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2024-03-23

下着なしで短パン満員電車乗ってたら逮捕された

この前久しぶりに東京に行く予定があって

たまたま満員電車に乗ってたんだけど

その時ほんとに偶然回りが女の人が多くて

女の人と接触しまくってたら

ついつい下が反応してしまって大きくなってしまった

自分基本的下着をはかずに短パンTシャツで行動しているか

どうやら満員電車のなかでたまたまあそこが大きくなって

ある一人の女の人に当たってしまったらしい

そしたら電車を降りるとき女の人が行きなり近づいてきて

「この人痴漢です!逮捕してください!」

って大声で叫ばれた

「いや何言ってるの?痴漢なんてしてないよ」

と言ったけど後の祭り正義マンたちに取り囲まれてその後きた駅員たちに駅長室につれていかれた

駅員が

あなた電車のなかで下のものを膨らませてましたよね。それを女性押し付けていたとか」

って言うから

「確かにまわりに女性が多かったのでたちましたがそれは生理現象です。押し付けたりしてません。」

と言ったら

「じゃあ何で下着はいてないんですか」

って聞くから

「常日頃から何もきてません。外出時だけ短パンTシャツを来ます

と言ったのに変態扱いされてあとからきた警察逮捕された。

初回だから書類送検はしないけど気を付けるようにと言われて釈放されたが納得行かない。

あんな狭い空間で女がよってきたらたってしまう。

こんな空間を作ってる鉄道会社社長逮捕してほしい。

2024-03-16

anond:20240316191513

https://www.toretabi.jp/railway_info/jr-kiitemita2307.html

駅長だけに着用が許された特別制服なんだよ。アレ。

それで、天皇陛下含む皇族列車に乗ってきたときかに着用して出迎えする。

2024-02-14

anond:20240214055331

選手権ボーダーコリーが選ばれ、看板犬としてボーダーコリーが選ばれ、一日館長としてボーダーコリー駅長としてもボーダーコリーが選ばれ、犬のイラストが描かれるたびにボーダーコリーが描かれ、主人公相棒としてもボーダーコリーが選ばれ、ペットショップ看板にも、犬用ペットフードパッケージにも、当然ボーダーコリーが描かれ、、、

街を歩く犬。

その見た目は多様なのに。

多様な犬の中から、いつも、いつも、いつも、ボーダーコリーが選ばれるなら話は違ってくる。

トップブックマークコメント女性の置かれた前提を誤解してると思う。

2023-11-15

anond:20231115173010

名物東大院卒エリート女性駅長と騒がれてた人とかどうなったんだろう

やっぱ役員とかのルートとは違ったりするんだろうか

2023-11-05

anond:20231104135141

定期以外のSuicaはいまだ振替乗車ができる時とできない時があるな

駅長判断っぽいけど

2023-10-04

三大地方赤字ローカル線を盛り上げる案

駅長を猫にする

ふるさと納税版のふるさと切符

1日駅長になれる権

あと一つは?

2023-09-28

anond:20230928145250

いやー時代遅れ世間知らない引きこもりから道の駅には女性職員女性駅長もたくさんいるって知らなかったんだろ?

