はてなキーワード: 放射性物質とは
https://mainichi.jp/articles/20230819/k00/00m/040/080000c
有料部分は読んでないけど、学術的論拠に基づいた正確な情報に難癖つけるのは報道の敗北みたいなブコメがトップコメだった
科学的にほぼ真水と変わらないレベルに薄まった糞尿下水があります
たまった下水を処理するためにこれをあなたの家の庭で常時スプリンクラーで撒きます
これを以前バキュームカーで事故を起こして糞尿をあたり一帯にぶちまけた業者と行政が言ってきました
これに科学的に正しいのだったら存分に撒いてくださいって皆が皆言えるかといったらそうではないでしょう
科学的に問題なくても元うんこは絶対に飲みたくないし自分の敷地には撒かれたくないって人は大勢いるよ
ここにあるのは「穢れ」への忌避感だ
科学的に得体がしれないから拒否してるのではなく、放射性物質に感じるのはそうした「穢れ」の感情であり、そういう感情を持つ人にとっては科学的正しさのみで帰依はできない
霊魂はいないと分かってても死んだ祖母の入る墓を邪魔だからという理由だけでなぎ倒せるかって話ですよ
そして、社会生活を送る以上そうした人たちと好む好まざるに関わらず共存するしかないのです
科学的正しさで帰依できないのはおまえが馬鹿だからだと分断を煽ってどうするんですがねえ
以下は東京電力のサイト https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/oceanrelease/ を根拠として説明します。
海洋排出される処理水のトリチウム濃度は1,500ベクレル/リットル未満であり、10,000ベクレル/リットルというWHOの飲料水基準をはるかに下回っています。つまり飲んでも安全無害なのです。
タンク群の中の水の内、トリチウム以外の放射性核種が告示濃度比総和1未満(70年間毎日2リットル飲んでも大丈夫なレベル)のものを「ALPS処理水」と呼びます。これは現在タンク群内の34%であり、その他の66%はトリチウム以外の放射性核種が十分に除去されていない「汚染水」です。
今回海洋放出されるのは「ALPS処理水」です。66%の汚染水は今後も30年かけて徐々にALPSで再処理を続け、告示濃度比総和1未満(70年間毎日2リットル飲んでも大丈夫なレベル)の「ALPS処理水」にしてから海洋放出します。
以上のことから、海洋放出される「処理水」は全く安全な水であり、処理水の海洋放出に反対するのは極めて非科学的な態度であり、「処理水の海洋放出が環境破壊をもたらす」とするのは陰謀論の一種なのです。
例えば都内の多摩川や江戸川の水をそのままマグカップで掬って飲めますか?そんなことをすれば、放射性物質ではなく、雑菌やウイルスで間違いなくお腹を壊すでしょう。では、多摩川や江戸川の水は危険だから海に流すな!と主張するのですか?そんなことをすれば大洪水が起きます。「安全なら飲め」というのが屁理屈だとわかるでしょう。
処理水をわざわざタンク車やタンカーに乗せて東京湾へ運ぶのは予算の無駄です。国民の血税を無駄遣いするべきではありません。
左派、リベラルの方々は、科学的、論理的視点で日本の問題点を指摘してきた方々だったと思います。しかし、科学的・理論的観点を軽視し、主観的印象で処理水の海洋放出に反対するのであれば、それは科学に基づく左翼的態度ではなく、単なる陰謀論に堕ちていると言えましょう。
「処理水=トリチウムが含まれる水」くらいの認識しかないんだろうけど実際はセシウムやトリチウムなど他の放射性物質も完全には除去できていません。
https://www.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/images/tankarea.pdf
また「薄めれば安全だ」と言う人がいますが、薄めたとしても一箇所で大量に廃棄すれば当然その付近でセシウムなどの放射性物質が生物濃縮することが考えられます
まとめると、
- 処理水ではなく汚染水。
- 処理なんて出来ていない。
- 海洋放出されるのはどこの国も流しているトリチウム水だから問題ないというのもウソ
「日本の原発の父」こと正力松太郎先生のお作りになった読売新聞社説ですら「ウソは書けない」という建前は崩せず、セシウム、ストロンチウムなどがALPSでは除去しきれず、残存することを認めているので、下記の表現になっています。
完全に除去できるなら「完全に」と書きます。
「大半の」ということは「残存する」ということです。
yomiuri.co.jp/editorial/2023…
