は結構複雑な連携が必要なのだ。
その連携をスムーズにするために、必須ではないけれども、事前に乗車駅に連絡してくれるととっても助かるのである。人数が把握できれば、電話で「同日はだいたい1クラスを2つのドアに分けて乗車頂きたいです」であるという風に伝えられるし、引率の先生たちもそのために動いてくださる。安全確保のために人員を割くこともできる。そして整列して体育座りしてくれるとこちらとしては万々歳である。子どもの集団心理は怖いもので、急に漫才を初めてどつく面白い子もいるので、立たせたままでは心もとない。
2.身体が不自由などでお手伝いが必要ならは「是非」乗車駅に連絡あるいは窓口へ!
これは是非お願いしたい。一度足の不自由な人が乗車するときに、急に「手伝ってくれ」と言われ乗車させようとした矢先に電車のドアが閉まってしまった。当然そのお客さんは超ご立腹で「障害者への配慮はないのか」といったことをなんども言われた。そのときは相手もかなり感情的だったので謝ることに終始していたが、どうやらそのあと3日くらい窓口に来て苦情を言っていたらしい。そこまで根に持たれると怖いのを通り越して逆に申し訳なくなるのだが、そうならないために是非知っておいてほしいことがある。
身体の不自由な人へのサポートは本社が考えてくれていて、社局によって扱いに差はあるだろうが、少なくとも僕が働いていたところは、ちゃんと教えてさえくれればお手伝いもするし、車掌に発車させないように抑止の放送もする。一番困るのは電車のドアが開いて「手伝ってくれ」と言われることである。足が不自由、目が見えないなどで乗車に不安を感じたり、手伝いが必要なら躊躇せずに言って欲しいと思う。お手伝いも仕事なので、断らないと思う。
正直は話をすると、遅延の原因は駅員じゃない。でも駅員は乗客に一番近いポジションだし、多少の文句は当然仕事上甘んじて受けるのだが、たまに駅員の人間そのものを罵倒してくる人がいるのも事実である。感情的になってしまったゆえのことなのだろうが、だいたいこの手の人間は見た目からして何か違う。人は見た目が9割を実感する職業である。
4.飲みすぎないでほしい。最悪吐くなら車内ではなくホームで。(食事中だったらゴメン)
書いていて悲しくなってきたが、頑張って続ける。まず飲みすぎないことが大切だが、その場の雰囲気でついつい、ということは多いと思う。まずウコンの力は飲む前に飲んでおいて欲しい。そのほうが効果がある。次に飲み終わったら大量に水を飲んでおいてほしい。アルコールは加水分解だからである。そして絶対ドアに寄りかかって寝ないで欲しい。顔面血まみれの人を何人か知っている。最悪吐くなら車外で。ホームなら清掃もしやすいし、吐瀉物カタメールも撒きやすい。車内に吐かれてしまったら電車の運行をその駅で止めるか、人員が確保できなかったら最悪そのまま終点まで運行される。考えただけでもイヤだ。
これは贅沢なんだろうけど…
日本は鉄道先進国と言われるが、運賃数百円で定時性と速達性が高くて、サービスもそこそこ受けられる鉄道があることを幸せに思って欲しい。
僕もなるべく遅延させたりしないように努力してるので。
アホかと馬鹿にしていたが、昔の茶人とか、野原や河原、しまいにゃ戦場や山のてっぺんで茶会を開いてたんだよな。
敷物もって、釜もって、茶筅、茶杓をもって、紙コップや軽量プラスチックのカップなんてなかったから、落としたら割る重たい茶碗を持ってさ。
火をおこしてお湯を沸かして、お茶を飲む。
カレー作ったりバーベキューするならとにかく、お茶だけのためにその労力わけわかんねぇ。
と思ったんだが、山でお茶を淹れて飲んだら美味かった。
急須持ってってお湯沸かして飲んだら最高。
山まで出かける必要もない。
深夜の歩道橋でお茶を沸かして、ミルで豆を挽き、ドリップしてみたら、もう飲む前に香りだけでやばかったね。
いつものコーヒーがまるで酒のように気分を高揚させた、住宅街の窓の明かりが、世界遺産かなにかのように思えてならなかった。
西の空が赤く染まり、東の空から一つ二つと星が輝き出す様子をみていると、地球って素晴らしいと思うことさえできた。
野点とかいう野外の茶会って、大名だってはまったんだから、貧しい者にとっても富める者にとっても、単身者にとっても独身者にとっても、気持ちいいことなんだろう。
コーヒーでもお茶でもいいんだけど、お湯を沸かしてカフェインチャージするだけで、人は簡単に幸せを実感できる。
閉店間際のスーパーで、半額の寿司と発泡酒を買って、公園で食べるのもなかなかのもんだ。
就職できないからとか、リストラされたからとか、モテないからとか、そんなことで悩む必要はない。
涼しくなっていい季節だ。
リュックにヤカンとコンロを詰め込んで、ドアを開けて外に出よう。
育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスの時間も早く、夕方が差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。
みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地に最初の下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半で風呂がなく、トイレと玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。
トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。
田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。
大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックでくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要ないから、田舎の人間はそれを喜ぶのだ。
そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。
どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。
引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。
バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。
父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。
あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。
その踏み切りは山の入り口にあって、その線路を越えると生い茂る木々の間を進む坂道に道は繋がっていた。辺りに家や建物は見当たらなく、人気のない細い道を進んだ末に、山と裾野をとを分断するようにして無機質に佇んでいた。
一体何の理由があってここまで来なくてはならなかったのか、廃線と紛う線路を目にした瞬間に忘れてしまったのだけれど、私はその踏切の真ん中に一頭の羊を見つけていた。
羊は、例えば山羊とか鹿みたいにほっそりしていたり、大きく悪魔的に曲がった角を持っていたわけではなく、もこもことした乳白色の毛並みや、じっと私の顔を凝視しつつも咀嚼することを止めない泰然たる様にしてみてもまさしく羊そのものであって、いやいや待てよ、どうして東北の人気もなければ人家もなく、ましてや畜舎があるわけでもない山間に羊なんぞがいるのだ、という疑問すら吹き飛ばしてしまうほどに、間違いなく羊そのものであった。
私はしばらくの間羊と睨み合っていたのだと思う。最中、辺りには誰こなかったし、風ひとつ吹きはしなかった。ただもぐもぐと続く咀嚼と、固まったままの私の眼球とが対峙しているだけだった。
やがて、つうっと羊が前を向いた。そして、そのまま線路を歩き出す。足取りは思いのほかしっかりしていて、とてもこの地に馴染んでいるように見えた。そんなことはありえないと思うのだけれど、どうやら羊はこの辺りに長らく住んでいるようだった。
私は麓の高校に通っているけれど、三階の窓からいつでも見ることのできるこの山間に羊が住み着いているだなんて話は一度も聞いたことがなかった。おそらく、噂にすらなっていないのだろう。羊は誰にも知られることなく、それでいて確かにこの地に根を下ろしているようだった。
呆然と歩き始めた羊を見つめていた私を、ふいに立ち止まったもこもことした乳白色の塊は振り返る。じいっと見つめられる眼差しには何かしらの意図が含まれているような気がしたけれども、生憎私は気が狂うほどに動物が好きと言う訳でも、羊の言葉が分かる隠し能力を持っているわけでもなかったので、一体全体羊がなにを思って、どうして私に伝えようとしているのかが分からなかった。
けれども、何となくだけれど、ついていけばいいような気はした。きゅぴんと電撃が迸るようにして脳内に言葉が、煌々とネオンを灯し始めたのだ。
羊は、私をどこかに導こうとしている。
予兆めいた直感は、けれど一度頭の中で腰を吸えると、俄然とそれらしい輝きを放つようになり、他の候補、例えば羊がさっさと私に消えて欲しいと思っているとか、私にでんぐり返しをして欲しいと思っているなどということをことごとく眩ましてしまった。
ごくりと生唾を飲み込んでから、私は一歩その場から踏み出してみる。踏み切りの真ん中で進路を羊の方へと定めて、ショルダーバッグの帯をぎゅっと握り締めた。
様子をじっくりと観察していた羊は、私が背後に立ち止まったことを確認すると再び歩き出した。ざくざくと、石を刻む音が再開する。一度大きく息を吸い込んでから前を向いた私は、意を決して足音を重ねることにした。