道の駅女性駅長会の存在も知らないで「男が考えて男が導入して」とか言っちゃうんだもんなw

anond:20230928143157

「女ならみんな私と同じように感じて、同じように考えるはず! だからこれは全部男の仕業だ!」って妄想ストーリーに浸ってるところ悪いけど、

道の駅女性駅長会が「簡易でもいいからまず設置が必要」と判断して導入されたんだよね

当然設置した道の駅には駅長女性のところもあるわけで……

2023-09-23

anond:20230923162044

う〜ん場所屋根と出入り口

駅長室の中にある授乳スペースのように、冷暖房がきいてて職員の目がある室内とかなら簡易でもありかな

2023-08-25

anond:20230825092724

アイドルとかが一日駅長とかやってることについても批判してくれ

2023-03-06

anond:20230306142014

続き

鹿児島県

博多もんから鹿児島の話が出ないってまじか

鹿児島はいいぞ

鹿児島中心部にある繁華街天文館っていう地名

天文館はまあまあでかくて、熊本下通匹敵する

いうて関東だと八王子とか、関西だと高槻程度だけどね

鹿児島おすすめはなんといっても白熊なんだよ

天文館にある、むじゃきって店が白熊発祥の地と言われている

特大のかき氷に上等な練乳がアホほどかかっていて、生のおいしいフルーツと、甘い豆が大量に乗っている

通常サイズ普通かき氷3人前くらいあるので心して食うように

しかうまいぞ、白熊食いにいくだけで鹿児島行く価値があると思う

あとは桜島

鹿児島の港に行けば150円くらいで大きなフェリーが渡してくれる

今の値段は知らん

この錦江湾イルカも入ってくるくらい綺麗で流れもあり深い海で、錦江湾堤防で150cmの青物とか、80cmのイシダイとか、シイラも釣れる

鹿児島市内の街中堤防釣りが、他のエリア船釣りに相当するのは恐ろしく、釣り人はぜび錦江湾釣りして欲しい

桜島はもくもく煙出てて、火山灰という名の砂礫をまき散らしている

車が走ると舞い上がるのでめちゃくちゃ目が痛い

コンタクトの人は注意

溶岩プレートで肉焼くとうまいけど、最初に買うと溶岩プレート抱えて旅行しなきゃいけないのでつらい

でもあの、新品の溶岩は余計な水分や油を全てスポンジのように吸収してくれるので、めちゃくちゃおいしく肉が焼ける

溶岩プレート最高

こげて吸わなくなるんだけどね

あとは城山に登って西郷さんの気持ちになろう

少し離れて南に行くと指宿がある

蒸し風呂があって楽しい

池田湖にイッシーがいて、大量の特大のオオウナギが見れる道の駅とかもある

開聞岳も美しい

地熱発電所がある山川は、最南端有人駅で、俺は山川駅で最南端駅長写真を撮ってもらった

も少し南に行けば西大山駅があり、ここが最南端の駅だ

幸せ黄色ポストがある

ここでレンタサイクルを借りれば、薩摩半島の先っちょ、最南端に行くことができる

竜宮岬っていう、浦島太郎伝説のある場所

ただ、鹿児島県の最南端大隅半島のほう

鹿児島の食い物は、白熊の他には、黒豚キビナゴさつま揚げあたり

黒豚はおいしいけど、まあただの美味しい豚だよ

キビナゴもなんてことはない

さつま揚げは駅の中とかでも、揚げ立てをひとつから売ってくれるので、まあ食べ歩きするよね

間違いなく美味しいんだわ

あと、ラーメン博多から南に行くほどこってり度が増し、面も少し太くなる

差は感じるけど、豚骨豚骨なんで、九州ラーメンは全て同ジャンル

醤油も南に行くほど甘みが増すよ

あと、変わり種としてはあくま

黒くて焦げ臭いわらび餅というか

ブヨブヨの塊の餅が、竹の皮で包まれている

好き嫌いはかなりはっきりあるけど、わらび餅好きなら嫌いではないと思う

臭いダメな人はダメかも

あとかるかん

やまいもを蒸した蒸しパンみたいな生地お菓子

饅頭になったりしている

かすたどんは、偽萩の月の中ではかなり萩の月に迫るクオリティで美味しいぞ

余裕があれば鹿児島から高速艇で数時間種子島屋久島に行ける

ロケット飛ばすのまじで見たくて、種子島行きたかったんだが、結局かなわず行けてない

2022-05-19

スゴイいいこと思い付いたんだけど

ちょっと前のニュースJR赤字地方路線のことがあったじゃん、

あれ逆に逆手にとって、

赤字路線の全駅の駅長を猫駅長にしたら、地域活性化も兼ねて、

盛り上がるんじゃない?

立ち姿の制服を着た猫駅長ブロマイドをその駅でしかもらえないようにとかしたら、レア感でるし

猫あつめする人は少なからずいるだろうし

JRは猫駅長導入してみては?って思う。

2022-04-22

交通広告場合

今はどうなのか知らないけど、10年以上前交通広告では掲出できる広告審査が非常に厳しかった。特にしかったのが大阪市営地下鉄だったと記憶している。肌の露出全然ダメだし、広告主もかなり選んでいた。

東京だとJRなんかはやっぱり厳しかったように思う。そもそも名の通っていない会社だとか怪しげな商材や企業は出稿させてもらえなかった。人気の広告枠は、締切日まで申し込みを受け付けて抽選でその広告枠を買える企業が決まるんだけど、本当に抽選したの?と疑ってしまうような確率微妙企業は枠が取れなかった。ただ抽選で落ちましたといえるから営業担当者ある意味助かっていたようにかもしれない。もっと露骨に申し込み後に調整が入る枠もあったので、そういう時は断られたと顧客に伝えるのが大変だったろうと思う。いずれにせよ、やばめの企業広告を出せない仕組みになっていた。