https://twitter.com/hirougaya/status/1675871629342285824
東電の資料を読めば、ALSPで処理したあともセシウムやストロンチウムは取り切れずに残存することに、ようやく「日本の原発の父・正力松太郎先生新聞」である読売新聞の記者も気がついたのでしょう。
経産省の作った資料を元にした(元ネタ持ってます)読売新聞と同省のプロパガンダは「ALPS処理水にはトリチウム以外の放射性物質は含まれない」かのようなフィクションを繰り返しばら撒くという点では一貫しています。「日本以外の国の原発もトリチウム水を海洋投棄している」という記事もその一つに過ぎません。東京電力の作った資料はもう少し正直で、ALPS処理後の処理水にもセシウムやストロンチウムなどの核種が残存することをグラフや数字で書いています。ただ「残存します」とは明記しません。資料をよく読むと数字で出ているのです。経産省や讀賣新聞がそれを意図的に隠蔽または無視しているのか、本当に気が付かないのかは分かりません。
それから、言うまでもないことですが、ALPS処理水をいくら海洋投棄しても、メルトダウンした三つの原子炉の廃炉のスピードはまったく早まりません。タンクの空き地ができるだけです。つまりALPS処理水の投棄は「廃炉」や「復興」とはまったく無関係なのです。これも意図的か勘違いなのか、よくプロパガンダに登場する誤謬です。
これは誰も指摘しませんが極めて重要なことなので繰り返します。ALPS処理水の投棄は、メルトダウンした三つの原子炉の廃炉にも、原発事故被害地の復興にも一切関係がありません。福島第1原発の敷地内にタンクの空き地ができるだけです。廃炉のスピードは上がりません。被害地の復興にも一切寄与しません。
ですので「原発事故被災地の復興のためにALPS処理水の早期解決を!」というよくある文言は真っ赤なウソです。意図的に嘘をついているのか、バカすぎて本気ででそう信じているのかはわかりません。
同じように「廃炉促進のために処理水の解決を」という文言も、真っ赤なウソです。ALPS処理水を全部海洋に捨てても、廃炉のスピードには一切影響しません。もともと両者は無関係なのです。騙されてはいけません。
私が「ALPSで処理してもセシウムやストロンチウムなど放射性物質は残存する」事実を教えてもらったのは、他ならぬ東京電力の廃炉資料館(福島県富岡町)です。そのデータが展示してあったのです。驚愕して現場にいた説明係員に「トリチウム以外にも核種は残存するという理解でよろしいですか」と確認したら「そのとおりです」とおっしゃっていました。
>>ALPS処理水と原発事故被災地の復興は全く関係ない事実はこれまで繰り返したとおりです。
この復興庁のウェブサイトはそれが関係あるかのように誤導する典型的なプロパガンダです。
https://twitter.com/hirougaya/status/1676083810709172224
ね?見事に政府と東電のプロパガンダに乗ってるでしょ?もしかしたら、あちら側のSNS対策業者かもしれませんね。
藤崎剛人
蓋然性という言葉は、物事の未来の結果を明確に判断する前に、その可能性を表現するために使われます。この言葉の語源は、量子物理学者エルヴィン・シュレディンガーの有名な思考実験「シュレディンガーの猫」に関連しています。
シュレディンガーの猫の思考実験では、密閉された箱の中に猫が入っており、放射性物質の崩壊によって毒ガスが放出される可能性があります。しかし、観測者が箱を開けるまでは、猫の生死は明確には決まらないとされました。つまり、蓋を開けるまで、猫は生きている可能性と死んでいる可能性の両方を持つという状態にあるとされました。
この思考実験は、量子力学の基本的な原理である「重ね合わせの原理」と関連しており、シュレディンガーの猫が生死の両方の可能性を持つという状態を表現しました。この概念は、物事の未来の結果が確定するまで、複数の可能性が存在するというアイデアと結びつきました。
こうして、シュレディンガーの猫の思考実験をもとに、未来の結果が明確になる前の可能性を表す言葉として「蓋然性」という語が生まれたのです。蓋然性は、現実の出来事や結果に対して、不確実性や可能性を示す言葉として使用され、予測や推測の範囲を表現する役割を果たしています。
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っていうのは、俺がChatGPTに書かせた嘘だから気をつけろよ
正直、福島原発の事故って、丸く治まったんかなーくらいに思っていた。