羊はもそもそと、遅くもなく早くもない歩調でずんずん線路を進んでいった。まるで、私の歩調に合わせているみたいだった。どれだけ歩いても羊との距離は縮まらず、また決定的に離れることもなかった。
沈黙以上に冷たく張り詰めた静寂が線路の上を覆っていた。そこで許されている音は足音だけで、ぎりぎり呼吸をする音が認められているぐらいだった。呼び起こされたへんてこな緊張感に、私はいつの間にか歩くという行為だけに没頭せざるを余儀なくされていた。
ざくざくと石を刻みながら、私は段々とどうしてこの線路の前にやって来たのかを思い出し始めていた。
帰り道。友達を分かれた後歩いていた住宅路の角に、するりと移動した後姿を見たような気がしたせいだった。消え去る影が、一週間前忽然と姿を消した家猫の背中に非常に似通っていたのだ。名前を呼びながら、いつの間にか私はその後姿を追い始めていた。
角を折れるたびに、小さな後姿はもうひとつ先の角を曲がっていた。右に左に。途中から肩で息をして、私は懸命に後を追っていた。待って、まださよならも言えてないのに、急にいなくなるなんて酷いよ、といろいろなことを考えながら。
そして、あの線路のぶつかったのだった。そこに、目の前の羊がいた。
ふと辺りを見渡す。知らない間に景色が一変していた。左手に見えていたはずの町並みは消え去り、左手にあったはずの藪もなくなっていた。
私はどこまでも続く杉林の中を歩いていた。しっとりと霧が立ち込めていて、先を行く羊の姿はおぼろげに曖昧になっていた。
更にもう少し歩いていると、やがて見知らぬ無人駅に辿り着いた。立ち止まり、呆然と見上げる私の背後から、プオープオーと汽笛の音がし始める。慌てて線路から無人駅へとよじ登った私は、滑り込んできたSLを前にして口に出すべき言葉が見つからなかった。
車窓から、様々な動物達の姿が見えた。例えばそれはイヌであり、ニワトリであり、リスであって、ワニでもあった。あるいはゾウであり、キリンであり、ライオンであり、クジラでもあった。サルも、キンギョも、ヘビもいたのかもしれない。ありとあらゆる動物が乗り込んだSLは、けれどもその形状を変容させることなく、全ての動物を受け入れていた。
というのも、動物達は一様にして似たような大きさにまとまっていたのだった。人間で言うところの大人ぐらいの大きさ。また、ある動物は眼鏡をかけて新聞を読んでいて、ある動物は煙草をふかしていて、ある動物はウォークマンを聞いていた。人が動物になっただけで、車内の様子は一般的な汽車のそれと寸分の変わりがないように見えた。
「えー、米田ー、米田ー。停まりました駅は、米田でございます。まもなく出発いたしますのでー、お乗りのお客様は乗り遅れないようお願いいたします」
らしい抑揚をつけたアナウンスが構内に谺する。見れば、青い制服を着込み頭には帽子を被った羊が、拡声器を使って無人駅を歩いていた。
様子から、羊が駅長なのらしいことが分かった。代わる代わるやってくる乗客から切符を受け取り、ひとつひとつ丁寧に切ってはSLに乗せていく姿は、なるほど、結構様になっているように見えた。
いまだ呆然と、なにをどうしたらいいのかすら分からないまま、私は一連の出来事を見守り続けていた。これは、一体なんなのだろう。純粋な混乱の最中にあった私は、その瞬間に一気に神経を一点に集中させた。
SLに乗り込む乗客の中に、いなくなった家猫の姿を確認してしまったのだ。
「ミーコ!」
思わず叫んでいた。駅長の羊から切符を返してもらったミーコは、そっと困ったような表情で私のことを見返してきた。
眼差しは、多分の物事を語ってきていて。
そっと視線が外れ、静かにSLに乗り込んだミーコの姿に、私はもうかける言葉を見失ってしまっていた。
汽笛が高らかに蒸気を吹き上げる。
「えー、間もなく、間もなく、新町行き米田発の汽車が発車いたします。危険ですので、白線の内にてお見送りください」
アナウンスが終了すると、SLはごとん、ごとんと動き始めた。私は駆け出して、窓からミーコの姿を探し始めた。けれど、座席一杯にひしめきあった動物の中からミーコの姿を探すことは容易なことではなかった。まだ速度の出ていないうちに、ひとつでの多くの窓から探そうと、私の足は駆けていく。
けれども、やがてSLはスピードを増して、徐々に私が遅れていってしまう。
「ミーコ。ミーコ!」
呼び声だけが、虚しく響くばかりだった。SLは駅を走り去っていく。後姿を、私は込み上げる悲しみと共にいつまでも見続けていた。
その後、どうやってあの米田駅から帰ってきたのかは分からないのだけれど、私はいつの間にか線路を戻ってきていて、再びあの踏み切りの場所にまで辿り着いていた。
夜は更けていて、辺りは真っ暗だった。風は冷たくて、全身が氷付けになったみたいに寒かった。早くお風呂に入りたい。それからミーコの写真を抱いて、ぐっすりと眠りたかった。泥のように、あるいは死人のように。睡眠は死界に一番近づける状態なのだ、夢の中でならミーコに会えるのだと信じていたかった。