意外とザルなのが都営地下鉄で、これ大丈夫なの?という企業商品広告でも長い間掲出されていたりした。マンション水道管をいろいろやって長持ちするパイプも確か都営地下鉄ではずっと広告が出てたと思う。なんかの付き合いなのかもしれない。

交通広告は他の多くの広告枠とは成り立ちが異なる。あくまで人を運ぶ交通機関掲載されるものなので、例えば駅長などにとっては、広告なんてどうでもいい。金になるから許してるけど、本当は広告文句を言ってくる利用者を遠ざけたい気持ちの方が強く働く。どうでもいい広告文句を言ってくる利用者は相当多かったと聞いている。きっとそれは今も同じだろう。ロシア語を取り下げた例の駅で行ったのと同じような理屈で、ケチつけられそうな表現広告もやはり掲出許可がおりないことが多いだろうと思う。

今後は電車も利用客が減ってきて、広告を通じて得る収益重要性も高まってくるのかもしれない。そうするとヤバめの広告が増えてきたりするのかなあと思ったりする。

2022-02-21

anond:20220220233608

一度朝から新宿まで用事があって向かったことがあるんですが、個人的には毎日通勤となるとしんどいかなと思いました。もっと遠くから乗っている人も居たので、慣れかもしれませんが。。。

都内から距離の割には家賃は高めだと思います通勤する必要があって、他に候補があるなら家賃相場通勤時間は比較することをお勧めします。

他に気になるのは住民税指定ゴミ袋が高いこと(20L 10枚で400円)です。あと駅長室が鎌倉市にあるせいで、横浜市内の切符じゃ改札から出られません。

駅の周りは個人店もチェーン店も揃っていて生活には困らないです。原付持ってきてましたが全然使いませんでした。

駅周辺は川と線路を挟んで大きく東西エリアが区切られていて、東の方が何かと便利です。踏切は待たされるし高架がちょっと不便な場所にあるので、線路を超えるのが面倒臭いです。

住所マウントはよくわからないです(そんなに住所明かす機会ありますか?)。

ただ大船本ってムックキャッチコピーが「この街がとうとう注目される時が来た」みたいな感じだったのは面白かったです。

段ボールの端っこを捨てる儀式ちょっとからないです。まな板包丁は使ってもOKですが、ピザ作るためにガンガン生地を叩き付けるときソファでやってます

変な人に話しかけられる率は藤沢の方が多いです。特にコロナの後。声をかけられても目を合わせないのが吉です。

プラごみ普通ゴミ袋で出せるので、有料ゴミ袋を節約するために分別してます。面倒臭くなったら可燃に突っ込んでますが、今のところ怒られたことは無いです。

管理会社挟んでいるので、大家さんと直接話すことはなかったです。。。

2021-09-27

anond:20210927142033

うそ

指宿旅行に行って足をのばすといいぞ

薩摩富士と呼ばれる開聞岳もきれいだし、本土南端の駅、西大山も近い

ちなみに山川駅本土南端有人駅だ

妻と旅行に行ったとき山川駅駅長記念撮影したわ

本土南端駅長だぜ

2021-05-11

今更ながらJR東日本の車椅子乗車拒否問題について考える

伊是名夏子氏のブログTwitterから話題になったJR東日本車椅子乗車拒否問題。結局なんだかんだ言って有耶無耶になって終わった感があるので今更ながら考えたことを投稿