しかし、現実としては、「水を入れまくったら、何かしらないが、原発からの放射性物質が大量放出をしなかった」という感じの収束だったらしい。
映画だから、大袈裟に「日本崩壊シナリオ!西日本と北海道以外日本は住めなくなる!」とか煽ってるんかと思ったら。
本当に、原発から放射性物質が大量放出しなかったのが理由もよくわかっておらず、たまたまそのシナリオにならなかっただけらしい。
え?ってなった。
マジで日本が終わってた可能性もあるし、それが防がれた理由も現状でもよくわかってないってまじ?と。
そんな激ヤバな感じだったんだなあ、福島原発事故って。
長崎大学のホールボディカウンターの鉄壁は、特別な鉄材が用いられています。ホールボディカウンターを製作した第二次世界大戦後(1960年代)の鉄材には、微量ながら放射性コバルトが含まれていました。鉄材の摩耗度を放射線を利用して調べるために製鉄所で鉄の中にわざと混入させていたわけです。しかし、鉄材中の放射性コバルトは、微量な放射性物質を測定するホールボディカウンターにとっては邪魔なものでした。
ところが、第2次世界大戦前の鉄材の中には、この放射性コバルトが混入していないことがわかっていました。そこで、戦前に作られた鉄材を使用し、微量な放射性物質を測定する装置の遮へい材料として使ったわけです。
核兵器云々ではないらしいで。
吉井議員「冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか」
安倍首相「そうならないよう万全の態勢を整えている」
吉井議員「冷却に失敗し各燃料棒が焼損した(溶け落ちた)場合の想定をしているのか」
安倍首相「そうならないよう万全の態勢を整えている」
吉井議員「原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測を教えて欲しい」
安倍首相「そうならないよう万全の態勢を整えている」
吉井議員「総ての発電設備について、データ偽造が行われた期間と虚偽報告の経過を教えて欲しい」
安倍首相「調査、整理等の作業が膨大なものになることから答えることは困難」
吉井議員「これだけデータ偽造が繰り返されているのに、なぜ国はそうしたことを長期にわたって見逃してきたのか」
安倍首相「質問の意図が分からないので答えることが困難。とにかくそうならないよう万全の態勢を整えている」
http://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/165256.htm
核分裂と核融合は、原子核が変換されることでエネルギーを生み出す反応ですが、その違いは何でしょうか?
核分裂は、質量数が大きい原子核が中性子に衝突されて二つ以上の小さな原子核に分裂する反応です。このとき、大量の中性子や放射線が放出されます。
これらの中性子や放射線は、周囲の物質に損傷を与えたり、放射性物質を生成したりします。
また、核分裂反応は連鎖的に起こるので、制御が難しく、暴走した場合には大きな爆発やメルトダウンを引き起こす危険性があります 。
一方、核融合は、質量数が小さい原子核が高温高圧の状態で衝突して一つの大きな原子核に融合する反応です。
これらの中性子やヘリウムは、核分裂反応に比べて放射性物質を生成する量が少なく、周囲の物質に与える影響も小さいです。
また、核融合反応は非常に高い条件を必要とするので、自然に止まる性質があります。
東京電力福島第一原子力発電所の建屋内にある放射性物質を含む水について、トリチウム以外の放射性物質を、安全基準を満たすまで浄化した水のことです。
トリチウムについても安全基準を十分に満たすよう、処分する前に海水で大幅に薄めます。
薄めた後のトリチウムの濃度は、国の定めた安全基準の40分の1(WHO飲料水基準の約7分の1)未満になります。
安全基準を満たした上で、放出する総量も管理して処分するので、環境や人体への影響は考えられません。
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/shirou_alps/no1/
シュレーディンガーはアインシュタインに宛てて、量子力学のコペンハーゲン解釈の重大な欠陥を明らかにするために、架空の実験装置を作った。この解釈では、量子系は外部の観測者と相互作用するまで、2つ以上の状態の重ね合わせに留まるとされる[1]。