踏み切りから細い道へと進路を変える。町へと降りていく道をしばらく歩いてから、そうっと背後を振り返ってみた。
りんりんと鈴虫が鳴く闇夜に、月光だけが照らし出す踏み切りは少しだけ幻想的に映っていた。
再び踏み切りから視線を前に向けた瞬間、私は確かに踏み切りの中央に羊の姿を見ていた。
プオープオーと響いた汽笛は、微かに夜風を震わせていた。
駅の線路で男の人が頭から血を流して倒れていた。夜の無人駅で周囲には誰もいない。俺が助けるしかなかった。
怖かった。なにが怖いって当時は少年が公務員を線路から突き落としたって話が世間では持ちきりだったからだ。自分が犯人扱いされるのが怖かった。
でも男の人が何かうめいていた。思考は吹っ飛んで119番。アタフタしていて何を言ったのかすら覚えていない。
近くにおじさんがたまたま通りかかって、こっちに来てみると何か慌てている若者と男性が線路で倒れているというシチュエーション。
考えれば「どう見ても犯人です。本当にありがとうございました」ってなレベルだ。
人のよさそうなおじさんだった。そんなことは後から分かったことなのだが。夜の無人駅は暗い。暗くてどうなっているのかも分からない。
とりあえず何かおじさんは手馴れた感じで、俺と二人がかりで線路からその人を動かす。後から分かったことだがおじさんは介護の仕事をしているらしい。
救急車が来て警察が来た。電車はわずかに30分に1本だから、止まったところで大した問題にならなかったのは幸いだ。
その後で俺は警察の人から質問をたくさんされた。このときに最初の思考がよみがえってくる。
まあそのときは20分くらいして来た電車に乗り、そのまま帰ったわけだが。
その人は助かり、俺は後から表彰された。別に表彰されること自体はどうでもよかったのかもしれない。
ただ、おじさんに「ありがとう」と言いたかった。
そのときに聞いた話だけれど、最近は俺みたいに通報する人は少ないらしい。見て見ぬふりをする人が多いんだそうだ。
そうして助かったはずの人が何人も、いや数えられないくらい死んだのかもしれない。
理由は色々とあるのだろう。俺と同じ理由かもしれないし、単に面倒くさいからかもしれない。どうなんだろうな。
でもこれって、俺も含めてみんな動物になっているってことなのかもしれない。ひたすら冷徹に考えれば、通報したのが正しかったのかはわからないけれど。
そうじゃないんだ。感情の方がよっぽど人間にとって大切な持ち物だと知ったような気がした。
昔がよかったとか言うつもりはない。昔のことなんてどうでもいい。
ただ。みんなも一分の優しさでもあるならば。そんなときには通報してほしいんだ。
ヤフオクで中古のテント買って、安いツーリング・チャリ買って旅行だな。自転車屋で聞くとわかるが、たためるチャリは列車に乗せられる。夜行の自由席で遠出して、現地で一週間テントしながら旅行だ。楽しいぞ。
どこにすんでいるのか知らないが、盆前に3,4泊で行くといい。楽しけりゃ盆の後にもう一度少し長距離を行けばいい。
駅という場所柄、私の仕事上の客ではない、単なる通りすがりの利用客から、道を尋ねられることがよくある。
しかし、それらは大抵、駅構内の地図や、天井からぶらさがっている案内板を見ればわかるものがほとんどだ。
私はそういう人間のことを特に腹立たしく思う。何故人に聞く前に自分で調べようと思わないのか。
中には、前売り券を握りしめて、近所にある大きな劇場の場所を聞く人もいる。前売り券まで持っているのだから、今日はその公演を見る予定は前から決まっていたはずだ。であれば、何故下調べをしておかないのか。
ところで、この駅には改札口が3つある。しかし、どれも大きな改札口であり、入り組んだところにポツンと改札口あるようなものでもない。「改札口が3つもある」というよりは、大きなターミナル駅であるにも関わらず「改札口が3つしかない」という考え方のほうが自然だと思っている。
ところが、これもよくあるケースなのだが、「ここ以外に改札ってあるの?」と聞いてくる人が多い。待ち合わせをしているんだろうが、では何故待ち合わせをするにも関わらず、どこの改札にするか具体的に指定できないのだろうか。田舎の無人駅ではあるまいし、一つの駅に複数の改札があるのは常識の範疇といっても過言ではない。
なぜこういった人はすぐ他人に頼ろうとするのか。駅員に聞くならともかく、私は駅を職場にしている人間で、こういう人の道案内は少なくとも私の仕事ではないし、中にはこういう人の相手をしている間に、私たちの営業上のロスをしていることもある。そもそも私たちにとっては迷惑この上ないものなのだが、それを知ってか知らずか、道を聞いてくる人が多すぎる。
日本の識字率は世界一だという文章をどこかで読んだが、これでは地図も案内板も役立たずだ。文字は読めても、読もうとしない。かつて私は、親に「わからないことがあったら人に聞く前に辞書を引け」と言われて育ったが、その大切さが最近よく理解できる。きっとこういう人たちはそういう育ち方をしなかったのだろう。愚かなことだ。