事の顛末は以下の通り

〜以下伊是名氏のwikipediaページより引用

改正バリアフリー法が施行された2021年4月1日。伊是名は来宮神社観光のため、宿泊施設飲食店は予約した上で、友人・介助者・子供ら5名で電動車椅子で出発。JR事前連絡せずに小田原駅来宮駅下車をJRの係員に伝えた。しか来宮駅無人駅階段しかないため、係員はバリアフリー化されている熱海駅下車を推奨した。伊是名は車椅子で乗車可能タクシーは1ヶ月前からの予約が必須と主張し、バリアフリーにのっとり対応するよう求めたが、利用者数3000人以下の来宮駅同法対象ではないと説明を受ける。伊是名は次に障害者差別解消法根拠合理的配慮を求め、駅員3・4名を集めて電動車椅子を運ぶよう要求。急に人員を確保できないとするJR側と交渉中に、伊是名は新聞社数社に取材要請。駅係員と1時間ほど交渉の末、熱海駅に向かった。小田原駅から連絡を受けていた熱海駅では特別の計らいで、駅長を含む係員4名が一行を急遽出迎え、来宮駅まで同行。階段降下時には、100キログラム超の電動車椅子を4名で手持ち運搬した。熱海駅長の教示で、復路は伊是名が事前連絡をおこない同様の措置がとられた。

引用ここまで〜

○なぜJR事前連絡できないのか

伊是名氏は宿泊施設飲食店を予約している。なのになぜ移動手段についての事前連絡ができなかったのか。

伊是名氏の主張するとおり障害者にも自由に移動する権利は認められるべきである。ただ、バリアフリー対応タクシーという代替手段もあるわけで、伊是名氏は利用の1ヶ月以上前から予約が必要であるためこれを利用できないと自身から主張している。結局のところ、自身不手際からくる旅行の行程の綻びをJR側に押し付けているだけにすぎない。問題提起のためにあえて準備をせずJRを利用しようとしたのであれば尚更たちが悪い。

交通事業者に駅バリアフリー化を求めるという気持ちもわかるがJR側が説明したように来宮駅バリアフリー法の対象であるJRは法に従って業務を行っているため責任所在はここにはない。バリアフリーについて訴えかけるなら立法機関に対して行うべきだろう。

そもそも合理的配慮とは何か

伊是名氏が主張した合理的配慮について。そもそも合理的配慮とは何か、内閣府作成ガイドブックより引用する。

〜以下引用

合理的配慮は、障害のある人から社会の中にあるバリアを取り除くために何らかの対応必要としているとの意志が伝えられたときに、負担が重すぎない範囲対応すること(事業者においては、対応に努めること)が求められるものです。重すぎる負担があるときでも、障害のある人に、なぜ負担が重すぎるのか理由説明し、別のやり方を提案することも含め、話し合い、理解を得るように努めることが大切です。

引用ここまで〜

合理的配慮というものは、義務ではないが、可能な限り対応しようという努力目標ということである

今回の対応について、社民党が出した声明文に対しJ-CASTニュース取材JR東日本横浜支社は次のようにコメントしている

〜以下引用

当社では、お客さまのご要望を承りつつ、代替手段であるタクシーの手配や、可能範囲での駅係員の手配による来宮駅での介助対応を行っており、『合理的配慮提供』を行ったものと考えております

引用ここまで〜

事業者側がどれだけ合理的配慮を行ったと主張しても、受け取る側が合理的配慮と感じていなければそれは合理的配慮ではないという考え方もできる。

この点は両者の言い分が理解できることであり今回の問題で一番難しいポイントだと思う。

特別の計らいを当たり前にしようとするのは逆効果

今回熱海駅から係員4人が駆けつけて、100kgを超える電動車いすを運んだことは、合理的配慮の枠を超えた特別な計らいであったとされる。合理的配慮の枠を超えるということは、つまり負担がかなり重かったということである

このような特別な計らいを目撃した身体障害者が同じ対応を主張し、これを認められなかった際に「伊是名氏は対応してもらえるのに私は対応してもらえないのは差別ではないか」という考えを持つことは容易に想像できる。かなり重い負担をかけて対応した上に、一度対応した手前これが当たり前になってしまうというのは事業者にとってはかなりしんどい特別な計らいを当たり前にしようとする運動は、かえって他の身体障害者に対する合理的配慮の幅を狭めてしま可能性がある。

バリアフリー化は健常者差別

そもそもバリアフリー化を求めるのは良いが財源はどこにあるのか。国からの補助もあるだろうが、交通事業者の出費も馬鹿にならない。

交通事業者の出費は主に運賃収入によって賄われる。バリアフリー設備は健常者(高齢者等を除く)にとっては必要のない設備である必要のない設備を設置するために、運賃が上がるというのは健常者差別ではないだろうか。

基本的身体障害者は、介助者1人を含めて運賃が半額となるケースが多い。受益者負担原則に則るならば、ある程度運賃を上げてこれをバリアフリー化の財源とすればよいのではないかと考える。