この効果を、原子というミクロな世界の特殊性として片付けることはできるかもしれないが、その世界が、テーブルや椅子、猫といったマクロな日常世界に直接影響を及ぼすとしたらどうだろうか。シュレーディンガーの思考実験は、それを明らかにすることで、量子力学のコペンハーゲン解釈の不条理を明らかにしようとした。 粒子が重ね合わされた状態にあることは、一つの事実だ。しかし猫はどうだろう。猫はどちらか一方にしか属さないし、死んだり生きていたりもしない。
ガイガーカウンターの中に、ほんの少しの放射性物質が入っていて、1時間のうちに原子の1つが崩壊するかもしれないが、同じ確率で1つも崩壊しないかもしれない。このシステム全体を1時間放置しておくと、その間、原子が崩壊していなければ、猫はまだ生きていると言うだろう。システム全体のΨ関数(波動関数)は、その中に生きている猫と死んだ猫(表現は悪いが)が等しく混ざり合っていることで、このことを表現している。
この思考実験の意味合いについては、多くの現代的な解釈や読み方がある。あるものは、量子力学によって混乱した世界に秩序を取り戻そうとするものである。また、複数の宇宙で複数の猫が生まれると考えるものもあり、「重ね合わせられた猫」がむしろ平凡に見えてくるかもしれない。
通常の話では、波動関数は箱入りのネコを記述する。QBismでは、箱を開けたら何が起こるかについてのエージェントの信念を記述する。
例えば、Aさんがギャンブラーだとしよう。ネコの生死を賭けたいが、量子波動関数が最も正確な確率を与えてくれることを知っている。しかし、世の中には波動関数のラベルがない。自分で書き留めなければならない。自由に使えるのは、Aさん自身の過去の行動とその結果だけである。なので結果として得られる波動関数は、独立した現実を反映したものではない。世界がAさんにどう反応したかという個人的な歴史なのだ。
今、Aさんは箱を開けた。死んだ猫、あるいは生きている猫を体験する。いずれにせよ、Aさんは自分の信念を更新し、将来の出会いに期待するようになる。他の人が不思議な「波動関数の崩壊」と呼ぶものは、QBistにとっては、エージェントが自分の 賭けに手を加えることなのだ。
重ね合わせを形成するのはエージェントの信念であり、その信念の構造から猫について何かわかる。なぜなら、波動関数は、エージェントが箱に対して取り得るすべての行動(相互に排他的な行動も含む)に関する信念をコード化しており、Aさんの信念が互いに矛盾しない唯一の方法は、測定されていない猫に固有の状態が全く存在しない場合だからである。
QBistの話の教訓は,ジョン・ホイーラーの言葉を借りれば参加型宇宙であるということである。
2. ボーミアンについて
量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、電子のような量子粒子は、人が見るまで、つまり適切な「測定」を行うまで、その位置を持たない。シュレーディンガーは、もしコペンハーゲン解釈が正しいとするならば、電子に当てはまることは、より大きな物体、特に猫にも当てはまることを示した:猫を見るまでは、猫は死んでいないし生きていない、という状況を作り出すことができる。
ここで、いくつかの疑問が生じる。なぜ、「見る」ことがそんなに重要なのか?
量子力学には、ボーム力学というシンプルでわかりやすい版があり、そこでは、量子粒子は常に位置を持っている。 猫や猫の状態についても同様だ。
なぜ物理学者たちは、シュレーディンガーの猫のような奇妙でありえないものにこだわったのだろうか?それは、物理学者たちが、波動関数による系の量子的な記述が、その系の完全な記述に違いないと思い込んでいたからである。このようなことは、最初からあり得ないことだと思われていた。粒子系の完全な記述には、粒子の位置も含まれるに違いないと考えたのである。 もし、そのように主張するならば、ボーミアン・メカニクスにすぐに到達する。
シュレーディンガーの猫の本当の意味は、実在論とは何の関係もないと思う人もいる。それは、知識の可能性と関係があるのだ。問題は、量子世界が非現実的であることではなく、量子系を知識の対象として安定化できないことである。
通常の知識の論理では、私たちの質問とは無関係に、知るべき対象がそこに存在することが前提になる。しかし、量子の場合、この前提が成り立たない。量子力学的なシステムに対して、測定という形で問いを投げかけると、得られる答えに干渉してしまう。
これらの本質的な特徴は「反実仮想」であり、何があるかないか(現実)ではなく、何が可能か不可能かについてである。実際、量子論の全体は反実仮想の上に成り立っている。反実仮想の性質は、量子論の運動法則よりも一般的であり、より深い構造を明らかにするものだからだ。
量子論の後継者は、運動法則は根本的に異なるかもしれないが、反実仮想の性質を示すことで、重ね合わせやエンタングルメント、さらには新しい現象が可能になるだろう。
シュレーディンガーは、仮想的な猫の実験で何を言いたかったのだろうか?現在では、シュレーディンガーは、量子論は、猫が死んでも生きてもいない浮遊状態にある物理的可能性を示唆していると主張したと一般に言われている。しかし、それは正反対である。シュレーディンガーは、そのようなことは明らかに不合理であり、そのような結果をもたらす量子論を理解しようとする試みは拒否されるべきであると考えたのである。
シュレーディンガーは、量子力学の波動関数は、個々のシステムの完全な物理的記述を提供することはできないと主張したアインシュタイン-ポドロスキー-ローゼンの論文に反発していたのである。EPRは、遠く離れた実験結果の相関関係や「spooky-a-distance(不気味な作用)」に着目して、その結論を導き出したのである。
シュレーディンガーは、2つの前提条件と距離効果とは無関係に、同じような結論に到達している。彼は、もし1)波動関数が完全な物理的記述を提供し、2)それが「測定」が行われるまで常に彼自身(シュレーディンガー)の方程式によって進化するなら、猫はそのような状態に陥る可能性があるが、それは明らかに不合理であることを示したのだ。したがって、ジョン・ベルの言葉を借りれば、「シュレーディンガー方程式によって与えられる波動関数がすべてではないか、あるいは、それが正しくないかのどちらか」なのである。
もし、その波動関数がすべてでないなら、いわゆる「隠れた変数」を仮定しなければならない(隠れていない方が良いのだが)。もし、それが正しくないのであれば、波動関数の「客観的崩壊」が存在することになる。以上が、Schrödingerが認識していた量子力学的形式を理解するための2つのアプローチである。いわゆる「多世界」解釈は、1も2も否定せずにやり過ごそうとして、結局はシュレーディンガーが馬鹿にしていた結論に直面することになる。
シュレーディンガーの例は、量子システムの不確定性をミクロの領域に閉じ込めることができないことを示した。ミクロな系の不確定性とマクロな系の不確定性を猫のように絡ませることが考えられるので、量子力学はミクロな系と同様にマクロな系にも不確定性を含意している。
問題は、この不確定性を形而上学的(世界における)に解釈するか、それとも単に認識論的(我々が知っていることにおける)に解釈するかということである。シュレーディンガーは、「手ぶれやピンボケの写真と、雲や霧のスナップショットとは違う」と指摘し、量子不確定性の解釈はどちらも問題であるとした。量子もつれは、このように二律背反の関係にある。
ベルが彼の定理を実験的に検証する前、量子力学の技術が発展し、もつれ状態の実在性を利用し、巨視的なもつれシステムを作り出す技術が開発される前、形而上学的な雲のオプションはテーブルから外されるのが妥当であった。しかし、もしもつれが実在するならば、それに対する形而上学的な解釈が必要である。
波動関数実在論とは、量子系を波動関数、つまり、死んだ猫に対応する領域と生きた猫に対応する領域で振幅を持つように進化しうる場と見なす解釈のアプローチである。シュレーディンガーが知っていたように、このアプローチを真面目に実行すると、これらの場が広がる背景空間は、量子波動関数の自由度を収容できる超高次元空間となる。
6. 超決定論について
不変集合論(IST)は、エネルギーの離散的性質に関するプランクの洞察を、今度は量子力学の状態空間に再適用することによって導き出された量子物理学のモデルである。ISTでは、量子力学の連続体ヒルベルト空間が、ある種の離散的な格子に置き換えられる。この格子には、実験者が量子系に対して測定を行ったかもしれないが、実際には行わなかったという反実仮想の世界が存在し、このような反実仮想の世界は格子の構造と矛盾している。このように、ISTは形式的には「超決定論」であり、実験者が行う測定は、測定する粒子から独立しているわけではない。
ISTでは、ISTの格子上にある状態は、世界のアンサンブルに対応し、各世界は状態空間の特別な部分集合上で進化する決定論的系である。非線形力学系理論に基づき、この部分集合は「不変集合」と呼ばれる。格子の隙間にある反実仮想世界は、不変集合上には存在しない。
アインシュタインは、量子波動関数は、不気味な距離作用や不確定性を持たない世界のアンサンブルを記述していると考えていたが、これは実現可能である。 特に、シュレーディンガーの猫は、死んでいるか生きているかのどちらかであり、両方ではないのだ。