○主張ばかりでは賛同は得られない

他の障害者から伊是名氏に対して否定的意見が多く寄せられたという記事を見たが、主張ばかりする存在丁重に扱わないと何を言われるかわからない存在になってしまうと受けられる合理的配慮の幅も更に狭まってしまう。

伊是名氏の言動には一方的な主張と問題提起を混同している節が見られ、この考えを改めない限りは社会から総スカンを喰らい続けることになるだろう。

2021-04-06

anond:20210406172653

いや、それはおかしい。

ご本人のブログ記事からhttp://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html

駅員A、どこかに問い合わせている模様。

駅員Bが出てきて「熱海まででいいでしょうか?」

私「いや、来宮までお願いします」

駅員B「階段しかないので、ご案内できません。熱海まででいいですか?」

私「いえ、私は30分前には来ていて、どうしてもこの電車に乗っていきたいです。駅員さん3,4人集めてもらい、階段を持ち上げてください」

熱海駅に到着。

すると駅員4人が待っている!

駅長D「今回は駅長の私がいたので、対応させていただきます

私「小田原駅で、熱海駅は一切対応しませんと言われたのですが」

駅長D「私がいたので、一緒にご案内します」

熱海駅で伊東線に乗り換え、やっとの来宮駅到着。

駅員4人で車いすを持ってもらい、階段を運んでもらう。私はヘルパーさんに抱っこしてもらう。

2021-04-05

anond:20210405220208

党派として運動を支持する同志である労働組合員に一方的労働強化を押し付けておいて礼も言わないってどんだけ傲慢なんだよ

駅長管理職から経営側かもしれないけど、手伝った3人はヒラだろ

車いすユーザー乗車拒否」の話が炎上してる件で思うこと

最初Twitterトレンドの「乗車拒否」をクリックして、何が起きたのかを知った。最初に「乗車拒否にあった」と訴えているらしい車いすユーザーの方を批判する多くのツイートを目にし、元ツイートの方に辿り着いて本人のブログを読んだ。

なるほど。と思った。

何が批判されているのかは、ブログ文章でだいたい把握できた。

でも、何故ここまで批判されるのかは正直わからなかった。

モンスタークレーマーみたいに見えるのは、ちょっとわかる。でも決してそんな横暴な主張をしてるわけではないし、なにより批判している方の叩き方が異常だと思った。なんでそんなに怒っているんだろう、と違和感を感じた。

その後もTwitter彼女ツイートを取り上げ、支持しますと表明している人のツイートに対して、鼻息荒く噛みついている多数のリプを見た。なにこれ、怖い怖い。

車いすユーザーの人から批判的リプがとても多いのが気になる。「こんなのと一緒にされたら困る」と。彼女の発信が、逆に自分たち立場を危うくすると思っているようだ。

この感じ、何なのか。最近話題になったあのワードが、頭の中でリンクした。

彼女は「わきまえない車いすユーザー」として叩かれているのだ、と思った。

彼女批判的な車いすユーザーは、「健常者中心の社会で回りの皆さんに助けてもらって生きさせてもらっている者として、立場をわきまえろ」と言っているのだ。

勿論、彼女批判している健常者も同じことなのだが、なぜ同じ立場にある車いすユーザー彼女を背後からつのかと言ったら、そういうことだ。

それはつまり、「マイノリティ社会権利を訴えたら、ひどいバッシングにあう」からだ。それが怖いから率先して、自分たち権利を訴える代表者を黙らせにかかる。「わきまえて」謙虚暮らしていれば、社会の中で存在していいと認めてもらえる。今以上の権利を主張すると、潰される。自分が発信しなくても、「現状の社会に盾突く存在」だと思われたら攻撃を受けるかもしれないと恐れている。実際、そんなことがずっとこの社会では起きているのだから、そう怯えるのは無理もない。

だが、忌むべきはそういう社会の方であって、声を上げた彼女ではないのだ。

そして、批判している多くの人が誤解をしているように見えるが、彼女問題にしているのは「JR職員対応」ではない。その先にある、「車いすユーザー生活対応しない社会なのだ

ブログ文章を読んで、「対応してくれた熱海駅の駅員さんに対する感謝がない」と感じた人が多いようだ。私も、最初の印象はそうだった。

だが、彼女問題提起しているのはもっと広い視野の話なので、個別対応してくれた駅員さんに対する感謝というのは主旨から外れる。だいたい、ブログに書いていないからといって、彼女が現地で駅員にお礼を述べなかったと決めつけるのもおかしい。