シュレーディンガーの猫の寓話に混乱をもたらしたのは、物理システムが非関係的な性質を持つという形而上学的仮定である。 もし全ての性質が関係的であるならば、見かけ上のパラドックスは解消されるかもしれない。
猫に関しては、毒が出るか出ないか、猫自身が生きているか死んでいるかである。 しかし、この現象は箱の外にある物理系には関係ない。
箱の外の物理系に対しては、猫が起きていても眠っていても、猫との相互作用がなければその性質は実現されず、箱と外部系との将来の相互作用には、原理的に、猫がその系に対して確実に起きていたり確実に眠っていたりした場合には不可能だった干渉作用が含まれる可能性があるからだ。
つまり「波動関数の崩壊」は、猫が毒と相互作用することによって、ある性質が実現されることを表し、「ユニタリー進化」は、外部システムに対する性質の実現確率の進化を表すのである。 これが、量子論の関係論的解釈における「見かけのパラドックス」の解決策とされる。
8. 多世界
物理学者たちは古典物理学では観測された現象を説明できないことに気づき、量子論の現象論的法則が発見された。 しかし、量子力学が科学的理論として受け入れられるようになったのは、シュレーディンガーが方程式を考案してからである。
シュレーディンガーは、自分の方程式を放射性崩壊の検出などの量子測定の解析に適用すると、生きている猫と死んでいる猫の両方が存在するような、複数の結果が並列に存在することになることに気づいた。実はこの状況は、よく言われるように2匹の猫が並列に存在するのではなく、生きている1匹の猫と、異なる時期に死んだ多数の猫が並列に存在することに相当する。
このことは、シュレーディンガーにとって重大な問題であり、量子測定中に量子状態が崩壊することによって、量子系の進化を記述する方程式としての普遍的な有効性が失われることを、彼は不本意ながら受け入れた。崩壊は、そのランダム性と遠方での作用から、受け入れてはならないのだろうか。その代わりに、パラレルワールドの存在が示されれる。これこそが、非局所的な作用を回避し、自然界における決定論を守る一つの可能性である。
沖縄くんも含むクラス全員で投票した結果「沖縄くんは便所掃除係」と決められているのだから仕方がないと言える。
米軍基地を誰がどれだけ負担するかは国の代表が決める。国の代表は選挙で決める。というルールに同意して沖縄県民も国政選挙で投票しているのだから。
自分がルールに同意して参加したゲームで毎回不利な結果になるからって文句を言われてもねえ。
じゃあ便所掃除係を押し付けられないためには沖縄くんはどうすれば良いのか?
それは選挙に参加せずにその結果も拒否して戦うしかないであろう。
沖縄くん「僕が毎回便所掃除係にされるこんな馬鹿げた投票は認めない。僕はこのクラス日本組から独立する。便所掃除はお前ら本土の46人でやれ」
福島くん「君一人で新しいクラスを作るなんて無理だろう? 僕だって放射性物質掃除係なんてのを押し付けられてるけど東京くんに給食を分けてもらえないと餓死しちゃうから我慢してるし、それは君も同じだろう? ワガママを言うなよ……」
沖縄くん「だったら隣のクラスの中国組から給食を分けてもらう。僕の席は日本組の教室の入り口にあるから中国組の連中が自由に出入りするようになるな。アイツらに教室をクソまみれにされてしまうかもな。それが嫌だったら便所掃除はクラス全員で平等に分担するルールにしろよ!」
・ロシアは通常兵器の量が底がつきかけ、2000発持っていると言われる戦術核を使用するかもしれない。
・TNT火薬換算で0.数キロトンの戦術核なら被害が数キロに限定される、という説が大きい。
・戦術核は通常兵器の延長線上での使用を想定した核兵器で、被害は戦略核とは比較にならないほど限定的。
・戦略核の使用は、ほぼあり得ない...と個人的にはみている。
・ロシアが戦術核を使用する場合、放射性物質が舞い散らないように、ウクライナの対象地域に、数日続く大雨の日に使うかもしれない。
・戦術核を使用した場合の、世界のリアクション、アクションは未知数。
・ウクライナを含め世界の困難な状況にある方には、平和と心の平安を望みます。
・ここからは世界や日本のメディア、SNS等の話で、「核を使った」「核を撃たれた」というようなキャッチーなタイトルで人々の不安を煽る者が出てくると想定される。
・戦術核と戦略核の違いを明確にせず、または意図して伝えず、「核を使った」等の文言で不安を煽りPVを稼ぐSNSや動画サイト、記事には十分注意したいところ。