彼女ブログ個人個人の話をしているのではない、「社会」が車いすユーザー権利制限している、という問題について書いているのだ。

勿論、今回の旅行彼女個人的なものであって「権利向上活動」としての目的ではないだろうが、それは関係ない。車いすユーザーであっても健常者と同様に自由公共機関を利用して旅行に行ける社会を、彼女は求めているのだ。

その視点理解できない人が、狭い視野で「個人権利を主張して、駅員に迷惑をかける人」と断じているのが、この炎上案件だと思う。

結果的に、当初小田原駅でははねつけられた彼女要求が現地で通り、熱海駅から駅長以下4名が同行して無人駅来宮駅階段を運んでくれたとのことだが、これを「結果的要求が通ったのにまだ文句言ってる」と批判するのは、あまりに状況がわかっていない。

私も健常者で、バリアフリーに関しては殆ど知識のない人間だが、ブログを読む限り「バリアフリー法によって設備のない駅ではそれ以外で対応する義務がある」となっていても、実運用現場判断まかせによるもので、対応する人によっては「できない」と言われる可能性がある、というのは大問題ではないのか。

たまたま熱海駅駅長がいて対応してくれたが、もしかしたらその日駅長さんが非番だったらそうならなかったのかもしれない。そんな個人裁量まかせでは、車いすユーザーの方は毎回事前予約でしか駅が利用できないことになってしまう。駅長グッジョブとか感謝とか言っている場合ではない。

批判ツイートやリプでは「最初から想定されている不便なら、それ相応の準備をしておくべきだ」という意見が目立った。それはたしかに一理あるように見えるが、社会が抱えている問題を覆い隠すことにしかならない。

私は本件のコラムニストのことを今回初めて知ったので、彼女がどんな半生を送ってきたかろくに知らないが、先天性の病気の方のようなので、普通に生活するだけで健常者には想像もつかないような多くの不便とぶつかってきたんだろうと思う。「出来ないことは我慢する」「他で代替する」なんてことはとっくの昔から繰り返ししてきたはずだ。それを、たまのイベントのように「これがダメならこうしたらよかったのに」と上から目線で言うような人間は、自分想像力の欠如を恥じてほしいものだ。

車いすユーザーの人は、外に出たかったらもっとどんどん公共機関を利用して外出するべきなのだ。もちろん、不安な人は彼女のような思いをしないために事前に準備し、連絡をしていけばよい。車いすで駅を利用する人が減っていけば、今後も駅のバリアフリー化は進まないだろう。ニーズがなければ設備投資はされず、いざという時に人力だけが頼みとなってしまう。駅員さんも危険だし、誰も幸せにならない。

 

コラムニストの方は新聞に取り上げてもらうように動いているようなので、この件が記事になってメディアに出た時、どんな取り上げられ方をするのか、またそれに対してどんな意見が出るのか、引き続き注視したいと思う。

なお、この文章をつらつら書くのに数時間かけてしまい、再びTwitterブログ主のホームを見たら、彼女賛同するツイートに「#わきまえない」「#障害者差別」とあり、やっぱそれよね~~という気持ちになった。

2021-03-22

赤い部屋

異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。

 七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。

 部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチック蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。

 いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。

 誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛け人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。

 やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。

 私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。

 初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。

 そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易生活を送っていました。

 これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働しろ兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。

 こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。

 私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。

 犯罪探偵遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアル遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。

 その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘン喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。

 そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。

 それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事動機を為なしたのでした。

 どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町何気なくヒョイと曲りますと、出会であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男自動車運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。

 私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから医院所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」

 すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。

 実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。

「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」

 私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。

「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」

 というその時の言葉もすっかり覚えています。なぜその代りに、

「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」

 と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しか外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。

 私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院はいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。

 私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。

 この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながちとがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますいか

 これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しか法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上殺人である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。

 皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。

 これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。

(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)

 この場合危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれ理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。

 世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。

 そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。

 今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。

 併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます

 この方法発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手言葉にさからたことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。

 ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。

 それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、

「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)

「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」

 と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、

「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」

 などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、

「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。

 こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。

 ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。

 ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。

 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33

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